EMフェスタ98 > 発表大会
平飼い養鶏における
環境に対するEMの動き
宮城 敏彦 沖縄県   赤玉宮城養鶏場

 私は自然環境が豊かな大里村で、今では少なくなりました平飼形式の養鶏をさせてもらっております。大里村で市会議員をしている関係もございまして、若干大里村の概略を紹介したいと思います。
 大里村は那覇から南東に車で約30分行ったところにございます。私が育つような環境ですので、自然環境は申し分ないわけですが、基幹作物としては、あの黒砂糖の原料であるさとうきびがあります。それ以外にも畜産、今回協賛でEMフェスタに協力されている玉城牧場牛乳さんの酪農のグループの活動も非常に盛んでございます。養豚もそうですし、更に養鶏につきましては15万羽の農場とか、私のように数千羽クラスの農場等々非常に盛んな地域であります。
 このように準農村の形態をとっておりますが、歴史的に見ましても、沖縄を統一した尚巴志がまず最初に攻略した島添大里城があるのも私たちの大里村であります。最初に負けた城なんで、あまり自慢にはなりませんが、歴史的にも非常に価値のある地域です。


 沖縄県のほとんどの市町村は海に面しておりますが、私どもの大里村は海に面しておりません。しかし、農場が高台にありまして、馬天港という港を見下ろす非常に景色のいい場所に農場があります。周辺は民家がないためにちょっとした養鶏団地という形態をとっておりますが、自然環境は鶏舎を中心に北側が森になっており、鶏舎は東側に向けて建ててあります。風水の専門家によると、非常に良い場所であるという事でございます。それ以外にもお墓もたくさんございまして、気功をやる方も時折私どもの鶏舎に見えて和んでいきます。

 これは私どもの農場の入り口付近のスライドでございます。
 カナリーヤシが目印になっております。両隣りもまた、他の経営者の鶏舎が立ち並びます。

 スライドを見て解りますように、決してりっぱな鶏舎とはいえません。木造トタン葺きの手作りのもので、コンクリートは打ってないんです。これが後で結果的には良いという事が分かりました。微生物を使用することは、以前より効果があると考えておりましたので、十年程前から色々な物を使ってきました。
 EMに切り替えたのはここ2年程になります。それよりもっと以前には、薬漬けの養鶏に熱心にに取り組んで、たくさん薬品を使っておりました。大学を卒業した後5、6年間は雛の育すうを担当をしておりましたが短期間の内に病気が蔓延したり、ひどい時には全滅するという事もありました。
 そうしますと、私自身も体と精神・体調も崩し、いつもピリピリしてどんなに最新の薬を使ってもこれらの状況を改善するのはなかなか至難の業でした。
 結果的には家族にも当たり散らし、精神的にも非常に不安定になり、体調は崩れるばかりでした。もちろん鶏の成績も納得の行くものではなかったのです。
 当時、本土への視察等も何度か繰り返し、その中で家内が興味を示したのが平飼い養鶏という手法でありました。実は私は経営者のふりをしていますが、本当は家内が経営者で、私は俗に言うフリーターでございます。
 ある時私が1週間ほど熱を出し寝込んだ事があるんです。その寝込んで何も出来なかった事が鶏にとっていい結果をもたらしたという経験から、人間の一方的な浅知恵で世話をすることによる弊害がもしかしたらあるのではないかと思うようになりました。それを一つのきっかけに、今まで信じていた近代的養鶏の限界に気づいたのもちょうどその頃です。


 今の鶏舎内はこのような様子になっております。通常では考えられない程の密飼いになっておりますが、全くと言っていいほど臭気はありません。実際鶏舎内は夏は涼しく、冬は暖かく、雨降りには乾いていて居心地が良いぐらいです。産卵率は常に9割を越えております。通常の平飼い養鶏では80%を出すのがやっとという事です。
 見てもおわかりのように、飼育密度においては、かなり密飼いをしております。通常ではこれの約3分の1が坪当たりの羽数と言われております。
 寄生虫にしても現在全く問題がありません。ですから薬品を使う事はなくなりました。平飼いというスタイルは昔ながらの放し飼いを基本にした形です。現在の近代的な養鶏では自然の住感を無視したコンクリートの床、ゲージ(檻)、ウインドレス(人工照明)、加えて着色飼料に抗生物質などが欠かせないのが現状になっております。
 これは、完全に人間の都合で管理しやすいように進化した養鶏法だと言えると思います。しかし私たちの養鶏法は、自然のバランスや循環サイクルを身近な自然から学び応用して行く、今までの逆の発想で改めて平飼い養鶏を見直していく中で出来てきたスタイルです。自然環境、鶏、そして私たちがそれぞれ相手を助け合っての養鶏であると考えております。
 飼料は特別配合の飼料を使用しております。これには炭、海草等も加えております。その他鶏舎の周りの青草、雑草ともいいますが、毎日、70を過ぎた私どものおじいが与えております。どうも、この青草が毒消しというか、体調をうまく整えるポイントになっています。
 食べ残しは糞と一緒に醗酵し良質の堆肥となっております。この鶏舎の床が私たちの養鶏の最大の秘密というより、財産かもしれません。厚みは少なく見ても約30センチ。ここ10年位の鶏糞と木屑そして青草の残菜などが積み重なって出来たものです。
 臭いはほとんどありません。これは生きているのです。鶏がいなくなるとまた状態が変わります。餌の変化、鶏の年齢によっても微妙に変化します、また天候が変わっても変化します。つまり状況においていつも良い状態になるように働いてくれます。
 私共の農場にはEM研究機構の皆様の紹介で海外から視察にこられる方々がいらっしゃいます。その時に、本当に病気は出ないのか、と言った質問をよく受けます。平飼いをするとコクシジュウムという病気が出るんですが、私共の所では全然発生しません。最近では説明をするのも面倒くさいものですからこの床下にはIBMの最新式コンピューター装置が組み込まれ、その制御装置によって環境をコントロールしているんだという冗談もいいますが、本当にこの床の状態というのは養鶏環境を微妙にコントロールしてくれています。湿気の多い時は乾くように、寒い時は暖かく、時には砂浴びの砂となり、また時には鶏の餌となります。


 ちょっと分かりにくいんですが、この床を調整しているのは微生物です。その事に気付いたのはとても幸運でした。マニュアル通りに最初の5年間は糞出しをしておりました。
 人間の目からみた清潔というのにこだわって、せっせと苦労をして糞出しを心がけていたならば、こんなによい環境を作る事ができなかったでしょう。
 またEMを使用するまでの10年近くの間に裏山の表土を観察し放線菌の働きを見ていなければ、微生物が状況に応じて活躍し、それぞれ自然界の法則に従って変化していく事をつかめなかったかもしれません。
 平飼い養鶏というのは非常に暇なんです。全部鶏がやってくれますので、暇さえあれば裏山の自慢の放線菌の観察に行きます。雨の日は雨の日の、風の日は風の日の、乾いた時は乾いた時の微生物の菌子の状態は変化していきます。そういったことをちょくちょく観察しているわけです。
 EMは確かに有用菌の集まりですが、これをどのような目的で環境に適用させて働いてもらうかという事をよく考える事が大切ではないかと思います。
 EMを使い出した頃は、各々の微生物資材についての知識も経験も自分なりに多少深まっていました。EMがしっかり働いてくれる場に自分達の鶏舎がなって来つつあるという事も幸運でした。その結果、鶏をたくさん飼う事の熟練もなされてきました。そういった確認の意味でもEMが役に立ったと考えております。もしこの状態に例えば通常使用される殺菌剤等を使ったならば、今まで積み上げたきたものを全て崩してしまうことになります。人の靴などについてくる雑菌は全く問題ありません。しかし薬品で崩してしまった物をもとに戻すというのは至難の業であります。何年かかるのか見当もつきません。実際どのような種類の微生物でどうやって働いてくれているのか分からない訳で、また同じ状態を再現するのは困難でしょう。

 さて、他の微生物資材と比較しての違いは餌への添加に現われました。EMは直接鶏の体内に取り込まれた方が効果が顕著に現われました。これは自家製のEMボカシですが鶏が喜んで食べてくれます、EMボカシがうまくできたかできないかは何で判断するかは、にわとりに食べさせてみて、狂ったように食べてくれた時はよくできてます。そっぽを向かれた時はまだまだだなと判断します。私としては常に鶏が喜ぶものを与えたいと考えています。餌に直接添加するようになってから、以前より確実に成績が上がったことと、床の良い状態が崩れにくくなった事が確認できます。

 EMボカシの材料に、米糠と糖蜜とEMをミックスしたものをかけているところです。材料は飼料用のフスマ、または米糠と魚粉を使用します。通常のEMボカシ作りと同様、EMと糖蜜を混ぜる量で水分調整しています。水分は天気などによって微妙に調整します。マニュアル通りにやると大方失敗します。やはり自分の体で覚える以外に方法はないように僕は思えます。

 混ぜ終わると密閉容器に入れます。比較的さらさらした状態で、魚粉を混ぜる場合には水分が多くならないように気をつけております。
 この樽でEMボカシを作るようになってから非常にいいものができるようになりました。当初ビニール袋に入れて作っておりましたが、なかなかうまく仕上がらないという経験がございます。おそらくみなさんもそうだと思います。是非皆さんも樽を御利用下さい。

 密閉容器には一杯になるまでしっかり詰め込み、空気を抜いて新聞紙とゴミ袋をしっかり上部にかませてしっかり蓋をします。このまま一月ほど醗酵させると使用できますが、長くおいた方が熟成されて良くなるように思います。しかし私は、議会活動もありまして、忙しい時には畜産用に販売されているボカシを使う事もあります。それでも鶏はがまんして卵を産んでくれます。なるべく自分で作った方がいいと思います。

 この赤いぶら下がったものは給水機というものですが、この給水機の下に以前は糞が固まってしまうということがありました。糞が固まってしまうと臭いが少し出る事もありますが、餌にボカシを添加するようになってからほとんどそういう現象がなくなってきたのも事実です。

 これは鶏舎からこぼれてきた糞です。しかし、EMの飲水とボカシを食べて出てきた糞と、先程申しました青草の茎、木屑そういったものが混ざって上質の有機質肥料になります。この白っぽい部分が放線菌の菌糸を出している部分ですね。この鶏舎からあふれてくる堆肥はボカシ床と僕は言ってますが、鶏舎のすぐそばに小さな畑がございますが、そこに利用しています。将来は体験農場といった構想も練っております。

 これはうちの家族です。鶏は約7千羽いますが、全て自分達で集め選卵し、宅配まで行っております。毎朝、一つずつ手で卵を集め、鶏の健康状態や小屋の様子を観察しながら、食べる人の健康を考えた卵を自信をもって宅配しております。流通に関しても興味がありますので、県内の農産物についてどういう方法がよいのか、販売を通じて知り合った業者とも色々考えております。
 最近、考えるようになったのは、私共の農場の鶏が、自分達が鳥であるという事を意識し始めたんじゃないかと不安に思っています。暴動がおきなければいいのですが。なぜかと申しますと、あのように平飼いにしますと、砂浴びをしたり、日光浴をしたり、好きな時に止り木にとまり、大自然から受ける情報が体全体に伝わってきますと、自分達が鳥であるという事を自然に察してしまうからです。
 私共はこういう卵を作りたいというなんらかの希望があって作っている訳ではございません。そういう環境で、こういうふうな餌で、こういうふうに管理すると、こういう卵ができましたと、お客様に紹介しております。もちろん、私が卵を産めるわけはございません。鶏にお願いする以外にないんです。お願いする時は謙虚にお願いしますと、相手の体調がすごく良くなるように環境を、僕がどう整えていくかといことしか出来ないと思うのです。
 これからも環境づくりにEMを使いながら頑張って行きたいと思っていますので、どうぞ皆さんよろしくお願いします。
 今回この発表に際し、EM研究機構の寺本さゆりさん、そして若い研究員の方々にEMボカシ作り等、たいへん協力して頂きました。この場を借り厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。 (みやぎもりひこ)

 

宮城 盛彦

 昭和33年2月2日沖縄県大里村西原生まれ(現大里村大里)昭和55年日本大学農獣医学部卒業(34期生)昭和55年より雛育すう事業開始。昭和63年より平飼い養鶏開始。大里村民生委員、南部地区普及事業連絡協議会会長、大里村子供会連合会副会長などを歴任。現在大里村議会議員。