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平成2年に町営住宅を借りてオープンしましたが、余りにも小さくかわいそうだという事で、平成4年に現在の建物に新築しております(1、2)。 私は平成7年に2代目の所長として赴任したんですが、その時に役場の生活環境係の職員が研修でEMボカシを知って、ここで作ってくれないかという事で、まったく何も知らない状況で始める事になったんです。逆に恵まれたスタートだったと思っています。 役場の生活環境係の方は生ゴミを減量するために研修をしてきまして、施設に作らせて役場が普及するという理想的な方法を組み立て、3月頃から製造を開始しました。 この芽室町は人口が1万7千人、5900世帯でそのうちの200世帯を募集し生ゴミをEMボカシで処理する講習会に参加してもらいました。実際に使ってみてどうだったかアンケートをしてモニターをしてもらう代りにEMボカシとバケツ2つを無料配布するという事で600袋作ってくれと言われました。私たちには到底無理だと話しましたが、予算は付いているのだからやるしかないという事で、無理やりやらされる状況になり、大変な騒ぎになって取り組みました。そういった事からスタートしました。 当時北海道ではボカシを知る人はいなくて、申し込む人も新聞報道と無料だという事にひかれて申し込む状態でした。説明会では面倒くさいとか難しいそうだなという消極的な発言が多くて、途中でやめてしまう人もいました。 大型ゴミ収集日にEMバケツが結構出ていたという話で担当している生活環境課は渋い顔をしていたようです。そんな大変な時だったんですが、徐々に作業所の方に問い合わせがあったり、EMボカシを買いに来たときに窓口で丁寧に対応して、徐々に慣れてきて2、3ヵ月するとうまくできるようになりました。リタイヤした方もアフターケアする事で自信を持って作れるようになってという事を繰り返し続けてきました。職員もこれは生ゴミ減量運動として広げて行こうという事に変わっていきました。
そういった時の9月に比嘉教授夫妻が来町した。節子夫人が作業所に来ましていっしょにEMボカシを製造しました(3、4)。
当時は気が付かなかったんですが、PHが十分下がってない醗酵不十分なまま製造してたんじゃないか思ってます。当時は臭いだけで出来具合を判断していたんですが、実際役場の担当者も完成時の良い臭いがよくわからない状態で製造していたのです。製品には自信がありませんでしたが、奥村さんに来道してもらって町民向けと更に施設向けの講習会を実施し新聞報道もして頂きました(7、8)。ボカシの品質の向上とPRの両面から普及の危機を救ったと思っています。 7月に無料配布を実施、9月に比嘉教授夫妻の来町、11月には奥村さんに講習会をしてもらいました。偶然にも2ヵ月おきに新聞報道がタイムリーにありまして、十勝管内でアットホームめむろではEMボカシというのを作っているらしいという評判ができ上がりました
また、アットホームめむろでは毎月10日に、「柏の里だより」という会報を発行しております(9、10)。
ところが、冬になると醗酵する温度が得られず、いつになってもEMボカシが出来てきません。そこで空いている身障者のトイレを醗酵室に転用し暖房機を設置しました(11)。サーモスタットで一定温度を確保することで、なんとか製造はできるようになりました。 次にお客さんから冬場の生ゴミあえの埋め込み対応を求められました。というのはマイナス30度の十勝では12月頃から既に土が凍結して掘る事ができないのです。仕方なく袋に入れて日陰に置いて春まで凍結させる事にしました。バケツから袋に移すのも面倒な上に、そこまで信念をもって取り組んでいる人も少なかったので1年目は休止状態でした。 そういった事で平成7年には4000袋、年間売り上げ40万位でした。さて問題は2年目の春です。このまま終わってしまうのかと心配しましたがそれでも思い出すかのようにボカシを売り出しました。さすがに去年より激減、今後の普及に不安を感じました。そこで新たな普及を計る必要があり様々な工夫をしました。
当初作業所の入り口でEMボカシを販売したんですが、何もない所で説明をしていたんです。
それで入り口に立つとすぐEMボカシが見えるように工夫して常時説明ができるようにしました(12、13、14)。
EMの集いでは、モニターを普及員予備群的存在にしていくようにしました。それから、EMボカシを生ゴミ減量運動として取り組みました。さらに事業拡大しようという事で資源ゴミの回収まで含めて事業の展開を始めました(17、18)。
第一回リサイクルフェスティバルというのが11月に開催されました(19)。作業所から実行委員を出して、EMボカシの実演や手すき紙の葉書、缶つぶし、製品販売等の重要な役割を担っていました。役場の生活環境係と持ちつ持たれつの関係が作れるようにもなりました。
生活環境係発行の回収カレンダーや役場広報にも資源ゴミの回収やボカシのPRを私達が頼まなくても役場の方が進んで取り上げてくれるような体制ができ上がりました(20)。 この頃から作業所が売り上げを上げるという時に、人に喜ばれる、役立つ作業をしようと考える様になりました。町にお世話になるだけじゃなく町に返していける施設になるようになりたいと思うようになりました。受け身ではなく積極的にやれる事があるんじゃないかと考えた時に、それがボカシじゃないかなと思えるようになりました。ボカシは生ゴミ減量運動の先頭をきっています。また廃品回収から廃油石鹸やリサイクル葉書も作り始めました。講習会や体験教室の講師の依頼も来るようになり、町に役立つ施設、良いことをする施設、運動をする施設という斬新な運営が評判になって施設見学が相次いで来るようになっています。 そして「ザ・ボカシ」や役場の広報誌「すまいる」にも私たちの活動が紹介されました。こうした反響が大きくなる中で、1年目は冬の間に肥料を作っておいて下さいと言っていたんです。2年目の冬は新たにバケツごと預かりますから持ってきて下さいという事を訴えました。実際に持って来た人は少なかったんですが、利用する人にとってはすごく安心感につながって信頼を持って受け入れてくれました。 平成9年4月から事業用ゴミの有料化が開始され、これに伴って ゴミの問題が一気に高まりました。しかもEMボカシだけじゃなく資源ゴミの回収も既に始まっていましたから資源ゴミを持ってきて帰りにはEMボカシと廃油石鹸を買って行くという意識の高い人が見られるようになりました。 こうして心配していた冬の一時的落ち込みが春には必ず復活するようになりました。事業系ゴミの有料化が追風になったようです。このように安定してきたEMボカシを見て役場の中でも良い評価をしてくれたんですが、逆にもう無料配布をしなくてもいいじゃないかという事になりました。一部有料化の千円自己負担という事で募集も半分の100世帯にして3年目を迎えました。それで希望者も減るんではと心配していたんですが、いっぱいになる状態でした。
こうした中で役場の職員が作業所と特別養護老人ホームとデイサービスの3ヵ所で1ヵ月間一人ずつ体験福祉研修で来る事になりました。役場職員の中にはEMボカシに疑問を持っている人もおりましたが,こうした機会にEMボカシを作ってもらってボカシについてずいぶん理解してもらうようになりました(21)。
そして町長自身が体験研修で作業に取り組んでもらうという画期的な事業が行われまして、町長にもEMボカシを理解してもらいました。このようにして安定した売り上げを出せるようになってきました。福祉職員向けの月刊誌で「月刊愛護」というのがあるんですが、その3月号でEMボカシを中心にしたリサイクル活動が評価され、「町に役立つ作業所めざして」というレポートも掲載されました(22)。
支部発足総会では関係者の総会議事と、一般開放の比嘉教授講演があり、江別市のふじの作業所と緑志苑での2ヵ所で公開ボカシ講座を行いました。
以下、ボカシづくりの詳細(26、27、28、29、30、31、32、33)
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勝俣 規正 |
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