EMフェスタ98 > 発表大会
地元の町の生ゴミは、
地元の施設製造のボカシで処理しよう
勝俣 規正 北海道   芽室町立心身障害者 地域作業所
「アットホームめむろ」所長



1 正面入口

2 全体像
 私の作業所は所員20名、職員5名の知的障害者を中心に全盲の人、高齢者の人等希望する人は全て受け入れています。年間予算2千万位で、授産会計で600万、日給で600円、月1万2千位の給料を払って作業をしております。
 平成2年に町営住宅を借りてオープンしましたが、余りにも小さくかわいそうだという事で、平成4年に現在の建物に新築しております(1、2)。
 
  私は平成7年に2代目の所長として赴任したんですが、その時に役場の生活環境係の職員が研修でEMボカシを知って、ここで作ってくれないかという事で、まったく何も知らない状況で始める事になったんです。逆に恵まれたスタートだったと思っています。
 役場の生活環境係の方は生ゴミを減量するために研修をしてきまして、施設に作らせて役場が普及するという理想的な方法を組み立て、3月頃から製造を開始しました。
 この芽室町は人口が1万7千人、5900世帯でそのうちの200世帯を募集し生ゴミをEMボカシで処理する講習会に参加してもらいました。実際に使ってみてどうだったかアンケートをしてモニターをしてもらう代りにEMボカシとバケツ2つを無料配布するという事で600袋作ってくれと言われました。私たちには到底無理だと話しましたが、予算は付いているのだからやるしかないという事で、無理やりやらされる状況になり、大変な騒ぎになって取り組みました。そういった事からスタートしました。
 当時北海道ではボカシを知る人はいなくて、申し込む人も新聞報道と無料だという事にひかれて申し込む状態でした。説明会では面倒くさいとか難しいそうだなという消極的な発言が多くて、途中でやめてしまう人もいました。
 大型ゴミ収集日にEMバケツが結構出ていたという話で担当している生活環境課は渋い顔をしていたようです。そんな大変な時だったんですが、徐々に作業所の方に問い合わせがあったり、EMボカシを買いに来たときに窓口で丁寧に対応して、徐々に慣れてきて2、3ヵ月するとうまくできるようになりました。リタイヤした方もアフターケアする事で自信を持って作れるようになってという事を繰り返し続けてきました。職員もこれは生ゴミ減量運動として広げて行こうという事に変わっていきました。

3 比嘉節子夫人と所員がボカシ作り

4

 そういった時の9月に比嘉教授夫妻が来町した。節子夫人が作業所に来ましていっしょにEMボカシを製造しました(3、4)。

5 明町民への奥村さんの説明会

6 


 さすがに比嘉教授夫人でして私たちのボカシを見てこれはまずいと思ったんでしょう。すぐに環境浄化をすすめる会の奥村恵洋さんを派遣して下さいました(5、6)。この事は大変重要な事でした。


7 岡村さんと所員のボカシ作り

8 施設作業での奥村さんの説明会

 当時は気が付かなかったんですが、PHが十分下がってない醗酵不十分なまま製造してたんじゃないか思ってます。当時は臭いだけで出来具合を判断していたんですが、実際役場の担当者も完成時の良い臭いがよくわからない状態で製造していたのです。製品には自信がありませんでしたが、奥村さんに来道してもらって町民向けと更に施設向けの講習会を実施し新聞報道もして頂きました(7、8)。ボカシの品質の向上とPRの両面から普及の危機を救ったと思っています。

 7月に無料配布を実施、9月に比嘉教授夫妻の来町、11月には奥村さんに講習会をしてもらいました。偶然にも2ヵ月おきに新聞報道がタイムリーにありまして、十勝管内でアットホームめむろではEMボカシというのを作っているらしいという評判ができ上がりました


9 高広報誌「柏の里だより」

 また、アットホームめむろでは毎月10日に、「柏の里だより」という会報を発行しております(9、10)。

10 アットホームめむろ広報誌


 全14ページ、1000部発行で200部程は地方に発送しています。残りは町会議員さんや役所関係、ロータリークラブ、ライオンズクラブといった芽室町の有力者といわれる人達にも配ってPRしています。表紙の次のページには必ずEMボカシのページを設け、新聞記事の記載や説明・解説などをしています。また、親の会の説明会等や小さな説明会も繰り返し開催し普及を図りました。
 途中計画的に生産できずにボカシが無くなったりトラブルは続きましたが、1年間で普及と安定した生産量を維持することができるようになりました。こうして1年目の冬を迎えたんです。


11

 ところが、冬になると醗酵する温度が得られず、いつになってもEMボカシが出来てきません。そこで空いている身障者のトイレを醗酵室に転用し暖房機を設置しました(11)。サーモスタットで一定温度を確保することで、なんとか製造はできるようになりました。 次にお客さんから冬場の生ゴミあえの埋め込み対応を求められました。というのはマイナス30度の十勝では12月頃から既に土が凍結して掘る事ができないのです。仕方なく袋に入れて日陰に置いて春まで凍結させる事にしました。バケツから袋に移すのも面倒な上に、そこまで信念をもって取り組んでいる人も少なかったので1年目は休止状態でした。 そういった事で平成7年には4000袋、年間売り上げ40万位でした。さて問題は2年目の春です。このまま終わってしまうのかと心配しましたがそれでも思い出すかのようにボカシを売り出しました。さすがに去年より激減、今後の普及に不安を感じました。そこで新たな普及を計る必要があり様々な工夫をしました。

12 改善前の入り口

 当初作業所の入り口でEMボカシを販売したんですが、何もない所で説明をしていたんです。

13

 それで入り口に立つとすぐEMボカシが見えるように工夫して常時説明ができるようにしました(12、13、14)。

14 できた作品販売棚


 まったく初めての方には使用マニュアルを渡し、買いに来た人には説明をしてあげるという窓口での対応もきちんとするようにしました。



15 入り口横チラシ


 去年の実績をチラシにまとめたりエコピアもコピーして窓口で配ってPRしました(15)。



16 参考資料、チラシ


 また7月から9月にかけて毎週日曜日にイベントがあるんですが、製品販売に合わせてチラシを配りました(16)。製品が売れなくてもどんどんPRに取り組んできました。すると次第にボカシを使用したいという人達が窓口にやって来ました。そういった人達に声をかけて、もっとボカシに自信をもってもらい口込みでPRしてもらうことにしました。地域普及委員のような役割を担ってもらう目的でEMの集いを何度か開いたのです。うまくできない人に正しい使い方をアドバイスをしてくれる仲間をどんどん増やしました。
 さらに1年目の役所のボカシモニターは一度感想を書いて送るだけの簡単な形式のものでしたが、私たちは1年間のボカシモニターを募集して無料で配布しました。利用しての感想を随時聞かせてもらったり、広報紙に原稿を書いてもらったりしました。


17 リサイクル物置からの本舎

 EMの集いでは、モニターを普及員予備群的存在にしていくようにしました。それから、EMボカシを生ゴミ減量運動として取り組みました。さらに事業拡大しようという事で資源ゴミの回収まで含めて事業の展開を始めました(17、18)。

18 リサイクル物置正面


 裏口の横にプレハブを建てて24時間、土日もなく開けっぱなしにしました。チラシでPRしましましたら評判が良く、わざわざ車で資源ゴミを持ってくる人も出て来るようになったのです。 これは町内に資源ゴミの常設場所がないという事と、新聞等の身近な資源ゴミが価格低迷で業者も町内会も回収しなくなったという事があるんです。町民も資源ゴミを燃えるゴミに出すという事の抵抗感があって、何か意義あるものに使ってほしいと作業所に持ってくるようになりました。そういう人達には持って来たついでに窓口に来てもらってチラシを配布したりボカシの説明をしたりしてたので、いつの間にかその人たちがボカシを始めている状況になってきました。
 そして平成8年の2回目の無料配布では地元新聞にも大きく取り上げられました。急激に普及が始まったのです。それで芽室町ではアットホームめむろに大いに期待するものがありました。


19 リサイクルフェスティバルに展示した牛乳パックの家

 第一回リサイクルフェスティバルというのが11月に開催されました(19)。作業所から実行委員を出して、EMボカシの実演や手すき紙の葉書、缶つぶし、製品販売等の重要な役割を担っていました。役場の生活環境係と持ちつ持たれつの関係が作れるようにもなりました。

20 芽室町広報誌「すまいる」

 生活環境係発行の回収カレンダーや役場広報にも資源ゴミの回収やボカシのPRを私達が頼まなくても役場の方が進んで取り上げてくれるような体制ができ上がりました(20)。
 この頃から作業所が売り上げを上げるという時に、人に喜ばれる、役立つ作業をしようと考える様になりました。町にお世話になるだけじゃなく町に返していける施設になるようになりたいと思うようになりました。受け身ではなく積極的にやれる事があるんじゃないかと考えた時に、それがボカシじゃないかなと思えるようになりました。ボカシは生ゴミ減量運動の先頭をきっています。また廃品回収から廃油石鹸やリサイクル葉書も作り始めました。講習会や体験教室の講師の依頼も来るようになり、町に役立つ施設、良いことをする施設、運動をする施設という斬新な運営が評判になって施設見学が相次いで来るようになっています。
 そして「ザ・ボカシ」や役場の広報誌「すまいる」にも私たちの活動が紹介されました。こうした反響が大きくなる中で、1年目は冬の間に肥料を作っておいて下さいと言っていたんです。2年目の冬は新たにバケツごと預かりますから持ってきて下さいという事を訴えました。実際に持って来た人は少なかったんですが、利用する人にとってはすごく安心感につながって信頼を持って受け入れてくれました。
 平成9年4月から事業用ゴミの有料化が開始され、これに伴って ゴミの問題が一気に高まりました。しかもEMボカシだけじゃなく資源ゴミの回収も既に始まっていましたから資源ゴミを持ってきて帰りにはEMボカシと廃油石鹸を買って行くという意識の高い人が見られるようになりました。
 こうして心配していた冬の一時的落ち込みが春には必ず復活するようになりました。事業系ゴミの有料化が追風になったようです。このように安定してきたEMボカシを見て役場の中でも良い評価をしてくれたんですが、逆にもう無料配布をしなくてもいいじゃないかという事になりました。一部有料化の千円自己負担という事で募集も半分の100世帯にして3年目を迎えました。それで希望者も減るんではと心配していたんですが、いっぱいになる状態でした。

21 町長の役場職員福祉体験研修ボカシ作り

 こうした中で役場の職員が作業所と特別養護老人ホームとデイサービスの3ヵ所で1ヵ月間一人ずつ体験福祉研修で来る事になりました。役場職員の中にはEMボカシに疑問を持っている人もおりましたが,こうした機会にEMボカシを作ってもらってボカシについてずいぶん理解してもらうようになりました(21)。

22 月刊愛護

 そして町長自身が体験研修で作業に取り組んでもらうという画期的な事業が行われまして、町長にもEMボカシを理解してもらいました。このようにして安定した売り上げを出せるようになってきました。福祉職員向けの月刊誌で「月刊愛護」というのがあるんですが、その3月号でEMボカシを中心にしたリサイクル活動が評価され、「町に役立つ作業所めざして」というレポートも掲載されました(22)。

23 EMネットワーク北海道支部発起人会


 意外な所から評価されたり、業界の中でも改めてEMボカシのPRができたりで、自分達のしてきた事が町内だけじゃなく福祉の業界からも評価された気がしました。これからは他の作業所や施設の中にも広げて行きたいと思いました。そんな事で北海道支部を発足させました。(23、24、25)


24 EMネットワーク北海道支部町長挨拶

 支部発足総会では関係者の総会議事と、一般開放の比嘉教授講演があり、江別市のふじの作業所と緑志苑での2ヵ所で公開ボカシ講座を行いました。

25


 北海道は広大なため集まる事が難しく、なかなか他の施設に足を運ぶことが出来ないため公開講座を開いたのです。
 実施してみるとかなり自己流で製造している作業所が多く、公開製造で改善される事を期待しています。また総会以後にはボカシの品質チエックをして品質の不十分な所にアドバイスをしております。次第に支部結成の効果が表われて来たと思ってます。
 平成10年になってアットホームめむろのボカシは安定して毎月10万を越える売り上げを出しています。11月現在100万まで到達し調子よく伸びてます。
 また春の一部有料の募集も今年は2倍の198世帯の応募があり、普及に益々加速がついてきています。町内の30歳の主婦の方が、町の広報紙の投稿欄に「生ゴミはゴミの日に出すのではなく堆肥にする。土に返す事が当り前になるように願っております」という内容が掲載されました。町民自身の中からEMボカシが当り前になってほしいという願いを持っている人達が出てきたということは大きな成果です。これだと将来的には芽室町みんながボカシを使って生ゴミを土に返すような活動が出来るようになるんじゃないかと思ってます。(かつまた のりまさ)


 以下、ボカシづくりの詳細(26、27、28、29、30、31、32、33)

26 材料を混ぜ合わせる 27 バケツを使ってボカシを 仕込む 28 ボカシの乾燥棚
29 ボカシの袋詰め作業 30 ボカシの袋の口を閉める 31 シート貼り作業
32 ぼかしの販売 33 北海道庁留萌支庁職員視察  

勝俣 規正
 1956年北海道るべし町生まれ。千葉市淑徳大学社会福祉学科卒業。1981年から帯広市内の愛灯学園、つつじカ丘学園勤務。1995年アットホームめむろに二代目所長として就任、現在に至る。同じ年にEMボカシに出会い、作業所での作業項目としてEMボカシづくりに取り組み、同時に販売も開始。同年7月の町生活環境係主催の「町民200世帯無料配布」に協力。その後も町の生活環境係の支援を受けながら、EMボカの普及を続ける。町民説明会、講習会、職員向け製造公開など普及に忙しい日々。1998年4月にENボカシネットワーク北海道支部を江別市で結成。初代支部長に就任。