病的嗜癖と依存症 〜 イントロダクションI
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病的嗜癖addictionと依存dependenceは、アルコール依存症や麻薬・覚せい剤依存症が有名ですが、実はそのすそ野はかなり広い「疾患」です。 アルコールや麻薬・覚せい剤以外の薬物(物質substance)に対する依存症、拒食や過食・過食嘔吐といった異常な食行動に対する依存・病的嗜癖である摂食障害(拒食症、過食嘔吐症、過食症)、食べ物・食べるという行為への依存から生じる肥満症、境界性パーソナリティ障害の人によく見られる自傷行為への依存・病的嗜癖、買い物依存、ギャンブル依存、セックス依存、対人関係への依存、・・・などなど。
これらが「依存症・病的嗜癖」だといわれるのは、(1)何か嫌な感情から逃避するために耽っている行為であり、短期的・刹那的には嫌な気分から逃れ良い気分になれるものの長期的には自分にとっても周囲にとっても有害になってしまう、(2)頼れば頼るほどどんどん依存的になってしまう、(3)次第にそればかりになってしまい、他の大切なはずのことがあまり大切ではなくなってしまう、(4)長期的には有害だとわかっていても、やめたくてもなかなかやめらない、という共通した理由があるからです。 病的嗜癖・依存症を引き起こすものは、一部を除いて、たいてい誰にとっても短期的・刹那的な「いい気持ち」を感じさせるものです。麻薬や覚せい剤は(その強烈な依存性のために)法律によって素人が遊び目的(気持ち良くなること目的)で使うことが禁じられていますが、誰がどう使っても薬理学的に気持ちよくなる作用があります。 お酒も、飲める人だったら、誰でも気持ちよくなるものです。おいしい食べ物を食べることは誰にとっても幸せなことです。 好きな人とするセックスは誰もが気持ち良いでしょう。 こうしたことに「気持ちいい」と感じるだけでは「依存症」とは言わないのです。 実際、ほとんどの人がこうした行動を「気持ちいい」と感じていながら、病的嗜癖・依存症になってしまうのは、その中のごく一部です これらの普通に「気持ちいい」のが当たり前の行動が「病的嗜癖・依存症」になってしまうのは、繰り返しになりますが、それを嫌な気分からの逃避目的で使ってしまうことを繰り返しているうちに、次第に馴れが生じてどんどん深みにはまってしまい、どんどん他のいろいろな価値あることが大切ではなくなってしまい、どんどんやめられなくなる、という状態になってしまった時です。 「病的嗜癖・依存症」は、最初の頃はアルコールや薬物によるものが注目されていました。 アルコールも麻薬も、1回使うと気持ち良いのですが、また気持ちよくなりたいばかりに続けて使っていくうちに「依存症」になってしまい、その状態で急にやめるとヒドイ「離脱症状 withdrawal」が生じるのでした。 離脱症状は、震えや「どうき」などの自律神経症状、不安や落ち込みなどの精神症状、どうしてもまた薬が欲しくなるという渇望感が猛烈に襲ってくるものです。 とにかく無茶苦茶に具合が悪くなります。 このため、当初はやめると離脱症状を生じることがつらいから、人はお酒や薬の奴隷になってしまうのではないかと思われていたほどです。 ところが、よくよく考えてみると、急にやめると副作用が出てヒドイことになってしまう薬は他にもたくさんありますが、そのほとんどが「病的嗜癖・依存症」を形成しません。 たとえば高血圧の人が連日服用している降圧薬は、やめると血圧があがってヒドイことになりますが、(医学的にこの薬が必要だとは言えても)心理的に「依存」が生じることはありません。 神経内科の疾患である「てんかん」があって、発作の予防のために抗てんかん薬を毎日飲まなくてはいけない人は、薬をさぼるとしばしば痙攣発作を起こしてヒドイ目にあいます。 しかしだからといって、(バルビタール系やベンゾジアゼピン系を除く)普通の抗てんかん薬に病的嗜癖・依存を形成している人など見たことがありません。 精神科の分野では、統合失調症の人が毎日服用していた抗精神病薬をさぼってしまうと、幻覚や妄想や不安などが悪化してヒドイことになってしまうことが少なくありませんが、だからといってこの薬に心理的に「依存」してしまう人などいません。 パニック障害やうつ病の人が治療の期間中に(まだしっかり治っていない期間中に)治療薬である選択的セロトニン再取り込み阻害薬を中断してしまうと、離脱症状(退薬症状)も生じますし、症状が再び悪化してヒドイ目にあってしまうことがあります。 しかしだからといって、この薬に「病的嗜癖・依存症」的な意味で依存してしまう人はいません。 さきにあげた(1)〜(4)の特徴を形成してしまうことはないのです。 薬を連用することがその人にとって必要であるということや、中断すると離脱症状を生じてしまうということと、「病的嗜癖・依存症」は別問題なのです。 それに、「病的嗜癖・依存症」を形成してしまう薬物のかなりのものが、連用をやめても医学的な意味での離脱症状など生じないのです。 実際、覚せい剤は強烈な依存性があることが知られていますが、連用を急に中断しても離脱症状など生じないのです。 さらに、一般に「病的嗜癖・依存症」は慢性的で再発が多く、数か月から数年我慢を続けることができても再発のリスクがかなり高いことが知られているのですが、これらの「普通の薬物」にはそうした性質は全くありません。 さらにさらに、薬物(物質)に関連しない「病的嗜癖・依存症」である、摂食障害、ギャンブル依存、買い物依存、などなど・・・では「離脱症状のために依存症を生じる」はほとんどまったく当てはまりません。 では、なぜ「病的嗜癖・依存症」の人たちは、そうなってしまうのか? 普通の「健常者」とどこが違うのか? その時、脳の中では何が起こっているのか? 私たちの行動は「不快を避け、快を求める」という原則で方向づけられています。 このうち不快を避けることに関連して「不安の中枢」が辺縁系の扁桃核 amygdalaにあることは、以前の『不安障害編』でとりあげました。 他方で「快を求める」気持ちの中枢は、同じ辺縁系でも中脳の腹側被蓋野 ventral tegmental areaから大脳基底核の側坐核 nucleus accumbensにのびているドーパミン系ニューロンを中心とした「報酬回路」にあるのだろうと考えられています。 私たちがより良く生きて繁殖するのに都合がいいことを「気持ちいい」と感じるように私たちはできているのであり、これを脳の中にある「報酬回路」がつかさどっているのです。 食べることしかり、セックスすることしかりです。 そのような行動をしたとき、あるいはそれに関連付けられた行動をするときに、腹側被蓋野から側坐核にのびるドーパミン系ニューロンが働いて、ドーパミンをどばーっと放出し、これを私たちは「気持ちいい」と感じるのです。(もう少し正確に言うと、腹側被蓋野から前頭前野にのびているドーパミン系ニューロンもあり、これによる前頭前野の活発化を私たちは「意識的」に気持ちいいと感じるのでしょうが・・・)このようにして、私たちの身体は、より良く生きて繁殖するのに都合がいい行動が癖になり、どんどんするように動機づけらていくわけです。 食べることしかり、セックスすることしかりです。 ところが、ある種の物質(薬物)は、本来的には「私たちがより良く生きて繁殖する」ことにはまるで関係ないのに、「報酬回路」に作用してドーパミンをどばーっと放出させることを、ただの薬理作用として強烈にします。 麻薬も、覚せい剤も、お酒も、すべて違ったメカニズムですが、ドーパミンをどばーっと増やす性質があるのです。 このため、「病的嗜癖・依存症」を生じる薬物は、それが本質的には何の役にもたたないにもかかわらず、「いい、気持ちいい」と私たちに感じさせ、その行動(薬を取り入れるという行動)が癖になるようにしむけてくるのです。 「病的嗜癖・依存症」を生じる物質(薬物)がいけないのは、その先です。 「病的嗜癖・依存症」を生じやすい人は、おそらくは遺伝子的・体質的に、1回その薬を使うと「いい、気持ちいい」というのにはまりやすいところがあります。 普段から寂しかったり、落ち込んでいたり、つまらなかったりして、気分の状態がネガティブな人は、余計に何を苦労するわけでもなく得られる「いい、気持ちいい」に逃避したくなるのでしょう。 しかし、「いい、気持ちいい」を繰り返し得たいがために薬を連用していると、次第に脳の中の「報酬回路」が馴れを生じてきて、「報酬を感じさせない回路」が働くようになります。 つまり、だんだん薬の効果が低下してくるのです。 すると、ますます多い量の薬が欲しくなりますし、ますます依存が深まるのです。 しかも「報酬を感じさせない回路」が働いてしまうために、薬による強烈な「いい、気持ちいい」以外の、普通の生活の中にある普通の幸せを「いい、気持ちいい」と感じなくなるのです。 「いい、気持ちいい」のハードルがとんでもなく上がってしまうのです。 このため、薬によって快感を得ること以外のつまらない快感など、もはや快感とは感じなくなり、薬を求めるだけの生活になりさがってしまいます。 それ以外の価値あるはずのことすべてが、その価値をどんどん失ってしまうのです。 この状態で薬をやめるとどうなるか? たとえ「離脱症状」を生じなくても、薬なしではつまらない、何の価値も感じられない世界が残されるだけなのです。 そのうえ、物事をしっかりと考え、計画的に要領よく行っていき、「人間性」の中枢のような働きをする前頭前野 prefrontal cortex の機能がどんどん弱ってくることもあって、ますます衝動的・無計画になり、刹那的な欲望に負けやすくなってしまいます。 同じようなことは物質(薬物)以外の「病的嗜癖・依存症」においても、「報酬回路」の病的な使い過ぎによって起こってしまいます。 このため、一度「病的嗜癖・依存症」になってしまった人は、なかなかその世界から抜け出せなくなるのです。 そして努力して「依存症」から脱出しても、「依存症」なしではすっかりつまらなくなってしまった世界に耐えられず、すぐにまた「依存症」の世界に戻ってしまいがちです。 これが本当の「病的嗜癖・依存症」の怖さです。 (イントロダクションIIに続く) 参考書: (1) Heatherton TF, et al. Cognitive neuroscience of self-regulation failure. Trends Cogn Sci. 2011; 15: 132-139. (2) Goldstein RZ & Volkow ND. Drug addiction and underlying neurobiological basis : neuroimaging evidence for the involvement of the frontal cortex. Am J Psychiatry 2002; 159: 1642-1652. (3) Koob GF. Dynamics of neuronal circuits in addiction : reward, antireward, and emotional memory. Pharmacopsychiatry. 2009; 42: S32-S41. (4) Leshner AI. Addiction is a brain disease,and it matters. Science, 1997; 278: 45-47. |