―対馬が韓国領土と表示されていれば原本で、そうでないものは何らかの手が加えられたものと決め付けるのは、論理的とは思えないが。
「記録によると、1806年にあるオランダ人が林氏の原本地図を一つだけ欧州に持ち帰った。これを持ってクラフロトという東洋学者が現地の偵察などを行った後、1832年にフランス語版を作り上げた。国会図書館のフランス語版がまさにその地図だ。古書収集家のハン・サンボク先生が国会図書館に寄贈したそうだ」
そこで、ハン・サンボク氏(72)に電話インタビューを申し込んだところ、1980年代初めにオーストラリアで購入したもので「1832年の印刷本」になると説明してくれた。しかし、当のハン氏は「地図で対馬が韓国と同じ色の黄色で塗られているからといって韓国領だと主張できるかどうかは疑問」との反応を示した。
以下はキム大領とのインタビュー。
―韓国の国会図書館に保管されたもの以外に、他のフランス語版の原本が発見されたことはないのか。
「フランス語版は全部で数十部製作されたと記録されている。しかし、筆写本以外には発見されていない。『小笠原諸島』をめぐり米国と領土交渉を行った日本代表が、1863年にフランス大使を訪ねた。同代表がフランス語版を回収し、廃棄した可能性が高い。その直後に日本は対馬を日本の領土として帰属させている(1868年)。これに前後して、対馬を日本領と表記した筆写本が一挙に作られたのだと思う」
―林氏の日本語版原本は直接見たことがあるか。
「日本語版でも、対馬が日本領となっている筆写本だけしか出回っていない。東京の国立国会図書館に原本が保管されているというが、確認できなかった。しかし、林氏が作成した『朝鮮八道地図』の原本は見つけた。林氏の故郷の仙台にある東北大学博物館のインターネットサイトで見つけた。大学側が“原本”と紹介していた。その地図でも対馬は朝鮮領と書かれていた。私がこれらの資料を根拠に2010年末に論文を発表すると、1カ月もたたずにインターネットに掲載されていた地図が削除されてしまった。その部分は『ノーイメージ(写真なし)』になっていた」
―対馬の領有権についてよりも、どうして現役軍人が対馬の研究に没頭するようになったのか気になる。
「2008年初めに米国ジョージワシントン大学で研修を受けていたときのことだ。ニューヨーク・タイムズに歌手キム・ジャンフンさんが出した独島の広告を目にした。民間人もこうして努力しているのに、現役軍人として何か寄与しなければという気がした。ジョージワシントン大学は故・李承晩(イ・スンマン)元大統領が通った大学で、同元大統領が政府を樹立した後『対馬返還』を要求したことを思い出した。何が根拠で、そうした主張を展開したのか知りたかった」
故・李承晩元大統領は、大韓民国政府の樹立(1948年8月15日)の3日後に行った初の記者会見で日本に『対馬返還』を要求した。翌年の年頭会見と年末会見でも「対馬という韓国の失地を回復するのだ。日本人がいくら主張したとしても、歴史は変えられない」と主張した。こうした圧力を受け、日本の首相が「実際に韓国人が2000人ほど居住している」という対馬の状況を天皇に報告している。しかし、6カ月後に韓国戦争(朝鮮戦争)が発生した。
―故・李承晩元大統領について何か資料はあったのか。
「ジョージワシントン大学の図書館7階の特殊文書室で、同元大統領の1907年の卒業アルバムを見つけた。そこには『李承晩氏に国籍を聞くときは失礼のないように。彼の成績は全科目A、Bと、私たちの中で最も優秀だった。従って2年半で早期卒業できた。彼は歴史や哲学などのYMCAとの討論会で常に主要メンバーだった』という文章が、当時同じ学科の同級生によって書かれていた。李元大統領が大学で歴史関連の2科目を履修し、その後ハーバード大学(修士)とプリンストン大学(博士)でも歴史について研究したことが分かった」