土井組は、地元大阪の一本独鈷の名門博徒組織である。
ヤクザ事情に詳しい在阪ジャーナリストが言う。
「『土井熊』と呼ばれとった永田熊吉いう親分が興した組織でな、大阪市住吉区に本部があったんや。五代目山口組の宅見勝若頭が渡世入りしたのが土井組系川北組。そこで若頭まで務めとったんや。川北組は早くに解散してしまうんやが、土井組はその後も二代目の西田茂夫親分、三代目の河合貞行親分と続いたけど、この三代目の頃に河内長野へ本拠を移したんやが、その頃に自然消滅のような形で解散してしまったそうや」
橋下氏の父親は一本気な博徒だったようで、無類の博打好きだったという。
「W選挙」という大博打に打って出た橋下氏にも、その〝素質〟が受け継がれていたということか。
前出・上原氏が言う。
「橋下さんは東京出身と言っていますが、八尾で生まれたという説もあります。橋下さんが幼少期を過ごした渋谷区内のアパート周辺を取材しても、『2~3歳の頃に越してきた』という話しか聞けず、何とも判然としません。しかし、橋下氏が『父親の記憶があまりない』と言っていますが、それは事実です」
橋下氏が5歳になる頃には、母親と父親はすでに離婚。父親は大阪へと戻っている。そして、父親は橋下氏が小学2年生の時に亡くなっている。
「『ガス管をくわえたまま死んだ』とか、『博打で借金を作って』などと言う人もいましたが、はっきりしているのは、ガス自殺だったということだけです」(前出・上原氏)
そして、橋下氏は小学5年生の時に、母親と妹とともに大阪府吹田市へ転居。その1年後に、大阪市内の府営住宅に移り住み、中学2年の時に、母親が再婚している。
この府営住宅に住んでいた時期こそ、橋下氏がたびたび「同和地区に住んでいた」と主張する時期でもあるのだ。
前出・上原氏が話す。
「橋下さんは、自分のルーツを知らないまま、東京で育ち、同和地区で過ごしたのです。というのも、中学の卒業文集で、同和教育を〈納得できないのもたくさんある〉と批判していることからも明らかです。ある時期までは、本当は同和じゃないけど、同和地区に住んでいると思っていたのでしょう」
そして、橋下氏は父親がヤクザであったことも知らないままだったのだろう。「橋下氏は遅くとも弁護士になる頃には、自分のルーツを知っていたはず。叔父が弁護士になった橋下氏に、示談交渉でヤクザ者が出てきたら、『ワシの名刺を見せい』と言ったそうですから、気づかないはずはないと思います」(前出・上原氏)
しかし、タレント弁護士から府知事へと突き進むうちに、ヤクザの父親は隠さねばならない存在となったのだろう。
関連記事: