サンデー時評:「もらえるものなら…」なのか=岩見隆夫
2012年06月06日
河本さんのケースが法的に不正かどうかは微妙らしいが、この事件をきっかけに、不正受給やすれすれの事案などが報じられている。受給者が二百万人の大台を突破し、今年度の予算見通しが三兆七千億円(税収の約一割)という巨大な数字に暗然とする。増加分の何割かは、
「もらえるものなら、もらっておけば……」
という、石原さんが言う貧相な〈やせた日本人〉で占められているに違いない。
二百万人といえば、百万政令都市二つ分、たとえば仙台市と広島市の全住民が生活保護で暮らしていることになる。この情景は恐怖というほかなく、国の衰亡を連想させるのだ。
生活保護法の理念はよく理解できる。資産がなく、働くこともできない人に最低限度の生活を国として保障し自立を助ける制度はなければならない。しかし、働くことができるかできないかの判別はむずかしい。若年受給者が増えていることから類推すると、働くことができるのに、働けないように装って受給するケースが多いのではなかろうか。
つまり、なまけ者が大量生産されつつある。働いても薄給しかもらえないなら、働かずに生活保護費をもらったほうが楽に暮らせるという考え方が広がっているようなのだ。せっかくの保護制度が怠惰な社会を誘発しているのだとしたら、制度自体を見直すしかない。