サンデー時評:「もらえるものなら…」なのか=岩見隆夫
2012年06月06日
日本人は変わった。前々からうっすらと感じていたことだ。以前、日本人のなかにあったものが、いまはなくなっている。あるいは希薄になった。
学生時代、奨学金をいただいていた。高校の時は県から月額千八百円だったと思う。大学では国から月額三千円。アルバイトをせっせとして質屋にも通ったが、奨学金がなければ学生生活を全うできたかどうか。とにかくありがたいことだった。
卒業し、就職してから、月賦で返済した。借りたのだから当然である。完済の通知が届いた時はうれしかった。半世紀も昔のことである。
あのころを振り返ってみると、国や県から借金することを別に恥とは思わなかった。親の仕送りで十分足りている裕福な学友たちをうらやましいと思ったこともない。ただ、借りないほうがいいと決まっているのに、借りざるをえないのは情けないという感情は確実にあった。自立心の問題である。社会に出る前から、自立心に傷がついたような痛みだったのだろう。
私が就職したのは敗戦の十三年後だが、その後もしばらく日本人の心情には強烈な自立心が脈打っていたと思う。一九六四年の東京オリンピックごろまでは、いささかも衰えない。しかし、いつのころからか、変質していく。