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達人さん

 投稿者:馬場  投稿日:2012年10月 3日(水)00時38分38秒
返信・引用
  こんばんは、ちょっとまたネタバラシに来ました。以下、書き込みします。

南海トラフ地震、少し前にテレビでバカみたいに繰り返し宣伝してましたが、既に日付と時間を決めている様でして…ご苦労な事にYouTubeに数種類アップされてますね。ベースとされているニュースはN〇Kでした、13:00~15:00で震度8をベースとした巨大地震と巨大津波のセットです。
大地震・前兆・予言.comというトコに載せてます、携帯では動画は見れません。アップ主に関しても気になるコメントをしているのがいます。
参照ください。
http://okarutojishinyogen.blog.fc2.com/?mode=m&no=2635&cr=e7f5086313f9b4e70c06ad61b0cbb20a
 

アメリカに潰される政治家たち

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)22時56分57秒
返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11368730048.html

※書き起こししているからといって必ずしも同意賛意しているとは限りません。

孫崎享氏《対談》関岡英之氏「アメリカに潰される政治家たち」週刊ポスト2012/10/12号

<書き起こし開始→

尖閣諸島問題に端を発した「反日デモ」が中国全土で繰り広げられる中、民主・自民両党の党首選では、『毅然とした態度を取る』(野田佳彦首相)、『中国には国際社会の一員としての資格がない』(安倍晋三自民党新総裁)など、中国に対する厳しい発言を各候補が繰り返した。

それは当然である。しかし、その勇ましい論戦に耳を傾けた人にはこんな思いを持った人が少なからずいたのではないか。「なぜ、誰もアメリカには物申さないのか」と。

オスプレイ配備、TPP参加問題などで「外圧」を強める米国には、誰一人として批判的な発言を口にしない。だから、いくら総理大臣や、”次期総理大臣”が「外国に物を言える政治家」をアピールしても、そこには虚しさがつきまとう。

新刊『アメリカに潰された政治家たち』(小社刊)で、現政権を「戦後最大の対米追随」と喝破した孫崎享氏と、早くから「アメリカの対日要求圧力」問題を看破してきたノンフィクション作家の関岡英之氏が語り合った。


◆尖閣問題で誰が得したのか


週刊ポスト:野田政権は事故が相次ぐオスプレイについて、「安全性は十分に確認された」として9月19日に安全宣言を出した。現政権の対米追随ぶりを象徴するのではないか。


孫崎:米国が在日米軍基地へのオスプレイ配備を発表したとき、野田首相は「米政府の基本的な方針で、(日本が)それをどうこうしろという話ではない」と発言している。これは図らずも日米安保、日米同盟の本質を表した言葉です。

日米地位協定では在日米軍基地に対して日本はほとんど口出しできないように規定されているのですが、歴代の日米政権はその点ははっきりと明言してこなかった。ところが、野田首相は「本当のこと」を平然と口にしてしまったわけです。しかも、わざわざ日本側から「安全宣言」まで出して、米国の方針に付き従おうしている。むき出しの対米追随をただただ露呈するばかりです。


関岡:孫崎さんの新著(『アメリカに潰された政治家たち』)を読んで非常に興味深かったのが、オスプレイを岩国基地に配備したことで本州が飛行ルートに入り、今まで沖縄に封じ込められてきた米軍基地問題が、日本国民全体に共有されるようになったという指摘です。オスプレイを日本の領空に解き放ってしまったことで、パンドラの箱を開けてしまったのではないか。


孫崎:オスプレイ配備交渉に対する怒りは国民全体へ拡大しています。しかし、民主党も自民党も党首選でオスプレイ問題を争点にしようとしない。両党とも対米追随しか日本の道はないと思考停止している政治家しかいなくなってしまったのです。


関岡:かつてミサイル防衛システムを導入したときも、当時与党だった自民党はもちろん、野党だった民主党も異議を唱えなかった。しかし、ミサイル防衛システムを導入すれば、自衛隊は情報収集から指揮系統まで米軍のシステムに組み込まれて一体化することになり、自主独立の国防など永久に不可能になります。国論を二分してもおかしくない問題なのに、最初から結論ありきで進められた。


孫崎:尖閣諸島の領有問題でも、米国の影が見え隠れしています。

中国が尖閣領有を主張し始めるのは70年代ですが、79年5月31日付の読売新聞の社説「尖閣問題を紛争のタネにするな」では「この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」とし、棚上げ状態を保つことが日本の国益にかなうとしている。当時の園田直外相も「わが国は刺激的、宣伝的な行動は慎むべき」と国会で答弁しています。それなのに今、これほどの騒ぎになっているのは、背景に米国がいるからです。日中間を緊張させて中国脅威論を煽り、在日米軍の必要性を日本人に訴えるという意図が顕在化している。


関岡:孫崎さんの著書に「尖閣諸島に上陸した香港保釣行動委員会は、70年に米プリンストン大学で台湾人留学生が結成した」とありますが、同大学はダレス兄弟(ジョン・フォスター・ダレス元国務長官とアレン・ウェルシュ・ダレス元CIA長官)やジェームズ・ベイカー元国務長官、ドナルド・ラムズフェルド元国防長官など、米国の世界戦略を担った共和党系要人の出身校です。戦後60周年という節目の05年に中国全土で吹き荒れた反日暴動のときも、在カリフォルニアの反日団体が煽動の発信源でしたね。


孫崎:今回の尖閣騒動で一番得したのはアメリカです。ケビン・メア元米国務省日本部長は『文藝春秋』10月号に寄稿して、「尖閣で日本は大変だからF35戦闘機をもっと買え、イージス艦を増やして配備しろ」と要求をエスカレートしている。あまりにも率直過ぎて驚きます。もちろん、尖閣問題が起きていなければ、オスプレイの飛行訓練実施には、さらに強い批判が巻き起こっていたと思います。


◆TPPは「日本改造の総仕上げ」


週刊ポスト:現在のアメリカの対日要求は、安全保障ではオスプレイで、経済面ではTPPに強く表れている。


関岡:「TPPに参加しろ」と主張して物議を醸したアーミテージ・レポート(※注1)が発表されたのは、終戦記念日の8月15日ですよ。あまりにもあからさまで、占領軍気取りとしか思えません。

※注1 リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ジョセフ・ナイ元国防次官補らが今年8月に発表した日米関係の報告書。日本に対し、原発の維持、TPP参加、日米の軍事協力強化、集団的自衛権の容認などが提言されている。00年、07年にも発表されている。



TPPは、ブッシュ(シニア)大統領時代の日米構造協議から、クリントン政権時代に始まった年次改革要望書(※2)まで、四半世紀にわたる一連の日本改造プログラムの総仕上げとして位置付けられるものです。そして野田政権は、「聖域なき構造改革」を謳った小泉政権が積み残した最後の砦である農業と医療の分野に、外資を含む資本の論理を導入しようとしている。

※注2 日米両政府が双方への改善要求を提言した公式文書。米軍の要望書には、派遣労働の規制緩和や郵政民営化などが盛り込まれていた。民主党への政権交代以降、廃止されている。



孫崎:TPPに関しては、詭弁が罷り通っています。経団連の米倉弘昌会長は、「TPPに参加しないと日本は”世界の孤児”になる」と発言していますが、日本の輸出額の割合でいえば、米国向けは10年度で15・3%に過ぎず、TPPに加盟していない東アジアの中国、韓国、台湾、香港の合計は39・8%。それなのに、「世界の孤児になる」と脅している。


関岡:菅直人首相(当時)もダボス会議で「TPP参加は”第三の開国”だ」と宣言しました。では、第一と第二は何かといえば、第一の開国はペリー来航による不平等条約締結、第二の開国は敗戦による占領統治です。


孫崎:どちらも「米国にとって都合のいい開国」なんです。そして「第三の開国」も同じ。TPPの最大の問題は、ISD条項にあります。外国の投資家が加盟国の規制で不利益を被ったと認識した場合、国際投資紛争仲介センター(ICSID)に提訴し、賠償を請求できる。日本の法律がISD条項の下に置かれ、日本国民は主権を失ってしまう。


関岡:アルゼンチンでは、民営化された水道事業に参入した米国企業に水道料金の大幅な値上げを認めなかったところ、アルゼンチン政府が提訴され、法外な損害賠償を支払わされました。


孫崎:野田首相はそういった実態を知らずに賛成しているとしか思えない。


関岡:昨年11月の参議院予算委員会で、自民党の佐藤ゆかり議員が野田首相にISD条項について見解を質したところ、「ISDのことは寡聞にしてよく知らない」と答弁したことがすべてを物語っています。


孫崎:ところが、野田首相はその直後にオバマ大統領と会談して、TPPの事前協議への参加を表明している。話になりません。


関岡:マスコミもTPPの本質を一向に報じようとしません。そもそも事前協議参加の条件とされているのは、簡保や牛肉など年次改革要望書に書かれていた要求の継続条件なんです。


週刊ポスト:関岡さんは、8年前にこの「年次改革要望書」の存在をスクープした。


関岡:それ以前にこの問題をマスコミがまったく報じてこなかったこと自体が不可解です。要望書は秘密文書などではない。米大使館は毎年、記者クラブ向けにブリーフィングもしていた。大メディアが知らなかったはずがないのです。


孫崎:なぜマスコミが報じないのかというと、新聞など大手マスコミの教育システムは、官僚に教えてもらうことを糸口に権力を持つ人に食い込んでいく、つまり、”当局の犬”的な存在になる訓練を受けているからです。何かの案件を見つけても、自分で分析する力がなく、官僚が解説してくれなければ記事が書けない。


関岡:私が『拒否できない日本』(文春新書)を出版した後の05年3月に、当時与党だった自民党から勉強会の講師の依頼がきたんです。国民が知らないだけでなく、与党の国会議員でさえ年次改革要望書の存在を知らなかったという事実には驚かされました。


週刊ポスト:ほとんどの議員が知らないということは、米国からの圧力を受けるのは極一部の政治家や官僚だけということ?


孫崎:そうです。議員でも官僚でも、実際に圧力を体験するのはごくわずかです。その人間が周りに拡散していくのです。


関岡:オリックスの宮内義彦会長や竹中平蔵氏などはむしろ確信犯的に米国のお先棒を担いでいた疑いがある。日々、真面目に実務をこなしている官僚は部分的にしかかかわっていないから国全体として何が進行しているのかわからない。結局、全体像を把握しているのはワシントンだけなのかもしれません。(笑)


◆日本人は「ハッピースレイブ」か


孫崎:TPP絡みで恐ろしいと思ったのは、今年の5月に起きたある事件です。

在日中国大使館の李春光元一等書記官がスパイ活動を行っていた疑いがあるとして報じられました。その対象が鹿野道彦農水相(当時)で、その後の内閣改造で農水相を辞任しました。農水省にどんな国家機密があるのか知りませんが(苦笑)、鹿野農水相はTPP加盟に反対でした。野田首相と米国にとって邪魔な存在だったのです。後任にはJAと関係が強い郡司彰議員が就きましたが、就任後、野田首相の方針に従うと宣言しています。


関岡:あのスパイ事件は発覚したタイミングからして、政治的背景が濃厚です。孫崎さんは岸信介も田中角栄も米国の工作で潰されたと述べられていますが、細川護煕首相の唐突な解任劇はどう見ていますか。


孫崎:細川氏は安全保障で脱アメリカを図り、「成熟した大人の関係」を築くと表現した。彼が作成させた「樋口レポート(※注3)」は、国連を中心とし、日米安保はその次としていました。

※注3 細川政権は樋口廣太郎アサヒビール会長(故人)を座長とする防衛問題懇談会を立ち上げ、集団安全保障の確立を日米同盟の上位に置く「日本の安全保障と防衛力のあり方」、通称「樋口レポート」を作成した。



関岡:米国は自主自立派を必ず潰しにくるわけですね。


孫崎:その通りです。細川氏の著書『内訟録 細川護煕総理大臣日記』(日経新聞出版)は、日付からなにから詳細に書かれているのですが、なぜか日米関係の話は一切書かれていない。武村正義官房長官を外したところから細川政権は崩壊したわけですが、細川氏は訪米中に「武村を外せ」と米国側に言われ、細川氏から相談を受けた小池百合子氏が自分のブログで書いたことで明らかになった。ですが、その経緯について、細川氏はまったく触れていない。結局、彼は自分の政権がなぜ倒れたのかという一番大切なところを書いていないんです。「書けない理由」があるんだろうと思います。


関岡:最近、民主党から日本維新の会に移った政治家に、松野頼久衆議院議員がいます。彼は細川氏の元秘書で、熊本1区を受け継いだわけですが、細川首相時代にはクリントンとの日米首脳会談にもおそらく同行しただろうし、細川氏から墓まで持っていく話を聞かされていたかもしれない。松野氏はその後、鳩山由紀夫氏の側近となり、鳩山政権の官房副長官として常に鳩山氏に寄り添っていた。

細川、鳩山という自主自立を目指して挫折した政治家の最側近だった松野氏が、日米同盟基軸、TPP参加を掲げる橋下徹氏の日本維新の会に移った。日米関係の深淵を見て絶望したのか、それとも何か深い思惑があるのか。実に興味深い動きです。


孫崎:細川、鳩山から橋下に移るというのは、思想的には有り得ないですね。


関岡:松野氏の祖父は松野鶴平(元参院議長)で、元祖対米追随派の吉田茂元首相の側近、父親の頼三氏は小泉純一郎元首相の後見人でしたが、血筋が蘇ったのでしょうか。(笑)

それにしても、自主路線の政治家が次々に潰され、対米追随一辺倒になっていくことに怒りの声が上がらない。日本人はハッピースレイブ(幸福な奴隷)になってしまったのでしょうか。


孫崎:歴史学者のガヴァン・マコーマック(豪州国立大学名誉教授)と対談した際、彼は「これだけ隷属し、その隷属を自ら望む日本は、世界史上でも稀な国だ」と言っていました。


週刊ポスト:民主党にも自民党にも自主流がほとんどいなくなってしまった今、現状をどう打破すればいいのでしょうか。


孫崎:まずは事実を知ることでしょうね。テレビや新聞などは一方的な情報しか流さないので、インターネットなどを駆使してどこに真実があるのか自ら努力して探していく。真実を共有できれば、日本国民は可能性を持っているのではないかと思います。


関岡:いまだにマスコミ報道やワイドショーのコメンテーターの片言隻句を鵜呑みにして投票してしまう人は決して少なくない。真実に迫るには、まずメディアリテラシーを研ぎ澄ませることが肝要だと思います。

←書き起こし終了>
 

デヴィッド・ロックフェラー「人工削減の必要性」だとさ

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)22時44分44秒
返信・引用 編集済
  http://www.youtube.com/watch?v=oBkaMiRYWsQ&feature=plcp

深い洗脳社会の中で、洗脳を受けている人間が、覚醒した人間を馬鹿にして生きている。
洗脳者は決まって、与えられた情報を鵜呑みにして、大きな情報源、新聞、テレビ、ラジオが嘘を言う筈無いと信じている。
覚醒する人間は、疑問を解く為に色々なソースから調べる事を始める。
全員を覚醒させるのは難しいかも知れない。
しかし、10人に1人でも気付きが始まれば世界は変わる筈だ。
覚醒し、△と目の付いた会社、商品、クレジットカードのボイコットから始めよう。
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ニュースと政治
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    高評価 104 件, 低評価 5 件

投稿者のコメント ( amenouzumei )

    911の飛行機がCG捏造って部分は正しいですか?当時、NHK?ライブニュースで、飛行機が突っ込む瞬間(もちろん2機目ですが?)は、見ましたがあれも捏造ですか?私は、何かを糾弾する時は、?完全・正確じゃないと結局、糾弾しているはずの相手を助けること?になると思うのですよ。嘘が複雑になってしまい、何を信じたらい?いのかわからなくなるからです。?

    sleepybom 4 か月前 再生リスト: Uploaded videos

    ニュース映像で、機体が写っているものと写っていない物がある。?(同じカメラで)消したか、作ったかの二者択一でしょう。航空機?がビルを貫通する。ビルで連続の爆破音が確認されている。突っ込?んだ機体が2機で、倒壊したビルが3棟。3棟とも同じ所有者で、?911前に多額の保険がかけられている。貴方は消したと思います?か?増やしたと考える方が自然と思いますか??

    amenouzumei sleepybom さんへの返信 3 か月前

    どうしても途中で中級編16にとんでしまう。ポインタはデスクト?ップの壁紙を指すように置いて、マウスもキーボードもさわらない?ように気をつけながら視聴しているが、とぶ。なぜだ。?

    cocqyun 4 か月前 再生リスト: Uploaded videos

    分からないですね、何か操作が入っているのでしょうか??

    amenouzumei cocqyun さんへの返信 3 か月前

    確か初級でもそうでしたが④が見当たらないですね 意図的に抜いてるんですか?

    ?

    toufumochi 9 か月前

    見つけにくいのでしょうか?初級でも中級でも④はありますよ。?

    amenouzumei toufumochi さんへの返信 9 か月前

評価の高いコメント

    この碌でもない爺さんももうすぐあの世に帰る身だろうに、100?0兆円のドルを持って、大きな屋敷に住んで地下に金の棒をため込?んで、核シェルターを作ってみても

    お前さんの人生の恨めしさは、子孫の卑しさは消すことはできない?。こんな人間になりたい人はいるのか?この爺さんの最大の誤謬は?、生きて家族と幸せに暮らす事を知らない、人間として最低級の人?間がお前さんだということだ。タルムード派の連中の共通している?のはこの平凡な人としての幸せを知らずねたみ続ける業がこんな馬?鹿な愚かしい茶番をさせる。この爺さんみたいな生活が幸せだと思?う心も第1級の洗脳。日本人はここまで馬鹿ではない。怖がる必要?はないよ。こんなタルムード派の連中の思うような世界はもうすぐ?腐り落ちる。とはいえ当塾は本当に勉強になります。?

    jyujyuro 9 か月前 12

    人口削減のために、先頭だってロックフェラー爺さんに逝っていた?だきたい。地球の資源を人百倍使っているから。?

    lehua16 9 か月前 11

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すべてのコメント (31)
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    例え地球人類が100億人に達しようが、食べて生きていくだけの?、土地や食料が足りなくなることは 先ずないでしょう。問題は、無限の独占欲、物欲を 異常とも思わず、何世紀も維持し続けてきた異星人たちを 地球上から叩きだす必要があります。人間は精神的に満足出来れば?僅かな食料を分け合って生活できます。人間は社会的動物であるこ?とを忘れた異星人たちに告ぐ、地球の寿命を短くしてきた人間らは?誰ですか。名もなく貧しく美しく生きている人たちこそ、地球に無?害な人たちであり、地球に永遠に生き続ける権利が与えられるでし?ょう。?

    69F2 2 か月前

    彼らは確かに残酷かもしれない。だけど、私は彼らの気持ちが少し?だけ解る気がする。血で汚れた肉もムシャムシャ貪り、汚い体でセ?ックスに明け暮れ、しまいにはテレビで娯楽を満喫...差別用語?でゴイム(豚)と呼ばれています。?

    otomentaichi 2 か月前

    アリさんは一匹だとすごい可愛いのに、うじゃうじゃいると気持ち?が悪いです。問題は人口増加ではなく、人口集中だと思います。?

    softbabankyt 3 か月前 再生リスト: More videos from amenouzumei

    5:26~TONY FARRELL = トニー ブレア の字幕が。 ファーレル さんですね。?

    lonlonrobrob 5 か月前

    かつてこの狂気の殺人者に立ち向かったジョンレノンは言いました?。

    食料が足りないんではなくバランスの問題だと。

    大量の食料を捨てている国、足りない国があると・・・?

    momo mimi 5 か月前

    本当に人口問題を危惧しているなら、国際的に権力をもった人達は?もっと国際会議をやってCO2以上に各国の首脳に認識させるべき?だと思うのですが、そうせずにメディアを事実上支配しているにも?かかわらず、日本のメディアでは少子化を第一に取り上げていたり?で全く人口問題の危機意識を煽ろうとせず、その一方で、人口削減?するためと裏でこそこそ大規模な戦争をしかけたり、エイズやがん?になるウイルスをばら撒いたりしている。

    こういった一部のユダヤ系富裕層の行動を見ていると、結局人口削?減が目的ではなく、シオニズムにある人口削減という大義名分を利?用してが自分たちが武器や製薬で金儲けしたいだけなのではないで?しょうか??

    edonyan 6 か月前
 

ミルトン「失楽園」について

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)18時42分26秒
返信・引用 編集済
  セイタンは、地獄に落とされてから次のように言います。

心は心がけ次第。それ自身の内で
地獄も天国となり、天国も地獄となる。
己が己である限り、何処にいようと
何者になろうとかまわない。俺と奴との差は
雷の分だけ奴が上回るにすぎない。ここなら
俺たちも自由だ。全能者がこんな所を、妬むために
建てるはずがないから、ここを追い出されることはなかろう。
ここなら俺たちが安全に支配できる。自分が選んで
支配するのは、地獄でもやりがいのある仕事。
地獄に君臨するほうが、天国で奉仕するよりはましだ。
     (1巻254ー63行)

あははは! いいですね。


http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/kowa/mes136paradiselost.htm

ミルトン:『楽園喪失』の世界

(1)ミルトンの時代
   最初にこの講演の依頼を受けたときに、「ミルトンの『失楽園』」という題名ではどうかということでした。私は、しばらく考えて、今日のような題名にさせていただきました。「の」をとって、「ミルトン」として「:」を付けたのですが、ミルトンという人物は、たとえその代表作が『楽園喪失』であるとしても、彼の生き方や思想には、それだけでは包みきれない多様な側面が含まれていると思うからです。『失楽園』ではなく『楽園喪失』という題名ですが、私の大学などで『失楽園』と言いますと、中にはとんでもない誤解をする学生がいるのです。それで、「あの『失楽園』ではありませんよ」と断りを入れることにしています。原題が「パラダイス・ロスト」なので、文字どおりに訳すと「楽園喪失」となり、このほうが原題名に近いということで、学会ではこれを用いる場合が多いのです。
   皆さんはすでに、イギリスについてかなりの知識をお持ちであろうと思いますので、ミルトンの生きた17世紀という時代について詳しくお話しすることはいたしません。ただ、基本的に重要な点を二つだけあげますと、第一に、ミルトンの時代は、彼もその一翼を担ったピューリタニズムという点で、それ以後のイギリスだけでなく、それ以上にアメリカの思想に大きな影響を与えていることです。この時期は、アメリカが思想的・宗教的にイギリスから分離するその分岐点に当たると言えましょう。第二に、ミルトンもその渦中にあったピューリタン革命は、近代の個人主義的な市民社会の出発点となったことです。「個人の自由と人権」という理念は、現在でも価値を失わない思想だと思いますが、これは、この時代のイギリスの動乱の中から生まれたと言えます。この思想は、アメリカの建国理念に根拠を与えるものであり、それが、現在の日本国憲法にも受け継がれているのは皆さんもご存知と思います。

(2)ミルトンの生涯
    ミルトンの生涯は、大きく三つに大別することができます。第一期は、1608年の誕生から1638年~39年のイタリア旅行までで、言わばミルトンの少年期と青年期に当たります。第二期は、1640年以降で、彼がピューリタン革命に参与してから1660年の王政復古までです。この時期はミルトンの壮年期に当たりますが、彼は、詩人としてよりも、むしろその文書活動で世に知られるようになりました。第三期は、王政復古以後で、『楽園喪失』と『楽園回復』の二つの叙事詩、それに『闘士サムソン』という詩劇が出版された時期です。そこで今日は、ピューリタン革命時代の彼の文書活動から話を始めたいと思います。お手元の年表をご覧ください。
    1640年から42年にかけては、ミルトン個人だけでなく、イギリスの政治・宗教史にとってもきわめて重要な時期に当たります。この時期にミルトンは、『イングランド宗教改革論』、『主教制批判』、『弁明批判』、『教会政治の根拠』など、イングランド国教会の制度を批判する4つの文書を書いています。ミルトンは、この頃まだ無名の「若輩者」であったわけですが、『弁明批判』では、当時国教会の中心的な人物の一人であったジョセフ・ホール主教に文字どおり「噛みついて」います。さらに、1643年から45年にかけて、離婚の自由を主張する文書4篇と『教育論』と『言論の自由』を書いています。離婚の自由を主張するというのは、当時としてはきわめてラディカルで、このためにミルトンは非難に曝されることになります。しかし、このことが、彼をして『言論の自由』を書かせる契機となり、皮肉にも彼の名前が人々に知られるきっかけにもなったと言えます。1649年に、彼は革命政府の外国語担当秘書官に任命されます。この年は、チャールズ1世が処刑された年であって、チャールズの処刑から1654年までの間に、ミルトンは、国外に向かって、イギリス国民による王の処刑を正当化する『イギリス国民のための弁護論』(1)と(2)などを書きます。
  以上で分かるように、ミルトンの文書活動もまた大きく三つに分かれています。はじめは国教会制度に対立して「信仰の自由」を主張する文書、次は教育と言論と離婚という個人の知性や倫理に関わる問題、次には、国王の処刑を正当化する根拠としての国民の政治的な権利というように、ミルトンの自由を求める思想は、個人の良心に基づく信仰の自由から個人の倫理・道徳・言論の自由へ、さらに市民の政治的な自由へと拡大していくのが分かります。
   この時期のミルトンについてもう少し述べますと、外国語秘書官としての激務のためもあって、1652年に彼は完全に失明してしまいます。また彼は、1642年に、メアリ・ポウエルという女性と突然に結婚しますが、この結婚はあまり幸福ではなかったようです。それでも3人の娘と一人の息子が生まれますが、ミルトンが失明したその同じ年に、メアリと長男ジョンが相次いで亡くなります。ミルトンは1656年にキャサリンと再婚しますが、彼女も産後の日だちが悪く、結婚してわずか1年半にもならない内に(58年)、妻と生まれたばかりの娘が亡くなります。当時はこのようなことがよくあったようです。1660年の王政復古の時には、革命政権に参与した咎で投獄されますが、わずか1票の差で死刑を免れた言われています。これには友人の執り成しがあり、また彼が盲目であったことも逆に幸いしたのかもしれません。ミルトンは、その後、エリザベスという女性と3度目の結婚をしています(64年)。
(3)ミルトンとピューリタン革命
   ミルトンの時代には、宗教と政治とは、現在のように区別されてはいませんでした。当時の議会、特に下院では、税の問題、領地の相続、農地や森林の使用権をめぐる紛争、教会の礼拝形式に関する不満申し立て、主教の上院での政治的発言権などが連日討議されています。1642年には、下院が、軍隊の召集とそのための徴兵権、戦争開始や停戦、外交など、国家のあらゆる問題を処理しなければなりませんでした。本来これらは、国王と彼が任命する高官たちの手に委ねられていたのですが、この頃から、それらの権限が、徐々に議会、特に下院の手に握られるようになっていくのです。その背景には、経済の実権が、国王や貴族から「ジェントルマン」や「ヨーマン」と呼ばれる上流市民階級に移っていく過程があります。
   こういう上流市民階級の台頭は、当時盛んになってきた植民地、例えばアイルランドや北米や中米、その他の地域の植民地経営に支えられるところが大きかったと言えます。チャールズが、多額の軍艦税を議会に要求したことが、議会の反発を招いて、ピューリタン革命の原因の一つになったと言われていますが、実は、チャールズの軍艦税は、スペインやフランスと対抗して植民地政策に乗り出していたイギリスの国家的な要請から出ていたものです。もっともチャールズは、それを王権の強化のために、しかも非常に下手なやり方で強行しようとしたのですが。この頃から、イギリスは、植民地帝国としての道を歩み始め、19世紀には、世界に覇を唱える大英帝国を形成していくことになります。
   軍艦税だけではなく、ピューリタン革命には、イギリスの植民地政策が終始影のようにつきまとっています。この革命の直接の発端となったのは、スコットランドとイングランドとの宗教問題に端を発する戦争でした。これを「主教戦争」と呼びます。これに敗北したことが、チャールズをして国民の信頼を失わせる大きな原因となりました。しかし、革命の原因は、それだけではありませんでした。スコットランドとの紛争に、もう一つの植民地であるアイルランド問題が絡んできたからです。王は、こともあろうに、スコットランドと戦うために、アイルランドの軍隊を動員することまで考えました。これに加えて、イングランド国内のカトリックの勢力もいぜんとして強く、特にチャールズの王妃、マライアがカトリック教徒であったことと、王の軍隊の中にカトリック教徒の将校が多数いたことなども、内戦の引き金となりました。
   王と議会とが衝突して、内戦へと発展していく過程を見ますと、その原因の一つに、先に述べた「税」の問題がありました。その衝突は、税の額が大きいか小さいかではなく、いったい誰が「税」を決定しこれを使用する権利を有するのか? という問題に行き着くことになります。
   同じことが、「軍隊」にも当てはまります。軍隊は「王の軍隊」であるというのがチャールズの考え方でした。しかし、その「王の軍隊」は、チャールズが相手にしていた下院がその代表である国民から成り立っていました。確かにイングランドの軍隊は、「陛下の軍隊」でした。しかし、その軍隊の指揮官たちは議会のメンバーでもあったのです。何よりも、その軍隊を支える戦費は、議会、特に下院が握っていました。いったい軍隊とは誰のものか? これをめぐって、下院のメンバーたちは、文字どおり命を賭して、王と衝突しなければならなかったのです。議会派と王党派、イングランドの軍隊が、二つに割れて戦うという悲劇が何よりもこの間の消息を物語っています。
   もう一つ見逃すことのできない要因に、宗教問題がありました。カトリック的な要素を残存させた国教会と、教会制度のより急進的な改革を目指すピューリタンとが衝突したというのが通説ですが、それだけでは解明できない多くの謎が含まれています。ミルトンは、議会の側に立って、最初はスコットランドと手を組んだ長老派を支持していました。しかし、議会派が勝利を収め、国の実権を握りますと、宗教・政治問題は再び混乱に陥ります。革命の後にどのような国家を建設するのかという設計図をまだだれも持っていなかったからです。
   このために、政局は混沌として、ついにクロムウエルが護民官として、事実上彼の独裁政権が生まれました。イングランド国教会に代わって、今度は長老派の教会制度が国民に押しつけられそうになりました。すると水平派と呼ばれる下層階級の人たちが、より徹底した政治・宗教の改革を求めて革命政権を揺さぶりました。ミルトンが主張していたのは、イングランド国教会に代わりえる長老制のことではありません。そうではなく、彼は、そもそも教会が国家権力と手を結ぶことそれ自体が、教会の堕落と腐敗に繋がると見ていたのです。ミルトンは、イングランド・プロテスタントの伝統的な見方に反して、国家と政治とが合体したコンスタンティヌス帝時代を教会の堕落の始まりととらえたのです。彼は、制度としての教会を国家から分離させることを考えていたのです。ミルトンのこのような教会観は、当時の最も急進的な思想に属すると見ることができます。ただし、この分離は、政治に携わる者が、宗教的に中立になることを意味しません。ミルトンは、知性と宗教的信念と倫理において優れた指導者が、国家の要職に就くべきであると主張しています。
    「税」と「軍隊」と「宗教(思想)」、ピューリタン革命では、この3つをめぐって、国王と議会とが戦いました。なぜなら、この三つこそ、国家の主権そのものを形成する要因だからです。ピューリタン革命は、国家の主権は誰のものか?を真っ正面から争う革命でした。

(4)ミルトンの離婚思想
    ミルトンの結婚・離婚思想は、彼の宗教思想と密接に関係しています。それで、彼の宗教改革論を、その離婚論との関連において整理して、そこに含まれる重要な考え方を4点ほどに絞ってみようと思います。
(1)制度と個人の自由
    教会は、言うまでもなく、神を礼拝するためのものです。しかし、礼拝する一人一人が、その内面において、言い換えればその良心において、ほんとうに納得していないならば、はたして神を礼拝する意味があるだろうか。ほとんどの人は、ただ決められて通りに教会に出席して、牧師の説教を聞くという形だけの宗教に止まっているではないか。このような中身の伴わない「宗教」では、信仰そのものの意味が失われるばかりか、教会へ行くことさえ神に対する冒涜になってしまう。だから、こういう形骸化した制度を廃止して、個人個人が、自分の心から納得できる形と内容を持った信仰のあり方を追求する自由が認められるべきである。こうミルトンたちは考えたわけです。ミルトンのこの考え方は、外面的な制度よりも個人の内面を重視する点が重要なわけで、こういうピューリタンの考え方を「内面化の論理」と呼ぶことができましょう。この考え方をもう少し突き詰めますと、個人が内面でほんとうに納得しないのに、外面的な制度に縛られて行なうのは「悪」であるとする考え方につながります。
(2)自由と責任
   第二点として、ミルトンたちの考えによれば、個人個人が、自分の考えで信仰生活のあり方を選ぶわけで、これは一見楽なようで、実はきわめて厳しい責任を個人の選択に負わせる結果になることです。この選択の中には、「教会へ行かない自由」も含まれることになるでしょう。こうなりますと、何が正しい信仰のあり方なのか、さらには、神は存在するのか、キリストはほんとうに神の子なのか、というような根本問題が、個人の判断に委ねられてきます。今まで考えもしなかった問題が、一人一人の良心の選択にかかってくるわけです。こういう問題は、それまで、牧師や神学者が考えるべきことで、一般の信者が煩わされなくてもいい問題でしたが、今はそうはいきません。これは、大変厳しい責任です。ごく常識的に考えますと、制度は人間を束縛するもの、自由は人間を楽にするものだと思われがちです。しかし実際はこの逆で、制度があれば、人間は、ずいぶんといろいろなことを迷わずに済ますことができ、また問題を突き詰めなくても、適当に「とりつくろって」いくことができます。ところが、制度がなくなりますと自己の内面の選択が、そのまま外面の行為として、ごまかしなく現われざるをえなくなるわけで、ミルトンたちがねらったのもまさにこの点だったのです。
(3)制度の否定
 第三点は、制度の否定についてです。先ず、注意してほしいのは、ミルトンが教会制度の廃止を求めたのは、その制度の中身であるキリスト教そのものを否定したからではないという点です。この点は大切です。なぜなら、制度の中身、すなわちキリスト教それ自体を否定する人たち、例えば、無神論者やイスラム教徒たちは、当然教会の制度そのものにも反発を感じたり、できればこれを廃止したいと考えるでしょう。ところが、ミルトンたちが教会制度に反対したのは、この人たちのようにキリスト教を否定するからではなくて、逆に、制度の「内面化」をはかること、すなわちキリスト教を普通の人以上に大切に思うところからでているのです。ここでは、制度の否定は、その中身の否定につながらないどころか、逆にこれをいっそう「徹底させる」ことを意図します。このように見ますと、ある制度を廃止しようとする人たちには、二通りあることが分かります。すなわち、その制度に含まれる内実を否定する人と、逆にこれをいっそう重視する人です。この二つは、ちょうど反対の理由で制度の廃止を求めているわけですから、わたしたちは、この二つを混同しないようにはっきりと区別しなければなりません。
(4)自由と束縛
  四番目は、先にも触れましたが、ミルトンの主張には、「教会へ行かない自由」をも含まざるをえない点です。「もしもそんなことをしたら」とミルトンたちに反対する人は言います、「ただでさえ教会へ来たがらない連中はどうなるだろうか。そんな自由を認めたら、不信心や無神論を奨励するようなものではないか」と。今から考えますとこんな心配は要らないと思うのですが、この時代には、これは重大な問題でした。確かにこういう反論にはもっともな点があります。ミルトンたちの自由には、このような「悪」をも認めざるをえないものが必然的に含まれるからです。これに対してミルトンはどう答えるのでしょう。
   ミルトンは、自分の意見には、「教会へ行かない自由」が含まれることを認めます。そして、これが「望ましくない悪」であることも率直に認めます。では、彼は、なぜそのような自由をあえて提唱するのでしょう。それは、この「教会へ行かない自由」が「教会へ行く自由」と密接に関係しているからです。すなわち、「教会へ行かない自由」が認められなければ、自ら進んで、誰からも強制されずに自発的に教会へ行くという大切な自由が生きてこない、こう考えるのです。ここにも、難しいけれども、大切な問題が提起されています。自分の意志で教会へ行くという信仰生活の大切な意味が、これをしなくてもいいという消極的な自由と表裏一体となっているのが分かります。
   ここに「自由」の持つ不思議な二面性が浮かび上がってきます。「自由」は、特に「何もしなくてもいい」という消極的な自由は、「教会へ行かなくてもいい」という自由と同じで、これだけでは生きてこないのです。この消極的な自由が、自ら進んで教会へ行くというより積極的な「自由」と結びついて、初めてこれが充実し生きてくることが分かります。「自由」と自発的な「束縛」、この不思議な関係が分からないと、ミルトンがなぜあえて「教会へ行かない」自由を認めてまでも、信仰の自由を押し進めようとしたのかが理解できません。
   以上ミルトンの教会改革論で指摘した点を彼の離婚論に置き換えて考えてみましょう。ミルトンは、外面的な結婚制度にとらわれるよりは、それがはたして現実の生活において、言い換えると夫婦の内面生活において、ほんとうに生きた意味を持っているだろうかと問うわけです。もしも、その中身が失われているのであれば、外面にとらわれて制度の中でごまかして生きていくよりも、そのような結婚は、はっきりと解消すべきであるという考え方がここから生じてきます。人間は弱いから、そういう弱さを守るために制度が存在するという発想は、ここにはありません。「内面化の論理」に従いますと、離婚の問題は、「良心の自由」に関わるとさえ言えます。アメリカの男女が、日本と比較しますと、内面的な夫婦のあり方をそのまま外面に、形として現す傾向が強いのは、こういう思想がその底流にあるからだと考えられます。
   第二の点は「個人の責任」です。先にわたしは、ピューリタニズムでは、「個人」が重要な意味を持つと述べました。これは、裏を返すと、それだけ個人が大きな負担を負っていることになります。英語で、"at your own risk"という表現がありますが、「自分の危険を承知の上で」個人の責任において決める、こういうことが、英米では多いようです。それだけ、結婚や愛のあり方において、個人個人が「成熟」していなければならないわけです。
 ここまでくると、先にあげた3番目の点が問題となります。結婚制度を否定する人、すなわち、この制度自体が、ある著名な評論家の言葉を使うと「不自然」だと考える人(こういう発想は、ミルトンの時代にすでにあったのですが)、このような人が、いわゆる「性の解放」を唱えるときは、その制度に含まれる結婚の意義そのものに疑問をもち、これを否定的にとらえるのは当然です。ところが、これとは対照的に、結婚をきわめて理想的にとらえる人たちがいます。こういう人たちも、結婚の制度それ自体に束縛されるのを嫌います。けれども、この人たちの場合は、決して結婚を軽んじるのではありません。逆に結婚に含まれる意味を内面的に追求してこれを成就させようと求める人たちです。ですから、彼らが、制度に縛られたくないのは、「一度結婚したら決して離婚できない」状況の下では、自分たちの生き生きした結婚生活への努力や意図が、その意味を失うのではないかと恐れるのです。「離婚する自由」という裏付けがなければ、結婚への意義づけとこれに対する努力は、その積極的な内実を失ってしまうからです。
(5)『楽園喪失』のキリストとセイタン
   では、『楽園喪失』に入ることにします。『楽園喪失』は、聖書の「創世記」(1章から3章まで)の物語に基づいて、これをミルトン独自の構成と解釈で歌いかつ語っている叙事詩です。そこには天地創造、エデンの園、人間の創造、アダムとエヴァの堕罪、楽園からの追放とそれ以後の歴史が語られています。この物語は、聖書の最初に置かれていて、聖書全体を始動させる大事な働きをしています。新約聖書がイエス・キリストの誕生で始まるのと同じように、旧約聖書は「創世記」のこの物語で始まるからです。
   しかしミルトンは、聖書の物語には直接語られていない部分、つまり人間の創造以前に生じた出来事を加えています。それは、天国での神に対するセイタン(悪魔)の反逆、神の子キリストとセイタンとの戦い、堕落天使たちの地獄への降下、セイタンによる神への復讐としての人類の堕罪などです。もっとも、これらの物語も聖書とそれ以後の伝承に織り込まれているもので、内容それ自体はミルトン独自の発想ではありません。
   ミルトンが、創世記の物語にこの部分を加えた理由は様々に解釈できますが、その最大の理由として考えられるのは、「悪の起源」について語ることです。人間の原罪は聖書の大きなテーマですが、ミルトンはその原罪の起源としての「悪」そのものを追求しているのです。神の支配する宇宙において、人間の原罪が生じる以前に、すでに天国において、神とそのみ子キリスト、これに反逆するセイタンと彼の堕落天使たち、この両者の間に壮絶な戦いが存在していたのです。この神への反逆ですね、ここにミルトンは悪の起源を見ていると言えます。この反逆が、エデンの園での人間による神への反逆につながることになります。
 セイタンによる神への反逆と同時に、ミルトンは、神のみ子キリストによる神への従順をこれに対置させています。「反逆」と「服従」、「従順」と「不従順」、神をめぐってセイタンとキリストとが対立し、その対立が人間を巻き込み、それらの出来事を通じて「神の正義」が明らかにされるというのが『楽園喪失』の主要なテーマなのです。
  すでに皆さんは気がついておられると思いますが、この「反逆」と「服従」は、ピューリタン革命を通じて、国王と議会とが、「国家の主権」をめぐって対立した姿そのものです。政治と宗教とはまだ分離していないと先に述べましたが、『楽園喪失』では、宗教的(霊的)な世界に、現世の政治・軍事の世界が、そのまま投影されています。イングランドの主権をめぐる争いは、人類全体の主権、さらに宇宙を支配する神の主権をめぐる争いへと拡大され、そこで、「神の正義」とは何かが、「反逆」と「服従」を通じて問われることになります。
   『楽園喪失』においては、反逆の精神は、セイタンの口を通して語られます。セイタンは、地獄に落とされてから次のように言います。

心は心がけ次第。それ自身の内で
地獄も天国となり、天国も地獄となる。
己が己である限り、何処にいようと
何者になろうとかまわない。俺と奴との差は
雷の分だけ奴が上回るにすぎない。ここなら
俺たちも自由だ。全能者がこんな所を、妬むために
建てるはずがないから、ここを追い出されることはなかろう。
ここなら俺たちが安全に支配できる。自分が選んで
支配するのは、地獄でもやりがいのある仕事。
地獄に君臨するほうが、天国で奉仕するよりはましだ。
     (1巻254ー63行)

   セイタンが「奴」と呼ぶのは、神の怒りの雷光を武器として彼らを敗北させたキリストのことです。全能者が「妬むために」地獄を建てるはずがないと言っているのは、セイタン自身が、神の子キリストに対する妬みから反逆して、その結果天国から追放されたことを逆に暗示しています。ここで注意したいのは、セイタンが口にする「自由」という言葉です。全能者の絶対的な権威と神の子キリストへのねたみから、セイタンは、神への服従を拒み反逆へと走ります。神の支配から逃れることで「自由」を獲得し「自分自身である」ことを誇るセイタンの姿は、ピューリタン革命において、教会の主教を追放し国王を処刑したイングランドの民衆の姿と重なるものがあります。

・・・戦の場で破れたのがなんだ?
すべてが失われたわけではない。不屈の意志、
飽くことのない復讐心、不滅の憎悪、
屈従も降伏も知らない勇気がある。
征服されないためにこれ以外に要るものがあろうか。
            (1巻105ー9行)

   こういうセイタンの台詞には、圧政や暴虐に反抗する人たちの心意気が感じられて、私たちの共感を誘うものがあります。確かに『楽園喪失』のセイタンは、特に初めの1巻と2巻では、実に生き生きと英雄的に描かれていて、ミルトン自身がこのセイタンに乗り移ったのではないかとさえ言われています。これはもちろんミルトンの意図ではありませんが、『弁明批判』を書いた頃のミルトンの反逆の精神が、セイタンに投影されているのは間違いないと思います。
   ところが、「己自身であろうとする」セイタンの「自由」には、混乱と無秩序が手下の天使のようにつき従い、反逆の精神の裏には、妬みと自惚れと虚栄が潜んでいたことが暴露されてきます。「地獄も天国となる」という彼の強がりも、やがて

惨めなこの俺!何処へ向かって、この
無限の怒り、無限の絶望から逃れるのか?
どこへ向かおうと地獄。己自身が地獄。
            (4巻73ー75行)

という絶望へと転じることになります。ここには、神を圧政者と見なして、己の「自由」を誇るセイタンの姿はありません。ミルトンは、反逆から生まれる「自由」が、それだけでは、混乱と無秩序、不毛な争いと絶望を生じさせるだけで、そこからは、真の意味で人間の「自由」が生まれてこないことを革命の体験から洞察したのではないでしょうか。
   セイタンの反逆と対照されて描かれるのが、神のみ子による父の神に対する「従順」です。み子は、セイタンとの戦いに出かけるに際して、神から「雷」の武器を与えられて、父に向かって次のように言います。

・・・・私の栄光、私の栄誉、
無上の喜びとするのは、あなたが
私を喜ばれて、み心が成就したと
宣言されること。み心の成就こそ私の無上の喜び。
授与された王笏と権力を身に帯びるのも、
それを終わりの時に喜んで返上するため。
その時あなたは全てにおいて全てとなり、
私は永遠にあなたの内に居り、
あなたの愛する者たちは全て私に居ます。
だが、あなたが憎む者を私も憎み、その穏和を
身に纏うように、その恐ろしさをも身に纏います。
何事につけ私はあなたのみ姿。あなたの力を武器として、
すぐにも反逆者どもを天国から追い払い、
備えられた悪しき住まいへ追い落とし、
暗闇の鎖でつなぎ、絶えない蛆虫の餌食とし
あなたへの正しい従順に背いた報いとします。
あなたに従うことこそ無上の幸いですから。
           (6巻727ー42行)

   ここで「み心」と訳したのは、父なる神の「意志」のことです。だからキリストは、ここで「神の意志」と「自分の意志」とを一つに重ねているのが分かります。ここで語られている「服従」とは、強制されたものではなく、み子の側からの完全に自発的な従順から出たものなのです。このような「従順」は、父と子とがひとつになるところに初めて可能な「愛によって結ばれた従順」です。ここで「子」とは、肉体的な血筋のことではなく、その父の意志を受け継ぐ者を意味しています。父と子のこのような一体関係は、そのままみ子とみ子を信じる人間との関係に対応しています。「私は永遠にあなたの内に居り、あなたの愛する者たちは全て私に居る」とあるのは、この対応関係を意味します。
  このような「自由で自発的な従順」は、国家権力や教会の権威が、法律や律法によって人々に強制して得られるものではありません。そうではなく、従う者一人一人が、自らの意志によって選び取る自由と、その自由から生まれる自発的な服従が重要だからです。指導者に向けられる従順とは、本来そういうものであるべきです。これが、ミルトンの理想とする「服従」です。ミルトンは、このような「従順」をセイタンの「反逆」と対照させます。セイタンにとって、神とは圧政者のことであり、暴君を意味しました。ところが、神の子キリストにとっては、神とは、自発的にその意志を実行したいと心から願わずにおれない指導者なのです。何が「反逆」を正当化し、何が「従順」を正当化するのか? 国家権力や宗教的権威と個人との関係をめぐって、ミルトンが現代の私たちに問いかけているのは、この問題です。
   先に述べたとおり、ミルトンは、個人の信仰の自由、個人の知性と言論の自由のために闘った人です。しかし、そのような個人の自由が、本当の意味で価値を発揮するためには、共同体を形成する一人一人が、自分から進んで従い、その意志を実行したいと願わせるような国家の指導者の在り方が要求されるのです。指導者が、国民一人一人に、これこそ自分たちの願っていることなのだと信じて、自分の意志で、その指導者の意志を実行しよう思わせるような政治と宗教の在り方、これがミルトンの描いた理想の共同体の姿であり、個人の「自由」の在り方であったのです。私たちは、ここに、初めて「デモクラシー」(民主主義)という今まで存在しなかった新しい形の国家共同体の理想像が生まれてきたのを知るのです。

(6)『楽園喪失』の結婚愛
   『楽園喪失』においては、アダムとエヴァとをめぐる愛と憎しみと和解の物語が、もう一つの重要なテーマとなります。この両者の関係においても、先に述べた自由意志による「従順」と「不従順」とが問われてきます。ミルトンの時代は、男性優位の時代でした。したがってミルトンも、女性は男性に服従すべきであるという考え方から抜け出すことができませんでした。その意味でミルトンはフェミニストではありません。しかし、ミルトンには、現代のフェミニズムに通じる重要な認識がありました。それは、結婚が子孫を残すための営みであるとする伝統的な考え方に対して、結婚の意義を男女の結びつきそれ自体に求め、その上で、夫と妻との内面的精神的な一致こそ結婚の目的であると見なしたことです。ここに、ミルトンの作品に対するフェミニズム解釈の原点があると言えましょう。
 アダムは、初めてエヴァと出会ったときに、彼を避けて逃げようとするエヴァに次にように呼びかけます。

・・・・戻りなさい、うるわしいエヴァよ。
あなたが逃げようとしているのは誰?それは君の源、
彼の肉、彼の骨こそあなた。君が生まれるために
命そのものの心臓の側近くから、
自分の脇腹を差し出したのは彼。君が僕の側にいて、
離れ難く愛しい慰めとなるために。
今から僕は、魂の1部である君を慕い
僕の伴侶として君を求めるのです。
            (4巻481ー88行)

  このようにして、エヴァは、アダムと結ばれ、エデンの園で神の祝福を満喫します。その時のエヴァの気持ちを、ミルトンは一篇の抒情詩として、次のように彼女の口から歌わせています。

その彼にエヴァは、美しさの極みに飾られて応えました。
私の出所、私の主人、あなたの命じることなら
私は心から従います。それが神の定め。
神があなたの掟。あなたが私の掟。それ以上に
出ないことこそ、女の最高に幸せな知識、女の受ける称賛。
あなたとの語らいに、私は時を忘れます。
どの季節もどの移りゆきも、皆等しく楽しい。
朝の息吹も甘く、その風も、甘い
早起き鳥の囀りを運び、太陽も心楽しく
喜びの大地に最初の光を東から
広げ、草や樹木や木の実や花々が
露で輝きます。優しく降る雨に
大地も豊かに香ります。それから優しく訪れる
穏やかでうるわしい夕暮れ。そして静かな夜。
ほら、夜の厳かな鳥の声と、あの麗しい月。
ご覧、天の宝石が、月のお供をしている。
けれども、立ちのぼる朝の息吹も
早起き鳥の囀りも、昇る朝日も
喜ばしい大地も、露に輝く草も
木の実も花々も、雨の後の香りも
穏やかな優しい夕暮れも、静かな夜も、
あなたなしでは、少しも楽しくないのです。
            (4巻635ー57行)

  ここには言わば新婚のエヴァが居ます。「あなたがいれば・・・・」と「けれども・・・・あなたなしでは」とが、鏡の両面のように分かれて、エヴァの心がアダムを中心に円を描いて踊っているようです。ミルトンは、このような夫婦の愛を「結婚愛」という言葉で表現します。この言葉は、いわゆる男女の「恋愛」とは違う意味を帯びて用いられているのですが、この点は後で説明します。ところが、このような幸せな二人の生活にも、ある時転機が訪れます。エヴァは全く突然に、アダムにこう切り出します。

私たちは別れて仕事をしましよう。あなたは自分の選ぶ
好きな所か、あなたの必要な場所へ行き
・・・・・・・・・私のほうは
天人花のまじるあちらのバラの茂みへ行きます。
            (9巻214ー18行)

 どうしてエヴァが突然このようなことを言い出したのかをミルトンは説明していません。いろいろな解釈が可能ですが、今はそのことに触れません。ただここで、エヴァが「別れる」という不吉な言葉を口にしていることに注意してください。アダムは、エヴァの突然の申し出に、当惑したりむっとしたりしながら、エデンの園に最近悪い奴が忍び込んでいるから、二人一緒にいるほうがいいのではないかと引き留めます。しかし、エヴァは聞き入れません。アダムも仕方なく、エヴァに向かって次のように言います。

たぶん二人 の語らいが多すぎて、あなたを
飽きさせたのなら、少しの間君が居なくても我慢しよう。
               (9巻247ー48行)

そして、最後に決定的な言葉を口にするのです。

行きなさい。心から居たいのでなければ、君が居ても居ないほうがまし。
            (9巻372行)

ここで「心から」と訳した原語は「自由に」です。エヴァはアダムの警告を無視して、彼女の自由意志と選択によって、あえてアダムに従うことを止めます。彼女は「アダムの手から自分の手をそっと抜き取って」足取り軽く去って行くのです。 エヴァが一人になったのを見定めたセイタンは、蛇の姿に変じて、エヴァに近づいて、言葉巧みに彼女を誘い、禁じられていた知恵の樹の下へと彼女を連れていきます。そしてついに、彼女をして知恵の樹の実を食べさせるのに成功します。なぜエヴァが、木の実を食べたのか? これは「知恵の樹」とはそもそもなにか?という疑問と重なりますから、簡単に判断することができません。しかし、ミルトンは、ここではっきりと、神が食べるなと命じ、「食べると死ぬ」と警告した神の禁止を破ること、すなわちエヴァの不従順が、最大の罪であると見ています。「これを食べるとアダムよりも賢くなれる」こうエヴァが考えたことも示唆されています。
    エヴァの帰りが遅いのを心配して、アダムが彼女を捜し、知恵の樹の傍らに来たときに、彼はそこにすっかり変わったエヴァを見て愕然とします。彼は、始め神に背いたエヴァを責めるのですが、エヴァはここでも、「あなたと共なら」禁断の木の実を食べた喜びはいっそう増すし、「あなたなしでは」喜びも湧かないとアダムを誘います。アダムは、はエヴァの懇願に負けて、自分もその禁断の木の実を口にするのです。「すると二人 の目が開けて、二人は裸であることが分かった」と聖書にありますが、ミルトンは、その時の姿を次のように描いています。

さあ、来いよ。こんないい気分になったのだから、一緒に遊ぼう。
おいしいものを食べた後では、それが一番。
初めて君を見て結婚した時、完全な美に飾られていると
思ったが、今ほど僕の感覚に火がついて、
君を楽しみたいという想いに駆られたことがない。
この有り難い樹のお陰で、前よりもきれいに見える。
そう言いながら、ためらいもなく、ちらちら視線を向けて
愛欲の仕草を見せると、エヴァもそれと心得て、
その目から、燃え移った欲情の火を放った。
(9巻1027ー1036行)

   この描写は、二人が神の祝福によって与えられた「結婚愛」を失ったことを示しています。ここでは、何か大事なものが、二人 の愛の中から失われていきます。アダムはエヴァに、「遊ぼう」と言っていますね。これは今まで、アダムがエヴァに向かって決して口にしなかった言葉です。二人 の愛は、この時点で、「お遊び」に変じたのです。もはや、アダムには、誠実な愛情よりも、「君を楽しみたい」という思いが働くだけです。
   同じ一組の男女の間でありながら、ここでは、「結婚愛」を失った二人の全く違った姿があります。ここで改めて「結婚愛」とはなんだろうという疑問が湧いてきます。この問題は、例えば、現在ではよく見かける、結婚しないまま共に暮らす、いわゆる「同棲」という形で考えてみると分かります。いったい結婚と同棲との間には、あるとすればどんな違いがあるのでしょう。「あるとすれば」と言ったのは、この区別それ自体がはなはだ曖昧な人たちが案外多いからです。紙一枚提出さえすれば結婚になり、出さなければ同棲になる。ただそれだけの事だ、という意見も出てくる時代です。その「紙一枚」がなにを意味するのか、あるいはしないのか、この辺が問われてきているわけです。ミルトンの「内面化の論理」からするならば、外面的にみる限り、結婚も同棲も全く区別はありません。とすれば、問題はその内面のあり方にかかわってきます。二人 が恋愛して結婚を決意する。いったい、恋愛から結婚へと決断させるもの、それはなんなのか、これがここで問われてくるわけです。
   恋に「落ちる」とは言いますが、結婚に「落ちる」とは言わない。逆に、結婚に「踏み切る」と言いますね。いったい、なんに向かって「踏み切る」のでしょう。この辺が分からないと、結婚に積極的な意味を見いだせなくなります。ミルトンの結婚・離婚思想もまさにこの問題に行き当たったと言えます。このような意味で結婚を意義あらしめる内実を、ミルトンは、「結婚愛」と呼んでいます。この結婚愛は、ですから恋愛とある意味で対立する概念となってきます。この結婚愛と恋愛との対立をめぐっては、ヨーロッパではそれなりの長い歴史が中世以来続いていますが、今ここで、この問題に触れることはできません。
  二人 はしばらくの間、愛欲の限りを尽くして互いの罪を慰め合うのですが、やがて、二人 の間に亀裂が生じてきます。ついに、アダムは、エヴァを「蛇」と呼んで、その憎しみを露にします。エヴァも負けてはいません。

こうして二人 は、互いに非難を繰り返し、
「お前が悪い」「あなたが悪い」と、益にもならない
言い争いをいつまでもいつまでも続けました。
       (9巻1087ー89行)

世の夫婦であれば、この時点で完全に離婚するところです。ところが、ミルトンは、突然、エヴァに意外な言葉を口に出させています。

・・・・二人 とも罪を犯したのです。
でも、あなたは神だけに。私は神とあなたに対して。
だから私はお裁きの場に戻り、
天に向かって叫び求めます。裁きの判決を
あなたの身からこの私に移してくださいと。
すべての災いのただ一つの原因はこの私。
この私だけが神のお怒りを受けるのにふさわしいから。
            (10巻930ー36行)

  これはアダムにとって、予想もしなかった展開でした。さめざめと泣くエヴァを見て、アダムの心も和らいで、二人 の間に思いがけない和解の兆しが現れるのです。言うまでもなく、ここでは、アダムよりもエヴァのほうが、人間的にずっと優れています。今度は、アダムが、エヴァの悔い改めの姿勢に従う番なのです。エヴァの働きかけに応じて、二人 は、再び神の前に戻り、一度失った結婚愛を再び回復することになります。しかし、一度罪を犯した以上、もはやエデンの園に留まることは許されません。二人 は、行く先を知らないままに、この園から追放されることになります。ミルトンは、この最後の場面を次のように語っています。

自然に流れ落ちる涙を、直ぐに彼らはぬぐい去った。
全世界が彼らの前に広がり、摂理に導かれて
安住の居場所を選ぶ二人 を待つ。
彼らは手に手を取って、よろめく足取りも緩く
エデンを抜けて、その孤独な道を歩みだした。
            (12巻645ー49行)

   こうして、人類の始祖である二人 の愛の物語は、ひとまず終わります。もっとも、最後の結末の示すとおり、それは新たな始まりにすぎません。ミルトンはここで、「結婚愛」という近代市民社会の家庭を基礎づける概念を物語っています。
   先に指摘したように、夫婦の「結婚愛」は、男女の「恋愛」とは違った相を持ちます。9巻の堕罪直後の場面で見たとおり、ミルトンは、この二つの愛の在り方の間に横たわるある種の亀裂を浮き彫りにしています。充実した人生は、必ずしも充実した結婚と同じではないかもしれません。結婚を「束縛」ととらえるのは一面の真理です。しかし、先に述べたとおり、それはあくまでも一面の真理にすぎません。人間が自分の存在を充実させていくのに、さまざまな生き方や方法があると思いますから、どうしても結婚したくないのであれば、それはそれで一つの選択であると言えましょう。ただし、安易に束縛を嫌って、この営みから逃避するならば、人生を生きる大きな意味を見失うことになります。結婚とこれに伴う育児が、束縛をもたらすのは避けられません。しかし、そのような「束縛」を、あえて自分の意志で選びとる、この積極的な自由こそ、真に人間らしい決断ではないかと思います。

(7)叙事詩としての『楽園喪失』
   私は小学生の頃、『源氏物語』は源氏の歴史で、『平家物語』は平家の歴史であると思っていました。ところが高校で、初めて『源氏物語』を読まされて、これが文学的な小説であることを知ったのです。『源氏物語』は、世界でも最も古くて優れた小説であると言えましょう。しかし私個人としては、『平家物語』のほうが好きです。こちらは平家一門の衰亡を語る歴史物語ですね。しかし私は、これをただの「物語」としてではなく、「叙事詩」として読んでいます。『平家物語』は、それほど優れた詩的な文体で描かれており、しかも深い思想に貫かれているのです。これは、琵琶法師によって吟唱されるための文体から来ているのでしょう。
    「叙事詩」というのは、歴史的な出来事を文学的なスタイルで歌いかつ物語るものです。だから叙事詩は、新聞やドキュメンタリー風な事実の記録とは異なります。これらも実際の出来事や事実を伝えたり、特定の事件を詳しく伝えたりしてくれます。しかしそれらの出来事は、いろいろな角度から見ることができます。新聞がそのよい例です。そこには、起こった出来事が、パズルの破片のように詰まっていますが、それらをつなぎ合わせて、ひとつのまとまった現代の全体像を描くのは容易でありません。特に現代のように、めまぐるしく変わる世の中では出来事の意味を考えることがとても難しいのです。
   平家の物語や歴史は、教科書でも教えられ、大河ドラマにもなり、小説もあります。しかし、「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」の有名な書き出しで始まるこの叙事詩は、日本人の歴史観に深い影響を与えてきました。このように、叙事詩というのは、ある民族や文化の最も根源的な出来事を、その民族のものの見方や生き方と関連づけて、深いところからその意味を語り伝えるものです。出来事や事実は、それだけでは何も語りません。また、起こった出来事を並べても、それだけでは物事のつながりは見えてきません。それらの出来事を関連づけ、そこに深い意味を与え、かつこれを独特のスタイルで人々や国民全体に「物語る」のが叙事詩の役目です。
   偉大な叙事詩は、その国の民、その文化に属する人全員がこれを共有することができます。ですから、叙事詩は言葉の最も深い意味で「歴史」を語るのです。「ヒストリー」(歴史)は「ストーリー」(物語)から出ています。叙事詩は、歴史であるよりも、むしろある民族やある文化圏の人々が、どのような歴史観を持つのか、その歴史観それ自体を造り出す力を秘めていると言うべきでしょう。日本の『古事記』、ヘブライの旧約聖書やキリスト教の旧新約聖書、ホメーロスの『オデュッセイア』や『イーリアス』、ウェルギリウスの『アエネーイス』など、人類には優れた歴史的「叙事詩」があります。それは、その国の民だけでなく、ある文化圏全体の価値観を決定づける力を持っているのです。
    このような叙事詩が与えてくれる歴史観に立ち返り、そこから学ぶことによって、私たちは、自分たちの歴史を新しく解釈し、現在に意味を与え、未来を切り開く力をそこから得ることができます。『楽園喪失』は、この意味で、英米の近代を形成してきた叙事詩です。それは、今でも英米の人たちが、自分たちの歴史を人類の歴史と重ね合わせて、そこから未来を切り開いていく拠り所としている物語です。この意味で、聖書とミルトンは、特にアメリカの人たちの価値観を決定づける力を持っているストーリーでありヒストリーであると言えます。『楽園喪失』は、今までお話ししたことでお分かりの通り、「人間の自由と民主主義を物語る叙事詩」なのです。
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土地のない神

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)18時14分34秒
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旧約以前から士師の時代まで

旧約以前の預言

  ヘブライ語の動詞「ナーバー」は「霊感によって語る・預言する」という意味で、これの名詞形が「ナービー」で「預言者」のことです。ヘブライ語の名詞「ナービー」の語源は「ヌビー」で、セム系のアッカド語からでた語です〔The Theological Dictionary of the Old Testament, vol.IX,131 〕。アッカド語では本来「名前を呼ぶ」という意味で、そこから「神に召された者」「神に代わって語る者」の意味になりました。
 ユーフラテス河の流域では紀元前5000年頃から農耕が営まれていて、この地方は、エジプトや中国と並んで世界で最も古い3大文明の発祥地帯として知られています。これをメソポタミア文明と呼びます。シュメール民族は、北部のイラン地方からこのメソポタミア地方へ侵入して、前3500年頃にユーフラテス川周辺に都市国家を成立させました。シュメール王国はウルク王朝からウル王朝へと続きますが、これらの王朝は世界最古の都市文明を成立させたと言えます。
  その後、前2300年頃にメソポタミア北部にアッカド王国が成立することになり、メソポタミア地方は、北部のアッカド王国と南部のシュメール王国とに分かれました。アッカド王国のアッカド語が後のバビロニア語となりました。「預言者」はアッカド語で「ナブーム」と言います。南部のシュメール王国には、聖書にその名がでてくる都市ウルク(「創世記」10章10節)とアブラハムの出身都市ウルがありました。シュメール語とその文化は、母神イシュタルやギルガメシュ神話などで知られていて、特に神話、祭儀、学問の分野で大きな影響を与えました。すでに前1850年頃の粘土板には、預言者がシュメール王国の未来について預言して「イシュタルはかく語った」と王に告げたという記録が残されています。
 アッカド王国が成立したのとほぼ同じ頃に(前2500年)、現在の北シリアにエブラ王国が成立しました。エブラはアッカドやシュメールの文化の影響を強く受けていたと考えられます。1974年から1976年にかけて、このエブラ王国の存在した地域から1万4000点以上に及ぶ粘土板文書が発見されました。これらは楔形(くさびがた)文字を用いたエブラ語で書かれていますが、シュメール文字のものも多数発見されていて、両者の交流が盛んであったことを示しています。特にエブラの神殿様式は、カナン地帯で広く採用され、その様式はソロモンの神殿につながると見られています。
  エブラ語は、ウガリット語、フェニキア語、古代ヘブライ語などと同じく、カナン語圏(現在のパレスチナ)に属すると考えられますから、シュメール語とは区別されているようです。しかし、この発見によって、古代の南部メソポタミアのシュメールからマリを経てエブラへとセム系の文化圏が広範囲に存在していた可能性がでてきたのです。エブラ文書にも「預言者=ナービー/ナブー」がでてきて、この語は、これらカナン語圏では共通して「神に呼び出され神に代わって語る人」を意味していました。
 1934年に、シュメールの都市ウルとエブラ王国を結ぶ途上にあるマリでも、楔形文字で書かれた2万5000枚に登る粘土板文書が発見されました。マリは紀元前4000年にはすでに存在していましたが、バビロンの王ハムラピによって前1760年頃に滅ぼされました。これらの文書には、「ヘブル」という言葉の語源を思わせる「ハビル」が頻出しますが、注意されるのは預言者に関する文書が多いことです。特に女預言者の存在が注目されています。マリ語では、神のお告げを語る人は「マフーム/マフートム(女性)」で、これは「恍惚・興奮状態」を意味します。さらに「ナブー=お告げを語る人」も同じ意味で用いられ、王が複数のナブーたちを呼び寄せて神へのうかがいをたてて、王に有利なお告げを受けたことが記されていますが、その詳細はわかりません。
 また、マリ文書の中には、王などのたてるうかがいに「答える者」として、アッカド語の「アーピルゥアーピルトゥ」がでてきます〔Anchor Bible Dictionary, vol.V, 478〕。これには男女がいて、さまざまな「うかがい」に答える役割を果たしていたようです。ここで言う「答える」は、ヘブライ語の「アーナー」に相当していて、嘆き訴える者に神のお告げが与えられる(「詩編」22篇22節)という意味になります。
 これらの預言の多くは神殿で神に犠牲を供える祭儀を伴っておこなわれました。そこでは預言者が恍惚状態で夢やお告げを語り、王に警告や励ましのお告げを語っています。女預言者が興奮状態でお告げを語ったともあります。お告げはほとんどの場合王の役人に伝えられたようで、これから判断すると、マリでの預言は、主として王のいる宮廷でおこなわれたものが記録されて残ったと思われます。ただし、預言者の恍惚あるいは興奮状態は、預言者自身の自己認識を必ずしも失わせるものではなく、マリの預言者たちは、自分の預言の内容をきちんと理解して語っていたようです。この点でも、ヘブライの預言者が、恍惚状態にあっても自制心を失わず、自分が神から「遣わされた」(サーラー)ことを意識しているのと共通するところがあります(例えば「イザヤ書」6章8節/「エレミヤ書」1章7節など)〔The Theological Dictionary of the Old Testament, vol.IX,136〕。
  フェニキアでは、預言者はヘブライ語と同じ「ナービー」です。彼らはバアル神におうかがいをたてそのために興奮状態に入ったとあります。フェニキアの王子に仕える従者が、これに加わって恍惚状態になって預言したことも記録されています。カナンの「アシェラの預言者」たちは、「列王記上」18章19節にもでてきます。カナンでは、例えば「出エジプト記」3章12節などにあるように、神が預言者に「しるし」を与えたことが語られています。さらにまた、アラム語の碑文では、王が「主なるバアル」から夢・幻を受けたとありますが、この「幻」はヘブライ語の「ホーゼー=幻視する者/預言者」(「民数記」24章4節)と同じ語源です。
 マリの伝承を受け継いでいるアッシリアでも、王のための祭儀において恍惚状態で「告知する者」や母神イシュタルから「啓示を受ける者」や王のために神に献身する女預言者の宣託がおこなわれたことが記録されています。このほかに、エジプトでも預言の伝統が長く、国家の将来を予言する祭儀的な預言者たちがいました。彼らは、国家の危機に際して国を救うヘブライのメシア的な預言者の先触れと言えるのかもしれません。

土地のない神
  上に述べたマリの預言やカナン圏でおこなわれていた預言の形態は、古代のヘブライにも受け継がれました。「聖書の宗教はそれ自体で存在しているのではない。きわめて多層の古代オリエントの宗教史から成長してきたのであり、その後、最高の独自な方向転換をとげて、他の古代世界からますます離れていったのである。イスラエル宗教が肥沃なる三日月地帯の宗教史に錨を下ろしていることは、預言のような現象の場合にとくに明瞭になる」〔K・コッホ著/荒井章三・他訳『預言者』Ⅰ、教文館32〕とあるとおりです。旧約聖書の預言ばかりでなく、旧約の宗教それ自体が、これに先立つ幾千年もの人類の歴史の上に成り立っていることを私たちは忘れてはなりません。
  イスラエル民族の祖先はいわゆる「遊牧民」であると言われてきました。しかし、住居を定めず常に移動し続ける「遊牧の民」とは別に、雨期になると荒れ野の奥地に入って家畜を養い、乾季になると肥沃な地帯に移動して、その土地の農耕民が刈り入れを終えると、その後の田や草地や森に放牧して家畜を養うという形態の「家畜飼育民」も存在していました。彼らはそこに住む土地の住民と放牧のための森林や水を確保するための井戸の使用権利などを契約によって確保していました。したがって、家畜飼育民は、農耕民たちに依存して生活しなければなりませんでした。はっきりしたことはわかりませんが、イスラエルの先祖は、このような家畜飼育民であったと見るのが正しいようです。
  ところが遊牧民の中でも駱駝を飼う「駱駝飼育遊牧民」がいました。駱駝は広範囲な移動を可能にします。しかも彼らは食物や衣服などの生活必需品を駱駝から得ることができたので、農耕の民に依存して暮らす必要が無く、彼らだけで独立した生活を営むことができました。このような駱駝飼育遊牧民は、強力な家族/部族意識を持ち、相互に同盟を結んでいました。したがって、彼らは、周囲の農耕民族にとって、友好関係と敵対関係との両方の可能性をいつも秘めていたのです。この駱駝飼育民がパレスチナ地方で力を現し始めたのが、紀元前1000年頃です。聖書に「家畜の群を飼う民」〔「歴代誌下」14章14節→新共同訳では「家畜の群の天幕」とありますが、「天幕」は「民」と読むのが正しいようです〕とあるのがこの駱駝飼育遊牧民です。聖書にでてくるアマレク人やモーセが一時身を寄せていたミディアン人などが、この駱駝飼育民であったと考えられています。
 いわゆる「ベドウィン」と呼ばれているのは、このような駱駝飼育民のことです。彼らは比較的弱小な家畜飼育民たちを支配していました。このような遊牧民を特徴づけるものとして強固な家父長的部族主義があげられます。ただし、家族/氏族/部族の形態は、都市国家に対応するための組織であって、家父長や部族主義それ自体が、必ずしも駱駝飼育民や家畜飼育民の特徴であると断定することはできません。これらは農耕民の間でも見られる形態だからです。
  こういうわけで、イスラエルの祖先は、家畜飼育民として、カナン地方の農耕民との契約によって、彼らに依存して暮らす民でした。しかし彼らは、家族/氏族/部族主義と部族同士の契約に基づく同盟関係を遊牧民から継承していました。それだけでなく、血の復習の慣習、安息日や過越祭や贖罪の儀礼なども受け継いでいたと考えられます。その上彼らは、さらに重要なものを遊牧の民から受け継ぎました。それは遊牧民の持つ独特の神概念です。
 「ヘブル」のもととなる「ハビル」というのは「土地を持たない人たち」を指す言葉であったと思われますが、イスラエルの先祖が受け継いだ神についての考え方は、この「土地のない神」からでてきたのです。モーセがミディアンの祭司のもとへ身を寄せていた間に、初めて「ヤハウェ」という神の名前を啓示された(「出エジプト記」3章14節)とありますが、モーセに顕れたヤハウェは、遊牧民が受け継いできた「土地のない神」であったと言えます。こうして、イスラエルの先祖は、農耕の民に依存し彼らと関係を保ちながら、同時に遊牧民の生活形態とこれに伴う宗教的祭儀をも受け継ぐことになったのです。
  ヘブライ語の「言葉」にあたる「ダバール」は、背後から押し出すという行動を示唆していますが、ギリシア語の「ロゴス」は、「集める」「秩序立てる」「整える」という意味からでていて、これは理性・理念に関連しています〔浅野順一『イスラエル豫言者の神学』12〕。ギリシア思想と対比されるイスラエルの思想の根底には、モーセの神「ヤハウェ」の「土地のない神」概念があるのです。

カナンへの定住
  イスラエルの12部族がカナンでの土地取得を開始したのは、紀元前1250年頃のことであると考えられています。聖書によれば、モーセの後を継いだヨシュアの指導によってカナン侵入が開始されたとあり、また、このモーセこそが、メシアとしてイエスが現れるまでの最大の預言者であると言われています。しかし、「出エジプト記」や「民数記」で描かれているモーセの姿には、捕囚前後のいわゆる申命記史家(たち)〔前600年から前500年頃まで〕によって、編集の手が加わえられていると見ることができます。この点では「ヨシュア記」も同じで、現在では、イスラエルの12部族が、いっせいにカナンへの侵入を果たしたとは考えられていません。そのような劇的な歴史は、エジプトから脱出してカナンへ入り込んだ一部の部族や集団には当てはまるかもしれませんが、実際には、それぞれの部族が、徐々にカナンの諸地域に比較的平和に定住していったと見るほうが正しいようです。
  イスラエルの諸部族は、その定住の過程で、土着のカナンの宗教や文化と出合い、時には激しい衝突も起こしました。「ヨシュア記」で語られている戦争の物語には、このような政治・軍事・宗教の衝突が反映しています。しかし、定住が進むにつれて、イスラエルの諸部族は、カナンの宗教とその儀礼とを採り入れていきました。イスラエルの祭儀は本来カナンを起源としています。彼らはこれをイスラエル的に解釈することで、次第に自分たち独自の祭儀を完成していったのです。だからイスラエルの祭儀は農耕儀礼に基づいています。例えば酵母を入れないパンを食べる除酵祭(「出エジプト記」12章8節)は、3月から4月にかけての大麦の収穫を祝う祭りであり、「7週祭」(「出エジプト記」34章22節)は、5月から6月にかけての小麦の収穫の祭りです。この祭りが後に5旬節(ペンテコステ)となりました。仮庵祭(「レビ記」23章34節)は、9月から10月にかけてのぶどうの収穫を祝う祭りです。その上、新月や安息日も農耕と無関係ではありません。ただし、過越祭は3月から4月にかけておこなわれますが、これは元来家族から悪鬼を追放するための牧畜民の儀礼から来ていると思われます〔浅野 214〕。
  神の呼び名について言えば、「主」を表す言葉は、カナン語圏では「バアル」であり、これはセム系の文化圏では神を意味する一般的な呼び方でした。この神への呼びかけ方からもわかるように、同じセム系のイスラエルの「ヤハウェ」も「バアル」と呼ばれる場合がありました。したがってイスラエルの宗教は、「バアル」と「ヤハウェ」の混淆宗教の様相を呈していたと言えます。ちょうど日本の神道と仏教とが混合することで、「南無八幡大菩薩」(なむはちまんだいぼさつ)などという神仏への呼びかけがおこなわれるようになったのと類似しています。その結果カナン定住後のイスラエルでは、外敵との戦いの場合には、部族間の結合を強めるために、ヤハウェへの契約信仰に基づく12部族連合が結成され(前1200年頃か)、他方日常の生活では、バアル的祭儀宗教がおこなわれるという宗教形態の二重性が生じたのです。
 牧畜民としての宗教形態とカナンの農耕民としての宗教形態とが混淆する過程において、摩擦や衝突が生じるのは避けられませんでした。その上、イスラエルにとって不運なことに、ちょうどイスラエルがカナンへの定住を始めたすぐ後で、地中海からペリシテ人がパレスチナの沿岸へ侵入してきたのです(前1150年頃)。定住を始めたイスラエルの諸部族は、直接このペリシテの脅威にさらされることになりました。ここでも衝突と摩擦が起こり、私たちはその典型的な例をサムソンとデリラの物語(「士師記」13章~16章)に見ることができます。当時の戦争は、民族や部族同士の争いという以上に、民族や部族がそれぞれに信じている神と神との間の戦いでもありました。したがって、イスラエルの戦いは、なによりもまず「ヤハウェの戦い」(「ヨシュア記」10章8節以下)であり、その意味で古代の戦いは本質的に「宗教戦争」だったのです。16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパでも、カトリックとプロテスタントとの間で宗教戦争が起こりました。現代でもイスラム世界では、自分たちの戦いを「聖戦」(ジハード)と呼んで、アラーの神による戦いと見なしているようです。イスラエルの諸部族は、このように摩擦と衝突を繰り返しながら、徐々にカナンの文化を吸収していったのです。

士師たち
  預言状態にある人を表すヘブライ語には、「ナービー=預言者」と「ローエー=先見者・幻を見る者」と「ホーゼー=幻視者・透視者」の三つがあります。このほかに「神の人」という言い方もあります。神の霊に動かされて語り行動した人、あるいはこの霊に満たされた人一般を「預言者」と呼ぶのであれば、アブラハムは預言者(ナービー)であり(「創世記」20章7節)、これが聖書にでてくる最初の「ナービー」の例です。またヤハウェの霊に満たされたモーセの兄アロンが「ナービー」と呼ばれています(「出エジプト記」7章1節)。モーセ自身もイスラエル最大の預言者であるとされています(「申命記」34章10節)。しかし、実際にアブラハムが当時の人々に「ナービー」と呼ばれていたかは大いに疑問です。おそらくそうではなかったでしょう。彼らを例えば王国時代にダビデ王に仕えたナタン、さらに北王国イスラエルの人たちに語ったアモス、ホセアなどの記述預言者と同じ意味で「預言者」と呼ぶことはできません。アブラハムを「預言者」(ナービー)と呼ぶのは、後の代にでてきた預言者の称号をイスラエルの歴史の父祖へも遡らせようとする後代の聖書編集者の意図からでたと考えられます〔Gerhard von Rat; Genesis.228〕。同じことが、モーセやアロンの「預言者」という呼び方にもあてはまります。もっともこのことのゆえに、彼らの霊的な偉大さが減じるわけではありませんが。
  イスラエルがカナンへ定住してから、「ヨシュア記」には「ナービー」という言葉は表れません。しかし「士師記」には「女預言者」としてデボラが登場します(「士師記」4章4節)。彼女の出現は、家畜飼育民の弱体な部族連合が、カナンの王たちの強力な連合軍と戦ったその危機的な状況の中で起こりました。その意味でこの戦いは、デボラの属する部族の運命にかかわるものでした。古代イスラエルのジャンヌ・ダルクと言えましょうか。ギデオンも同様に、イスラエルがアマレクなどの駱駝遊牧民に制圧されていたときに、イスラエル古来の神ヤハウェによってバアルの祭壇を壊して立ち上がります。デボラもギデオンも民族としての統一もなく王もいない時代にあって、「戦いの英雄」として神の霊を受けた人々です。このように、イスラエルがカナンに定着し始めた時代には、神の霊に動かされた「預言者」とは、部族の危機的な戦いに際して活躍した人たちを指していると考えられます。
  しかし、私たちは同時に、ギデオンの父がバアルの祭壇を建てていたという事実にも注目しなければなりません。「士師」とは「裁き司」のことです。いわば部族の慣習や掟によって民や部族内の問題を解決する仕事を指しています。したがって、このような役割を受け持つ士師が、戦争において、特にヤハウェと他民族との宗教戦争において指導的な役割を果たすというのは、異例と言わなければなりません。通常の裁き司は、部族内だけでなく、カナンの定住民との間に生じるさまざまな問題をも処理し、そうすることでイスラエルの部族とカナン人との慣習や宗教儀礼の違いから生じる問題を解決する役割をはたしていたはずだからです。私たちは、危機に際して現れるデボラやギデオンのように英雄的な大士師のほかに、数多くの小士師が存在していて、イスラエルとカナン人との間の調停に当たっていたと見るべきで、おそらくギデオンの父もそのような役割を果たしていたのでしょう。だから、彼の父の家にバアルの祭壇があってもおかしくなかったのです。つまり、当時のイスラエルの裁き司たちは、普段の生活では、イスラエルの慣習や儀礼とカナン人のそれらとの調停を図りながら、一度部族の危機となる戦が生じると、ヤハウェの名の下に連合して戦うというやり方をしていたのです。
  この間の事情は、サムソンの場合になるといっそうはっきりします。サムソンは、ペリシテ人とイスラエルの民との間に立たされた士師でした。「士師記」13章以下の物語によると、彼の部族はペリシテに支配されていたようです。ところがサムソンが立ち上がり、ペリシテを撃退します。しかし、サムソンは敵の手に捕らえられます。最後にサムソンは再びペリシテに大打撃を与えることで勝利のうちに倒れます。この物語には、互いに支配したりされたりを繰り返すイスラエルとペリシテとの関係が反映しています。
 しかも、そのような争いの水面下では、サムソンはペリシテの女性を愛してその一人と婚姻関係に入るのです。そこには、争いと同時に、相互の文化的宗教的な交流がおこなわれていたことが示唆されています。敵対と融合、この二つの一見異なる事態が複合しつつ進行しているのがサムソンの物語です。イスラエルとペリシテとの両方に挟まれたサムソンの心の揺れは、そのまま当時のイスラエルの諸部族がおかれていた文化的・経済的・宗教的状況を映していると見ることができます。


ヘブライの伝承とイエスの霊性

http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/apoca/apocaindex.htm

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イスラエル国歌・日本語訳

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)14時51分23秒
返信・引用 編集済
  バーバラストライサンドの歌うイスラエル国歌(字幕なし)

http://www.youtube.com/watch?v=RHy29bn4zeE&feature=related

心の底で切望していた

ユダヤの魂はずっと求めてきた

そして歩き出した,東の果へ

その眼は,ただシオンの地を見続けた

希望は未だ尽きない

二千年続いたその希望

自由のある私たちの国

シオンとエルサレムの国

自由のある私たちの国

それはシオンとエルサレムの国


http://www.youtube.com/watch?v=xSwopyigAvc&feature=related(字幕あり)

君が代をヘブライ語で読むと.........

http://www.youtube.com/watch?v=hMlZygKsCgQ&feature=related

かごめかごめをヘブライ語で読むと......

http://www.youtube.com/watch?v=aPJbM3Y9d5k&feature=related


関連URL.......アウシュビッツとイスラエル建国

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/761.html


フリーメーソン-167  フリーメーソンとは何か-42  アウシュヴィッツとイスラエル建国  フリーメーソン

第二次世界大戦では、ヒトラー率いるナチスドイツによるユダヤ人大虐殺がありましたが、戦争が終わって、ナチス・ドイツのユダヤ人に対する、このあまりに醜く、残酷な実態が白日のもとにさらされた時、生き残ったユダヤ人たちは制止を振り切って一斉にパレスチナに向かいました。 まるで、幼くして母親と生き別れになっていた子供が、再開した母親のもとに走ってゆくように。

このあまりに悲劇的な現実の前には、もはやシオニズムに正面切って反対を唱えれる人は、世界に誰一人いなかったのです。  第二次世界大戦が終わり、イギリスはパレスチナ問題を国連に任せると宣言。  そして、1947年11月29日、ニューヨークの国連本部で、国連総会ではパレスチナをアラブ人とユダヤ人の2つの国に分割し、エルサレムと周辺を国際監視下に置くという処置が採択され、それから半年後にイスラエルは建国を宣言しました。

フリーメーソン-93  真夏の夜の夢
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/687.html
フリーメーソン-94  リヒャルト・ワグナー
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/688.html
フリーメーソン-95  アドルフ・ヒトラー
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/689.html
フリーメーソン-96  アウシュヴィッツ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/690.html
フリーメーソン-97  杉原千畝
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/691.html
シオニズム-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/585.html
シオニズム-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/586.html

イスラエル国歌 (Hatikvah =希望)
http://www.youtube.com/watch?v=H6WMtyuAazc&feature=related
Barbra Streisand Sings Hatikvah (バーバラ ストライザンドが歌うHatikva)
http://www.youtube.com/watch?v=RHy29bn4zeE

フリーメーソンとは何か  まとめ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html#readmore

土地のない神

http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/kowa/1preot.htm

イスラエルの国旗(イスラエルのこっき)は1891年にデザインされ、1897年の第1回シオニスト会議でシオニスト運動の旗として採択。第二次世界大戦中のユダヤ義勇軍?の軍旗として使用され、1948年10月28日に国旗として正式に制定された。六芒星旗とも言われる。

中央の六芒星はダビデの星。上下の帯はユダヤ教の男性が礼拝の際に用いるタリットと呼ばれる肩掛けの帯を表している。タリットにはツィーツィートという房をつけ、その中に?テヘーレトという青い紐を入れる。この青は高貴な色として使われていた。
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評価の高いコメント

イスラエルでも日本人と繋がりがあるのは、

東欧系のアシュケナジユダヤ人(ハザール人)ではなく

中東系のスファラディユダヤ人(パレスチナ人)だとか。

また日本人の40%が持つ世界でも古く希少なYAP遺伝子(中国?・朝鮮人は持たない)を古代ユダヤ人の直接の子孫であるパレスチ?ナ人にも見られるとか。?

zsutavoro naoyuki268 さんへの返信 (コメントを表示) 1 か月前 18

東の果てって日本のことか!??

like Reunion 1 か月前 18

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アシュケナージユダヤ人もハザール今のカザフ辺りから蒙古によっ?て東ヨーロッパに追い出された民族、昔のイスラム教に似たユダヤ?教に其のころ改宗した。元々はシャーマニズムみたいな宗教観を持?っていた。ハザールの王が上からの改革でユダヤ教を国教とした。?混血が進み白人化した。ポーランド人の90%はユダヤの血が自分?にも流れていると信じている。?

TOSHI99ify 1 日前

イスラエルはヨーロッパ系のユダヤ人が作った国だから、東の果て?とはヨーロッパから見ての東、ヨーロッパの一番東ってことでしょ?うね。?

TOSHI99ify 1 日前

素敵な国歌!

聞いていて心が和みます。?

UMIBOZxBLUE2 5 日前

日本はシオンの国だったのかー

東の果てって約束の地にもなってたよな?

makibiyu 6 日前

人殺しの国 イスラエル?

konoyaroism 1 週間前

大抵海外の国家ってテンポが良くて気分を上げる曲が多い中で昔か?らイスラエルの曲は君が代に似て重く暗い切ないメロディだったの?が印象的で、似てるなぁ~ってずっと思ってました。古代ユダヤ人?が日本の遠い祖先なのかどうなのは判らないですがこのメロディに?は共感を覚えいつ聞いてもシミジミとしてしまう…?

voltex43 1 週間前

初めて聴いたけどなぜか落ち着く・・・?

ranran464 1 週間前 4

古代ユダヤ人と日本人が共通の先祖であったとしても分岐は3万年?以上前とおもわれる。

言語の共通性に片鱗があったとしても、文化的にははるかに断絶し?ていると思われる。?

00kumakuma 2 週間前

すげえ、3分超えてる。。。 君が代が短いだけ?

あ、注目すべきはそこじゃないかw

せつないコードで良いメロディーですね♪

「君が代」は、聴くとなぜか心が落ち着く。

日本人である事をしみじみと実感できる時間。?

SD9H204B 2 週間前

http://

 

中川昭一の日本が危ない

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)10時29分20秒
返信・引用 編集済
  石井紘基も中川昭一もうまく嘘をつくということを知らなかったんでしょうか。おバカさんなんでしょうね...........二人共。

http://beiryu2.exblog.jp/10312374/

 哲学も、信念も、施政のマニュアルすらなく、
 茫洋としたアメーバのように、人気を食って肥大する単細胞政権。
 その連中に舵取りを任せた日本は、いったいどこへ漂流してゆくのか?

 日本人のひとりでも多くの方が、
 右と左とにかかわらず、心をさら地にして
 中川氏の警鐘を受け止めてほしい。

 新政権の実態が、政権とは名ばかりの
 どれほどの危険をはらんだ 政治的化け物であるかを
 心底、悟るためにも。......................


民主党の言動を見ていると、自民党とあまり変わりない様に見せて
 政治と政策は(極左も含めた)一部が支配し、
 その他大勢は政策にも全く関与できない駒にすぎず、
 恐ろしい北朝鮮労働党の様な政党に見えてならない。

 そもそも、この公約は一体どこの国の公約だろうか。
 民主党と知らずに読む人に、
 この公約はどこの国の政党だと思いますかと問うてみたい。
 毒の入った「ヤミ鍋」だ。
(言われたら後から何でも入れる)
 こんな政策が実現したら、国民は意欲をなくし、
 経済や地方は衰退し、国力は必ず破壊し、
 公務員の労働組合だけが盛える国家になる。

 ヒトラーや毛沢東も似たような手法で権力を握ったが、
 その後の国家と国民はどうなったか。
 平成5年の細川内閣成立後の日本
(不景気、凶作、ウルグアイ・ラウンド終結等)はどうなったのか。

 「民主党の風」は「日本破滅の風」だ。
  絶対に阻止しなければならない。
 「希望と発展、魂もない国家」にしてはならない。
  これでは日本は沈没する。
             ……… 2009年8月12日 中川昭一記

 『中川昭一公式サイト』8月12日のブログエントリより転載


政治の王道とは左右を切り捨て中道を行くことなのでしょうか?

PS:前原誠司の父親は誰~れ?

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%89%8D%E5%8E%9F%E8%AA%A0%E5%8F%B8+%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=%E5%89%8D%E5%8E%9F%E8%AA%A0%E5%8F%B8

893(ヤクザ)の6割が同和........3割が在日

http://www.youtube.com/watch?v=wNAJVnjlR2g

http://

 

NIE REPORT

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)10時24分19秒
返信・引用 編集済
  http://beiryu2.exblog.jp/6689988/

やはり米国史上最悪の亡国の政権だったブッシュのホワイトハウス
新しいNIEレポートで解消したイラン戦争懸念と浮上した陰謀疑惑

ニューズウィーク・サイト独占掲載 | マイケル・ハーシュ時評 |『米流時評』ysbee 訳
米国時間 2007年11月4日 |「イラン戦争なんか忘れることだ」それが、今回新たに発表されたNIE/National Intelligence Estimate(国家情報評価)の大意である。
レポートによると、イラン政府は原爆(Bomb)など造ってはいなかった。しかしながらこの報告書が与えた衝撃は、核爆発と同じくらい強烈なショックウェーブを残した。ともかく、この衝撃のレポート公開後の勝者と敗者を一瞥してみよう。


写真は元ブッシュ大統領主席補佐官のカール・ローブ。裁判所から5度の召喚状を無視したため逮捕。

http://

 

精神病院を捨てたイタリア・捨てない日本

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)02時23分0秒
返信・引用 編集済
  関連URL..........YAHOO検索

イタリアでは、1978年に「180号法」(バザーリア法)が出来て、
精神病院が廃止されました。下段の統計をご覧ください。精神病院退院者在院日数(2005年)..........日本以外の平均は18.1日.........日本は298.4日。そして身も心も抗うつ剤でズタズタにされる。2011年日本の医療費 ....37兆円。


http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E9%99%A2%E3%82%92%E5%85%A8%E5%BB%83%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

あるフリーライターの報告

http://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-57.html

 「心に問題がある」と告白すると、医療の独占市場になってしまうのが日本。
 上記のデータを含め日本の精神科医療を見渡すなら、「医療観察法.NET」をご覧いただきたい。

 しかし、他国では、そんな単純な理解はしない。
 困っている人は、地域社会の市民たちみんなで面倒を見ようという心の豊かさがある。

 それが地域医療+障害者福祉の考え方であり、病院は「心の問題に悩める当事者」にとって
問題解決を助ける一機関にすぎない。

 就労や教育、友人関係、自分の住む地域にある豊かな社会資源にふれ、「みんなで解決しよう」と
発想するのが、「脱・医療依存」なアプローチの基本姿勢なのだ。
(※問題を解決するのに医療に依存しているのは医者であって、患者ではない)

 そして、こうした「脱・医療依存」の特攻隊長がイタリアだ。
 イタリアのノルチョ医師は、日本での講演会でこう言っている。

「重要なかぎは、治療者である。
 治療者が 患者さんと社会の仲介者となること。
 精神的苦悩を持つ人の自由を考える中で、社会的コンセプトの中でとらえる必要がある。」
(※全文を知りたい方は、このサイトを参照されたい)

 文化人類学の立場からイタリアの精神医療を研究されている松嶋健さんは、こう言う。

「認知症にしろ精神障害にしろ、ある時代の特定の制度のなかで病気として位置づけられてきたと言えます。
 健康と病気、正常と病理の間の線引きは文化・歴史的文脈のなかで変移し、かつ相互的に規定されてきました。
 病気の問題は、単に個人を対象とする医療や医学の問題ではなく、社会全体の問題として捉えられます。
 近代的な精神病院は、そのほとんどが公立であり、社会的な隔離の装置として主に機能していました。
 そこで行われていたことは、治療よりもまず管理。
 それが、医学の名の下に正当化されていた側面がありました。
 1960年代に入り、現場の精神科医や看護士の間にこのような認識が徐々に広まると、他の欧米諸国でも進行していた『反精神医学』運動とも呼応し、最終的に精神病院を廃止する法の制定にまで至ります。
 但しこれは、精神医学そのものを全否定したということではありません。
 精神病院をなくすか否か、ということよりも、精神病院という場を成り立たせている『Istituzione 制度=施設の論理』を問い直すことだったのです」
(※途中、いろいろ省略してます。全文を参照したい方は、こちらのサイトへ)

 精神病院を全廃したイタリア「地域ケア」の実情については、自ら「患者」を装って
日本の精神病院に潜入取材したジャーナリスト・大熊一夫さんの書いた本
『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)にくわしい。

人は転んでも歩き出す

http://www.youtube.com/watch?v=3AZleEjaiZw&feature=player_embedded#!



内容(「BOOK」データベースより)
この国の精神保健の明日を描くために。精神保健最先進国イタリアからの渾身のルポと、日本への提言。第1回フランコ・バザーリア賞受賞(2008年)記念作品。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大熊/一夫
1937年生まれ。ジャーナリスト。元朝日新聞記者、元大阪大学大学院人間科学研究科教授(ソーシャルサービス論)。1970年、都内の精神病院にアルコール依存症患者を装って入院し「ルポ・精神病棟」を朝日新聞に連載(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

http://

 

Re: 宗教法人課税法案

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月 1日(月)14時24分2秒
返信・引用
  バーバサラさんへのお返事です。

同感ですがその前に公明党の設立母体は創価学会ですから明らかに「政教分離」の原則に反するわけで追い払うのが肝心でしょう。統一教会党があるようなものです。政治家は金でしか動きませんからもうダメでしょうね(笑)。


> 消費税を、2014年4月に8%、2015年10月に10%まで
> 引き上げる方針が閣議決定されたが、野田政権や財務省は
> 順番を間違えているのではないか?
>
> 消費税を増税する前に、宗教法人から課税すべきだ。
> すなわち、創価学会から法人税を取れ。
> http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52542300.html
 

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