冒頭の原稿は、前号でも紹介しました「少年実名報道」の民事訴訟で敗訴した新潮45が7月号で、柳田邦男氏の論文を掲載し、再び実名報道を正当化する暴挙に出ました。これに対して、当会世話人の一人、太田健義弁護士が反論します。
少年実名報道を正当化する柳田邦男氏への反論!
太田健義(弁護士)
一 はじめに
柳田氏は、新潮45が少年の実名を報道したことにより、250万円の損害賠償を命じられた判決について、新潮45誌上で論及している。
その論点は、主に、(1)少年法及び少年の更生の問題、(2)被害者と弁護士の問題、に集約できると思われるので、以下で考えてみたい。
二 少年法及び少年の更生について
柳田氏は、80年代以降、少年事件は以前に比べて凶悪化しているとの前提で議論を進めているようである。
しかし、少年非行が「凶悪化」してきたことを裏付ける実証的な検証はいまだなされていないようであり、むしろ実務家や学者の間では、そのような傾向を否定しているのが一般である。しかも、現行少年法の評価については、現実に非行少年と向き合い、少年の更生に携わっている裁判官や保護司、弁護士の間では、少年法は概ね上手く機能しているとの評価が一般的であると思われる。
少年非行が「凶悪化」しているため、半世紀前に制定された少年法は時代遅れだという議論は、少年法制定当時の少年非行と現在の少年非行との相違の有無を何ら正確に議論しないまま、単に少年非行が「凶悪化」しているとする誤りと、少年法が上手く機能しているという実務家の意見に耳を傾けることなく、単に少年法が半世紀前に制定されたとの一事をもって、少年法は現代社会に合わないとする誤りの二重の誤りを犯している。
もちろん、少年法の是非自体を論じることはむしろ好ましいことである。法律は、社会のルールを定めるものなのだから、当然、社会規範にそぐわなくなったときはその改正が必要であり、そのためには自由な議論が必要となってくる。そのために、憲法21条によって表現の自由が保障され、ひいては報道の自由が保障されているのである。
ところが、表現の自由、報道の自由も絶対無制約なものではなく、他の優越する利益のためには当然制約を受ける場面もあり得る。それがまさに少年法61条であり、少年のプライバシー権と表現の自由、報道の自由との調整がなされているのである。
そもそも、少年法61条が現代社会にそぐわないと考えるならば、そのための議論を尽くせばよいことであるが、当然のことながら、その議論は社会のルールにのっとって行われなければならない。
今回、新潮45が行った行為は、この社会のルールからはみ出したものであったからこそ、裁判所から賠償を命じられたのである。
19歳の少年が少年法によって保護されるべきかという議論も全く同じ問題である。19歳だから責任をとれるはずだというのは、法律が個々具体的な状況を捨象して、一定の限度で線引きせざるを得ないことを無視している。個々具体的な問題を見れば疑問に感じるようなことがあったとしても、法が一定の線引きをしている以上は、それに従うのが社会のルールなのではないのか。
もちろん、18歳以上は成人として扱うというのも一つの見解であり、そのような諸外国の例も多い。しかし、それならば、責任とともに権利を与えるべきである。責任と権利が切り離されるべきではなく、少年法の一場面だけでなく、選挙権を含めた成人概念自体を変える必要がある。
そして、やはり少年法が18歳未満を対象とすべきだとの考えをもっていたとしても、それは自由な議論によって問題とされるべきものであって、決して、少年法61条に抵触してまで、少年の実名を公表して良い理由にはならないということである。
何人も社会のルールに違反した場合には、相応の責任をとらなければならない。だからこそ、今回の少年も刑事裁判で審理されているのであり、最終的には何らかの形で責任について結論が出るであろう。
新潮45も社会のルールに違反して少年の実名を公表したのであるから、その責任をとらなければならないのは当然である。
その意味で、今回の判決は当然の答えを出したに過ぎない。
三 被害者と弁護士の問題
最近議論されている被害者問題は、刑事被告人とその被害者という形で議論が進められてきた。
ところが、今回の判決は全く場面を異にする。それは、たしかに少年は、刑事事件の被害者や遺族との関係では、加害者と被害者であるが、新潮45との関係では、少年が被害者で、新潮45が加害者なのである。
今回の判決で、殺人の被害にあった遺族の心情を思うとやりきれないとの意見が見られたが、そもそも新潮45があえて法に抵触してまで少年の実名を公表しなければこのような裁判自体が起こされなかったという大前提を忘れてはならない。
柳田氏や新潮45は、68名もの「人権派」弁護士が結集したことに強い疑念を呈しているようである(柳田氏も新潮45も68名という人数をやたらと強調するが、名誉毀損罪の告訴代理人が68名であり、民事賠償は11名である)。
一般に、弁護士は人権擁護の見地から、表現の自由、報道の自由の規制には極めて慎重であるにもかかわらず、名誉毀損罪での告訴に68名の弁護士が告訴代理人に名を連ねたというのはどういうことか。それは、あまりにも新潮45及び新潮社の行為が法を無視したものであり、このまま放置できないとの判断があったからである。なお、本件のように、なかなか被害者自身が声をあげにくい場合、弁護士が事件の掘り起こしをすることは公害事件などでもよくあることである。今回の少年が、こと新潮45との関係では被害者である以上、そのために11名または68名の弁護士が名を連ね、事件を掘り起こしていくことは奇異でも何でもない。
新潮45が実名報道した理由を読んでみても、たまたまメディアという媒介手段を有していたのを奇貨として、まるで自らに制裁権限があるかのごとき主張である(その主張は、判決文で一蹴されている)。これでは、もはや表現の自由、報道の自由などではなく、それらに名を借りた私的なリンチに過ぎない。
結局、新潮45の行為が、もはや表現の自由や報道の自由で保護されるべきではないと判断されたからこそ、68名もの弁護士が告訴代理人となったのである。新潮45は「人権派」弁護士などと揶揄する前に、その事実を謙虚に受けとめるべきである。
四 最後に
柳田氏は、殺人を犯した少年が250万円もの賠償金をとれる裁判所の常識に疑問を呈しているが、私にはむしろ、法に違反するのを知りながらそれを犯した上で、裁判所から損害賠償を命じられてもなお開き直って自らの行為を反省しない社会のほうが恐ろしいと思われるのである。
(了)
ある地方テレビ局に勤めているが、会社を辞めようと思ったことが二度ある。一度目は仕事に馴染めなくて。二度目が甲山事件の再逮捕時(1978年)の報道に関わった時だ。警察、検察に強い記者は有罪説を吹いて回り、そして”特ダネ”をとばしていく。何よりこたえたのが、支援する人たちからの取材、報道についての批判だった。「こんな仕事は自分に向いていない」と今から思うと実に無責任だが、辞めたいと思った。
そして再逮捕から21年、甲山事件の再控訴審の判決が近づいている。こと甲山に限れば、報道は神戸地裁の差し戻し判決に見られるように、検察控訴のあり方や長期裁判の問題について指摘する論調が出てくるまでになった。「崩れたアリバイ」「検察、再逮捕に自信」など、再逮捕時、記者があたかも検察官になったような報道が繰り広げられていた時代と比べると、随分の変わりようだ。しかし本当に報道は変わったのだろうか。
全くそうは思わない。二度の無罪判決は、弁護団と救援会と、何より山田さん自身の力で勝ち取ってきたものだ。報道は冤罪者に対して何一つ力を貸していない。それどころか犯人視報道を行ったことには、口をつぐんでいる。過去にフタをする姿勢は、現在のオウム事件、神戸の児童殺害事件、和歌山カレー事件などに見る、犯人視報道に連綿とつながっている。記者個人は、会社の縛り、抑圧、メディア間競争など厳しい状況に置かれているが、メディアの内側にいる記者が人間として過去から学ぶこと、そして二度と過ちを繰り返さない方策を考えるのは重要なことだと思う。冤罪者ばかりではない、有実者であっても犯人視報道は許されない。報道する責任と同時に報道した責任がメディアにはある。今は、「辞めたい」ではなく、責任を果たす一員になりたいと考えている。(S)
追いうちかける2次,3次被害
毒カレー事件被害者が訴える
「退院して、まだ自分が大変な状態なのに、座る間もなくマスコミが電話してきたり、玄関のチャイムを鳴らし続けた。取材アンケートも、ポストの中一杯に。買い物に出れば、走ってついてくる始末だった。なぜ私たちは、2次被害に苦しまなければならないのか」。5月15日、兵庫県弁護士会主催の集会「今 はじまる 被害者支援」で、和歌山・毒カレー事件の被害者が、このように訴えた。集会の基調講演では、諸沢英道・常盤大学学長は、2次被害・3次被害のメカニズムについて、以下のように論じた。(小和田侃)
●警察・検察 示談で済ませようとすることが多い。例えば、16歳の知的障害者が性的被害を受けた。検察は「法廷で被疑者の弁護人がどんどん追及してきて、余計に傷つきますよ」と、20万円での示談を勧めた。被疑者には他の余罪があり、検察は量刑の多い余罪の方で起訴したかったのだ。また、被害者の事情聴取が鉄格子の部屋で行われ、ショックを受ける事も多い。これについては最近、警察庁が改善通達したが。
●裁判 被害者は、法廷では全くかやの外にされ、カレー事件でも傍聴席が5席用意されただけだった。国連の基準では、法廷の内側で、被害者も裁判に参加できるように位置付けており、次回公判予定も被害者に配慮するよう求めている。
●医療機関 性的被害を事細かく聞いて、傷つける。ある強姦事件では、被害者そっちのけで医師と警官が「処女膜が残っているから、強姦事件を維持できない」と語り合って、被害者はショックから告訴を取り下げてしまった。
●マスコミ 被害者は原則匿名であるべきなのに、実情は逆。不愉快な取材も多く、統計では「報道の中身が間違っている」「当事者として名前が知られた」「取材が強引だった」などの理由で、67%が不快感を訴えている。被害者に負担をかけないよう、むしろメディア側が共同取材の努力をすべきだ。
また報道に登場する専門家のコメントも、傷つける。専門家はもっと勉強して、被害者の立場に立つべきだ。カレー事件では、発生当初に住民トラブル説を勝手に論じる人物もいた。
メディアにアクセス!
市民がつくる市民のチャンネル
伊藤ふさ(ビデオ工房AKAME)
6月に8日間の日程で「サンフランシスコNPO視察ツアー〜市民メディア編〜」に参加しました。アメリカのケーブルテレビ局は、通信法によって、市民から要求があれば、3種類のアクセス・チャンネルパブリック(公共)・教育・自治体を無料で開放することが義務づけられています。また、市民の番組作りをバックアップ(トレーニング/スタジオ・映像機材の提供)するアクセス・センターがケーブルテレビ局やNPOによって運営されています。パブリック・アクセスを支える理念は、言論の自由・表現の自由が民主主義を守るものであり、多様性を確保するためにも、すべての市民にメディアへアクセスする権利が保障されるべきであるというものです。サンフランシスコのパブリック・アクセス・チャンネルは53チャンネルのシティビジョン。シティビジョンで番組制作するプロデューサーは、現在約160人で、その半数は女性です。そのうちの2人の女性にインタビューすることができました。アパート管理人のジョアン・マティスさんは、ニュース番組を週1本制作しています。貧しい人たちが暮らす公営住宅でのスポーツ大会や資金集めの集会を取材して、貧困に立ち向かう姿勢を放送したところ、元気づけられたという反応があり、自分自身も高められたと語ってくれました。シンシア・クリストコルさんは、マッサージ・セラピストです。2年前からスタジオでのバラエティ・ショーを2週間に1本制作しています。そのほかにフランス人女性がフランス語の番組を作っていたり、日本人女性がパートナーとともにつくっている番組は、労働問題がテーマで、14年も続く長寿番組だそうです。最後にシンシアさんの言葉を紹介します。 「一般放送は限られたものしか流されず、検閲されている。53チャンネルは、自分の考えに基づいて番組が作られ、言論の自由を実現していると思う。
弁護士会が被害者電話相談
大阪弁護士会では毎週火曜日午後3−5時(祝日は休み)、犯罪被害者電話相談を行っています。電話番号は06・6364・6251相談内容は∇捜査、裁判の情報∇マスコミ対策などです。
編集後記
◎9月29日の甲山事件第2次控訴審判決を前にして「甲山事件25年 無罪終結をもとめる集い」が同月12日(日)午後1時から国民会館12階大ホール(大阪市中央区大手前2‐1‐2)で開かれます。今回は、徳島ラジオ商事件や甲山事件の冤罪を訴えつづけてきた瀬戸内寂聴さんが講演されます。問い合わせは甲山事件救援会(06・6351・7278)です。
◎例会が7月31日(土)に行われましたが、この例会報告、そして次回例会の案内は8月末発行予定の次号でお伝えします。皆さんからの投稿もドシドシ掲載していきます。お待ちしています。(事務局)
メールで会報配信しています!
前号でもお伝えしましたが、会報の無料電子メールサービスを始めました。
希望者は事務局までご連絡下さい。一人でも多くの方に読んでいただく一助にしたいと思っています。
例会
「一線取材記者が和歌山カレー事件報道を語る」
日時:7月31日(土)
場所:プロボノセンター
は盛況の内に終了いたしました。多数のご参加ありがとうございます。次回例会も当ホームページで告知いたします。次回例会もよろしくお願いいたします。
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