ここではスタッフがプロジェクトに参加するに当たって
それぞれの気持ちを綴ったものを掲載させて頂きます。
------------------------------------------------------------------
1. A/N
3月11日 大阪の会社内で初めての、大きな地震の揺れを感じた。
家族は、大丈夫か!そればかりが、頭の中で繰り返されていた。
家に帰って、愕然とした。画面に写る光景が現実のものとは、受け入れ難く、
直視できない…連日のニュースを見る度に、胸が締め付けられ、
悲しいや可哀相と言う言葉では、軽すぎる! 言葉がでない、涙を流すことしかできない。
自分の子供に近い子が、辛さを我慢してるのを見ると、そっと抱き寄せてあげたい。
目の前で家族や友人や生活を失った思いは、何をもっても計れない!
被災と、ひとくくりになど言いたくない。
亡くなられた方々の無念さや悲しさ!
残された方々の癒される事のない被災の爪痕!
逃げずに、一生懸命受け止めて、亡くなられた方々と一緒に生きていくんだという
前向きな姿を見る度に、前を向くしかないんだと言うおばあさんの言葉に、
無力という無気力な私は、罪悪感と無能さを感じてばかりでした。
被災から一年が過ぎ、このだんじり曳き綱プロジェクトを聞いた時。
無能や無力と言う私の言い訳を払拭してくれるものでした。
私は、大切な人が亡くなった時の辛さは、よくわかります。
でも、私自身いつも姉と共に姉の分まで頑張るんだと生きています。
だから、今もこれから先も、3.11 東日本大震災を風化させてはいけないんです!
人を思う気持ち。同じ日本に暮らす人達を愛する気持ちを!
一人では生きられない! 共に生きている!共に支え合う気持ちを、
日本人なら誰でもの真に持っているんだと、改めて認識してほしくて…
亡くなられた方々の分まで、みんなが自分達が生まれた、
日本をよりよき未来へと繋ぐために。この無謀なプロジェクトに
参加してみようと決意しました。思いがあれば、無謀ではなくなるのだから。
きっと!ゴールの先に見えるものは、
『日本に生まれてきて 良かった。』
だから、私は…
『ゴールを目指します』
------------------------------------------------------------------
2. Y/H
「東日本復興応援プロジェクト」に対する私の思い」
2011年3月11日 14時46分・・・
その頃の私は、自分自身が病気で毎日カーテンを開けることもなく寝込んでいました。
朝、お布団から出ることが出来ずに、何とか昼頃にやっとトイレに行けるという状態で、
起き上がる度にフラフラして倒れたり、転んだりで、身体中あざで青タンだらけの毎日を
過ごしていました。自分自身が外出することも儘ならない状態でした。
そんな日々の中、テレビをつけると信じられない悲惨な光景に驚愕しました。
どのチャンネルを見ても、地震と大津波のニュースばかりで心が凍ってしまいました。
具合の悪かった私には特に受け入れ難く、何も出来ないまま、食事をすることも
お水を飲むこともお薬を服用することも忘れていました。一週間で5Kg位痩せたでしょうか?
辛くて、苦しくて、悲しくて、しんどくて・・・泣いてばかりいました。
でも、日が経ち流れてきた映像で、私よりも震災にあい絶望の淵にいる人たちが、
頑張っている姿や前向きな姿勢に逆に励まされ、
これではいけないと少しずつ立ち直りました。
震災時に私が出来たことは、出来る限りの募金と、亡くなった方々へのご冥福と
少しでも震災にあわれた方々の悲しみが和らぐように、元気になって欲しいと、
祈ることだけでした。本当に、私一人では何も出来ない無力さを感じました。
その後、恥ずかしいですが、気になりながらも何もせずに過ごしていましたが、
尊敬する六虎会長から「東日本復興応援プロジェクト」の話を聞き、
会長や皆と一緒なら無力な私にでも何か出来る!! 何かしら役に立つ!!
いや、何んとしても役に立ちたい!!
今度は私が励ましたい!! やり遂げようという気持ちがだんだん大きくなってきました。
まだ、病気が完治したわけではありませんが、私なりに出来ることは自主的にして仲間達と
一緒に石巻のゴールを目指して行きます。
そして、曳き綱を絆に繋げるために、3月11日を忘れないように!!
仲間と心をひとつにして、本当の意味での絆を築き、大きくなった私たちの想いを被災地に
届けます。一見、無謀なようなこのプロジェクトですが、意味もなく立てている訳ではないと、
最後にはきっと色んな人達にも私たちの想いが通じると信じています。
ゴールでは、皆が家族のように同じ想いを共有し、大きな絆となっていることでしょう。
人はひとりでは生きられない。また、どんな人もひとりではないし、生きないといけない。
日本人として古き良き昔の心を、誇りを誰もが持っていると、再認識したいです。
決して楽なプロジェクトではありませんが、皆の笑顔を見たいから頑張ります!!
「人が天から心をさずかっているのは愛するためである(ポワロー)」
人には、色々な愛の形がありますが、まさにその通りだと思います。
だんじりの曳き綱を曳きながら、愛をもってゴールします!!
--------------------------------------------------------------------
3. Y/K
「曳き綱を絆に」
私が一つのドラマを知ったのは2012年が明けて2月に入った頃でした。
岸和田市立産業高校同窓会と石巻市立女子商業高校との物語、、。
岸和田~石巻956kmの距離を超えた細い糸のような、
それでいて強い心の繋がりに感動しました。
未だ復興ままならぬ東日本。
決して忘れてはならない 3.11。
糸を綱に、綱を曳き綱に、「曳き綱を絆に」。
私たちは自らの絆を求めて東日本被災地までだんじりを曳いて行かせてもらいます。
-------------------------------------------------------------------------
4. K/S
3.11・・数日前から身体に異変があった。何か起こらなければいいのだけれど・・
そう思っているときに地震の速報。そして津波の映像・・・。
とても想像出来るような光景ではありませんでした。
現地の皆様は、どれだけの恐怖と悲しみと受けた事だろう・・
神戸の震災の時、私はまだ小さい子供を守ることが必死だったのを思い出した。
暫くは震度1の余震でも身体が反応、恐怖は数年間消える事はなかった。今でも怖い。
今回の震災はそれ以上、 自然の猛威・・・
私に何が出来るのだろうと、
当時、セラピストとして活動していた私は街の募金箱を見つけたら入れさせていただくことと、
当初仲間のセラピストと共同で講座・セミナーを開き、
セミナー代金を寄付させていただくという微々たる物しか出来ない自分を悔やみました。
今年4月、Osaka ArtistClubとして全国歌謡協会のお仕事もさせていただく事になり
会長より『だんじりを曳行しながら被災地へ行く』と聴いたとき、
これはすばらしいことだと思い賛同させていただきました。
私も小さい頃からだんじりを曳いていました。また娘たちも。
そして何よりも、だんじりを愛して止まなかった亡き父の思い。
だんじりのプロジェクトが決まったとき、
亡き父の仏前に供えていた笛を現在借りて娘が吹いています。
今まで仏前から動かす事のなかった鳴り物の笛。
『一番可愛がっていた孫娘がこのプロジェクトに参加する』と、
きっと父も一緒に行きたいのでしょう!
このだんじりの曳き綱、皆が持ってくれないとだんじりは動きません。
これは『皆が協力しなければ、何も進まない』と似ていると思います。
『だんじり』を被災地だと置き換えると、曳き綱を曳く人々が協力しあわないと、
また息を合わさないと復興が進まない!!
私と同じように小さな事しか出来ないと思っておられる人々の思いを
全国規模という大きな塊にし被災地の皆様に無事届けます!!
私に出来る事。
Osaka ArtistClubとして出来る事、所属アーテイストの歌やダンスで
被災地の皆様に笑顔になっていただく事。
セラピストとして出来る事、
被災地の皆様のトラウマを少しでも和らげ、笑顔になっていただく事。
曳行にかかわる方々の足・身体・心のフォローをし、誰一人欠けることなく
被災地へ向かうお手伝いをしていく事。
こんなことしか出来ないかも知れませんが、
被災地の皆様に笑顔とそして未来への希望を届ける為に!
必ず成功させることを誓います!
--------------------------------------------------------------------
5. T/M
今回のプロジェクトは私なりにかなり前向きに行動しています!
私も会長の計らいで又歌う事が出来ただけで幸せです!
ありがとうございました
私自信 もう何年も…時間無くあとが無いし…
石巻にだんじりを持って行った…
その時のメンバーに私がいた!
これだけで先祖代々伝わります!
まとまりない文ですいません頑張ります
--------------------------------------------------------------------------
6. N/O
今回のプロジェクトに声をかけていただき有り難うございます。
今まで「ボランティア」に参加の意志はあってもどこへ問い合わせて
自分に何ができるのか悩んでいる間に時間だけ過ぎて結局は
何一つ協力できなかったことが多々ありました、
そんな私と同様の思いを抱いてる人は沢山いてるはずです。
考える時間があればまず、行動しないと何も始まらないんですね、
チームの皆さんを見てそう悟りました。
今回身近なところで壮大なプロジェクトに参加でき、
このステージで思いっきり楽しみたいと思います。
一人でも多くの人に声をかけてこの企画を知ってもらい、
共感、賛同していただけるように努めていきます。
駅前等往来の多い場所での募金活動もいいかもしれません。
それから、先日お願いしましたが、
このプロジェクトをネット上どの人でもわかりやすく検索できるようにアップしてください、
お願いします。
メンバー全員志一つに知恵を出し合い苦楽を共にしてプロジェクトを成功させましょう!
成功させなくてはなりません!!
石巻へ全員で感動のゴールをしましょう!!
簡単で恐縮ですが意志表明とさせていただきます。
明日のミーティング間に合えば出席します。
------------------------------------------------------------------------
7. Y/M
私は約10年前に脳梗塞を患い、現在も左半身麻痺の大きな身体障害が残っております。
今回この「東日本被災地応援だんじり曳行プロジェクト」の話を聞いた時には
一体この私に何が出来るのかと悩んだこともありました。
しかし、こんな私でも参加させていただけると分かり少しでも力になれればと考えています。
その為には毎日このプロジェクトを成功させる事を考え行動することが
一番大切だと思っています。
とても壮大なプロジェクトで当然一人の力では成し遂げられない事だけど、
皆なが心を一つにし大義を持って頑張れば必ず道は開け多くの
賛同者、協力者が得られるでしょう。
被災地の東日本の方々を応援するには、
自分たちが行動を起こしどこの支援団体も通さずこのだんじり曳行で
義援金を集め直接被災地に義捐金を届ける事が重要だと考えています。
今の日本「政治が悪い」「教育が悪い」と言うのは簡単ですが、
どうもみんな安物の評論家の言う他人事のように聞こえてきます。
だから私自身は直接このプロジェクトに参加します。
「曳き綱を人の絆に」出来ることを信じて
------------------------------------------------------------------------
8. R
2011.3.11
こんなことが起こるのか…。
言葉にならない衝撃的な出来事でした。
あらゆるものが一瞬にしてなくなってしまう。
本当に辛くて涙が止まりませんでした。
絶対に忘れてはならないのです。
このプロジェクトが立ち上がった時、これしかない!!そう、思いました。
何も出来ない私でも、一緒に出来る事があった。
辛さを乗り越えて強く強く生きよう…と、みなさんは懸命に頑張っておられます。
しかし、しんどい思いを今もされている方々に、少しでも元気になって頂きたい。
絶対に忘れてはならない3.11を一人でも多くの方と共に
だんじりの曳き綱を曳きながら…
東北を石巻を目指して行きます!!
---------------------------------------------------------------------
9. M/T
だんじり…
私は、実際には岸和田をはじめ泉州の“だんじり祭り”を体感した事は ないのですが、
会長から だんじりの話を伺い、また 館長を始め スタッフの方から話を聞いて、
だんじりの持つ魅力‥ そして、だんじりを中心として 沢山の人が
そのだんじりと一体になり、だんじりへの一途の熱意が、
だんじりに込められている事を感じ得ました。
今回のテーマ『曳き綱を絆に!!』の大きな意味…
被災地 石巻にゴールするまで、幾万人 いや 幾千万人の人が このだんじりに携わり
この綱を曳くのだろう… 幾千万人の思いが このだんじりに込められるのだろう…
そう思うと胸が熱くなります。
岸和田→石巻…曳行スタッフに於いては特に 想像をはるかに超えた
幾難もの困難・苦難があると思います。
でも、このプロジェクトの核になる真の思いは一つ・・・
曳行スタッフも携わる全ての人々の思いが一つであれば、
その困難・苦難を乗り越える事は出来る!と思うし、一つ一つ 乗り越えていく内に
“三位一体”の力が このだんじりに加わる様に思います。
一人一人の小さな手が、人から人へと受け継がれて繋がり、
このだんじりを通しての 強い絆となり、その強い絆で結ばれた大きな愛・温もり・熱意 が
大きな架け橋になって 被災地に届くものだ!と思います。
石巻に到達した瞬間、きっと達成感を超えた 愛と勇気と感動を
身を持って実感すると思います。
そしてゴールしたその日が 新たなスタートの幕明けになると思います。
私は 微力ですが、プロジェクトの一員として、
自分なりの意識を持って活動したく存じます。
最後になりましたが、
プロジェクト参加に声を掛けて頂いた事、
今までの目標とは スケジュールの大きさも中身も違う目標を持たせて頂いた事、
共に 会長に 心から感謝しています。
------------------------------------------------------------------------
10. H
東日本復興支援プロジェクトにむけて
東日本大地震、大津波という大変な事が起きて1年3ヶ月起きた。
当初はボランティアや支援金のの話も毎日のように報道されていたのに
今は、だんだん人々の口に上らなくなり報道される事も少なくなって
人の記憶が薄れてきている今。
阪神大震災の時も皆から忘れかけられた時から
第2、第3の悲劇が起こったような気がします。
私自身もその時は刻々と広がって行く被害の大きさや
亡くなった人の数が増えていくたびに恐怖や寒気を感じていたのに
今はその時と同じ体温でいるかというとそうではなくなっているような気がします。
以前に介護の仕事をしていたことから、健康な人でも大変なのに
障害や介護の手が必要な人はもっと大変だし
その人達を支えているヘルパーさんの事などほとんど忘れられていますよね。
忘れていない人がいる事を伝えられたら、
岸和田の元気な祭り、元気の象徴である「だんじり」と
元気な歌声が届けば良いと思います。
-------------------------------------------------------------------------
11. I/S
「思い」
3.11 滋賀県能登川の麻の縫製工場に居た時です。
体験した事の無い異様な揺れを体が感じた時、いいような無い不安がよぎりました。
それも長い時間揺れてるので、おかしいと直感して、コレは南海沖地震かも、
とiPhoneを持ってる人に、
直ぐに調べて?と見てもらったら、東北の太平洋沿岸に大津波警報が出ているでは、
それから情報不足のまま
大阪に急いで戻り、電車を乗り継いでやっと帰ってテレビから流れる、
悲惨な光景に、驚愕と共に
神戸と比べ物にならんとんでもない地震だと痛感しました。
神戸の時には三宮が仕事場で、ビルが周りで、
3つ4つと横倒しになっている現地に翌日に行き、それから3ヶ月
毎日20時間の往復で救援物資を社員縁者に運んでいました。
その神戸をはるかに越える大規模地震災害、
おまけに原発のダブルパンチ。正直13日には、家族で沖縄に一時的に非難しようと、
旅行者の友人にコンドミニアムを確保してもらったぐらいです。
神戸でも正直一人の力の無力さを感じましたが。
他府県の方達の援助に心熱くくしたのを思い出します。
一人一人では何も役に立たないように感じましたが。
実際は、一人一人が思って、できることをやって行けば、大きな力になって伝わる事を、
シッカリと体験しました。
3.11は、地球の怒りが人類に向けられたものかもしれない。
地球も生きているとすればその地球を一番汚して居るのは人類ですから。
天災を受けたのかも、たまたま東北であっただけで、
天災は、世界中の何処で起こっても不思議ではありません。
そんな大災害に今回のプロジェクトの話を聞いたときに、
人間が一歩一歩目的の東北に向けてだんじりを曳航して行き、
行く先々で沢山の人の思いを詰め込んで向かってい行く
とても大きな力を届けられる凄い思いを形にした行動だと思いました。
正直岸和田以外の我々の思いは、
岸和田の人たちとは少し温度差はあるかも知れませんが、
現実行動を起こせば、一歩一歩一日一日多くの思いが積み重なり詰まって行き
凄いモノになると言う事は、リアルに想像がつきます。
このプロジェクトで、私自身は何が出来るんだろうか最初はピンと来ませんでしたが、
述べたように日々考えていると、だんじりを曳航する人たちの環境を少しでも
良いモノにするアンダーウエアやグッズを考えたり作ったりできるなあ!
動かない体の変わりに出来る事は沢山あることに気付きました。
やりましょう。遣りましょう。一人一人の思いを詰めた「だんじり」を必ず目的の地まで!
着いた時には、同時に沢山の思いが絆に成り、そこから多くの事が、
新しく始まる希望の絆になる事を、大いなる期待にして。
--------------------------------------------------------------------
12. M
『自分の出来る事』
会長は予てから「いつかだんじりを買う」と語っていた。
自分の夢だとも語っていた。
それが、ここにきて急にだんじりを買ったとの連絡が入った。
連絡の入った当初はステージの演出に使用するのだろう位にしか思ってなかった。
しかし会長は、「このだんじりを曳いて東日本大震災の被災地まで行く」と
熱く決意を語った。
会長の「だんじりを曳いて被災地へ行く」という言葉で目が覚めたような気がした。
震災が起こった当時は被災地の知人の安否が気になり色んな所に連絡を
取ったりもしたが震災から一年が経過した今、3.11を忘れかけてる自分が
居たのかもしれない。
自分に何が出来るのか真剣に悩んだ時期もあった。
義捐金を送るにしても残念ながら有り余ったお金は持ち合わせていない。
せいぜいコンビニでのお釣りをボックスに入れる位しか出来ない。
被災地に行きボランティア活動をするにもこの体力では邪魔になるだけ。
そんな想いを被災地の知人に話す機会があった。
その時に帰ってきた言葉は
「3.11を忘れていないという思いだけで被災地の人間は頑張れる。
色んな事を自粛するのでは無く普通に生活できる人は普通にしていて欲しい。
そして笑顔や元気を私たちに少しでも分けて欲しい。」
そんな感じの言葉だった。
その時に3.11を忘れることは絶対にしまいと思った。
そう思ったつもりが忘れかけていた自分が居る事に会長の言葉で気付かされた。
今回のプロジェクトに参加することによって自分には何が出来るのか試してみたい。
何もしないより行動したほうがいいに決まっている。
復興どころか復旧もまだまだの被災地。
その被災地の方々の励みに少しでもなればという想いで今回のプロジェクトに
参加致します。
私と同じ様に自分には何が出来るのかと悩んでいる人が居たならば
『曳き綱を絆に』
を合言葉に是非とも一緒に参加して欲しい。
そして『3.11を決して忘れない』と心に誓います。
-------------------------------------------------------------------------
13. M/O
東日本大震災から一年が経ち
復興の兆しが見え始めている地域もありますが、
今なお震災前の生活に戻れない方々が沢山おられます。
政府の政策~対策も思うほど進まず、国民の意識も薄れていく中で、もう一度復興に対する
意識を、再確認してもらうためにも、このプロジェクトは素晴らしいものです。
しかし、このプロジェクトを実現するには多くの問題があると思われます。
賛同して下さる方々の思いを無駄にしないためにも、しっかりとした準備、計画が必要です。
問題点を的確に考えてこそ、最終地点の石巻まで、全国の思い願いを届けられると信じており
ます。
被災地に対しての国の考えには、多くの疑問点がありますが、そのような事ばかり考えても仕
方ありません。
このプロジェクトを通じて、国が出来ないこと、本当の真心を被災地まで届け、人と人との絆を
しっかりと結び、早期の復興を願っております。
曳き綱を絆にの言葉を胸に~
----------------------------------------------------------------------
14. Y/S
「だんじり曳航ビッグプロジェクト」への思い
僕は関西(大阪市内)に生まれ、住んでいますが
、
今まで「だんじり」についてあまり知っていませんでした。
もちろん、友人は岸和田にもいるので、
「だんじり」を観客として“観た”ことはありますが、
自分がまさか当事者として“関わる”ことになるとは考えたこともありませんでした。
しかし今回、ご縁があってこのプロジェクトに参加させていただき、
自分の本職である“イベントの企画・制作及び運営・進行”の
スキルがきっと役立つのでは、と思っています。
僕個人としては、東日本大震災があった昨年より、
神戸ポートアイランドで毎年開催されているロックのビッグイベント
「カミングコウベ」で『05:46(阪神大震災が発生した
時刻)→14:46(東日本大震災が発生した時刻)』
つまり「神戸から東日本に向けての思い」を刻印したリストバンドを
販売するボランティア活動をイベント仲間と企画・参加し、
売上をすべて寄付しています。
昨年・今年で300万を越える額を寄付することが出来ました。
でも、まだまだやりまっせ!まだまだできまっせ!
事故なく、誰一人の落伍者なく、このビッグプロジェクトを成功させることが出来るよう、
微力ですがお手伝いさせていただこうと考えています。
-------------------------------------------------------------------------
15. MOYAN
東日本被災地応援プロジェクトへの思い
3月11日にテレビを見ていて、地震速報が入り、
津波が押し寄せる場面が流れていた事を未だに忘れずにいます。
自分自身テレビを見ながら現実とは受け止めにくく、テレビの中の世界に
感じていました。
少しづつ事の重大さが解ってきたが何も出来ず何をして良いのか?
解らないまま、ただ毎日が何もせずに過ぎて行きました。
それから数ヶ月、僕の地元でも水害に会い、
ニュースを見て驚き、水をポリタンクに詰め持てるだけ持って
地元へクルマを走らせました。
自分の育った町が災害に襲われるなんてと、
夜は人は居るのに静まりかえりサイレンの音が遠くで山に響いて、
淋しく悲しく立ちつくしたまま涙しました。
その時に東日本の人はもっと大変なのだと思いが出てきましたが、
それでも何も出来ず何をして良いか解らないままでした。
ある人から何をして良いか解らないのは当たり前だと、
光の浴びかたを知らない者が光を浴びせる事は出来ないと、
その言葉を聞いた後に、六虎会長が提案してくれた
東日本被災地応援プロジェクト!
僕に光を教えてくれるのは、このプロジェクトと六虎会長、
そしてこれに参加するボランティアスタッフ達だと。
以前から六虎会長が話してくれてた事を思い出しました。
出来る事だけで良い、無理をせず大きな事を考えず一人一人の力が
大きくなるからと。
このプロジェクトがまさに一人一人の力が合わさり大きくなる
瞬間で有り、
自分も参加出来る位置にいる事を大きく幸せに感じた時です。
是非共このプロジェクトに参加し元気を一人一人の力を
東日本の人達に届けたいです。
そしてこれからも光の浴びかたを知り、3・11を忘れない為に
人から人へ伝えて行きたいです。
-----------------------------------------------------------------------
16. H/N
私は栃木在住の者です。
昨年3月11日震災の時、私は娘と市内のスーパーで買い物中でした。
ズンと下からこみ上げてくるような揺れ、とっさに娘を抱き寄せる。
店から出ようとしたが揺れが大きくその場から動けない。
棚から商品が落ちて店内が崩れてゆく中、壁に視線を向けると、
揺れに合わせて大きくしなり亀裂が入り、壁と天井の間に30cm程のすき間が見えた時には、
娘を懐に抱え込み『大丈夫、大丈夫だから』と言い聞かせるように繰り返していました。
やがて揺れが収まり店を出て家路に向かう途中、頻繁におこる大きな余震は
車の運転が損なわれるほどでした。
TVで流れる惨事がどんどん大きくなり、娘は恐怖でパニックを起こすようになりました。
このままでは娘が壊れてしまう、子供達が安心出来る場所に行こうと決め、
16日に子供二人猫6匹を連れ西に向かい車を走らせました。
この時お世話になったのが六虎会長です。
事務所を貸して頂き、生活備品を揃えてくださいました。
震災後は怖くて布団で眠ることが出来ず、いつでも外に出られるよう普段着のまま、
TVの前でニュースをチェックしていました。
5日ぶりに安心して布団の上で眠る事が出来ました。
その後、娘も次第に落ち着いてきたので栃木へ戻る事にしました。
六虎会長には本当にお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。
栃木に住む私達でもこの様な恐怖に脅えていたのです。
福島、宮城の方々の事を考えると胸が潰れそうになります。
自分に出来る事は何かないかと思いつつ、何も出来ずに今に至っていました。
六虎会長は昨年の震災直後も、政府やボランティアの在り方へ
疑問を訴えていらっしゃいました。
その六虎会長が今回壮大なプロジェクトを計画していると聞き、
優しく大きな心をお持ちの六虎会長らしいと感動しました。
私に出来る事があれば是非ともご恩返しをしたい。
被災地に全国の皆さんの想いを届けたい。
そんな気持ちで今回のプロジェクトへ参加させて頂きたいと思っています
-----------------------------------------------------------------------
「東日本復興プロジェクトへの想い」
六虎倶楽部詰所館長 中西慎司
昨年のだんじり祭りで脳梗塞で倒れ、二度に渡り救急搬送されましたが
強運が重なり奇跡的に命が助かりました。
これも祭礼関係者や葛城病院のドクター、スタッフ、リハビリの先生、
福祉担当と多くの人達のおかげです。
意識が戻った時、まだちゃんと言葉が喋られなかったし手の指も動き辛い状況でした。
何本もの点滴に24時間、繋がれていました。
祭りが終わった次の日に青年団団長、若頭、自町の祭礼関係者が
駆けつけてくれました。
まだ安静中だったのですが車椅子に乗って点滴をぶら下げたまま
病院のフロアーまで出て行き皆と会いました。
その時も病衣では無く法被を着て皆と会いました。
何か喋ろうとしても言葉がうまく出ず「ありがとう」と言うのがやっとでした。
青年団の皆の顔を見ると嬉しくてとめどなく涙が溢れてきて止まりませんでした。
団長は「来年の祭りには必ず帰ってきてまた交差点に立ってや!」と言ってくれました。
それからリハビリ棟に変わって法被に地下足袋姿でリハビリステーションに行き
人目も憚らずだんじり祭への復活の想いだけで頑張ってきました。
背中に町の名誉を背負いただひたすら頑張り続けました。
外来の人や入院している人達は法被に地下足袋姿の私を見てびっくりしていました。
おかしな人が入るなあと皆、思っていたそうです。
そのうち外来の人や入院されてる人から
「あんた見てたら元気になるわ」と
声を掛けてくれるようになり色々な人達と話をするようになりました。
おじいちゃん、おばあちゃんが「私らも若い頃はだんじりを曳いてたんやで。
今でも太鼓の音を聞いたらわくわくするわ」と嬉しそうに言っていました。
そのうちひょんなきっかけからだんじりの絵を書くようになりました。
病院の売店に行った時に売店のおばちゃんから
「そんなにだんじりが好きやったらだんじりの絵でも書いてみたら?」
と言われ売店に貼ってあっただんじりのカレンダーをくれました。
はじめは「こんなん難しくて書かれへん」と思ったけど
指のリハビリにもなると思い書き始めました。
病院の談話室などで絵を書いていると入院している人が
「私にも書いて欲しい」という事になり、それが口コミで広がっていったのです。
おじいちゃんやおばあちゃん、それに子供さんが自分の書いただんじり祭の絵で
少しでも元気になってくれるのならと思い、今も書き続けています。
退院してからも外来で病院に行った際はリハビリステーションには必ず立ち寄ります。
そしてぬり絵用に書いただんじり祭の絵をリハビリを頑張っている方の為に
お世話になった御礼として持って行ってます。
リハビリの先生も「喜んで使わせてもらいます」と言ってくれます。
その後、知り合った人から関西歌謡協会 六虎倶楽部のコンサートのチケットを
貰い観に行きました。
これが六虎倶楽部の人達との出会いでした。
コンサートを観て「この人達は歌で人を元気にするんや」と深く思いました。
自分もだんじりの絵で人に感動を与え少しでも元気になって貰えたらと思っていました。
後に東日本復興応援プロジェクトの話を聞き、
自分が生かされた意味、やらなくてはならない事はこれやと直感で思いました。
六虎会長とは運命的な出会いの様な気がしてなりません。
やらぬ間からそんなんどうやって出来るんやとか
何かを始めようとすると人は好き勝手な事を言います。
時限の低い話やと思います。
自分達は東日本大震災で親を亡くした子供や悲惨な目に遭った人達に
このプロジェクトにより少しでも元気になってもらい決して諦めないという気持ち、
折れない心をだんじりを曳いて東北まで行くという事で伝え多くの人々のおかげで
助けていただいた命を今度は好きなだんじりを曳いて東北に向け、
志願兵として出発したいと思います。
これが幾重にも強運が重なり生かされた事の意味だとも思います。
物心ついた時から太鼓の音を聞いて育ち、だんじり祭によって命を助けられた私の
これが東日本復興応援プロジェクトへの想いです。
これが私のだんじり浪漫です。