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安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 1/2

SYNODOS JOURNAL

2012年09月29日 11:00


アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代
アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代
著者:児玉 真美
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尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。

「おぞましいこと」は本当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、本当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分に承知していながら、なおかつそれらをこの人は「おぞましい」とは思わない、ということなのだろうか? ……目の前の議論から脱落し、そこに立ち尽くしたまま、私の頭はこだわり続けてしまう。

 2006年の夏から、インターネットを使って介護と医療に関連する英語ニュースをチェックするのが日課になっている。最初は単に仕事のための“ネタ探し作業”だったのだけれど、アシュリー事件と出会ったことから事件を追いかけるためのブログを立ちあげると、“ネタ探し作業”が一気に“本業”になってしまった。

アシュリー事件とは何か


アシュリー事件とは、米国のシアトルこども病院で04年に重症重複障害のある当時6歳の女の子アシュリーから子宮と乳房が摘出され、ホルモン大量投与で身長の伸びが抑制されたもの。両親が「アシュリー療法」と名付けたこの医療介入の倫理問題をめぐって、07年に世界的な論争が巻き起こった。

私にはアシュリーと同じような障害像の娘がある。「介護をしやすく」「本人のQOLのために」「赤ちゃんと同じ重症児に尊厳は無用」などの議論に衝撃を受け、事件やその周辺の議論を追いかけてきた。事件については昨年『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新優生思想の時代』(生活書院)として取りまとめたところだ。

この事件を追いかけた年月、私はアシュリー事件という小さな窓を通して、世界が自分の想像をはるかに超えるコワい場所であることを発見し続けてきた。いつのまに世界はこんなにコワい場所になっていたのだ……と、呆然とすることの連続だった。その思いは、ブログを始めて6年が経った今も強まるばかりだ。
「おぞましい」と感じるかどうかは個人の感性によって違うかもしれないけれど、そのコワい世界の現実の中から、「死の自己決定権」議論(安楽死または自殺幇助合法化議論)の周辺で起こっている出来事の一部を紹介したい。なお、それぞれの情報の元記事は拙ブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara)の当該エントリーにリンクされている。

世界同時多発的に加速する議論


私が英語ニュースのチェックを始めた2006年の段階で、安楽死または自殺幇助が合法化されていたのはオランダ、ベルギー、米国のオレゴン州だった。その他に、後述するように特異な状況にある国としてスイス。

その後、「死の自己決定権」を求める議論は野火のような勢いで世界中に広がり、09年に米国ワシントン州、ルクセンブルクが相次いで医師による自殺幇助を合法化した。米国モンタナ州でも09年の大みそかに、終末期の患者への医師による自殺幇助は違法ではないとする最高裁判決が出た。それまでに合法化した国や州とは異なり、新たな法の枠組みを作ることなく現状のままで違法ではないと判断するものだった。

その後も、最終的に否決されてはいるものの、いくつもの国や州で議会に合法化法案が提出されてきた。日々のニュースを拾い読みしていると、どこで何が起こっているのだったか混乱するほどに、世界同時多発的な動きが加速している。今年に入ってからも、6月にカナダのケベック州最高裁から、自殺幇助を禁じる刑法は憲法違反だとの判決が出たし、米国マサチューセッツ州では、11月に医師による自殺幇助合法化への賛否を問う住民投票が予定されている。

いずれの国または州でも、合法化を支持する論者は正当化論の基盤を「死の自己決定権」に置き、十分なセーフガードを設けることによって、なし崩しに対象が拡大されたり、高齢者や障害者など社会的弱者に不当なプレッシャーがかかることはない、と主張する。しかし、合法化した国や州から流れてくるニュースを読んでいると、その主張は様々な事実によって既に否定されているのではないか、とも思えてくる。

“宅配安楽死”が稼働するオランダ


例えば米国オレゴン州では、がん患者に対して「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める」という趣旨の通知が届く、というのはよく知られた話だろう。オレゴン州とワシントン州の保健省は毎年尊厳死法を利用して自殺した人に関するデータを取りまとめて公表しているが、それらのデータから見えてくるのは、本来ならセーフガードで食い止められるはずの終末期ではない人や精神障害者に致死薬が処方されている、限られた医師が多数の処方箋を書いている、処方すれば後は放置で患者が飲む場に医療職が立ちあっていない、などの実態である。

うつ病で「死にたい」と言ってきた人に対して、治療する方向に対応するのではなく「ああ、そうですか。死の自己決定権を行使したいのですね」といって致死薬を処方している医師がいるのだとすれば、法的にも倫理的にも重大な問題であるはずなのだが、両州の保健省は問題視する姿勢を見せない。

一方、オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関が存在しないという。そのため、今年2月にオーストラリアで休暇中に事故で脳損傷を負った同国の王子は自国ではなく英国に運ばれ、現在も意識不明のままロンドンの病院で治療を受けている。安楽死が合法化された国に一定年齢以上の脳損傷を治療する医療機関が存在しない、というのは一体どういうことを意味するのだろう。

またオランダでは去年3月にナーシング・ホームで暮らしていた認知症が進行した高齢の女性に積極的安楽死が行われている他、今年3月からは「起動安楽死チーム」が稼働している。安楽死を希望しても応じてくれる医師が見つからないという患者のために、医師と看護師のチームが車で駆けつけて自宅で安楽死させてくれる。いわば“宅配安楽死”制度だ。これが保健省の認可を受けて、現在6台稼働している。オランダ国内ならどこへでも行くという。運営しているグループは、今後は台数を増やすと同時に、もう生きていたくないという高齢者なら、たとえ健康であっても安楽死を認める法改正を求めて運動していく、と言っている。

囚人の「安楽死後臓器提供」?


もっと衝撃的なのはベルギーだ。05年から07年にかけて「安楽死後臓器提供」が4例行われたことが、09年の移植医療の専門誌で報告されている。安楽死を希望する人が同時に臓器提供も自己決定したとして、レシピエントが待機した隣の手術室で安楽死を行い、心臓停止を待って臓器を摘出したという。論文の著者らは学会発表した際に、既にプロトコルができていることを明かした。さらに安楽死者のうち約2割を占める神経筋肉障害の患者について、彼らの臓器は比較的「高品質」であり、これらの安楽死者はベルギーにおける臓器不足解消のために利用できる「臓器プール」だ、とも述べている。

安楽死が臓器提供と繋がっていく懸念について言えば、10年に英国の生命倫理学者のドミニク・ウィルキンソンとジュリアン・サヴレスキュとが「臓器提供安楽死」を提言している。安楽死も臓器提供も自己決定するなら、提供意志を無駄にしないためにも生きている状態で臓器を摘出するという方法で安楽死してもらってはどうか、というものだ。ベルギーの「安楽死後臓器提供」をさらに一歩進めたものと言えるだろう。こちらはまだ現実には行われていないだろうけれど、ベルギーの現実を思えば「安楽死後臓器提供」から「臓器提供安楽死」までの距離は、実際のところ、どれほどあるものなのだろう。

また、つい最近、ベルギーでは長年収監されてきた囚人に安楽死が行われていた事実も明らかになった。安楽死法に規定された要件は満たしているので問題はないとされ、むしろ政治家が表に出したことで囚人のプライバシー侵害の方が問題視されているというのだが、果たして安楽死法が囚人に適用されることの倫理問題はどのように議論されたのだろう。

私がこのニュースを読んで思いだしたのは、米国オレゴン州の死刑囚から処刑後に全身の臓器を提供したいとの要望が出ている、という去年3月のニュースだった。この時、臓器提供を望む声を上げた死刑囚は、ニューヨーク・タイムズに寄稿した記事で「自分の死後に自分の体をどうしたいかを自分で決める権利を奪わないでほしい」と書いた。彼はその段階で既にオレゴン州の死刑囚35人の大半とコンタクトをとって約半数から臓器提供希望の意思を確認しており、さらに死刑囚にも臓器提供を呼びかける活動団体を立ち上げていた。

ベルギーで法律上問題なしとして囚人への安楽死が行われているとしたら、その囚人が同時に臓器提供を望む場合には「安楽死後臓器提供」も行われる可能性があるのではないだろうか。そして、それも囚人のプライバシーを理由に公にはされないのだとしたら、そこにはやはり慎重に議論すべき重大な倫理問題があるのではないか。

スイスは「自殺ツーリズム」のメッカ


病院やナーシング・ホームでも自殺幇助の希望があれば専門職はその希望を尊重すべきだと決めたところもある。スイスのヴォ―州だ。今年6月の住民投票で新法の制定が決まった。新法施行後には、病院と施設のスタッフには自殺幇助希望者の意思を尊重する義務が生じる。条件は、不治の病または怪我を負っていることと、自己決定できるだけの知的能力があることの2点。この条件がどれだけ幅広い病状や障害像の人を対象に含んでしまうかを考えると、暗澹とする。また、これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセンティブは、もはや働かないのではないだろうか。

スイスはもともと、自殺に関する法律の解釈から、自殺を希望する人に毒物を飲ませて死なせてくれる民間団体が合法的に活動している特殊な国である。スイス在住者を対象にした自殺幇助機関のほかに外国人を受け入れるディグニタスという組織があり、世界中から希望者が訪れる「自殺ツーリズム」のメッカとなっている。08年には事故で全身マヒになった23歳の英国人青年が「2流の人間」として生きて行くのは嫌だと言って、両親がディグニタスに連れていって自殺させた。翌09年には健康な高齢男性が「妻を失っては生きていけない」といって、末期がんの妻と一緒に同じくディグニタスで自殺している。ディグニタスを運営する元弁護士のルドウィッグ・ミネリは、死にたいと希望する人には無条件に「死の自己決定権」が認められるべきだとの持論の持ち主である。

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