● 歴史の教訓から学ぶ政治の責任

 多くの国民は、それまでの自民党政治に行き詰まりを感じ、先の総選挙で民主党に新たな国づくりを託したはずです。それなのに国民の期待に十分に応えられているとは言えません。民主党への不満はすでに限界を超え、政治に対する不信感はつのる一方です。民主党副代表としてはもとより一人の政治家として大変に申し訳なく感じています。与党民主党は当然のこと、今ほど政治全体の責任が求められている時はありません。この状況を真摯に受けとめなければなりません。
 江戸末期の1853年(嘉永6年)、浦賀にペリー提督率いる黒船が来航し、徳川幕府は開国を迫られました。また、昭和に入り日本政府は当時の逼迫した経済状況などから無謀な第2次世界大戦へと突き進んでいきました。その時々の時代背景と国の状況によって、この国のあり方は大きく変わってきました。
 そして今、激変する世界情勢の中、大震災からの復興と内外の厳しい経済環境、また、少子高齢化社会に日本がどのように立ち向かっていくのか、揺るぎない強固たる政治姿勢が求められていることを歴史の教訓から学び取らなければなりません。今の日本は黒船来航や第2次世界大戦の時の状況に似ています。政権交代が実現した今こそ、右往左往することなく強いリーダーシップの下、国民の期待に応えていくことが政治の責任です。
 残念なことに今の日本では政治の弱点が浮き彫りになっています。これは自民党政権が連綿と続けてきた古い政治のツケ回しでもあり、その影響を直ちに拭い去ることはできません。また、ねじれ国会の状況を政局に利用し、すべての法案をまず反対ありきで国会審議に臨んでくる野党の姿勢にも問題はあります。しかし、与党である以上、かつての自民党政治や国会での野党の対応を批判するだけでは何の解決にもなりません。
 現状のように与野党が互いに揚げ足取りを続け、政策よりも政局を優先していては日本の将来は真っ暗です。こうした膠着状況を打破する動きとして新党構想が持ち上がっています。前に進まない政治状況に不満を持った国民は新しいものを求め、その目は新党に向かいがちです。しかし、参議院の状況を考えれば新党が生まれたとしてもねじれ国会は解消せず、むしろ政治の流動化と混乱に拍車をかけてしまう懸念があります。各政党、各政治家とも「国家国民が第一」であることを再確認し、政党の立場を乗り越えてでも政治の責任を果たすべきです。
 戦後、目覚しい高度経済成長を遂げてきた日本が今はマイナス成長に陥っています。残念なことにこの間、政治は有効な対策を講じることができませんでした。借金の穴埋めを国債で肩代わりしてきたために膨らみ続けた赤字国債。その利払いも年々雪ダルマのように増え続けています。こうした借金を膨らませ借金に頼る財政体質が自民党政権時代につくりあげられてきたことも事実ですが、民主党にも党としての責任ある対応が迫られています。あらためて言いますが、政治家は国と社会に責任をもたなければならないのです。
 失われた10年、20年と言葉だけが先走っています。なぜこのようなことが言われているのか。少子化が進み、高齢化社会になることは前から分っていたことです。しかし、与野党を含めた政治が必要な対応を怠り、明確な成長戦略も打ちだしてこなかったことが今の状況を招きました。これでは政治が国民の暮らしを守るための責任を担ってきたとは言えません。日本社会が今どのような状況に置かれているのかを、与野党に関係なく政治家として直視し、現状を正しく国民に知らせていくべきです。
 昨年3月11日、日本は大震災に見舞われました。「東日本大震災の復興なくして日本の再生なし」の姿勢で、国家国民一丸となって復興活動に取り組んでいます。しかし、またいつ大地震に襲われてもおかしくない状況にあるのが日本列島です。常日頃の備えが必要なことは言うまでもありません。
 遡れば、日本はこのわずか20年たらずの間に阪神淡路、新潟県中越など甚大な被害をもたらす数々の震災に見舞われてきました。振り返って政治がその時々にどのように対応してきたのか。今後に備えるためにも問題検証をしていかなければなりません。
 災害は忘れた頃にやってきます。教訓は歴史から学べと言われます。このことをしっかりと肝に銘じた政治が必要になっています。

● 疎かになってきた政治責任

 1970年代半ば以降、子どもの合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの数に相当)は下がり続け、少子化の時代が必ず訪れることがわかっていながら、自民党政権は少子化対策に本腰を入れてきませんでした。
 同時に高齢化社会になることもわかっていたことです。これに対する十分な手当もしていなかったことから今の少子高齢化問題が生じています。政治が国民の安心な暮らしを守るための社会的責任を果たしてきたとはとても言えません。
 マニフェストでお約束した民主党の子ども手当はバラマキと言われて打ち切られてしまいました。野党は声を揃えて愚策と批判し政局に絡め、マスコミも「バラマキだ」と煽って、効果よりもマイナス面だけが強調されてしまいました。確かに賛否両論はありますが、国民の多くが少子化対策に役立つと期待したことは間違いありません。
 子供手当は打ち切られましたが、子育てを社会全体で支えようという理念は堅持しています。高校の授業料や教科書の無償化についても、中学校の進路指導教官からは「進学率がアップした」との言葉をいただいています。これまで見過ごされてきた部分に大胆に切り込むことで、遅ればせながら自民党政権とは違った抜本的な少子化対策への第一歩を踏み出すことができたと思っています。 国の行く末を担う子供を育てるための政策を政局絡みにするべきではないし、国民の暮らしを人質にとるような国会運営は絶対に許してはならないのです。
 このままの状態が続けば、子供はますます産まれなくなり確実に人口が減ります。一方で60歳以上の人口が占める割合は大きくなり続けます。確実にわかっていることはこれくらいです。それを、50年後、100年後の経済はどうなる、消費税はどうなる、年金はどうなると言っても、それ自体が不明確です。分かるのはせいぜい10年後、15年後くらいまでです。
 小泉総理(当時)の時には、「100年安心の年金制度」とまで謳って国民の老後の安心を約束しました。しかし、どうでしょう。安心どころか大変なことになっています。先のことを言うのなら「福祉国家日本をめざす」くらいしか言えないのが実態です。「このままでは大変なことになる」と不安材料だけを強調し、国民に闇雲に恐怖感を与えることは、今の政治家の社会に対する、そして政治に取り組む責任感が希薄であることの証しとも言えます。

● マニフェストの実行と限界

 以前、「公約なんて守らなくてもたいしたことではない」と、小泉総理が無責任な国会答弁を口にしたことがあります。これではいけないと民主党が取り組んできたのが議会制民主主義政治に欠かせないマニフェスト選挙です。しかし、政権交代後の世界経済の激変などによって、その前提が大きく揺らぎ公約の実現が難しくなってきてしまいました。
 2年前の参院選挙では民主党が大敗して衆議院と参議院とでのねじれが生じてしまったことも、マニフェスト実現の前提となる予算や法案の成立を厳しい状況にしています。マニフェストに掲げた子ども手当や公務員の給与削減案も、野党の反対で結果的に公約を果たせずにいます。こうした状況が民主党政治への国民の失望感と政治責任を果たしていないとの批判を大きくしています。現実を謙虚に重く受けとめていかなければなりません。
 今のような連立政権の時代にあっては、単独政党が掲げるマニフェストについて、その実現性から疑問視する声も聞かれるようになってきました。マニフェスト絶対重視の選挙を実践しようとするなら、選挙前から連立相手を明らかにし連立政党間でのマニフェストを作成するなど、今後、検討すべき課題が数多く生じてきています。これからは政治の責任を果たす上で、これらの課題を明確に提示していかなければなりません。
 また、状況の変化によっては、国民の利益になることであればマニフェストの見直しや先送りも含め、マニフェストで触れていないことであっても成すべきことは大胆に踏み込んでいかなければなりません。もし、国民が望むことであるならば、それに応えるのも政治の責任です。
 民主党が掲げたマニフェストが野党からは「バラマキだ」、「公約違反だ」と批判されていますが、かつての自民党政権と比べても、公約への取り組みは遥かに誠実であり、実現しているものも多くあることはあまりに知らされていません。高齢化社会、小児・産婦人科、地域医療への対応など、医師不足解消のための診療報酬アップもそのひとつです。民主党はもっと積極的に広報すべきです。またマスコミに対しても、できないことばかりを声高に取り上げずに、実現した公約をもより大きく取り上げるよう望みます。その方が国民心理にはプラスに作用するはずです。
 「コンクリートから人へ」を掲げて政権交代を果たしてから7ヶ月目の2010年4月、毎日新聞はマニフェスト実行度を取り上げました。この時点で既に公約対象178項目中、着手した政策は151項目(約8割)。達成した政策が34項目(約2割)になることを報じました。その後は達成困難なことばかりが大きく報道されるようになってしまいましたが、自民党政権当時と比べて教育・子育て、介護、医療など、社会保障政策を中心に国民の暮らし重視の政策へと公約通り着実に方向転換しました。そしてその流れが今も微塵も変わっていないことをマスコミはもっと報道すべきです。

● 税と社会保障の政治責任

 税と社会保障の一体改革は、政治の説明が十分にされず、またマスコミも消費税増税だけを煽りたてることで増税のイメージだけが独り歩きするようになってしまいました。日本は世界一の長寿国家であり、世界有数の少子化と人口減少という問題を抱えています。この現実を直視し、年金・医療・介護・子育ての全体像をとらえて、与野党が政党間の垣根を超えて取り組んでいかなければなりません。しかし残念ながら、国民に対するこうした実態の説明が不十分です。増税論だけではないことを国民に正確に伝えることも政治の役割です。
 現在5%の消費税で約12.5兆円の税収となっています。このうち地方分は2・5兆円、国の分は10兆円です。そのうちの3兆円は地方交付税に使われていて、最終的に国の手元に残るのは7兆円です。これに対する年金・医療・介護などの社会保障費には26兆円が必要とされ、約20兆円が不足する計算になります。
 今、消費税の増税案は社会保障と税の一体改革が前提で進められています。国民は今後5%の消費税増税で社会保障制度の抜本改革が行なわれるものと期待しました。ところが実際には、増税分は増大する赤字の穴埋めに使われるのであり、社会保障費を賄うには、さらなる消費税アップが必要になると突然示されました。このことで、国民は騙されたと感じ政治不信をいっそう強める結果となっています。
 民主党では2014年の4月に8%、15年10月に10%という増税案を示し、それまでは消費税は上げないとしています。しかし、消費税がすぐにでも上がるかのような増税論議ばかりが先走り、政策よりも政局絡みで国会運営が展開されている状況です。社会保障と税の一体改革については与野党が協議の場をもって、具体的な道筋を明らかにすることが大切です。政策実現には正確で包み隠さぬ説明責任が政治に求められていることは言うまでもありません。
 今焦点となっている10%への消費税増税は社会保障制度の抜本改革につながり、さらには将来的に国の財政再建を目指すものとなっていかなければなりません。財政再建を進めていくには、増税よりもまずは歳出削減を先行していかなければ国民の増税への理解が得られないのは当然です。
 会計検査院の報告により、国費のムダや不正経理などが明らかになりました。また事業仕分け、政策仕分けでも予算のムダが指摘されています。しかし、明るみに出ているのは氷山の一角にすぎず引き続き政治の責任で税金のムダ遣いをただしていかなければなりません。
 日本は役人天国と言われてきました。残念ながらその時代が未だに続いています。天下りの隠れ蓑となっている特殊法人と独立行政法人はスクラップ&ビルドでゼロから見直すべきです。これは11年前の省庁再編にあわせた特殊法人改革以来の私の念願であり、今これを実行しなければ日本の再生はあり得ないと思っています。また、国会議員の定数削減は国民との約束であり歳費の削減も必要です。さらにはバブルの崩壊以降、官と民との給与格差は広がる一方です。格差是正のための公務員の給与削減法案も、削減期限(2年間)を取り除いた上で断行しなければなりません。
 残念なことに、これらの行政改革達成に向けられる国民の視線は懐疑的であり、「どうせできない」との声も聞かれます。政治の責任として石にかじりついてでも実現しなければなりません。また、増税に関しても国会議員や公務員への歳出削減が実行に移されないかぎり、踏み切ることは政治の責任として許されません。

● 新成長戦略の実現こそ政治の責任

 膨らみ続ける国の借金は、今や欧州の財政危機を対岸の火事と傍観できなくなるほど深刻です。景気対策を前提に、現在の行き過ぎた円高に対して当面1ドル80円台に、成長率も2〜3%台へと政府、日銀は明確な目標値を掲げ、日本企業の海外流出を防ぐ対策を早急に講じていかなければなりません。このままでは国の財産として守るべき特許も技術も人材も失われてしまいかねません。
 また、未曾有の大震災、それに伴う原子力発電所事故は、かつて経験したことのない国難となって国家・国民の暮らしに物心両面で重くのしかかっています。
 国策として進められてきた原子力政策は、事故は絶対に起きないものという前提で原子力発電所の新・増設が進められてきました。原子力発電が日本経済を世界第2位にまで押し上げた面もあり、また、安定した電力供給によって私たちの日々の暮らしを快適なものにした功績もあります。しかし、なによりも優先しなければならないはずの安全確保や危機管理体制がいつしか疎かにされてきたことが、今回の事態を招くことになってしまいました。
 地元の方々にとっては裏切られたとの思いでいっぱいだと思います。多くの政治家、とりわけ被災地の出身議員は必死の思いでその対策に奔走しています。私も、何度も官邸に足を運び菅総理(当時)に地元からの要望を直接伝えました。しかし、菅総理は対策本部やチームを数多く立ち上げるばかりで、却って救援・復旧作業が遅れてしまいました。
   国家存亡の危機に直面した総理のあり方として「最後の責任は俺が取る」と全大臣が一致結束して事故対策に取り組むべきでしたが、残念ながらその覚悟は感じられませんでした。
 それでも私は関係閣僚のもとを幾度も訪ね、早急の対策をお願いするとともに地元の要望を伝えてきました。にも関わらず政府の対策は常に後手に回り、政治がその責任に対して最善を尽くしてきているとは言い難い状況が続いています。
 原発事故が再生可能エネルギーと環境政策を加速させる転換点となりましたが、これを活かすも殺すも政治の責任です。今後、新たなエネルギー・環境政策を含めた国が目指すべき新成長戦略の実現が日本再生の大きなカギを握ることになります。

● 環境・エネルギー政策

 環境・エネルギー問題についても私は2010年以降、太陽光発電の問題を含めた提言を行なってきました。環境に優しく、安全・安心の自然エネルギーを重要視していかなければなりません。北海道から沖縄まで、日照時間や条件の違いを考慮しながら、全国に張り巡らされている高速道路や鉄道網を利用して太陽光パネルを設置し、光だけではなく熱を吸収し利用する計画を立ました。これが「太陽光パネルハイウェイ構想」です。設置にかかる費用の土地代が節約でき、そこにはエネルギーの無限な可能性が生まれてくると思っています。
 原子力発電がダメだからと太陽光だ、風力だ、再生可能エネルギーだと言われます。しかし、これらが賄える消費電力は現状では全体のせいぜい1〜2%程度です。30%を占める原子力発電をカバーするには国をあげての取り組みが必要です。ただし、これに置き換わろうとする新エネルギーについては基礎学問がしっかりとしていなければ、原子力発電事故の二の舞になってしまう恐れもあります。たとえば、風力発電では騒音や低周波などの問題があり、設置条件も厳しく限定されます。また、一般住宅の屋根に補助金を出して太陽光パネルを設置するにしても、古い木造住宅で大丈夫なのか、確かな重量計算が行われるのか、耐久性を高めるための費用はどうなるのかなどの説明が絶対的に不足しています。原子力政策と同様に、こうした点での見極めも政治の責任として捉えていかなければなりません。細かいようですが、国民のための政治の責任とは、どこまでも細部にわたった配慮が必要になってきます。原子力の30%を補う新たな代替エネルギーとして普及させていくためには、早期に解決していかなければならない問題です。

● TPPへの交渉参加

 長引くデフレ経済、輸出企業の経営基盤まで直撃する超円高、加えて昨今の欧州金融危機。これらに対する経済、金融対策も政治の大きな責任です。また、政治は一体となって国家の基本政策としての新成長戦略、なかでも成長産業分野であるグリーン・イノベーション、ライフ・イノベーションを強力に推し進めていかなければなりません。
 TPP(環太平洋経済連携協定)へ政府は動きだしていますが、当然のことながら、この問題にも政治が責任をもって取り組んでいかなければなりません。まずは交渉に参加をして、そこで意見をハッキリと主張できる素地をつくりだすことが大切です。同時に、アメリカ人に日本の食文化であるコメや納豆を食べろと言っても無理です。逆に日本人の食事を全てパン食にしろと言っても難しいでしょう。食の文化や伝統は守っていかなくてはならないとの意思は明確に示していかねばなりません。
 日本が世界に誇る医療は国民皆保険制度で成りたっていて、これを守っていかなければなりません。良い制度であれば、アメリカも日本の制度を見習うべきです。そうした主張もしないでTPP交渉参加に異を唱える人たちが最初から物事を否定的に受けとめていくことには疑問を感じます。
 先にも述べたように、円高の問題でも政府と日銀の協調介入が十分ではなく、長年にわたるデフレから脱却できないでいます。そのため製造業の収益はマイナスとなり、国内での生産が困難となった結果、生産拠点の海外転出に歯止めがかからない状態が続いています。また、雇用の場も失われてしまっています。雇用の場が奪われれば日本経済のみならず、人々の生活や社会全体が荒んでしまいます。何をおいても、国内雇用の場をしっかり固めることが必要です。
 一方で海外からの労働者受け入れも時代の流れです。島国である日本にはなかなか馴染み難い問題ではあります、資格制度を充実させるなど、労使ともに安全で安心できる労働環境をつくりだしていかなければなりません。

● 輸出へと農業政策の転換

 食料安保が叫ばれていますが、守っていかねばならない農業政策が食料自給率40%で果たして十分と言えるのでしょうか。コメ農家の従事者の平均年齢は67歳と高齢になっています。こうした現実を今後政治がどのように受けとめていくのかが問われています。
 これまではコメや牛肉、豚肉などの輸入に対する抵抗感が大きく、反面輸出へも重きが置かれてきませんでした。このことでコメの減反政策を続けてきたり、また日本のコメが美味しくて安全だからという中国富裕層などでの需要の高まりにも十分に応えられる態勢となっていません。減反をして耕作をしないところに補助金を出すという過剰な保護政策自体が誤った政策となっています。これからは農産品を輸入に頼る構造を変えて、1次産業としての役割をどのように構築していくかが重要です。民主党は政権交代後、この問題について経営の多角化に重きをおき、1次産業の生産に加えて、加工、流通、サービス業などを含めたいわゆる6次産業としての競争力を高めるための後押しを続けています。
 今の農業の市場規模は約10兆円です。食料関連産業が100兆円であることからすれば90兆円が加工や流通などが担っていることになり、その規模はさらに拡大すると見込まれます。輸出を視野に入れて地域産業の掘り起こしを行えば、地域に雇用も生まれます。今後、1次産業が2次、3次産業などと力をあわせていけば、伸びる可能性がさらに増します。こうした可能性に政治が十分に応え、輸出環境を整えて農業の再生を図るべきと考えます。
 牛肉でも、BSE(狂牛病)の関係からすべての牛にタグをつけて管理を行い、食の安全管理には最大限の注意を払っています。すき焼、ステーキなど、日本の食文化に合わせて生産されたこれらの良質な資源(食料)は世界各国から高い評価を受けており、潜在的に強い競争力をもっています。サクランボ、ミカン、ナシ、ブドウ等々の果物・野菜も同様です。TPP交渉参加でも、今後、貿易の自由化が避けて通れなくなっていくことを考えると、牛肉、野菜、果物、コメなどの1次産業は国際的な競争力をつけた産業に変身していかなければなりません。



● 重要な産業の計画策定

 自動車、電機産業にしても、優れた技術が今のように一挙に世界から評価されるようになったわけではありません。1965年(昭和40年)、自動車の貿易自由化に対して大変な苦労を味わいながら世界に通用する先端技術を身につけ、日本は世界の流れに乗っていきました。当時の広告に目をやると、坂道を排気ガスを吐きながら喘ぎ喘ぎのぼる国産車を米国車が軽々と追い抜いて行くネガティブキャンペーンが展開されています。今では立場が置き換わり、もしも広告を制作すれば米国車を国産の低燃費コンパクトカーが追い抜いていく構図になるのかもしれません。
 電機産業でも同じことが言えます。こうした先人の苦労の上に世界を凌駕する日本の製造業が作り上げられてきたことは間違いありません。  これに対して農業などの1次産業は、かつて製造業が経験してきた苦労を思えば、今後の努力で競争力を高める余地はまだ十分に残されているように思います。これまで政治は社会政策としての保護のみで、外に向けた方針をはっきりとは打ち出してきませんでした。
 また、高度成長とバブル期の建設ラッシュは安価な外材に依存した大量消費によって木材輸出国の森林の急激な砂漠化を招くと同時に、国内の森林は放置され国内林業の衰退を招きました。祖父の代に植林し子や孫の代に伐採し木材として生産する、このように林業とは3代4代をかけた息の長い仕事です。それだけに大切にしなければなりません。ところが伐採も枝おろしも下草刈りもせず、植林した木々は放置されて荒れ放題にしてしまいました。その結果、森林の保水能力は低下し鉄砲水などの災害が起きています。山の手入れを怠らなければ森林が自然のダムとなって無用な人工のダムを造る必要もなくなり水害を未然に防ぐことも可能です。
 農業も林業も、自然の力を活かす備えを怠ってはなりません。今こそ自然の恵みを最大限に活かす政策を押し進めていく必要に迫られています。



● 増税前に景気回復

 米国がもたらした自由化の競争社会のなかで、今なお労働環境は一向に改善されていません。東日本の被災地における雇用も厳しい状況が続いています。一刻も早い雇用環境と景気の回復が政治に課せられています。
 東日本大震災による復興特区など、既に始まっている特区構想の更なる実施と大胆な規制緩和が景気回復には必要です。世界に例を見ない早さで押し寄せる高齢化社会を背景に医療・介護分野の拡充、そして環境・新エネルギー、農林水産などに高付加価値と高技術を兼ね備えたモノづくり産業の再構築を加え、中小企業の底力を引きだして日本の強みが発揮できるステージを作りだし、国の産業を後押ししていくことが政治の大きな責任です。
 もし、政治が国民、地域社会、企業ニーズに応えられず、このままの経済状況を続けるならば、増税しても税収は当初の見込みほど上がらずに却ってマイナスとなってしまいます。このことは歴史が証明しています。増税には十分なデフレ、円高などの景気対策を執った上で経済状況を見極める政治判断が必要です。国民の生活をこれ以上厳しいものにしていってはなりません。



● 委員会改革と問われる政治の責任

 私が委員長を務める国家基本政策委員会の合同審査会で党首討論が行われています。この討論を含め、かねてから委員会に改革の余地ありと申し述べてきました。
 内政も外交も厳しい状況下、国会委員会では総理に毎回同じような質疑がくり返されており、残念ながら貴重な時間が浪費されていると言われても仕方がありません。また、答弁者の言葉尻を捉えて、揚げ足取りを続けるような場も多く見受けられます。国民のためにも、委員会が実質的意見が飛び交う質疑の場となるように変えていかなければなりません。中味の薄い委員会では政治本来の役割を果たすことなどできるはずがないのです。
 総理への1日の質問量は120〜150項目にも及びます。答弁には大変な準備と時間を要し、役人からの事前レクチャー(質問に対する事前説明)にも膨大な時間が費やされています。そのためだけに総理の貴重な時間が奪われ、リーダーとしての政治判断を難しくしている面があることは否定できません。その結果、官僚政治に依存する素地ができ上がってしまい、政治主導の形骸化につながっていきはしないか、私は強い懸念をもっています。こうした状況をなんとしても変えていかねばなりません。
 総理が各委員会ごとの答弁のためだけに貴重な時間が縛られることのないよう、大臣にはその職に精通した適任者を充てるべきであることは言うまでもありません。各委員会での答弁は基本的に担当大臣を含め、政務三役が置かれている機能を充分に発揮できるようにすべきです。その上で総理は合同審査会での党首討論で、各党党首と大局的な見地にたった幅広い国政議論を展開し、発言に責任をもつようにする。この方が遥かに発展的な議論が展開されていくはずです。
 私は、昼間の3時から行われている現在の党首討論を、国民の関心と議会活動への理解を高め、国政の流れが分かりやすくなるように原則週1回、ゴールデンタイム(午後8時から)の開催、リアルタイムでのテレビ中継が可能か検討しています。さらに閉会中の開催や討論時間討論相手の制限の見直し、政局に絡まない政策論争の議題絞り込みなど、総理としての責務を果たすための党首討論のあり方について、抜本的な改革が必要と感じています。
 以上、具体策のとりまとめ作業を各委員会を改革する第一歩と捉え、まず私が委員長を務める合同審査会の党首討論から始めていかなければならないと思っています。
 今日本は未曽有の国難に直面しています。この国難を克服するためには思い切った国会改革と委員会改革が必要です。政治家同士がお互いの弱点を穿り返して政局論争に明け暮れている場合ではありません。今まさに政治家一人ひとりの覚悟と政治への責任が問われています。   


                                     (2012年2月)