「あなたのことが心配です」とすり寄ってくる善人には注意が必要です。
善意の皮を被っているだけ
得てして「あなたのことが心配です」という素振りですり寄ってくる人間は、あなたの没落を願っている人です。少なくとも、あなたをコントロールしようという狙いがあります。それも自分の都合のよいように。
「心配している」という善意は非常に便利です。心配されたとあればつい話を聞きたくなってしまいますし、無下にあしらってしまうと、心のうちに罪悪感が芽生えることにもなります。
家族や恋人ならまだしも、「心配している」とすり寄ってくる人たちは、ほとんどの場合、実際的な利害関係がない人たちです。あくまで自分のためではなく「利害関係も責任もないあなたのために、無償のアドバイスを提供する」という態度を貫きます。
が、その裏には、意識的にか、無意識的にか、「心配している」対象をコントロールしようとする、公衆の面前で攻撃しようとする心の働きがあります。その種の「善意」が無意識的だったりすると、話は余計にややこしくなります。余計なお世話というやつですね。
もちろんすべての「心配です」という言葉が欺瞞である、と言うつもりはありません。大病を患った方、大きな精神的ダメージを受けた方のお話を聞くと、そりゃ僕だって普通に心配になります。それは人間の素直な心の働きでしょう。
ここで問題視したいのは、善意の皮を被り、相手をコントロールしたり、攻撃しようとするための「心配」です。これは大変卑怯だと思います。
僕は素直に心配であるという場合を除いて、「心配」という態度を基本的に取らないようにしています。
例えば仲の良い学生が「会社で勤めるの嫌なので、無経験だけどフリーランスやってみようと思います!」と語ったとしても、僕は「なるほどね、ひとまず頑張ってみるといいよ。何か手伝えそうなことあったら言ってね」ぐらいに留めておきます。もし本当に彼を心配していたとしても、そう答えます。心配を表明することで、彼/彼女の人生に他人として無責任に影響を与えてしまうことが、僕は嫌なのです。
「ひとまず頑張れば?」とあっさり答える僕を、無責任とののしる人もいるでしょう。けれど、「とりあえず会社に勤めた方がいいんじゃない…?」と心配を表明して、相手を中途半端にコントロールすることの方が、僕にとっては不誠実に見えてしまいます。本当に心配なら、いい会社を斡旋するくらいまでやるべきでしょう。十分に関与できないのなら、「心配」は不誠実になりえます。
と、そんなことを書いていたら、ちょうどタイムラインを見ていたら、この手の「心配」をたまたま見かけました。僕が問題視しているのは、こういう態度です。利害関係もありませんし、結局公衆の面前で攻撃したいだけですよね。
@harukazechan 心理分析を行った結果、あなたは周囲には強がっているが心の中はぐちゃぐちゃな精神状態にあり、いつ切れてもおかしくない糸を張りつめています。もしその糸が、何かのきっかけで切れてしまった時があなたにとって一番危ない時なのです。心配です
— みやっちさん (@_takaji_) 10月 1, 2012
はるかぜちゃんは流石の返答。この方はホントにすごい。
?(ω)ぼくは至ってお元気ですよ~(ω)仕事が充実してるからぬっ! RT @_takaji_: @harukazechan 心理分析を行った結果、あなたは周囲には強がっているが心の中はぐちゃぐちゃな精神状態にあり、いつ切れてもおかしくない糸を張りつめています(略
— はるかぜちゃんさん (@harukazechan) 10月 1, 2012
というわけで「あなたのことが心配です」という態度について考えてみました。皆さんはどう考えますか?
関連本。この種の「善意」を鋭く切ったこちらの本は痛快でおすすめ(ブックレビュー)。