枕崎台風―昭和20年
2007-09-09 00:56:18
カテゴリー: Weblog
枕崎台風―昭和20年
終戦直後の1945年(昭和20年)9月17日から18日にかけて、焦土と化した日本を大きな台風が襲った。この台風は、鹿児島県薩摩半島南端の枕崎(まくらざき)付近に上陸したことから“枕崎台風”と命名された。枕崎で観測した最低気圧は、916.7ミリバール(ミリバール=ヘクトパスカル。1984年以降、気圧の大きさを表す単位はヘクトパスカルを使用することが世界気象会議で決定された)。1934年(昭和9年)の室戸台風(912ミリバール)に匹敵する記録である。この台風は、死者2,473名、行方不明1,283名という大被害をもたらした(数字は、『理科年表』2006年版による)。
台風の経路を辿ってみよう。9月17日午後2時頃枕崎付近に上陸した台風は、枕崎上陸時点での最大風速は毎秒40メートルに達した。台風は午後10時ごろになって、原子爆弾投下後間もない広島付近を通過、山陰からいったん日本海に出る。その後、能登半島を横断したうえ、18日午前10時には新潟付近に達した。更に山形県酒田付近から奥羽地方を横断、三陸方面から太平洋へ抜けた。台風による被害が一番ひどかったのが広島県。原爆投下後まもない無防備な市民を、台風が襲うという惨劇となってしまった。
9月18日付の毎日新聞(大阪)では、各地の被害状況が報じられている。大阪では木津川水上署前の道路が五尺(約150センチ)近く浸水したのをはじめ、各地で相当の浸水家屋があった。大阪府警備課に報告された被害状況では床上浸水約28,000戸、床下浸水約11,000戸あった(堺、北大津方面を含む)。阪神地方の鳴尾村(現西宮市)では床上浸水3,500戸、西宮市では床上浸水が500戸あった。鳴尾村の海岸地帯では床上五尺の浸水もあった。また、武庫郡深江(現神戸市東灘区)方面では床上浸水455戸あった。また、芦屋市浜芦屋では漁業を営む家屋8戸が流失した。京都市内は比較的少なかったが、福知山市の水道が断水した稲作はじめ農作物、柿に相当の被害があった。
原爆被災地である広島の被害については報道が遅れている。9月22日付毎日新聞(東京)によると、広島県は数十年ぶりの台風による大被害を被った。死者870名、行方不明935名、家屋流出・倒壊は約2,000戸、床上浸水約23,000戸。被害は広島市、呉市をはじめ海田、府中、尾道、二十日市、大竹、可部、江田島等沿岸部各地に及んだ。
鹿児島県南西部、薩摩半島の南端に位置するする枕崎市。大型台風が襲った1945年当時は、まだ市制をとっていなかった。枕崎市となるのは1949年(昭和24年)のことである。江戸時代からカツオ漁が栄え日本有数のカツオ漁業基地を誇った町。鰹節の産地として全国的に有名であり、またカツオの廃物を利用した黒豚の飼育が盛んであり、サトウキビ、電照菊の産地としても広く知られてきた。しかし、なんといっても“枕崎台風”というのが、全国的に知られているといえよう。枕崎台風が上陸した直後の10月10日、鹿児島県阿久根(あくね)に再び優勢な台風(阿久根台風)が上陸している。こちらの台風の死者は377名、行方不明74名に達した(『理科年表』2006年版)。
終戦直後の1945年(昭和20年)9月17日から18日にかけて、焦土と化した日本を大きな台風が襲った。この台風は、鹿児島県薩摩半島南端の枕崎(まくらざき)付近に上陸したことから“枕崎台風”と命名された。枕崎で観測した最低気圧は、916.7ミリバール(ミリバール=ヘクトパスカル。1984年以降、気圧の大きさを表す単位はヘクトパスカルを使用することが世界気象会議で決定された)。1934年(昭和9年)の室戸台風(912ミリバール)に匹敵する記録である。この台風は、死者2,473名、行方不明1,283名という大被害をもたらした(数字は、『理科年表』2006年版による)。
台風の経路を辿ってみよう。9月17日午後2時頃枕崎付近に上陸した台風は、枕崎上陸時点での最大風速は毎秒40メートルに達した。台風は午後10時ごろになって、原子爆弾投下後間もない広島付近を通過、山陰からいったん日本海に出る。その後、能登半島を横断したうえ、18日午前10時には新潟付近に達した。更に山形県酒田付近から奥羽地方を横断、三陸方面から太平洋へ抜けた。台風による被害が一番ひどかったのが広島県。原爆投下後まもない無防備な市民を、台風が襲うという惨劇となってしまった。
9月18日付の毎日新聞(大阪)では、各地の被害状況が報じられている。大阪では木津川水上署前の道路が五尺(約150センチ)近く浸水したのをはじめ、各地で相当の浸水家屋があった。大阪府警備課に報告された被害状況では床上浸水約28,000戸、床下浸水約11,000戸あった(堺、北大津方面を含む)。阪神地方の鳴尾村(現西宮市)では床上浸水3,500戸、西宮市では床上浸水が500戸あった。鳴尾村の海岸地帯では床上五尺の浸水もあった。また、武庫郡深江(現神戸市東灘区)方面では床上浸水455戸あった。また、芦屋市浜芦屋では漁業を営む家屋8戸が流失した。京都市内は比較的少なかったが、福知山市の水道が断水した稲作はじめ農作物、柿に相当の被害があった。
原爆被災地である広島の被害については報道が遅れている。9月22日付毎日新聞(東京)によると、広島県は数十年ぶりの台風による大被害を被った。死者870名、行方不明935名、家屋流出・倒壊は約2,000戸、床上浸水約23,000戸。被害は広島市、呉市をはじめ海田、府中、尾道、二十日市、大竹、可部、江田島等沿岸部各地に及んだ。
鹿児島県南西部、薩摩半島の南端に位置するする枕崎市。大型台風が襲った1945年当時は、まだ市制をとっていなかった。枕崎市となるのは1949年(昭和24年)のことである。江戸時代からカツオ漁が栄え日本有数のカツオ漁業基地を誇った町。鰹節の産地として全国的に有名であり、またカツオの廃物を利用した黒豚の飼育が盛んであり、サトウキビ、電照菊の産地としても広く知られてきた。しかし、なんといっても“枕崎台風”というのが、全国的に知られているといえよう。枕崎台風が上陸した直後の10月10日、鹿児島県阿久根(あくね)に再び優勢な台風(阿久根台風)が上陸している。こちらの台風の死者は377名、行方不明74名に達した(『理科年表』2006年版)。