被告人の権利を侵害した報道
−カレー事件弁護団が報告−
人権と報道関西の会の例会が六月十二日(土)午後一時、大阪市北区西天満の木村法律事務所内で開かれ、和歌山・毒物カレー事件弁護団の木村哲也弁護士が「カレー事件の裁判報道」と題して報告。もう一人報告者として予定していた同弁護団の太田健義弁護士は、例会直前にあった月刊誌「新潮45」の少年実名報道判決に関連して急遽上京したため、欠席した。木村弁護士は、裁判当日には、過剰取材で被告の裁判を受ける権利すら犯されたほか、不当な事前報道でも人権侵害にあたるものが続いた実態を指摘した。また、写真週刊誌「FOCUS」による法廷内写真の掲載や、「新潮45」少年報道への判決などについても論評した。(小和田 侃)
木村弁護士の報告は次の通り。
カレー事件の第一回公判は五月十三日に開かれたのだが、それ以前からさまざまな事前報道が行なわれ、「なぜ、こんな事に執着するのか」と趣旨を疑うようなしつこい取材が繰り広げられた。注目点の一つが初公判の日程で、私の事務所にも毎日のように電話がかかってきた。この裁判は社会的関心事であることは分かるが、どうして日程にそんなにこだわるのか不思議に思っていたら、ある記者が「日程で特ダネを書きたいというより、突如として決まってうちだけ載せられなかったという特オチが怖いから」と本音を語ってくれた。今のマスコミの体質がうかがえる。
罪状認否の事前報道
また、被告が初公判の罪状認否で起訴事実を認めるのか認めないのかにも、大変な取材が行なわれた。そんな中で、毎日新聞が五月二日朝刊で「保険金詐取、一部認める方向」と報道し、各社もそれを追いかけた。事前報道にはさまざまな弊害があるが、これは特に問題となる報道で、刑事司法への信頼すらなくす恐れがある。罪状認否とは、そもそも被告人の自由な意思に基づいて公判廷で初めて発言されるもので、それを事前に報じる事はあってはならない。事件によっては、被告はぎりぎりまで認否を考え続け、時には直前になって変更することもある。なぜなら捜査、取り調べの過程で無理な自白を強いられたり捜査官から「これくらいの罪なら認めても、すぐに出所できるから」などと不当な誘導が行なわれているのが実態で、それだけに公の場で自らの認否を初めて表明できるという手続きの意味は大きい。それなのに、事前に「認める方向」などと報じられると、公判廷で「否認」と意思を翻しにくくなり、被告の防御権が侵害されたことにもなる。今回の予告報道は大きな間違いだ。これは、報道が市民の立場に立っていない証左である。
この報道については「弁護士がマスコミに洩らしたから」との目が向けられるかもしれないが、どの弁護士もそんな事は一切していない。おそらく、証拠同意はどうするのか、など客観的な部分情報をつなぎ合わせて、推測の上で報道に到ったのだろう。
先走る報道
また毎日新聞は、六月十一日夕刊でも「(法廷内写真掲載で)FOCUSを提訴へ」と報じた。方向性としては、いずれそうなるだろうけれど、正直なところ、被告から弁護士に対して委任状すら出ていない状態だ。もちろん訴状の起案すらない。そんな段階で先走って書いて、何の意味があるのか。それに、損害賠償の額について「数百万円」と書いているが、これも間違いだ。本人の利益のためというよりメディアの賠償額を全体的に引き上げることを目的に、「一千万円」くらいになると思う。この報道の後、他社から確認の電話があったが、「まだ書けるような段階じゃない」と説明しておいた。
一方、朝日新聞は三月十八日朝刊で、「弁護団が、両被告の審理分離を請求する方針」と報道。
ここでも「十七日に方針を固めた」とあるが、この日に弁護人どうし顔を合わせてもいない。真実味を付け加えるために「十七日」と勝手に位置づけたのだろうが、捏造であり、第二の“サンゴ”報道だ。
取材ヘリ騒音で審理中断
こうした事前報道の中で、第一回公判を迎えた。予想した通り、当日は大変な数の取材人で、傍聴席は特別席を設けられた事件被害者以外、ほとんどメディア関係者で埋まっていた。公判では妻が認否の言葉を締め括った途端、夕刊に情報を送るために傍聴の記者がドアをドンと開けて、ドドッと出ていくというような騒がしさ。裁判長も「集中力を欠く。これ以上うるさくするなら、出入り禁止にする」と通告するほどだった。また、午前中の審理が終わる際、記者らはまたドドッと前列に来て、被告の顔をのぞき込むようにじりじろ見た。その表情を記事に書き込もうというつもりなのだろう。これにも裁判長が注意し、次からは被告が退廷するまで、傍聴者も着席していることになった。
午後の審理が終わりに近づいた五時頃、へリコプターが裁判所上空をずっと旋回してうるさく、裁判長が検察の冒頭陳述に「聞こえません」と再読をうながしたり、審理が中断する事態にもなった。おそらく、裁判所から拘置所に護送される被告の車を追い掛けようとするテレビ局のヘリだったのだろうが、これでは裁判を受ける権利を侵害されたことにもなる。
検察の冒頭陳述の中には、「被告はこういう特異な性格だから、犯行に及んだ」とする部分があったのだが、これは弁護人の異議によって、この日は朗読を留保された。ところが、メディアには陳述開始と同時に陳述全文が配られていたので、テレビのコメンテ−ターなどは、その部分を前提に論評したりしていた。これも、検察にとって有利な報道につながっている。
このほか、ワイドショーや週刊誌は「子どもの事などについて、夫婦間で手紙をやりとりしている」と報じているが、接見禁止の状態でそんな事は不可能だ。果ては、「妻が夫に、中島みゆきの歌『時代』の一節を書いて届けた」という報道もあったようだ。
弁護団には謝罪なし
そして、雑誌「FOCUS」は初公判後の五月二十六日号で、昨秋の拘置理由開示裁判の際に、和歌山地裁法廷内で撮影した妻の写真を掲載した。これに対しては、弁護団長名で抗議と謝罪申し入れ書を送っている。裁判所も抗議し、法廷内で写真撮影した事については新潮社は謝罪している(写真掲載は居直る)が、弁護団には全く謝る気はないみたいだ。ここで問題は、裁判所は「神聖な法廷がけがされた」という法廷内秩序の視点だけで怒っているかもしれないという点である。被告の人権という点で抗議している弁護団とは姿勢が全く違う事を指摘しておきたい。
プライバシー保護を明記
さらに木村弁護士は、六月九日の「新潮45」判決にも言及。「新潮45」取材陣が少年の目宅を訪れ、少年の祖父母から聞き取った内容を記事にしたものであるという経過を説明し、判決の中で「およそ自然人は」として、少年に限らず成人も含めてプライバシ一保護が明確に記されている点を評価。また、顔写真付きの実名で報道した被告の言い分を「到底首肯しえない独自の見解」と退け、報道で制裁を加えようとしている姿勢を批判している事を紹介した。
これらの報告を受けて討論に入った。参加者は「新潮45」判決について、「メディアの賠償金額は、今まで十万〜二十万円程度だったが、まだ少ないとしても二百五十万円とされたことは前進だ」と述べ、当会代表の野村務弁護士も「確かにこの金額には意味がある。米国では懲罰的慰謝料として五千万円とか一億円とかが通例で、そこまでは無理としても、日本でもメディア側に負担となる程度の金額で賠償させる方向に持っていく必要かある。また今回の新潮45では顔写真、実名が掲載されたが、そんなものはなくても表現すべき記事は書けるということをマスコミは認識すべきだ」と指摘した。また参加男性は「新潮社の言い分は、自分たちが天に代わって被告を罰しようとする姿勢で、その倣慢さには腹が立ってくる。私たちはメディアには、真実へのアクセスを要求しているだけで、それ以上のものは期待していないのだ」と語った。
裁判公開の原則について
カレー裁判での「FOCUS」による被告の写真撮影・掲載について、木村弁護士は「裁判の公開という原則の第一の目的は、被告に対してきちんとした裁判がなされるか担保される事だ。つまり、検察官や裁判官が変なことをしないか市民がチェックするための公開原則であり、そのために一般の傍聴が認められている。だから、法廷の写真を撮る事が公開につながるという論理とは全く異なるのだ」と指摘した。
これについては、別の参加者が「この事件はともかくとしても、税金で動<公務員の犯罪に関する裁判は、例えば映像で流すくらい公開度を進めていいのではないか」と提起。それに対しては、「裁判が終わるまでは、どんな被告にも無罪推定が適用されるのだから、それは人権侵害になる」「裁判の模様をすべて報道するならともかく、メディアはどうせ、自分たちに都合のいいように、被告を有罪に結び付けるような部分だけ意図的に報道するだろうから、それは危険だ」と、否定的な意見が続いた。
また秋の法廷写真がこの時期に掲載された事については、木村弁護士は「初公判での撮影を狙ったけれども、傍聴者には金属探知機などで厳重なチェックがなされたので、撮れなかったから、古い写真を当て馬に使ったのかもしれない」と推測した。
廷内イラストの問題
放送局勤務の参加者が「今回もそうだったが、大きな裁判では法廷内写真の代わりに、被告のイラストが掲載される。これは、描き方によっては、被告を悪どくも爽やかにも描けて非常に意図的に描写できる。もしかしたら、実物写真よりもセンセ一ショナルに表現することも可能だ。それは、今回のFOCUSの姿勢ともつながるのではないか」と問題提起。新聞記者も「しかも傍聴席からは被告の背中しか見えないはずなのに、裁判官席からのアングルの正面イラストを描くことが多い。おそらく、入廷してきた際の顔の表情を覚えておいて、法廷内の雰囲気とともに描いているのだろう。特に今回のカレー事件初公判では、夫妻の両被告をツ−ショット−で描いた新聞あったが、こんな場面はない。少なくとも刑務官が間に入っている。これは全くのフィクションだ」と指摘した。
これについて木村弁護士は「報道写真などとは違って、イラストを描かれることのプライバシー侵害の判決はこれまでなかったが、今後はこのイラストについても対メディアで考えていかなければならない問題になる。事実に反するならば、描き方によっては不法行為の可能性もあり、勝手にスケッチされない権利というのも一つの考え方になるかもしれない」と答えていた。(了)
◆「新潮45」裁判の経緯
大阪府堺市の路上で昨年一月八日早朝、五歳幼稚園児文化包丁で刺殺され、園児の母親と通学途中の高校一年の女子生徒も刺され重傷を負った。この事件で、近くに住むシンナ—中毒だった当時十九歳の少年が現行犯逮捕。大阪家裁堺支部の少年審判で検察官送致が決まり、起訴された。
月刊誌「新潮45」の昨年三月号は、顔写真付きで少年を実名報道。これによって名誉を傷つけられたとして、殺人罪などで公判中の被告が新潮社と編集長、執筆ライターに慰謝料など二千二百万円の損害賠償を求めて提訴。大阪地裁は六月九日、「氏名などを公表されない権利は少年法で保護されており、これを上回る特段の公益上の必要性がない限り、本人と分かるような報道は違法だ」として、新潮社側に二百五十万円の支払いを命じた。
○ 神戸の「神戸復興塾」が市民活動の盛んなサンフランシスコのNPOの現状と「市民活動がいかに独自の方法でメディアを獲得し、活用しているか」ということを見に行きませんか?というツアーを企画してくださり、参加しました。5日間の滞在の間に18ヶ所の団体を訪問し、そのうち13ヶ所で1時間から3時間のレクチャーをうけました。
○ NPOのメディア活動には大別して次の3つの内容があげられます。(1)ラジオやテレビなどの放送メディア(2)インターネットを駆使したマルチメディア活用(3)自己表現や啓発の手段としてのコンテンツ制作。市民がラジオ局を運営し、ケーブルテレビでチャンネルをもち、ポストプロダクションをつくり、インターネットを通じて全世界に情報を流しているのです。(3)のマスメディアに対する批判的な理解能力(メディア・リタラシー)を育てる活動−ことに子どもたちへのプログラムがあり、これはいいなと思いました。市民が放送局をもっているなんて、驚きでした。
○ これらのことは決して所与のものではなく、そこに暮らす人たちが大変な苦労をして獲得して実行していらっしゃいます。NPOのありようは彼我の国での土壌の違いは否めません。強烈な自己主張と語学力と資金が活動を支えていると拝察はするものの、律義で地味な仕事を多くのボランティアたちが支えているのも事実です。
○ その気になれば何だってできるとまでは思いませんが、まずは「その気」になろうかなという勇気を与えられた旅でした。
次回例会は、
「一線取材記者が和歌山カレー事件報道を語る」
マスコミ市民2月号に、現場取材にあたっておられた紀国渡氏が、和歌山カレー事件の報道の問題点を指摘する記事を寄稿されています。その記事の内容は衝撃的であり、大変興味深く、また参考になります。次回例会は紀国渡氏に参加いただき、レクチャーしていただくことになりました。当時、マスメディアがどのような価値観にもとづいて和歌山カレー事件の取材・報道を行い、一線記者がどのような苦労をしていたのかについて語っていただこうと思っております。多数ご参加ください。
日時:7月31日(土)
場所:プロボノセンター
参加費 500円
弁護士の役割とは?
マスコミ関係者も交え集会
当番弁護士制度を支援する会(大阪)は和歌山カレー事件の弁護団長・小林つとむ弁護士を招き、「なんで悪いことをした人に弁護士が必要なの!?」と題された集会を開きます。パネルディスカッションでは渡辺修教授(神戸学院大学法学部)、マスコミ関係者らが参加する事になっています。
集会では被疑者・被告の権利が不当に侵害されている現状を踏まえ、弁護活動の本質的な意義、役割について確認するとともに、カレー事件報道に見られた有罪視報道の問題について話し合う事になっています。
日時は7月17日(土)午後1時30分からで、会場は大阪弁護士会館(大阪市北区西天満、地下鉄・京阪「淀屋橋」「北浜」駅より約8分、大阪地裁東南隣)です。
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