これまでの放送

No.3250
2012年9月24日(月)放送
オスプレイ“沖縄配備”の深層
オスプレイ配備 なぜ伝えられなかったか

先週、オスプレイの安全宣言を行った森本防衛大臣。

森本防衛相
「運用上の安全性を確認するに至り、アメリカ側にオスプレイの運用を開始させる。」

 

政府が沖縄県に配備の方針を初めて正式に伝えたのは、去年(2011年)6月のこと。
しかし、今から16年前の1996年、普天間基地移設に関する日米の実務者協議の場で、オスプレイを巡る話し合いが行われていたことが分かりました。
アメリカ側はオスプレイの離着陸に4200フィートの滑走路が必要なことを提示。
さらに、2003年ごろにはヘリコプターの一部が、オスプレイに変更されることなどが協議されていたのです。

当時、防衛庁長官を務めていた久間章生さんです。

防衛庁長官(当時) 久間章生さん
「新しいヘリコプターに代わる輸送機、それをアメリカは研究していると。
それをアメリカの部隊にも日本の部隊にも配備する。
そういうことについてアメリカは、検討しているという話は聞いた。」

オスプレイは当時、開発中で墜落事故も起きていました。
久間さんは、国民に広く説明する段階ではなかったといいます。

防衛庁長官(当時) 久間章生さん
「不安だ、危ないとかいうのはアメリカ国内でも、だいぶあったからね。
その段階で配備するという形で、必要以上にみんなに言う必要はない。」

アメリカがオスプレイの日本への配備を公にしたのは2005年。
この年の4月、海兵隊の計画に2012年に普天間基地に配備することが明記され、公表されたのです。
計画の発表から1年後の国会での質疑です。

2006年4月 国会質疑
「既にオスプレイを配備する発表がされている。
絶対に配備させないという約束ができるのか。」

 

2006年4月 額賀防衛庁長官
「米軍に確認しているが、そういう事を考えているということについて我々のところに連絡があることはありません。
全くありません。」

その後も政府は、同じ内容の答弁を繰り返していきます。

2008年4月 防衛政策局長
「(オスプレイの配備について)従来から具体的に決まっていないという回答を得ているところであります。」

2010年3月 北澤防衛大臣
「(オスプレイの配備について)いろいろ調べましたが、米側から正式には全くきておらないのが現状であります。」

アメリカの判断で行われる装備の変更。
防衛庁元幹部で、2004年から5年間、安全保障担当の内閣官房副長官補を務めた柳澤協二さんです。
アメリカ軍の戦略については、日本側から口を挟みにくい空気があったといいます。

元内閣官房副長官補 柳澤協二さん
「冷戦の中でアメリカが存在して、そして後ろ盾になって守ってくれるという状態が当たり前のようになってきてしまって、その中でアメリカの戦略的な判断は、基本的にはお任せするという雰囲気は、長い時間をかけて出来上がってしまった。」

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