神代文字総覧       2001.04.30     


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 掲載 神代文字一覧  

  1. アイヌ文字・アイノ文字(北海道異体文字)
  2. アジチ文字
  3. アソヤマ文字
  4. アナイチ文字
  5. アヒル文字
  6. アヒル草文字
  7. 阿波文字
  8. イスキリス文字
  9. 出雲(岩窟)文字
  10. 伊予文字(秀真(ほつま)文字)
  11. イムベ文字
  12. カスガ文字
  13. カタカムナ図象(カミツ)文字
  14. 越文字
  15. サンカ文字
  16. モリツネ文字
  17. 惟足(コレタリ)文字
  18. タネマキ文字
  19. 桃木文字
  20. 対馬文字

この他の神代文字も編集が出来次第 登録して行きます。

 

        神字考                                                                  

 神代文字の否定論拠としては、橋本進吉氏の提唱する古代8母音説により、イロハ47音・あいう50音で構成されている神代文字は、平安以降の偽作であるという証拠として現在迄学界での通説となっています。少し詳しく紹介すれば、上代=奈良期には、母音がアイウエオの5音の他に、イエオについては甲乙2類あり都合8母音でした。それ故「キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・(モ)・ヨ・ロ・ギ・ビ・ゲ・ベ・ゴ・ゾ・ド」には甲乙の音韻が2類あり、都合87(or88)の音があったといい、これを上代特殊仮名遣と呼称します。この前提の下、国学者大野晋氏らにより神代文字批判が行われ、即ちイロハ歌(47音)やアイウエオ(50音)は平安期に作られたものであるから神代文字といわれるものの大半が47字又は50字であることは、これらの文字が平安期以前には遡れないというものです。 そして、この説が長らく日本国語学界の主流でした。

 ところが、この常識となっている根底を覆すような学説が提起されたました。なんと!
「古代の日本で使われていた日本語はあくまでも5母音であったが渡来人の影響で8母音になった。」という説が浮上してきたのです。金沢大松本克己教授「母音の交代現象」・奈良女子 大森重敏教授「連接による臨時合成音」などの説によれば渡来人よりもたらされた「漢字」を国語化する際の一時的な虚像であるというのだが、この議論は尚決着は付いておらず今後の新たな展開が待たれます。ここで、平安期には8母音が死滅していたという事実は重要で、なぜ死滅したのかを明らかにしなければ8母音説は説得力に欠ける事になり当然8母音説の立場から否定された神代文字は再検討が必要となってきます。

        上代特殊仮名遣についての考察                                                      

 古代ギリシャが、当時の先進国の言語であったセム語で表記したことがあったそうです。そのときに、音韻としては無用の区別をして表記したそうです。このことは日本についてもいえて、外来的な表記法がはじめて採り入れられた段階では、音声上の違いにすぎない変異音まで書き分けることがあるので、万葉仮名も漢字の音を発音記号として借りた結果、必要以上に音声を分けてしまったということです。また松本教授は、奈良時代の音韻は、現代の五母音とほとんど変りなく、八母音説は、外来的な書記法のつくり出した虚像である、と論破されています。また、奈良女子大学教授の森重敏氏は、奈良時代八母音であったのだとしたら、平安時代には五母音になってしまっているが、八母音から五母音に移行しなくてはいけない必然性が見あたらない。上代も五母音であったのだ、と指摘されています。平仮名が音韻を表記したのにたいし、万葉仮名は音声まで写したものであるというのです。母音そのものは変っていないということです。

         ハルングルと神代文字(阿比留文字)                                                     

 現在韓国でも超古代史の研究が活発に行われていますが、一部の研究者達によれば、韓国のハングル文字は朝鮮時代の世宗大王が直接に創製したものではなく、BC2000前後に中国大陸を含め、東北Asia地域に広大な勢力を持っていた檀君朝鮮時代に作られた「カリント(漢字では加臨多 ガリムトという表記もあり)という古代文字をもとに作ったという説があります。そのカリント文字が韓国だけではなくて、中国の西夏、西蕃の地域を始め蒙古、印度の西北部であるクザラト地域などおよび古代日本まで伝播されたという説があります。これがもし事実であるならばハングル制定以前、渡来人が日本に渡りその文字を伝えた事も十分考えらます。 韓国国出身の景教研究家ジョン.M.L.ヤング氏によればハングル文字は、今から1000年程前に朝鮮半島を訪れた景教(ネストリウス派キリスト教)の宣教師達が作ったという説もあります。景教が日本に伝来したならば、当然文字も伝えられたはず。そうなれば日本に伝わるアヒル文字の信憑性も出てきます。その後、15世紀になって李朝第四代世宗時代に復活したとすれば、時間的なつじつまも合い無視出来なくなります。    

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主な神代文字の種類・別名  

文 字 型

 

由緒・伝来・特徴

アイヌ文字
アイノ文字
北海道異体文字
明治中期 人類学者、坪井正五郎が『東京人類学会誌 18、22号 』にて「北海道異体文字」として初めて紹介する。石片や土器、太刀、獣皮、木片などに先刻され北海道余市近辺にて出土。特に1千年も前の古い時代の物であると認定された「六角柱石片」には、アイノ文字が記されており確たる証拠となっている。
「明治以前に、アイヌ人が文字を持つわけがない。」というのが学説であるが、ウエツ書や秀真伝、九鬼文書に、エゾノ国(蝦夷)を治める。といった記載があることから一概にアイヌ人が未開拓人であった。と考えるのは早計である。

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アジチ文字
守恒(モリツネ)文字

モリツネ文字 草書体
茨城県下 皇祖皇太神宮のご身体でもある「モーゼの十戒石」に刻まれた文字。昭和34年、竹内文献研究家酒井勝軍が、御身体の包みを同神社より発見した。文字種としては、『神代の万国史』に伝わる"守恒文字”と酷似しており、ア行の「イ」「エ」が違うだけである。また、古代へプライ語また、梵字にも似ていなくもなく、やはり摸倣して作られたと疑われても否定できない。
酒井勝軍は、「モリツネ文字こそギリシャ字、ヘブライ字の母体であり、その草書体がサンスクリットの母体である」と、述べており酒井自信も「皇祖皇太神宮の御神体にのみ使用されている」と述べており、確証がない。酒井とは逆に「ギリシャヘブライ語の模倣ではないか」と疑われてもいたしかたない。
“アジチ”の由来に関して、竹内文献には、“アヂチ唐・アジチイタナ国・天須加利登大金主尊(アジチオキンヌシ「黄金を採掘する神の名」)などの関連記載があるが、“竹内巨麿”が竹内文献の公開をした当初、モーゼの十戒石は、まだ発見されていなかったことに注意したい。

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アソヤマ文字
宮下文書(富士古文献)より伝承。文字というより符号のような絵文字で表記されている。生活に関連の多い単語(名詞)が、31個、数を表す符号(数字)17個にて表現。記数法は五進法から十進法への進化を示し、千単位までの符号(数字)まであり、かなり進んだ文化が背景にあったと考えられる。

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天名知鎮・阿奈伊知文字
(アナイチ文字)
磨邇字(まにな)
六行成文字
江戸時代 薩摩藩より出版された『成形図説』により初めて報告されたが、その後 江戸時代の神代文字存在論者 鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)によれば、河内国平岡泡輪社の土筍に彫られてあったと『大成経』の所伝に付会されて流布したが、後世の調査の結果この神社は存在せず、もともとの起原などはっきりしない。
現在では、鶴峯が著した『嘉永刪定神代文字考』や『楔木文字考』にのみ伝えられる。この書体は文字としての最も原始的な「結縄(キープ)」とともにあげられる「楔木」(組み木で出来た古神道で使われる一種の占い)の発展したもので、別名“磨邇字”の由来は“占”に使用した字という意味である。また、“阿奈伊知”とは「アナイチ」という称する当時の遊びに使われた遊具の形がアナイチ文字の基本図形に似ていることより称する。また、囲碁で使われる用語で「六行成」という名称がある定石の配列がやはりこの文字の型こ、似通っていることから“六行成文字”とも呼ばれている。

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阿比留文字 日文 肥人書(こまひとのふみ)
阿比留文字 縦組み
阿比留文字 横組み
対馬 卜部-阿比留家に伝えられたことからアヒル文字と呼ばれる説(神字日文伝・平田篤胤)とト部家がアヒル文字を伝えて阿比留家となった説(竹内義宮氏)がある。
書体は、横組みと縦組みがあり、その構成はハングルと似通った文字種であるが模倣したものならアヒル文字の出現は、ハングルの制定1446年 李朝世宗時代以降となる。しかしそれ以前のものと思われる古い神社に伝えられる神札や石碑などにアヒル文字が使われていることに疑問が残る。宮崎県の円野神社(創建703年)にアヒル文字で刻まれた石碑が出土しているが、どういうわけかその石碑の存在自体も無視されている。

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阿比留草文字 日文草書
薩人書(さつひとのふみ)
阿比留家 伝来
鶴岡八幡宮秘蔵
出雲大社秘蔵
節墨譜文字
法隆寺秘蔵
対馬 阿比留家に伝来。また主に法隆寺、三輪神社、鹿島神宮に秘蔵され、現在確確認されているだけでも13種類の書体が存在する。また、出雲大社にも“出雲文字”と呼ばれる書体がある。
藤原不比等や平将門、源頼朝らがアヒル草文字で書かれた奉納文を伊勢神宮へ献文している。しかし、いずれも戦前までそれらの存在は、写真や写しなどで確認されていたのにも係わらず、なぜか現在では紛失している。

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阿波文字
阿波国大宮の神主より伝えられる。大磯食神社『神代文字社伝記』・『神代文字中臣拔・射和文庫』などに阿波文字で書かれた蔵書がある。また、宮城県 御崎神社  クシラツ力碑(白鯨の領徳碑)」に阿波文字で先刻された碑が見られる。書体形式はアヒル草文字と類似だが相関関係はなく別の出所と思われる。

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イスキリス文字
タネマキ文字
種子文字
昭和6年 竹内家に伝わる秘蔵品から見つかった「イエスの生涯を綴った遺言書」 に使われている文字。原文は、イエスが“タネマキ文字”を元に作ったとされている。しかし、発見当時には、すでに「平郡真鳥(へぐりのまとり)」の漢字力ナ混じりの訳がついていた。ちなみにイスキリとは、イエスの弟でエルサレムで十字架に兄の代わりに殺されたという。

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出雲石窟文字
トヨノ文字
書嶋字
島根県 出雲大社近くの書嶋の石窟で発見(現存場所不明)。高知市天神町にも伝来され伊勢神宮にもこの書体で書かれた奉納文あり。竹内巨麿氏の『神代の万国史』による古い伝承によれば、この文字は“トヨノ文字”と呼ばれイザナギノミコトより何代も前の豊雲野天皇によって創られたと伝わる。

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伊予文字
秀真(ホツマ)文字
伊予城下ハ幡社(愛媛県)より伝承。後に丹後国の熊野郡鹿野村の旧家に伝わる「神事記」にも用いられている。また、近江の散所村「三尾神技士」には『秀真伝』が所蔵されているが、そこで用いられている“秀真文字”と書体は全く同じ物であるが、「秀真伝」を発見した小笠原家の子孫は、伊予の出身であることから何らかの因果関係があることは否定できない。
書体の形式は、決められた図象を組み合わすことによって作られ「秀真伝」によれば母音となる五つの図象は、宇宙を構成するというものである。

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斎部(イムベ)文字
斎部(忌部)、橘両家に代々極秘裏に伝わる文字。他見は決して許されず、代々世襲されてきた文字でもある。
平安初期 朝廷に仕えていた「斎部広哉」が著した『古語拾遺』には、「上古の世、未だ文字あらず」と記しており、以前は国学院大等の教科書にも使われていた。しかし、これは「未だ漢字あらず」という意味で「漢字以前に、何かしらの文字があったのでは」といった説が浮上してきた。
その後 古語拾遺が出て、五百年余り後の南北朝時代、後村上天皇(南朝方)に仕える「忌部正通」という人物が『神代巻口訣』にて「神代の文字は、象形なり」と述べている。おもしろいことに、忌部家は斎部家の直系の子孫であり、斎部広哉は斎部家に、極秘裏に伝わる文字を隠匿するためワザと「漢字はない」と記したのではないかと憶測されている。

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春日(カスガ)文字
九鬼文献より伝承。九鬼家の遠祖、天児屋根命時代にに記録された神代文字の原文を奈良時代に藤原不比等が漢字に書き改めた。力スガ文字はその中の一部。書体は、象形文字で、”豊国文字”に類似している。

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カタカムナ図象文字
上津・化美津文字
昭和25年頃、科学技術研究家「楢崎皐月」が兵庫県 六甲山のふもと金鳥山で「平十字」(ひらとうじ)と名のる力タカムナ神社の宮司と遭遇し、彼から“力タカムナのウタヒ”て書かれた巻物を筆写することを許される。楢崎は、これを解読し力タカムナ文献として伝える。書体は字とゆうよりは、丸と十字を基本(ヤタノカガミ、オクタント図象)として、それをとり囲むハつの小丸で構成された書体で表記される。また図象を複数組み合わせて、意味を持つ言葉となる。

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越文字
サンカ文字・越文字・豊国文字 比較
竹内文献内で見られる文字の一つ。越の国(北陸から新潟県)に伝えられたというが、竹内文献を世に公にした“竹内巨麿”がこの国の出生だというのもおもしろい。
文字種は象形文字の部類であり、『上書』の“豊国文字”に一部を除き酷似している。また、以前から独自の社会を持つ山の民「山窩」に密かに伝承されて来た“サン力文字”との類似性にも言及する必要がある。

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惟足(コレタリ)文字
吉川惟足が発見、提示し吉川家にて伝承された文字。落合直澄によれば「コレタリ文字は、錯乱はなはだしきにより訂正を加えたもの」と、『日字考』で述べている。が、この文字と同種の守り札が江州伊吹神社に、使われていることから、あながち「全くの疑字である」という結論は避けなければならない。

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山窩(サンカ)文字
山窩研究家で知られる 「三角 寛」氏によれば、昭和7年,山窩の首の協力を得て始めて世に出た文字。サン力文字は普通「あぶり出し」で記載され、その秘密を一般に知られればリンチという激しい掟のある社会で、外部とは接触を立ってきたため、その文字の秘密も今まで知られていなかった。
 文字種は、絵文字で表記されており興味の引くことは、“豊国文字”や“越文字”に類似している点にある。(越文字 項 参照)このことは、サン力文字が秘密にされてきた背景と古史古伝との伝承に、真偽は別としてのなんらかの因果関係があることを喚起しなければならないだろう。

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豊国文字
豊国古体象字
豊国新体象字
「上記」・「竹内文献」原文に使われている文字。また宮崎県 天岩戸神社境内より出土の岩戸蓋石にもこの文字が刻まれている。書体には“豊国古体象字”と“豊国新体象字”が存在しており、古体象字は一種の象形文字であり、前述の「越文字」や「サンカ文字」に、酷似している。「新体象文字」は、今の力タカナと類似点があり力タカナを作ったのは「吉備真備」といわれているが、彼が「上記」を参考にしていたことも十分考えられる。

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筑紫(ツクシ)文字
重定石窟文字
ヤソヨ文字
筑後国生葉群上宮田村字重定という場所(今の福岡県浮羽群と思われる。)に石窟があり、その壁面に彫られている文字。また、竹内文献では、この文字をヤソヨ文字と呼称し上古第九代二十二世の御代に作られたと伝える。

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対馬文字
対馬 卜部家、阿比留家に伝わる。字体は古木の枝のごとく「卜食(うらばみ)」と呼ばれる型「兆図」(まちがた)を基本に構成されている。ヰ、オ、エは虫喰いで不明。同種の文字は『神代の万国史』に伝わる「桃木文字」に酷似している。
また、その書体はシュメールの聖なる木「七技樹」を思わせるが海洋航海術を持った、シュメール文化が対馬や日本各地にも来ていた事を匂わせる。

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桃木文字
吉見百穴文字
竹内家『神代の万国史』にイザナギ天皇時代の文字として伝えられている。
昭和11年に青森十和田湖南東十キロメートルにあるドコノ森にて、この意味不明な文様が刻まれた岩石群が多数発見された。山口県豊浦群 豊北町の大浦岳でも同様の文様の刻まれた文字が見つかっている。また、埼玉県の「吉見百穴」にも、同様の刻石がみつかっている。対馬 阿比留、卜部両家に伝わる対馬文字にも酷似している。書体は木の枝や根を思わせる。古代文字研究家「落合直澄」 は「アイヌ文字の合成文字ではないか」と、物議をかもしたことがあった。

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このページは、無断掲載厳禁  編集作成:(C)歴史研究会 鈴木敏幸

参考文献


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