「源濁れば流れ清からず」
日蓮大聖人御書913頁太田入道殿御返事
原点が間違っていれば、途中でどんなに立派なことのような発言や行動をしても、道理には適っていないということです。
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上記の写真は清涼山行足寺初代住職川田乗善氏が建立した「清涼院」なる寺院であります。
当方は川田氏が日蓮正宗寺院清涼山行足寺を宗門に返還して、この「清涼院」なる場所で正信会活動を行うのであれば何も言う考えはありません。
しかし、川田氏は清涼院建立後も日蓮正宗寺院行足寺の不法占拠を続けております。
宗教法人清涼院は法的には単立寺院であり、川田氏は一宗一派を旗揚げしたのと同じです。
宗教法人清涼院登記簿
日蓮正宗寺院行足寺登記簿
@ 正信会との厳しい戦いの後、前住職を寺院とともに宗門に引き戻されたある御住職様のお言葉です。
「行足寺は本堂安置御本尊様も他の重宝も、更には寺院建物も土地もすべて日蓮正宗行足寺の財産であります。
行足寺の住職は札幌市厚別区の直唱寺住職が兼務しております。宗教法人行足寺の謄本では代表役員(住職)は直唱寺住職となっております。
その日蓮正宗行足寺を不法占拠し、日蓮正宗行足寺の御本尊様に御供養をされた、御供養をもって、「清涼院」なる建物を造って、そこに行足寺の重宝御本尊様を安置して、御供養を受け付けているという、常識的に考えて、正信会は異常行為をしていることになります。
正信会は自分達が正しいと言いながら、行っている行為は非常識なのです。
日蓮正宗行足寺を1日も早く返還し、自分達の造った「清涼院」なる場所で正信会活動を行うべきです。
勿論、日蓮正宗の重宝御本尊様を返還することは当然のことです。
裁判上、行足寺初代住職は居住権によって居座っているのに過ぎないのですから、自分の居住する「清涼院」ができたのですから出て行くべきです。
余市の元正信会寺院長遠寺は、そこに居住していた者が死去したために返還されたのですから、その事実からしても行足寺初代住職が死去すれば行足寺は返還されます。
返還されるということは正信会のものではないことがハッキリしているのです。」
A 平成20年6月16日付慧妙によると佐賀市の日蓮正宗寺院大雄山世尊寺を不法占拠していた正信会僧は、平成14年5月26日、佐賀県佐賀市鍋島町蠣久字二本松319-2に閻浮山光明寺という寺院を新築してそこに移り、世尊寺は現在は無住になっている。
正信会信徒でも光明寺についていかなかった者も少なからずいる。
その中の1人が佐賀市内の日蓮正宗寺院である蓮栄院を訪れ、世尊寺の兼務住職である蓮栄院主管に「なんとか総本山に頼んで住職を世尊寺に派遣してくれ。墓参りに行っても寺には誰もいない。墓地の水も止められている。法事も頼めない。自分は光明寺には行きたくない。何とかしてくれ」と頼み込んできたという。御主管御尊師はその人に正信会の誤りや、大御本尊と血脈に対する信心について話をし、正信会をやめるよう説得したが、聞く耳を持たず、自分の主張だけ並べて帰って行った。とあります。
行足寺元住職がなぜ行足寺を明け渡さないかというと正当な日蓮正宗ではない清涼院への移籍を拒む檀徒も多くいるからです。
B 大白法728号平成19年11月1日号・異流義破折より
自称正信会の新たな各拠点は、日蓮正宗とは全く無縁のものである。
このことは、それぞれの拠点の名称が、日蓮正宗とは無関係に、各建立主らによって勝手に命名されている事実からも明らかである。
かつて日達上人は、「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(大日蓮昭和49年8月号20頁)と明確に御指南されている。
この御指南は、昭和52年路線における創価学会の謗法を指されたものであるが、そのまま自称正信会にも当てはまる。
いくら拠点を建てようと、日蓮正宗から離れた自称正信会の活動は、広宣流布とは全く無縁であり、むしろ謗法の害毒をまき散らしているに過ぎない。
文字どおり、「徒労」以外の何物でもないのである。
ところで、そんな邪教正信会は、新設した拠点にいったい何を安置しているのだろうか。
そういえば、彼らが創価学会の『ニセ本尊』を破折する姿を見たことは無いように思うが…。
まさか…。正信会よ、おまえもか! 創価学会は謗法だと言いながら、その創価学会と全く同じ謗法に手を染めたのか?
所詮、日蓮正宗でもなく、また大聖人の御化導の中心肝要に迷走する彼らにとって、今さら御本尊など、どうでもよいのかも知れない。
2008年9月21日 21時19分 自称行足寺幹事赤井虎吉氏の回答さてたかぼん様。明らかになったことがあります。 たかぼんより A 宗教法人清涼院の登記簿 |
@ 2008年12月15日
川田ご住職が亡くなれば、行足寺を宗門に返還することなど100も承知の話です。だからこそ清涼院を建立しました。
私たちは正信覚醒運動に邁進していますが、日達猊下のご遷化と共に消滅した、富士の法灯が再び灯ったときには、清涼院を宗門に寄進しようというのが、行足寺僧俗の一致した考えですよ。
A 2009年1月9日
あと数ヶ寺の判決を残すだけとなった私達の裁判に関してのお話をします。当初敗訴続きの裁判でしたが、仏天のご加護、弁護団の先生のご尽力、さらに係争途中で逝去された住職のご遺族とその所属信徒のご協力とご理解を頂戴したおかげで、最高裁判所は私たちの代表役員の地位を認めはしませんでしたが、宗門側の求めていた寺の明け渡しも認めませんでした。いわゆる「双方却下」の判決が確定しました。」(第19回日蓮正宗全国法華講大会 現況報告 正信会副議長近藤済道師より)
たかぼん氏は教学に長けていても、法律には疎いようですね。宗門側が求めていた寺明け渡しは最高裁で却下されたですよ。何度も言うようですが日本の裁判制度は一事不再理。一度確定した判決で有る以上法律と同じ。たかぼん氏がいくら「不法占拠だ」と叫んだところで、「判例を読め」と言われれば、それで終わり。「不法占拠だ!」といくら叫んだところでそれは所詮負け犬の遠吠えにしかなりませんよ。
@に関して
まず行足寺元住職が建設したところの「清涼院」について総本山大石寺側では日蓮正宗の僧侶でもない者が、日蓮正宗の信徒ではない者たちから供養を集めて、日蓮正宗宗門の末寺たる行足寺の御本尊様に御供養された供養を勝手に使って建設した建物である。
そして本来行足寺にあるべき行足寺の常住御本尊もしくは本来は住職や寺族が庫裡で拝むために下付された常住御本尊を持ち出して「清涼院」なる場所に勝手に安置しているという考え方を持っております。
大謗法と判断しております。
また顕正会においても自分達が建設した顕正寺なる寺院を総本山との和解がなったら御供養すると言っておりました。
たとえ日顕上人や日如上人が遷化(死去)して別の法主が立ったとしても正信会や創価学会、顕正会の破門が解かれることはありません。
従いまして赤井さんが仰るような総本山大石寺側で正信会に謝るとか、清涼院なる寺院を供養するなどということは起こりません。
断言させていただきます。
Aに関して
* なぜ余市の正信会寺院だった長遠寺は平成19年6月27日に日蓮正宗に復帰してきたのでしょうか?
今でも行足寺の代表役員(住職)は、日蓮正宗の御僧侶である直唱寺の住職がなっています。破門された者は、日蓮正宗の行足寺を不法に占拠している輩なのです。
時と共に、やがて行足寺でも復帰奉告法要が営まれる日が来ます。
裁判によってその寺院の代表役員つまり住職としての地位が否定されたことによって、正信会は将来における敗北が確定したのです。
ですから元住職の死亡により行足寺は明け渡されることになります。
そしてその時点で檀徒たちは日蓮正宗とは無関係の清涼院なる単立寺院の檀徒となり日蓮正宗へのつながりが完全に断たれることとなります。
* 将来行足寺に関しては「大日蓮」において以下のような宗務広報が発表されます。
宗務広報 ○号 ○年○月○日
行足寺(北海道札幌市白石区)、宗門へ返還
○年○月○日、これまでいわゆる正信会の者に不法占拠されていた北海道札幌市白石区の清涼山行足寺が○年ぶりに宗門に返還されました。
これは、同寺元住職川田乗善が○年○月○日に死亡したことによるもので、これを機にこのたび宗門に返還されたものであります。
なお、同寺は、今後○○師が業務住職として職務を執行し、占有管理をしてまいります。
以上
釧路市では日淳上人開基の正門山興徳寺が第2代住職山本量道氏が正信会に付いて宗門から破門されましたが、1年余りで死去、
平成9年8月21日、釧路市内の如意山法珠寺の入仏式に際し日顕上人はちょうど15年前の昭和57年8月21日に破門に処した、山本量道氏について思いを馳せられ、大慈大悲を示されました。
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−妙法の功徳(逆即是順)−
法門の中に「逆即是順」ということもあります。これは個々の信心のなかにおいて、色々な悪いことをしていたけれども、その信心を正しくどこまでも受け持って、退転せずに信心修行に邁進していくところに、かえって過去の悪が転じて、そのまま菩提の因となる不思議な姿であります。
これは特に法華経の功徳でなければ、この道はないということを大聖人様が種々の御書に御指南であります。
特に『始聞仏乗記』という御書でありますが、ここに「相対種」な悪いものが妙法の大きな功徳によって転じて、大きな幸せになるという姿があります。
この場合は、山本量道のことについて云々ではありませんが、山本の悪業の姿も、日蓮正宗の僧俗が真に和合して正法を護持し、広布へ進むところの功徳をもって彼が回向されて、そこに「転迷開悟」の姿が、現在ないし未来において顕れてくるものと思うのであります、
そういう意味からも、このたび寺号公称、再出発に当たりまして、山号を『如意山』と付けたのであります。
平成20年10月16日付慧妙の北海道中川郡池田町の広大山長円寺の記事からは山本氏の後を継いで作られた正信会の建立した寺院正興院が壊滅状態になっているといいます。
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平成19年6月には釧路市にある正信会寺院から幹部をしていたSさんが晴れて長円寺に帰伏した。
Sさんによれば、所属していた正信会の住職は、無道心の上に素行が悪く、当初200人いた信者は櫛の歯が抜けるように離れて行き、今では数えるほどしか残っていないという。
Sさんは「正信会が日蓮正宗であると思っていた私は、半ば日蓮正宗の宗教自体に懐疑的な気持ちになっていましたが佐藤正悌御住職は、私のくだらない質問にも、懇切丁寧に答えて下さいました。そうした中で自分は悪くない。僧侶が悪いと思い続けていた私の気持ちもどんどんほぐれていったのです。そして長円寺の会合に参加させていただくたびに、「これが日蓮正宗の本当の御僧侶のお姿なのだ、と感激しました。」
そして無事に勧誡を受けるところまでこぎつけたものの、それでもまだSさんの気持ちの中では、「佐藤御住職だけが特別なのかもしれない」という思いが消えなかったという。しかし、そうした疑念もすぐに払拭された。
Sさんは「後日、法珠寺の御住職様や、他の御僧侶にも接する機会があったのですが、どの方も立派な方だったので、本当に感激いたしました。これで私の迷いはすっぱりと断ち切れたのです。」という。
Sさんは7月の合同座談会に旧知の正信会員Aさん(婦人)を連れてきており、そのAさんも後日無事に勧誡を受けることができた。
なおAさんは勧誡式の当日、新来者のSMさんを連れてきており、そのSMさんも8月末日に夫婦揃って勧誡を受けた。さらにSMさん夫婦は別に住んでいる娘を折伏した。
こうしてSさんから始まった正信会からの帰伏と折伏の連鎖は、止まることなく続いている。現在Sさんはまだ正信会に残っている人達に電話をしては、日蓮正宗の御僧侶の素晴らしさを訴え、折伏しているという。
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