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【社会】

前面展望式車両、名鉄が最初ではなかった 

2012年9月30日 09時09分

最前列まで客席となっている500形の車内(所蔵・奥野利夫氏、協力鉄道友の会九州支部)

写真

 パノラマカーのように、車両の最前部まで客席になっている「前面展望式車両」は、名鉄が最初じゃなかった−。名古屋を中心に活動する交通ライター徳田耕一さん(59)=鈴鹿国際大客員教授=が、9月に出版した「日本のパノラマ展望車」(JTBパブリッシング)で、こんな事実を紹介している。徳田さんは「鉄道業界やファンを含め、私も名鉄が最初だと思っていただけに複雑な思いだが、事実は残さないと」と話している。

 徳田さんによると、名鉄のパノラマカーが登場する18年前の1943(昭和18)年に、西日本鉄道の福岡−大牟田間の急行電車で、最前列まで客席を設置した車両500形が導入された。ガラスを前に運転席が左側に、右側に2人分の客席が置かれた。徳田さんはこの急行を「日本初の前面展望式高速電車」と名付けた。

 名鉄のパノラマカーは運転室を2階に上げた本格的な前面展望式車両で、61(昭和36)年6月、豊橋−新岐阜間で導入された。名鉄は「走るパノラマ展望車」と紹介した。日本初とはうたっていない。

 西鉄広報室アーカイブ活用課長の吉富実さん(58)が7月、鉄道友の会から預かった京都市内の故奥野利夫さん所蔵の写真の中に、500形の最前部が写っており、初めて確認できたという。これまで500形の図面は残っていたが、実物の車両は戦後、ロングシートに改装されて今は残っておらず、確証は持てなかった。

 吉富さんによると、導入当時は戦争中で派手な宣伝は自粛され、前面まで客席ということは紹介されなかった。西鉄社内でも、この事実を知る人はほとんどいないという。

 徳田さんと40年来の親交がある吉富さんが、全国のパノラマ展望車の話題を集めた著作を執筆していた徳田さんに連絡。徳田さんは写真を確認し、著作に急きょ500形の記事と写真を付け加えた。

 徳田さんは鉄道に関する著書は41冊あり、パノラマカーに関するものはこれが3作目。徳田さんは「前面展望式車両が全国で姿を消しつつあり、できるだけ形に残したいと思って本を書いたが、意外な事実が分かって感慨深い」と話している。

(中日新聞)

 

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