2012-09-23
■[DVD] ミズーリ横断
1951年作品
監督 ウィリアム・A.ウェルマン 出演 クラーク・ゲイブル、マリア・エレナ・マルクェス
(あらすじ)
西部開拓時代のミズーリ州。猟師のフリント・ミッチェル(クラーク・ゲイブル)は、ビーバーの宝庫といわれる地域を支配するブラックフット族との友好を深めるため、彼等の呪術長の孫娘カミーラ(マリア・エレナ・マルクェス)を妻に迎える。しかし、白人に土地を荒らされることを嫌う一部のブラックフット族の妨害により、猟場へと向かうフリントとその仲間たちの旅は困難を極める....
久しぶりにウィリアム・A.ウェルマン監督による西部劇を鑑賞。
フリントがカミーラに興味を持ったのは、ビーバー猟を円滑に行うためという打算的な考えからなのだが、幸い、彼女の方は初めて顔を合わせたときからフリントを気に入っていたようであり、二人の仲は急速に接近。そうして生まれた彼等の子どもが成長し、幼い頃に父親のフリントから聞かされた昔話を物語る、っていう形でストーリーは幕を開ける。
したがって、当然ながら、フリントが正義の味方であり、ブラックフット族の反白人派の急先鋒であるアイアンシャツが悪者という図式でストーリーは進んでいくのだが、正直、“我々の土地を荒らすな”というアイアンシャツの主張にも相当の理由があるように思われるため、フリントとその仲間たちの行為を100%肯定的に受容することも出来ない。
勿論、最後のクライマックスは、フリントとアイアンシャツとの一騎打ちになる訳であるが、そこに至るまでの間、猟師たちが娯楽として行う射撃大会の様子など、ストーリーとは直接関係のない、ドキュメンタリーのような描写にそれなりの時間を費やしているのは、本作を単純な勧善懲悪ものにすることを潔しとしないウェルマン監督の配慮だったような気がする。
また、フランスからの移民はフランス語を話し、先住民族の方々は彼等自身の言葉を話すという当たり前のことが、そのまま当たり前に描かれていることも好ましく、通訳を一手に引き受けるピエール役のアドルフ・マンジューがいつもどおり良い味を出していた。
ということで、フリントとその仲間たちは、道なき道を進む過酷な旅の末、ようやく猟場にたどり着く訳であるが、狩猟のための基地として、大平原の真ん中にポツンと造られた砦の醸し出す居心地の悪さが、そのまま彼等の立場を表しているような気がしました。
2012-09-22
■[映画] 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望
今日は、いまや恒例となった(?)娘の模擬テスト中の映画鑑賞ということで、妻と一緒に「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」を見てきた。
これがシリーズ4作目であり、これまでの作品と同様、本作も映画館で見るつもりはなかったのだが、娘が“映画には興味はないが、TVのCMで撃たれた青島君の生死だけはちょっと気になる”と言っていたのを思い出し、まあ、ほとんどそれを確認するだけのような気持ちで映画館へ。
さて、健康診断で要精検になったくらいで生きる気力を失ってしまう主人公や、いきなり辞表を提出し、退職辞令ももらわないまま辞めてしまう同僚等、例によって内容はツッコミどころ満載であるが、まあ、そんなことを気にしていたのではこのシリーズは見ていられない。人質の子どもがいる倉庫に大型バスを突っ込ませるという(悪い意味で)驚愕のクライマックス・シーンも、十分許容範囲内。
そんな中、ちょっとだけ気になったのは、主人公が部下の発注ミスの責任を取ることを嫌い、結局、最後まで上司に報告しないまま済ませてしまっているところ。本作では警察の隠蔽体質というのを批判的に取り上げているのだが、その主要な動機になっているのがこの“責任逃れ”であり、それに対する批判を明確にする上でも、ここはしっかり主人公に責任を取らせておくべきだったろう。
ということで、最大の目的であったCMの“その後”については、あのCM自体、別々のシーンで起きた“主人公の転倒”と“銃声”とを合成して作り上げた架空の出来事という、これまた驚愕の結末。まあ、そんな詐欺的行為まで“しょうがないか”と容認させてしまうのが本シリーズの強みなのだが、同時に、観客側のそういった生ぬるい態度がこのシリーズを含む邦画全体のレベルをどんどん低下させてしまっているのでしょう。
2012-09-17
■[DVD] 追想
1975年作品
監督 ロベール・アンリコ 出演 フィリップ・ノワレ、ロミー・シュナイダー
(あらすじ)
ドイツ占領下のフランス。負傷した政治犯等の治療を行ったために当局からマークされてしまった外科医のジュリアン(フィリップ・ノワレ)は、妻のクララ(ロミー・シュナイダー)や娘のフロランスが巻き添えになるのを恐れ、別荘として利用していた郊外の古城に二人を避難させる。数日後、仕事が一段落した彼は、妻子に会うために別荘のある村を訪ねるが、そこで彼が目にしたものは….
長年見たかったロベール・アンリコ監督の名作。
いろんなところで話題になった作品のため、大まかな設定と衝撃的なラストに関しては見る前から余計な知識がインプットされてしまっていたのだが、そこは名作ということで、ある程度ストーリー展開が読めてしまっても大きな問題にはならず、最後まで大変面白く見続けることが出来た。
主人公が家族と共に楽しい時を過ごした古城が復讐劇の舞台になっているのだが、映像的な面以外でもこの設定が見事な効果を上げており、複雑な城の構造を完全に把握しているジュリアンは、それを利用して妻子を虐殺したドイツ兵を次々に殺害していく。また、そこには幸せだった家庭生活の思い出がいたるところに染み付いている訳であり、復讐の鬼と化したジュリアンが凶行の合間についつい“追想”に浸ってしまうというストーリーにも上手くマッチしていた。
まあ、その追想シーンに現れるのが幸せな思い出ばかりというのは、勿論、凄惨な現在との対比を際立たせるためのロベール・アンリコの作戦なのだが、そこでの妻クララの良妻賢母ぶりはあまりにも強烈であり、分かってはいてもどうしても心を揺さぶられてしまう。正直、夫の目の前であんなに幸せそうに笑う女性というのは、一種の衝撃であった。
そのクララを演じているのは、公開当時37歳のロミー・シュナイダーであり、その落ち着いた美しさには特筆すべきものがある。一方、主演のフィリップ・ノワレも流石の名演技であり、その太った体で、汗をかき、息を切らせながらドイツ兵を追い詰めていく様子は、なかなかリアリティがあった。
ということで、評判どおりの面白い作品であり、これ一本ですっかりロミー・シュナイダーのファンになってしまった。これまであまり意識したことのない女優さんなので、どんな作品に出演しているのか良く分からないのだが、何か別の作品も見てみたいと思います。
2012-09-14
■[DVD] 探偵はBARにいる
2011年作品
(あらすじ)
札幌のススキノにあるBAR“ケラーオオハタ”を事務所代わりにして探偵稼業を営む“俺”(大泉洋)の元へ、ある夜、“コンドウキョウコ”と名乗る謎の女性から仕事の依頼の電話がかかってくる。翌日、依頼されたとおり南という弁護士を訪れ、彼女から指示されたとおりの質問をするが、まともに取り合ってもらえず、その帰り道、複数の男たちによって拉致されて雪の下に生き埋めにされてしまう….
ローカルTVで放映中の「水曜どうでしょう」で我が家でも大人気の大泉洋の主演作品を家族で鑑賞。
基本は、主人公の“俺”とやたらに喧嘩の強い高田(松田龍平)とのコンビによるハードボイルドな探偵物であり、多用される主人公のモノローグもいかにもそれっぽいのだが、それをバックに映し出される実際の映像の方はかなりドタバタ調であり、そのギャップが観客の笑いを誘う。
その一方、終盤はあくまでもシリアスにまとめられており、まあ、こちらもベタな手法ではあるものの、結末の悲劇性をより高めることに成功している。大泉洋の主演であれば、もっとハチャメチャな内容のギャグ映画にすることも可能だったと思うが、あえてオーソドックスな手法で勝負した制作態度には好感が持てる。
また、物語の舞台を冬の札幌に設定したことが意外なほど効果を上げており、暴力団が主人公に警告を与えるために採用した方法が“雪の中への生き埋め”というのはとても新鮮。札幌という土地が雪国であることを改めて再認識させていただいた。
主演の大泉洋はまさにハマリ役であり、ちょっと三枚目の入ったクールガイ役を楽しそうに演じている。相棒の高田に扮している松田龍平も悪くないのだが、出番は少ないもののストーリー的には極めて重要な役である霧島を演じている西田敏行が完全なミスキャストであり、人望の厚い左翼上がりの人物にはどうしても見えなかった。
ということで、幸いなことに本作の評判は良好だったらしく、続編の製作が既に決定しているとのこと。しかし、続編が公開されたら映画館に見に行くかというと、まあ、ちょっと微妙なところであり、映像的にはTVドラマの域を出ていないことから、またDVDでも良いかなあ、なんて思ってしまいます。
2012-09-13
■[DVD] マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙
2011年作品
監督 フィリダ・ロイド 出演 メリル・ストリープ、ジム・ブロードベント
(あらすじ)
86歳になった元英国首相のマーガレット・サッチャー(メリル・ストリープ)は、夫のデニス(ジム・ブロードベント)にも先立たれ、ガードマンに守られたビル内の一室で孤独な晩年を送っていた。しかし、認知症の進行している彼女の傍らには常にデニスの幻が寄り添っており、そんな幻想を相手にしながら、今日も“鉄の女”と呼ばれた自らの波乱多き人生を振り返る….
同じイギリス製の伝記映画ということで、(おそらく妻も)「英国王のスピーチ(2010年)」のような作品を期待していたのだが、同じ歴史に名を残す人物といっても、長年権力の中枢にあった人物と政治的な責任を伴わない国王とでは評価の観点に大きな差があるようであり、本作からは「英国王のスピーチ」で感じられたような暖かい雰囲気は微塵も伝わってこない。
ストーリーは、精神的にも肉体的にも老化が著しい現在のサッチャーによる回想シーンの積み重ねで出来ており、父親の影響で政治家を志すようになった娘時代から、彼女の首相としての人気を高めるきっかけとなったフォークランド紛争を経て、人頭税の導入に対する国民の反発から首相を辞任するに至るまでが描かれている。
しかし、各エピソードとも描写は一面的であり、サッチャー自身の視点からしか描かれていないため、その内容を総合的に把握することは難しい。これは、彼女の下した決断に対する歴史的評価を回避するため、意識的にやっているのだと思うが、回想シーンの合間に描かれる現在のサッチャーの様子から推察すると、まあ、決して肯定的な評価は期待できそうにないような気がする。
主演のメリル・ストリープは、サッチャーの娘時代を除き、ほとんど出ずっぱりの状態であり、本作の演技により2度目のアカデミー主演女優賞に輝いたのも十分頷ける熱演であるが、正直、ストーリー自体はさほど面白いものではなく、彼女の名演技を楽しむだけの作品になってしまっているのが残念だった。
ということで、我が国にも在任中に新自由主義的な政策を推進し、大義なきイラク戦争を率先して支持した元総理大臣が存在するのだが、まあ、我が国の映画界においては、その人を題材に映画を撮ろうと考えるような人物はおそらく一人も存在しないでしょう。