2012年6月2日 朝日新聞特集記事より
<引用開始>
手塚さんは、別の自伝「ぼくはマンガ家」で、敗戦直後、米兵に殴られたことを明かしている。泣き寝入りするしかなかった。青春時代に直面した差別だった。そして記した・厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず、しぜん、ぼくの漫画のテーマにそのパロディがやたらと現れた;
<引用終了>
手塚さんは1928年生まれです。終戦直後というとまだ10代のころのことです。この文章を読んで理解できる人が、この日本にどれだけいるでしょうか。
「泣き寝入りするしかなかった」
「厭(いや)な思い出はぼくから頑強に離れず・・・」
私も同じです。今でも、読売の卑怯な奇襲に泣き寝入りするしかなかった当時の「思い出」が頑強に私から離れてくれません。
手塚さんはきっとトラウマになっていたのでしょう。本人の自覚はなかったかもしれませんが。そして、医学博士という称号を持ちながらも、マンガ家の道を選択しました。このときの体験が忘れられず、反暴力、反差別を命題にした人生を送ろうと決心したに違いありません。
反対に、「やさしさ」「無垢な心」「動物たちの世界」など、どう猛な男たちの世界とは違う作品をたくさん残してくれています。ウォルト・ディズニーの哲学と全く同じと言って良いと思います。
「ディズニーの国」という月刊誌の1963年10月号に手塚治虫自身が子供たち向けの短い文章を寄稿しています。34歳のときのことです。
「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た! 馬場康夫著 講談社より
<引用開始>
「ディズニーさんとぼく」
こういう題をかきましたが、ディズニーさんとはあったこともないし、だいいち、ぼくとはおやこほどとしがちがいます。
でもぼくは、ディズニーさんを先生というより、おとうさんのようにしたっているし、大すきなのです。
ディズニーさんの映画でなんといってもいいのは、どの映画も、よわいものや、ちいさなもののみかたになってつくられていることです。それから、もうひとつ、どんな悪者がでてきても、かならず心の底に、なにかやさしさと、したしみがかくれているからです。ぼくは、バンビやわんわん物語が大すきなのですが、マンガ映画で、涙がでてきたのは、けっしてぼくがおセンチのせいではないでしょう。
ディズニーさんのえらいところは、世界じゅうのこどもたちのために、映画だけではなく、いろんなおもちゃや、遊園地をつくって、自分の夢をどんどん実現していったことでしょう。
はじめは、とてもまずしかったそうです。おくさんと、豆ばかりたべながら、ミッキーマウスをつくった話をきいていますし、白雪姫ができあがったとき、一文なしになって、みすぼらしいかっこうをしながら、白雪姫の映画館のまえの、お客の長い列のうしろでじっと立っていた話も聞いています。お金もうけのためや、じぶんの名まえをうるだけのためなら、とてもできないことです。でも、世界じゅうが―日本でも―ディズニーさんがやりとげたことを、あとから、どんどんまねしはじめました。ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。
このあいだ、ディズニーランドのまねをした、遊園地へいってきましたが、なにからなにまで、ディズニーランドそっくりなのですが、なにか、ひとつものたりないものです。見おわって、そのたりないものがなにか、やっとわかりました。こどもたちへの愛情だったのです。つまり、ほんとに心のそこから、こどもたちのためにつくったものではなかったのです。
ディズニーさん、どうか長生きして、もっともっと、世界じゅうのこどもたちをよろこばせてください。
<引用終了>
この本にはこのように書かれています。
<引用開始>
「ディズニーの国」という、ディズニーのいわば公式雑誌に手塚が寄せたこの一文は、軽やかな文章とは逆に、その内容はとてつもなく深く重い。特に「ぼくだって、ディズニーさんのあとをおいかけるために、絵をそっくりまねしたものです。」という一節には、心を動かさずにはいられない。なぜならそれは、手塚治虫が、ウォルト・ディズニーは「好き」で真似した相手を訴えたりするはずがないと、心から信頼していた証拠だからだ。
そもそもディズニーの長編アニメの大半は、世界の有名なおとぎ話のリメイクである。
<中略>
エンタテイメントは、先の時代を生きたクリエーターの愛と信頼に基づく模倣の積み重ねであることを、シェイクスピア以降、誰よりも明確に示したのは、ウォルト・ディズニーその人であった。ディズニーランドのアメリカ河に浮かぶ、トム・ソーヤ島やマーク・トウェイン号を見るたびに、私たちはマーク・トウェインの作品に憧れ、模倣し、それを乗り越えたウォルトの、マークに対する心からの尊敬と愛情を感じて、微笑まずにはいられない。
<引用終了>
東京ディズニーランドがオープンする前夜のことです。
私はショー開始前に、ワールドバザールを歩く手塚治虫氏の姿を忘れられません。
ひょうひょうと歩いているのですが、何かスーっと姿が消えていきそうな「現生の人」ではないようなオーラを感じました。
ここまで書いてきて思い出したことがあります。
ディズニー7つの法則―奇跡の成功を生み出した「感動」の企業理念 トム コネラン著 日経BP社
この本の最初にこのように記されていたと記憶しています。
この本はディズニーから書いて欲しいと頼まれたものでも、書くなと言われたものでもない。
要は、「勝手に書いた」という意味ですが、この「事実」を付け加えるだけで、読者は安心して読むことが可能になります。
ディズニーは大人です。最後のパレードにも、同じような一文を載せておけばよかったと後悔しています。
実際に最後のパレードを読んだ読者からの「ディズニーランドに行ってみたくなった」「もう一度働きたくなった」などという手紙がたくさん届けられたのですから。
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