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独占手記

元自衛官、尖閣に日の丸を掲げるの記

伊藤 祐靖 (元海上自衛隊・特別警備隊先任小隊長)

距離約300メートル――

伊藤氏

 20回目のドルフィンキックをカウントしたところで、うつ伏せの状態で潜水していたのを、浮上に備え、仰向けの体勢に変えた。そして数十秒後、顔面だけを水平に水面に出した。久しぶりに呼吸しながら全周警戒を開始した。「第一桜丸」と十分な離隔距離がある。絶対に私のシルエットに気付かれないという確信を持った。

 背泳ぎのような体勢で頭越しに灯台の明かりを確認した。距離約300メートル――。顔面だけ水面に出して島への近接を開始した。

 時折、うつ伏せになり、海底で遊ぶ夜光虫の光までの距離を見て水深をチェックした。

 波打ち際を超えて、いよいよ岩盤に対する軟着陸が迫ってきた。

 そこには遥か昔、日本人が住んでいた頃に船の進入路が切られているのはわかっていたが、海上保安庁が管理するソーラー式の灯台の皓々とした明かりで夜目を壊されている状態では、洋上から発見できるわけがないと確信があった。

 私はひたすら灯台を目指した。

 一般のスポーツサーフィンは、波が砕ける頂点より陸岸寄りにポジションを取る。そうすることで、一気に推進力を得ようとするのだ。しかし私が選んだのは、ギザギザの岩が突き出た岩盤への軟着陸である。サーフィンのやり方では激突してしまう。そのため波が砕ける頂点よりやや後方に位置取りした。岩盤に波が叩きつけた直後に柔らかく着地し、引き波によって海に引き戻されないように、手足に力を入れた。

 とくに難しいことではなかった。海上自衛隊の特殊部隊を退職してから移り住んだミンダナオ島で、何百回と経験しているため、タイミングを外すわけがなかった。

 ギザギザの岩盤に体を傷付けずに、波の推進力を最大限に利用してすっと着地した。

 私は身を低くして耳を澄ませた。柔らかな波音だけが聞こえた。光沢を消すために文字盤の表面をネットコーティングしたルミノックスの腕時計を見つめた。

 午前4時20分、私は魚釣島に上陸を完了した。


この続きは「文藝春秋」2012年10月号でご覧ください。

※この記事の公開期間は、2012年12月09日までです。

この記事の掲載号

2012年10月号
2012年10月号
「国会改革」憂国の決起宣言
2012年9月10日 発売 / 定価840円(税込)
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