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【東京】「国宝級の芸人失った」 25日に亡くなった三味線漫談家の玉川スミさん
二十五日に心不全のため亡くなった芸歴九十年の女性三味線漫談家、玉川スミさん(92)を惜しむ声が、ホームグラウンドだった台東区浅草の六区周辺から続々と寄せられている。玉川さんの写真を掲げた浅草六区通りの街路灯に、冥福を祈る花が手向けられた。 (丹治早智子、井上圭子) かつて劇場がひしめいた浅草六区通りに、ゆかりの著名人の写真を掲げた街路灯が三十二基ある。写真付き街路灯の発案者で、地元で鯨料理店「捕鯨舩(ほげいせん)」を営む元芸人の河野通夫さん(66)は「僕が若いころから玉川さんは重鎮だった」と懐かしむ。「旅芸人一座から頑張ってきた方でした」と河野さん。 通りの突き当たりには、一昨年十一月に玉川さん最後の舞台となった浅草演芸ホールがある。運営する東洋興業会長の松倉久幸さん(77)は「国宝級の芸人を失った」と肩を落とす。「最後の舞台も声には張りがあり、客席はやんやの拍手。本人も百歳までやると張り切っていたのに」と残念がる。玉川さんの看板芸は、広げた数十個の扇子を手足で持ち、体を松の木に見立てる「松づくし」。漫談では毒舌の中に人生の苦労を織り込み、客を笑いと涙で包んだ。「あれだけ含蓄を含んだ漫談はない」と松倉さんは惜しむ。 玉川さんが足しげく通った「翁そば」三代目店主の中村和子さん(71)は「大御所なのに偉ぶることなく、空いてる席に座ってくれた」と気さくな人柄をしのぶ。実母と同い年の玉川さんを「お姉さん」と慕い、玉川さんも中村さんを娘のようにかわいがったという。 九月に九十歳になった漫才協会名誉会長の内海桂子さんは「年を聞かれる度、あたしよりまだ上がいるよって言ってたのに。寂しいねえ。玉川さんとは出身地も違うけれど、ともに切磋琢磨(せっさたくま)してきた。芸のある人だけに惜しい」。一生を芸にささげた仲間の死を悼んだ。 PR情報
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