選挙に出馬する際に必要となる供託金制度について、高額だと批判している人々がいるようである。具体的には「供託金600万円 出馬足かせ 脱原発団体「高いけど集めるしか」」(東京新聞)あたり。確かに実際問題として高いは高いのだが、ずいぶんとその経緯をはしょった記事だなあと思うこと若干。
第一に、供託金値上げの背景にあったのは選挙ゴロの活動である。どういう人種かというのは、たとえばWikipedia日本語版でもこのあたりとかこのあたりを読むとよいのだが、要するに「反共」を看板として掲げ・当選ではなく他候補の選挙妨害を目的に活動するヤカラであって、その標的は主として革新候補であった。つまり本来この値上げは真面目な市民運動家や革新政党の候補を守るためのものだったんだけどね、という話。
高額の供託金+没収という制度設計もそこに由来している部分があり、つまりたとえば一定の有権者署名を集めるという代替案は可能だが、それらの署名が真正なものである(きちんと署名者が実在し・同意している)ことを確認しようと思うと相当の手間と時間が必要になる。他方そこを無視してとにかく署名が揃っていればいいことにしてしまうと、『マルサの女2』の領収書ではないが、大量偽造をはじめるヤカラが出てくるわけだ。「背番号候補」事件のように、候補者すら偽造しちゃった前歴があるわけだからね。
これに対して供託金の有無は簡単にチェックできるし、当選を目的としておらず・得票の低い候補から没収することで再発をある程度抑止することができる。実際に、典型的な政治ゴロは80年代以降姿を消しているわけだしね。逆に真面目な市民運動家であれば支持者がきちんといるはずだから返還ラインを超えるか、少なくとも寄付などによって調達することは可能だと想定されたのだろう。前回選挙における最低得票当選者でも44000票は集めているので、真面目に当選しようと思ってるなら3万人から100円ずつか、3千人から1000円ずつくらい集めてこいと、そういう話になる。
第二は選挙に対する公費支出の問題。ちょっといま手元に文献がないのだが、日本の選挙の特徴は選挙運動の形態に対する規制が厳しく・規制範囲内の活動に対する公費支出が多いことだと言われていたはず。つまり調達可能な資金量の影響をできるだけ抑え、同じような内容・水準で行われる選挙活動をもとに投票行動が決まることが「民主的」と考えられてきた。従ってたとえば衆議院小選挙区の場合、郵便ハガキの発送35000枚分とか、ビラ・ポスターの印刷費、選挙カーの運転手やウグイス嬢の人件費、看板代などに対して公費の補助があり、ある試算によれば(衆議院小選挙区の場合で)その総額は200万円以上となる。
実はこれが選挙ゴロ活躍の背景でもあって、どうも少なくともその一部は公費補助された郵便ハガキや金券類を他候補に横流しして資金に変えていたらしいという話。だから選挙への出馬を(特に当選を目的としていない場合には)経済的に引き合わないようにしようという制度改正に向かったわけですな。
つまり、他国との比較で日本の供託金水準を問題にしようとするのであれば、記事で挙げられている供託金の安い国々において日本と同程度の公費支出が行なわれているかどうかをきちんと確認する必要があるだろうということ。アメリカの場合、連邦議員であっても選挙制度は州ごとの規制なので調べ切れていないが、大統領選挙に対する公費支出制度が1971年になって例外的に導入されたに過ぎないこと、いくつかの州・自治体で私的寄付を受けないことを条件に公費助成する制度が導入されているとの記載が見つかることから、ごく限定的ではないかと思われる。イギリス・フランスについては助成に関する記述自体が発見できなかったので、制度的に存在しないのではないかとも思われる。
念のために言うと、上記のような事実関係を踏まえた上で供託金も高いが公費投入も多い制度(公営選挙モデル)を選ぶか、供託金を抑える一方選挙運動は自前資金という制度にするか(市場競争モデル)は選択の問題だろう。個人的には、後者のモデルでは投入される資金量の管理・統制が非常に難しくなり、企業や特定の利益団体から集中して政治資金を調達しやすい保守勢力に有利になるのではないかという気がするわけではあるが。
コメントする