歌詞における人称代名詞について考えていたときに偶然、「面影ラッキーホール」というバンドの歌を聴いた。これ聴いて僕としてはちょっとびっくりしちゃったんです。
ということで面影ラッキーホールについて話します。
念のためいっときますがこのバンドの歌詞は聴く人によっては(特に女性には)生理的嫌悪感を持たれるかも知れません。どうかご勘弁を。
音楽的にはたぶんサザンオールスターズの系譜に連なる、テンポが良くてホーンセクションがあって、という感じ。『セカンドのラブ』って曲は岡村靖幸の雰囲気もあるし曲によっては矢沢のにおいもある。
とにかくこのバンドは歌詞がすごい。
まず「男性が歌う女性視点の『私』歌詞」。正にちょうど僕が考えてたことなんで驚いた。オフィシャルサイトによるとこのバンドは「一人称おんな歌の復権を目指す」とか言っている。うむ、すばらしい。
ほぼすべての歌詞が演歌的女性視点の歌を歌っている。
それからすごいのはこの歌詞の「物語性」。
大体の歌が「誰が、何を、どうして、どうなった」というのが分かるような歌詞。
考えてみると「歌詞における物語性」というものは「演歌/歌謡曲」から「J-POP」に変遷するにつれて薄まってきたものだと思う。最近の歌詞は「感情」を表現するものが増えてきたからね。
そして更にすごいのがこの物語の乾いた残酷さ。
タイトル書くだけでもちょっとひくぐらいすごいですよ。
『パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏』
『好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた』
『ラブホチェックアウト後の朝マック』
特に『パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏』は本当にすごい。曲調は正にサザン的ポップなんだけど歌詞がすごい。youtubeにあるんでぜひ聴いてみてください。
僕は思うんだけど、この人たちは決してここに出てくるような人たちのことを馬鹿にしているわけでもシニカルに突き放しているわけでも無いんだと思う。もちろん露悪的にただ茶化しているわけでもないはず。
パチンコやってるあいだに娘を死なせてしまう主婦、ダメな男に騙されつつも自分の腕にコンパスで男の名前を書いて書くだけで終わらず病院に運ばれる女、男は自分の体だけが目当てと分かってて付き合いつつしかも殴られる女。。。
たぶん社会的に自分が真っ当だと思っている人(たとえば大企業の会社員だとかマスコミだとかさー)が突き放す、こういう人たちに対して、このバンドは心情的には寄り添っているんだろうと思う。でも寄り添っているからこそ自分たちの無力さを痛感し、何も出来ないからこそ歌を歌っているんじゃないだろうか、、、というと褒めすぎかね。
だってね、僕だってそうだもの。
これらの歌に出てくる女性たちの境遇を容認することは出来ないし、賛成して賛美しているわけではもちろん無い。出来れば目を背けて生きていたい。でもこういう状況があるのは確かだし更にはそれを僕個人はどうすることも出来ない。そのもやもやからこのバンドの曲を聴いてるわけです。
個人的にはトム・ウェイツ的『路上詩人』の視点を感じてしまう。
僕が一番心をぐわんぐわん揺さぶられたは『ゴムまり』という歌。
まずこのPVの冒頭、一軒家の風情にいきなり持ってかれましたよ。だって僕の実家のほうにはこういう一軒家たくさんあるもの!そしてそういうところに住んでるシングルマザーいるもの!!
それと車が黒のコンパクトワゴンというのもたまらないリアリティ。
僕の実家の同級生にはこういう人たくさんいる。もちろん僕の友人たちはこの歌詞のような悲劇にはあっていない(当たり前だ)けど、でも、もし一歩歯車が狂えばこういう話は僕の近くにもあったかも知れない。いや、僕自身が当事者になることだって一歩間違えばあったかも知れない、とすら思う。だから僕は決してこの歌詞がどこかの絵空事とは思えない。
歌詞も書いときます。最後のほうはあまりにも「うわあああ」ってなるので割愛。
---
別れたダンナに日に日に似てくる
笑い顔がね、憎らしいほどに
実家に預けるようになってから
あたしにももう懐かない
ママはタバコくさいからと顔を背け
ママはお酒くさいと泣き出す
ママも女だから許して欲しいの
邪魔だと思わせないで
もうこれ以上困らせないで
吐息がこぼれた
新しいパパになってくれるかと
馬鹿みたいにね、淡い夢抱いて
十も離れているあいつに惚れて
捨てられるのが怖かった
---
『邪魔だと思わせないで』ってのがほんと切ないとこだよなぁ。
あと、『わたしだけにかけて』って曲もあってこれまた動画がすごいことになってます。歌詞といい登場人物といいこれだけ下品だと逆に品があるように思えちゃう不思議。
『わたしだけにかけて』(youtube)
ということで面影ラッキーホールについて話します。
念のためいっときますがこのバンドの歌詞は聴く人によっては(特に女性には)生理的嫌悪感を持たれるかも知れません。どうかご勘弁を。
音楽的にはたぶんサザンオールスターズの系譜に連なる、テンポが良くてホーンセクションがあって、という感じ。『セカンドのラブ』って曲は岡村靖幸の雰囲気もあるし曲によっては矢沢のにおいもある。
とにかくこのバンドは歌詞がすごい。
まず「男性が歌う女性視点の『私』歌詞」。正にちょうど僕が考えてたことなんで驚いた。オフィシャルサイトによるとこのバンドは「一人称おんな歌の復権を目指す」とか言っている。うむ、すばらしい。
ほぼすべての歌詞が演歌的女性視点の歌を歌っている。
それからすごいのはこの歌詞の「物語性」。
大体の歌が「誰が、何を、どうして、どうなった」というのが分かるような歌詞。
考えてみると「歌詞における物語性」というものは「演歌/歌謡曲」から「J-POP」に変遷するにつれて薄まってきたものだと思う。最近の歌詞は「感情」を表現するものが増えてきたからね。
そして更にすごいのがこの物語の乾いた残酷さ。
タイトル書くだけでもちょっとひくぐらいすごいですよ。
『パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏』
『好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた』
『ラブホチェックアウト後の朝マック』
特に『パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏』は本当にすごい。曲調は正にサザン的ポップなんだけど歌詞がすごい。youtubeにあるんでぜひ聴いてみてください。
僕は思うんだけど、この人たちは決してここに出てくるような人たちのことを馬鹿にしているわけでもシニカルに突き放しているわけでも無いんだと思う。もちろん露悪的にただ茶化しているわけでもないはず。
パチンコやってるあいだに娘を死なせてしまう主婦、ダメな男に騙されつつも自分の腕にコンパスで男の名前を書いて書くだけで終わらず病院に運ばれる女、男は自分の体だけが目当てと分かってて付き合いつつしかも殴られる女。。。
たぶん社会的に自分が真っ当だと思っている人(たとえば大企業の会社員だとかマスコミだとかさー)が突き放す、こういう人たちに対して、このバンドは心情的には寄り添っているんだろうと思う。でも寄り添っているからこそ自分たちの無力さを痛感し、何も出来ないからこそ歌を歌っているんじゃないだろうか、、、というと褒めすぎかね。
だってね、僕だってそうだもの。
これらの歌に出てくる女性たちの境遇を容認することは出来ないし、賛成して賛美しているわけではもちろん無い。出来れば目を背けて生きていたい。でもこういう状況があるのは確かだし更にはそれを僕個人はどうすることも出来ない。そのもやもやからこのバンドの曲を聴いてるわけです。
個人的にはトム・ウェイツ的『路上詩人』の視点を感じてしまう。
僕が一番心をぐわんぐわん揺さぶられたは『ゴムまり』という歌。
まずこのPVの冒頭、一軒家の風情にいきなり持ってかれましたよ。だって僕の実家のほうにはこういう一軒家たくさんあるもの!そしてそういうところに住んでるシングルマザーいるもの!!
それと車が黒のコンパクトワゴンというのもたまらないリアリティ。
僕の実家の同級生にはこういう人たくさんいる。もちろん僕の友人たちはこの歌詞のような悲劇にはあっていない(当たり前だ)けど、でも、もし一歩歯車が狂えばこういう話は僕の近くにもあったかも知れない。いや、僕自身が当事者になることだって一歩間違えばあったかも知れない、とすら思う。だから僕は決してこの歌詞がどこかの絵空事とは思えない。
歌詞も書いときます。最後のほうはあまりにも「うわあああ」ってなるので割愛。
---
別れたダンナに日に日に似てくる
笑い顔がね、憎らしいほどに
実家に預けるようになってから
あたしにももう懐かない
ママはタバコくさいからと顔を背け
ママはお酒くさいと泣き出す
ママも女だから許して欲しいの
邪魔だと思わせないで
もうこれ以上困らせないで
吐息がこぼれた
新しいパパになってくれるかと
馬鹿みたいにね、淡い夢抱いて
十も離れているあいつに惚れて
捨てられるのが怖かった
---
『邪魔だと思わせないで』ってのがほんと切ないとこだよなぁ。
あと、『わたしだけにかけて』って曲もあってこれまた動画がすごいことになってます。歌詞といい登場人物といいこれだけ下品だと逆に品があるように思えちゃう不思議。
『わたしだけにかけて』(youtube)