30歳の時、ステロイド離脱によるリバウンドでは全身に火が付いたような痒みと痛みから
まったく身動きが取れず、緊急入院を余儀なくされた。
「何が悪いのか?」「どうして自分だけこんな目に逢うのか?」
病院のベッドから天井を見つめていると、やり場のない憤りが込み上げてきた。
気が狂いそうになりながら、感情を殺し思考を停止させることで何とか生きていた。
本来ならあの地獄の苦しみから解放されたことを、素直に喜べばよいのかもしれない。
だがアトピーだった18年間を振り返ると、そこにはこの病気を克服した喜びよりも、むしろ
悔しさや憤りといった感情の方が先にくる。
この後味の悪さは何だろう?
アトピーを治しても、手放しで喜べないことが多すぎるのだ。
アトピーといえば、一般的にはその強烈な痒みが特徴と思われている。
確かにアトピーの痒みは独特で辛い。
しかもこの痒みは症状が重症化するほど強くなる。
「掻いてはいけません。」という医者の忠告など百も承知だが、発作的な痒みに襲われると、それを理性だけで乗り切るのは不可能だ。手首を縛って我慢しても、そんな小細工が通用するほどあの痒みは尋常ではない。無理に我慢すれば発狂しそうになる。
だが痒みだけに目を奪われると、この病気の本質を見誤ってしまう気がする。
アトピーが顔に出てからというもの、私は人生の坂道を転がるように堕ちた。
アトピー患者の数が今とは比較にならないほど少なく、またアトピーと言う病気が社会的
にも認知されていなかったあの時代、アトピー患者を取り巻く環境は今とは別世界だった。真っ赤に腫れた顔から粉を噴き、慢性的な睡眠不足からウツロな目をした私の姿は当時、
世間でも職場でも異様だったに違いない。
「不潔!」「きたない!」
人の想いは口に出さなくてもその表情や仕草でわかるものだ。
今振り返っても、あれは想像以上に辛い経験だった・・・・。
「これはオレの本当の姿じゃない・・・・。」
本来の自分とアトピーの自分。このギャップに苦悩する患者は今でも多いはずだ。
私が、最後まで自分のことをアトピーと認めなかった理由もここにある。
アトピーと言う病気の本質を見極める場合、ここは見落とせないのではないか。
今、思い出すだけで、本当にいろいろなことがあった・・・・
真っ赤な顔をして痒くて、痛くて、恥ずかしくて、そして悔しい・・・・。
自分がアトピーであることを認めず、「アトピーなんか全然知りませんよ。」というフリをするのは本当にしんどかった。そして「いつかは治る!」と言う気持ちと「いつになったら治るのか・・・」という気持ちが交差するうち、気がつけば身も心もボロボロになっていた。
「努力すれば必ず報われる。」
私達は、幼い頃からそんな風に教えられてきた。
そして、このことは必ずしも間違いではなかった。
しかし、アトピーだけは頑張れば頑張るほど、努力すれば努力するほど悪化した。
私のこれまでの人生の中でも、アトピーは間違いなく最大級の障壁だったのだ。
だがアトピーは、「不治の病」ではない。
またアトピーは、一生コントロールするような病気でもない。
私は、今でもアトピーは「治そう!」と思って治せる病気だと信じている。
これだけは、どうしても伝えておきたかった。
飛鳥 旬
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