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風塵山荘
この掲示板は仏教者の視点から時事を語る掲示板です。宗教・宗派を問わず、特に正系六門下の日蓮主義≠謔閧フ時事評論は歓迎します。また十数年の長きにわたり特定の人物を誹謗・中傷してきた冨士尻学研究≠ニ称する不倶戴天≠フ邪妄団とは情報交換を通してともに闘う掲示板である。

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松木法太郎さんへ、 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月27日(木) 23時19分
大石寺の重書の写本の件
>この質問については初歩的な問題
お恥ずかしい限りです。(;;)
お答え頂き誠に誠にありがとうございました。
やはり日興上人のお寺であり本山ですね。
また、松木さんは、ものすごく調べたり考察されていて、驚いています。

おっしゃるとおりに私は、
>創賊等が大石寺には何もない、と云っているのは富士宗学要集の編集後記に、日亨上人が他山の日源等の写本を使用し一考を加えて高芳をもって謄写した、と述べられているように他山の写本を使用してどのような経過を経て要集に発表されたかはまったく書かれていません。それが大石寺の写本と対照したのかどうか、それすら述べられておりません。

とこれに似た思考経路、つまり、「他山の写本を使用」ではないのでは
と、昨日、大石寺の重書の書写は、どの時代、どの方の書写のものでし
ょうか。と言ってしまったのでありました。(ーー);;

===============================

上記の他の文面、読ませて頂きました。
まるで、ドラマを見ているような。人生を見ているような。
最終段階では魂の詩を読ませて頂いたような...............
自分自身で活路を見出して来られ、またこれからもそうして行かれる松
木さんの文章を、しっかりと読ませて頂きました。
有難うございました。

法隆寺釈迦三尊さん、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月27日(木) 20時09分

云く、
----------------------------------------------------------------
そうですか。一般的な著作や日蓮展等、そのようなところでしか文献を
目にすることが出来ない一般人にはそれは知らなかったです。
また、重書の写本というよりは、どうしても真蹟に着目点を置いてしま
いがちですが、大石寺の重書の書写は、どの時代、どの方の書写のもの
でしょうか。
----------------------------------------------------------------


※この質問については初歩的な問題であり、新編御書の目次を見るだけで結論は明瞭であります。祖判の写本の数では日興上人のものが圧倒的で他門の追随を許さないものがあり、日目上人の「一代大意抄」などは珍重されてしかるべきであります。

また、研究教学書(富士宗学全書)の目次だけを見ても、いわゆる相伝書の類で百六箇抄以外のものはすべて大石寺に流伝していることがわかります。ただ百六箇抄については古伝が無いというのが実情であります。

創賊等が大石寺には何もない、と云っているのは富士宗学要集の編集後記に、日亨上人が他山の日源等の写本を使用し一考を加えて高芳をもって謄写した、と述べられているように他山の写本を使用してどのような経過を経て要集に発表されたかはまったく書かれていません。それが大石寺の写本と対照したのかどうか、それすら述べられておりません。

ただ、御本尊七箇之相承に関しては聖典や要集に発表されたものは研究教学書とまったく同じでこの書も分解して詳細に分析をするとおもしろい結果が引き出されます。

百六箇抄に関しては何時?、誰が持ち込んだのかまったく不明で、おそらく要山から輸入されたものではないかと考えられるし、有師は広く全国を歩かれているのでその可能性も考えられるが尼崎の隆門を高く評価されているところからその可能性は薄いとすべきなのか、史料が乏しいのでうかつに結論は出せません。

日淳上人は聖典に発表するさい、百六箇抄を百七箇≠ニしています。下種の第三の本文中の本迹勝劣の文を一箇として総じて百七箇となっています。新編御書では原型を重んじて百六箇としていますが、私じしんは日淳上人の説を支持して名目は「百六箇抄」としても数量では百七箇を支持するものであります。


云く、
----------------------------------------------------------------
しかし。松木さんはやはり、どのような状態であっても大石寺に帰依さ
れておられるのですね。文面からにじみ出ているようです。
提案なのですが、やはり、松木さんのいう気違い行為はもうお止めにな
られては。
----------------------------------------------------------------


※これは貴方の思い違いであり私に「反大石寺」の過剰な期待を持ったのではありませんか。(笑)、私は現在応顕寺の気違ひ℃膜盾ネどから大石寺の教義に大きな疑惑を持っているとともに、宗教そのものに対する冷徹な見方も失ってはいない。

宗教とは人間≠ェつくりあげたもので本来は雲の上にある神々の座はすでにロケットや人工衛星がぶっ飛ばしてしまった。仏教は現実的な自然世界を観察して現象世界の中に真理を見つけようとしたもので、本来の仏教では抽象的な現象についてはまったく問題としてはいなかったもので、たとえば霊魂とか死後の世界とかの質問にはブッダはまったく返答されていない。

ブッダ・ゴーダマがひたすら弟子に説いたのは修行の方基≠フみであり、四諦・十二因縁・八正道である。最後の涅槃にあたり阿難に示した最後の言葉も「ただ怠らず務め励めよ」である。

或は、弟子の一人ひとりが瑜伽(禅定)によって得られる悟りの世界が個々に相違することを認めていたのではあるまいか。または得られた悟りに甘んずることなくさらに真理を探りつづけることを教えたものと思われる。浄土系のさる僧侶が発刊した「仏陀」という書籍に「道の体系」という副題がついていた。私はこの「道の体系」という言葉がよく仏教の本質を表していると感じている。

私は本年、私の母の三回忌にあたり、三件の正宗寺院関係から断られ、最後に札幌正信会の行足寺の川田御尊師にお願いして三回忌を無事に奉修している。これも私の人生の流れなのだろう。

数十年ぶりに行足寺に行き、誰もいなかったので本堂安置の日達上人の御本尊を拝して唱題をあげているうちに自分が信心を始めたころのなつかしさがよみがえり、万感むねに迫るものがあった。

私は大石寺関係者からも異端扱いをされてきたし日正寺の幹部法華講員からも私を批判するむきがあったことを知っている。ただ、私に面とむかって議論をふっかけてくる者がいなかっただけである。(笑)、


「3・11」によって亡んだのは東日本だけではあるまい。最もぶっ飛んだのは大石寺も含む日蓮系≠ナはなかったか。

ネットでは立正安国論が盛んに沙汰され、日蓮宗祖の時代の正嘉の大地震が月刊誌に取り上げられたりしたが、日蓮系の宗派で安国論を通して世間に正法の是非を論じたものがただのひとりでもいるであろうか。

牛馬巷に倒れ死せる屍を物見と為し、の情景が現実に起きたのである。絶望と悲嘆にくれる民衆の中に飛び込んで宗祖の教えを敷衍する行者がひとりでもいたか。私も含めてである。

悲惨な境遇に追い込まれ、すべてを失ったどん底から、わずかな希望の一点を見つめて這いずるように立ち上がった多くの人々は日蓮の教えで立ち上がったのか。あるいはキリストや親鸞の教法によって生きる希望を見いだしたのであろうか。ハッキリ云うがそんにもの聞いたことがない。

すべてを失ったものは、もう失うものは何もないことを悟ったから絶望の淵から一歩のあゆみを進みだしたのである。それはほんの一歩の踏みだしだったが、しだいに歩みが加速して生きることに持った希望に確信をもち苦難を乗り越えだしたのである。

「3・11」は、すべての宗教の無力さを証明した大事件でもあったのである。
 

こんばんわ 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月26日(水) 23時24分
>創賊ではよく、大石寺には古伝の相伝書がまったくない、と論じているようですが、大石寺には百六箇抄以外のものは全ての重書の写本が相伝されており、他派にはないものも多くあります。ただ、どういうわけか大石寺で格護している書籍は出さない傾向があり、御本尊七箇之相承なども大石寺のものがあるのに他山のものを公開しております。

そうですか。一般的な著作や日蓮展等、そのようなところでしか文献を
目にすることが出来ない一般人にはそれは知らなかったです。
また、重書の写本というよりは、どうしても真蹟に着目点を置いてしま
いがちですが、大石寺の重書の書写は、どの時代、どの方の書写のもの
でしょうか。

しかし。松木さんはやはり、どのような状態であっても大石寺に帰依さ
れておられるのですね。文面からにじみ出ているようです。
提案なのですが、やはり、松木さんのいう気違い行為はもうお止めにな
られては。

お気持ちはお察し致しますが、大石寺に帰依したいという願望がおあり
であれば........。
人間の信仰心を削がれること、生活文化をはく奪されることは耐え難い
ことです。
しかし、正直、松木さんの帰依される組織体がどこまで受け止めて頂け
るのかも関係することではありますが。

私は現場の人間でありますので、その感覚で申し訳ないのですが、仏教
といってもその原点は人の幸福だと思うのです。
どうか、どうか幸福になられることを念願するものです。
どこぞのお寺への怒り、創価への怒り、見下し。ウエルカムです。
いくらでも聞きますよ。しかし、本当に幸福になって下さい。
私は松木さんとは違う別の宗派ですが、人の信仰心を大事にしたいと思います。

法隆寺釈迦三尊さんへ、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月26日(水) 21時27分

云く、
----------------------------------------------------------------
ここです。教宣さんの人たちの中にここを指摘される方々がいます。
ただ、私は教宣さんと違って、これも一つの宗史として捉えています。
----------------------------------------------------------------


※創賊の中に冷徹な分析力をもった研究者がいることは希で、例外中の例外と云ったほうがよいでしょうね。創賊というのは単細胞の集合体であり、文章の深い意義や隠れた真実を見抜く洞察力を持ったものは皆無であります。

最近でも創賊に見られましたが、随宜論というと日精上人の造仏の証拠であり、造仏は謗法でありしたがって大石寺の法主には謗法の法主がいた、との短絡的で偏頗な見方しか出来ないのであります。(笑)、

これに対し大石寺側では真実の隠蔽に走り、事実から目を背けた虚構の論理に埋没しているのが現実なのであります。日蓮宗祖、日興上人ともにある範囲で仏像の安置は認められている。しかし、不造派はこれを一応の義とか、開教初期の暫定的な方便とか論じていますが、ともに僻論であります。

そもそも開教の初期であれば真義を隠蔽して布教するのが許されるのであれば、後世に至り真実などいくらでも作れるではないか、昨日までの教義は方便であり本日より真実を開くとなれば教義の雑乱であることは云うまでもない。


云く、
----------------------------------------------------------------
また、弘安二年の大御本尊は、『日蓮大聖人御真蹟御本尊集』にありま
せん。だからといって、別に大した問題ではありませんが、(鑑定に出
せばよいことという簡単なことなので)何が言いたいのかというと、大
石寺にはこれといったものはそう大して持ってないということと推測
し、また、それは他宗派でも、よく小耳にします。
----------------------------------------------------------------


※私は板御本尊はあるべきものであると考えています。観心本尊抄の「此の仏像」は色法像であれば日蓮宗祖がすでに造立していなければならないし、板曼陀羅であれば仏像≠ニ称してなんら問題は無い。また、真書の曼陀羅は心法像であるが事相のうえに顕れたものであるからこれを仏像と称してもなんら問題は無いという立ち位置であります。

創賊ではよく、大石寺には古伝の相伝書がまったくない、と論じているようですが、大石寺には百六箇抄以外のものは全ての重書の写本が相伝されており、他派にはないものも多くあります。ただ、どういうわけか大石寺で格護している書籍は出さない傾向があり、御本尊七箇之相承なども大石寺のものがあるのに他山のものを公開しております。

随宜論などはその典型的であり、大石寺の発刊書籍にはまったく掲載されておらず完全に秘書となっておりますが、正信会が発刊してようやくその全貌が知り得ました。正信会はこの一事のみでもその存在価値は宗史に燦たるものがある。


云く、
----------------------------------------------------------------
大曼荼羅を本尊とした場合。ここに人格を持たせること自体が詭弁のよ
うな気がします。
まだこれから身延も探っていきます。
----------------------------------------------------------------


※御本尊たる大曼陀羅そのものに人格を付与することは出来ない。あくまでも上行日蓮の内証であり本因妙を立てるから久遠元初の自受用報身となるが、先代の顕師その人が御本尊を直接的な自受用報身如来とすることは無理があると御指南されています。

これは常識的にあたりまえのことであり、大曼陀羅はあくまでも法本尊であり、人格を表示するのであれば日蓮宗祖の御影と曼陀羅の双立で人法一箇の本尊とするのが理想であるが、総勧請型の本尊形式については一考を要すると思う。
 

こんばんわ 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月25日(火) 03時22分
>応顕寺と○山なる痴犬の叩きに専念したいので、潰しが不可能な有料版
の板に移行したのだか・・・・(^^ゞ
==============================================================

この板の目的を知らず書き込みしてました。
申し訳ありません。
にも、かかわらずお応え頂きありがとうございます。(^_^;

>日寛師の勝釈迦のうえに立てられた日蓮本仏論は、要法寺の立義によって導き出された論であることを指摘しておきたい。
===============================
ここです。教宣さんの人たちの中にここを指摘される方々がいます。
ただ、私は教宣さんと違って、これも一つの宗史として捉えています。
ここまで、詳細なことを御教示下さったのは松木さまが初めてです。
大変にありがとうございました。

>日寛師が末法無上位に登られたからには宗祖に対する忠義≠ェその心底の基礎となっていたものであろう、要法寺という大石寺の臣下の立義に対し、あるいは一矢報いてさらなる高義を立てる気概はじゅうぶんに持っていたものと考えてもよい。

六巻抄の全体に流れる隙の無い、叩み込むような鋭い筆致と精緻な論理構造はまさに、床几に座して軍配をふるう武将の覚悟が彷彿とされるのである←(これって本当にスゴイと思います。ときおり、詭弁かと浅学の私は心底思ってしまうほどです。
論点ズレますが、富士門流の五重の相対の種脱。これは本当に理解に苦しみます。日蓮本仏論に正当性を与えるための論理構成と私には現段階には映ります。)
================================
もともと日尊門流は大石寺から、分派した宗派とお聞きしています。そ
して、松木さん曰く、百六箇抄も日興記(御義口伝)も、現在の史料では
要法寺から輸入されたものと推察されうると。
また、日郷師は大石寺を遁走するさい(向こうの主張では血脈相承の問
題で)に蓮蔵房にあった日蓮宗祖の御影を持ち出し、『日蓮大聖人御真
蹟御本尊集』にある万年救護の大本尊も持ち出した。松木さん曰くの百
六箇抄もということですよね。
つまるところ、大石寺におかれましても多くの問題を抱えたまま、今現
在がある。
また、弘安二年の大御本尊は、『日蓮大聖人御真蹟御本尊集』にありま
せん。だからといって、別に大した問題ではありませんが、(鑑定に出
せばよいことという簡単なことなので)何が言いたいのかというと、大
石寺にはこれといったものはそう大して持ってないということと推測
し、また、それは他宗派でも、よく小耳にします。

正直なところ、私は大聖人身延期の万年救護の大本尊は必ずこの一生の
中で、お虫払い法要っていううのでしょうか。一般公開のときに見に行
きますが、唯一大本尊と書かれている。
その「讃文」では
『大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖年月漢日三ヶ国之間未有之大本尊
或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之』
と書かれ、大聖人の上行の自覚が認められるし、この散文を見る限り大
聖人は本仏ではない。

さて、日蓮本仏論を考えるとき、やはり五重の相対は外せない。
身延では一尊四士は人本尊。大曼荼羅形式(一塔両尊四士含む)は法本
尊。また身延というよりはこれは天台教学の引き継ぎと思うのですが、
法華経の教相門(文上の教相)に立脚すれば一尊四士本尊、観心門(文
底の観心)に立脚すれば大曼荼羅本尊になるとされる。
要するに教観二門から本尊を論じている。そして、この教観二門の立場
から一尊四士形式も大曼荼羅形式もイコールという人もいます。違うと
いう人もいます。この部分でも本尊の論争となっているようです。
確かに、御書を見る限りでは、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。」と
あり(人本尊、一尊四士)です。そして、そのすぐ後にくる「宝塔の内
の釈迦多宝・外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」これは法
本尊、大曼荼羅形式です。
身延では、こう立て分けしております。それ以上、以下でもない。御書
に忠実です。
大曼荼羅を本尊とした場合。ここに人格を持たせること自体が詭弁のよ
うな気がします。
まだこれから身延も探っていきます。

追伸
応顕寺との一件のための掲示板ということですので、
ここではそれが目的だったのですね。
了解しました。

日蓮非本仏論 余話 その二、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月24日(月) 21時50分

法隆寺釈迦三尊さんが云く、
----------------------------------------------------------------
>※私の「非本仏論」というよりも日精上人までの大石寺教学と、寛師の本仏論も理論のプロセスはほぼ同じなのです。理論構成が同じで結論が違うという摩訶不思議な現象なのですが、ようするに内証を取るか外用を取るかとの話なのであります。
==============================
了解いたしました。
当然のことですが、大石寺の教義においてのそれと受け止めさせて頂いきます。
様々な日蓮の宗派。様々に教義があろうかと思うのですが、何分、知らないというのがダメですね。(苦笑)
他の日蓮系の宗派と同じく、大石寺も論議に加わり、独善性を発揮するで
はなく、前向きに取り組まれることを念願するものです。
----------------------------------------------------------------


※まあ、正直で素直な性格の御仁ではある。

宗学というのは、宗旨≠ニ宗史≠フ双方から検討をしなければ真実は見えてこない。私はオブラードで包み故意に曖昧なかたちで捨て去るつもりであったある事実≠指摘しなければならなくなった。


日寛師の勝釈迦のうえに立てられた日蓮本仏論は、要法寺の立義によって導き出された論であることを指摘しておきたい。日精上人の随宜論では、日蓮宗祖の本地は上行、上行の本地は仏、その仏とは久遠元初の自受用報身であることを御指南されている。

さらに、御本尊に勧請された釈迦牟尼仏は法華文上の脱仏ではなく、久遠の本因に具わった仏の仏界(十界互具)であり、仏界所具の仏であるがこれは広蔵日辰の造仏論でも説かれた要法寺の立義である。

日寛師は日精上人の説法を聞いて出家得度されている。つまり日精上人の御義に強く影響されており、良く云えば師事して、悪く云えばパクッて日蓮本仏論を立てたのである。

日精上人は松平姓を名乗るべき社会的地位があり徳川権門に連なる立ち位置にあった。日寛師は上野国前橋城主酒井雅楽頭の家臣であり家督をつぐ地位ではなかったために某旗本の邸に勤仕していたもので陪臣である。

陪臣の地位では日精上人に直接に接することは、通常の社会的概念ではありえないもので精師が出家であり常在寺の住持であったから可能であったのである。

寛師は武門の出であり、出家が十九歳と青年期でありすでに成年に達してからであり思想的基盤に朱子学≠ノよる武士道の精神がそなわっておられている。朱子学による武士道とは忠義≠ナあり、主君に対する絶対的な帰依である。

日寛師が末法無上位に登られたからには宗祖に対する忠義≠ェその心底の基礎となっていたものであろう、要法寺という大石寺の臣下の立義に対し、あるいは一矢報いてさらなる高義を立てる気概はじゅうぶんに持っていたものと考えてもよい。

六巻抄の全体に流れる隙の無い、叩み込むような鋭い筆致と精緻な論理構造はまさに、床几に座して軍配をふるう武将の覚悟が彷彿とされるのである。


[百六箇抄]

上古の大石寺には本因妙抄はあったが百六箇抄は無い。なのに重須本門寺に真書?があったとされ、北山と通用があった要法寺と保田の妙本寺には写本が相伝されている。

大石寺が目師遷座後に保田(日郷)と対立し、日郷に組みする北山とも疎遠となったために百六箇抄は伝承されなかったものかどうか正確な史書が管見には無いためこの程度にしておくしかない。

日郷師は大石寺を遁走するさいに蓮蔵房にあった日蓮宗祖の御影(大石寺の御影とも東光寺の御影とも云う)を持ち出して日道上人から返還を求められているがそのさいに目師の住房であった蓮蔵房から百六箇抄も持ち出したのだろうか、ともあれ大石寺に百六箇抄は伝承されなかった。

百六箇抄も日興記(御義口伝)も、現在の史料では要法寺から輸入されたものと推察されうるのである。



Re: 日蓮非本仏論 余話 その二、
名前:松木法太郎    日付:09月24日(月) 21時58分
やれやれ、法隆寺釈迦三尊さんの主張に向き合っていると、

なかなか法太郎≠ェ卒業できませんわ。(笑)、

私としては、日蓮非本仏論は捨て去って、あのド気違ひ≠フ

応顕寺と○山なる痴犬の叩きに専念したいので、潰しが不可能な有料版
の板に移行したのだか・・・・(^^ゞ

まだまだ日蓮非本仏論はつづきそうですのう。(笑)

 

松木さま 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月21日(金) 00時45分
> 理論的には成り立っても誰も用いない論理を突っ張るよりも現実的な外用(体)のもとに引くべきところは引いて、すみやかな日蓮宗の統合を目指すべきなのである。これなくして広宣流布は無いと断言するのです。
================================================================
同感です。少し論点はズレますが、日蓮系は宗派、派閥が多すぎます。
古く、日蓮宗は一家離散の業と聞きました。しかし、どうでしょう。現
実は大石寺系(破門された宗派、新興宗教も含む)も、どれほど一家離
散が多いことか。これが現実ですよ。一番、かわいそうなのは、一つの
家庭にあって、大石寺帰依の家族と破門された宗派帰依の家族の親の一
家離散。その一家離散となった家庭の子供達が、もう、どちらの宗派の
御本尊にも向き合うことが出来なくなったという、この現実。もう不幸
も不幸。そのように導いてきた僧侶陣こそ大罪だと思うのです。もちろ
ん、大石寺の教義を超えた在家の責任もしかりですが。ともあれ、知っ
てか知らずか、これは僧侶、また行き過ぎた在家、どちらも破和合であ
り、結果、ささやかな、けれども尊い人間の幸福を踏みにじることとな
った。これもこの大石寺系各宗派の独善性が根っこにあるからではない
でしょうか。

家庭は土台です。その家庭にあって一家和楽が成し遂げられないのに、
どうして広宣流布が出来るのでしょうか。大変に疑問です。
日蓮宗の統合は、私自身、願うものであります。
祖師の云う異体同心はどこに行ってしまったのか。

>そも、大石寺は徳川幕政下の縛りから解放された明治年間以降、内部抗争に明け暮れている。その原因の大きな要因がともすれば独善に走りがちな本仏論にあるのではあるまいか。
================================
本仏論は独善な信仰者を生みます。これは本当に実感します。
気違いを生む。これも同感です。
この落とし穴に知らずに堕ちた人達は、あたかも古酒に酔っている状態
に見受けられます。
破折と称し、確実にその害毒が生命に刻まれていく。
よっぽど信心のある方でないと、この行為は危険です。
自分自身の生命を観ることのできない人が、この行為をすると、大変です。
そういう方を何人も見てきました。
古く、縁のあった正信会の知人も、そこを指摘されていました。
本当の折伏や破折はかなりの訓練が必要とのこと。
この正信会の方とはもう二十三年お会いしてませんが、今になって、その言葉が思い起こされます。(今の正信会はどういうことになっている
かは知りません。)

>※私の「非本仏論」というよりも日精上人までの大石寺教学と、寛師の本仏論も理論のプロセスはほぼ同じなのです。理論構成が同じで結論が違うという摩訶不思議な現象なのですが、ようするに内証を取るか外用を取るかとの話なのであります。
==============================
了解いたしました。
当然のことですが、大石寺の教義においてのそれと受け止めさせて頂いきます。
様々な日蓮の宗派。様々に教義があろうかと思うのですが、何分、知らないというのがダメですね。(苦笑)
他の日蓮系の宗派と同じく、大石寺も論議に加わり、独善性を発揮するで
はなく、前向きに取り組まれることを念願するものです。

PS
普通に見て、創価教育学会からスタートした創価学会は、仏教学という
見地ではもともと素人なのですよ。
これは致し方がないことと思います。
もともと、大石寺と創価学会は、また別なのですよ。
少なくとも私はそう捉えています。
あまり、鼻息を荒立てるほどでもないですよ。
ただ、人の不幸を取り除きたい。また、悲惨の二字を無くしたい。
この思いは本物です。
理解は得難いものではありましょうが、私はそう捉えています。
あまり理系の方々には、およそ理解は得難いだろうな。
ま、当然といえば、当然ですね。

ハムスターさんへ 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月20日(木) 19時41分
ご挨拶を頂いておちました。
ご丁寧にありがとうございます。

こちらのほうこそ、どうぞ宜しくお願い致します。
ハムスターさんは、理系の頭脳ということですが、
本当にうらやましい限りです。



Re: ハムスターさんへ
名前:ハムスター    日付:09月20日(木) 19時57分
いえいえ、単に文系の受験科目と理系の受験科目のどちらがまだ楽かと言う選択でして。
知識は、学校を卒業した時に全部置いてきました。

まさか、今になって古文を読むとは思っていなかったです。(笑)

竹島問題、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月20日(木) 00時19分

[日本と韓国の勘違い]

どういうわけか、韓国の勘違いと日本の勘違いが一致している。W2で敗戦国となった日本は韓国に負けたわけではない。

韓国の独立戦闘が日本に打撃を与えた効果はまったく無いし、敗戦後に戦勝国に名前だけ連ねた韓国(朝鮮)は日本に対して戦争に勝ったと勘違いをし、日本はこれまた敗戦のせいで韓国に負けたと勘違いをしている。(苦笑)、


竹島は韓国より島根県のほうがやや近く、歴史的に日本の領土であるが、韓国の勘違い大統領が武力で竹島を占領し日本の海上保安庁の艦船に銃撃を加えて実質的に戦闘によって日本軍?を撃退して竹島を実行支配してしまった。

時の首相は鳩山一郎で、友愛組合(フリーメーソン)に入会していっぱしの国際的文化人を気取ったために竹島を失う結果となってしまった。これが吉田茂であれば、速攻反撃してたかが弱小韓国に領土を占領される愚は犯さなかったであろう。(苦笑)、

韓国にせよ、中国にせよ、現在り自衛隊という日本の国防軍と戦って勝てるほど実力は無い。日本の自衛隊というのはそれほどの実力を持っているのである。

ただ、空母がなく攻め込むことが出来ないので戦争にならないだけである。逆に中国にも韓国にも日本に攻め込んで勝てるほどの実力は無いが、当座のはなしで十年後にはどうなるかわからない。

竹島を武力によって奪い返すなど簡単な話なのである。その気力が日本の政治家に無いだけなのだ。国際政治のなんたるかも知らずに性善説で国際競争に勝てるわけはない。武力というのは外交を有利に導く必要悪なのである。

現在の韓国の電子技術は日本が与えたものである。もっとも米国による日本に対する技術拡散によって日本の一人勝ちを解消しようとした背景もあるが。

韓国が電子技術の分野で世界的に認められたのは、かっての韓国の宗主国である日本のおかげであり、チャンコロ人民共和国が経済成長を成し遂げたのは、日本の政府開発援助のおかげである。

韓コロやチャンコロに戦時中の南京大虐殺やら従軍慰安婦やらの問題を出されたらとたんに腰抜けとなり、かっての植民地のいいなりとなっていることには、日本という大国の貫禄は見られないものである。(情けない)、

チャンコロ人民共和国は急激に反日デモをおさえかかっている。当然であろう、日本政府が本気になって中国を敵対国と認定して日本資本の中国引き揚げを決意して大使館を閉鎖し、これまでの政府開発援助の返還を求めたらチャンコロ人民共和国は日本に対しこれを拒否するしかない。

そこで日本が強制的に担保として日本の戦力をもって香港や上海に進攻したら中国は破滅的状況となるのであり、それはあまり難しいことではない。自衛隊の質と戦力はそれほどの力量を持っているのである。

ただ、自衛隊を海外派遣するには法整備が必須であり、その法整備は等閑にされてきた。敗戦国の悲哀と云うべなのであろう。

祖国ニッポンの同朋たちよ、いつまで敗戦根性で卑屈な国家運営に堪えるのであるか。このさい国連という戦勝国連合から離脱して各国別に条約を締結して世界と密接な関係をもちながら、真の独立国家として未来にすすむ選択を採るべきではないか。


IT分野においてもガラパゴスといわれるほど日本の技術は独立独歩の進化をとげている。世界が認めようが認めまいが日本の技術は最先端にあるのである。世界に媚びを売るよりも、日本民族の伝統としてのガラパゴスはおおいにけっこうなものではないか。

そして、わずかな報酬を得るために技術を他国に売り払う同朋は祖国に召還してこれ以上の技術流出を避け、勝れた技術者を統合してさらなる進歩をめざすべきであり、その技術を伝承しさらなる発展・創造をめざす体制を構築すべきである。
 



Re: 竹島問題、
名前:黒川和雄@ロス講頭詐称@信徒除名    日付:09月20日(木) 01時04分
竹島は戦後李承晩大統領が李承晩ライン(りしょうばんライン)という線引きを勝手に行ったために、国際法違反で実効支配したのです。詳しくはここにあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

尖閣に関しては、今回の中国の破壊行為は我々日本人というか、文明人には理解しがたい行為ですね。創価の池田太作と仲が良い国だけのことはありますね。アホタン劣等民族ということだ。

以下、中国から見た抗日暴動。

http://youtu.be/ZwxFxnoJWUc
http://youtu.be/UCRNCR6bzHc

ただ今回の尖閣問題は、簡単には終わりそうもないと想像する。

http://youtu.be/l_doem_U7Mo

間違い、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月19日(水) 20時51分

本日のボーンシリーズは、一作めの「アイディンティティー」だった。

けっこう、面白いのだが、先月DVDで三作とも再再度見たばかりなので

今日はやめた。(^^ゞ
 



Re: 間違い、
名前:ハムスター    日付:09月19日(水) 22時34分
ボーンシリーズは、2作目まで観ました。
24のジャック・バウワーの娘さん役をしてた役者さんが出てた記憶があります。

役者と言うのは、その役になりきれるものだと感心したのを覚えています。
私には無理ですw


Re: だいぶん、カットされていましたな、(笑)、
名前:松木法太郎    日付:09月19日(水) 23時16分

ボーンのアパートの管理人のおばさんが額に銃弾を受けてイスに
座ったまま殺害されていたシーンや、他にもカットされたシーンが
ありました。(笑)、

やはりテレビはだめですね。

映画で見て、DVDで見て、テレビで見るとテレビの限界が見えてきます。

吹き替えはやはり、迫力に欠けますな。

今度ボーンレガシーが公開されるようですが、マットデイモンとは別物で
シリーズではないので、映画にいこうかどうかまよっているところですわ。(笑)、
 

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