取得時効に関する162条は「所有権を取得す」とし、消滅時効に関する167条は「消滅す」と書いています。つまり、民法は、10年なり20年なりの時効期間の経過によって当然に権利の得喪の効果が発生するかのような書き方をしています。
他方で、145条は「時効は、当事者がこれを援用するにあらざれば、裁判所これによりて裁判をなすことを得ず」と規定しています。時効期間が完成しても、援用が必要だというのです。また、146条は「時効の利益は、予めこれを放棄することを得ず」と規定し、その反対解釈として、時効期間経過は時効の利益を放棄することができます。これらは、時効によって利益を得ることを潔しとしない人の道義心を尊重しようとするための規定であると説明されています。
では、時効完成によって当然に権利変動が生じるかのような162・167条と、時効の援用・放棄を定めた145・146条との関係は、どのように理解すべきでしょうか。
一つの素直な考え方として、145条は裁判所での裁判を問題としているのだから、時効の援用とは、時効期間の経過そのものを法定証拠として裁判所に提出することである、というものがあります(訴訟法説)。
これは、時効というのは、実体的な権利関係に関する問題ではなく、単に裁判所で裁判をするための指針に過ぎない、という割り切った考え方です。訴訟法説に立つと、時効利益の放棄とは、時効期間の経過を証拠として提出しないという意思表示になります。
分かりやすい考え方です。
しかし、裁判所に証拠を提出したからといって実体的な権利変動が生じるというものではありません。裁判所は、実体的な権利関係の存否を証拠によって判断し、裁判するに過ぎないのです。訴訟法説は、結論として、実体的な権利関係と異なる裁判をすることを許容することになります。これは、やはりおかしなことでしょう。
誰がどのような権利関係を有しているか、ということを実体的な権利関係と呼びます。これは、誰にどのような権利関係があるかを定めた民法や商法などの実体法によって決まります。
他方、どのような手続でどのような裁判をするのかを定めるのが、民事訴訟法や民事執行法などの訴訟法です。
訴訟法説は、時効の援用は裁判手続に関するものであり、実体的な権利関係とは無関係である、とする学説です。
他方で、162条などの文言を重視して、時効完成により確定的に権利変動が生じる、とする考え方もあります(確定効果説)。かつての通説であり、また、判例も確定効果説に立つと理解されていました。
訴訟法説と異なり、実体的な権利関係の変動が生じることを認めているので、後記の不確定効果説とあわせて実体法説と呼ばれます。
これは、時効援用は単に訴訟上の攻撃防禦方法に過ぎず、援用がなくても実体法的には権利の得喪は生じている、とする考え方です。162条などが時効期間の経過によって当然に権利の得喪が生じるかのような表現をしていること、145条は時効の援用を裁判所での問題としていること、の両面と整合的であり、かつて通説・判例となっていたというのももっともだと思われます。
確定効果説に対する批判として、時効を裁判上援用しないと、実体的な権利関係と齟齬した裁判がされる、というものがあります。しかし、実体的な権利関係を有する者が訴訟上適切な訴訟活動をしない場合、実体的な権利関係とは異なる認定をされるというのは、民事裁判では当たり前のことです。よって、この批判は的外れであると私は思います。
ただ、確定効果説では、時効利益の放棄をうまく説明できません。
既に時効による権利の得喪の効果が生じているのですから、時効利益の放棄とは、新たな債務負担(消滅時効の場合)又は権利移転(取得時効の場合)をする意思表示である、と評価するしかありません。しかし、時効利益を放棄する者の真意は、単に時効によって利得することはしたくないというに過ぎないのであって、新たに債務を負担したり、権利を移転したりする意思はないはずです。したがって、確定効果説の説明では、時効利益を放棄する者の真意と齟齬が生ずるように思われます。
結局、現在の通説は、次のように考えます(不確定効果説)。
まず、時効は、実体的な権利変動を生じさせるものと考えます。単なる訴訟上の問題ではない、とする点では、確定効果説と同様です。
しかしながら、時効期間の経過によって生ずる権利変動は、援用を停止条件とする不確定的なものだ、とします。つまり、援用があるまでは実体的な権利変動は生じません。
そして、時効の援用は時効による権利変動を確定させ、時効利益の放棄は時効による権利変動がなかったことに確定させるものだ、とします。つまり、訴訟法説や確定効果説と異なり、時効の援用は単なる裁判上の攻撃防禦方法ではなく、意思表示であると理解するのです。意思表示ですから、裁判外でしても構わないということになります。
実のところ、不確定効果説は、145条が援用を裁判所での問題としていることをうまく説明できません。つまり、条文の文言への忠実性という意味では、確定効果説より劣ります。
しかし、時効による利得を潔しとしない者の道義心を尊重するために時効の援用と時効利益の放棄を認めた民法の時効制度全体を眺めると、もっとも無理のない解釈であるために、現在の通説となっているわけです。
以上を整理すると、次のようになります。
実体法説 | 訴訟法説 | ||
不確定効果説 | 確定効果説 | ||
時効期間経過の意味 | 停止条件付の権利変動 | 確定的な権利変動 | 法定証拠 |
援用の性質 | 時効の効果を確定させる意思表示 | 攻撃防禦方法の提出 | 法定証拠の提出 |
援用の場所 | 裁判外でもよい | 裁判所 | |
援用の撤回(※1) | × | ○ | |
時効利益の放棄 | 権利変動を不発生に確定させる意思表示 | 新たな権利変動を発生させる意思表示 | 法定証拠を提出しないとの意思表示 |
※1=停止条件説では、援用によって権利変動が実体的に確定するので、撤回の余地はない。他方、確定効果説・訴訟法説では、援用とは攻撃防禦方法又は攻撃防禦方法の提出に過ぎないので、裁判所への提出を撤回すれば足りる。
判例は、従来確定効果説であると理解されてきましたが、最高裁判決昭和61年3月17日民集40巻2号420頁は確定効果説では理解することは困難であり、通説に従った不確定効果説に判例を変更したものと理解されています。
事案は次のとおりです(簡略化してあります)。
昭和31年に農地の売買がされ、昭和32年に仮登記がされました。その後、農業委員会の許可が得られないまま、昭和46年ころ、本件土地は雑木等が繁殖して原野になりました。
昭和51年、売主Xは、買主Yに対して、仮登記の抹消を求める訴訟を提起しました。Yの許可申請協力請求権は、売買から10年を経過した昭和41年に時効消滅しているので、時効を援用する、というのです。
農地の売買には、農業委員会の許可が必要で(農地法3条)、許可がない限りは所有権は移転しません。そこで、農地の買主は、売主に対して、許可申請に協力するよう請求する権利があります。また、許可がないと所有権移転登記ができないので、この段階では仮登記をしておき、後日許可が出た段階で本登記をする扱いがされています。
これに対して、農地でなければ、農地法3条の許可は不要です。売買契約を締結すれば、それだけで所有権が移転します。また、当初農地だったものを売買したが、後に農地でなくなった場合は、農業委員会の許可が不要になるのですから、農地でなくなった時点で所有権が当然に移転します。
高等裁判所は、従来の判例である確定効果説に立って、Xの請求を認めました。
まず、売買から10年を経過した昭和41年に、Yの許可申請協力請求権は確定的に時効消滅した、とします。そうすると、Yは本件土地について何の権利もなくなります。だから、その後に本件土地が農地でなくなったとしても何の関係もない、というのです。
これに対して、最高裁は、「時効による債権消滅の効果は、時効期間の経過とともに確定的に生ずるものではなく、時効が援用されたときにはじめて確定的に生ずるものと解するのが相当であ」るとしました。この言い方は、不確定効果説の説明方法と全く同様です。
その上で、Yの請求権が確定的に時効消滅するのは、昭和51年の時効援用のときである、とします。そうすると、Yが許可申請協力請求権を有している間に農地でなくなったのですから、その時点(本件では昭和46年)で所有権はYに当然に移転する、としました。
上記最高裁判決は、農地という特殊事例であったこともあり、時効一般について不確定効果説に立つものかどうか疑問である、との指摘もあります。
しかし、上記最高裁判例の事件処理と、不確定効果説が通説となった現在の学説状況に照らすと、私は、最高裁は時効一般について不確定効果説を採用するのではないか、と考えています。