- 予定調和を崩す、大胆な型破り。
この記事を共有
堂々と言える新しいファッションが出てきたら
面白いんじゃないかと思ったんです」
「日本ファッション」が、オリエンタリズムで括られる類のフレームから抜け出し、西洋基盤のモードの内側で認知されるようになってから30年が経った。
1970年代に先陣を切ってパリコレクションにデビューした高田賢三と三宅一生に続き、81年には川久保玲と山本耀司が通称“ぼろルック”をもって参入。当時「黒の衝撃」とも呼ばれた彼らのスタイルは、以後徐々に「日本ファッション」の象徴としてパリから世界へと拡散され始め、現在に至るまで国内外のデザイナーやクリエイターたちに多大な影響を与え続けている。
今、東京都現代美術館で開催中の「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展は、主催のKCI(京都服飾文化研究財団)が所蔵する上記デザイナーたちの貴重なアーカイブ作品を目玉とした、国内初の大規模なファッション展覧会だ。さらには若手デザイナーたちの作品も新たに加えることで、「日本ファッションの未来」を浮かび上がらせる試みを見せている。
基本は1ブランドにつき1〜数体のマネキン展示。計100体にのぼるマネキンが、4つのテーマへと分類され、3階のワンフロア全体に配置されている。総評としては、バリエーションが広がり得るはずだった後進デザイナーたちの選出/展示において、やや辻褄合わせ的なダイジェストが起きてしまっていたのが残念。
ただ、そんな予定調和の空間の中(正確には外)で、大胆な型破りを見せているデザイナーがひとりいたことは、一方で見逃せない隠れハイライトだろう。彼はそこに、未発表の(不)完全な新作を持ち込んでいた。それって反則じゃない? という声も聞こえてきそうだが、ファッションとはアイデア勝負の世界でもあるのだから、そこは彼に軍配を上げてもいいと思う。
神田恵介=「ケイスケカンダ」デザイナーによる「白の衝撃」。一見して挑発的ですらあるタイトルのもと、彼は一体どんな未来を描こうとしているのだろうか。
☆ ☆ ☆
「“過去”の作品を飾っても、そんなの全然面白くない」
——「日本ファッションの未来性」展は、4つのテーマで日本のファッションを再編集する試みを見せていますが、神田さんの作品だけがどこにも集約されないまま、中二階フロアでの独演となっています。あの展示手法は神田さんご自身が狙った表現なのですか?
あれは、狙ったというか、結果的にああなってしまったというのが正直なところです。僕は、もっと大きな絵を描いていたけれど、フタを開けてみるとその絵はポストカードになってしまった。だから、今回の展示については説明不足の部分がある。そこをきちんと補いたくて、このインタビューを受ける決意をしました。
少し経緯を話すと、最初はマネキンに「心恋族(うらごいぞく/“女子に捧げる民族服”として、2010年11月に発表)」の服を一体着せる、という展示内容でオファーを頂いたんです。でも今回はファッションの“未来”を示す展覧会なわけでしょう。既に発表している“過去”の作品をマネキンに飾っても、そんなの全然面白くないと思った。
生意気だけど、それだと出展したくない、やるなら面白いことがしたい、と一度お断りしたんです。すると、KCIの担当のお二人が、「ではどうやったら面白くなるか一緒に考えましょう」と言って下さった。その気持ちが有り難かったので僕も心を入れ替えて、新しいプロジェクトである紙エプロンの展示をやらせて欲しい、と提案しました。
現在、「Future Beauty 日本ファッションの未来性」で展示中の紙エプロン
(筆者撮影)
keisuke kanda 「白の衝撃」【2/3】へ
INDEX 1|2|3|