スマートフォンの理想と現実
【第34回】 2012年9月27日 クロサカタツヤ [株式会社 企/クロサカタツヤ事務所代表]

Yahoo!メール広告が開いた「パンドラの箱」
日本でもようやく個人情報利用と保護の論議が俎上に

 去る9月19日、川端総務大臣は、かねてよりヤフーがサービス提供を目論んでいた、Yahoo!メールのインタレストマッチ広告(以下Yahoo!メール広告)について、これを容認することを、記者会見で明らかにした。本連載でも以前触れたが、これは日本の情報通信業界全体の将来を左右する、大きな変化である。

 背景をご存知ない方は、「そんなに大袈裟なことなの?」「Yahoo!がメールサービスに広告を配信するというだけなのになぜ行政が解釈するの?」と思われるだろう。しかし本件は、通信業界を中心に長年守られてきた「通信の秘密」に正面からチャレンジし、変化を規制当局である総務省に促した。その意味で通信産業史的には「歴史の転換点」と言っても大袈裟でないほど、重大な出来事である。

 実際ネット業界の一部は、この決定を受けて新たな商機に向けて期待を高めている。また直接の当事者の一人である通信事業者も、新たなパラダイムとの対峙に向け、苦悩しつつも検討を進めている。一方プライバシー保護を目指す界隈からは、すでに様々な問題提起も挙げられている。そのいずれもお手伝いしている人間として、夏以降の本件に係るお問い合わせの多さからも、本件のインパクトの大きさを感じている。

 そこで今回は、Yahoo!メール広告が開いた「パンドラの箱」の中身と、それが開いたことの今後の影響について、考察してみよう。

動機は行動ターゲティングの充実

 まず、Yahoo!のインタレストマッチ広告の機能から、簡単に説明しよう。この広告の仕組み自体は以前から提供されており、Yahoo!メールによってはじめて導入されたというものではない。

 インタレストマッチ広告は、インターネットを利用しているユーザに向けて、閲覧しているページの内容や、過去の閲覧履歴や検索キーワードから推測した関心の傾向などを手がかりに、興味のありそうな商品・サービスに関する広告を表示する仕組みである。一般に行動ターゲティング等と称される手法を用いた広告表示技術だ。

Yahoo! JAPANによるインタレストマッチ広告の解説図 出典:Yahoo! JAPAN

 広告主には、性別、年代、地域、時間帯での絞り込み機能が提供され、広告主の期待するターゲットに向けて効果的に広告が配信できる。またYahoo!のインタレストマッチ広告は、同社のサイトのみならず多くの提携パートナーのサイトへも配信が行われている。

 従来の広告掲示は、とにかく目立つところに表示するという「当たるも八卦」か、せいぜいが「この場所(あるいは番組)は若い女性が多く集まる(らしい)から…」という程度であった。しかしネットでは「誰がそのサイトを見ているのか」が高い精度で推定可能だし、少なくともその傾向は従来より詳細に把握することができる。

 そのためこうした広告手法に対する事業者側の潜在的な期待は高かったのだが、一方でそれがより正確に機能するためには、ターゲットに関する潤沢な情報、つまりデータベースの広範かつ大量の蓄積が必要となる。そこで大量のコミュニケーションに関する記録、たとえば電子メールの内容を解析したい、という動機が事業者側に生じる。

 こうしたYahoo!の意向を受けて、今回総務省は、以下の4点を条件に、サービスを認める判断を下した。本稿執筆時点ではまだ総務省からの正式な文書は発表されていないが、川端総務大臣の記者会見の概要に記載されている内容をまとめると、

①通信の秘密の侵害の意味・内容を利用者が正しく理解できるための情報を出す。
②メール本文等の解析を望まない利用者への対応をとる。
③サービス利用開始後、いつでも本サービスの存在を認識し、解析を中止することができる。
④メールの本文等の解析自体は、受信箱ページ等に並んだ個々のメールの件名等をクリックする行為に基づいて開始される。メールが着いたら自動的に解析するのではなく、メールを読むときに解析が開始される。

 といった指針が示された。やや乱暴に整理すると、①はオプトイン(説明と同意の取得)、②と③はオプトアウト、④は無条件の解析ではなくあくまで利用者個人の利益に資することをサービスの目的として明確化する、ということだろう。

 今回のYahoo!メール広告の背景は、一義的にはこうしたものである。そしてそれ自体は、すでにGoogleが提供するフリーメールサービスのGmailでも提供されている。すなわち、この広告手法自体が特に目新しいということではない。

金科玉条と化した「通信の秘密」

 ではなぜここまで業界で大きな話題となったのか。それを解くカギが「通信の秘密」である。

 通信の秘密とは、誰にも通信の内容や通信の存在、相手方といった事実を知られずに、秘密のうちに通信を行うことができることを保障した、憲法第21条第2項(後段)において定められている市民の権利である。個人の私生活の自由を保障する上でも、自由なコミュニケーションの手段を保障する上でも、重要な概念および権利とされている。

 とりわけインターネットを含む通信事業は、その具体的な担い手である。そのため、憲法の趣旨を受けて、電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密について、電気通信事業法第4条、第179条、またその他の関連法により定められている。通信の秘密には、「通信が行われた」という事実自体も含まれるため、保護される範囲は通信内容だけでなく、通信当事者の住所、氏名、通信日時、発信場所等通信の構成要素や通信の存在の事実の有無等も含まれる。

 こうした「通信の秘密」と前述のWebメールの内容を解析した広告配信は、本来であれば正面から衝突する。メールの中身を見て広告を配信する、という行為そのものが、通信の秘密を侵していると見なされるからだ。

 だとすると、なぜGoogleのGmailは、以前から問題視されていなかったのか。彼らに問題がないなら自分たちもできるはずではないか。ならば規制当局として正々堂々と判断してほしい――今回Yahoo!が提起した問題は、つまりそういうことである。

 その検討の委細について、私はその当事者でない以上、規制当局を含む複数の関係者の話を聞いただけである。その前提を踏まえた上で関係者の話を総合すると、今回総務省は相当に苦悶と逡巡を重ねたようだ。

 なにしろYahoo!側の問題提起には、概ね論理の破綻がない。また一方の相手がGmailという広く普及したサービスで堂々と行われている以上、恣意的な裁量による問題からの回避は不可能である。一方で「通信の秘密」は、これまで長らく金科玉条のごとく扱われてきた。これには行政当局(総務省)と捜査当局(警察)が本件に関してどのように対峙するか、という社会秩序に係る悩ましい問題も横たわっている。

 また、インターネット時代とのミスマッチという問題もある。たとえばインターネット接続事業者(ISP)が、一部のファイル交換サービス利用者によるトラフィックの大量消費に対抗して帯域制御(インターネット利用の制限)を行う場合、その行為自体は違法性阻却事由(通常は違法とされるものの何らかの事情によって違法性が否定される事由)によって正当化されるものの、パケットの詳細を見ている以上はやはり「通信の秘密」に抵触していることは間違いない。

 これはつまり、通信の秘密という概念が構成されるための前提条件が、そもそもインターネット時代と合っていない、ということである。実際、通信の秘密自体は、源流を辿れば戦前までたどり着くし、その後の大きな変化も、戦後の日本国憲法制定時と、NTT民営化というあたりだけで、いずれもインターネットの普及は視野に入っていない。電信、電話、郵便が主流だった時代の概念が、現代まで生き残ってしまったのだ。

 規制当局に対して厳しい物言いなのは承知しているが、あまりにも「通信の秘密」を金科玉条の如く扱ってきてしまい、目の前で起きている現実に付け焼き刃の対応を重ねてきた。そのツケを、Yahoo!による問題提起で、一気に精算することになった。規制当局が苦しんだのも、おそらくはそうした歴史の棚卸しに起因するのだろうし、だからこそ今回総務省が下した「Yahoo!メール広告を認める」という結論には、強いインパクトがある。

広がる市場に色めき立つ事業者

 では、Yahoo!メール広告が認められた、すなわち通信の秘密に風穴が開いたことについて、業界はどのように受け止めているのだろうか。これもわずかな時間で何人かの知人に話を聞いた限りではあるが、現時点の所感を整理しておく。

 まず、直接的な事業者となる、ネット広告業界は、端的にいえば色めき立っているというところだ。その理由は、新しい需要を呼び込み、ネット広告市場のパイが拡大するという期待によるものが大きい。

 今回のインタレストマッチをはじめとした行動ターゲティング広告は、ネット広告業界では従来から潜在能力の高い商材として、期待を集めてはいた。しかし広告主からの信頼は、相変わらず伝統的なディスプレイ広告(バナー広告など)に向かっていた。その理由の一つが、前述した「解析可能なデータ量の不足によるターゲティング精度の課題」と、それゆえの広告効果の分かりにくさによる。

 しかし今回Yahoo!のサービスが認められたことで、今後こうした動きに追随する事業者は増加するだろう。もちろんそのためには解析可能なデータを収集するための仕組みが必要だ。それはたとえば電子メールなどのメッセージングサービスを保有したり、あるいは戦略的な提携関係を構築したり、といったことである。そうした動きを含め、この領域が活性化することが、業界内で期待されている。

 もちろん、これまでの国内ネット広告市場を事実上支配し、広告単価等の価格決定権を握っていたYahoo!による参入であり、またすでに同社を軸とした広告のシンジケーションが成立している以上、Yahoo!による市場支配をより強化するものとして警戒する向きもある。しかしそれも含めて、売上規模は拡大しつつも市場の質的な変化に乏しかったネット広告市場を活性化させる起爆剤となる、という期待は大きい。

 一方、いわゆるビッグデータに関心のある界隈も、活気づいている。というのも、ビッグデータの解析を進めるにあたって、個人情報やプライバシー情報を如何に取得するかが課題だと考えている向きが少なくないからだ。私自身は必ずしもその考え方には与しない(むしろ場合によっては個人が特定可能な情報は邪魔になりかねないと考えている)のだが、そうした意識がひとつのトレンドとして存在し、新たな事業開発を進めるモチベーションとなっているのはどうやら確からしい。

 またサービス事業者の中には、海外企業との競争環境における不均衡の是正に資すると期待する向きもある。今回Yahoo!が問題提起したように、Googleやfacebookは米国法の枠内で比較的自由に(あるいはやんちゃに)データ利用を進めているように見える一方、日本企業が日本市場で足かせをはめられていては、フェアな競争ができない、という考え方だ。

 ただこれも、考え方としては一理あるが、消費者を重視したフェアネスの立場からすれば、企業の国籍や参入の前後に関わらず、許容されるものは許容され、また反対にそうでないものは一律に規制を受けるべきである。その意味で、今後そうした運用がおこなわれていくのかは、判断を下した規制当局の力量にかかっているといえよう。

議論のはじまりに過ぎない

 Yahoo!の問題提起によって着手された「通信の秘密」というパンドラの箱は、いよいよ開くことになった。しかし言うまでもなく、これは到達点ではなく、あくまで出発点に過ぎない。

欧州のクッキー指令に対応した例。BBCのサイトより

 すでに議論は起きている。たとえばYahoo!メール広告では、説明と同意の手段が提供されているというが、実際私自身もユーザとしてアクセスしてみたとき、率直にその説明には不十分さを感じた。ネット業界やプライバシーに関する業務の末席にいる人間をして「足りない、分かりにくい」と感じる以上、一般利用者はスルーしてしまうのではないか。このあたりは、欧州が進めているクッキー指令(クッキーの利用に際し、同意の明確化や利用者による制御を義務づける法令)が、一つの参照モデルとなるだろう。

 またオプトアウトについては、事業者の如何にかかわらず、解析が確実に停止し、それまで解析されていたデータが消去される等の手続きが明確になっているのか、といった「オプトアウトの実態」を検証するための手段が不十分である。これは本件に限らずオプトアウトに関する一般論としても常に議論されているのだが、最終的には監視・監査を行うしかないという意見も、特に欧州を中心に散見される。これも、米国におけるDo Not Track規制(オプトアウトの徹底による行動ターゲティングの拒否の確立)が、先行している。

 さらに、こうしたアプローチを認めたとして、事業者は個人に係るデータをどの程度、あるいはどういう形態で保有することが許されるのか、また共同利用のような形態が認められるのか、といった議論も必要だ。これはデータ保護の管理プロセスと一体化した議論となるだろうが、これもすでに世界的に議論が進んでいる。

 悩ましいのは、こうした施策の実効性について、日本国内ではガイドラインやフレームワークが不足しているということだ。たとえばそれぞれスタンスや考え方は異なるものの、米国では消費者プライバシー権利章典として、また欧州では個人データ保護規則(案)の検討が進んでいる。いずれも「本質的な意味での消費者保護」の立場を重視しながら法制化や権利化を進めているのが特徴だが、日本は残念ながら制度的(あるいは問題意識の理解という意味でも)立ち後れているのが現状といえる。

 様々な課題が山積したまま、パンドラの箱が開いた。となるとやはり、何らかの混乱がいずれ生じることは、予想しておかなければならないだろう。特に今後データの蓄積が進めば、ターゲットを推定する精度も向上し、利用者が「まるで心の中を読まれている」と感じるような広告配信が行われていくかもしれない。それは私たち消費者にとって福音なのか、あるいは事業者に包囲された状態なのか。

 消費者が想像もしなかった事態が生じた時のダメージを最小限に抑えつつ、ネット業界が健全に発展するための課題検討が、規制当局のみならず消費者も含めたすべてのステイクホルダーを巻き込んで、必要となっていく。ネット産業にとって広告は原動力の一つであり、完全に代替できるビジネスモデルが不在である以上、その存在は否定できない。ならば消費者と事業者が合意できる均衡点はどこなのか、現実的な議論を深めていくタイミングである。