1999/4/1 第65号
「男社会の記者」体験を通し「報道が人を傷つける自覚」を訴える

 −女性の視点から見た報道−

 

 「人権と報道関西の会」の例会が二月二十七日(土)、大阪市北区のプロボノセンターで開かれ、約二十人が参加した今回のテーマは「女性の視点から見た報道—元記者として、読者として」で、元毎日新聞記者でフリーライターの中野温子さんが報告。中野さんは、取材過程でセクハラを受けた体験を語って、男社会の実態をさらけ出すとともに、「記者は報道によって人を傷つけていることを自覚し、少しでも防ぐよう努力しなければならない」と訴えた。(小和田 侃)


 中野さんはまず当日の新聞を取り出して、「一面の脳死移植記事、二面の政治記事、解説面の提言などで登場するのは、ほとんどが男性。経済面の新社長も男ばかりで、女性が唯一登場しているのは補聴器の商品紹介に添付されているきれいなお嬢さんの写真だけ。社会面の死亡欄も男が大半で、女性はせいぜい『○○の妻(母)』くらいだ」と述べ、男社会の中で新聞も男中心に報道している実態を紹介した。続いて新聞記者としての体験から、次のように話してくださった。


 赴任二週間目に鉄道事故の取材で

 一九九一年に入社して退社するまでの約五年聞、二つの支局と大阪本社勤務を経験したが、警察や市役所を中心に担当しながら取材の過程で、男性から性的な対応を要求される場面に数え切れないほど出会った。ネタを取るためには、警察官や事件関係者と接触するのだが、正攻法ではなかなか取れない。そこで、さまざまな方法で付き合いを深めなければならない。一緒に飲み食いするだけではなく、もっとすごいのは、あくまでうわさだが、女性をあてがったり子供の進学や就職の口ききをするという話を聞いたことがある。その出費は記者のボケットマネーによるのが普通だが、会社でそれら用のお金をプールしている所もあるという。

 さて私は、赴任二週間で大きな鉄道事故にめぐり合ったが、新米の私は内勤ばかりで全然現場取材などには行かせてもらえなかった。するとある日、他社のベテランの男性記者が「おれ、連れてったるわ。勉強になるぞ」と誘ってくれ、とにかく現場を見たかった私は、何の疑いも持たずについて行った。仕事の一段落した夜の十一時頃から、その人の車で向かい、現地では事故の様子や原因推定などを詳しく説明してもらえた。ところが帰る道の途中、暗闇で突然に車を止められてしまった。

 それが最初で、以後いろんな場で何人もの取材対象者から、性的な対応を要求されることになる。夜回り先の警察幹部宅や市役所の一室などで、時にはふすま一枚隔てた部屋に奥さんがいるのに、迫ってくる公務員もあった。夜、電話がかかってきて、「家まで送ってくれ」と頼まれ、車で迎えに行くと、その車中で迫られた事もあった。


 取材相手に断固とした態度を取れなかった弱さ

 私は、これらのことを思い起こしながら、セクハラとしてとらえ、自分がその被害者だったというつもりはない。逆に、それら男性たちに対して断固とした態度をとらなかった自分自身に腹立たしく思う。「この社会とは、こんなものだ」と割り切り、とにかく親しくなってネタをとれないか、とばかり考えていたのだった。事件担当のころは、グリコ・森永事件がまだ大きなキーボイントとなっていて、「グリコ・森永についての情報をもらえるのなら、借金を百万円してでも構わない」なんてことも思っていた。

 取材相手は、そんな私を見抜くかのように性的対応を要求してきた。不愉快には違いなかったが、自分の方は冷静で精神的に優位に立っている気がしていたし、イザという時の脅しのネタに使えるかもしれないという打算もあった。今からすればとんでもない見当違いで、もっと厳しく相手の態度を批判し、自分の行動を律するべきだった。それができなかった自分の弱さが情けない。本当のジャ一ナリストだったら、その場で相手を批判し、取材する側の弱みにつけこませるような事はさせなかっただろう。それができなかったのは、私の認識の甘さだったと思う。

 だから決して、それらの男性に対して今、怒りなどは持っておらず、むしろ哀れみを感じる。彼らは、この社会の中で育てられる過程で歪んだ男女観を植えつけられ、女姓に対してきちんとした視点を持てない人間になってしまっているのだ。相手も自分も貶めることなく望ましいコミュニケーションの形にもって行けなかった自分を、むしろ恥ずかしく思っている。


 道では加害者も被害者も女性がエジキ

 続いて実際の報道の問題に入りたい。報道では加害者であれ、被害者であれ、いずれも女性がエジキになってしまっている。例えば、東京電力の女性幹部社員が殺害された事件で彼女は被害者であるにもかかわらず、その真偽のほどは別にして「夜は道に立って体を売っていた」などと興味本位の報道が続けられた。当時、私はある雑誌と取材契約していて、そんな報道に批判的な意見を言ったところ、「うちは売れりゃいいんだよ。」というような反論が返ってきた。

 和歌山のカレー事件でも同様で、容疑者の女性に対して人物評価や心理分析などを女性精神科医なんかが、マスコミにかつがれてやっていた。甲山事件でも、被告が女性だったから、あれほどのセンセーショナルな報道になったのだと思う。その背後には、実社会同様に新聞社内にも蔓延している女性差別観があるのだ。私はある新聞記者が「甲山学園はフリーセックス状態だった」と公言しているのを聞いた事がある。でも、なぜそんな事が分かるのか。自分で現認したのか、それとも当事者から確かな証言でも取ったのか。今だからこんな事を考えられるが、私も事件発生当時の記者だったら、そんな情報にも「これは面白い、記事にできる」と思ったかもしれない。記者が面白がるという内容は、本当は市井の人たちより一段階置いて、冷静な視線で見る必要があるのに、実際にはそうなっていない。東京電力事件の報道でも、「実際に体を売っていたのか」を確認取材したうえで、「果たして被害者のそのような側面を書く必要があるのか」を立ち止まって考える必要があったのに、それがなされていなかった。


 「みんな人の痛みがわかるようになればいい」

 人間というのはドロドロした汚さを持ったものであるという事に、メディアが距離を置いてしまっている事も、私には気持ち悪い。いじめや体罰の末に、被害家族らが裁判を起こしたりすると、その家にカミソリの刃が送られてきたり、注文もしていない寿司が何十人前分も出前されてきたり。遺族の心情を考えれば死刑制度存続は当然だと平生叫びながら、のぞき見趣味的な報道や被害者のプライバシー暴露記事は面白がったり。メディアは、そんな事をする人間の暗い側面を見て見ぬふりをしてしまっているのだろうか。また、精神障害への偏見を生んでいるのも新聞だ。事件を起こした人がたまたま精神障害をもっているだけなのに、その人が病院に通院していたことと事件とを何の因果関係もなく書いてしまっている。その事によって、読者に間違ったイメ一ジを植え付けている。報道は、いろんな意味で人を傷つけているという事を認識していなければならない。

 最後に、部活動でいじめにあって自殺した福岡の中学生が、亡くなる前に学級通信に書いていた文章を紹介する。「何だ、あたり前じゃないか」というような内容なのだが、メディアに働く人にはぜひ聞いてもらいたい。「みんな人の痛みがわかるようになればいい。そうすれば、少しでも人の嫌がる行動というのが分かり、そういう事をしなくなるんじゃないか」。私はこの文章を掲載した新聞記事をいつも持ち歩いている。

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 続いて、参加者との間で次のような議論が行われた。

男性記者「ネタを取るために、何があなたをそこまで追い込んだのか」。

中野さん「まず誤解のないように言うと、決して上司や先輩から無理な事を要求されたわけではない。またセクハラめいた事を報告しなかったのは、『だから女は現場に出せない』と思われる事を避けたかったからだ。私が追い込まれていく過程でとにかく特ダネをとることが新聞記者の使命なんだ、という風潮の中で異様な精神状態に追い込まれていったのは事実だ。何のための報道か、何のためのネタかを吟味することが大事なのに、現場ではとてもそんな余裕はなかった」。女性の参加者「今まで女性ジャーナリストの講演などを聞いたことはあったが、こんな生々しい話は初めて。女性記者同士で、相談し合ったことはないのか」。中野さん「私はセクハラ被害者として話したのでなく、自分自身がそんな体質を黙認したことを問題視している。だから当時は、友達にも相談しなかった。でも、他社の女牲記者が警察取材から泣いて帰り『いやな事をさせられた』と話していたらしい事を聞いたことがあり、女性は多かれ少なかれ同じような体験を持っているのではないか」。

 このほか「東京電力事件の話が出たが、奈良・月が瀬の事件でも和歌山・カレー事件でも、スキャンダル性があるから記事になるという発想が根強い。ヒューマン・ストーリーを求めて、ついついプライバシーを侵してしまっている。カレー事件取材では『これはおかしい』と思う記者も決して少なくなかったが、大きな声にはなりにくい」「日本でジャーナリズムを専門に学べる大学は東大、同志社大などほんのわずかだが、米国ではジャーナリズム学部が多くの大学に設けられている。日本では、トータル教育の中でも『法律は人間を守るためにあるんだ』という基本が教えられていない。これら教育面の遅れが、日本の報道の問題点の背後にある」などの意見が出された。

 そして最後に中野さんが「私が最も気持ち悪く思うのは、記事に書かれたり取材攻勢を浴びることでズタズタに傷つく人たちがいる一方で、当のメディアの中にいる人々はそのことに無自覚なまま、あくまで淡々と『それが自分の仕事』と割り切って職務をこなしていること、つまり“悪意の不在”だ。かつての私も同様に、記者の一人一人は職務に忠実に、非常に頑張っているのだが、それによって人を傷つけているという認識がなく、目の前の事に纂進してしまっている。作る側に『読者は、これくらいの記事を喜ぶんだ』という侮りがあり、それが大変危険だ」と結んだ。


参加者の感想です

 今回会に出席して、報道される側の市民だけでなく、中野さんの話のように、記者さえもが身心共に及ぶ犠牲を払って、情報を得たがるのは何故かと疑問に思った。それは報道全体に通ずるはっきりとした目的意識が無いまま、衝撃度の高い目先の新情報に囚われているからではないだろうか。韓国の場合、長年に渡る軍事政権の報道規制によって、事実を曲げて伝えることを強制された過去を持つ。例えば、1980年の光州事件の際、死者は数千人に上ったにも関わらず、当時のマスコミは数人の犠牲者が出たとしか報道しなかった。

 そのような、自らの過去への反省があるため,事実究明には非常に厳しい姿勢を持っている。日本では、このようなマスコミの必死な思いが見受けられない。何故マスコミは国民にとって必要なのかを感じさせるものがない。ニュースまでもが娯楽化しつつある。

 世論に大きな影響を与えるのは、マスコミである。そのマスコミ自体が腐敗しつつある現状に、記者たち自身が反省し、どのような視点で報道に携わるべきなのかを、常に意識すべきだと思う。目的意識の無い報道は、必要のない犠牲をつくるだけである。(神戸・中谷)


解説

 激化する取材競争の中で半数の女性記者がセクハラ体験

  新聞社の女性記者を考える材料として、ある新聞社労組が自社の女性を対象に行ったセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)についてのアンケート調査(一部、複数回答)を紹介する。それによると、「セクハラを受けた」は五二%、その内容は「私生活上の質問をされたり、不愉快な話をされた」六四・三%、「性的な冗談やからかい」五九・五%、「身体にさわられた」四七・六%。加害者は「職場の上司」五○%、「取材・取引先」四五・二%、「先輩・後輩」二一・四%となっている。また別の新聞労組機関紙で紹介された実例を挙げると、別の記者が取材先で強引にキスされるところを目撃した▼上司から毎日電話や手紙が来て、挙げ句の果てに性的関係を強要され、それを拒むと職場で嫌がらせをされた▼取材先から「ホテルをとってある。一緒に行かないのなら取材は受けない」と言われた▼ヌード写真の顔部分を自分の写真に差し替えて、職場に張り出された・・・などなど。
 これを見てわかるように、新聞社も男社会そのもので、女性記者の置かれている現状が垣間見えてくる。とくに警視庁、大阪府警など激しい取材競争を強いられている取材現場では、記者が情報を取るためのマシンと化し、そこに配属された女性が男性の取材対象者の多い現状では、中野さんと同じ体験をする女性記者も多い事が容易に想像できる。
 そんな中で、検察官宅に夜回りして女性記者がレイプされた事件があったが、その検察官に大きな罪があるのは当然としても、やはり夜、自宅に女性一人で取材させるというシステム自体にも問題がある。この夜回りという日本独特の取材手法は、密室で権力側と癒着する体質の温床として批判されているが、まさにセクハラの温床でもあるのだ。(小和田 侃)


  先の臓器移植法が国会を通過して脳死者からの臓器移植が合法化され、立法化以降初めての脳死者からの臓器摘出移植が行われた。そこでまたしてもメディアは医療行為とは全く関係がないと思われるプライバシーの暴露によりドナー、レピシエントから顰蹙を買い、挙げ句の果てに病院側からの情報封鎖の口実を見事に与えてしまった。しかし、メディアの犯罪はこれだけではない。臓器移植法の脳死判定の方法が不十分であるという立花隆「脳死」「脳死再論」などで提起された問題を医学的に専門的で内容が複雑で読者視聴者に受けないであろうと勝手に判断してかメディアは全く伝えていない。つまり、厚生省の役人と国会議員が提出した法案の判定方法なのだから間違いないであろうと勝手に解釈し、今回の脳死判定は臓器移植法+αの検査をパスしただけで本当に脳死なのかという問題を全く追求が出来なかった。私たち人権と報道関西の会の主張してきた「匿名報道」の意義をメディア側が真摯に受け止めれば先の情報封鎖の口実を与えずに済んだのではないかと思われる。つまり、メディアの「知る権利」と「報道の自由」のはき違えによる、全てを洗いざらい報道することによって権力を監視できるという幻想が、逆に今回ドナー、レシピエントから顰蹙を買うという事態を招いて、結果情報封鎖という規制を受けている現実を素直に反省してほしい。(秋好)


次回例会は4月17日(土)

 「犯罪被害者の報道被害」

 当会の木村哲也弁護士が報告

 

  最近,犯罪被害者の救済,支援問題がクローズアップされています。報道被害もその問題の一側面です。これは新しい問題のように見えるかもしれませんが、実は古くから議論されてきた問題です。次回は、被害実態とあわせて、法的観点からもこの問題を解明していきたいと思います。講師は、当会の木村哲也(弁護士)が担当します。一方的な講義でなく、みんなで議論をしたいと思いますので、各自一言言いたいことをお持ちのうえお集まりください。

  次回例会は四月十七日(土)午後一時からプロボノセンター(大阪市北区西天満四丁目六番二号 第5大阪弁護士ビル3階  電話 06ー6366ー5011)です。ご参加ください。

  なお、当日までのお問い合わせは、人権と報道関西の会事務局まで(木村法律事務所 電話 06ー6366ー4147)


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