証言3・11:東日本大震災 福島の藤沼ダム決壊 揺れの直後、鉄砲水
毎日新聞 2011年06月28日 東京朝刊
同じころ、憧さんの自宅から約100メートル上流の農業、大島光夫さん(72)も自宅庭で鉄砲水を目撃した。ダム付近から幅50メートル以上の黒っぽい水が「ゴーゴー」という音を立て流れてきた。「砂ぼこりや水しぶきで辺りは霧が降りたようになり、ごう音で会話ができなかった」
下流の橋に大木が詰まって川を水が逆流し始め、自宅に10メートルほどまで迫った。水浸しになった一帯は水が渦巻き、30分にわたって水が流れてきたという。
■下流でも被害
濁流は約2キロ下流の集落も襲った。同市長沼、主婦、和智とき子さん(58)は両親と長女と共に家にいた。揺れが収まり落ちた屋根瓦を片付けていると、また大きな揺れを感じた。
その直後、自宅近くの橋に流れてきた木材やトタン屋根がぶつかり、「ドーン」と音を立てて崩れ、川からあふれ出た水が自宅に入ってきた。和智さんは水に足を取られて滑り、気付くと約100メートル流されていた。
父と長女は無事だったが、86歳の母は翌日、600メートルほど下流の方向にある水田から遺体で発見された。和智さんは「母はまだ健康だった。何も悪いことはしていないのに……」と涙を浮かべた。
■補償も進まず
須賀川市によると、藤沼ダムは土を台形状に固めた「アースフィルダム」で、完成は1949年。震災当時は田植え前のため、150万トン近くの水をためていたとみられる。