1999/2/1 第64号
和歌山カレー事件報道の検証

またも警察情報垂れ流しの犯人視報道

求められる人権基準、報道評議会の設立

 人権と報道関西の会と、関西マスコミ文化情報労組会議(関西MIC)が共催で続けている第11回人権と報道シンポジウム「今、報道を考える−和歌山カレー事件報道の検証」が1998年l2月5日、大阪科学技術センター・小ホールで開催され、市民ら約100人が参加した。


 まず、甲山事件被告で昨年3月の差し戻し1審で無罪判決を勝ち取り、現在、検察側の控訴により大阪高裁で2審を闘っている山田悦子さんが「冤罪・甲山事件と法、人権、報道について」と題して基調講演した。

 続いてのパネルディスカッションには、月刊誌「創」編集長の篠田博之さん▽山田悦子さん▽新聞労連委員長の服部孝司さん▽読売テレビ・報道部デスクの吉田雅一さん▽弁護士で、和歌山の事件被疑者の弁護人も務める木村哲也さんの5人がパネリストとして出席した。司会は同志社大学教授で人権と報道連絡会世話人の浅野健ーさん。一連の和歌山の事件をめぐって、「またも捜査側のリークを十分な裏付けもなく垂れ流す報道が続けられている。そして警察と一緒になって犯人を探し回り、逮捕者がでれば犯人と決めつける犯人視報道がまったく改善されていない」などの批判が寄せられ、「マスコミ内で人権基準を作り、それを監視する報道評議会を一日も早く設立しなければ、決してこれらの姿勢は改まらない」という意見が出された。(小和田侃)


現場からのリポート

10機以上の取材ヘリ

「人権、人権ゆうてたら仕事できん」

 シンポジウムに入るにあたって、異常な取材・報道現場に立ち合ったジャーナリスト、木村暢恵さんが、その実態を次のように報告した。8月に初めて和歌山に行くと、夫妻の家の周りを沢山の報道陣が取り囲んでいて、ガスメーターの計測に来た人にまで取材するありさまだった。9月、夫妻が弁護士と話し合う席に同席させてもらった際、「ごみを出す時も写真に撮られ、タクシーに乗ればつけられ、家に入る時には、妨害されてバッグを壊されたこともあった」などと証言していた。

 逮捕のl0月4日、現地は報道陣ですごい熱気に包まれ、タクシーで行った私は途中で降りざえるをえず、歩いて家まで行った。4時ごろからはテレビチェックをする社もあって、さすがにこれは報道陣のなかでもひんしゅくを買っていた。でもそれにつられるように他社もどんどん準備を始め、まだ未明なのに、周辺はどんどん明るくなっていた。若い子たちの見物の輪も広がり、報道陣にならって普通の人たちも、民家のへイに乗ってのぞき込む姿もみられた。へリコプターは低い位置でバリバリと旋回、10機以上はあったと思う。

 そして逮捕されると、連行の車に向かって「○○さん、何か言ってください」などと叫びながら、テレビや雑誌の記者、カメラマンが追い掛けて行った。今後は、「夫妻がこれから誓察でどのような取り調べを受けるのか」など、監視していくのがジャーナリストの仕事なのに、一連の逮捕報道騒動が終わると、「お疲れさん」と声を掛け合って、現場を去って行った。その後、和歌山東署で記者会見が行われたものの、社に所属していない私は、その場に入れてもらえなかった。やむなく近くで朝食をとっていると、どこの局か分からないがマスコミ関係者が、私に聞こえよがしに「人権、人権ゆうてたら仕事できん。人権ゆうてる奴は嫌いや」と言っていた。それに対しては「人権侵害されていないかをチェックするのが、あんたらの仕事やないの」と反発を覚えた。


浅野健一さん

「逮捕されるまでは匿名」の

 ルールも破られる

 続いてパネルディスカッションに入った。

 まず司会の浅野さんが、和歌山で現地取材した経験ももとに「またメディアが犯人探しをやっている、という印象を強く受けている。ロス、サリン、神戸少年事件など、いつも警察と一緒になって、あるいは警察に先行して犯人探しの競争をするのが、今のマスコミだ。社説などでその度に反省するのだが、別の事件が起こるとまた同じことをやる。

 私はこれを“少年探偵団ジャーナリズム”と呼んでいるのだが。しかも今回は3回の別件逮捕を繰り返しているが、その間もまるでカレー事件の犯人であるかのように書いている。つまりマスコミは、これまでの『逮捕されるまでは実名は書かない』というルールすら破ってしまったことになる」と分析(注・カレー事件での逮捕は、シンポから約20日後)。

 また弁護士批判の風潮については「和歌山弁護士会には全国から約80件の手紙や電話が寄せられ、『ぶっ殺すぞ』などの罵署雑言が溢れていた。これら弁護士活動への妨害の原因は、ひどい報道で市民をあおってきたマスコミにある」と指摘した。


篠田博之さん

人違いを「スクープ」、別人の写真掲載

誤報でも誇る週刊誌

 以下パネリストが順に発言。篠田さんは「雑誌の状況を紹介すると、文春は『小誌が○○夫妻の存在を最初にスク一プ』と誇っている。ところが、その記事は『カレー事件の当日、現場で目撃された』というものだが、それは人違いの誤報であった。誤報でも誇るというメンタリティが事件報道の構造的問題を示している。その後、新潮が『絞り込まれた青酸カレー事件の“犯人”」などと、匿名ではあるものの犯人であると決めつけるようなどぎつい報道をしている。その根拠は、かつてシロアリ駆除の仕事をしていたというだけなのに。この構造は松本サリン事件の河野義行さんの時と同じだ。またフライデーは目隠ししたとはいえ夫妻の写真を掲載。しかし男性は別の人だし、女性は夫妻の娘さんであり、2人とも別人を載せてしまうという大誤報だった。しかもこの写真は、かなり前に撮影されたもので、おそらく逮捕が近いから『もう、いっちゃえ』ということで、前々から用意していたものを掲載してしまったのだろう。さらに、フライデーはその後に夫妻にお詫びに行った時のやりとりを『3時間の独占インタビュー』として掲載するんだから、すごい神経だ」と紹介し、一連の報道を「取材をよくやっている事と危険であるということが裏腹になっているのが、日本のマスコミの実態」とくくった。

 これに関して浅野さんは「朝日新聞は8月25日に保険金疑惑を最初に報じた記事に対し『編集敢闘賞』というのを出し、関西写真家協会は妻の連行写真を撮った読売新聞の記者に対し金賞を授与している。こんな報道を讃えているんだから、根は深いといわざるをえない」と付け加えた。


吉田雅一さん

裏付けのとれた段階で報道を

ワイドショーの問題は残る

 吉田さんは「読売テレビは、警察情報を垂れ流ししない」という建前はもった。具体的には(1)裏付けのとれた段階で報道する(その背景には、捜査側の夜討ち朝駆けで得る情報が多く、それが情報操作になる恐れもあるからだ)(2)取材記者は固定して、何度も同じ取材にいくなどというような迷惑を住民にかけない(3)東京発のニュースは大阪でもチェックするなど。たとえば、日本テレビは現場検証をクレーンからカメラで追い、おおわれたビニールシートの隙間から撮影したが、系列の読売テレビはその問題性を指摘した。

 他局の話だが、現場から中継したものを、東京のスタジオにいる識者が勝手なコメントをするという構図がみられ、なかには事件に全く関係のないプライバシーを識者が暴いてしまうこともあった。同じ日本テレビ系でも色々なワイドショーがあり、それぞれ別々のクルーが取材に行っていて、同じ住民に同じ取材をするという迷惑をかけ続けた。これは神戸少年事件の際と全く同じ構造で、何の改善もなされていないことを露呈してしまった」と語った。


山田悦子さん

女性をすぐに性的に扱う

甲山報道を見る思い

 山田さんは「今回の報道では、24年前の私を見る思いだった。私も女性であるがゆえに、『施設内の男性と同棲している』というデマなど、いろんなひどいことを書きたくられた。

 犯罪報道というのは、女性をすぐに性的に扱うという特徴がある。また弁護士批判も繰り広げられ、これはせっかくできた当番弁護士制度の芽を、報道がつんでしまうかのようだ。報道のおかげで、シロアリ業者が倒産したとか、逮捕された女性の着ていたブランド会社の売り上げが3割落ちたとも聞いており、マスコミは経済的な悪影響まで生んでいる」と述べた。


服部孝司さん

どの記者にも報道被害を

生む危険性が

 服部さんは「新聞労働組合が報道被害の問題を取り上げなければならないのは、今の新聞産業の欠陥だ。本来、社の幹部がこの席に座って市民に説明する義務があるのに。会社幹部はいくら要請しても出てこない。また労組内では「組合は、組合員を守るためにあるのではないのか』という意見もあるけれど、『(報道被害を論じて)自分たちが傷つくことになるかもしないけれど、このままでは、新聞は不信感から市民に見放されてしまう』という思いもあって、先月の労組の新聞研究部長会議で、カレー事件についてもディスカッションした。そこで新聞側は『新聞は、テレビや雑誌に比べて自制している』と弁明したが、外部から招いた弁護士は『比較論ではなく、全体として現に報道被害が起きているではないか』と指摘。具体的には新聞側の『保険金もカレーも、ヒ素という点で共通している』という意見に対し、弁護士は『薬品だけで共通にしてしまう姿勢は、松本サリンと同じだ』と批判した。猟犬となった記者は解き放たれると必至で獲物を探して捕ってきて、それを猟師である新聞社からほめてもらう、そこに猟犬の意思は働かないという厳然とした構図が出来上がっていて、どの記者も報道被害を生んでしまう危険性を持ってしまっている」と説明した。


木村哲也

異常な取り調べ内容を公開

現状のメディアでは限界も

 木村哲也さんは「当初から、夫妻は不当に長い取り調べが続けられた。朝は9時から夜は0時を回ることも。それ意外にも体の不調も訴えており、これら異常な捜査、取り調べをマスコミの前に明らかにしていくことも、弁護団の一つの方針とした。接見後は、何らかの会見を持ったりした。ところがワイドショーは、弁護団の言葉じりをとらえて話を変に先行してしまうなど、こちらの意図が十分展開されたわけではなかった。今週の拘留理由開示公判で私は「本人が何もしゃべっていないのに、“私は”の一人称で書かれたワープロ打ちの身上調書に署名するよう迫られた。このように、捜査官が勝手に調書を作っているという前近代的な事が日常的に行われている』と訴えた。その問題性を記者たちにも伝えたのに、全く報道されなかった。また、捜査官に証拠を見せてもらったはずはないのに、記者がまるで証拠を判断したかのように『〜〜〜〜が分かった』などと決めつけるのも、報道の大きな問題だ」と分析。このほか、「六法全書を差し入れただけでも『長期闘争か』とまで書かれた。

 あるワイドショーは、逮捕男性の元妻に『真実を話してください』などと手紙を書いてもらい、私にそれを男性に渡すよう依頼してきた。これは“やらせ報道”でありマスメディアの役割ではないと、私は拒否したが、番組ではすでに『こんな手紙を書いておられる』などと放送していた。私のような弁護士は“人権派弁護士"とやゆされ、私に電話をかけてきた週刊誌記者は『自分たちは、反人権という立場で取材、報道している』とまで言っていた。いったい、人権というものをどう理解しているつもりなのだろう」とさまざまな実情を紹介した。

 さらに浅野さんは「夫が『妻から狙われていた』と供述したという報道があったが、こんなのは取り調べに立ち合うか盗聴器をしかけるしか、裏の取りようがない。結局、捜査側のリークの垂れ流し報道が行われている。少なくとも記事には、情報源をきちんと明記すきだ。こんな事は、欧米だけでなく他の国では当たり前のことなのに、日本では守られていない」と指摘。篠田さんは「新聞はよく、ワイドショーや週刊誌と一緒にするなと弁明する。ところが、逮捕された夫妻が報道被害として例示するのは、新聞社や通信社に対してなのだ」と訴えた。


弁護士、黙秘権否定の論調に抗して

統一した人権基準、報道評議会の設立が必要

 会場からも、いろんな意見、質問が寄せられた。「黙秘権を否定するような論調をどう思うか」という質問に、木村さんは「現にそのような報道はあったし、産経新聞のコラムに対しては、弁護団も抗議した。一方で私たちは、黙秘権の意義をもっと強調していくべきだった」と答た。「刑事訴訟法を記者はどの程度勉強しているのか」との質問に、服部さんは「マニュアルをさらっと読む程度。きちんとした記者教育を受けずに、『現場で覚えろ』とほうり出されるだけなので、捜査員と親しくなったり情報をとったりするテクニックが先行してしまう。きちんとした刑事訴訟法の基礎勉強をしていないことも、報道被害を起こす一因になっていると思う」と自省した。人権基準の必要性を求める意見には、服部さんが労組内で報道被害相談窓口を創設したことを紹介。浅野さんはさらに、メディア全体の統一した人権基準を作って、それをチェックする報道評議会を設置することが不可欠だ、と訴えた。

 前月に東京で開かれた人権報道のシンポに参加した山田さんは「朝日テレビのディレクターが『和歌山の事件を取り上げれば、視聴率が上がるという実態がある』と指摘していた。私たち市民も、そうしないよう自覚しなければならない」と提示した。また服部さんは視点を変え、新聞の定価を固定している現行の再販制度にも言及。「新聞は情報収集能力では他のメディアをしのいでいるが、すべてを垂れ流すのではなく、自制している側面がある。ところが昨今の規制緩和の流れの中で、再販制度が崩されそうになってきている。もしそうなれば、派手な見出しと論調でますますイケイケの報道に陥ってしまう危険性がある」と指摘した。一方で、「もし報道被害にあったら、どんどん手紙や電話でマスコミに苦情を寄せてほしい。それによってメディアを変えることもできる」と訴えた。篠田さんは「現在のマスコミは、警察と密になることが情報をとれるかとれないかの分かれ目になっていて、それが犯罪報道の問題の背景になっている」と分析した。


山田悦子さんの基調講演の要旨は次の通り。

 事件が発生したのは私が22歳の時。以来、マスコミは真実に反する報道をし、司法は無実の者にも有罪判決を下してしまう、ということを体験してきた。そして、なぜ日本の社会でそんな事が起こってしまうのかも考え続けてきたので、それらについてお話ししたい。


間違いを次に生かす姿勢が

 この社会にないのが問題

 今年(98年)3月の差し戻しの1審・神戸地裁判決(無罪)を前に、弁護団もマスコミの重要性を認識していたので、ちゃんとした報道をしてもらうために、例えば「山田が無罪なら、一体だれが犯人なんだ」というような報道にならないために、各新聞社を弁護団と一緒に回った。その対応に、各社の文化性を見る思いだった。朝日新聞では、立派な応接室に通されて論説委員と記者を入れ4人が応対、「すでに無罪と有罪の両方の予定記事を用意している」と話していた。コーヒーが出された。読売新聞は、ぞんざいな応対という印象で、番茶が出た。対応に出た論説委員は当時、甲山の取材をした人で「山田さんって明るい方なんですネ」と驚いていた。自分たちが暗いイメージの犯人像を作り上げておいて、「何を言っているのよ」という気持ちで聞いていた。

 毎日新聞は全論説委貝が熱心に応対してくれて、飲み物はなし。神戸新聞も全論説委貝が出てきたものの、こちらの話を聞くばかりで、向こうからの発言は一言もなかった。とにかく、各社にはこちらの意図を伝えたつもりだった。でも差し戻し審判決では、これほどの冤罪事件なのにマスコミには、誠心誠意をこめて取材するという姿勢が見られなかった。間違いを間違いとして、次に生かすためにどうすればいいのか、と考える姿勢がこの社会にはないのだ。私達人間は、歴史に学んで文化を発展させ、その中で「報道の自由」「司法権の確立」を生んできたのに、日本社会はそれを持ちえていない。先の二度にわたる大戦の反省の基に日本社会を築いてきただろうか、と考える時、そうではなかったということが分かった。日本は他国を侵略し、他国民の人間の尊厳を破壊してきたのに。


権力に対抗し闘う

ジャーナリストがいない

 西洋哲学は、「疑わしきは罰せず」というような「法の精神の支配」を私達に与えてくれたが、その精神を持たぬマスコミは、それゆえに犯人視報道に走ってしまっている。裁判官もマスコミ情報を受けているので、無実の人に有罪判決を下してしまうことになっている。私達の社会は本来、権力に対抗する手段として報道を持ち、報道を武器にして闘うのジャーナリストなのだが、そのジャーナリストが日本の社会では養われていない。

 (私も世話人を務める)この人権と報道関西の会が毎年シンポを開き、啓蒙活動を続けてきても、マスコミには何も響いていない。その結果が、昨年の神戸の少年事件や和歌山のカレ一事件に現れている。この憂慮すべき報道の問題をどう改変していけばいいのか。それがこの後のシンポで話し合われることを期待したいと思います。

 私の話を終わるにあたって、ザ・タイムズの往年の編集長、ヘンリー・ウィッカム・スティードさんが書いた「理想の新聞」(みすず書房)のなかの言葉を紹介したい。「目をむくような見出しや論評で、『真相はこうだ』とばかりに派手に扱う新聞がある時に、真実をさらけ出すのを控えたり隠すことは非難されることかもしれない。一般市民の利益にとって大切なことを伝えることと、下劣なのぞき趣味に迎合するような俗悪仲介者の役割を演じる事との間には、はっきり一線を画して正しく均衡のとれた判断を下すには、極めて沈着かつ強靭なジャーナリスト精神が必要である。最高のジャーナリストとは、この均衡を見出し守る人物であり、しかも一般市民に対して、ニュースを抑えるのではなく、より多くのニュースを提供しようと常に努力している人物である。「印刷に値するすべてのニュース」というのは、米国の偉大な新聞、ニューヨーク・タイムズのすでに神話とも言えるモットーだが、印刷に値するニュースと値しないニュースの選別をはっきり示すことは、異常な新聞と一線を画すまともな新聞社の意思表明である。責任感をもった市民に動かされる自由な新聞こそ、近代民主主義の中心的問題であると同時に、近代民主主義の主要な擁護者であることが理解されるだろう」と。新聞報道を毎日享受している私たち市民は、近代民主主義の主要な擁護者になろうではありませんか。


和歌山カレー毒物混入事件の刑事弁護人となって

                 木村哲也

 これまでは、報道被害者から被害の実態を聴くだけの立場であった。今回は、いわゆる弁護士バッシングを受けるなど、当事者と同等の立場になってしまった。あらためて報道の影響力、被害にあったときのこわさがわかった。痛みのわかる弁護士になるための試練だと思っている。

 年賀状などで、少なからぬ人たちから激励の言葉をいただいた。それでも、どうしても弁護をすることに疑問を持っている人たちがいるであろうことは想像に難くない。現に小生の親族にもそのようなことをいう者がいるのだから。なぜ、これほどまでに弁護士バッシングが起こるのか。無罪を推定される権利や黙秘権の観念が全く社会に定着していない。

 世間の人が、なぜあんな悪い人の弁護をするのかとか、黙秘させるのはおかしいなどという声をあげるのは、第一に、弁護士会や我々弁護士自身が、刑事弁護人の役割といったことをわかりやすく説明する努力を怠っていたことが原因であると思う。しかし、我々の責任だけではなく、証拠を見せてもらったわけでもないのに、捜査官にあたった感触だけ「・・・ということが新たに判明した。」などと報道するマスコミの責任も大きい。世間の人が被告人らが犯人であると確信(誤信)しているその根拠は、マスコミの報道以外にはないはずだ。このような報道のやり方を改めるのはもちろんのこと、憲法で保障されている基本的人権の意味をわかりやすく市民に伝えるのが本来のジャーナリストの役割だ。ならば、わかりやすい言葉で基本的人権を説明するのは誰かといえば、本来、法律家の仕事だ。弁護士とジャーナリスト、本来二人三脚で取り組むにはぴったりのペアなのだが・・・。


 和歌山カレー事件報道は、松本サリン事件、神戸少年連続殺人事件などの大事件報道に繰り返されてきた犯人探し報道、逮捕時の犯人視報道、加熱取材等、現在の犯罪報道の持つ問題点がすべて再現されている。H夫妻は、保険金詐欺事件で逮捕されただけでまだカレー事件では逮捕もされていない段階で、カレー事件の犯人であるかのような大々的な報道が連日繰り返されてきたため、ほとんどの市民は、すでにH夫人がカレー事件の犯人と信じ込んでいる。そして刑事裁判の大原則である無罪推定の原則は、完全に吹き飛んでいるだけでなく、一部メディアが弁護士パッシングをはじめ、弁護士による弁護活動に対して「なぜあんな悪い奴の味方をするのか」「弁護士が犯罪の解明を妨害している」「弁護士が黙秘を強要しているのではないか」等、刑事弁護人の弁護活動に対する強い疑問や批判が起こっていることは由々しき事態である。

 刑事弁護人は、刑事事件の捜査や裁判の場において圧倒的な力のある警察、検察の捜査機関の前で無力な被疑者、被告人の人権を擁護することが職務の基本である。被疑者に認められた接見交通権・黙秘権等の権利を守り、無法な捜査を防ぐことによって、無実の人を有罪にすることを防止しているのである。証拠を捏造したり、故意に虚偽の供述をさせる等の行為は捜査妨害となるが、被疑者に接見(面会)し、黙秘権を説明し、裁判所に拘置理由の開示を求めることは、法が定めた正当な手続きなのである。このために捜査に一時的に不便や支障を生じても、それは近代刑事司法制度が当初から予定していた結果なのだ。黙秘権や接見交通権は、自白の強要や誤判による人権侵害を防ぐための刑事司法の原則であり、憲法,刑事訴訟法に定められた当然の権利である。

 公権力の監視と批判、市民の人権擁護という一つの大きな使命を持っているマスメディアに、刑事弁護人の基本的使命について、一般市民にもっと理解してもらうような解説記事や紙面作りを期待したいが、これは無理な注文だろうか?(野村)


次回例会

元新聞記者を招き「女性の目から見た報道」

2月27日(土)午後1時から

 人権と報道関西の会の次回例会は2月27日(土)午後1時から、「記者として、読者として、女性の目から見た報道」をテーマに、プロボノセンター(大阪市北区西天満4の6の2、第5大阪弁護士ビル3階、電話06・6366・5011)で開催します。講師は元毎日新聞記者でフリーライターの中野温子さん。中野さんは、甲山事件救援会の機関紙で、新聞社内で差別的に扱われた記者経験や事件報道の疑問などを掲載されたほか、未だに男性の視点で作られることの多い紙面に提言されています。また昨秋まで半年間、アメリカでも見聞を広げてこられましたので、欧米の報道との比較なども交えて、女性の目から見た報道を分析していただこうと思っています。当会ではこれまで、「女性の目」を重視した勉強が欠けていたと反省しておりますので、どうか奮ってご参加ください。(小和田侃)


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