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経済
【経済裏読み】中国最高実力者の顔に泥!? パナを襲った反日デモの「恩知らず」
嵐のような1週間だった。日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化に抗議し、中国全土に吹き荒れた反日デモ。現地に進出する日本企業が標的となり、パナソニックの工場も設備などが壊され、一時休業を余儀なくされた。中国では改革開放路線の黎明期、トウ(=登におおざと)小平(しょうへい)氏の求めに応じ、日本の製造業では戦後初めて中国進出を決めた同社創業者の松下幸之助氏は「井戸を掘った人」とたたえられてきた。その恩人の工場を襲った反日デモは、かつての最高実力者の顔に泥を塗ったことにもなる。
歴史を知らない暴徒
「歴史を知らない一部の方が被害をもたらしており、非常に残念だ」。幸之助氏の孫で、パナソニック副会長の松下正幸氏は落胆の表情を浮かべた。
中国と同社の歴史は、まだ松下電器産業だった昭和53(1978)年10月にさかのぼる。
日中平和友好条約の批准書交換のため来日したトウ小平氏が大阪府茨木市の同社のテレビ工場を見学したのが原点だ。ときあたかも、中国が改革開放路線を宣言する2カ月前。当時副首相のトウ小平氏はホスト役の幸之助氏にこう切り出した。
「あなたは“経営の神様”と呼ばれていますね。中国の近代化を手伝ってくれませんか」
幸之助氏は「できる限りのお手伝いをします」と応じ、交流がスタート。翌54年には幸之助氏が訪中してトウ小平氏と懇談し、北京駐在員事務所を開設した。62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、日本企業で戦後初の中国への工場進出となった。
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