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科学
【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄 「野口英世」目指し海外に雄飛を
5月から6月にかけて33日間、私は仕事をかねて南米7カ国を旅した。この間、日本ではあまり知られていない野口英世博士の南米での活躍を知ることになった。
≪驚かされた南米での高い評価≫
1911年、30代半ばで、野口博士は、最大の業績とされる梅毒スピロヘータ菌の純粋培養に成功した。その後、精力的に研究を続け「世界のドクトル・ノグチ」の名声は高まるばかりであった。
18年、野口博士は、当時、身を置いていたニューヨークのロックフェラー研究所から、黄熱病研究のため南米に渡った。そして、黄熱病患者が多かった赤道直下の国エクアドルをはじめ、メキシコ、ペルー、ブラジルを歴訪した。黄熱病が大流行し、船員も寄港を嫌がっていたころの南米である。野口博士は約10年もの間、何度も現地入りし、自らの病が癒えた直後も遺言状を残して南米に渡って、黄熱病の病原体を発見し、エクアドルでは国民的英雄となった。
野口博士は、自身、心血を注いで研究してきた黄熱病に罹患し、28年、アフリカのゴールドコースト(現ガーナ)の地で51歳で客死している。博士の訃報は世界の新聞の1面で大きく伝えられた。
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