[ 携帯用URL ]
風塵山荘
この掲示板は仏教者の視点から時事を語る掲示板です。宗教・宗派を問わず、特に正系六門下の日蓮主義≠謔閧フ時事評論は歓迎します。また十数年の長きにわたり特定の人物を誹謗・中傷してきた冨士尻学研究≠ニ称する不倶戴天≠フ邪妄団とは情報交換を通してともに闘う掲示板である。

[ EZBBS.NET | DoChat.NET | 新規作成 | ランキング | サポート ]
名前
 E-mail 
題名
内容
投稿KEY    タグ有効 改行有効 等幅フォント
URL
添付





こんばんわ 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月25日(火) 03時22分
>応顕寺と○山なる痴犬の叩きに専念したいので、潰しが不可能な有料版
の板に移行したのだか・・・・(^^ゞ
==============================================================

この板の目的を知らず書き込みしてました。
申し訳ありません。
にも、かかわらずお応え頂きありがとうございます。(^_^;

>日寛師の勝釈迦のうえに立てられた日蓮本仏論は、要法寺の立義によって導き出された論であることを指摘しておきたい。
===============================
ここです。教宣さんの人たちの中にここを指摘される方々がいます。
ただ、私は教宣さんと違って、これも一つの宗史として捉えています。
ここまで、詳細なことを御教示下さったのは松木さまが初めてです。
大変にありがとうございました。

>日寛師が末法無上位に登られたからには宗祖に対する忠義≠ェその心底の基礎となっていたものであろう、要法寺という大石寺の臣下の立義に対し、あるいは一矢報いてさらなる高義を立てる気概はじゅうぶんに持っていたものと考えてもよい。

六巻抄の全体に流れる隙の無い、叩み込むような鋭い筆致と精緻な論理構造はまさに、床几に座して軍配をふるう武将の覚悟が彷彿とされるのである←(これって本当にスゴイと思います。ときおり、詭弁かと浅学の私は心底思ってしまうほどです。
論点ズレますが、富士門流の五重の相対の種脱。これは本当に理解に苦しみます。日蓮本仏論に正当性を与えるための論理構成と私には現段階には映ります。)
================================
もともと日尊門流は大石寺から、分派した宗派とお聞きしています。そ
して、松木さん曰く、百六箇抄も日興記(御義口伝)も、現在の史料では
要法寺から輸入されたものと推察されうると。
また、日郷師は大石寺を遁走するさい(向こうの主張では血脈相承の問
題で)に蓮蔵房にあった日蓮宗祖の御影を持ち出し、『日蓮大聖人御真
蹟御本尊集』にある万年救護の大本尊も持ち出した。松木さん曰くの百
六箇抄もということですよね。
つまるところ、大石寺におかれましても多くの問題を抱えたまま、今現
在がある。
また、弘安二年の大御本尊は、『日蓮大聖人御真蹟御本尊集』にありま
せん。だからといって、別に大した問題ではありませんが、(鑑定に出
せばよいことという簡単なことなので)何が言いたいのかというと、大
石寺にはこれといったものはそう大して持ってないということと推測
し、また、それは他宗派でも、よく小耳にします。

正直なところ、私は大聖人身延期の万年救護の大本尊は必ずこの一生の
中で、お虫払い法要っていううのでしょうか。一般公開のときに見に行
きますが、唯一大本尊と書かれている。
その「讃文」では
『大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖年月漢日三ヶ国之間未有之大本尊
或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之』
と書かれ、大聖人の上行の自覚が認められるし、この散文を見る限り大
聖人は本仏ではない。

さて、日蓮本仏論を考えるとき、やはり五重の相対は外せない。
身延では一尊四士は人本尊。大曼荼羅形式(一塔両尊四士含む)は法本
尊。また身延というよりはこれは天台教学の引き継ぎと思うのですが、
法華経の教相門(文上の教相)に立脚すれば一尊四士本尊、観心門(文
底の観心)に立脚すれば大曼荼羅本尊になるとされる。
要するに教観二門から本尊を論じている。そして、この教観二門の立場
から一尊四士形式も大曼荼羅形式もイコールという人もいます。違うと
いう人もいます。この部分でも本尊の論争となっているようです。
確かに、御書を見る限りでは、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。」と
あり(人本尊、一尊四士)です。そして、そのすぐ後にくる「宝塔の内
の釈迦多宝・外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」これは法
本尊、大曼荼羅形式です。
身延では、こう立て分けしております。それ以上、以下でもない。御書
に忠実です。
大曼荼羅を本尊とした場合。ここに人格を持たせること自体が詭弁のよ
うな気がします。
まだこれから身延も探っていきます。

追伸
応顕寺との一件のための掲示板ということですので、
ここではそれが目的だったのですね。
了解しました。

日蓮非本仏論 余話 その二、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月24日(月) 21時50分

法隆寺釈迦三尊さんが云く、
----------------------------------------------------------------
>※私の「非本仏論」というよりも日精上人までの大石寺教学と、寛師の本仏論も理論のプロセスはほぼ同じなのです。理論構成が同じで結論が違うという摩訶不思議な現象なのですが、ようするに内証を取るか外用を取るかとの話なのであります。
==============================
了解いたしました。
当然のことですが、大石寺の教義においてのそれと受け止めさせて頂いきます。
様々な日蓮の宗派。様々に教義があろうかと思うのですが、何分、知らないというのがダメですね。(苦笑)
他の日蓮系の宗派と同じく、大石寺も論議に加わり、独善性を発揮するで
はなく、前向きに取り組まれることを念願するものです。
----------------------------------------------------------------


※まあ、正直で素直な性格の御仁ではある。

宗学というのは、宗旨≠ニ宗史≠フ双方から検討をしなければ真実は見えてこない。私はオブラードで包み故意に曖昧なかたちで捨て去るつもりであったある事実≠指摘しなければならなくなった。


日寛師の勝釈迦のうえに立てられた日蓮本仏論は、要法寺の立義によって導き出された論であることを指摘しておきたい。日精上人の随宜論では、日蓮宗祖の本地は上行、上行の本地は仏、その仏とは久遠元初の自受用報身であることを御指南されている。

さらに、御本尊に勧請された釈迦牟尼仏は法華文上の脱仏ではなく、久遠の本因に具わった仏の仏界(十界互具)であり、仏界所具の仏であるがこれは広蔵日辰の造仏論でも説かれた要法寺の立義である。

日寛師は日精上人の説法を聞いて出家得度されている。つまり日精上人の御義に強く影響されており、良く云えば師事して、悪く云えばパクッて日蓮本仏論を立てたのである。

日精上人は松平姓を名乗るべき社会的地位があり徳川権門に連なる立ち位置にあった。日寛師は上野国前橋城主酒井雅楽頭の家臣であり家督をつぐ地位ではなかったために某旗本の邸に勤仕していたもので陪臣である。

陪臣の地位では日精上人に直接に接することは、通常の社会的概念ではありえないもので精師が出家であり常在寺の住持であったから可能であったのである。

寛師は武門の出であり、出家が十九歳と青年期でありすでに成年に達してからであり思想的基盤に朱子学≠ノよる武士道の精神がそなわっておられている。朱子学による武士道とは忠義≠ナあり、主君に対する絶対的な帰依である。

日寛師が末法無上位に登られたからには宗祖に対する忠義≠ェその心底の基礎となっていたものであろう、要法寺という大石寺の臣下の立義に対し、あるいは一矢報いてさらなる高義を立てる気概はじゅうぶんに持っていたものと考えてもよい。

六巻抄の全体に流れる隙の無い、叩み込むような鋭い筆致と精緻な論理構造はまさに、床几に座して軍配をふるう武将の覚悟が彷彿とされるのである。


[百六箇抄]

上古の大石寺には本因妙抄はあったが百六箇抄は無い。なのに重須本門寺に真書?があったとされ、北山と通用があった要法寺と保田の妙本寺には写本が相伝されている。

大石寺が目師遷座後に保田(日郷)と対立し、日郷に組みする北山とも疎遠となったために百六箇抄は伝承されなかったものかどうか正確な史書が管見には無いためこの程度にしておくしかない。

日郷師は大石寺を遁走するさいに蓮蔵房にあった日蓮宗祖の御影(大石寺の御影とも東光寺の御影とも云う)を持ち出して日道上人から返還を求められているがそのさいに目師の住房であった蓮蔵房から百六箇抄も持ち出したのだろうか、ともあれ大石寺に百六箇抄は伝承されなかった。

百六箇抄も日興記(御義口伝)も、現在の史料では要法寺から輸入されたものと推察されうるのである。



Re: 日蓮非本仏論 余話 その二、
名前:松木法太郎    日付:09月24日(月) 21時58分
やれやれ、法隆寺釈迦三尊さんの主張に向き合っていると、

なかなか法太郎≠ェ卒業できませんわ。(笑)、

私としては、日蓮非本仏論は捨て去って、あのド気違ひ≠フ

応顕寺と○山なる痴犬の叩きに専念したいので、潰しが不可能な有料版
の板に移行したのだか・・・・(^^ゞ

まだまだ日蓮非本仏論はつづきそうですのう。(笑)

 

松木さま 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月21日(金) 00時45分
> 理論的には成り立っても誰も用いない論理を突っ張るよりも現実的な外用(体)のもとに引くべきところは引いて、すみやかな日蓮宗の統合を目指すべきなのである。これなくして広宣流布は無いと断言するのです。
================================================================
同感です。少し論点はズレますが、日蓮系は宗派、派閥が多すぎます。
古く、日蓮宗は一家離散の業と聞きました。しかし、どうでしょう。現
実は大石寺系(破門された宗派、新興宗教も含む)も、どれほど一家離
散が多いことか。これが現実ですよ。一番、かわいそうなのは、一つの
家庭にあって、大石寺帰依の家族と破門された宗派帰依の家族の親の一
家離散。その一家離散となった家庭の子供達が、もう、どちらの宗派の
御本尊にも向き合うことが出来なくなったという、この現実。もう不幸
も不幸。そのように導いてきた僧侶陣こそ大罪だと思うのです。もちろ
ん、大石寺の教義を超えた在家の責任もしかりですが。ともあれ、知っ
てか知らずか、これは僧侶、また行き過ぎた在家、どちらも破和合であ
り、結果、ささやかな、けれども尊い人間の幸福を踏みにじることとな
った。これもこの大石寺系各宗派の独善性が根っこにあるからではない
でしょうか。

家庭は土台です。その家庭にあって一家和楽が成し遂げられないのに、
どうして広宣流布が出来るのでしょうか。大変に疑問です。
日蓮宗の統合は、私自身、願うものであります。
祖師の云う異体同心はどこに行ってしまったのか。

>そも、大石寺は徳川幕政下の縛りから解放された明治年間以降、内部抗争に明け暮れている。その原因の大きな要因がともすれば独善に走りがちな本仏論にあるのではあるまいか。
================================
本仏論は独善な信仰者を生みます。これは本当に実感します。
気違いを生む。これも同感です。
この落とし穴に知らずに堕ちた人達は、あたかも古酒に酔っている状態
に見受けられます。
破折と称し、確実にその害毒が生命に刻まれていく。
よっぽど信心のある方でないと、この行為は危険です。
自分自身の生命を観ることのできない人が、この行為をすると、大変です。
そういう方を何人も見てきました。
古く、縁のあった正信会の知人も、そこを指摘されていました。
本当の折伏や破折はかなりの訓練が必要とのこと。
この正信会の方とはもう二十三年お会いしてませんが、今になって、その言葉が思い起こされます。(今の正信会はどういうことになっている
かは知りません。)

>※私の「非本仏論」というよりも日精上人までの大石寺教学と、寛師の本仏論も理論のプロセスはほぼ同じなのです。理論構成が同じで結論が違うという摩訶不思議な現象なのですが、ようするに内証を取るか外用を取るかとの話なのであります。
==============================
了解いたしました。
当然のことですが、大石寺の教義においてのそれと受け止めさせて頂いきます。
様々な日蓮の宗派。様々に教義があろうかと思うのですが、何分、知らないというのがダメですね。(苦笑)
他の日蓮系の宗派と同じく、大石寺も論議に加わり、独善性を発揮するで
はなく、前向きに取り組まれることを念願するものです。

PS
普通に見て、創価教育学会からスタートした創価学会は、仏教学という
見地ではもともと素人なのですよ。
これは致し方がないことと思います。
もともと、大石寺と創価学会は、また別なのですよ。
少なくとも私はそう捉えています。
あまり、鼻息を荒立てるほどでもないですよ。
ただ、人の不幸を取り除きたい。また、悲惨の二字を無くしたい。
この思いは本物です。
理解は得難いものではありましょうが、私はそう捉えています。
あまり理系の方々には、およそ理解は得難いだろうな。
ま、当然といえば、当然ですね。

ハムスターさんへ 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月20日(木) 19時41分
ご挨拶を頂いておちました。
ご丁寧にありがとうございます。

こちらのほうこそ、どうぞ宜しくお願い致します。
ハムスターさんは、理系の頭脳ということですが、
本当にうらやましい限りです。



Re: ハムスターさんへ
名前:ハムスター    日付:09月20日(木) 19時57分
いえいえ、単に文系の受験科目と理系の受験科目のどちらがまだ楽かと言う選択でして。
知識は、学校を卒業した時に全部置いてきました。

まさか、今になって古文を読むとは思っていなかったです。(笑)

竹島問題、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月20日(木) 00時19分

[日本と韓国の勘違い]

どういうわけか、韓国の勘違いと日本の勘違いが一致している。W2で敗戦国となった日本は韓国に負けたわけではない。

韓国の独立戦闘が日本に打撃を与えた効果はまったく無いし、敗戦後に戦勝国に名前だけ連ねた韓国(朝鮮)は日本に対して戦争に勝ったと勘違いをし、日本はこれまた敗戦のせいで韓国に負けたと勘違いをしている。(苦笑)、


竹島は韓国より島根県のほうがやや近く、歴史的に日本の領土であるが、韓国の勘違い大統領が武力で竹島を占領し日本の海上保安庁の艦船に銃撃を加えて実質的に戦闘によって日本軍?を撃退して竹島を実行支配してしまった。

時の首相は鳩山一郎で、友愛組合(フリーメーソン)に入会していっぱしの国際的文化人を気取ったために竹島を失う結果となってしまった。これが吉田茂であれば、速攻反撃してたかが弱小韓国に領土を占領される愚は犯さなかったであろう。(苦笑)、

韓国にせよ、中国にせよ、現在り自衛隊という日本の国防軍と戦って勝てるほど実力は無い。日本の自衛隊というのはそれほどの実力を持っているのである。

ただ、空母がなく攻め込むことが出来ないので戦争にならないだけである。逆に中国にも韓国にも日本に攻め込んで勝てるほどの実力は無いが、当座のはなしで十年後にはどうなるかわからない。

竹島を武力によって奪い返すなど簡単な話なのである。その気力が日本の政治家に無いだけなのだ。国際政治のなんたるかも知らずに性善説で国際競争に勝てるわけはない。武力というのは外交を有利に導く必要悪なのである。

現在の韓国の電子技術は日本が与えたものである。もっとも米国による日本に対する技術拡散によって日本の一人勝ちを解消しようとした背景もあるが。

韓国が電子技術の分野で世界的に認められたのは、かっての韓国の宗主国である日本のおかげであり、チャンコロ人民共和国が経済成長を成し遂げたのは、日本の政府開発援助のおかげである。

韓コロやチャンコロに戦時中の南京大虐殺やら従軍慰安婦やらの問題を出されたらとたんに腰抜けとなり、かっての植民地のいいなりとなっていることには、日本という大国の貫禄は見られないものである。(情けない)、

チャンコロ人民共和国は急激に反日デモをおさえかかっている。当然であろう、日本政府が本気になって中国を敵対国と認定して日本資本の中国引き揚げを決意して大使館を閉鎖し、これまでの政府開発援助の返還を求めたらチャンコロ人民共和国は日本に対しこれを拒否するしかない。

そこで日本が強制的に担保として日本の戦力をもって香港や上海に進攻したら中国は破滅的状況となるのであり、それはあまり難しいことではない。自衛隊の質と戦力はそれほどの力量を持っているのである。

ただ、自衛隊を海外派遣するには法整備が必須であり、その法整備は等閑にされてきた。敗戦国の悲哀と云うべなのであろう。

祖国ニッポンの同朋たちよ、いつまで敗戦根性で卑屈な国家運営に堪えるのであるか。このさい国連という戦勝国連合から離脱して各国別に条約を締結して世界と密接な関係をもちながら、真の独立国家として未来にすすむ選択を採るべきではないか。


IT分野においてもガラパゴスといわれるほど日本の技術は独立独歩の進化をとげている。世界が認めようが認めまいが日本の技術は最先端にあるのである。世界に媚びを売るよりも、日本民族の伝統としてのガラパゴスはおおいにけっこうなものではないか。

そして、わずかな報酬を得るために技術を他国に売り払う同朋は祖国に召還してこれ以上の技術流出を避け、勝れた技術者を統合してさらなる進歩をめざすべきであり、その技術を伝承しさらなる発展・創造をめざす体制を構築すべきである。
 



Re: 竹島問題、
名前:黒川和雄@ロス講頭詐称@信徒除名    日付:09月20日(木) 01時04分
竹島は戦後李承晩大統領が李承晩ライン(りしょうばんライン)という線引きを勝手に行ったために、国際法違反で実効支配したのです。詳しくはここにあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

尖閣に関しては、今回の中国の破壊行為は我々日本人というか、文明人には理解しがたい行為ですね。創価の池田太作と仲が良い国だけのことはありますね。アホタン劣等民族ということだ。

以下、中国から見た抗日暴動。

http://youtu.be/ZwxFxnoJWUc
http://youtu.be/UCRNCR6bzHc

ただ今回の尖閣問題は、簡単には終わりそうもないと想像する。

http://youtu.be/l_doem_U7Mo

間違い、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月19日(水) 20時51分

本日のボーンシリーズは、一作めの「アイディンティティー」だった。

けっこう、面白いのだが、先月DVDで三作とも再再度見たばかりなので

今日はやめた。(^^ゞ
 



Re: 間違い、
名前:ハムスター    日付:09月19日(水) 22時34分
ボーンシリーズは、2作目まで観ました。
24のジャック・バウワーの娘さん役をしてた役者さんが出てた記憶があります。

役者と言うのは、その役になりきれるものだと感心したのを覚えています。
私には無理ですw


Re: だいぶん、カットされていましたな、(笑)、
名前:松木法太郎    日付:09月19日(水) 23時16分

ボーンのアパートの管理人のおばさんが額に銃弾を受けてイスに
座ったまま殺害されていたシーンや、他にもカットされたシーンが
ありました。(笑)、

やはりテレビはだめですね。

映画で見て、DVDで見て、テレビで見るとテレビの限界が見えてきます。

吹き替えはやはり、迫力に欠けますな。

今度ボーンレガシーが公開されるようですが、マットデイモンとは別物で
シリーズではないので、映画にいこうかどうかまよっているところですわ。(笑)、
 

もの知らず、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月18日(火) 21時47分

いま、キーボードを打ちながらテレビを聞いている。

聞いているというのは歌番組は見なくて良いので聞いているのである。

AKB48が出ている。黒い網タイツでパンツがチラチラ見えるのがなかなか良い。

・・・なんだ、しっかり見ているではないか、と云われれば・・・反論不能だな。(^^;

しかし、背中に白い羽根をつけて天使≠気取っている少女はいただけない。

天使というのは男子であり、女性の天使は無いのである。

もの知らずもあからさまになったら、バカにされるだけであろう。

 

法隆寺釈迦三尊さま、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月18日(火) 21時41分

云く、
----------------------------------------------------------------
しかし、一つ思うところはその信徒さんにおいて、教養、文化、礼儀のしっかりされている方が多いですね。
----------------------------------------------------------------


※何にでも例外、というものがあります。私は例外中の例外ですから対比の対象から外してください。(笑)、


云く、
----------------------------------------------------------------
確かに、ネット学会員だけを見ていると、皆様のアホだのバカだのご意見は頷けます。先日、他板で創価の方が黒川さんに、法太郎さんの日蓮非本仏論についての所感をお聞かせくださいとの書き込みを見て、愕然としました。こういうこと書くか、ホントにと思ったものです。
----------------------------------------------------------------


※私の「非本仏論」というよりも日精上人までの大石寺教学と、寛師の本仏論も理論のプロセスはほぼ同じなのです。理論構成が同じで結論が違うという摩訶不思議な現象なのですが、ようするに内証を取るか外用を取るかとの話なのであります。

日寛師は武門の出自なのでより他派との闘争的理論に発展しやすく、私は日精上人の科学的(仏教学的)な解釈を、中道史観から一面を述べたにすぎないのであります。

理論的には成り立っても誰も用いない論理を突っ張るよりも現実的な外用(体)のもとに引くべきところは引いて、すみやかな日蓮宗の統合を目指すべきなのである。これなくして広宣流布は無いと断言するのです。


そも、大石寺は徳川幕政下の縛りから解放された明治年間以降、内部抗争に明け暮れている。その原因の大きな要因がともすれば独善に走りがちな本仏論にあるのではあるまいか。

大正年間の仁義無き戦いから敗戦後の創賊問題、昭和に入ってからの正信会の諸師との抗争事件、顕正賊などどうでもよいが正信会事件は宗門の自滅的闘諍ではなかったか。在家をひとり作るのは簡単だが、僧侶ひとりを育成するのは莫大なコストが必要とされるのである。

毛並みの良さから世間知らずが思い上がってせっかく育てた竜象を切り捨て宗門未曾有の大闘諍を起こした事件はしっかりと御本仏が照覧されているであろう。罪科に属すといわば・・・・・ん?・・・随宜論だな。(笑)、

まだあるぞ、伝統の法華講中の中でも思い上がった気違ひ≠ェ訴訟沙汰で同門を攻撃し破和合僧≠フ五逆謗法を為すのみにあらず、バカ僧侶がこれを裁可して扇動しているのである。応顕寺の狂乱ぼーず≠ヘとっとと還俗して懺悔の生涯に生きるべきであろう。

これら、すべての気違ひ的≠ネ振る舞いは、謙虚さを失った思い上がりから来ているのではないか、その最たる思考が日蓮本仏論にあるのではあるまいか。しかし、・・・「おまえもナ」と云われれば反論の余地は無い。
 

ハムスターさんへ、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月18日(火) 21時03分

云く
----------------------------------------------------------------
それで、私が挙げた随宜論の文章の後は、「予 法詔寺建立の翌年仏像を造立す。・・・・」と続くわけですが、訳すのは簡単なのです。しかし、この部分は文章を書かれた背景を見ないといけないと思って、自分なりに調べているところです。
----------------------------------------------------------------


※その部分は事蹟を抽出すべき、極めて重要な問題が内蔵されております。よくよく、見ほどいてくだされ。
 

日蓮非本仏論・余話(宗史の断面) 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月18日(火) 20時56分

史学とは史実の事蹟を求めることが目的ではあるまい。歴史を作った人の想いを抽出しなければ真実は見えないのではないか。

日院上人は広蔵日辰師を嫌っていたが、血脈附法の弟子日主師は造仏の要山と通用を開始した。その理由は要山の造仏が許容範囲か謗法かなどという問題ではなかった。

そも主師ごじしんが富士門徒の門外人であり、神宮寺の秀才との評価を得ていた逸材であったため日院師が妙行師に命じて平井の信行寺に留学させてこれを磨き、後に本山にあげて大石寺の教義を学び、東金の檀林で天台を学び、大石寺の補所に登られた。

私はこれらの経緯から、当時の大石寺に人材が欠如していたのであろうと考えていた。続家中抄の量師伝には大石寺に人材が無かったことが記されていて、その印象が強かったので主師の事蹟もそのように捉えていたが、これは私の誤りであった。

そも主師が大石寺の承継者となるにあたり、大石寺教学を寂日坊師と久成坊師から受けられている。つまり、当時の大石寺には御法主たるにふさわしい教学を伝受する人材は複数存在していたのである。

では、なぜ門外人の童子を招き入れたのであろうか、それは身分≠ノあったのではあるまいか。有師の御指南に当宗は番匠・鍛冶工などから出家させるべからず、という一項がある。これ以外にかくたる理由が見あたらないのである。

主師がそのようであったから、要山から所化を招くことに違和感は持たれていなかったのであろう。要山から大石寺に帰依した正式な僧侶は二人でその他はすべて所化である。大石寺を紹継するにふさわしい格式を持った人材を集めるのに要山はかっこうの標的となったものではあるまいか。

要山としては派祖の日尊(要山を尊門=日尊門流という)にとって大石寺は日目上人のお寺であり宗家にあたり、要山にとっても願ってもない交通であったものである。

敬台院大姉の家庭教師であった日感師は舜師が登座するにあたり大石寺の檀頭に書状を出されている。いわゆる「日感状」である。

「別して大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受くる人は学不学によらず、生身の釈迦日蓮と信ずる信の一途を持つて末代の衆生に仏種を植えしむる事にて御座候 ○是れを持つて日興上人末代を思し食し此の相承を残し置き給えり ○釈迦日蓮代代上人と相承の法水流れ候えば、上代末代其の器は替われども法水の替わる事少し之れなく候 ○此の旨を相知り候上は如何様の僧、貫主となるとも相承伝受候上は、生身釈迦日蓮たるべきこと開山の御本意一門の肝要にて御座候(ー以下略ー)」

以上を見るにつけ、寛師の日蓮本仏論がいかに富士門徒の伝統のうえによる極論であるか明瞭ではないか。

なお、家中抄の主師伝に主師の滅後になんらかの闘争が起こったようだが家中抄に詳細は無く「然も事なし」とあるから大きな騒動とはならなかったようである。この闘諍とは要山から来られて法主位に登られた初代の日昌師にまつわる内紛と思われる。

要集には昌師が大石寺を相伝されてから相当ご苦労されたことが記されている。人を呼んでも一言では誰も無視して来ないことがあったようで、ついに昌師は血脈を相承しないぞと伝家の宝刀を抜いて事を納められたようである。(笑)、
 

ページ: 1 2 3 4 


   投稿KEY
   パスワード

EZBBS.NET produced by InsideWeb