>応顕寺と○山なる痴犬の叩きに専念したいので、潰しが不可能な有料版 の板に移行したのだか・・・・(^^ゞ ==============================================================
この板の目的を知らず書き込みしてました。 申し訳ありません。 にも、かかわらずお応え頂きありがとうございます。(^_^;
>日寛師の勝釈迦のうえに立てられた日蓮本仏論は、要法寺の立義によって導き出された論であることを指摘しておきたい。 =============================== ここです。教宣さんの人たちの中にここを指摘される方々がいます。 ただ、私は教宣さんと違って、これも一つの宗史として捉えています。 ここまで、詳細なことを御教示下さったのは松木さまが初めてです。 大変にありがとうございました。
>日寛師が末法無上位に登られたからには宗祖に対する忠義≠ェその心底の基礎となっていたものであろう、要法寺という大石寺の臣下の立義に対し、あるいは一矢報いてさらなる高義を立てる気概はじゅうぶんに持っていたものと考えてもよい。
六巻抄の全体に流れる隙の無い、叩み込むような鋭い筆致と精緻な論理構造はまさに、床几に座して軍配をふるう武将の覚悟が彷彿とされるのである←(これって本当にスゴイと思います。ときおり、詭弁かと浅学の私は心底思ってしまうほどです。 論点ズレますが、富士門流の五重の相対の種脱。これは本当に理解に苦しみます。日蓮本仏論に正当性を与えるための論理構成と私には現段階には映ります。) ================================ もともと日尊門流は大石寺から、分派した宗派とお聞きしています。そ して、松木さん曰く、百六箇抄も日興記(御義口伝)も、現在の史料では 要法寺から輸入されたものと推察されうると。 また、日郷師は大石寺を遁走するさい(向こうの主張では血脈相承の問 題で)に蓮蔵房にあった日蓮宗祖の御影を持ち出し、『日蓮大聖人御真 蹟御本尊集』にある万年救護の大本尊も持ち出した。松木さん曰くの百 六箇抄もということですよね。 つまるところ、大石寺におかれましても多くの問題を抱えたまま、今現 在がある。 また、弘安二年の大御本尊は、『日蓮大聖人御真蹟御本尊集』にありま せん。だからといって、別に大した問題ではありませんが、(鑑定に出 せばよいことという簡単なことなので)何が言いたいのかというと、大 石寺にはこれといったものはそう大して持ってないということと推測 し、また、それは他宗派でも、よく小耳にします。
正直なところ、私は大聖人身延期の万年救護の大本尊は必ずこの一生の 中で、お虫払い法要っていううのでしょうか。一般公開のときに見に行 きますが、唯一大本尊と書かれている。 その「讃文」では 『大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年 雖年月漢日三ヶ国之間未有之大本尊 或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之』 と書かれ、大聖人の上行の自覚が認められるし、この散文を見る限り大 聖人は本仏ではない。
さて、日蓮本仏論を考えるとき、やはり五重の相対は外せない。 身延では一尊四士は人本尊。大曼荼羅形式(一塔両尊四士含む)は法本 尊。また身延というよりはこれは天台教学の引き継ぎと思うのですが、 法華経の教相門(文上の教相)に立脚すれば一尊四士本尊、観心門(文 底の観心)に立脚すれば大曼荼羅本尊になるとされる。 要するに教観二門から本尊を論じている。そして、この教観二門の立場 から一尊四士形式も大曼荼羅形式もイコールという人もいます。違うと いう人もいます。この部分でも本尊の論争となっているようです。 確かに、御書を見る限りでは、「本門の教主釈尊を本尊とすべし。」と あり(人本尊、一尊四士)です。そして、そのすぐ後にくる「宝塔の内 の釈迦多宝・外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」これは法 本尊、大曼荼羅形式です。 身延では、こう立て分けしております。それ以上、以下でもない。御書 に忠実です。 大曼荼羅を本尊とした場合。ここに人格を持たせること自体が詭弁のよ うな気がします。 まだこれから身延も探っていきます。
追伸 応顕寺との一件のための掲示板ということですので、 ここではそれが目的だったのですね。 了解しました。
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