被害者にも確認取材するべきだ
—犯罪被害者から見た報道—
「人権と報道関西の会」の例会が9月12日(土)、大阪市北区のプロボノセンターで開かれ、約15人が参加した。今回のテーマは「犯罪被害者の人権」で、7月に大阪を中心に「犯罪被害者の人権を確立する当事者の会」を発足させた林良平さんが講演。林さんは、一人一人で闘っている犯罪被害者がネットワークを作ることの難しさを述べるとともに、現状の報道について「早さばかり争うような競争が繰り広げられているが、事実をもっと正確に報道することを重視してほしい。そして、社会的な問題を提起していくことが一番の使命であることを認識してほしい」と訴えた。そして「報道にあたって、被害者にも確認取材するべきだ」と指摘し、参加者からも「被害者には、名前も含めて報道されない権利がある」との意見が相次いだ。(小和田侃)
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まず林さんが事件の経過や報道、行政などへの思いなどについて次のように語ってくださった。
早さより正確さが大事
事件は阪神大震災の直後だったので、報道されなかったため報道アレルギーはなかったし、むしろ犯人逮捕に向けて、報道してほしいと強く思っていた。ただ、事件の後で新聞が「病院に対して『本当は医師を狙った』との電話があった」と報じたが、私たちの知らないうちに新聞に載ったものだった。取材は一切受けていない。
今の和歌山のヒ素事件などで思うのだが、なぜ新聞やテレビは、先を争って報じることばかりに熱中するのだろうか。先を争えば、事実確認が無視されやすくなる。早さより正確さが大事なのではないか。
何度も手紙を書いて
取り上げてもらう
報道の役割として、社会に対する問題提起という側面が大事だと思う。例えば、犯罪被害者の問題などだ。私は、自分たちの問題を取り上げてもらおうと、今年2月くらいから、各新聞社やテレビ局などへ何度も何度も手紙を書き続け、その末に朝日新聞がコラムで取り上げてくれ、そしてそれを見た毎日放送がドキュメン卜番組を作ってくれた。その過程でも、一時棚上げなどがあったりして、とにかくこちらから何度も働きかけていってようやく、報道されるようになったのだ。7月の初めての「犯罪被害者の人権を確立する当事者の会」では、これからどんな活動をしていくかについてまで立ち入りたかったのだが、被害者でネットワークを作るのはなかなか難しい。例えば、和歌山の事件で亡くなった人たちと連絡をとりたいと思っているのだが、それは大変難しい。新聞記者も警察も連絡先を教えてくれない。
また、当人が活動に加わりたいと思っても、家族などが制止することもある。被害者には「もう忘れてしまいたい」という気持ちも強い。一人ぼっちの闘いをどうネッ卜ワークにしていくか。
第1回では、自分たちの紹介だけで泣いてしまって、それ以上進められなかった。第2回からは、何らかの進展を探りたい。
被害者の名前公表で
報道側から確認はない
続いて、参加者との質疑応答が行われた。事務局の弁護士が、「被害者のネットワークを作るのに、被害者との連絡をとる術(すべ)がないという話だったが、被害者の実名が報道されることについて、どう思うか。被害者にも報道されない権利もあると思うのだが」と質問。林さんは「被害者の名前が出るにあたって、いまは報道側から当人に確認されていない。堺で、看護婦さんがナイフで刺される事件があり、その方がおっしゃっていたが、報道はされたが自分のところにはどこの社も来なかったという。被害者への事実確認が行われていない。それすらないから、被害者からも報道に対して拒否反応が出てしまうのではないだろうか。被害者に事実、名前の報道の是非などは必ず確認すべきで、それ以降は各当事者の判断だ」と答えた。また別の弁護士は「もし本人や家族と確認できなければ、名前を出さないということを原則とすべきだ」と述べた。
参加の新聞記者からは「実名かどうか以前に、記事にしてほしい、ほしくないという気持ちもあると思う。たとえばこんな事があった。ある暴行事件があり、新聞の地方版のべタ記事として被害者を仮名で報道。それに対して被害者から『仮名ではあっても状況から職場で知るところとなり、難しい立場に追い込まれている』との苦情が寄せられたのだ」と問題を投げ掛けた。
被疑者についての情報は
警察から連絡があるべきだ
また、被疑者名の実名報道については、林さんは「被害者の立場からすれば、被疑者の名前が報道で出る、出ないは大した問題ではない。むしろ被疑者についての情報は、警察からきちんと連絡されるシステムができていないといけない。報道については、事実がきちんと報道されているかどうかが問題なのだ」と指摘。新聞記者から「取材に行けば、嘆き悲しみ混乱している被害者、家族の家の中、心の中に士足で上がり込んでしまうような気持ちになるのだが」との問いが投げ掛けられ、林さんは「私たちの時は、そのような場面はなかったが、確かに混乱の場にドカドカと来られるのはかなわないことだろう。仕事場に来られれば、差し障りも出てくる。大きな事件になると、先を争って当事者の所に行こうとするようだが、共同の記者会見の場を持てば、被害者への確認もできるし、被害者への思いやりも持てるのではないか。そんな大人のルールを作るべきだ」と述べた。
被害者感情を大切にした
法整備が必要だ
被害者のネットワーク作りでは金銭的な問題も大きく、米国などでは被害者の会などの運営に寄付金などが集まっている環境があるとの提起があり、林さんは「和歌山の事件でも、何も悪いことをしていない被害者、遺族たちが医療費、葬儀代など、あんな大混乱の中で自分持ちでやらざるをえない。踏んだり蹴ったりだ。これまで刑務所、弁護士、裁判所など、被疑者側に対してどれほど多くの税金が使われていることか。これに比べて被害者には、どれだけの補助があるというのか。被害者感情を大事にした法整備が必要だ」と訴えた。これらの意見を聞いたテレビ局勤務の参加者は「テレビはそのような社会的影響など考えず、目先の話題性だけを求めて放送している。報道する側と、される側の大きなギャップを感じる」と語った。
被害者にも国選弁護人は
当然の権利
被害者の側面からいえば最近、東京のひき逃げ死亡事故で被疑者が不起訴になったことに対して遺族の両親が異議申し立てしたのをきっかけに、ようやく被疑者への処分結果(起訴、不起訴など)が被害者に伝えられるようになった。今までは、被害者には報道を通して以外、一切知ることはできなかったのだが、参加の弁護士は「弁護士会も、これまで被疑者の人権に力を入れてきた半面、被害者への取り組みが遅れていたのは事実で、現在そちらの側面での活動を進めつつある。昨年の神戸事件で女児を殺された両親にお会いした際、『A少年に対しては、多くの弁護士が費用もなしに弁護団を組んだが、私たち被害者はすごい取材攻勢をかけるマスコミに対処するためなどに、自身の出費で弁護士を雇わざるをえなかった』と語っていた」と紹介。林さんは「被害者に対しても国選の弁護人をつけてもらうのは当然の権利だ。私も自分が体験して初めて、当事者への(弁護士などの)補償制度、救済システムのないのを知ってがく然とした。ものすごい不公正だ」と述べた。
日弁連でも被害者への
当番弁護士制度整備を検討
弁護士については、現行では法律扶助制度というものがあり、弁護士報酬の補助を行っているものの、所得制限があったり、利息なしの立て替えであって後々にはそれを返済していかなければならないなどの制限があるため、十分な弁護を保証されない現状が指摘された。参加弁護士からは「弁護士も単に損害賠償のために裁判をするだけという意識を改革しなければならない。たとえば、マスコミ対策、捜査機関との橋渡し、精神的ダメージのケアを専門家に依頼することなど全般的なコーディネーターとしての役割を担わなければならない」と意見が出され、別の弁護士は「日弁連でも、(被疑者について整備されている当番弁護士制度に準じて)被害者への当番弁護士制度の整備について検討を進めている」と紹介した。林さんによれば、加害者側の国選弁護人が「これだけの収入しかないので、これだけの示談金しか払えない」と言ってきたため、弁護士を雇えない被害者は、言われるがままに受け入れるしかなかったという被害者もあったと言うことで、「被害者というのは、大抵はお金がなくて弁護士を雇えない。公的な支援制度が必要だ」と訴えた。また、「オヤジ狩り、この言葉は嫌いだが、40歳くらいで被害者となって半身不随などになった場合、大黒柱を失ったその家庭はどうなるのか。どうやって食べていけばいいのか。本当にだれにでも起こりうる事であることを、皆で考えていってほしい」とも述べた。これらを受けて参加者からは「加害者保護ばかりが強調され、なぜ犯罪被害者の人権か守られてこなかったのかと、昔から不思議に思っていた」と、林さんが立ち上げた会の意義をたたえる声が出された。
林さんの被害の経緯
林良平さん夫妻の遭った事件などの経緯
1995年1月25日夕、看護婦だった妻裕子さんが西成の病院での勤務を終え、子どもを幼稚園に迎えに行く途中、歩道で信号待ちをしている時に、「お前の病院が、ワシを虫ケラ扱いした仕返し」と叫ぶ中年の男性に突然腰の右側を刺された。以来、裕子さんは重い傷と激しい痛みを負ったまま、杖と車椅子の生活を続けている。事件の4日後の同月29日、病院に犯人とみられる男性から「本当は医師を刺そうとした」との電話があったと報道されたが、病院側は「事件と医療との関係はない」との姿勢を続けている。
1年ほど前から、さらに痛みがひどくなってきているのに、労災や医療給付を打ち切られてしまった。昨年1月に、医師が「既に治癒している。痛みは座骨神経痛」との診断を下していたためだった。その診断書を撤回させるのに、診療放射線技師でもある良平さんは、レントゲン写真などの科学的証拠を集めるなどの大変な苦労と日数を費やした。
現在は、労災を改めて認定してもらうべく再審査を受けている最中。その過程で医師から「痛みは精神的なもの。頑張って社会復帰しなさい」と言われ、裕子さんは悔し涙を流した。介護のかたわら、良平さんは全国の犯罪被害者に連絡をとり続け、7月に「犯罪被害者の人権を確立する当事者の会」を結成。
会の連絡先は「林鍼灸治療院」 (電話06・462・57ll)。
参加者の感想
■ずいぶん前から、思っていました。犯罪報道を見るたびに加害者の人権は以前より守られるようになってきたと感じていたのですが、被害者の人権はどうなっているのでしょう。特に少年事件の場合、山形マット死事件では、親にさえ何も知らせてもらえなかったと読んだ時、唖然としました。加害少年を守る大切さと同じように、被害者の気持ちも、又、大切ではないかと。犯罪被害者の人権を確立する当事者の会の林さんのお話で、突然被害にあって運が悪かったではすませたくないご本人、ご家族の精神的経済的フォローは切実な問題だし、「加害者には国選弁護人がつくので、被害者にも同じことを」も全くそうだと思います。権利と義務がセットになっている様に、加害者と被害者、どちらにも弁護人がおられる。自然な形ではないでしょうか。(伊)
■あの神戸の児童殺害事件にしても、被害者は実名で報道されたために、そのご家族もさんざんにプライバシーが侵害されました。その時、私たちは犯人探しのゲームに巻き込まれ「人権」の視点を見失ってはいなかったか?被害に逢った児童のあどけない顔写真がメディアでタレ流される度に、被害状況の悲惨さを妄想する人々。それを売るメディアという病理 がありはしなかったか?今回の例会では、犯罪被害者の人権確立を訴える林さんのお話を直接伺いながら、私は昨年の今頃を思い出した。私は被害者の人権を救済するための手段がほとんど講じられていないこと、従ってまともな補償すら得られないで苦しんでいることを知りました。ましてや事件に巻き込まれて深刻な被害を受けた方々が報道されることによって、世間の好奇の眼に晒されるという悪循環の恐ろしさは看過できないな、と痛感しました。
ごくごく少数かもしれないけれど、法律の専門家と報道に携わる人々、そして普通の市民が「ひとりの尊厳」を護るための問題点の共有と、真摯な論議の場を提供してくださり、感謝します。(洋)
梅雨先に京都の大学でYさんの講演を聞いた。主に若い世代を対象とした内容に感銘を受けた。「この社会の仕組みを知ることの大切さ。困難な時にこそ、その知識は役立つ。しかし、その知識を思想にまで高めないと人間社会はうまく形成されませんよ。青年たち、思索なさいよ」と、法治国家に生きることの意味をご自分の体験をおりまぜながらのお話しに若者たちもよく聞き入っていた。私の息子も彼らと同世代、社会の鳥羽口に立っている。子どもたちに伝えたい内容だった。夏休みにその感想を地元の子育て仲間にしたところ、大変に共感を得た。たまたまK市の公立校で社会科の教鞭をとっている仲間がいて自分たちの集まりでも話しを聞きたいなと思ったらしい。K市では社会科の教員の集まりをもっていて、年に一度外部から講師をまねいての勉強会があるそうだ。その場にYさんを講師に招きたいという提案をしたが、係争中の被告を招くことは不適切という内容の理由で却下されたそうだ。情けない。K市ではこの数年、身近なところでおきた無残な事件のたびに、報道にさらされ、教訓めいたことを得てきたのではなかったのか。なのになぜ、教えの場をつくる立場の大人がステレオタイプの反応しかできないのだろうか。自分で見聞したことを自分で考え、自分で判断することがなぜできないのだろう。天高い秋、和歌山での今まで以上の報道合戦を私たちはどう受け止めるのか。(若)
シンポジウムの案内
人権と報道シンポジウムは12月5日(土)
「和歌山カレー事件報道の検証」は好評のうちに終了いたしました。内容は近日公開いたします。
・テーマ:和歌山カレー事件報道の検証−今、報道を考える−
・主催:人権と報道関西の会、MIC(関西マスコミ文化情報労組)
・参加費:500円
・内容
<第一部> 基調講演 甲山事件被告 山田悦子さん
<第二部>
・パネルディスカッション
篠田博之さん(月刊誌「創」編集長)
山田悦子さん
浅野健一さん(同志社大学教授)
木村哲也(弁護士・人権と報道関西の会)
現地の自治会(交渉中)
新聞(交渉中)
テレビ(交渉中)
なぜ今「和歌山カレー事件報道の検証」をすべきなのか?
まだ被疑者でもない一組の夫婦に対して、「あやしい人物」と決め付け、大取材網を引いてきたマスコミ陣。自宅前には多数の新聞、テレビ、雑誌社の記者、カメラがはりつき、家に出入りするすべての人たちにマイク、カメラが突きつける光景が連日繰り広げられた。
そして10月4日の逮捕。マスコミはこの夫婦の人格攻撃を中心としつつ、徹底した「犯人視報道」を繰り返した。
まさに松本サリン事件、「ロス疑惑」報道が和歌山で再現されたと言っても過言でない。
同時に地元地域自治会からは過熱した取材攻勢に対し、「取材を自粛して、静かに休養させてください」というチラシが出されるなど、マスコミ取材の在り方に対して各方面から疑義の声が出された。
メディアの「報道の自由」は今、国民の厳しい批判の目にさらされている。
シンポ「今、報道を考える」では今一度、今回の事件報道の全体像を明らかにするとともに、報道評議会、オンブズマン制度など報道被害を防ぐシステム作りまで含めて議論して行きたい。
大勢の参加を呼びかけます。
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