« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

2007年3月30日 (金)

ニッポン人・脈・記(朝日新聞連載)

参照画像

Photo_48 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Photo_49
 
 

| | コメント (0)

ニッポン人・脈・記 最終回

ニッポン人・脈・記
 最終回 タカ派と結び「美しい国」 2007年03月29日

公明党の代表 太田昭宏(おおた・あきひろ)(61)は、連立政権を組む首相安倍晋三(あべ・しんぞう)(52)の「美しい国」を自分なりにとらえようと、外国人に会うたびに尋ねる。日本は美しい国ですか?何が美しい?
  「終身雇用制はすばらしい」
  「健康保険が美しい。貧しい人も皆で救っていく精神がある」
  太田は公明新聞記者、創価学会青年部長を経て、安倍と同じ93年に初当選。公明党は「平和の党」を掲げ、所得の低い人々への目配りを唱えてきた。「日本人の助け合いとか、情とかが壊れている。だから首相は、こうやってそれを取り戻すんだと具体的に主張してくれればわかりやすいのに」
  だが、安倍が国会で答えた「美しい国」とは、こういうことだ。
  「明治、大正期に外国人の多くが日本を称賛した。アインシュタインは、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、これらを保ってほしいと述べた。質素でも立ち居振る舞いが美しい日本人でありたい」
  明治、大正期はなお封建的な考え方が強く、その時代をあえて理想と語る安倍流の「美しい国」は、戦後の価値を否定する復古主義に見える。
  公明党は教育基本法の改正や防衛省昇格に賛成、元来の「リベラル色」もかげっている。太田が「美しい国」を自分なりに解釈しようとするのも、与党であり続けるためではないのか。
  自民党総務会長の丹羽雄哉(にわ・ゆうや)(62)は、池田勇人(いけだ・はやと)、大平正芳(おおひら・まさよし)の流れをくむリベラル派閥「宏池会」出身。だが昨年の総裁選では自派をまとめ、安倍がタカ派であることを承知で支える道を選ぶ。国民人気を認めざるを得なかった。
2月末に訪中し、中国の外務次官 戴乘国(タイ・ピンクオ)と激論を交わした。
  戴「日本は、北朝鮮との関係正常化で米国に立ち遅れないようにすべきだ」
  丹羽「日本国民の9割が拉致の解決を求めている。民主主義は国策に国民の意見を反映させる」
  拉致での譲歩は安倍政権の自殺行為になると思ったからだ。  「もし安倍さんが就任後に靖国参拝していたら、こんなに支える気にはなれなかっただろうな」と丹羽はぽろりと語った。
  「中韓との関係改善、格差への対応。右翼政権という批判は色あせて見える」と丹羽。政権の右旋回の歯止めであることに、衰退するリベラル勢力の存在意義を見いだそうとしているようだ。

 リベラルをとりこんだ安倍に、右派ジャーナリズムは「手ぬるい」と不満を隠さず、自民党内で従軍慰安婦をめぐる河野談話の見直しを求める動きなどが広がる。非主流派の加藤紘一(かとう・こういち)(67)はいま、とりわけ「日本会議」の動きを気にかけている。
  「日本会議」は憲法改正、皇室敬慕、反東京裁判史観などを掲げ、97年に設立。会長は元最高裁長官三好達(みよし・とおる)(79)。瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)(95)ら右派の財界人や神社関係者がいて、じわじわと国会議員や地方議員に影響を強めている。教育基本法改正を熱心に推進した。
  賛同する国会議員の懇談会もある。会長は安倍に近い平沼赳夫(ひらぬま・たけお)(67)、官房副長官下村博文(しもむら・はくぶん)(52)もかつて事務局長を務めた。
  加藤は「安倍政権が限界線を超えたら動き出すべきかな」と語る。最近、盟友の山崎拓(やまさき・たく)(70)、古賀誠(こが・まこと)(66)との集まり「新YKK」の会合を重ねている。
  加藤の「限界線」とは何か。
  「地域のコミュニティー社会が自民党保守の原点。安倍政権が公立学校に競争原理をとり入れようとするなど、地域社会をないがしろにした時は立ち上がらないと」

  日本総合研究所会長の寺島実郎(てらしま・じつろう)(59)は先月、「経
済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか」(東洋経済新報社)を出した。三井物産に入り米国で勤務、国際派リベラル論者である。
  「安倍政権が戦後レジームを脱却して、再び国権主義的な体制に戻そうと言うのなら、相当誤解している。『戦後』に対し、誇り高く振り返らなきゃいけない部分、次の歴史につなげていかなきゃいけない部分を考えないと」
  この先、リベラル勢力も抱える路線を歩むのか。それとも国権主義を強めるのか。安倍はそのはざまで揺れている。鍵を握るのは、国民の目である。

(森川愛彦)

(このシリーズは本社コラムニスト・早野透、編集委員・山田厚史、森川が担当しました。敬称略)

| | コメント (1)

ニッポン人・脈・記 第16回

ニッポン人・脈・記

第16回 少女に甘言「拉致と同じ」 2007年03月28日

1月末、米下院に「慰安婦決議案」が出されて以来、中央大教授 吉見義明(よしみ・よしあき)のもとに欧米メディアがたびたび質問に来る。
  「シンゾー・アベは拉致問題には熱心だが、従軍慰安婦に対する態度と矛盾するのでは?」
  「従軍慰安婦」研究者の吉見も、このふたつの問題に共通性を見いだしている。
  拉致被害者も、「いい仕事がある」などと「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。朝鮮人の少女が業者から「赤いワンピースと革靴」を見せられ、「いい暮らしができるよ」と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、「甘言」による「拉致」ではないか。
  「今風にいえば、軍が業者にやらせる方が効果的だとアウトソーシングしていたのです。安倍さんが拉致問題に熱心に取り組むのは正当だけれど、従軍慰安婦にも同じ態度で臨まないと国際的にも理解されないんじゃないか」
  慰安婦問題が国際的に知られるのは、92年2月、いま龍谷大教授の戸塚悦朗(とつか・えつろう)(65)がジュネーブの国連人権委員会で「性奴隷」として告発、日本政府の補償と国連の調停を求めたことがひとつのきっかけだった。
  スモン訴訟や精神障害者の人権問題に弁護士としてかかわった戸塚には、韓国の元慰安婦や支援組織もまた「依頼人のように思えて」、ソウルに通い、のめりこんだ。「『河野談話』は反省とおわびを述べるだけで、国家の責任を認めていない。でも従軍慰安婦は犯罪なんですよ。北朝鮮の拉致と同じ犯罪なんですよ」
  戸塚は、戦前の裁判所が慰安婦集めを「犯罪」としたケースを発掘、04年に発表した。若い女性をだまして軍慰安所に送り込んだ業者を、国外移送誘拐罪で罰した長崎地裁判決である。だが、戦争が拡大、官憲は見て見ぬふり、不処罰のヤミの世界になる。
  「拉致はあれだけ追及し、慰安婦にはそっけないではダブルスタンダード。安倍さんは国家を愛して、人間に向き合っていないのでしょうか」
  米下院や米ジャーナリズムと日本の対応の差は、国際人権感覚のギャップかもしれない。

  安倍と国家--。
  総務相の菅義偉(すが・よしひで)(58)は、歴史教科書をめぐる「若手議員の会」で安倍と出会う。「ほんとうにおつきあいしたのは北朝鮮の万景峰号の入港禁止のときですよ。山本一太(やまもと・いちた)、河野太郎(こうの・たろう)らと6人で議員立法に動いたとき、応じてくれたのが官房副長官の安倍さん」
  秋田の高校から集団就職で上京、段ボール工場などで働きながら一念発起、法政大学、政治家秘書、横浜市議、国会へ。「ああ上野駅。なつかしいですね」。
自民党総裁選で金融相 山本有二(やまもと・ゆうじ)(54)とともに「再チャレンジ議連」を仕掛け、安倍を助けた。テレビのあり方に強い態度が目立つ。
「安倍内閣は歴史的必然性の中の政権ですよ。憲法も教育基本法も人間の骨格です。国民はそこに限界を感じて、あたりまえの国をつくろうとしているのです」
  でも、安倍さん、慰安婦について「強制性を裏付ける証拠はなかった」と強調することはなかったのでは? 「あの人、むきになるんですよ、そういうところ」

東大教授の御厨貴(みくりや・たかし)(55)は政治史研究が専門、去年、安倍の祖父の岸信介(きし・のぶすけ)の生地、山口県布施町の郷土館に行って岸の日記や手紙を調べた。「まだ未整理の資料がいっぱいある。岸は外国にいくと、夫人に毎日、絵葉書を書いているんですよ」。岸は巣鴨プリズンで「反米」だったけれど、首相としては交渉相手の米国と意を通じつつ対峙する合理主義者だった。
  御厨が「危ない」と感じるのは、安倍が「憲法は占領下でつくられたから改正する」とこだわっている点である。
  「自民党リベラルは、占領は結果オーライということだった。しかし、安倍さんはそれがいけないと言い続ける。いま自信を失っているアメリカにとって、日本占領は数少ない成功モデルなんです。それなのに、アメリカが肩入れした岸の孫がなんでそんなことをいうのかと」
  「従軍慰安婦」でアジアとギャップがあるだけでなく、「占領」というもうひとつの歴史認識でアメリカとギャップを生めば、安倍政権は孤独の道を歩むことになるかもしれない。

(早野透)

| | コメント (0)

ニッポン人・脈・記 第15回

ニッポン人・脈・記 第15回 

 慰安婦の強制疑う集団 2007年03月27日

「その教科書が使われるということを、娘が中学校に進学する年に某新聞で読んだんですよ」
いま自民党政調会長の中川昭一(なかがわ・しょういち)(53)が、97年2月、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」をつくったのは、そんなきっかけだった。その年4月から使われる中学教科書に「従軍慰安婦」についての記述が載る。
 「歴史の事実は事実として尊重する。しかし議論が分かれている慰安婦をバンと教科書に載せることに疑問を感じたんですよ」
 「若手議員の会」の幹事長は衛藤晟一(えとう・せいいち)(59)。事務局長は安倍晋三(あべ・しんぞう)(52)。代表の中川が「憲法や安保、政治認識のコアで一致する」2人だった。6月まで計10回、学者、官僚、教科書製作者ら、両論の講師を呼んで質疑した。
 戦地に日本軍が設けた「慰安所」の女性の悲痛な体験は、今はほとんどの人が否定しない。だが、軍が強制的に、とりわけ植民地だった朝鮮半島や台湾から連れて行ったのかどうか。「若手議員の会」はそこを問題にした。
 質疑は「歴史教科書への疑問」(展転社)にまとめられた。安倍のこんな発言も載っている。
 「横田めぐみさんみたいに拉致されたなら、そのことをなぜ誰も一言も口にしなかったか」「韓国にはキーセンハウスがあって、そういうことを日常どんどんやっているわけですね」
 女性たちが自分の意志で戦地へでかけたということなのか。ともあれ軍が「ドアを破って連れ出した」証拠はないというのがコアの3人の考えだった。
 今年1月、米下院に出されたに本意謝罪を求める「慰安婦決議案」に対し、主将の安倍は「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」と弁明した。「若手議員の会」の空気がつい口をついたのかもしれない。

従軍慰安婦問題を国会で取り上げたのは、90年6月、当時の社会党参院議員 本岡昭次(もとおか・しょうじ)(76)だ。兵庫県の教員出身で、部落差別や朝鮮人差別にずっと目を向けていた。
「労働省の職業安定局長が答弁し、民間の業者が(女性を)軍と一緒に連れ歩いているので実態はわからないと。国の責任はないというわけですよ」
だが、91年8月、韓国の金学順(キムハクスン)が慰安婦だったと名乗りをあげる。92年1月、中央大教授の吉見義明(よしみ・よしあき9(60)が、日本軍が軍慰安所設置を師事した公文書を発見し、政府も知らんぷりはできなくなる。韓国から実態調査を求められ、93年8月、「河野洋平(こうのようへい)官房長官談話」を出すことになる。
「軍の要請を受けた業者によって、甘言、強圧など本人の意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲等が直接加担したこともあった」「心身に癒しがたい傷を負われた方々におわびと反省」「歴史教育を通じて永く記憶にとどめ、過ちを繰り返さない」
「強制した」と断言はしないけれど「軍の関与」は確かにあったというのが河野談話である。社会党委員長の村山富一(むらやま・とみいち)(83)の内閣で官房長官 五十嵐広三(いがらし・こうぞう)(81)は、国民の拠金による「アジア女性基金」をつくって、元慰安婦に1人200万円を配ることにする。
だが、それは国家賠償を回避する責任逃れではないか。民主党に移った本岡は、そんなはんぱではだめだと国家賠償を求める「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」を書いた。通称「本岡法案」。議員を退いてなお情熱を燃やす。
「政権交代したら、真っ先にこの法案が実現するんですよ」

「若手議員の会」を率いた中川昭一の父中川一郎は、かつて血判を押してタカ派議員集団「青嵐会」をつくった。石原慎太郎(いしはら・しんたろう)(74)も入った。「若手議員の会」はあるいは昭一の「青嵐会」かもしれない。いまや「従軍慰安婦」に関する教科書の記述はほとんど消えた。
「若手議員の会」の名簿をみると、安倍政権の顔がずらりと並ぶ。副代表の松岡利勝(まつおか・としかつ)(62)が農水省、安部の下にいた事務局次長の下村博文(しもむら・はくぶん)(52)が官房副長官、幹事長代理の高市早苗(たかいち・さなえ)(46)、委員に名を連ねた長勢甚遠(ながせ・じんえん)(63)、菅義偉(すが・よしひで)(58)、渡辺喜美(わたなべ・よしみ)(55)は閣僚に。根本匠(ねもと・たくみ)(56)は首相補佐官。オブザーバー名簿の塩崎恭久(しおざき・やすひさ)(56)は官房長官、政治資金問題で閣僚を辞任した佐田玄一郎(さた・げんいちろう)(54)の名もある。
安倍内閣とは、つまり「若手議員の会」の内閣なのである。

(早野透)

| | コメント (0)

ニッポン人・脈・記第3回

ニッポン人・脈・記

第3回 実力者が一喝「騒ぐな」2007年03月07日

首相安倍晋三(52)が拉致問題に取り組むきっかけは、20年ほど前、父晋太郎の秘書をしていた時に拉致被害者 有本恵子(ありもと・けいこ)の両親が訪ねて来たことだった。
内閣のメルマガに安倍はこう書いている。
 「そのとき私は、国家がよその国の国民を連れさるなんてあり得ることだろうかと半信半疑でした。しかし、調べていくうちに北朝鮮の犯罪だと信じざるを得なくなり、日本がこの問題を報知してきたことに愕然としました」
 安倍と同じ93年総選挙で当選、いま帝京平成大教授の米田健三(よねだ・けんぞう)(59)は「東京裁判史観の不当性」を訴え続ける。自民党議員だったころ、外交や安全保障を議論する党の部会に顔を出した。
 「でも票にならないせいか、閑散としていてね。出席議員の関心はODA予算や地元の基地交付税額といった金がらみだった」
 そんなムードにあきれていた米田は、やはりつまらなそうに議論を聞いている安倍を見つける。安倍もまた憲法9条や戦後体制に強い疑問を抱いていることを知り、親交を深めていった。

 97年2月、横田めぐみの拉致疑惑が浮上、自民、新進両党の議員からつくった拉致議員連盟に安倍と米田は参加する。その秋、自民党に拉致問題を議論する小委員会をつくろうとした。だが党内の反発が強く、食料支援なども扱う「日朝問題小委員会」となる。
 ある日、安倍が司会する小委員会に突然、野中広務(のなか・ひろむ)(81)が入ってきた。当時は幹事長代理、大実力者で党内ではハト派の代表的人物。「日本は北朝鮮を植民地支配した。拉致など声高に騒ぐ話ではない」と一喝。安倍が米田に目配せし、反論を促す。しかし……。
  結局小委員会は数回開かれたあと休眠状態になった。
  そのころ自民党は、田中角栄、竹下登の流れをくむ小淵派の全盛期。野中も首相橋本龍太郎も属していた。伝統的に親中国のこの派は北朝鮮とも友好関係をめざした。橋本内閣は6・7万のコメ支援を決定。小淵政権も森政権もコメ支援を続けた。
  02年春。拉致議連会長だった元建設相 中山正暉(なかやま・せいき)(74)へのクーデターが起きる。中山は、有本恵子の家族に「(有本のケースは)日本人が日本人を拉致したのだからほかの拉致疑惑とは別」と伝えるなど、北朝鮮寄りの発言をした。
  安倍と米田らは、会長以外のメンバー全員が脱退して新しい拉致議連を立ち上げると言う荒業を思いつく。4月、その新拉致議連が発足。会長には、安倍らの人選で石破茂(いしば・しげる)(50)が就任した。
  石破「なぜ私なのか」
  安倍「ごりごりの右翼じゃないから、あなたがいいんだ」
  当時はまだ「共産主義嫌いの集団」とみる向きが多かった。
  新拉致議連は、各国大使に説明するため英文冊子を作ってほしいと外務省に求めた。だか「いたずらに北朝鮮を刺激しない方がいい」と拒まれ、党費でつくった。米田と石破が来日中の国防相に説明すると、「えっ、そんなことがあるんですか」。

02年9月、首相小泉純一郎(65)が訪朝、最高指導者の金正日が拉致を認め、党内の空気は一気に逆転した。安倍は「対話と圧力」路線の「圧力」を代表し、小泉後継の首相に駆け上がる。
  平沢勝栄(ひらさわ・かつえい)(61)は安倍が小学生のころの家庭教師だった。警察官僚としてスパイ事件を扱う外事畑を歩き、衆議院に。新拉致議連結成時に事務所長を務めた。04年、元自民党副総裁山崎拓(やまさき・たく)(70)と中国で北朝鮮高官と会談、小泉の2回目の訪朝につながる。
  いま平沢は、安倍政権をどうみているのか。
  「小泉政権が『郵政内閣』とすれば、安倍政権は『拉致内閣』と名付けてもいい。国民に北朝鮮はけしからんという気持ちがあるから、安倍さんの姿勢に拍手喝采、逆に弱腰の人たちはいわば売国奴ということで大変な批判を受ける。しかし、拉致で出来た政権だから、結果を出せなかったら国民は失望する。厳しいね」
  安倍は2月25日、新潟で拉致被害者5人と会った。「6者協議で決まった日朝の作業部会で拉致問題の完全解決をめざしたい」。5人には無事に暮らす喜びと、まだ帰らぬ日とたちへの憂いが交錯していた。

(森川愛彦)

| | コメント (0)

ニッポン人・脈・記第2回

ニッポン人・脈・記

 第2回『何かある』闇から発掘」2007年03月06日

北朝鮮による拉致問題に、はじめは官庁も政治家もマスコミもほとんど目を向けなかった。掘り起したのはごく少数のジャーナリストや議員秘書である。
 「みんなが追いかけるものはいい。誰も追いかけないものを追いかけたい」
 大阪の朝日放送の石高健次(いしだか・けんじ)(56)は、そんな記者魂の男である。ひたむきな取材の軌跡は、3本のドキュメンタリー番組のDVDにきざまれている。

 1本目は、92年5月オンエアの「楽園から消えた人々 北朝鮮帰国者の悲劇」。日本海の荒波の映像と「忘れ去ってしまうにはあまりにつらい重い現実。それは新潟の港から始まった」と言うナレーションで始まる。北朝鮮の核開発疑惑が起き、それを調べているうちにつかんだ話だった。
 戦後しばらくして在日朝鮮人9万人余が北朝鮮を「医療費も教育費も要らない地上の楽園」と信じ、新潟港から帰っていった。やがて思いがけない話が在日の家族たちに伝わる。寒冷地や炭鉱に回されて音信普通、政治犯として処刑された人もいると言う。DVDには、肉親の身を案ずる在日の人々を訪ね、確かめ歩く15年前の石高が映っている。
 2本目は、95年5月オンエアの「闇の波涛(はどう)から 北朝鮮発・対南工作」。前回の取材で石高を信頼した在日の女性が打ち明けた。その女性は兄が平壌で銃殺されている。「私、あなたにまだ言わなかったことがある。実は北から来た大物スパイと私、同居していた」
 そのスパイこそ辛光洙(シン・グァンス)、日本から原敕晁(はらた・だあき)を拉致したとされる男である。石高は辛の共犯者を追って韓国の済州島に飛び、直撃した。「ひとりの日本人の生死がわからないんだ」と問い詰める石高。逃げ回る共犯者。ついに道路にへたりこんで泣き、犯行を認めた。
 それにしても北朝鮮はひどい国だという話は韓国の情報機関にのせられているのではないか。石田かはいつも疑いつつ、裏付けに努めた。
オンエアから1ヵ月後の95年6月、その韓国情報機関の高官がソウルの一隅の喫茶店で教えてくれた。「77年ごろ、バドミントン帰りの13歳の女の子が日本の海岸から拉致されたらしい。名前はわからない」。なんだ、それは。本当なのか。

共産党の参院議員橋本敦(はしもと・あつし)(78)の秘書だった兵本達吉(ひょうもと・たつきち)(69)もまた、拉致を追っていた。
78年、日本海の海岸などで3組のアベックが蒸発した。80年1月、産経新聞の阿部雅美(あべ・まさみ)(58)が足で調べて「外国情報機関が関与?」と1面トップで報じた。だが、政府も警察も反応せず、世間は「虚報」扱いした。
 87年11月、大韓航空機爆破事件が起きる。犯人 金賢姫(キム・ヒョンヒ)は「日本から拉致された李恩恵(リ・ウネ)に日本語を教わった」と、明かした。兵本はアベック蒸発を思い出し、それぞれの家族に会いにでかける。「松本清張の世界のようにミステリアスだと思ってね。はじめは好奇心」。だが、何かがある。
 88年3月、表もとのデータをもとに橋本が国会で質問、国家公安委員長 梶山静六(かじやま・せいろく)は「北朝鮮の拉致の疑い濃厚」と答えた。そうだったのか。それにしても何のため?京大でハンガリーの学者ルカーチを読んでマルクス主義になった兵本にとって「社会主義の北朝鮮がやるはずがない」のだが。
 石高の3本目のDVD、97年5月オンエアの「空白の家族たち 北朝鮮による日本人拉致疑惑」その年の1月、石高が横田滋(よこた・しげる)、早紀江(さきえ)夫妻をはじめて訪ねる場面から始める。ソウルで「13歳の少女」の話を聞いて1年半、石高はようやく「横田めぐみ」にたどりついた。
 夫妻の居場所を割り出したのは兵本だった。阿部と週刊誌「AERA」がいち早く報じ、石高と兵本は拉致被害者の家族会の結成に力を尽くす。
 それから10年。石高は相変わらずドキュメンタリーを手がけ、兵本は共産党を除名され、阿部は関連会社の社長になっている。「官僚の事なかれ主義、政治化の無責任が、真実解明を阻んでいた」と石高。彼らの曇りなき眼がなかったら、拉致問題はまだ闇の中にあっただろう。

(早野透)

| | コメント (0)

ニッポン人・脈・記第1回

朝日新聞夕刊に特集された ニッポン人・脈・記「安倍政権の空気」から、拉致問題に関係する記事を記録として残します。
これは、webには公開されていません。
全体として安陪批判、拉致を貶める意図を感じています。
みなさんも読んでおいてください。


   朝日新聞夕刊連載 ニッポン人・脈・記「安倍政権の空気」

第1回「娘と歌った おぼろ月夜」2007年03月05日

 カメラ好きの横田滋(よこた・しげる)(74)は娘めぐみが生まれるとすぐ、レンズを向けた。「本当にどこにでもある家庭だったんですよ」
その写真展が各地で開かれている。京都では8日から始まる。
 初節句の娘にほおずりする若い父、双子の弟が生まれてチュッする4歳のお姉ちゃん、運動会や家族旅行、お正月に母の赤い着物を着て口紅を引いて雪の軒先にたつ小学6年のめぐみちゃん……。
 が、写真は13年で途絶えた。77年11月15日、バドミントン帰りの中学1年の少女は突然、姿を消す。あれは北朝鮮の工作員による拉致だったと知らされるまで、それから20年の歳月が流れる。
 事件か家出か自殺か、母早紀江(さきえ)(71)は「何か私が間違っていたのでは」と苦しんだ。いつめぐみが帰ってくるか、電話がくるかと家族旅行に行かなくなった。
 新潟の冬の空の下、ひとり台所に立ち、めぐみと歌った「朧月夜(おぼろづきよ)」をくちずさむ。「この苦しみから放たれるなら死んでしまいたい」と泣き、ふと友人が置いていった聖書の「ヨブ記」を読む。
 信仰あついヨブは子を亡くし、羊をとられ、財産を失い、皮膚病にかかる。悲惨きわまりない人生。しかしヨブは信仰を捨てない。「主は与え、主は取られる」。すべて神の心として生きた。
 早紀江は84年5月、教会で洗礼を受ける。「めぐみは生きていると信じて待ち続ける。私も自分を見失わないで生きていく」

 02年9月17日、首相小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)(65)が訪朝。拉致被害者は「5人生存、8人死亡」と早紀江たちは知らされた。「人はみな死んでいきます。めぐみは本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと思うことで私は頑張ってまいります。皆様とともに闘ってまいります」。ここで泣いたらあの人がほくそ笑むのではないか、負けないわと涙をこらえた。
 その1カ月後、拉致被害者5人が「一時帰国」する。滞在は1、2週間というのが日本と北朝鮮のあうんの約束だった。
 せっかく帰ってきたのに、なぜ戻らなければいけないのか。蓮池透(はすいけ・とおる)(52)は、弟の薫(かおる)(49)の言動にとまどうことになる。
 弟は、北朝鮮を「いい国」と言い、お土産に充電式懐中電灯やパソコンを買い求めようとする。兄は「お前は犯罪の被害者なんだぞ。また犯人のところに戻るのか」と必死に説得した。故郷の山や田んぼ、旧友の歓迎や温泉での語らいがあって、ようやく弟の心に「日本人」がよみがえる。だが、5人は子どもたちを北朝鮮に置いてきていた。
 外務省は「一時帰国」でムードを盛り上げ、年内にも日朝平和条約へと段取りを描いていた。それをひっくり返し、「政府決定として5人は北朝鮮には返さない」ことにしたのは当時、内閣官房副長官の安倍晋三(あべ・しんぞう)(52)と内閣官房参与の中山恭子(なかやま・きょうこ)(67)だった。
 蓮池は思い返す。「5人対金正日(キム・ジョンイル)だったら、戻るしかなかった。日本政府対金正日になったから、日本に残れたんですよ」。肉親の悲願が、外交の駆け引きをうちやぶった瞬間だった。
 小泉首相の第2次訪朝で5人の子どもたちは帰国したが、拉致問題は手詰まりに陥る。日本政府は「対話」より「圧力」を強め、解決は安倍政権にゆだねられる。
 蓮池は、時にこんな違和感も覚える。「私たちは、純粋に家族を救いたいという一心でやってきた。救出を願っているのであって、拉致報復とか勘違いされるのは困るんです。何か利用しようという人たちがいるのは残念です」
 横田夫妻に残されためぐみの声は、唯一、小学校の卒業式の謝恩会で歌ったシューマンの「流浪の民」の録音テープである。めぐみは透き通った声で独唱している。

 なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり

 めぐみたちは、いつになったら帰ってくるのか。

 安倍は、初の戦後生まれの首相である。「戦後レジームの脱却」「美しい国」を唱える政権を生んだ時代の空気と人のつらなり、そこに国の転機が見える。

(このシリーズは本社コラムニスト・早野、編集委員・山田厚史、森川愛彦が担当します。本文は敬称略)

| | コメント (0)

2007年3月23日 (金)

家族会結成10年、家族の思い

■一日も早い救出を-家族会結成10年目で会見
横田滋代表
 拉致被害者は当時、全国にちらばっていて、顔も名前も知りませんでした。
「めぐみさんの報道が家族会結成のきっかけになった」と聞いています。救う会はまず新潟にできましたが、当時の名前はめぐみを救うことを目的にした名前でした。半年後に東京に救う会ができ、各地でも広がって、拉致被害者全員を取り戻すという名前の全国組織になりました。

 当時は、街頭での署名活動が主で、集会を開催したのはずっと後になってからです。当時は、拉致疑惑と言われ、拉致は本当にあるのかとか、関わりたくない、という人が多く、信用がない時代でした。

 それ以前の昭和63年には国会で取り上げられましたが、動きにはなりませんでした。「たった10人程度のことで国交正常化が止まっていいのか」というのが当時の政府の認識で、今の政府からは想像もできない状況でした。

 5年前の小泉首相の訪朝で5人が帰り、その後家族も帰りましたが、「死亡」とされた被害者についてはまったく進展がありませんでした。めぐみについてだけ「遺骨」と称するものが出てきました。別人のものと鑑定されましたが、もし、鑑定ができなかったらどうなっていたかと思うと、科学的反論もできずに死亡とされたかもしれない。日本の科学技術のおかげでした。

 その後、拉致議連や各党拉致対策本部が北朝鮮制裁決議をしました。議連は、金正日政権打倒まで決議しました。しかし、小泉さんは対話の政策をとり続け、ミサイル発射と核実験で制裁に踏み切りました。

 これまで、政府にこれをやってほしいというような要望をたくさん書きましたが、安倍首相になって、拉致対策本部ができ、拉致担当大臣が置かれ、中山補佐官が事務局長になるなど、要望はすべて実現しました。国際連携も強まっています。しかし、結果だけからみると、14年9月から進展していないのです。生存情報も、どこにいるかの情報もありません。一日も早く救出していただくことを望んでいます。

横田早紀江さん
 大変な時間を過ごしてきたな、という思いです。20年間まったく分からなかったのに北朝鮮にいると聞かされた時は、1、2年のうちに会えると喜んだのですが。したたかで、難しい北朝鮮と対峙していかなければならない状況の中で、本当に大変な事件だったと思います。また、国民運動として大切なことをしてきたと思います。今も被害者は向こうで頑張っています。救う会や報道の力で、結束して活動するところまできました。北朝鮮がどんなことをやり続けてきたか、今日も(6者協議の)席を立って帰りましたが、世界が分かったというところに大きな意義があると思います。

 また、限りなく続く苦しみですが、意義があって生かされているのだと思います。日本にとっても、北朝鮮にとっても、解決することがいいことだと思います。
本当の平和のために、大変な努力、気力、精神力そして望みを捨てないことが大切です。平和な日本にとっても、拉致問題の解決は意義があることだと思います。
これから北朝鮮がどう出るか分かりませんが、(被害者が)むごいことにならないように、拉致も核も解決してほしいと思います。

増元照明事務局長
 この写真は、10年前、家族会が結成された時、父が持っていた姉の写真です。
縁が黄色くなっており、長い年月を感じます。この写真を持っていた父も亡くなりました。拉致議連が機能しなかった時期も長くあり、政府も真剣に取り組んでほしいとの感触を持っていました。02年9月以降は、国民の同情が強まり、救出できない国のあり方について共感していただき、大きな力となっていったことに感謝します。

 小泉首相が、金正日に直接会ったという、2回の訪朝の機会をもっと生かしていただいたらと残念に思います。特に、2回目の訪朝の時はもっとやり方があったのではと悔やまれます。北朝鮮が拉致を認めて4年半が経ちますが、北朝鮮が発表した情報はすべて捏造、そして偽造でした。北朝鮮は6者協議でも「解決済み」の姿勢を続けています。

 今の安倍政権は安心して見守られるのですが、国内世論が二分する危機感があります。大きな危機を感じたのは02年9月でした。国交正常化してしまうのではないかと思いました。報道の論調もそれを推進する方向でした。帰国した拉致被害者が再度北朝鮮に帰った方がいいとの報道もあり、その時も危機感がありました。

 今、日本が孤立するとか、国益を損なうという論調もありますが、二分されることなく、救出に厳しい姿勢を示す政府を支持してほしいと思います。

 今年中の解決をめざしています。10年はあまりに長い。特定失踪者の家族会には、倒れてしまった人も多いのです。救出に全力をあげてほしいと思います。

【質疑応答概要】
早紀枝 10年前、設立の時、このジャケットを着ていました。10年経って何も変わらなかった。しかし、洋服は今も元気ですが、中身(私たち)は年々年をとり、病気にもなります。疲れもたまっています。過酷な日々が続くので、精神的にも大変です。しかし、倒れてしまっては、との思いも強くあります。

増元 父もそうでした。初めての国民大集会では、姉が帰るまで死ねないと言っていましたが、病には勝てませんでした。市川さんのお父さんも今、動けません。
帰って来たのに死んでいたら何の意味もないとお母さんは言っています。半分の喜びしか与えられないのです。健康なうちに、笑って迎えられるうちに再会を果たしたいのです。今年は全精力を傾け、北朝鮮が誠実な対応をするまでプレッシャーをかけたいと思います。

滋 (6者協議で席を立って帰った北朝鮮について)北朝鮮は約束を守らない。
貰うものを貰ったら引き伸ばす意図が強いですね。

増元 金正日は今回ミスしたと思います。アメリカが譲歩したのにあんな態度では、他の関係国の厳しい目を助長させただけで、アメリカに北朝鮮政策を再考させると思います。これに対し、今、厳しいメッセージを送るべきです。制裁強化につながれば、救出にもチャンスが出てきます。

滋 今日、読売新聞に出た内容はその通りですが、(私の退任希望を)発表したという形で書いたところは違います。4月22日の(家族会の)総会にかけて決めることです。救う会の全国幹事会では役員の任期の話がありましたが、私は11月14日に75歳になります。体力面から見ても次の人にやってもらいたいとは思っています。しかし、家族会の運動をやめるわけではありません。

早紀江 今日新聞を見てびっくりしました。まだはっきりしたことは言っていないのに。休ませてあげたいという思いはありますが。

増元 肩書きがどうあれ家族が運動をやめるわけではありません。横田代表から、10年の節目とか75歳という話は前から聞いていました。私は、それまでに解決すると思っています。全力で走るつもりです。それまでに解決できなかったらその時に考えます。

増元 (2回目の訪朝について)帰国後、総理は、「家族が信じないから再調査をお願いしたい」と言われたが、生存を信じて金正日と対峙してほしかった。本人が生存を信じていたら違う展開になったと思います。だから子どもたちの帰国だけとなった。せっかく直接会ったのだから、被害者救出の姿勢で臨んでほしかったと今も思います。

 父が、「日本と日本人を信じろ」と言った意味がようやく分かってきました。
日本とは政府ではなくて、日本人の力、国民の力だと思います。国民の力が小国(北朝鮮)に負ける筈がないという思いが強かったのだと思います。日本が本当に動けば、取り戻せるということだと思います。

 昨日のニュースでは、ルーマニアの拉致被害者家族が名乗り出たということです。できれば4月早々にも接触して4月22日の国民大集会に来てもらえればと希望しています。

| | コメント (0)

家族会結成10年目に当たり、救う会・拉致議連声明

救う会・拉致議連声明

 3月25日で家族会が結成されて10年を迎える。10年前、家族会の皆様は、自らの命に代えても拉致された肉親を救い出すという決意のもと、救出運動に立ち上がった。私たちは、その決意に打たれ、救う会、拉致議連を作り、10年間家族会とともに戦ってきた。

 5年前、5人の被害者を救い出すことができたことは、大きな喜びだった。しかし、その後5人の家族の帰国以外、被害者が一人も帰国していないことは、痛恨の極みである。

 この10年間、私たちは、家族会を先頭に立てて戦ってきた。その結果、拉致問題とは肉親を捜し求める家族会を支援することだという誤解が生まれている。
しかし、拉致問題の本質は、家族会支援ではなく、金正日テロ政権からすべての拉致被害者を救い出すことだ。日本人だけでなく、諸外国のすべての被害者をも救い出すことである。

 10年間、家族会は文字通り命をすり減らして戦ってこられた。本当にご苦労様でした。しかし、本来は、日本政府が先頭に立って取り組むべきことである。

 日本政府に訴えたい。これから家族会が少し休んで、安心して見ていられるように、被害者の一日も早い救出に全精力を注いで取り組んでほしい。

 私たち救う会と拉致議連は、心ある国民と、諸外国の友人らとともに、すべての被害者を救い出すまで、家族会とともに戦い続けることを誓う。

平成19年3月23日
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 
                  会長 佐藤勝巳
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟 
                        会長 平沼赳夫

| | コメント (0)

★家族会声明-「家族会」結成10年にあたって

家族会結成10年目に当たり、家族会の声明

 平成9年3月25日、全国に散在した「北朝鮮による拉致被害者家族」が東京に集結してから、10年の歳月が過ぎようとしています。

 当初センセーショナルに報じられた「北朝鮮による拉致事案」も、日を追うごとに「疑惑」という言葉で括られてしまい、平成14年の「日朝首脳会談」までは、あたかも私たちの主張が理不尽であるかのように受け取られて、被害者の存在そのものを否定する国内の勢力との苦しい闘いを強いられ、また「拉致被害者の救出」が、日朝の国交回復の影に追いやられようともしました。

 そのような中、ともすれば挫けそうになる気持を奮い立たせ、全国に展開していった「救う会」の皆さんと共に、地道な「署名運動」・政府への要請等を通して、広く被害者救出を訴えて参りました。

 平成14年、「日朝首脳会談」の実現を機に、一部被害者の生存が確認され、その方たちが帰国を果たし、ご家族の帰国も叶いました。これも、諦めることなく活動を続けて下さった全国の「救う会」の方々と、ご支援下さった多くの国民の皆さんのお蔭であると感謝申し上げます。

 今、私たちが信頼する安倍総理が誕生し、結成当初より訴え続けた①拉致問題の担当大臣・担当部署の設置、②国会内での特別委員会の設置、③経済制裁の発動、④拉致問題の真相究明、⑤国政における最優先課題としての被害者の救出、等々、私たちが要望してきた政策はほぼ達成されたといえます。

 しかし、被害者全員の救出や拉致問題の全容解明は、北朝鮮の不誠実な対応のために解決に至らず、未だ多くの被害者が故郷日本への帰国を望みながら、彼の地で自由を奪われたまま、過酷な生活を強いられています。

 10年の節目を迎えました。被害者の両親世代が年齢を重ね、時間的な猶予も少なくなってきております。信頼する安倍総理の下、決意を新たに、何としても今年中の解決を目指して闘っていく所存であります。そのために、国民の皆さんの更なるご理解と一層のご支援を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。

平成19年3月23日

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 代表 横田 滋

| | コメント (0)

2007年3月12日 (月)

護民の意識

日本の歴史をひもとけば、日本という国家に欠如していたのは、『護民の意識』 ではないかという意見を、井沢元彦氏は説いている。(「逆説の日本史9」)

 一分引用
中華思想にも美点はある。それは、国家が国民を守るべきだ、という感覚が非常に強いことだ。護民の思想である。日本の政治家は、護憲はよく言うが、護民はあまり口にしない。しかし、これこそローマの昔から政治家の第一の資格と考えられてきたことなのだ。アメリカの新聞によくある『トリビューン』とは、ローマの護民官のことである。貴族や官僚と庶民は身分が違う。だからこそ、為政者(権力者)は弱い立場の民を護らなければならぬというのが、護民の思想で、これは日本にはほとんどない。平等意識が強いことの裏返しかもしれないが・・

  参考:
 
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/roman/magi/tribunus.htm護民官1

       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E6%B0%91%E5%AE%98 護民官2
     アメリカの新聞に多い<~トリビューン>という名前は、ローマの護民官(tribunus plebis)を語源

上記の中で、中国の護民思想は、外的から民を護ることはするが、民の人権としての意識は薄いと私は思っている。その点は別として、日本には、国家や為政者が民衆を護る意識より、民衆が、国を護る意識、国家が国家を護る意識が上回っていたというとらえ方も出来ると思った。

国を富ませよう、国を守ろうという意識は、国民にもあり、それは、愛する家族を護る、愛する故郷を護る、愛する国土を護る、そのために命も惜しまなかった。犠牲を惜しまない精神が国民にあっても、国家が国民のために尽くすという意識が西洋に比べて欠如していたのではないかということである。

安倍首相は、一貫して「一人の国民の命もおろそかにしない」と発言してきた。
戦後の首相の中で、<FONT COLOR=blue>『護民の意識』</FONT> を持っている希有な首相かもしれない。

相手を知ってこそ、外交は成立する。
中国はどうか、韓国はどうか、北朝鮮は?

中国に対して、外向の致命的失敗を犯した河野洋平氏に関して、下記のブロクで詳細を知ることが出来るので、是非一読を奨める。
参考サイト 国を憂い我と我が身を甘やかすの記
「河野談話」に対する河野氏本人の説明

この事例をみても、外交に於いて謙譲の美徳は、無益であるとこうことを、私たちも学ぶべきだと思う。
北朝鮮に対しては勿論、中国、韓国、ロシア、アメリカにも・・・

戦後半世紀以上も立って、国連の敵国条項が現存すること、安保理常任理事国入りが果たせていないこと、北方四島が返還されないこと、尖閣列島、竹島問題etc.

主張すべきことを、きちんと主張し、国民を護る国へ変わるために、拉致問題で筋を通して、国際社会に働きかけていくことは、重要なこと。現状をみて、安倍政権は、そのことを実践してくれる内閣だと感じている。

安倍さんの取り組みが全て正しいとは言わない。
しかし、護民と言う意識を強く持つ首相、それを実践しようとしている内閣を支持していきたい。作業部会でも、17日からの六者協議でも、世界に対して、粘り強く、正しいことを主張し、説得していってもらいたい。

北朝鮮、中韓露はもちろん、アメリカ内部にも、自民党内にも、拉致に対する日本の強い姿勢をけん制し、揺さぶりをかけ、切り崩そうとしている人たちがいる。一部の安倍たたきは、こういった勢力の思惑に惑わされている部分もある。

だからこそ、拉致問題の解決を目指す私たちにも、揺さぶりがかかる。拉致は国家命題であり命の問題でもある。時間の残されていない今、もうコップの中の嵐をやっている暇はない。こういう勢力に対抗するためにも、日本の世論を、拉致解決に向かう力として、大きく包みこみ、大河とするべきだと私は思う。

北朝鮮問題の解決には、どうしても日本の金と技術が必要。
オリンピック前も、オリンピック後も、中国には日本が絶対に必要。
韓国にとっても、日本の資金がなれれば、北朝鮮への援助も底をつく。。

青木直人さんも、中国にも、韓国にも、日本は『金』という切り札をちらつかせる外交をすべきだと言っている。(戦略情報研究所メールマガジンによる)

国家が、護民の意識をしっかり持って、拉致被害者全員を取り戻す意志を強く示すべき時が来ている。そのための外交に、相手のウィークポイントを知った上で、『日本の資金』というカードを示すことは、重要な鍵となると、私は思っている。

| | コメント (0)

今そこにある危機


 韓国のみなさん、アメリカの下院のみなさん、今救うべき命は、この写真の、命の危機にある子供達ですよ。
 スザンヌ・ショルティさんが、おっしゃっているように、今、北朝鮮で命の危機にある人たちは、たくさんいるのです。
 
  いわれのない罪で、強制収容所に収監され、人権を無視されて命の危機にある人たち
 親を失い、食べるものもなくさまようコッチョビ達。
 危険を侵して中朝国境を越えようとする脱北難民の人たち。
 物資も食料も与えられない下層階級の市民達。
 
  そして、いきなり拉致され家族から引き離されたたくさんの拉致被害者達
 
  その全ての人たちが、命の危機にあるのです。
 
  今そこにある危機に目を向けるべきです。
 従軍慰安婦問題を今頃、問題にしている時ではないでしょう。
 (河野洋平という人の罪の深さを痛感しますね)
  拉致被害者も、家族も、何時命を奪われるかもしれない、危機にあるのです。
 1秒1秒の時と、自らの命と、その双方と闘っている被害者と家族を再会させることが、目の前にある命題です。
 
  惑わされず、まっすぐに!
 

| | コメント (0)

2007年3月11日 (日)

『翼』ライブ

高田馬場、四谷天窓で行われた、『翼』ライブの模様をお知らせします。
 
学生の街、高田馬場、自分の学生時代の名残を探しながら、四谷天窓へ。
 
アコーズティックにこだわるライブハウス、温もりのある内装にまず、感激しました。会場には、飯塚進さん(田口八重子さんの二番目のお兄様)、綾子さんご夫妻、川口の会のみなさんをはじめ、藤井さんのご友人などたくさんのみなさんが集まりました。
 
ライブは、北朝鮮を訪問した経験談を交えながら、日本の唱歌(ふるさとや、花)や、フォルクローレ(コンドルは飛んでいく)などの選曲で、会場と一緒に歌うなど、終始楽しいムードで行われました。
 
藤井さんが、翼を作曲するまでの思いをひしひしと感じることが出来ました。
 
自分が、北朝鮮の音楽祭に招待されて平壌の地を踏んでいたとき、同じその時に、横田めぐみさんや田口八重子さんが、とらわれの身になっていたことを、帰国して10年後に知った、その衝撃。彼の感じた北朝鮮という国・・
 
以前蒼き星々に投稿してくださっていた、疲れ目さんも、同じ事をおっしゃっていました・・・・
 
作詞の小林さんも、駆け付け、最後の『翼』の歌と共に、会場は、救いたい願いに包まれました。
 
明日は、アミーカさんのライブもあります。藤井さんも駆け付けるそうです。
 

 

  
 

  
 

  
 

 
 北朝鮮の記念切手は、東欧の要人と金日成がうつっているものが多い。金正日が、一番恐れているのは、『チャウセスクになりたくない』ということ。そのために、彼は、核危機を作り出している。。。そのチャウセスクと金日成の記念切手・・・
 

 
 

 私は、『帰れ帰れ故郷に 家族のもとに ~♪』で終わる、この歌が、しおかぜにのって北朝鮮に届けば、きっとめぐみさんは生きて待つ希望を持つと思う。飯塚進さんは、『早く八重子に聞かせたい』とおっしゃっていました。
 
 参照:翼 歌詞

| | コメント (0)

越谷集会質疑応答

  第二回埼玉県東部の会 講演会
~今年中に拉致被害者全員を救出へ~
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて


『質疑応答』

★質問者1

生まれて初めて、新年の金正日の新年のサンシャ(?文字表記不明)、社説って言うんですか?
共同社説って言うんですか?演説って言うんですか?
あれ良いなって、翻訳だけ読んでいて。
今月号の月刊現代で佐藤優さんと鈴木琢磨さんが対談の中に、彼のサンシャの金正日の言葉の中に「黎明」という言葉に非常に反応しておられたんですよ。
何か、朝鮮戦争のときにやっぱり同じような言葉が出て来たと、ひょっとしたら今年、北の攻撃あるのでは無いか?と。
ただ外務省はこの分析を全然していないという事を佐藤優さんが非常に憤慨しておられて、「何かコメントないですかね?」と言ったら鈴木琢磨さんが「ラスプーチンさんにお教えする事は無いですよ」と答えていたんですけども。
なにか、先生そういう事があるんですか?

★回答 萩原遼氏

いえ、金正日が何か武力挑発とかね。
いう事は全然ありません。
そんな力、全くありません。
あったら中国自身のシナリオのぶち壊しやから絶対にそんな事やらすわけがない。
また彼が単独で南を攻撃したりとか日本に何か撃ち込んでくる。
今までは一応公海にぶち込んでいるけど、仮に沖縄にぶち込んだ。
そんなことをしてみろと、そりゃあ、あの国消滅ですよね。
だからそんな事ありません。
力もありません。
だからそれは大丈夫です。

★質問者1

武力ではなくても今、ピンクじゃないですか?どちらかと言うと、お隣の国が。
もっと何か、日本を含めて総連を含めて日本に情報戦争をどういうふうに仕掛けてくるんでしょうか?

★萩原遼氏

いや、何の力もないです。
そんなの有り得ないです。
何かありますか?例えば。

★質問者1

いえ、ありませんけど先生の目からからごらんになって。

★回答 萩原遼氏

特殊部隊を送り込んでくるとか?そんな事有り得ないやん。
あったら良いじゃないですか。
我々日本、喜んで及ばずながらも何でも撃退しますよ。
そりゃあ、日本人舐めたらあかんぞという事で。

★質問者1

じゃあ、総連自体も力が無いんですか?

★回答 萩原遼氏

力が無い。
あんなもの、僕らのあれで叩き潰すところまで来たじゃないですか?
まさか、何にも出来るわけないじゃない、そんなもんね、大丈夫ですよ。
それはむしろね、怯えないことが大事なんですよ。
彼らに、来るなら来い!と。
こちらはもう静かにね、静かなるあれでね、断固たる姿勢でね。
そんなもう怯えて右往左往しているから向こうが付け上がるんでね。
我々は何一つ怯えることもなくて、持てる力でね。
持てる最大限の力でね。
抵抗すると言うのは、これはもう自衛権と言うのは国の権利ですから、大丈夫です。
僕が言うても何の力も無いわけですけど。

★質問者 野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)

すみません、あのですね。
「拉致問題の解決なくして国交正常化は無し」というのが日本の立場ですよね?
で、最近その以前はその通りだと思っていたんですけど、最近僕が思い出したのはもちろん拉致問題の解決は大前提なんですけど果たして拉致問題解決して、まぁおそらく金正日の政権が倒れない限りは拉致問題は解決しないと思うし。
例えばじゃあ首を挿げ替えて中国がプレッシャーを与えて、仮に拉致問題が解決したとするじゃないですか?
そうすると3兆円規模の賠償金が行くと。
これって果たしてあげちゃっていいのかな?と言う思いがあるんですね。
そういう戦争賠償金をあげて良いのか?

何でか?というと、確実にあの国の体制・体質が変わらないとまたその賠償金を使って核を開発するかもしれないし、何か日本に対して悪い事を考えているかもしれない。
そしてさらにそれがその後ろ盾に中国がいたときに、果たして日本はそんなお金を手放しであげちゃっていいのか?という心配みたいのがあるんですけど、その辺はどう思いますか?

★回答 萩原遼氏

核をせよって、そしてそれを枕に寝ないと安心できないって言うのは、まさに金正日なんですよ。
彼が、チャウシェスクがルーマニア革命で民衆に射殺されたあの悪夢をね。
ビデオで見て、それで人民が蜂起したら殺されると、それでずっと核に突っ走っていくわけなんですが、その特殊なね。
極めて臆病者の正日と、それを皆がそうだというふうな事をちょっとね。
距離を置いて考えていただきたいのは、元々金日成が核を開発したけれどもあれほどね。
金正日ほど怯えなかったんですよ、金日成はお父さんの方は。

ところが息子の正日って本当に臆病な奴でね。
だから核を必死で握っているんだけど、あの男を除去すればもう少しマイルドな、それでマイルドなと言うのは厳しい査察と各施設の完全廃棄ですよ?
廃棄した後でなければ、もちろん米朝も国交を結ばないし日朝だってね。
そんなものね、核のあるいは凍結と称してやね。
重油をやったのがクリントンの大きな誤りだったんですが、徹底的な寧辺の査察もして完全に廃棄した後、国際的に核はもう一つもありませんと、核なんか無いと言う状況になって初めてお金が渡るわけなんですよ。

それでなければ絶対に核も拉致も解決せずにお金だけ先に渡す。
とんでもないことで、それをね、野口さん。
野口さんだってまず真っ先に査察で行くじゃないですか?ね。
で、僕もば~っと行きますよ。
どないにかプロが何百人も入りますから、そういう連中が日本からも数百人行くし外国からも数千人行くしね。
その連中が徹底的に北の人民と協力して、あそこに隠してるここに隠してる言うてね、人民も立ち上がりますから。
それをね、力を合わせればね、僕は残さず暴かれると思いますから、それをやった後の話なんですよ。

★質問者 野口孝行氏

そうじゃなきゃ駄目なんだと?

★回答 萩原遼氏

そう、そうなんです。
そうじゃなければね、そんなビタ一文やれない。
だからまず拉致のご家族がね。
先頭に立って収容所なり彼らの集結場所、まず真っ先に乗り込むのは皆様方ですのでね。
そういう日をね、是非気になさらずに野口さん、別に強制収容所に入らんように頑張ってください。(笑い声)
いや、そんなことで宜しゅうございますか?  ★質問者2

先ほど萩原先生、お話の最後の方でですね。
向こうに帰国事業で帰った50万人の朝鮮人の方々をもう一度こちらに受け入れるんだという事を仰いましたよね?
確かにあの方々は騙されて向こうに連れて行かれたわけで、わかります。
それは筋だとは思うんですよ。
ただ、北朝鮮に行って何年くらいですか?40年くらいになりますよね?
こっちで定住して日本国民になってもらうためには、物凄い職業訓練とかコミュニケーションの取り方とか、色々やらなきゃ、三浦さん(=北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の事務局長・三浦小太郎氏)がよく帰国した人に脱北して来た人に「あんた、最低限日本語覚えなさいよ」って言ってるらしいですけども、いう事をやってあげなければならないと思うんですよね。
ただでも、それをやると50万人の人を受け入れて、日本が多国籍、多民族国家になる覚悟が必要になると思うんですよ。
今の日本人の多民族国家になる覚悟があると萩原先生はお思いになりますか?

★回答 萩原遼氏

そこがね、○○さんね。
これからの問題で難しいものが色々ありますがね。
皆さんもご存知のようにね、50年後には日本の人口が1億人を割る日が来るんですよ。
毎年100万人ずつ減りますから、ず~っとこれからね。
そうしましたらね、50年後には9900万人くらいになる。
経済的な活力が当然落ちますよね?
そしたら小さな日本で行くか?あるいは今1億2千7百万の大きな日本で行くか?と言う選択をね。
今まさに迫られているんですよ。

そしたら仮にですよ。
女性が子供を産まないのは、これは世界の先進国の態勢ですから、そしたらね。
今例えばフィリッピンから看護師さんを入れるのを問題になっていますね?
日本が従来型のサービスって言うんですか?看護師さんや、それからケアの方や何とかやそういう人手が足らなくなる。
どうしても否応無しにどっかの国から持ってくると言ったら言葉悪いですが、来ていただく。
それはね、どうしても必要に、今なっているんですよ。
それをね、日本国民が要求するのか、そのように要求しないのか。
それを「老々介護で行きます」というふうに国民のコンセンサスが得られたら、今のままちょっとずつ人口減って1億人割っても「日本だけでやりましょう」と、それは日本国民が決めることなんです。
これがまず一つね、これが大前提。

やはり流れとしては外国人労働者を入れるね、方向に今動きつつあると。
と言う中で在日の人たちは最も近い外国人なんですよ。
在日朝鮮人の子供・孫・ひ孫、今もう4世になっていますからね。
この方々は日本に対する憧れが非常に強いんです。
皆物凄く日本に行きたい・帰りたい言うのね。
それはあの国が余りにも酷いから日本の物は何でもね。
こんな汚い例えで悪いんですがね。
「日本の物なら犬の糞でもありがたい」と言う言葉があるんです、北に。
それほど日本の物がありがたがられている。

という事は、彼らはね、最も良質の労働力となり得る。
そりゃあね、外国人を入れたらそれはもう言葉が通じない、イライラで喧嘩になる、すぐに何やかんやごたごたが起きる、それは当たり前で、どこの国でもヨーロッパでも何十年も前からそれでやってるわけでしょ?
日本もようやくそういう時代に、○○さんね、入りつつあるという事なんですよね。
それは国民の結局コンセンサスがね、どっちへ向かうのか?
僕は大勢として外国人を受け入れざるを得ない。
中でも在日の方が一番近い。

それでね、50万全部ここに連れて来いって言うんじゃない、一旦原状回復しなさいという事なんですよ。
一旦日本の土を踏ませて、3ヶ月か半年ね。
我々や在日にも親戚はいるし、それからベトナム難民のときに作った施設もまだ残ってるし、それからバブルのときの遊休のホテルやなんかが一杯、リゾートやなんやであるでしょう?
もう今、閑古鳥鳴いていますよね?
そこに10万やそこらは受け入れる施設はあるらしいんですよ。
ありとあらゆる施設を、そこで半年でもおって、そして選択は自由にしなさい。
やっぱり北が良いと、言うたら北に帰りなさいと。
その代わりまた舞い戻りたくなったら来なさいと。

往来の自由と言うのは、今世界どこでも同じじゃないですか?どの国でも自由に行けるわけでしょ?
だからそういうふうに○○さんね。
一旦、拉致された人を原状回復するというのが原則ですから、一旦ここに連れて来いと。
それで後はその人たちの自由意志によって、「やっぱり北朝鮮が良い」と言う人もおるんですよ、結構。
・・・(聞き取れず)来てるっていうでしょ。
「日本は冷たい、北に帰りたい」って言うてるんですよ。
「じゃあ、なんであんた来たんだ?」とここから出かかるけど、それを言ったらおしまいなんでね。
「向こうに帰りたい」って言う人いるんですね。

まぁ、いろいろです、人間。
せやから、まぁ○○さん。
ともかくね、これはね、拉致の方はね。
とにかく無条件に取り返すのと同じようにね。
北朝鮮と朝鮮総連に騙された人たちを一旦ここに戻せと、原状回復しなさいという事を申し上げたいわけなんです。

★質問者2

惰性で入れちゃ駄目ですよね?

★回答 萩原遼氏

それはそうですね。
その点では小太郎さんもそうだし、僕らもね。
力の無い我々がホンマに苦労し抜いてます。
まず言葉を教えないかんでしょう。
大変ですよ、言葉が分からんから。
それで言葉を覚えてもろうて、今度は就職先を探さなあかん。
若い人もおるからね。
おじいさんやおばあさんはいいんだけども、40代の人はね。
仕事は本当にこれ頭痛いんです。
だから僕は29日からまた大阪行って、その人の就職先を探すね、そんな仕事をね、私も細々皆でやってるわけでね。
まぁ、○○さん、色々援助してくださいよ。(笑い声)
まぁ、お願いします。
なんか、二次会があるらしいから、その時で。

★質問者3

萩原先生、今日はどうもありがとうございました。

★回答 萩原遼氏

いえいえ、どうも雑駁な話で。

★質問者3

それでですね、これから救う会とか一般の市民・国民とかがですね。
運動できる事は今までの他に何かあるのかな?と思いながらも聞いていたんですが、その点をお願いします。
その中にですね。
だってメディアと政府にもっと違った形で説得力のある正確な、市民・国民にしか出来ないような働きかけをしたいなと思うんですが、その辺をもしこういう事こういう事が出来ますよという事があったら、余興でお願いしたいんですが。

★回答 萩原遼氏

それは古藤さんが、日頃古藤さんや加藤さんやそれから金子さんがお考えのことですよね?
ですからむしろ、そういう日頃運動を担っておられる。

★司会 古藤勝次氏(埼玉県東部の会)

あの、最後まで言い続けるしかないんじゃないか?と。

★質問者3

そうですよね。
地道ですけど、署名活動なんていうのもいいですよね?
これ、いろんなところにお話頼み込んで数千万名くらい集めるくらいのね。
そうすれば効果ありますよね?

★回答 萩原遼氏

そうですよね。
そもそも署名から始まったんですものね。
横田さんご夫妻なんかがね。
その事を思えばね、今地道な、すぐには結果は出ませんけどね。
しかし、あれが基本じゃないでしょうかね?

★質問者3

先生のお話聞いて、だいぶ希望が見えて来たんです。

★回答 萩原遼氏

ありがとうございます。
それとね、さっき横断幕立派なのを作っていらっしゃるでしょう?
大平さん(=特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)なんかこうやって、ああいうのをね。
いろんな集会の度にね。
「私たちは拉致された者の家族です」という、こういう事をね。
行く先々やそれから街頭でもね。
ああいうのをおやりになったらね、そりゃあ物凄く効果があるんじゃないか?と私は思ったんですが。
本当に立派なね、川口の方は本当に立派なお仕事をなさっていると思っていますので、是非。

★質問者3

12月でしたっけ?
その・・・(聞き取れず)の駅で署名活動したんですよね、横断幕をもって。
結構関心のある人、多くいますよね。

★回答 萩原遼氏

本当に、田口八重子さんのね、国民的シンボルになっておられますのでね。
本当に不幸な形でとはいえ、そういう国民的に知られておりますので、是非ご家族の方はですね。
一つ力を発揮していただきましたら、僕らが励まされるわけですからね。
是非よろしくお願いいたします。

★質問者3

はい、ありがとうございます。(拍手)

・・・集会終了・・・   

| | コメント (0)

萩原遼さんの講演-越谷- (3)

もう一つは北朝鮮が使ってる日常生活用品の8割は全部、中国製。
僕は、『赤旗』という共産党の新聞の特派員をやっていたとき、焼き肉の炭、『炭ないかー』って言って。(炭のことをスッチーっていうんですよ。スッチー)『スッチーないか、スッチー』『いや、スッチーしらん』もう、言葉自体なくなっていたんですね。炭なんか、すぐできるわけなんだけど。それが作らせないんだから。つくっていない。

炭がないから焼き肉、石油コンロ焼くんですね。焼き肉、石油コンロでは、まずいですよ。
そんなわけで、みんな中国からのもので、なんでも。
風呂どうしてるってきいたら、中国から、なんて言ったかな、あれ、日本でも、一頃あったでしょう?こんなカーテンで四角なお風呂、簡易風呂。シャワーないから。簡単な風呂のない家が使う、昭和30年頃、日本にもあった。何て言うのかな、あれ。冬でも、夏は、たらいで行水できるけど、寒いから。みたいなの。北朝鮮の連中は使っているんですよ。

つまり、事ほど左様に中国の物がいろんな形で入ってきて、要するに商品の市場としても北朝鮮は中国のもうけ口。地下資源でも、べらぼうに儲けてる。物流基地としても非常に有効になっているということは、限りなく植民地に近い状況にあるということみなさんに理解してもらいたい。

僕が何故、これを言うかというと、この問題と、拉致の問題が、非常に重要な関係にあると言うことを言いたいんです。

何故か?
中国が北朝鮮に本格的に進出して、経済進出、それから、資源の供給地、それから物流基地となるには、何がいるのか。
鉄道がいります。道路がいります。港がいります。飛行場がいります。それから他に、インフラといわれる経済基盤。道路、それから電気、鉄道、港、飛行場。飛行場も今一つか二つだけやけど、あと10~15どうしてもいりますよね。

そのお金を、一体、どこから取ってくるかというということで、中国は、自分のところで精一杯だから、北朝鮮にあるわけがない。日本からは3兆円から6兆円の経済協力資金が、国交正常化すれば、お金が向こうにいくわけです。一番欲しがっているのは、中国がほしがっている。ということは、日朝の国交正常化を早くやれと、そして、早く金を取れというふうな圧力になって、今その圧力が、すこしづつ、すこしづつ、すこしづつ、狭まっております。いずれ、中国が首をすげ替える時が必ず来る。何故か?日朝の、国交正常化の最大の難問は拉致です。 【拉致解決成しに、国交正常化なし】 これはもう、安倍さんも言っている。自民党も、もし、これを言わなくなったら、その首相の首が飛びます、みなさんがいる限り。絶対そんなこと言わせません。

だから、日朝国交正常化の、最大の前提は、金正日を排除することでなければならない。何故ならば、拉致は、奴さんが、やったわけだから。だから僕は首をすげ替えろと。何のメリットもありません、中国にとって。中国がこの、正日を抱えている以上、自分たちの、北朝鮮の経済基盤整備をやることが出来ないんです。『これ、こいつ(正男)に、もう、変えろ』と。『変えたってあんた方の腹は何も痛まないじゃないか』ということを、僕が主張しておりますが、ごまめの歯ぎしりですから。英語版作ったから、こんどもう一回、中国語版を作って、中国語版持って、僕、北京に乗り込みます。これ、胡錦涛に読ませるんです。『胡錦涛さんにも渡してくれ』って。どうしても。実は中国語版翻訳やってるんですよ。

これはね、萩原遼の孤独な戦いやけどね、これ、結構世界を動かしてるなー。これ、韓国語版出ました。去年でまして。これ出たっていうか、向こうで勝手にやってね。『萩原先生、出来ましたーー。』って。『何が出来た?』『翻訳できました』ってね。もう一方的でね、いい加減な連中でね。韓国の連中ていうのは。ま、なんていうか、アホですわ。(会場笑い)ホンマ。アホですわ。僕が冗談ばっかり言ってるから。『おまえら、アホや』いうて。それが、『出来ましたー』ていうからエライ元気よくやってきたわけ。

それがね、『萩原先生講演に来てください』っていうから、『何日、大丈夫でしょう!』向こうで決めてるんですよ。しょうがない行かざるを得ないから、僕はもう、韓国語しゃべってないから・・それでも、『1時間しゃべれ』っていうから、1時間しゃべりましたよ。そうしたら、『萩原先生、10年前に先生の講演聞きましたけど、韓国語ヘタになりましたね。』(会場笑い)はっきり言うんじゃないよー って言ったんですけど。そんなわけで、これ出来まして、韓国でね、右翼が集まってるんですよ。戦争記念館、朝鮮戦争記念館、右翼がえらい、いっぱい集まってるんですよ。それは、たいしたもんでした。
だから僕、『こういうものは、小規模でやるもんだよ。』言ってやったんですよ。(会場笑い)

そんなこともあって、これ作ったでしょう。英語版も作ったでしょう?
お金ないのいね、300万円集める予定が、200万しか、集まらなくて・・・・お志が、ある人は、今からでも、一冊15ドル、1500円。
外国人に、欲しい人には奨めてください。まだ、3~400冊残ってます。

今中国語版作っています。『首すげかえろ』と、『はやく』ということで、私なりの孤独な戦いをやって、今年中に中国語版作って、中国の北京に乗り込んで、みんな、説得して。もうええかげんせいと。

それでね、みなさん、本当にはらわた煮えくりかえると思うでしょうが、ひとつね、子供が、10ヶ月経たんと生まれんように、うちわで扇いでも、早く生まれるわけではないので、一定の時間が必要だから。タイムテーブルをちょっと申し上げます。さきほども、相当時間がかかるとおっしゃったけれども、こういう段取りなんです。あとで、討議でいっしょにね、また、みなさんね。

ちょっとねこういう風な状況なんですよ。
ブッシュ大統領もう何の力もありません。レームダック。既に、政権末期の無気力状態。次は、ヒラリーさんになるか、オバマさんになるかと言う状況で。今年の12月には、韓国の大統領選挙がありますが、さっき野口さんがおっしゃいましたが、『たいしてかわりばえないよ』と。韓国は、全く、おっしゃるとおりで、たいして力ありません。どっちがでても、Aさんがでても、Bさんがでても、にたりよったりで、代わり映えしません。何の力もない。

次は、ヒラリーさんがでるのが、2008の12月ですね。これまで、おあずけ。アメリカの大統領が、きまるまで、もう、ブッシュは何の力もない。ヒラリーさんが、次ぎに何をするかというと、おそらく、クリントン大統領が、2000年丁度にですね、あの方は北朝鮮と国交を結ぶ寸前まで行きましたが、時間切れで。米朝の共同コミュニュケと言うのを出したんですよ。国交正常化、やりますと。ところが、その一ヶ月後、ブッシュがとおって、もう、全部チャラになりました。だから、ご主人のビル・クリントンさんの残した仕事を、たぶんヒラリーさんは受け継ぐだろうと。

となると、2008年の12月の大統領選挙。翌年の2009年2月が就任式、いつも、あの国は、どういう訳か、えらい寒いとき、みぞれが降って、寒い寒い時期ですが、その2月にヒラリーさんが、かっこよく登場します。6ヶ月はお勉強です。何にも知らんから。お勉強します。2月から六ヶ月と言えば、8月のバカンスあけ、動きがあります。だから2009年にかなり大きな地殻変動的動きがあるというのが、私が見るタイムテーブルですので。

そのときまで、ぼくらはじっとしてただ拝んでいるしかないのか?、とんでもない話で。僕らがやらないかんことは、ものすごく、力持ってるということなんです。

さっき言いましたように、日朝国交正常化を真に望んでいるのは、実は中国なんですよ。
中国の方から、圧力かかります。日朝国交正常化をやろうと、本格的に動き出すのも、中国が、2008年8月のオリンピックが終わった後なんです。終わった後になったら、少し余裕が出てくるから、朝鮮半島の根本解決に向かいます。

だから、2008年の8月のオリンピックと、12月のヒラリーさんの当選と、その辺を超えた後に地殻変動的動きがある。それに備えるために、1日も早くそれを実現させるために、僕らはじっと遊んでいるわけにはいかない。こういう地道な集会を、至る所で開いて、やはり、みなさんの声を常に届けること。これですね。これを忘れずに、もう、へこたれずに、諦めずに、『あいつがやらんから、おれらも』とか、人のせいにするんじゃなくて、誰がやらないところから、ここまで盛りあげたじゃないですか?みなさんが。

政府はそっぽむく、警察はそっぽむく、誰も彼も聞いてくれない中で、だれがここまで持ってきたかと。
僕は、生まれて初めて、南越谷、きました。ド田舎ですね、ド田舎でこれだけ熱心に、せっかくのお休みの日に、こういう風に集まって、ご家族の方を先頭に、それを、みんなが、支えてる。特定失踪者からも難民救援基金からもいらして、本当にみなさんの温かいお気持ち、これが愛国心じゃないですか。人に教えられるんじゃなくて。(拍手)
人に教えられて、『あなたが教えてくれたから、愛国心とはこんなものですかー』、『けっこうなもんですなー』とかそんなもんじゃない。
みんな、こうやって、同胞を救おう、可哀想な人たち、家族が引き裂かれてどんなに辛いか、その気持ちを我が痛みに感じる人がこれだけたくさんいると言うことが、僕は素晴らしい事だと思いますから、みなさん希望を捨てずに、へこたれず、頑張りましょう。

僕はおととい70になりました。もう何にも怖くない。
暴力団がきたら、僕が先頭に立ちます。命怖くないんだから。
何にも怖くない、何時死んでも良いんだから。

幕末の林子平、皆さんご存じでしょう?幕末の大政治家、林子平。
あの人が、『七無斎』って言ったんですよ。
http://www.marinenet.co.jp/jinpati/lastsong/sihei.html(参考リンク)
※「六無斎」の誤りか

なんで、「七無斎」かっていうと、

 ~親は無し(二親×2)、妻無し、子無し、版木無し(木版)、金もなければ、死にたくも無し~

親は無し、二親いるでしょう。妻無し、子無しでしょう、版木無しは、江戸時代の本は、木版ですってたでしょう。
版木を幕府に取りあげられたんです。貴重な『開国兵団』という版木が失われたんですが、ところが、たまたま、そのあと出てきて。ある人が密かに持っていて、今日岩波文庫で読めるわけですからね。
この林子平の「七無斎」。
僕は、『親無し、妻無し、子無し、版木あり』なんですよ。
これがあります。金も無ければ、死にたくもなし、これは似ていますが。

僕は、六無斎」っていってるんですよ。六つの無い男。
ですから、命は全然惜しくないし、足引っ張られる孫もいなければ、子供も、嫁さんもいないから、好き勝手にやってますよ。
みなさん、僕にどんなことでも持ち込んでください。どんな問題も、持ちこんでいただいて、結構です。対応します。なんでも対応します。北朝鮮と命がけで闘うのなら、僕は何でも引き受けますから。みなさんも、是非お気持ちを発散させて、時間はかかりますけど、希望ありますから、ここまで盛りあげてきたんだから。

最後にひとことだけ。朝鮮半島に、いよいよ、根本的な地殻変動が起こります。何故か?朝鮮戦争というものが、もう戦争が終わって、今年で53年たつのに、まだ、休戦協定なんです。戦争を、ちょっと休んでいる状況なんです。朝鮮戦争が、終戦になっておりません。
終戦になっていない。ここに、38度線が常にごたごた、ごたごたする原因があって、金正日のような冒険主義者が、ちょっと核を振り回したら、また、その辺が右往左往する。政府レベルがが右往左往して、走り回っている。あんなものは、何の役にもたたんと僕は言っている。ただの時間稼ぎに過ぎない六カ国協議。こんなものは、単なる時間稼ぎ。

そこで、六カ国協議に拉致を取りあげてくれようが、くれまいが、そんなこと関係なく、日本人は、日本人として、徹底的経済制裁をやって、あいつら、きりきり舞いさせているのは、日本の世論なんですよ。マグロも禁止したでしょう。金正日の贅沢品、全部禁止したでしょう。女性のパンティもあかんと。下着も一切贅沢品入れてないでしょう。

あいつの神通力というのは、要するに贈り物戦術なんです。女性には、高級下着や香水ね。そいで、己は、築地のマグロや北海道のいくら、なんとかのウニね。地中海のオレンジ、オレンジを10個買うのに飛行機飛ばして、買いに行ったり。とにかく、それに対して、一番効いているのが、アメリカの金融制裁と日本の万景峰号なんですよ。もう徹底的に締め上げると。僕ら、やることたくさんありますから。何も、六カ国協議でやれ取りあげられなかったからどうのこうの、それは、外務省のバカどもが言っているだけの話で。我々はそんなこと、一喜一憂する必要はありません。徹底的にこういう小集会をやって、そして締め上げて、そして、関連の朝鮮総連の関連者を一人一人、しらみつぶしに洗い出して、そいつを、もう逮捕するというところまでいかんと。拉致は、ここでやられたんだから。日本が日本は、材料いっぱい持ってるんだから、だから、僕らの調査力と、特定失踪者(問題調査会)がやっているような、野口さんたちがやっているような事を徹底的にやることによって、僕らが・・・。

地殻変動的に動いたときには、休戦協定が、平和協定になる日が来ます。
そのときは、南北にまっぷたつに割れます。割られたら、ええんだと。おまえ等バカだから割られるんだと、僕は、韓国の連中に言ってるんです。北朝鮮は中国の属国になりつつあります。その属国の奴隷になろうとしているのが韓国ですから、二人そろって、仲よく中国の属国になれば良いじゃないかと。我々は独自の道をいくんだと。

そういうことで、アメリカと中国が朝鮮戦争終結しますね。終結した後は、アメリカが北朝鮮と国交を結びます。その前には、正男を連れてくるか、別な奴を連れてくるか、とにかく金正日は消えます。はずします。

そのときに、拉致は堂々と、舞台にのぼります。全部、500人全部取り戻すということを堂々と主張できますから。その代わり、国交(正常化)にはしかるべき必要な賠償金は、払って当たり前。
それは、拉致の見返りとか、身代金という意味では全然ないですよ。
それを解決しなければ、俺たちは、びた一文出さないんだという堂々たる態度で臨めば、その日が、必ずここに2~3年でね、僕は、地殻変動あると思います。僕が、ヒラリーさんに一種の期待をかけてるのはそれでもあるんです。

その時に、500人かえってきます。10万人の在日朝鮮人も、全部連れてこいと。その子孫たちが、50万います。それも全部連れてこいと。その人達は、もとここから出て行った人たちなんだと。ここから騙されて出て行って、夢やぶれて、ひどい目にあった人たちを、全部僕らが受け容れられないわけがないんですよ。終戦直後の、あの苦しいときに、300万の外地の引き揚げ者を迎えた。200万の兵隊を迎えた。もう食うや食わずの日本がね、そう言うことをやった経験もあるんだから。ベトナム難民を1万人救ったことも、経験としてありますから。50万ぐらいの、在日の人たちをみんさんも、温かく迎えていただきたいと。それが、拉致をも解決する道でもあると思いますので。
 みなさん、一緒に頑張りましょう。これで終わります。

| | コメント (0)

2007年3月 9日 (金)

萩原遼さんの講演 -越谷-(2)

越谷集会(2007/2/12) 萩原遼先生の講演(2)


1172905943

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

それじゃ、私の話に入りますが、昨日の産経新聞を読んでいたら、三面に『拉致解決へ風船作戦』、これは、杉野さんやってるんですね。
   ~~(記事)
   特定失踪者問題調査会は、10日、韓国の民間団体の協力で、北朝鮮の国境近くの島から、北に向けて、拉致被害者へのメッセージを大量に付けた風船を3月に飛ばす計画を検討している。~~

(杉野さんに)昨日発表になったんですか?
~~会場から、『昨日の講演会で、荒木さんのほうから、その話がありました』

キリスト教の北朝鮮人権協会ですか、韓国のキリスト教団体と提携していると言うことでね。

そして、調査会は、今しおかぜね、さっき話が出た、短波放送しおかぜ。これにね、僕らの脱北者も3人でてね、12月11日に朝鮮語と日本語でやったんです。日本に脱北者した人が、『私たちは日本で幸せに暮らしています。皆さんも是非、金正日のあれを打破して、どんな犠牲を払っても日本にたどり着け』と、『私たちが必ず迎えるから』と力強いメッセージをしおかぜでやらせていただきました。ありがとうございました。

それで、僕が申し上げたいのは、この連携プレーがじつに素晴らしいと言うことを、この連携プレーが実に素晴らしいと言うことをみなさんに申し上げたい。みなさんに、国際的連携について、申し上げたい。

これ、脱北者の青年なんですよ。雰囲気だけでもわかってください。朝鮮語の韓国で出ている新聞でね。
イ・ミンボクという農業専門家。この人は、農業の専門家で、ずっと北朝鮮で活動していたら、北朝鮮の農業の不振の原因は、集団農業にあるんだと言うことがわかって、それを金日成に進言した。つまり、個人農業にしないと、集団農業では誰も働かないし、誰もいい加減な仕事しかしないから、『これは元に戻すべきだ』と言ったら、『おまえは、韓国のスパイだ』と言われて、身辺に危険が迫ったので脱北した方で、今ね、何やってるかというと、風船飛ばしてる。僕も、『萩原さん一緒に見学するか?』っていうので、『僕も行く、行く』と言って、ソウルから車で三時間、地図は、ここに残念ながらないね。(朝鮮半島は)ウサギのような形しているでしょう。丁度38度線が真ん中でしょう。38度線の東側が江原道(こうげんどう)という道ですね、この江原道の山奥に、山がずーーとあってね、そこにね、ワゴン車にヘリウムのボンベを10本ぐらい積んで、山また山の山道を、ずっーーと三時間ずっと行って。それで、いよいよ、設営。『今日は風向きが良い』と。

風向きなんですよ。朝九時に電話かかってきたのは。そいで、ばーーっと行ったんですけどね。『今日は風向きが良いから、行くぞー!』と。ヘリウムでね、これぐらいのね、人間すっぽり入るぐらいのね、ようするに、八岐大蛇みたいな、15~6メートルのぶぅーっとビニールの風船なんですよ。そこにヘリウムガスをブーーっと入れてね。それを僕らが持ってる訳なんですよ。それで僕も体が軽いから、ふーーっとつり上げられて、三メートルぐらい浮いて、『このまま、萩原さん、北朝鮮にいくつもりか』と言われたくらい。。(会場笑い)で、僕の足をみんなで押さえてくれたから。(会場笑い)ゆーーっとあがるんですよ。人間一人つり上げられる中に、何をいれとるのかというと、これを入れとるんですよ。こういうね、これ、宣伝ビラなんですよ。これね、見やすいから、こんな白い紙だけど、もとはこのビラなんですよ。ぺらぺらのビニール。ビニールに裏表びっしり。

   ~ビラの内容~
   愛する北の同胞の皆さん、もう一度考えてみましょう。
   金日成は金正日に殺された。
   金正日国防委員長の女関係・・ (会場笑い)

なんとかかんとか・・いろんな小さい情報がね・・
ここに、山の中でこれが秘密のアジトでしてね。トンネルみたいに真っ暗なところが、ざーーっとあるんでね。『ここはなんですか』って聞いたら、『ここは農業をやってはいけないところなんですよ。』と。だけど、小屋を建てれば、そこの農地だけは、開墾して収穫することが出来るというんで、要するに農業を偽装して、何やってるかというと、これ、こればっかり作ってるんですよ。(くしゃくしゃに丸めたビラをみせて)これを、印刷したのをこんなに(くしゃくしゃに)やってるもんだから、『なんで、こんなくしゃくしゃにするんだ、読みづらいじゃないか』というと、『違う』と。『固めてやると、固めて落ちる。』と。

さっき言ったでしょう。ヘリウムガスでぶわーっとあげて、上空に行って30分後にぼーんと破裂するんだって。そいでバラバラと落ちる。ところが、それが重なってあると、重なって落ちて、そのままもっていかれちゃう。だから全部こうやって、みんな、ぐじゃぐじゃにして、そいで、四散するように。ぶぅーーっと飛ぶように。おばさんがみんな、四人ぐらいで、ぐわーーっとやってるんですよ。ぐわーーっと、ビビンパ練るみたいに、ぐわーーっとやって。それを詰めて、みんなでガスをぶーーっと入れて、それで、ばーーっと飛ばして、それを15回やりました。それでね、もう、『ちゃんと飛んでいけよー、ちゃんと届けよー』と。 僕も喜んで。そんなことをやって。

それを、特定失踪者問題調査会は今やろうとしているんです。

 (特定失踪者問題調査会が、韓国でテストして、韓国のセイガダイにおちたこと、韓国政府にはやめろと言われていること。どこから飛ばすかなど、杉野さんとの会話)

   萩原さん:大統領官邸の真上に落ちたと、それはあかんな、(会場笑い)
   杉野さん:韓国政府からは止めろといわれているんです。

それでね、これをね、『紙の爆弾はサイルよりもっとすごいんだ』と、このイミンボクさんが言ってるんですよ。これが本当のその通りでね、何でかというと、彼は、こういうふうに言ったんですよ。

『闇が濃いければ、つまり、もう漆黒の闇、真っ暗闇のところは、マッチ一本でも明るく感じるでしょう?』と。『北は今、正にそれなんですよ。何にも情報がないから、マッチ一本の火が明るく感じるように、このチラシがですね、いかに大きな威力を発揮するか』というて。

これはね、一枚だけど、もう一つは、金日成の写真を入れてるんですよ。写真入れたら、向こうの法律で《丁重に奉らなければならない》という法律があるんですよ。だから、ばーっとやって破ることも出来ない。お尻に敷くことも出来ない。ポケットの入れることも出来ない。丁重に奉じなければならないから、恭しく持っていかなければならないんですよ。それで、関係機関に申告しなければならない。それでその間に読むじゃないですか?(会場笑い)

そこ、上手いことやってましてね。考えているんですよ。ま、あの手この手でね。それが何の意味があるのかというと・・要するに、私の考えでは、金正日と人民とを引き離すこと。引き離せというのが私の意見で。。

それで、引き離さないで・・先ほども、武力攻撃と言うお言葉も、出ていました。お気持ちはよくわかります。もうイライラ、みんな、いい加減腹立ってるから。一発噛ましてやろうと。それをやればやるほど、人民が、金正日のまわりに団結するんです。日本の野郎が我が国に武力攻撃をしようとしているとか、アメリカが今にもパトリオットだ、イージス艦だといって攻撃しようとしていると言うと、今まで金正日の悪口を言っていた国民までが、我が国を守らなければならないと団結してしまうんです。それは、もう逆なんです。そうじゃなくて、逆に切り離す。切り離すための何が良いのかというと、それが、正に、この紙の爆弾なんですね。金正日は父親を殺したんだなんてことが、みんなものすごく興味深く読むわけですね。だから、僕は、あの国に情報を入れる。徹底的に情報を入れる。

情報がないから、国民がうその報道、嘘の宣伝、嘘の口コミで、みんな惑わされて、金正日になんだかんだ言ってついて行ってる。
これを断ち切らなければならない。それで、僕も、腹に据えかねて、それで書いたのがですね、これ。文庫本になりましてね。私は一塊のジャーナリストで力がない。そやけど、ジャーナリストのやれる分野もまだたくさんあります。

この中心課題はね、《金正日は、父親金日成を殺した?》 (?)クウェスチョン付けてますけど。それから、《200万、300万の人民を餓死と称して殺人行為を行った》 3つ目が、《金正日は、核危機を演出することによって、反政府に向かってくる(国民を)、反米に持っていった。》 腹が減った、食料くれと言って国民が、おこりますね、それを、核危機を、わざと、上空に飛んでいる衛星通信のスパイ衛星で、写させて、核製造をわざと見せつけて、つまり(北朝鮮国民が)反政府に向かうところを反米に持っていった。

この3つをですね、これ書いたんですよ。それで、これをどうしてもアメリカ人にわからせたくて、もう、お金のない私が英訳本作ったんですよ。一冊、欲しい方にあげますから。

アメリカ人に一目でわかるように
   
   金日成は、金正日によって殺された?
   金正日は、200万ないし300万人の人民は、飢餓を装って餓死殺人された。二番目ね
   三番目、核危機は、反政府に向かうのを、反米にすり替える術策であった。

この3つを、アメリカにね、ぱっと見て直ぐわかるように、持って、僕は、去年の7月いっぱい、アメリカで走り回っていました。
ライス国務長官、ご存じでしょう。よく漫画になる、黒人で、漫画にしたら面白い顔のおばさん。あの人にどうしても読んで欲しかったんですよ。その人に一番接触している、マイケル・グリーンという補佐官。ブッシュの補佐官、半年前までやっていた人にあったんですよ。この人、日本語ものすごく堪能でしてね、上手ですね、『何処で勉強したんですか』って言ったら、『静岡に二年いました。』なんて。『東京大学にも4年おりました。』って。それは上手いはずですよね、6年いれば。

彼に、萩原さん:『あんた、ライス長官と親しいだろう』
   マイケルグリーンさん:『非常に親しい』
   萩原さん:『絶対これ、ライス長官に渡してくれるか?』
   マイケルグリーン:『絶対渡します』

彼はね、彼が乗ってきたのは、『二番と三番は判っていたが、一番は、これは知らなかった。』というわけですよ。金日成は、息子に殺されたというのは。『なんでそうなったんですか』といきなりのってきたんですよ。

そこは、日本の知識人は、(知識人たくさんおるから、差し障りあるかな?どうかな)知ってて知らん顔をします。知って知らん顔します。アメリカ人は、非常に直接的、直裁というか、直ぐに乗ってくるんです。『これ知らなかった。どういう事ですか』と。二時頃だったんですが、『今日はこれで引き上げて、早くこれを読みたい。』と言い出して。

結局、そのマイケル・グリーンが40冊、これ引き受けてくれました。全部ただで配ったんです。あなた20冊、あなた20冊といって。300冊持っていって、それで、政府の要人、それからむこうの北朝鮮研究者、全部配ってね。

『とにかく、あなた方、こいつと、いつまでだらだら、だらだらつきあっているんだ』と。
『こいつをはずせ』と。『はずして、次ぎに変わる者を持ってこい』というのが、私の主張なんです。

これ、私、正日相手にする時代は去ったと、そういうこと、いろんなところで言い出したらですね、そうしたら、私の主張が、こんな形で世論になりつつあるんです。『首をすげ替えろ』と。『金正日の首を長男の正男にすげ替えろ』と。僕がとは言わんが、僕のあれが、効いたと思うんです。

今まで、『後継者が誰だ』、みなさん聞いたことがあるでしょう?高英起(コ・ヨンヒ)という二番目の奥さんとの間に、高ジョンチョルというね、割合背の高い、いい男がおるんです。24~5で。その弟が、コウヨンウンという、これはずんぐりむっくりの、親父そっくりの体やけど。あの、長男はね、お母さん似の非常に細面の、これが本命だというて、日本のマスコミやら、専門科と言う人が、ジョンチョルだ、ヨンウンやというて。僕が、『そんなこととんでもない。後継者決めるのは中国だよ、中国にいる正男だよ』と言ったら、僕のあれ以来、ぴたりと止みました。そいで、こういう線で落ち着きつつある。

何故か、これも、今朝の新聞だけど、ばっちり写真が出てるんですよ。ご覧になった方もあると思いますが。
これ、正男ですね、北京の正男です。2001年に、成田に来ましたでしょう。女性同伴でね。
(会場から他の新聞にも載っていると言う声)日経にも、朝日にも、じゃぁ、今日一斉に載ったんだ。

正男はね、今、中国と、北朝鮮はどういう関係になっているかというと、一口で言えば、『属国』です。『属国』。
これは、興味のある方だけ。僕はね、初めてね、産経が出してる正論にね、『中国の属国化する北朝鮮』というのを書いたんです。そしたらね、えらいね、日本の専門家たち・・毎日テレビ出てて、勉強できるわけないんですよ。だから、同じ事、ばっかりいってるでしょう?だから、『萩原さん、一回ぐら、テレビ、出てくださいよ』ていうんですけど、『いやー、僕は、御免被る』ってね。僕は、テレビでね、一回朝鮮総連批判やったら、テレビから総スカン食らって、『あいつはやばい奴だから、生で絶対出すな』と。『もう、いらん』と、こっちから断ってるんですよ。

《中国の属国化する北朝鮮》 と言ったら、どういうことかというと、みなさん、ちょっとね、この界隈でも、被害があったと思うけど、マンホールのふた、消えてますね、どぶの鉄のふた、消えてますね、それから、電線、そこいらの工事現場の。電線がごっそり盗まれている。頻々と起きている。何処に行ってると思います?

中国に行ってるんですよ。全部中国に行ってるんですよ。ということは、中国が窃盗団を組織して盗っていっているということを言っているのではないんですよ。中国の経済発展が、もう急激に進んでいるために、値段が高騰してね、みなさんの理解のために、ちょっとご披露しておきますが、これも、東京新聞、千葉でも側溝のふた、きれいに消えています。百何十枚。あっちもこっちも頻々として起きている原因は、銅がですね、これ、住友電工の社長の松本まさよしさんという人が言ってるんですが、『銅が約二年前までは、一トン30万円前後でしたが、今は、80~100万です。』たった二年で三倍でしょう。そこに原因があるわけですよ。

朝鮮戦争の時には、年配の方は、わかるでしょうけど、特に高く売れたのは、真鍮、銅(あかがね)、もっていけば、それから鉄くず、持っていったら何処でも買ってくれた時代がありました。それを上回る事態になっていると言うことは、中国の経済発展が、ものすごく発達してきていて、よその国のどぶ板までもっていく。

それが、中朝関係にどういう影響を与えているかというとどういう影響を及ぼしているかというと、中国は、川一つ隔てた北朝鮮が、実は、地下資源の宝庫であるということは、前からわかっていたんだけれど。ところが、中国が、そんなに経済発展が、ここ10年ぐらいで、経済発展が、高まるとは、おそらく、みなさんも知らなかったでしょう?今日10年ぐらいで、こんなになるとは思わなかったでしょう?それがこうなっている。もう、急激なんですよ。

そこで、目を付けたのが、実は北朝鮮だと。
北朝鮮の地下資源というのは、これは、日本が植民地にしていた頃から、膨大な地下資源があるのは、もうよう判っていたんです。調査もちゃんとあります。その地下資源がどれだけの量かというたら、 日本のお金にしてですよ。日本のお金にして、183兆円。タングステンは、世界一。タングステンと言ったら、劣化ウラン弾、装甲車や戦車をどーーんと貫く、すごい鋼(はがね)の弾ね。これに欠かせないのが、タングステン。これが、世界第一の埋蔵量ね。それから、世界四位の埋蔵量は、モリブデン。これも、兵器には欠かせない。モリブデン、これが世界四位の埋蔵量。そんなものが、川一つ隔てた目の前にわかったから、もう急激な北朝鮮進出をやっているんです。

白頭山って聞いたことがあるでしょう?白頭山のそばに、茂山(モサン)というところがあります。埋蔵量15億トン、これも世界最大とは言わんが、東北アジア最大の鉄鉱石の鉱山。これをたった、9億ドルで買い取っているんです。50年独占。

それから、港はね、ラジン。帰国船が、着く港が、清津(チョンジン)の港と言う港。清津と言う港、ここが、満州を日本が持っていた頃の巨大な不凍港なんですよ。凍らない。だから、年がら年中、船が出入りしている、真冬でも船が出入りする。その上に、ラジンというもっと良い軍港があるんですが、ここを、50年、中国は買い取りました。買い取ったおかげで、旧満州の穀倉地帯で、大豆、小麦、よくとれます。それを、日本海に直に流すんだって。日本海に。

今までだったら、汽車でね、大連まで、延々1500キロ持っていって。そして大連から積み出して、上海とか、四川省のね、大消費地に向かうと。それが、なんと、こっちの、日本海にでて、釜山におろせばね、もう半分以下の運送費と日数が、短縮されると。ということはね、中国は、去年輸送の関係で、一千万トンの穀物を全部、腐らせているんですよ。一千万トンですよ。そごいでしょう。五億トンの中の一千万トンだから、中国は、たいした額じゃないと言うが、そう言うのを腐らせる事が無くなるんですよ。
だから、物流の基地に、そのラジンという港が、こんどは香港に変わるように、香港に匹敵する、大はぶ港にな流と言う状況が、今あります。

それと、燃料供給地として、地下資源、豊富な地下資源を、中国が、ごっそり持っていく段階になっています。   

| | コメント (0)

萩原遼さんの講演 -越谷-(1)


   越谷集会萩原遼先生の講演(1)

1172905910

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

名刺も持たずに失礼いたしております。
私の所属団体は『北朝鮮帰国者の命と人権を守る会』と申しまして、60年代に沢山の方が、在日の方、日本人妻の方が『地上の楽園に戻ろう』という美しいことばで、北朝鮮に大挙、10万人近くが、帰国と称する--まぁ、拉致だと私は言っているんですが--(北朝鮮に)帰国をされました。

この方々が、もう、ひどいめにあって、銃殺されたり、強制収容所に送られたり、いろんなひどい目にあって、その消息が、密かに手紙やなにかで伝わって参りまして、ぼくらも、もう放っておけないということで、こういう団体を作りまして、今日まで12年間、始めは結成集会は、150人、「たくさん来てくれたな」と思ったら、50人が総連の暴力団。みんな殴られて、めちゃくちゃにされて、横断幕引きちぎられて、マイク引きちぎられてね、大変な中で、結成集会やりましてね、代表の小川晴久さんが、東大教授がですね、結成宣言読み上げるときに、みんなが、がーーっと押しかけてきたもんだから、ぼくらが、老兵がスクラム組んで、小川さん守って、小川さんは、天井向いて首しめられて、『結成宣言!』というのをやった。そんな中で、もう争乱のなかで暴力で、朝鮮総連の暴力とのなかでやった。あいつらは、暴力で、僕らをやっつけることはできないという、最初の先鞭をつけたんです。

だから、今みなさんが集会やっても、総連はこんでしょう?来たら、僕が、皆さんの前に立って、『おまえら、なんだ!』ってやりますから、こっちだって、適当に暴力ふるいますから。(会場笑い)
その団体の名誉代表やっておりますから、ちょっと名刺も持たずに、失礼しておりますが。

このぼくらの団体は、野口さんの団体とと提携して、もうすでに、130人返したんですよ。日本に130人帰ってます。(拍手)

おととい、関西の事務所がありまして、山田文明代表のご自宅を二部屋、我々の事務所代わりに、こういう方々が来たら、いつでも、その晩から泊まれて、という、74のお母さん、41才の娘さん、2人脱出して無事関西につきまして、僕らの事務所で、その晩歓迎集会やって、そしてお風呂にちゃんと入ってもらって、『もう夢のようです、45年ぶりです。』といって、日本妻が帰ってまいりまして、それを僕は見届けて、それで、古藤さんのこの集会に、夕べ遅く駆け付けてという、こういう段取りです。

とれとれの帰国者が、今二人。
これは、野口さんのほうの難民救援基金のね。こういう連携なんです。
野口さんは、体をはって、中朝国境でやって、ご自身も捕まってひどい目にあって、日本に送ってくださる。その人達を僕らは受け取って、そして定着支援して、まず生活保護をとってあげること。それから、日本語ほとんど判りません。74のお母さんがたどたどしい、日本語がわかります。、、もう、ほとんど忘れてる。娘さん、41、可哀想に、電球を作っているフィラメントを何か、ガソリンを蒸発させて、その蒸発したガソリンが目に入って、片目がほとんど見えない。気の毒なんです。劣悪な北朝鮮の人権無視の工場の実態の、そういう方を、もう一人一人一本釣りで、僕らが日本に呼び寄せて、祖国で、とにかく幸せに、最後の晩年。。あるいは、子供さん達、孫、若い子もいます。ものすごい優秀な子供がいまして。

みなさん喜んでください。たった一年で、大検。三科目通ったんですよ。日本語一言も判らなかった子が、大検、去年の12月に。そいでその子に、今、24才の娘ですが、みんな、どうしても、東大に行かせたいというてね、みんなで一生懸命やってるんですよ。まぁ、東大じゃなくても良いけど、入って。そういう事こそが、僕は、真の国際貢献だと思いますので、(拍手)

藤田進さんの従兄弟の、大平さん、是非申し上げたいのはね、いろんな情報もってきていますから、必ず、拉致の人たちにも、良い影響をもたらします。

今、ひとことだけ。まだ、表に出してないから、みなさんに言うて、あとで僕がどっかから怒られるかもわからんから。
こういうことがあります。日本にいた固定スパイ、わかりますね。それは、拉致専門にずっと調査して、そしてそれを本体の北の工作員に知らせる。・・する。日本にいた固定スパイ。僕らに回り回って、こんな情報伝えてきてる。万景峰号の上には、家族訪問だとか、在日朝鮮人が乗って、船底には拉致した日本人がおって、拉致して連れて行って。「それを担当していた人から、自分は聞いた」って言ってるんです。だから、17人と政府は言っているけど、17人どころではないんですよ。ま、それでその人の話では、『私は、拉致は500人以上と思っていますよ』と。

ですから、そう言う状況の中で、それは、腹が立って煮えくりかえる思うでしょうが、これは、何というても、日本の政府は、見て見ぬふりをして、万景峰号を自由自在に入れていたんです。そこに、根本的問題があるわけでね、ようやく国民の厳しい目が、政府にも向かって、政府も好き勝手に出来なくなったと。そう言う状況にありますから。事態は少しずつですが、発展していますから、みんな、希望を持ちましょう。希望を持って、絶対に、諦めない。

今日も新聞見ておって本当にむかついたのはね、女たらしの、自民党の議員いるでしょう?福岡から出ている・・会場から『ヤマタク』・・ヤマタク。それが雑誌かなんかに書いてる。『日本は拉致ばかり言うとると、バスに乗り遅れるぞ』と。なんちゅうこというんやと。あの男、僕は、もうみなさん、はっきり言いますけど、女との絡みの写真を撮られてるんですよ。だから、あいつは、それを脅しにされてるから、北が来いというたら、もう、飛んでいかなならん状況にあるんです。そんな奴が、何をいうかと。みんさんのように、一生懸命、やってる人に、ご家族の神経をですね、逆なでするようなこというてね、それで北の代弁しとる、変わりに言うとる。そんな馬鹿な奴がおるから、私たちの運動に水をかけて水をかけて、やってるんですが、ようやく彼も、化けの皮、剥げますから。

それでね、みなさん北朝鮮に観光に行くというのは、絶対行かないでください。どういう事になるか?ホテル着きます。ドアあけます、真っ裸の女性が、ばっとでてきて、ばっちり写真とられています。それが切り崩しなんですから。絶対に北朝鮮に観光であってもいかんでください。今いかんでください。自由と民主主義が回復したときに、なんぼでも、僕が旗もって、せいじょう軍よろしく、僕行きますから、どんどん後付いてきてください。そう言う日が、必ず来ますから。今は、観光ぐらいいいやろ、というたら、必ず(そういうことになる)・・。ヤマタクは、下半身が緩い人ですからあれだけどね。みなさん堅固な人でも、やられるんだから、絶対、いかんでください。そう言うシステムつくってるんだから、絶対いかんでくださいね。

そこで、これを一冊売ったら、500円、お金がはいる。僕にじゃない。ぼくらの運動に入ってくる。これを売って僕らは活動資金作ってます。これ700円。これで500円儲かります。なんでそんなに安いんだ?原価200円。これね、ボクが韓国に行って、韓国で作ってるから。原価200円。500円は、飛行機代、滞在費、なんとか。こどもの教育費、どうしても、月三万いるんですよ。どうしても、日本語教育に。そんなお金にかけてますから、絶対買ってください。私の本は、買わんでも、これは、買ってください。

それで、ちょっとみなさんに、ご紹介しておきたいのがあるんですが、こういう新聞がでているのが、東京新聞、今日、これいいですよ。これほんとによく出ていますよ。今日ここに這ってあるかとおもったんです。(2月11日東京新聞朝刊:北朝鮮拉致の現状)良くできてます。東京新聞、関東六大紙だから、どこかで、もらって、壁に貼っておきましょう。広い壁がある人、貼っておきましょう。一目瞭然。あとでみてくださいね。
北朝鮮拉致の現状、何人、どこから、田口八重子さん、田中実さん、全部出ています。救う会独自認定の7人。
藤田進さんはでてないのかな。。。いずれにしましても。。
で、この中に、ばっちり書いてるのは、特定失踪者問題調査会の事務局長の荒木和博さん、ばっちり書いてますから。荒木さんが良いこと言ってるんですよ。

『現在日本は、対話と圧力との方針の下に、拉致問題の解決を目指している。しかし、今の政府には、拉致が安全保障上の問題であるという視点が決定的に欠如している。拉致被害者の中には、かつて曾我ひとみさんがそうであったように、政府も私たちも気づいていない人が、まだ多数いる。それらの人達も助け出すには、あの体制を変えてしまう以外方法はない。』そこまで言ってる。『拉致は、北朝鮮という異常な国家のみならず、それを知っていながら放置してきた日本という異常な国家のコラボレーションである』共同作業ね。『この問題の全貌が明らかになったとき、日本の戦後史は必ず書き換えを迫られる。』と。ここまでね、明確に荒木和博調査会代表はおっしゃった。素晴らしいメッセージであるし、これほど、力強いメッセージは、もうないと思うんですね。

一般の新聞が情報が少ないのは確かですが、良心的な記者もいっぱいいますから、そう言う方々も、社内で色々な制約の中で頑張っておられるということを、ひとつみなさんもご理解いただいて評価もしてやって欲しいと思います。

もうひとつ、これも、みなさんのご紹介したいと。
僕は、朝日も毎日もやめました。東京新聞だけ取ってます。これは、今朝駅で買いました。

~PPMの歌の記事の紹介 萩原先生が、この対訳を朗読~

SONG FOR MEGUMI

めぐみに捧ぐ歌(対訳)産経新聞2月12日記事より

  めぐみ何か話して。そしてもうすぐ私のそばにいるって言ってほしいわ。
 あなたのいない明日がずうーっと続くなんて思うと
 哀しみの涙があふれます。

  あなたは、まだ若い乙女なのに全ての夢を砕かれたのよね。
 そして別れの挨拶どころか何の言葉も無くいなくなったの。

  めぐみを私に返してください。
 荒ぶる大海の向こうより力の限り魂を叫びなさい。
 私の心なら必ずそれが聞こえるから
 そしたらあなたは家に帰るのよ。

  めぐみ、こっちに来て、あなたはどこに。
 風の中にあなたの声が聞こえます。

  めぐみを私に返してください。
 荒ぶる大海の向こうより力の限り魂を叫びなさい。
 私の心なら必ずそれが聞こえるから
 そしたらあなたは家に帰るのよ。
 私に返してください。私のめぐみを。

この歌が、近く、なんですか、この新聞によると、ポールさんは17日に来日して、18日には都内のライブハウスで横田夫妻に歌を披露すると、こうありますので、みなさんも何かご都合がついたら、行ってあげてください。   

| | コメント (0)

特定失踪者家族の訴え(越谷)

第二回埼玉県東部の会 講演会
~今年中に拉致被害者全員を救出へ~
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

『特定失踪者家族の訴え』

0001068m

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)

こんにちは、はじめまして。
私「拉致問題を考える川口の会」の鈴木と申します。
現在拉致問題は大変困難な状況を迎え、解決にはかなりの難しい局面を迎えているんじゃないか?というふうに思います。
いかなる状況下にありましても、終始「北朝鮮に拉致された日本人を救出しよう」と、この言葉ほど私ども家族に取りまして、なんとしても心強く大きく胸を打ち、お力添え・ご支援をいただきます事は私どもの精神的な大きな支柱になっておりまして、本日はお休みの中をご来場いただきました会場の皆さん。
このような催しをご準備いただきました救う会東部の皆様方に、この席をお借りまして厚く御礼を申し上げます。

「川口の会」の立ち上げにつきまして若干お話させていただきたいと思います。
拉致被害者・田口八重子さんが17歳まで住んでいた地元町内会からの発信でございまして、田口八重子さんの家族と当初より支持・支援をいただきました行政とによりまして、「田口八重子さんを救う市民の会」として発足し、その後本籍・住居・勤務先等大変川口市に関わりの深い特定失踪者家族が加わりまして、家族・市民・行政と三位一体となった会の特徴から「拉致問題を考える川口の会」として、定期的な署名活動、ビラ・チラシの配布、会合、集会等においてのアピールと言う活動を継続しまして現在に至っておるわけでございます。

一方、私の弟も特定失踪者でございまして、先ほど来、杉野専務の方からお話をいただきました拉致事件の全貌の解明、失踪者の拉致の疑惑の有無、さらに拉致被害者の救出活動を支援されておる特定失踪者問題調査会に届出をしまして調査を依頼して参りました。
先ほどお話がございましたように特定失踪者と言いますと、公開・未公開者を含めまして460名。
それと埼玉県内でどれくらい特定失踪者がおるか?と言いますと15名。
15名のうちの6名が川口市に関係でございます。
これよりちょっと田口八重子さんのご家族、それと特定失踪者の私どもの家族もこちらにお邪魔していますので、ちょっと紹介をさせていただきたいと思います。
じゃ、すみません、ご家族の方こちらにお願いします。(会場脇に控えたご家族が登壇)

拉致被害者・田口八重子さんのお兄さんです。

★飯塚進さん(田口八重子さんの次兄)

(拍手)みなさんこんにちは。
私、田口八重子の2番目の兄の飯塚進と申します。
八重子が生まれ育った地元・川口に住んでおります。
八重子が拉致されましてから四半世紀もとうに過ぎて、まだ一向に話の進展が無く、いつになったら帰ってくるのやら本当にいつもいつも八重子の事を思って心配しております。
どうかこれからも皆さん、よろしくお願いします。
ご支援よろしくお願いします。(拍手)

★鈴木智さん

田口八重子さんの右側から6名が川口に何らかの関わりのある特定失踪者でございます。
井上克美さん、この方は46年の12月の29日に、お勤めが川口なんですね。
川口の会社の忘年会を終えた後、友人と別れた以降行方不明という事でございまして、年明けにお子さんが生まれる間際だったという事でございますので、自らの意思あるいは何らかの事情によって自分からね。
家出をするとかあるいは何らかの事とついては考え難い、いう事でございます。

次に鈴木賢でございます。
私の弟でございます。
47年の5月の28日になりますけども、その年に就職した会社の春のレクリェーションという事でもって、奥多摩に行くという事で当時の自宅でありました三芳町藤久保の家を朝6時に出てます。
今年で35年になると思うんですけど、この間、何らかの音沙汰と言いますか風の便りと言いますかね。
そういう事すらなく、全くの音信不通で現在を迎えております。

次に藤田進さんのお従兄弟さんの大平さんがお見えになっていますので、大平さんの方から。

★大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)

こんにちは。
私は藤田進の従兄弟の大平と申します。
後ほどお時間をいただけるそうなので、その時に藤田の事を少しお話させていただこうと思っております。

★鈴木賢さん

はい、すみません。
丁度真ん中にいる方が新木章さんですね。
新木章さんは昭和52年5月の21日の日に、川口市の自宅から「外出をするよと言って家を出たまま行方不明でございます。

佐々木悦子さんのお母さんが見えてますので。

★佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)

皆様こんにちは。
いつもお世話になっております。
私、特定失踪者問題調査会の方でお世話になっております、佐々木悦子の母です。
よろしくお願いします。
うちの娘は結婚5年目でしたんですけども、埼玉銀行に勤めておりまして平成3年4月22日月曜日、朝出たまま。
銀行の方には行っておりません。
パスポートや免許証も家に置いたまま、社内預金なんかも全然手付かずのままで、後で免許証の書き換えとか戸籍の移動なんかも一切無く、何の連絡も無いんです。
私も娘が日本の土を踏むまでは頑張って頑張り抜いていきたいと思います。
皆様これからもご支援をよろしくお願いします。(拍手)

★鈴木智さん

石井久宏さんです。
石井久宏さんは、49年の5月の1日に失踪でございまして、100万円以上の営業資金を持ったまま自家用車で行方不明、いうことでもって現在まで何の消息もございません。

川口関係は以上なんですけども、こちらにですね。
生島さんがお見えになっていますので、どうぞこちらにどうぞ。
どうぞ、一言お願いします。

★生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)

皆様こんにちは。
私の妹・生島孝子は東京でいなくなりましたので、こちらの会には申し訳ないんですが、同じ特定失踪者という事で皆様に知っていただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

★鈴木智さん

今、田口八重子さんの写真と特定失踪者の6名の横断幕と、それから生島さんの紹介をさせていただきましたけども、私思いますのに特定失踪者が全部が全部拉致されたとは思っておりません。
がしかし、数人か数十人か数百人か分かりませんけども、北朝鮮で拘束され肉親を思い祖国を思って救出を待ち続けている、特定失踪者と言われている人が必ずやいる事は間違いの無い所だろうというふうに思っております。
北朝鮮にはたびたび日本は私どもは、いつもいつも騙され・試され・脅かされて全くこの状況をですね。
私ども考えて見ますと何ともやり切れません。
空しさ・歯がゆさ・悔しさ、このような気持ちを一体どこにぶつけたら良いんでしょうか?

ひとつは、私どもはやはりこの救出活動の歩みを止めない。
あるいは救出活動の火を消さない。
救出活動の炎を赤々と燃やし続ける事が一つではないか?と思います。
もう一つはやはり先ほど杉野専務の方からもお話がございましたけど、我々の世代でこの拉致問題を解決できなかったとしたならば、これは何と言っても日本の国の最大の汚点であり、この拉致問題を先送りする事がございましたらば、日本の最大の汚点として末代に亘って未来永劫残されていくんじゃないか?と大変危惧しております。

その為にもなんとしても我々の世代で、今年中とか来年中とか言っていますけども、やはり私はこの解決についてはかなりの長い道のりを覚悟をせねばならないと言うふうに思っております。
皆さん方に更なるご支援をいただきまして、我々としましても今まで以上にこの救出活動を加速させていきたいというふうに考えております。
本日はありがとうございました。(拍手)

| | コメント (0)

杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 

第二回埼玉県東部の会 講演会
~今年中に拉致被害者全員を救出へ~
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 』

0001065m

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

皆さん、こんにちは。
調査会の杉野でございます。
今日はお招きを頂きまして大変ありがたく思っております。

今、古藤さんからもお話がございましたように拉致問題。
この問題、いわゆる家族会が出来てから10年経つわけですけども、全くまだ問題は解決していない。
私ども調査会ができたのが今からちょうど4年前でございます。
4年もこの問題をやっているとは私も思わなかったわけですけども、やはりそれだけ根が深い問題である、という事であろうと思います。
今日は私ども調査会の活動についてご説明をしていただきたい、という事でございますので、現在我々がどういう事をしているか?という事を話しながら、この拉致問題についてお話をしていきたいなと言うふうに考えています。

冒頭、ちょっとお話にもありましたけれども丁度6カ国協議が行なわれて、今日で終るような事を発表したようですけども、基本的には核問題について話し合う。
日本国政府もその中に何とか拉致問題を議題として、議題と言いますかテーブルに持ち出したいということは仰っておりますけども、これは枠組みとしては中々難しい問題である事はこれ間違いがありません。
拉致問題と言うのは基本的にはやはり北朝鮮と日本の問題である、と言うのが他の4ヶ国の認識であります。
じゃあ、日本と北朝鮮で協議が出来るか?中々出来ない。
いろんな所でキャッチボールを6ヶ国でやっているわけですけども、日本が投げる球を北朝鮮はキャッチしないわけですね。
ですからこの場で何かが出来ると拉致問題について何かが出来ると、中々期待は出来ないわけであります。

しかしながら、拉致問題だけを考えるとそうなんでありますけども、北朝鮮を攻め込んで行くにはやはり国際的な、やはり皆で力を合わせて追い込んでいくしかない。
その時一番有効な手立ては人権の問題なんですね。
北朝鮮の人権問題、拉致問題は当然のことです。
こちらの自国民を虐待している。
あるいは日本からの帰国者は、これはかなり昔から差別をされ、そして中には収容所送りにされている。
その強制収容所の実態というのも重要な問題であるわけであります。
こういった問題で北朝鮮を追い込んでいく。

人権の問題というのは、ある意味では世界共通の問題でありますし、しかも6ヶ国協議の議長国である中国も野口さんからお話がありましたように、非常に面映いと言うかこれで突かれると中国としてもあまり大きい顔は出来ない、いう事なんです。
そういう事で我々もいろいろな民間機関、難民救援基金や守る会あるいはRENK、そういったところと力を合わせながら、この問題を解決していきたいと言うふうに思っています。

我々の活動という事なんですけど、現在一つは昨年の秋からですね。
私どもマッピングリストと言うものを逐次公表を致しております。
毎月一回ずつ、一つか二つずつなんですけど、このマッピングリストと言うのはですね。
マップと言って地図と言う意味なんですけど、実は私どものところに今特定失踪者と呼ばれるリスト、460名の方がいらっしゃる、失踪者がいらっしゃるんです。
今日もご家族の方見えられているんですけども、この人たち、我々出来た当初からですね。
データを作っていくわけですけれども、明らかに共通点と言うのが出てくる、出て来たわけなんです。

私どもがこれまで発表した項目を簡単に申し上げますと、まず第一番目は目撃証言があった人。
これはかなり最近になってからなんですけど、北朝鮮の中で目撃証言のあった方と言うのを並べています。
それから朝鮮半島での失踪者、これは韓国なんですけども見つかったわけです。
それから医療関係、特に女性の方で看護婦さんでいなくなっている方が、かなりたくさんおられるという事でございます。
これ医療関係全部あわせますと、これ20名近くの方が460人の中でいなくなっている。

それから電話関係者、これはいわゆる電電公社の社員だったりとか、あるいは今生島(特定失踪者・生島孝子さんの姉)さんおられますけど、電話交換手をされていた方。
そういった方々が非常にたくさんいなくなっている。
それからアベック、それからご夫婦での失踪者。
これはなぜか1970年代に前半と後半に固まってポンポンと非常に奇妙ないなくなり方をされている、いう事でございます。
後半と言われますと、今帰っていられる蓮池さん・地村さん、それから鹿児島の市川さん・増元さんといったような方々ですけども、特定失踪者の中にもこの時期に非常にたくさんの方がいなくなられている、いうことでございます。

それから印刷関係者、これは最近でもちょっと話題になりましたけども、1970年を中心とした前後に印刷工あるいは印刷技術あるいは印刷の原版を作るのに重要な技術を持っている方、これがいなくなっています。
地域とするとこれは東京の東部から千葉にかけて、という事でございます。
それからこれは一緒くたなんですけど、原子力発電・核兵器・ミサイル開発、これは当然北朝鮮をミサイルあるいは核という事を見越して、というふうにしていたわけですけども、こういう方がたくさんいなくなっている。

中にはですね。
かなりご年配の方ならご存知かもしれませんけど、かつてはココム規制品というのが、対共産国主義国に輸出してはいけない品物と言うのがございまして、こういうのを作っていた日本でもかなり最高の技術を持っていた方がいなくなっている。
テポドンが飛んできて日本列島を越えて太平洋に落っこちた、という事がございましたけど、あの時はその失踪者の同僚の方が、「あれはあいつの技術でミサイルが飛んで来たんだよ」と言うふうに友達が言っていた、同僚が言っていた、いう事でございます。
そのくらい高度な技術を持った方がいなくなっている、いうことです。

それから失踪前後に不審な電話があったというような方が、これも非常に頻繁に見られるいう事でございます。
これはどういう事か?我々も中々図りかねるわけですけども、ひょっとすると拉致をした方が家族がどういうふうに感じているのか?探るために電話をして来たと。
あるいは、無言電話と言うのがあるんですけど、攫われる前に本人が「最後に一回だけ電話してもいい」と言われた。
それで無言だけど電話をして来た、という事かもしれません。
これは色々考えられるわけですけども、失踪直後に不振な電話がある。
これは割りと年数が下ってからもですね。
電話が本人、あるいは本人を知っている者から電話がかかってきたとしか思えない、と言うような電話が頻繁にあるということでございます。

それから後は年代的にですね。
例えば1980年代中盤あるいは90年代の初めに若い女性がいなくなっている、いうことがございます。
今日お出でになっております佐々木さんのお母さんでいらっしゃいますけども、佐々木悦子さんもこれに該当する方でございます。
それから学歴なんですけどもこれが非常に奇妙で、同じ中学校と高校だけに限定しますと14件の方が同じ中学・高校の出身でございます。
ここは埼玉ですから申し上げますけども、田口八重子さんと川口のご自宅からいなくなった新木章さん、この方同じ高校を卒業されています。
在籍は別だったんですけど後で同じ高校になっちゃったと言うパターンなんですけど、実はこういう同じケースが全国でも14件ある。
これは中学・高校だけでも。

サンプル数で言うと実は460件全部がお届けされているわけではありませんので、分かっているだけ300件。
300数件なんですけども、この中で14件が同じ中学高校を卒業という事で、これ統計的に見ても非常におかしな話でございまして非常に注目をしている。
大学の話、これはちょっとマスコミにも出てますけど、関西のある有名な私立大学ですね。
ここからはなぜか在学中に失踪した方を含めて8名の方がいなくなっている、というような奇妙な事が起きています。

こういったマッピングリスト、実はまだ完成していませんで逐次発表しておりますけども、例えば今日お手元に資料がありますけども消えた川口の7人。
あるいはさっき佐々木さんの話、あるいは新木章さんの話も出ましたけど、この地域的な問題ですね。
埼玉県の川口市、たくさんの人がいなくなっている。
我々がいわゆる1000番台としている方のこの中には、藤田進さん・佐々木悦子さん・新木章さん。
非常にですね、怪しいケースがこの川口には集中している。

あるいは西の方に行きますと神戸ですとかね。
そういった非常にこれも偶然とは思えないような失踪が相次いでいるという事でございます。
これはこれからも徐々にまた増やしていきまして、現時点ではまだ載っていませんけど近くHP上でも公開いたしますので、是非これご覧になっていただきたい。

実はこの奇妙な共通点と言いますか、これは我々調査会が出来た年ですか。
平成15年今から4年前、調査会が出来て半年くらいのときに実は発表した事があるんですけども、当時は中々特定失踪者と言うのが注目をされていませんで、中々マスコミの方も食いつきが良くなかったんですけども、今年になりましてこういったものを発表しましたところ、少しずつ取り上げて下さっておられる。
捜査機関の方も、警察の方もかなり注目をして来ています。
いうことでございます。

こうした事は我々のみならずですね。
今言いました捜査機関でも当然やられていなければ、もしかしたらやっているかもしれませんが、我々は良く分かっておりません、どこまでやっておられるか?は。
という事でございます。
ただしこれは国内だけ、我々が出来うることの範囲内でございまして、我々国内だけの調査だけでは今後拉致問題の全容解明というのは当然出来ないわけです。

当然これから救出という事をすでに考えなければいけない時期に入っていると思います。
そうした事を考えた場合にですね。
我々北朝鮮からの情報収集という事を考えなければいけません。
皆さんご存知の方も多いかと思いますけれども、私ども「しおかぜ」と言う短波放送をやっています。
これは一昨年の11月から始めまして1年数ヶ月になりました。
この短波放送、実は北朝鮮から一番いいのは拉致被害者から直接の連絡が我々のところにあるのが一番いいわけですけども、現在のところそれはありません。
しかしながら北朝鮮内部で声は聴こえる。
聴いている人がいる、と言うところまでは我々把握は出来ております。

北朝鮮向けのラジオと言うのは我々だけでは無くてアメリカもやっておりますし韓国もやっておりますし、いろんな所でやっております。
それを聴いてくれると非常にありがたいと思っておりまして我々は今やっているわけですけども、情報という事から言いますと我々は中々今まで北朝鮮からの情報と言うのは受け取ることができない。
あるとすれば向こうの何とか放送のいい加減な放送をせいぜい見るしかない。

いう事なんですけども、しかしこの情報と言うのを我々が把握して、そして拉致被害者を救出するとするとき、例えば北朝鮮内部で何か異変があったときに我々が手を突っ込んで乗り込んで、誰がどこにいるか?と言うのを把握して、そして救出をしなければいけないわけでございます。
そうした場合にやっぱり情報と言うのは重要になってくる。
我々この「しおかぜ」、短波放送のラジオなんですけどそれを中心としてですね。
一応「しおかぜ」プロジェクトと名付けましていろんな情報を収集して、そして出来れば最終的には北朝鮮のどこに拉致被害者がいて、そしてどうやって救い出すか?
いう事をすでに考えなければいけないという事で作業を始めております。

その中の一つでですね。
ひとつはこの「しおかぜ」の役割はこちらからも情報を入れる。
ベルリンの壁が崩れたときも、最大の大きかったのはやはり西側の情報がどんどん入ってきた。
これによって東欧内部が緩んできたという事がございます。
そういう事を我々もやっていかなければいけない。
出来ればですね、個人的なんですけどガセ情報の一つでも流しましてですね。
金正日をちょっとうろたえさせたいという思いもあるんですが、そういったことで情報の流入、それから情報をどうやって入れるのか?いう事を一つはやっていく。

もう一つは、先ほど野口さんの話にもありましたように脱北者がどんどんどんどん流出している。
そこからの情報も我々取って行きたい、と思っております。
韓国内にたくさんの脱北者がおられる。
あるいは報道にもありますけど、タイにもたくさんに脱北者が今おられる。
1000人くらいと言うお話で、やはりタイ国境にもたくさんの脱北者が押し寄せて来ている。
こういったところから情報を取れないだろうか?という事で今我々はアプローチをしております。
中には日本にも行きたいと仰っている方も数人おられるそうで、そういった方にもアプローチして行こうという事で今作業を進めておる所でございます。

かなり雑駁な話ではあるんですけど、我々が今やらなければなりたいこと、これはもう救出に向けてどうやっていくか?という事でございます。
先ほど6ヶ国協議という事がありましたけど、野口さんからも韓国はそういう情勢だと。
アメリカですけど、アメリカの状況はですね。
頼りにしたいところは無いではあるんですれけど、アメリカもブッシュ政権非常にぐらついておりまして、一つはイラクに非常に集中をしなければいけない。
この間、兵力の増派ということもありましたけど、それをやっている片方でアメリカが北朝鮮を例えば軍事的にオペレーションをかけるという事は中々期待は出来ない、という事だと思います。

しかもこの拉致問題という事に関して言えばですね。
我々日本がかなり主導的になってやって行かなければならない。
国際的に圧力をかけるという事は当然ございます。
この間国連の高等弁務官のアマルディさんと言う方とお話をいたしました。
「国連として何とか北朝鮮に手を突っ込んでもらえないものだろうか?」と言うような質問がその場であったわけなんですけども、やっぱり国連と言うのはですね。
安全保障理事会で制裁決議が出れば別なんですけど、それ以外ですね。
国連が手を突っ込んでやるという事は、北朝鮮と言うのも一つの国とみなされているわけですから、その国の中に手を突っ込んであれをしろこれをしろという事は出来ない、という事になるようです。

拉致問題という事で言えば、なおさら「そりゃ北朝鮮はいかん」と、非難決議はすると思うんですけどだから何かをやるという事は中々出来ない。
国際的な信用を失うだけなんですけど、北朝鮮と言うのは元々国際的な信用と言うのはございません。
「あんた信用できないよ」と言われたからと言って中々それに従うと言う国ではございません。
そういう事を考えるとやはりこの拉致問題と言うのは日本人が、特に日本人の拉致被害者を救出するためには日本人が何とか頑張って取り戻すという事を考えるべきであります。

拉致被害者は現在12ヶ国に亘っていると言われておりますけども、その中で一番力がありそして救出が出来る国というのはやはり日本を置いて他に無いという事です。
これは日本だけではなくて、そういった国々をリードする役割を我々は果たさなければならない、と言うふうに思います。
冒頭ご挨拶で日本の国家と言うお話がありましたけど、やはりわれわれ日本と言う国、それが出来る国なんであります、能力としては。
しかしながら長いこと我々は同胞を、同じ日本人を拉致されてきた。

「それは国の責任だ」という事は間違いないんですけど、その時に国と言うのはただ日本政府と言うだけではありません。
我々日本国民全員という事であります。
拉致をされたのは我々日本人全員の責任でございます。
であれば、これを取り戻すのも我々国民一人ひとりの力であると思います。
何とか今年早いうちにこの問題を解決する。
その解決の一つ、というか最大の部分はあの独裁政権、金正日の独裁政権を倒すことにあると私は思います。

そうでなければ、我々は民主主義国家であります。
我々一人ひとりの力を合わせれば、たった一人がすべてを決めてそしてすべてを命令して、そして自国民を殺してしまうようなそういう国に我々負けるわけにはいかないんです。
是非ともそういう事を心に刻んで、まだこれからも頑張っていきたいと思いますので、ご協力をよろしくお願いします。(拍手) 

| | コメント (0)

2007年3月 8日 (木)

拉致を音楽で訴える『翼』発売

(つばさ)
     歌に乗せて、       

      この思い、 北まで届け!
 
 
 

先日来お知らせしている、『翼』のCDが、完成し、今日届きました。

ジャケットより
1986年4月、私は北朝鮮平壌の地を踏んだ。
演奏会を終えてホテルに戻る車中からデパートが目に飛び込んできた。通訳に言った。
『貴国の楽器を見たいので案内して欲しい』と。帰ってきた言葉は『先生、二時間待ってください』だった。
私は彼が忙しくて時間がとれないのであろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。
実はその間“お客様集め、人集め”をしていたのである。
車中から見たデパートは確かに明かりがなく、人影もなかったはずだが、二時間後訪れた時は人の波!
そしていつの間にか電気がついて照明が煌々と光っていた。何か違和感を感じた一瞬である。
帰国後10年、発覚したのは非人道的な行為、拉致であった。
多くの拉致被害者家族の悲痛な叫びを、私は直接この耳で聞いた。
私は動く決心をした!その家族の方々の思いを歌に乗せて、北の地まで必ずや届けと!
北の行為は、百万言説明しようが、弁明しようが、ゆるせない!許してはいけない!断じて許さない!

北からの1日も早い帰国の実現を願って
 藤井ひでりょう

CDは、レコード会社からのオファーもあったそうですが、敢えて自費出版となさったそうです。
著作権の関係から、CD化された曲の一部だけですが、ご紹介する許可を頂いていますので、下記リンク先で是非聞いてみてください。
ストリングスも入って、良い仕上がりになっています。

『翼(つばさ)』CDサンプル音声  (Blue jewel Voice)で聞いてください。
http://www.voiceblog.jp/blue-jewel-7/280969.html

翼 集会での演奏

敢えて自費出版にしたため、市販はされていません。

『翼』、『風』の二曲が入って、1000円です。
購入希望の方は、下記連絡先に電話またはFAX、郵便などで連絡してみてください。

藤井音楽事務所 電話/FAX(03)5609-9217

                        E-MAIL   hideryofujii@yahoo.co.jp

                       136-0072 東京都江東区大島3-1-13

第一回ライブのお知らせ

翼(つばさ)in ライブ

日時:3月11日(日)
時間:12:30開場
   13:00開演

場所:四谷天窓(高田馬場)

チケット料:¥3300円
      (ドリンク含む)

先着70名限定
前売りのみ、当日販売無し
定員になり次第締め切り

申込先:藤井音楽事務所
    03-5609-9217(電話)
    03-3215-0862(FAX)
四谷天窓
169-0075
東京都新宿区高田馬場3-4-11
Baba hatchビル3F
    03-5338-6241

| | コメント (0)

2007年3月 5日 (月)

中国共産党は地球を救う?―古き隣人中国を知ろう―

燕山の声 さんの投稿                投稿日: 3月 4日(日)

   発展・膨張を続ける都市に住む人たちの生活費を抑えるために、米や野菜・肉など生活必需一次産品の価格は中央政府の指導で低く抑えられているから、国が豊かになっても農民の収入は一向に増えない。農村と都市の貧富格差の根本原因はここにある。人口の過半数を占める8億人の農民たちは肥料や農薬を買う金にも困り、都会へ出稼ぎに出る。都市住民を支えるために地方農民が貧困を強いられているのである。なんだかひと頃の日本に似ているようで異なるのが、13億人という人口(無戸籍者を加えれば16億とも)。

中国の総人口は今も増え続けている。一人っ子政策も地方農村部では徹底していない。男尊女卑の因習残る田舎では男児ができるまで生みたがるから子供が複数いる家庭は珍しくないが、女児は(金のかかる)学校教育義務を避けるため親が戸籍に載せない。「農村で男児ばかり生まれるのは(おぞましい)間引きのせいだ」というのにはやや誇張があり、戸籍の無い女児を足せば、田舎でも男女同数に近いのである。もちろん間引きも無くはないが(そんなものは明治期の日本では全国にあった)、これから問題になりそうなのが(新医療技術の普及による)胎児性別診断による中絶。

13億の総人口の1割が日本人並みの生活レベルになれば、日本と同等の資源消費大国がひとつ増えることになる。3割がそうなればアメリカがもうひとつできてしまう。資源の大量消費とともに深刻な問題が環境汚染。中国政府も国民も環境への配慮は無いに等しいから発展につきものの環境破壊・汚染はよりひどいものになる。これらを懸念して「中国人民をこれ以上豊かにしてはならない」という物騒な本音が、他国のみならず中国の権力中枢内部にも見え隠れする。

ある党員は語った。「強い統治権力なくして十数億人を束ねるのは不可能、だから、政策への個別批判はある程度許しても政治体制(=共産党独裁)への批判は絶対に許されない。市場・経済開放を進めても思想統制は基本的に北朝鮮と変わらない。」(注:この規定は中国にいる日本のマスコミにも適用されるから、中国発のニュースは朝日でなくとも提灯記事になる)

中国の政治は共産党が握っているから、市長より市の党書記のほうが偉い。首相の温家宝よりも中国共産党総書記の胡錦濤の立場が上(主席)なのも同じ。この磐石の共産党一党独裁体制が仕切る弱者・農民切り捨て政策によって中国も日本もそして世界も、ある意味で救われているのかもしれない。もし仮に独裁のタガが外れ十数億の人民が野放図に豊かさを求め欧米日本並みの消費社会を享受し始めたらどうなるか。70年代初頭にローマクラブが警鐘した「成長の限界」を、図らずも中国が実証することになろう。

破滅へと向かう成長の過程で吐き出される汚染物質の害は我が日本がモロに被ることになる。成田から北京まで2500km、行きに4時間かかる飛行は、北京から成田へ戻る便では3時間である。この時間差は上空を中国から日本に向けて時速100kmの風が吹いていることを意味する。我々は中国に近い風下にいる。風上からやってくるのは春先の黄砂だけではない。(もうすぐ黄砂の季節だ。昨年の黄砂はとくにひどかった。内陸農村地域の砂漠化が拍車をかけているという。)

前回も述べたように、自分の日本人としての立場を差し引いて眺めれば、彼らの考えはそれなりにスジが通っており、外地ではむしろ当たり前の感覚であり、中東アラブ・イスラエルの連中に比べりゃおとなしいくらいだ。彼らの言うとおり、日本人こそが特殊であることに私も異存は無い。そして、こと権謀術策に長けた老獪・中国に対して戦後日本がとってきた単純無垢な反応、すなわち自分の蛸壺的思想立場から「やたらとホメたがる」か「やたらとケナしたがる姿勢は、あまりに子供じみていたといえる。

ここ数年、中国にいる日本人駐在員が心の病から自殺に至るケースが急増し、2004年には海外での国別邦人自殺者数で米国を抜き1位になった。ちっとも履行されない紙切れ同然の契約書、まったく守られない納期・入金、役人へのリベートと公令の朝令暮改、不平・文句を言い募る嫉妬深い労働者など、商習慣・文化の違いで日本からの指示との板ばさみになり苦労する例が多い。近代化で最近は少しマシになったというが、「予定通りに行かないのが中国」「顔は似て心異なる別人種」という心構えで仕事をしないと神経がすり減ってしまう。この国の本質をいま「身をもって」体験している日本人は外交官でも政治家でも評論家でもウヨでもサヨでもなく、この国に放り込まれた生身のサラリーマン駐在員たちかもしれない。

自分の過ちは決して認めず、あるいは開き直って恫喝に転じ、国体護持のためには一部国民の生命生活は虫けら同然に扱う。はじめに北朝鮮を創ったのはソ連だが、その国家統制とメンタリティーは中国のミニチュア版にも思える。そしていま北朝鮮の生命線を握っているのは紛れも無く中国だ(残念ながら)、中国共産党が“その気”になれば北は簡単に瓦解する(北朝鮮の人口約2000万はチベットとウィグルの合計人口に等しく、文革で下放させられた中国人の数、文革で殺された数ともなぜかほぼ一致する、そしてそれは中国総人口の2%にも満たない)。

| | コメント (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »