ニッポン人・脈・記 第16回
ニッポン人・脈・記
第16回 少女に甘言「拉致と同じ」 2007年03月28日
1月末、米下院に「慰安婦決議案」が出されて以来、中央大教授 吉見義明(よしみ・よしあき)のもとに欧米メディアがたびたび質問に来る。
「シンゾー・アベは拉致問題には熱心だが、従軍慰安婦に対する態度と矛盾するのでは?」
「従軍慰安婦」研究者の吉見も、このふたつの問題に共通性を見いだしている。
拉致被害者も、「いい仕事がある」などと「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。朝鮮人の少女が業者から「赤いワンピースと革靴」を見せられ、「いい暮らしができるよ」と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、「甘言」による「拉致」ではないか。
「今風にいえば、軍が業者にやらせる方が効果的だとアウトソーシングしていたのです。安倍さんが拉致問題に熱心に取り組むのは正当だけれど、従軍慰安婦にも同じ態度で臨まないと国際的にも理解されないんじゃないか」
慰安婦問題が国際的に知られるのは、92年2月、いま龍谷大教授の戸塚悦朗(とつか・えつろう)(65)がジュネーブの国連人権委員会で「性奴隷」として告発、日本政府の補償と国連の調停を求めたことがひとつのきっかけだった。
スモン訴訟や精神障害者の人権問題に弁護士としてかかわった戸塚には、韓国の元慰安婦や支援組織もまた「依頼人のように思えて」、ソウルに通い、のめりこんだ。「『河野談話』は反省とおわびを述べるだけで、国家の責任を認めていない。でも従軍慰安婦は犯罪なんですよ。北朝鮮の拉致と同じ犯罪なんですよ」
戸塚は、戦前の裁判所が慰安婦集めを「犯罪」としたケースを発掘、04年に発表した。若い女性をだまして軍慰安所に送り込んだ業者を、国外移送誘拐罪で罰した長崎地裁判決である。だが、戦争が拡大、官憲は見て見ぬふり、不処罰のヤミの世界になる。
「拉致はあれだけ追及し、慰安婦にはそっけないではダブルスタンダード。安倍さんは国家を愛して、人間に向き合っていないのでしょうか」
米下院や米ジャーナリズムと日本の対応の差は、国際人権感覚のギャップかもしれない。
安倍と国家--。
総務相の菅義偉(すが・よしひで)(58)は、歴史教科書をめぐる「若手議員の会」で安倍と出会う。「ほんとうにおつきあいしたのは北朝鮮の万景峰号の入港禁止のときですよ。山本一太(やまもと・いちた)、河野太郎(こうの・たろう)らと6人で議員立法に動いたとき、応じてくれたのが官房副長官の安倍さん」
秋田の高校から集団就職で上京、段ボール工場などで働きながら一念発起、法政大学、政治家秘書、横浜市議、国会へ。「ああ上野駅。なつかしいですね」。
自民党総裁選で金融相 山本有二(やまもと・ゆうじ)(54)とともに「再チャレンジ議連」を仕掛け、安倍を助けた。テレビのあり方に強い態度が目立つ。
「安倍内閣は歴史的必然性の中の政権ですよ。憲法も教育基本法も人間の骨格です。国民はそこに限界を感じて、あたりまえの国をつくろうとしているのです」
でも、安倍さん、慰安婦について「強制性を裏付ける証拠はなかった」と強調することはなかったのでは? 「あの人、むきになるんですよ、そういうところ」
東大教授の御厨貴(みくりや・たかし)(55)は政治史研究が専門、去年、安倍の祖父の岸信介(きし・のぶすけ)の生地、山口県布施町の郷土館に行って岸の日記や手紙を調べた。「まだ未整理の資料がいっぱいある。岸は外国にいくと、夫人に毎日、絵葉書を書いているんですよ」。岸は巣鴨プリズンで「反米」だったけれど、首相としては交渉相手の米国と意を通じつつ対峙する合理主義者だった。
御厨が「危ない」と感じるのは、安倍が「憲法は占領下でつくられたから改正する」とこだわっている点である。
「自民党リベラルは、占領は結果オーライということだった。しかし、安倍さんはそれがいけないと言い続ける。いま自信を失っているアメリカにとって、日本占領は数少ない成功モデルなんです。それなのに、アメリカが肩入れした岸の孫がなんでそんなことをいうのかと」
「従軍慰安婦」でアジアとギャップがあるだけでなく、「占領」というもうひとつの歴史認識でアメリカとギャップを生めば、安倍政権は孤独の道を歩むことになるかもしれない。
(早野透)
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