日本の「中国四大料理」と中国の「中国四大菜系」は違う???

 日本人が中華料理について語る時、「中国四大料理」といえばまず、「北京、上海、 広東、四川」料理の4つを挙げる人がほとんどだと思うが、私が調理師専門学校 で習った時はそういう言い方はしていなかったように思う。料理学校の先生や仲 間、誰に聞いても「チュアンツアイ、ルーツアイ、ユエツアイ、スーツアイ」と 即答された記憶があるのだ。といっても記憶だけでは心もとないので、手元にある当時の 教科書(商業技工学校教材 烹調技術、中国商業出版社)を久々に開いてみると、確かに 代表的な菜系として川菜、魯菜、菜、蘇菜が挙げられている。川菜は四川料理、 粤菜は広東料理、ここまでは日本で言われているものと確かに一致するが、魯菜は? 蘇菜は?となるとこれはちょっと、というかかなり違ってくる。魯菜は山東料理のことで 蘇菜は江蘇料理のことである。これはおかしい、というか何か気になる。眠れない、と 言うほどではないが (笑)  
 
 まず蘇菜について見て行くと、「蘇菜はまたの名を江蘇菜といい、揚州、南京、蘇州 の3地方の料理が発展してできたものである」と先ほどの教科書にはあり、どうやら上海 が中心になって発展してきたものではないようだ。ただ、四大菜系、という枠を 十二菜系ぐらいまで広げると、確かに「上海菜」というのも登場しており、それ は17世紀から急速に発展してきた上海を舞台に蘇菜をベースにして全国各地の特色ある 料理を集めて上海独特のものとして独立させたローカルな菜系で、「海派菜」と呼ばれて いる。  こうしたことをまとめると、中国人が一般に考える四大菜系では、昔からの伝統ある 蘇菜が代表として選ばれることが多いが、蘇菜の発祥地に近く、蘇菜をベースに現在進行 形で発展し続ける大都市上海を中心とした長江下流域の料理全体を総称したものが、日本でい う所謂「上海料理」のことだと理解するのが自然なのではないかと私は考える。   

 続いて魯菜であるが、魯菜というのは山東料理のことで、済南、膠東を中心として発展して来た。ここまでのところ、日本における「中国四大料理」 のうち、四川、広東、上海料理の謎は解けたので、残るは北京料理、ということになるが・・・。 先ほどの蘇菜発祥の地と上海の場合は、地理的に近いから納得いかなくもないが、山東と北京となると、 距離が近いとはどうも言いにくい。だから山東料理=北京料理という理解では いささか強引すぎるであろう。これまた十二菜系まで広げると、北京菜系(京菜)という ジャンルも登場するにはするが、当の中国人が四大菜系として魯菜がはずせないと考えて いるとすれば、京菜はローカル料理の一ジャンルに過ぎないものと見られる。では、魯菜と京菜、 その共通点は、何か。実は、それもまたルーツにあるのだ。  
 
というのも、山東料理は南北朝時代の書物『斉民要術』にも登場するほど古い歴史があ り、山東といえばすぐれた料理人を輩出することで有名な土地だったそうだ。そして時代 が下って北京に都が置かれるが、北京には皇帝の口を満足させるような料理人が少なかった ために、少し離れた料理のメッカ、山東半島から多くの料理人を呼び寄せて、宮廷を舞台に 故郷山東の料理文化を花開かせたのである。そして清朝が滅ぶと、そうした宮廷山東料理 人が北京の街角に料理店を多数開き、「十大堂」とか「八大楼」といわれるような名店のほとんどが 山東料理人によって経営されたという。(
中国烹百科全書、中国大百科全書出版社)  こうして考えると、京菜というのは山東料理(魯菜)をベースに、様々な地方の料理が融合し、北京において現在進行形 で発展し続けている菜系と言えよう。だから、日本における「中国四大料理」の一つが 北京料理だと言われているのはその辺りに原因がありそうだ。  
 
こうしたことをまとめていくと、日本における「中国四大料理」と中国における「中国四大 菜系」の一番の違いは、前者が現在どこで発展しているかを基準に選んだもので、後者が歴史 的なルーツのある場所を基準に選んだものであると言えそうである。いかにも歴史 を愛する中国人らしい感覚ではないか。 「井戸を掘った人(先鞭をつけた人)のことを忘れるな」という中国のことわざがあるが、これはまさにそんな感じがする。

           
                      
                                                                 更新日2003年4月30日
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