9月7日朝、ある大手通信事業者の関係者の脳裏には「まさか今日、ソフトバンクの数値が出てこないということは、ないよな……」と不安がよぎった。
この日は、8月期の携帯端末の契約状況が発表される日。通常であれば、各社の新規契約数から解約数を除いた「純増数」が電気通信事業者協会から公表されることになっていた。関係者はそれが出ない恐れがあると感じていたのだ。
実はこの発表前に、ソフトバンクは水面下で競合他社に、「毎月、純増数を発表し続ける意義があるのか」と、公表の取りやめも含め、意見を求めていたからだ。
これに対し、他の大手通信事業者からは「まさかソフトバンクから言ってくるとは思わなかった」と驚きと非難を込めた声が上がった。ソフトバンクが固執してきたのが純増数であったからだ。
モバイル通信事業を見る上で最も重要なのは、契約数と契約単価(1契約当たり月額平均収入)の推移である。両者を掛け合わせて出す通信料収入こそが経営の屋台骨になっており、伸びの大きさが企業の勢いを示す重要な指標なのである。
ソフトバンクは契約の純増数で業界トップを取ることにこだわってきた。販売現場の士気を高めるとともに、経営の勢いを株主や金融機関に示してきたのだ。
しかし、そこにはカラクリがあった。一般的な携帯電話やスマートフォン以外の契約を増やして、純増数を“水増し”してきたのだ。
例えば、携帯端末から画像を送れるデジタルフォトフレームや、防犯ブザー付きの携帯電話「みまもりケータイ」がある。これらは通信モジュールを内蔵している。そこで、iPhoneなどとセットで売り、2年間の契約期間で「縛り」をきかせて基本料を無料にしたり、端末代金まで無料にしたりしてばらまくことで契約数を伸ばしてきたのだ。
この結果、通信モジュール契約数は増加し、2012年8月期は2年前に比べて143万件増の226万件になった。図(1)のように携帯電話契約数の全体に占める比率も他社に比べて上昇し7.5%にまで達している。そのかいあって、ソフトバンクは10年4月以降、11年12月を除き、純増トップの座を守り続けてきた。
だが、通信モジュールの契約を除いた純増数を示した図(2)を見れば、NTTドコモに4度抜かれていることがわかる。ソフトバンクは携帯端末で負けそうになれば、通信モジュール契約を伸ばすよう別の端末を配っていたわけだ。
こうした「純増経営」に他社は冷ややかであった。毎月、純増数だけ発表しても、契約単価がわからなければ経営の実態は見えない。それでも、「純増トップ」と報じられるたびに通信事業者の株価が変動するため、他社が純増数の発表をやめたいと言っても好影響の出るソフトバンクは聞く耳を持たなかった。
それを自ら否定するように動いたのだから他社が驚くのも無理はない。そこには純増トップを維持できない背景がありそうだ。
今後、2年縛りが解けてデジタルフォトフレームなどの解約の増加が見込まれるが、それを上回るばらまきには限界がある。新規契約を増やすにも、頼みのiPhoneはKDDIにもある。
ソフトバンク側は「公表の意義が薄れているため他社と意見交換をしているだけ」と言うが、公表を取りやめたいのが本音なのだ。他社も同様で、時間の問題だ。
これだけではない。ソフトバンク最大の特徴であった「価格破壊」も鳴りを潜めているのだ。
利益重視への転換を示す
ドコモより高いLTE
今秋からスタートする次世代高速無線通信LTEサービス。執筆時点では明らかではないが、新型iPhoneに搭載されるとみられている。
とはいえ、その価格がソフトバンクらしくない。なぜなら「月額5985円」とドコモの「月額4935円」よりも約1000円高いからだ。
ソフトバンクは、通話定額や端末代金を実質ゼロ円にするなど価格破壊によって契約数を伸ばしてきた。それを百八十度転換してきたのだ。理由を読み解くヒントは、今年2月の決算発表で掲げた「16年度に営業利益1兆円」というスローガンにありそうだ。
図(3)のように、ソフトバンクの11年度の連結営業利益は6752億円。これを1兆円にするためには、全体の約6割を占めるモバイル通信の利益を少なくとも6600億円程度にまで引き上げなければならない。
目標の実現には、契約数を伸ばしながら、契約単価を上げ通信料収入を増やす必要がある。コスト構造が今のままだとして試算すると、通信料収入は2.2兆円規模が必須。現状の契約単価であれば5年間で契約を約1500万件増やさなければならないし、契約単価を4500円にまで引き上げたとしても1000万件以上増やすことが求められる(図(4))。
となれば、LTEなど新サービスで契約単価を上げることは欠かせないものの、業界内で料金水準の高いドコモより価格を上げては訴求力が低くなるというジレンマを抱えている。
純増数で勢いを演出し、低価格路線を貫いてきたソフトバンクも、利益重視へとかじを切った今、ビジネスモデルの転換を迫られているのだ。
本誌・小島健志