第62号
原則では取材に対して

「原則的にノーコメント」

 人権と報道関西の会の例会が「刑事弁護と報道」をテーマに7月4日、木村法律事務所で開かれ、10人あまりが参加した。講師の小坂井久弁護士は、いくつかの経験をもとに「今の刑事司法制度のもとでは、弁護士も被疑者や事件についての情報を(特に初期の段階は)十分に持てない。一方、メディア側にも事件をじっくり取材しようという姿勢がない状況では、刑事弁護人として取材を受けても、原則的にノ-コメントと言わざるをえない」と話した。(小和田 侃)


 小坂井弁護士の講演要旨は次の通り。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 まず刑事司法の厳しい状況から説明したい。現場では以前から、これを実感する者はかなりいたのだが、著名な刑法学者の平野龍一さんが1985年に論文で「我が国の刑事裁判はかなり絶望的である」と記し、年には当時高裁の裁判官だった石松竹雄さんが「わが国の刑事被告人は裁判官による裁判を本当に受けているのか」とまで述べたことによって、その声が高まるようになった。


裁判の「病理」と当番弁護士制度

 その「病理」の要素として、次の4点が挙げられる。1)自白が裁判の最後まで重視されている「自白中心の捜査・裁判」2)検察官調書が、ほとんど自動的に裁判で証拠採用されてしまっているという「伝聞法則の死滅化」3)勾留には証拠湮滅・逃亡を疑うに足りる相当な理由という要件が必要なのに、被疑者が安易に勾留されてしまっているという「人質司法」4)証拠は捜査側が握り、自分たちに都合のいいものしか出してこない「証拠開示の欠如・乏しさ」。

 こういった状況を改めようと、年前後あたりから当番弁護士制度の整備が進み、今では全国の弁護士会で活動するようになった。ところが、先のような暗い状況が必ずしも改められたわけではなく、その指標として、地裁の無罪率は94年0.09%、95年0.08%と、0.1%を切っている状況だ。


捜査弁護は「暗闇の中で

杖をついて歩くようなもの」

 こうした中で、本論としての刑事弁護と報道との関係を考えたい。まず弁護人が事件について、捜査段階でどれほど少ない情報しか持てないでいるのかを、メディアは認識しているだろうか。そもそも、初めから被疑事実を正確に説明できる被疑者がどれほどいるだろうか。拘束されたという動揺も隠せない。そして弁護士も、数日経って勾留状謄本を手にして初めて、正確な被疑事実をつかめるというのが実態だ。それ以外の情報はないといってもいい。あえて言えば、捜査弁護というものは、暗闇の中で杖をついて歩いているようなものなのだ。

 捜査側は、被疑者供述を「囲い込み」している。被疑者供述は本来、弁護士が立ち会うなどして本人にとってベストの証拠となるべきものなのだが、実態は全く逆だ。 

 捜査機関側の「翻訳」ルートでしか表現されない。神戸の少年事件にまつわり、立花隆さんは、少年の供述調書が真相を語っているかのような前提で述べていたが、調書はあくまで捜査官のつくったものにすぎない。それに重きを置いて捜査、裁判が進み、弁護士にすら十分な情報が集まらないのが刑事司法の現状だ。


基本的にメディアには

「ノーコメントが正しい」

 そこで報道との関係だが、結論的にはポジティブなことは提起できず、「基本的に、メディアにはノーコメントとするのが正しい」と言わざるをえない。具体的に数点挙げてみる。報道機関に伝えることが直ちに捜査側に伝わるとみなければならないので、「こうだから無実だ」という被疑事実についての考えは、ケースバイケースではあるが基本的には、報道側に明かさない方がいい。一方、捜査方法の違法性については、当初から公表していくべきだと思うのだが、「被疑者が受けた暴行の事実を報道機関に言えば、捜査側から意趣返しを受けるのではないか」と、慎重になる考えさえもないわけではない。

 また守秘義務という弁護土の倫理上の問題も重要だ。黙秘権・真実義務がないことなどとつながる理念上の問題もある。さらには効果の間題として、『大本営発表垂れ流し』の報道姿勢に対し、説明していくことが有効かどうか疑問が残る。とことん密着してフォローしてくれるのかという疑念がある。そういった中で、多くの被疑者は「続報は書かれない方がいい」というのが本音になっているのだ。


報道姿勢を改めてもらわないと

弁護側も対応できない   

 マスコミとの関係では、こんなこともあった。大阪弁譲士会のある弁護士が、豊田商事事件に関係する暴行事件の青年被疑者を当番弁護士として担当、法廷での弁論後に記者クラブに対して被疑者の事情を説明して「報道は控えてほしい」との要望を文書で行った。

 ところがこれにマスコミ各社が「どういうことか」 「マスコミを脅すつもりか」 「書かないつもりだったが、こんなことをされたら黙っておられない」などと反発する事態に陥ってしまった。結局、報道はなされなかったものの、「(マスコミは)我々には報道する権利があるんだという妙な権利意識を持っている」のではないか、という指摘もなされている。

 また年に出された「報道被害対策マニュアル」の中で、東京の弁護士は「オウム事件のようにフィーバーするような事態になると、弁護士が何を言っても聞いてもらえず、記者会見を開いても弁護士がまるで被告のように詰問されてしまう」と述べ、報道に向き合っていくことの無力感を表明している。これらの経験を踏まえ、マスコミとの関係を改善していくためには、「まず報道姿勢を改めてもらわないと、こちらもこれ以上の対応はできない」というのが正直な気持ち。(被疑者などの人権に配慮して)記事を原則匿名にするとともに、(責任を明確化するために)書いた記者の署名を入れるなど、改善していってもらいたい。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 この後、参加者との間で質疑応答が行われた。放送局勤務者から「メディアの変わるべき姿をもっと具体的に」と求められたのに対し、小坂井弁護士は「事件によっては、もっととことん付き合ってもらえるなら、こちらもじっくり応じることができるのだが、実際はちょこっと電話かけてきて『コメントを』と尋ねられるのが大半だ」と、現在の記者が一過性にしか各事件に関わっていないという問題点を指摘した。参加者の間からは「そもそもマスコミは、信頼されていない」 「報道で被疑者を批判する時点が早過ぎる」「マスコミは被疑者側に立っておらず、逆に天に代わって罰しようという姿勢だ」「この人は無実かもしれないと思える余裕も人員もいないのだろう」などと意見が出された。一方、事務局の木村弁護士は「弁護人が、全くノーコメントでは、よけいにメディアに疑わしさを持たせてしまうのではないか。たとえば、被疑者が被疑事実を否認していることなどは公にする必要があるのではないか」と提起すると、小坂井弁護士も「『本人は逮捕事実を否認している』という情報を、公表する意義はあるだろう。それ以上の説明が必要かどうかは、ケ-スバイケースだと思う」と述べた。

 参加の新聞記者から「警察官による暴行に反論すれば逆に意趣返しを受けるかもと心配し、公表をちゅうちょするという話だった。しかし、今の時代にも拷問が行われていることを国民の大半は知らない。暴行事実があるたびに公に訴えるべきではないか」と問うたのに対し、小坂井弁護士は「その通りだが、個別事件の個々の制約もあり、弁護士の側もこういった問題を必ず積極的に公表していこうという態勢にはなっていないと思う」と答えた。

 また被疑者への交通権についての質問に対しては、小坂井弁護士は「弁護人接見のトラブルは、ほとんどなくなっている。ところがオウム事件の余波ともみられるが、家族などによる一般接見が厳しく制限されるようになり、起訴後や公判が始まってからも禁止され続けることが珍しくなくなった。これには拘置所側も、被疑者を独房に入れなければいけないとかの処置を強いられ、困っているという話がある」と、実態を紹介した。


「ロス銃撃事件」

三浦さんに無罪判決

問われる「疑惑報道」

 81年の「ロス疑惑事件」で殺人罪に問われていた三浦和義さんに対して、7月1日、東京高裁は無罪判決を言い渡しました。

 この事件は週刊誌「週間文春」が三浦さんを実名で登場させて保険金殺人の疑惑をかけ、ついには事件にまで仕立てあげたもので、逮捕時には連行される様子をテレビで生中継するなど、メディア上げての騒ぎにまでなりました。

 三浦さんは刑事裁判を闘う中、獄中からメディア訴訟に踏み切り、その大半に勝訴して、メディア側に「実力」で反省を迫りました。

 この「ロス疑惑事件」をきっかけにメディアの「調査報道」と称する一連の「犯罪」発掘報道が相次ぎました。

 警察の捜査をチェックする役割を自ら否定し、逆に警察の応援団となって、「どうして逮捕しないのか」という世論作りの側に回ったという意味で、オウム事件ほか現在の事件報道にもつながるメディアの問題を露呈したとも言えます。

 今回の無罪判決の中で裁判長は、メディアが「根拠の検討が十分でないまま、総じて嫌疑をかける側に回った」と指摘しています。

 東京の人権と報道連絡会では11月21日に三浦さんに加え、松本サリン事件の河野義行さん、甲山事件の被告・山田悦子さんの3人をゲストにシンポジウムを開く事にしています。

 この3つの事例を通して、報道被害の深刻さを知ってもらうとともに、日本にもメディア全体の報道倫理綱領を策定し、報道評議会・プレスオンブズマン制度の確立を目指すことにしています。


 「一億人の陪審員を説得できるような判決を書かなければならないから大変だ」。七月一日、ロス銃撃事件で三浦和義さんに対して無罪を言い渡した東京高裁の秋山規雄裁判長は関係者にこう語っていたという。
 この国では裁判所が無罪を認定するのに勇気がいるのである。警察とメディアに影響されて、読者・視聴者は裁判が始まる前に事件は終わったと考えてしまうのだ。同志社の学生は試験の解答に「刑務所に入っていると思った」「親はやっていると言っている」などと書いていた。メディアは裁判をほとんど傍聴もしなかった。だから「なぜ無罪だ」と市民は戸惑うのだ。
 私は八五年四月に三浦さんらと「噂の真相」で鼎談して以来、三浦さんを支援してきた。
 九四年十一月には人権と報道・連絡会(ファクス 03—3341—9515)の山際永三事務局長、弁護団、三浦さんの長女らとロス現地で調査して、三浦さんの無実を確信した。
 三浦さんは無罪判決を受けて釈放された後、報道カメラの前に立つことを拒否した。甲山事件の冤罪被害者、山田悦子さんの「匿名報道主義の実践」に学んだという。
 三浦さんは七月十三日に連絡会定例会で講演した。講演の記録は連絡会ニュースに掲載されている。メディア改革のためなら積極的に発言していくという。
 三浦さんは約十三年の拘禁生活から解放され人生の再スタートを切った。メディアは三浦さんの名誉回復をはかり、三浦さんに静かな環境を保障すべきである。(浅野健一)


会員の投稿です!

サッカーおばさんから見た報道

 朝、テレビを見なくなって何年になったろう。話題の人が報道されると、どの局に変えても同じような画面ばかり。それも延々と・・・である。その点、ラジオは、ニュース、お天気と簡潔だし、アナウンサーの語り口もはっきりしていて心地よい。局を変えると違った話がきける。新聞は、ゆったりと何度も読める。毎日新聞は署名入りの記事なので、読者は書き手と一体感を味わえ、安心感もあり好評です。話が全く変わりますが、今話題のサッカーで言えば、全く違う個性を持ったイレブンが、これまた全く違う自分の仕事をこなしています。ゴールを守る人。中盤で組立て、前線へ送る人。ゴールに入れ、ガッツポーズができる人、などなど。先日のワールドカップではタレント揃いのブラジル、テクニックはあるが、決定力の弱いフランスなどお国柄の違いまでが感じられて、本当にワクワクしました。

 ここで話はもどりますが、先日の選挙速報は各局で報道が違っていてホッとしました。 

 事件の報道も、さきほどのサッカーじゃないけれど、いろいろな角度から見たメディアの違い、局の違いが出ている番組を、私サッカーおばさんは望んでいます。(伊)


関西の会のホームページでも投稿受付しています

人権と報道のホームページを会員の協力で立ち上げていますが、内容は会報のバックナンバーのほか、メールで報道に対する意見なども募集しています。


次回例会の案内

 次回例会(9月12日・土)は

「犯罪被害者の目から見た報道」

 人権と報道関西の会の次回例会は9月12日(土)午後1時半から「犯罪被害者の目から見た報道」をテーマに、プロボセンター(第5大阪弁護士ビル3階・大阪市北区西天満4の6の2・電話06−366−5011)で開催します。

 講師は「犯罪被害者の人権を確立する当事者の会」を大阪市内で7月に発足させた林良平さんです。
 林さんのお連れ合いは、見知らぬ犯人に包丁で刺され、今も車いす生活を強いられていて、それらの経験から、報道、捜査機関、周囲の人たちに対する思いなどを語っていただきます。
 日頃の事件報道では犯罪の模様や容疑者の側に目がいきがちで、被害者の方たちや家族の方たちの問題を語ったり、考える機会があまりありません。大勢の方の参加を呼びかけます。


 このページは人権と報道関西の会の御好意により当ホームページに掲載されていますが、本来会費を頂いている会員に送付している会報です。その性格上2ヶ月毎にこのページは更新されますが、継続して御覧になりたい方は是非上記連絡先に所定の入会の手続きを行ってください。

 

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