森田必勝は『鏡子の家』を読んだのか?
── なんか、すごいですね。記事タイトルが。
ひがらく ちょっと風呂敷広げすぎましたかね。
── 釣りですか?
ひがらく いえ、釣りではないです。前回エントリで「なぜ今『鏡子の家』なのか、そしてそれがどうヤバイのかは、明日以降とさせていただきます」とか予告してしまったので、収拾つかなくなってしまったんですよね。
── というと?
ひがらく 『鏡子の家』を真正面から論じようとなると、膨大な文字数使って挫折するというのが、目に見えてるわけです。
例えば、三島由紀夫という作家の人生の中で、この作品こそが最も重要な分岐点になってると思うわけです。より正確に言うと、『鏡子の家』が当時の世間から「失敗作」と見なされてしまったこと。これは、三島のその後の人生を大きく変えたと思うわけですよ。
── 貴方は失敗作だと思いましたか?
ひがらく いやとんでもない。というか、そういう成功作・失敗作とかいう区分けを超えたところで、この小説は凄いんですよ。
── どう凄いんですかね?
ひがらく もうね、この小説で三島は、かなり本音を語りつくしちゃってると思うんです。端的に言うと、登場人物の一人はボクサーとして頂点を目指すが挫折し、次第に右翼結社の運動にのめり込んでいくわけなんだけど、もうこれこの時点で、ヤバくないですか? 三島の晩年の「天皇への傾倒」を予告してるようなもんですよ。
── 考えすぎじゃないですかね。
ひがらく いや、どうやら私の思い込みではないらしい。猪瀬直樹氏の 『ペルソナ 三島由紀夫伝』 という本を読んで確信しました。
── うーん。今ひとつ具体性がないので、なんとも。
==========【以下、完全ネタバレ注意】==========
ひがらく じゃ、長くなりますが猪瀬氏 『ペルソナ 三島由紀夫伝』 から引用してみましょう。
『鏡子の家』は昭和34年9月に発売され、一ヵ月で15万部売れた。だが批評家の評判は芳しくなかった。三島にとって渾身の書下ろしが失敗作などと評されるのは予想もできないことだった。(略)三島は傷ついた。8年後、映画雑誌で大島渚と対談して、心境を以下に振り返っているが、すでに昭和42年秋、自決の3年前である。戻れない地平に立っている。
「『鏡子の家』でね、僕そんなこというと恥だけど、あれで皆に非常に解ってほしかったんですよ。それで、自分はいま川の中に赤ん坊を捨てようとしていると、皆とめないかというので橋の上に立ってるんですよ。誰もとめに来てくれなかった。それで絶望して川の中に赤ん坊投げ込んでそれでもうおしまいですよ。(略)その時の文壇の冷たさってなかったですよ。僕が赤ん坊捨てようとしてるのに、誰もふり向きもしなかった。そんなこと言うと愚痴になりますがね。僕の痛切な気持ちはそうでしたね。それから狂っちゃったんでしょうね、きっと」
── ふむ。なんだかよくわからないけど凄みがありますね。じゃあこの小説を140字で簡単に説明してみてください。
ひがらく いいでしょう、難しいですがやってみましょう…って、おい!
── あ、ノリ突っ込みとかするんだ。
ひがらく 「時代を映す鏡、という意味で命名された鏡子という名のバツイチ美女の家に、作者の分身ともいえる若者4人が集い、それぞれに没落していく物語」。どや、66文字でまとめたった!
── まとめるんかい…。しかもそんな簡単に…
ひがらく まああらすじは各自ググっていただくなどして、私が一番ヤバイと思うのは先にも述べた「挫折したボクサー・峻吉」なんすよ。峻吉は、ボクサーとしてチャンピオンという夢が見えた矢先に、致命的なケガを負ってしまうのね。それで絶望していた時に、先に右翼団体に入っていた男が悪魔のようにやってきて、中華料理屋で右翼活動に峻吉を勧誘するの。その場面、これまた長いんだけど、今度は『鏡子の家』本文から引用します。ヤバイよ。
「お前はもう拳闘はできない。今のうちはまだいいだろう。いろんな意地や、燃え残ったファイトや、いそいで探しまわる楽しみが気を紛らわせてくれる。…今は、いいさ。…しかしその先に持ち時間はたっぷりあるんだ。それを考えてみたことがあるかい。お前のその体じゃ、八十九十まで生きるかもしれないんだ。そんな長い時間をどうやって送るつもりなんだ」
(略)
峻吉はふいに恐怖にとらわれた。その永い何もない時間を生きていく自信は全くなかった。(略)峻吉は怖れた。彼はまだそんな事態を考えてみたことがなかった。
正木はじっと峻吉の様子を見張っていた。十分自分の言葉の効果が相手の深所に届いたと見てとってから、同じ陰鬱な熱を含んだ調子でつづけた。
「俺はなあ、実はお前にそういう時間潰しの最上の方法を教えてやろうと思って、お前のあとをつけていたんだよ。いいか。黙ってきいてみろ、俺のこれから言うことを」
ついで祝詞のように澱みのない口調で言った。
「われわれ日本人はだな、君臣一体の大和に光栄する天皇国大日本の真姿を全顕して、世界万邦・全人類の仰望する、自由・平和・幸福・安心・立命の大儀表国 ── 師表民族にならなくちゃならんのだ。ここにわれら天照民族のだな、生死一貫、天皇真仰に帰一して、皇運を天壌無窮に扶翼し奉る偉大さがあり、崇高さがあるんだ」
正木はちょっと口をつぐんだ。峻吉は呆れて言った。
「そりゃあ一体何のことだ」
「思想だよ。お前はこいつを信じるか」
「俺にはさっぱりわからない」
(略)
──それから二人は永いこと話をした。結局正木が彼自身の属している政治団体の思想を、何一つ強制しないのが峻吉の気に入った。
「俺はどうしてそれを信じなくていいんだ」
「信じない奴ほど有能だからだ。俺が第一そうだ。俺を見ろ。俺が信じていないということをたしかに俺は知っている。ところがその思想をはっきりと自分の外に見て、そいつを道具に使って、えもいわれぬ陶酔を獲得して、自分の死と他人の死をたえず身近に感じること、それが最も有能な団員の資格だということを俺は知っている」
── 引用なげえな!
ひがらく 長いな。ここまでついて来てくれてる読者はおそらく一人もいないだろう。でも気にせず続けるよ。この小説がどうヤバイか、君にももうわかったでしょう?
── うーん。三島由紀夫はそういうことをわかってて右翼思想に突き進んでいったということ?
ひがらく 少なくとも十分に自覚はしていただろう。当たり前だが三島は、ベタに天皇万歳を叫ぶようになったわけじゃないんだよ。そしてこの小説の10年後には「楯の会」を結成し、この峻吉のように純粋な、森田必勝がそこに参加する。
── そして昭和45年11月25日、三島由紀夫が割腹し、森田必勝が介錯する。それを見届けて森田自身も切腹する、と。なんだかとてつもなく切ないですね。
ひがらく 切なくなったところで申し訳ないのだが、この続きは後編で。
── えっ、後編があるんすか?
ひがらく 大馬鹿者!これで終わったらただの文芸ブログだろうがっ!
── 文芸ブログじゃダメなの?
ひがらく いや、全然ダメじゃないけどさ。いちおう当ブログは、あらゆる文化系テーマをアクチュアルな語り口で斬るという…
── そうだったんですか?
ひがらく いや、今決めた。方針を。
── …。そもそも、なんで今、三島由紀夫『鏡子の家』なんでしたっけ? アクチュアルとは思えないんですけど。
ひがらく うつけ者! 今回の話を聞いて、君は何か感じなかったのかね。キーワードは何だ? え?
── わかんないですけど。なんか、三島さんって可哀想っていうか、虚無的な…
ひがらく そうだ!「ニヒリズム」だ! ニヒリズムこそ、今最もアクチュアルなテーマではないか!
── そ、そうなんですか?
ひがらく では聞くが、2012年9月現在、この国で最も加速度的に権力を手中に収めつつあるのは誰だ?
── そりゃあもう、あの人…
ひがらく そう、「あの男」だ。そして「あの男」を論じる際、必ずといっていいほど付きまとう言葉が「ニヒリズム」だ。え、どうだ?
── 別にいいっすけどね。政治系ブログになっても。
ひがらく 誰が「政治系ブログ」だ、ふざけてはいけない。
── でも今回なんかどう見ても「政治系」ですよね。
ひがらく どうして君はそう「ナントカ系」「なんとかクラスタ」とか決め付けたがるのかね…。
── あの、そろそろ眠いんで寝てもいいですか。
ひがらく 次回をお楽しみに!
── じゃ、そういうことで。何のオチもなく今回もいったんお開きです。
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