そこで何時間も汗をかきながらみ言葉をくださいました。
その翌日はまた訓読会。
本体論教育も進行中だったので、そこにも行かれました。
1年半の間、お父様が風邪をひかれる様子を何十回も見てきました。いくら風邪をひかれても、変わらず世界を動き回り、訓読会をしてこられました。
しかし、今回はずっと咳をしておられたのです。
初めは、大きな問題ではないと思っていました。
咳がだんだんひどくなってきました。周りが心配をし始めました。
8月2日、ソウルの五山学校を訪ねて行かれました。
日曜日でしたから先生も職員もいません。
ただ、ロビーに入って、幹部の方たちを呼ばれたのです。
その時も、咳がひどかったのです。
そこを終えて天正宮に戻られても、咳はずっと続いていました。
お母様がとても心配されて、「一度、病院に行きましょう」と言われました。
お父様は誰かが何かを言っても、簡単に聞かれない方です。
しかしお母様が何度も言われるので、8月3日、密かにヨイドの聖母病院に入院されたのです。
様々な検査をした結果、発見されたことがあります。
お父様の肺は、普通の人とちょっと違うのです。
お父様が昔、興南の収容所におられた時、アンモニアが肺の中に入って、残っているのです。呼吸をする時、異物が肺の中にあれば、どれほど大変でしょうか。
そういう状態で、お父様は肺炎に罹られたのです。
入院中、ロンドンオリンピックが開催中でした。
お父様はそれをご覧になられながらも、いつもよりちょっと弱っておられるなと感じられました。
手を握って歩いても、それがとても大変そうな感じだったのです。
10日ほど入院されました。
お父様はとても性急な性格です。
「ここに入っているのは、牢獄のようだ」
と大声で言われるのです。
それで医師に承認をもらい、10日後、天正宮に戻って行かれるようになりました。
その時には、お母様と「よく休む」という約束をされたのです。
ところがお父様は、点滴もしながら車に乗られるやいなや、
「飛行機はどこにあるのか? 巨文島に行かなければ」
と仰ったのです。
「今、飛行機に乗られてはだめです」
と、必死で止めました。
そして、8月11日、天正宮に帰られました。
その夜、少し休まれ、10時頃、咳でお目覚めになりました。
するとすぐに、いろいろな報告を受けられ、重要な儀式をされ、たくさんのみ言葉を語られました。
その後少し休まれ、翌朝になるとすぐ、車椅子で、
「あっちに行こう、こっちに行こう」
と指示されるのです。
そして、天正宮の東西南北、隅々を行ったり来たりされました。
「世界を救わなくてはならない」
という情熱で、非常にご無理をされたのです。その日、お父様は横になっても不自由そうでした。
横になると肺が小さくなるので、呼吸が難しくなるのです。それで、横になることもできず、座ったままで過ごされました。
お母様は本当に最善を尽くしてお父様を説得され、最初、清心病院へ行かれました。
入院したその当時、酸素マスクを使って呼吸を助けなければならない状態でした。
しかし酸素供給量を調べたところ、十分ではないことが分かったのです。
それで清心病院ではだめだということになり、重患者室のある聖母病院へ移ったほうがよいという判断を下しました。
その当時、お父様は体力が衰弱しておかゆを召し上がっておられました。
しかし、病院を移るときに召し上がったおかゆがうまく胃に入っていかず、とても危険な状態になられたのです。呼吸を助ける処置が、病院で施されました。
私と國進兄さんとが病院に到着した時、お母様が待っておられました。
そこで医師の説明を聞くと、
「もしも30分、処置が遅れていたらお父様は霊界に行かれていただろう」
ということでした。
それほど深刻な状態だったのです。
本当に天が守って下さったと思います。
お父様は呼吸を助けるために酸素マスクを付けておられましたが、それでは十分ではありませんでした。
病院に到着した時、酸素の吸収率は80%以下だったのです。
それはどういうことかというと、20% 以上の酸素が吸収されていなかったということです。
そのために非常に危険な状態だったので、次の段階の処置がされました。
人工呼吸器の力で肺を動かすようにしたのです。
その結果、酸素の吸収率がだんだんと安定した数値になってきました。
高齢の方が入院すれば、こういう状態になることはよく見られる場面です。
人工呼吸器ですから、人工チューブを口の中に通します。すると口を閉めることができません。
そのため、お父様は何も話すことができないのです。
薬はもちろん点滴を通して注入されます。
チューブを口に通せば、とても辛いので、痛みに耐えていけるように、お父様を眠らせる薬が投与されました。
お父様はこれまであらゆる苦痛を越えてこられるのを見てきました。
だから、こんな状況でも2日後には元気な姿で、
「皆んな、集まりなさい。訓読会をしよう」
と言って出てこられるだろうと思っていたのです。
ところが、高齢の方の体調がこのように急変するのかと、とても驚きました。
2段階目の処置が始まった後、主治医がお母様を呼ばれ、私たちは会議室に移動しました。
主治医の話を聞くと、人工呼吸器を使ったので、バクテリアが肺から血管に入り、腎臓にまで入るようになった。
それで腎臓の機能が低下し、尿がうまく出なくなったというのです。そこで透析もしなくてはならないという診断がおりました。
透析をするとなると、大きな管を体に入れる必要があります。
要するに、手術をするのと同じです。
お母様はそれを承認され、サインされました。
口からはホースが、そして腕からはさまざまな栄養物が点滴を通して注入されています。
その上に、透析をするためのホースが通されるのです。
そのような姿を見るだけで、とても心配になりました。
次の日、人工呼吸器でさらに酸素を吸入する必要があると通達されました。
現代医学の最終段階、限界に近づいているというのです。
太ももの大きな血管に穴を開けて、血液を取り出し、それに酸素を注入してから再び体内に入れるという方法しかありませんでした。そのためには、また別の装置を取り付けなくてはなりません。
お父様の状態が次第に悪化していきます。
私たちは非常に心配になりました。
お父様は全世界のお父様ではないですか。
ですから皆さんが大変心配されることはよく分かります。
その時、お母様がとても良い決定をされ、世界公文を出すことになりました。
「お父様のご回復のために、皆んなで精誠を尽くそう」
というのです。
その時にはすでに世界中からご子女様が全員集まっていました。
「お父様、愛しています。早く起き上がってください。そして、このほっぺたを叩いてください」
と声をかけたりしました。
お母様が毎日行かれるので、主治医から、
「面会は1日に2回だけにしてください」
と止められました。
お父様が興奮されると、心臓などに悪い影響があるといけないからです。
この1週間が重要になるでしょう。
お父様はもうこれ以上血管に穴を開けることはできない状況です。
2日前、お父様が排便されました。
そして、鼻から重湯を注入しています。
血管から血液を取り出して酸素を注入し、それをまた体内に戻すという処置も、今では依存率が50%にまでなっています。
また酸素の吸収率も97%まで回復しました。
食口の皆さんの精誠のお陰で、体のむくみが随分と引いてきています。
多くの祈祷を受けておられることを感じます。
昨夜訪問した時には、酸素呼吸器の数値を30%に落としても、お父様が十分に酸素を吸収しておられることを確認しました。
今も13の機械がお父様の体につながれています。
まだ深刻な状態です。
上記の世界会長の報告でわかることを書いてみたいとおもう。
1 1年半の間、お父様が風邪をひかれる様子を何十回も見てきました。
去年・一昨年からつまり2011年ごろから風邪を良く引かれていたということ。人間ドッグに行っていなくても主治医がちゃんと把握していたのだろうか。
2 初めは、大きな問題ではないと思っていました。咳がだんだんひどくなってきました。
周りの認識不足と先生の自己管理が問われる所である。こうなる前に手を打てなかったのかと思う。
3 お父様が昔、興南の収容所におられた時、アンモニアが肺の中に入って、残っているのです。
これは明らかな間違い。70年も前のアンモニアが肺の中に入っていることはありえない。これは前の報告にもあったように。コールマイナー肺のせい。(炭鉱夫肺)
粉塵などを吸った肺は肺胞で異物を取り込んで繊維状に異物を取り巻き肺繊維になってしまうこと。気泡が酸素と二酸化炭素の交換をしてくれなくなることを意味する。
太陽と北風さんは鹿島建設での就職が炭鉱夫でなかったのかと述べていらっしゃる。
小生は見方が少し違う。僅か数ヶ月の炭鉱従事者であってそれも削岩・支柱立て・石炭運びではその粉塵の影響も違ってくるからだ。当然新入りに削岩できるわけが無い。そうすると支柱立てか石炭運びかになるがいずれにしろ炭鉱作業を行ったことは事実であろう。
塵肺は症状が数十年たってから症状として現れてくる。そう考えると今まで出てこなかったこと事態が不思議な気もする。
小生は炭鉱作業に加えてフンナムの作業での粉塵が影響しているのではないかと考える。呼吸がきつかったのは前からあったはずだ。そのサインを見逃していたのだろうか。
4 横になると肺が小さくなるので、呼吸が難しくなるのです。それで、横になることもできず、座ったままで過ごされました。
これは、座位呼吸と言って、横隔膜の位置は姿勢によってかわります。身体の中で胸腔と腹腔を隔てている横隔膜は下に位置するほど,胸郭の体積が大きくなりますが,臥位(寝た姿勢)で高く,座位(座った姿勢)で低くなります。すなわち,一般的には座位の方が機能的残気量という肺の中に残っている空気の量が多くなり,ガス交換がより多くできると考えることができます。
参考文献
呼吸についての基礎知識
http://www.miyagi-jalsa.net/rehabilitation/02.html
つまり、座ってないと呼吸が出来ないくらい肺機能が低下していたということの証左である。「横になると肺が小さくなる」は間違いであろう。
動物は体がどうかあると楽な姿勢を取りたがる様になっている。つまりここでは仰臥(ぎょうがい。あおむけのこと)よりも座位のほうが楽だったのである。
5 その当時、お父様は体力が衰弱しておかゆを召し上がっておられました。
しかし、病院を移るときに召し上がったおかゆがうまく胃に入っていかず、とても危険な状態になられたのです。呼吸を助ける処置が、病院で施されました。
その当時8月12日-13日だと考えられる。そして、これはこのとき既に嚥下障害が現れてきているのだと考える。嚥下障害からの気道への異物混入に間違いないと思われる。
6 人工呼吸器ですから、人工チューブを口の中に通します。すると口を閉めることができません。
ここが問題だろう。このような状態であると把握したなら何故に気管切開を直ぐに行わないのだろうかと思ってしまうのだ。
おそらく気管切開は同意がいると思われる。気管切開に同意されなかったのではないだろうか。何故か?声を出すことが出来なるからなのだろうか。
7 主治医の話を聞くと、人工呼吸器を使ったので、バクテリアが肺から血管に入り、腎臓にまで入るようになった。
それで腎臓の機能が低下し、尿がうまく出なくなったというのです。そこで透析もしなくてはならないという診断がおりました。
これは明らかな院内感染であろう。院内感染は何処でもありうることである。それに口腔にチューブが入っているゆえに口腔を清潔に保てなかったということも一因だと思われる。チューブが入っていては歯磨きも出来ない。ゆえに口腔内の雑菌、そして院内の雑菌によって病原性ブドウ球菌が増殖したとも考えられるのだ。それゆえ腎不全を起こし透析を行わざる得なかったということであろう。
8 現代医学の最終段階、限界に近づいているというのです。
太ももの大きな血管に穴を開けて、血液を取り出し、それに酸素を注入してから再び体内に入れるという方法しかありませんでした。そのためには、また別の装置を取り付けなくてはなりません。
「血液を取り出し、それに酸素を注入してから再び体内に入れるという方法」これは人工心肺補助装置だと思われる。
経皮的心肺補助法(percutaneous cardiopulmonary support, PCPS)とは、一般的に遠心ポンプと膜型人工肺を用いた閉鎖回路の人工心肺装置により、大腿動静脈経由で心肺補助を行うものである。大腿動静脈穿刺法という実際の臨床において多用されている血管穿刺手技と、thin-wallカニューレの開発、そして遠心ポンプを用いた閉鎖回路による補助装置の操作性の簡便さなどから、1つのシステムとして広まってきている。ただし、経皮的に穿刺せず外科的に切開して鼠径部からカニューレを挿入しても一般的にはPCPSに含まれる。
参考文献
http://www2.convention.co.jp/pcps/
人工心肺補助装置の仕組み。
最近の報告では気管切開を行うかどうかを今週中に決定するするそうだ。それと口腔内に入っているチューブも交換したと書いてあった。感染しないようにしないといけない病院で感染をさせること自体疑問であるが。
以上の事から、酸素チューブ。輸液点滴・抗生物質等の点滴。人工透析用のシャント。そして人口肺補助装置。心電図。血中酸素濃度。などが体に繋がっていると思われる。
つまり熟睡ではなく昏睡なのだろう。足のむくみも透析によって改善されたのだと考える。
以上わかる範囲で書いてみた。ここから奇跡的に全快されるのか。それとも・・・・。
因みに聖母病院は面会時間は午前と午後の2回30分しか認められていない。
http://www.cmcseoul.or.kr/global/jap/front?cmd=info
重患者室への面会
重患者室への面会 分類 午前 夕方
内科、外科、2階重患者室 11:00~11:30 19:00~19:30
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