実際に起きた心中について書かれた浮世草子『心中大鑑』
近松は、実際に起こった心中や殺人、金銭の横領などの事件を題材にして、世話浄瑠璃を書きました。これらは、実際の事件に対する、当時の人々の好奇心を満たすものでした。
近松の世話浄瑠璃の多くは、大坂が舞台です。作品中には、天満(てんま)や網島(あみじま)、曽根崎新地(そねざきしんち)など、大坂の具体的な地名が登場します。また、事件の当事者の名前や、関係する店名などが、そのままか、もしくは少々変えて作品中に織り込まれていたのです。
実際の事件の舞台化は、人々の興味を引くため、事件発生後なるべく日を置かずに行われる必要がありました。例えば歌舞伎の世界では、事件発生後数日のうちに「世話狂言(せわきょうげん)」という短い芝居が上演されています。
しかし、近松の世話浄瑠璃は、多くの場合、事件の1ヶ月後くらいから上演されました。近松は、世話浄瑠璃の執筆に、歌舞伎よりも長い時間をかけていたことになります。それにも関わらず、近松の世話浄瑠璃は、人々の人気を呼びました。なぜなら、近松の書いた世話浄瑠璃は、歌舞伎よりも上演までに時間がかかる分、文学的に完成度の高いものだったのです。
恋人たちの心中への道行(みちゆき)は、世話浄瑠璃の中でも重要な場面です。近松の書いた道行文は、各主人公の立場を背景に、死へと向かう恋人たちの心情が、豊かに表現されています。
例えば『心中天の網島(しんじゅうてんのあみじま)』の「道行名残の橋づくし(みちゆきなごりのはしづくし)」には、主人公・紙屋治兵衛(かみやじへえ)の職業「紙屋」から、印象的な文章が創作されました。
「版摺る紙のその中に、あるとも知らぬ死神に。」(本を作る紙(神)の中に、あるとも知らない死神に…)
近松は、治兵衛が商っていた「紙」から「死神」という言葉を引き出し、死に直面する治兵衛の心を表現しているのです。
さらに、近松の世話浄瑠璃は、事件をそのまま舞台化するのではなく、作品中にしっかりとしたテーマがありました。『心中天の網島』では、治兵衛を中心に、妻のおさんと、恋人の小春の「女同士の義理」が、丁寧に描かれています。
近松の世話浄瑠璃は、現在も高く評価され、鑑賞され続けています。それは、近松が江戸時代の事件を題材にしつつも、時を経ても変わらない感動を与える、文学的に優れた作品を残したからなのです。