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スポーツ報知>コラム>城田憲子の「フィギュアの世界」

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日本のメダリストのコーチたち~山田満知子〈6〉

一緒に滑って練習する山田コーチ(右)と浅田真央

 才能抜群の真央、それに勝るとも劣らない舞の浅田姉妹。その成長とともに歩んできた山田コーチ。リンクで転倒し頭を打つというアクシデントのなか、村上佳菜子も台頭し始めた。

 山田氏「そうだね、ジャンプの勘といい、体の柔らかさといい、表現といい…真央はすごいと思う。一番すごい、と言ってもいいでしょう」

 城田「私も思った。初めて先生が真央ちゃんを野辺山に連れてきた時、『この子はいけるね!』って」

 山田氏「もちろん、みどりちゃんみたいな『ウォー!』って言うようなジャンプはない。でも何をとっても一流…。そこまでいかなくとも、すべてがそれなりに高いレベルにある。そんな子はまず、いないですよ」

 城田「あそこまでの子は、なかなかね。とにかく真央ちゃんは、ずば抜けてた。でもお姉ちゃんの舞ちゃんだって、悪くないと思ったのよ。高校生の頃は、トリプルアクセルだって跳べてたし」

 山田氏「真央たちのママには、姉妹2人をオリンピックに出場させたい、って気持ちがあってね。なんとしても舞を! って思いが大きかったの。能力も真央より舞の方が実はあるんだ、ってママは言ってたけれど…。確かに舞は、ガーンとやれば何でもできる子だった。でも、真央のように一つのことをコツコツ一生懸命やるタイプではなかったかもしれないね。今もよく真央と思い出して笑うんだけれど、舞が練習を嫌がって、トイレに鍵かけてこもっちゃたことがあるのよ」

 城田「出てこないの?」

 山田氏「そう、3時間も! 真央が言うにはね、『先生、舞は便座が暖かいトイレにずっと座っていたよ』って。そんな風に舞は気分屋で、気持ちが乗れば練習して、練習すれば出来ちゃう子だった」

 城田「舞ちゃんの方が背は高いでしょ。だから成長した時の体のバランスでも苦労したかもしれないな。フィギュアスケーターとして最適な背の高さってあるから、舞ちゃんはちょっと大きくなりすぎちゃったかもしれない」

 山田氏「うん、一方で真央は普段の練習からコンスタントよね。放っておいても練習するし、それでいて能力もあって、センスも良くて、上品で…。もう、スケーターとして申し分ない! だから真央がノービスの途中くらいで先生を変えてうちに来ることになって、ものすごくうれしかったですよ」

 城田「先生、すごく喜んでたもんね。『すごいすごい、全部そろってる子が来るのよ!』って」

 山田氏「うん、なんてきれいで上品な子が来たんだろう…って。やっぱり私だって、そんなスケーターを教えたいわよ(笑)」

 城田「あの時期はまた、真央ちゃん、舞ちゃん、他の先生のところでも美姫ちゃん、太田由希奈ちゃんと、いい選手がそろってたじゃない? すごい時代だった」

 山田氏「上手で、しかもきれいな子たちがそろってたのよね」

 城田「その中でも、真央ちゃんは特に注目されて。山田先生も、育てるのに苦労したでしょう?」

 山田氏「それがね、あんまり真央にてこずった記憶は…」

 城田「ない?」

 山田氏「忘れちゃった(笑)。たぶん舞にしろ(恩田)美栄にしろ、他の子の苦労が多かったからね(笑)。真央は、自分で勝手に練習できる子、本当に手がかからない子。いつでもママの狙う所の先を行ってたくらいです。だからママも、真央が上手くなるのは当たり前、真央のレッスンはいいです、その分、舞をお願いします、なんて言ってました(笑)。熱心なママだったけれど、それほど私とも衝突をすることはなかったかな」

 城田「珍しく、山田先生と合う方だった?」

 山田氏「衝突が完全にゼロではなかったですよ。それは、どこのおうちもそうだけれど。例えばあの頃、安藤さんが4回転を成功しかけてたので、真央は何としても4回転を2種類跳ばせたい、ってママは望んでたの。でも私は、4回転を跳ぶことがすべてじゃない、って思ったのね。真央はジャンプだけじゃない、もっと違うスケーターに育ってほしいと思った。でもあの頃は、ママの夢もすごく膨らんでる時期だったから、世界で誰もやったことのないジャンプを真央にやらせたい、と。そこで私は説得できなかったし、ママと私と、同じ方向に向いて行けなかった。そんなことはあったかもしれないね」

 城田「真央ちゃん自身はどうだったの? 気持ちの上では」

 山田氏「真央は、あんまり『勝ちたい!』って感じの子じゃなかった。もうちょっと気持ちがきれい…というか、純粋だったと思うのよ。スケートの選手ってね、みんなが思うほど闘争心みたいなものは強くない。勝ちたい気持ちがないわけではないけれど、それよりも純粋に上手になりたい、と思ってるんです。下の方の選手ならば、『何とかして全日本に出たい!』なんて気持ちもあるだろうけれど、ある程度まで行ける選手になると、勝つことよりも自分の美しさを出したい、と思うようになるのかな。『勝ちに行く!』って気持ちを通り越しちゃって、それよりもいいスケートをしようって…。そんな気持ちで勝った選手の代表が、荒川さん。大ちゃん(高橋大輔)を見ていてもそうだし、アッコちゃん(鈴木明子)もそうでしょう? 純粋にスケートを頑張りたいと思って、上手くなった。真央もそういうタイプの選手よね」

 城田「またあの頃の選手たちは、よく練習してたわね。野辺山の合宿も、すごかったもの。あれだけ粒のそろった選手ばかりの時代、全国からみんなが集まってきて練習する。誰かが、例えば3回転―3回転をやれば、他の子もみんな続いて3回転―3回転を跳ぶ。誰かがトリプルアクセルをやれば、跳べようが跳べまいが、もうみんながアクセルを跳び始める。そうしてるうちに、何人かは実際に降りるようになる。競争が、みんなの力になっていく…。あの時代の選手たちの間には、そんな雰囲気があったね」

 山田氏「野辺山の合宿は、みんな張り切ってたのよ。いつもの練習にはいない人たちがいるわけでしょう? 一緒に滑る選手たちもいつもと違うし、城田さんみたいな連盟の人も見てる。そうすると真央みたいなちっちゃいのは、目立ちたい! って気持ちがすごく出てくるんです。だから野辺山のあのリンクに放りこむと、いきなりみんな素晴らしい選手になる(笑)」

 城田「私、みんなすっごく練習するなあ…って感心してた。みんなで競争して、どの選手もそれぞれに、リンクの中でピカピカ光って見えるくらいなの」

 山田氏「きっと城田さんの目には、本当にそう映ったんでしょうね(笑)」

 城田「リンクサイドで見てると、選手たちと目が合うのよ。私の前をさーっと通り過ぎながらこっちを見て、『私、小さいけど、行きます!』って顔をしながらジャンプを跳んで見せる。そんな目と目の会話をしながら、見る人を意識しながらの合宿。みんな、大変だっただろうな。その頃、一番小さなノービスから特別に参加してた佳菜ちゃん(村上佳菜子)なんて、熱出しちゃったくらいよね(笑)」

 山田氏「城田さんが見てる時は特に素晴らしかったの。みんな自分のリンクに帰ったら、それほどたいしたことないの(笑)」

 城田「でもライバルが多いこともあって、あの頃の選手たちはみんな一生懸命だった。ちびっ子たちも含めてね。そんな真央ちゃんがこれからって時に、先生、氷の上でひっくり返っちゃった!」

 山田氏「そう、小さい子を教えてて足をすくわれちゃって。バーンと頭から氷に落ちて、もう意識がない。選手たちは先生が冗談で倒れたと思ったらしいんだけれど、全然動かなかったって…」

 城田「それで救急車を呼んだのに、先生が『救急車に乗るの嫌だ』って駄々こねたって…」

 山田氏「担架で運んでもらって、途中で気づいてね(笑)。なんとか病院に行って…。大変だったのはその翌日から。すごく気持ちが悪くなって、ちょっとでも動かされると気分が悪くなる。ちょっと体を倒されるだけでも、『やめてえ!』って叫ぶくらいで動けない、歩けない」

 城田「入院はしなかったの?」

 山田氏「しなかった。でも1か月くらい休んだかな? 調子が良くなったと思ってリンクに戻っても、みんなが同じ方向にグルグル回りながら滑ってるのを見てると、やっぱりちょっとフラッときて」

 城田「MRIとか、頭の写真を撮ったりしたんでしょう?」

 山田氏「それが、どこも悪くない、って言われたの。でも耳鳴りがすごかったり夜も眠れなかったり、ちょっと顔を横に向けるだけで、グワーとめまいがしたり」

 城田「今は大丈夫?」

 山田氏「今はちょっと首に後遺症があるくらい。だけど元に戻るのに何年か、かかったね。しばらく飛行機に乗れなくて、真央ちゃんについて海外の試合に行くこともできなくなっちゃった。それがきかっけで…私もあの頃が、ちょうどいい時期だったかな、と思ってるんだけど、真央ちゃんには海外の先生のところに行ってもらって」

 城田「真央ちゃんが、グランプリファイナルに初めて出た頃ね(05―06年シーズン)」

 山田氏「それでまあ、どうなのかな、私の仕事もこれでぼちぼちかな、と思ってた。そのままなんとなく余力で生きてるうちに、今度は佳菜がちょっとずつ出てきちゃった、って感じなんです」
(つづく)

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(2012年8月29日21時35分  スポーツ報知)

著者略歴 城田 憲子(しろた・のりこ)

 1946年7月4日、東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、全日本選手権ダンス部門2連覇。現役引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、長野五輪からトリノ五輪までフィギュア強化部長を歴任。また、国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪をはじめ多くの国際試合でレフェリー&ジャッジも務める。

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