[284] 6月9日 2002年06月10日 (月)

勝ったな。日本。
稲本完全に今回のラッキーボーイやな。
柳沢のパスも素晴らしかったぞ。
たしかに柳沢はセンス良いのかもしれん。
だがフォワードとしては決める男としての信頼感に欠けるのう。
などと好きな事を言いつつもとりあえず良かった良かった。
ロシアでは暴動が起きたそうだが大丈夫なのか。
日本料理店も襲われたらしいが
ミサイル発射したりしないのか。
うーむ。
冗談で書いたけど北朝鮮とはワールドカップで対戦したくない気はする。

タイソンは負けたな。
もう無理なんだろうか。
なんかあんな弱々しいタイソンは悲しいなあ。
あの人間離れした強さは復活できないのかな。

そういえば中田ヒデの顔がタイソンと似ているなんていう感想を
持った事があるが、ニュースで続けて映ると似ても似つかないっつうか
完全に別の種だな。
ヒデも日本人の中では随分肉食なイメージの目つきだが、
タイソンはもう俺には同じ人間同士という感覚がない。
北海道でクマに遭遇しても、あの目でにらまれたらクマ逃げるぞ。

それにしてもワールドカップ。
今後どのチームが各リーグ予選突破できるのか。
その先どういう争いが展開されるのか。
見当がつきまへん。
楽しみやのう。


[283] 6月7日 2002年06月08日 (土)

なんだか無性に旅に出たくなってきたぞ。
まあだいたい忙しくて旅どころではない時ほど
どこかに行きたくなるものだ。
ああそうさ。逃避ですとも。
逃げてえ。何もかも捨てて。君と二人で。
つうか君って誰よ。
でも盛り上がるんだろうなあ。
駆け落ちとかって。
とりあえず2週間くらいは。
ぜひ一生に一度経験してみたいもんだ。

人間経験しないままで一生を終えそうな事柄って多いよなあ。
俺は一度もスキーをしないまま死にそうだし。
誘拐事件とかも起こす事なく一生を終えそうだし。
機関銃町中でぶっぱなす事もなさそうだし。
ラーメン頭からかぶる事もなさそうだし。
ケータイを食っちまう事もなさそうだし。
カンガルーと大ゲンカする事もなさそうだし。
しねえよ誰もそんな事。


つうかほんま俺にしては長い事旅してないなあ。
ツアーはあったけど。
そろそろサントリーニ島に帰らんといかん。
今回はほんま日本に長居しとるわあ。
せめて明日はギリシャ料理でも食いにいくか。
ああ焼そば食いてえ。
いや今たまたまTVで焼そば映ってたもんで。
ようは腹減ってんだな俺。
そういえば12時間以上なんも食ってねえ。
まあいいか。最近デブだし。
もうそろそろ100キロの大台乗っちまうぜ。
パパイヤ織田と呼んでくれ。

まいうー。




[282] 6月4日 2002年06月05日 (水)

惜しかったね日本。
あれって審判おかしいと思ったんだがなあ。
身びいきだろか。
一勝して欲しかったなあ。うーむ。


ところで俺は音楽家である。御存じの通り。
という訳で俺の作品を愛していただける事は無上の喜びである。
でもってなおかつ人前で歌ったり顔を出したりするもんで
私の音楽家としての活動に附随して、私という人間をなんだか
気に入っていただいたりもしたりする事もある。
それもそれで、それがその人にとって
私の音楽に触れる喜びをより大きくするものであるならば
面映いながらもありがたく受け止める次第である。
ただし、皆様の目に映るアタシ像に比べて、当然実物の俺なんぞ
しょうもな〜い野郎である。
それはいたしかたない。
ステージでは一応良いとこだけ見せますがな。
ただ、こんな事言わずにその虚像ごと皆様に夢を与える事こそ
本来エンターテイナーとしてのプロフェッショナルなんだろうけど。

でもってなぜこんな事言っているかというと。
少々思い込みの強い方がアタシのファンの方々の中にはいらっしゃる。
ほとんどの方は極めて暖かく、常識的な方ばかりでっせ。
ただ、たまにいらっしゃる思い込みの強すぎる方に対して、
せっかく俺の音楽気に入ってくれたんだし、
なんかこう、むげに排除ってのもあまりしたくはないんですよ。
しかしそれが他の方の迷惑になるケースが生じたりし始めると、
う〜ん困ったなあ、という感じなんす。
あきらかにその方の御家族も困惑しておられるだろう、という
ケースもあるし。

この広い世界で、たまたま俺のCDを手に取ってくれた人。
たまたま同じライブ会場で時間を共有できた人。
そりゃもう俺にとって愛しても愛したりないっつうくらいみんな愛してますぜ。
本当にありがたい事だから。

だけどはっきり言うけど、ステージで歌った歌がたまたま俺の
視線の先にいた誰かに対しての個人的メッセージである、
という亊は一度たりともないです。

もともと特定の誰かに対して歌を作る事もまずないのです。
イメージとして当然自分の経験は折り込まれるけれど。

アタシなんぞに強く思い入れを持ってくれる事は本当に
ありがたい事だけど、くれぐれも音楽を接点としての出会いを
お互いに最大限エンジョイしたい、と思う次第です。


いやホント、実物の俺なんてろくなもんじゃないっす。
それは俺が保証しますぜ。


[281] 6月2日 2002年06月03日 (月)

負けたねフランス。
こんな事もあるから面白い。
まあセネガルはもともと強いらしいけど。
あたしゃよう知らんが。
この前も書いた通り、けしてものすごくワールドカップに
燃えまくっているわけではないけど、やはり気になるわな。
それにしてもあの空席はまずいっしょ。
買いたくても買えない人も沢山いたっつうのに。
どっかの誰かが間抜けな事やってたんだな。
ポコっとかたまった空席、けっこうあったもんなあ。
そう言えばサウジアラビアの連中、所詮ふがいない試合やったからって
殺されたりしないんだろうな。
南米のチームじゃとてもあんな試合やってるわけにはいくまい。

今頃六本木はえらい騒ぎなんだろう。
白人黒人連中ったらもう飲むとなったら物凄い量飲むからな。
昔俺は米軍キャンプでドラム叩いた事があるんだが、
まったく奴らには呆れ果てたぜ。
飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む。
5時間くらい休憩をはさみつつ演奏していたんだが、
その間ひたすらに積み上がってゆくビールの空き缶の巨大な山山山山また山。
日本人だったら全員ゲロ吐いて討ち死にしてるっつうの。
なのに5時間たってもひたすら盛り上がり続ける連中を見て、
ロックっつうもんはあいつらの音楽なんだな、と思い知らされたものである。
でまたあいつらの喧嘩ったらもう。
ドゴ〜ン、と殴られてバ〜ンと吹っ飛ぶ。
でまたそいつが起き上がってボゴ〜ンと殴って相手がブ〜ン、と吹っ飛ぶ。
日本人の喧嘩っつうとたいがいは掴み合ってもみ合いになるじゃないですか。
違うんですなあこれが。

まあそこまで飲むのもばか〜どか〜んの喧嘩するのも
特に米国人がそうなんだろうけど。

いやほんと。
ある意味ロックなんつうもんは体力勝負な部分は大きいですから。
まあ日本人は日本人なりのところで勝負せんとね。
イチローみたく。

うーむ。
日本の試合が楽しみだなあ。
日本チームの実力について色々言ってるヤツらがいるが、
正直俺はよう判りまへん。
結構いけそうな気もするんですけど。
うーむ。
どうなの。


[280] 5月29日 2002年05月30日 (木)

いよいよワールドカップやのう。
それ程ものすごく興味がある訳ではないが
人並みに日本がんばって欲しいなあ、といった思いはある。
中村選手も入ってた方が良かったんでないのかなあ、とか
いまいち頼りになるフォワードいなくて不安だなあ、とかいった
普通に中途半端な知識もある。
しかし所詮人のやっている事であって、そんな事に
燃え上がりまくって本気で暴れたりする気にはならんぞ。
ふーりがん、ちゅう奴やな。
まあ自分が選手で試合中にヘマでもしたら試合後ロッカーくらい
蹴とばすかもしれんが。

スポーツつながりでいくとこの前のK-1すごかったなハントとレ・バンナの試合。
あのハントっつう男は全然スポーツっぽくなくておもろいなあ。
各小学校に一人はあんなタイプのイジメっ子、いそうじゃん。
いかにも喧嘩の強かったガキがそのまま喧嘩しながら大人になった、みたいな。
それ言ったら各商業高校に5人はアビディもいそうだな。
まあ今どきプロのサッカー選手も野球選手も小学校からそればっか
やってた奴らなわけだし、やっぱ格闘技の選手達も小学校から喧嘩ばっかやってた
奴の方が有利だわなあ。
喧嘩エリート。
親父が特訓してたりして。
K-1養成ギブスとかつけてたりして。
小学生のくせにスポーツカー乗ってるライバルがいたりして。

しょうもない事言うてまんなあ。
すんまへん。

とりあえずがんばれニッポン、という事で。


[279] 5月24日 2002年05月25日 (土)

なかなかゆっくり出来る時間のない今日この頃である。
忙しい、という事自体が好きな人間も多いが、
俺はぜひともヒマの多い人生を歩みたく思う。
なんせ脇目もふらず目的地へ向かう、どころか
脇目にこそ、周りの風景を眺めて感じる部分にこそ
本来味わいを求めるタイプである。
とはいえ、人生その時々で成すべき事も違うし、
得るべきものも様々である。
という訳で、まあこういう時期なのである。

と、自分を納得させつつドタバタする日々どす。
まあそれは置いといて。

はっきり言ってもうだめっすね。
小泉内閣。
もう諦めた方が良さそうだな。
自民党をぶっ潰してでも、なんてのはただの
パフォーマンスとしての台詞だったのね。
個人情報保護法案だの人権擁護法案だの、まじでモノ考えてんのかおい。
あんまり政治ネタもほら、世の中様々な立場の方がいらっしゃるんで
つっこんでもの言いたくないんだがな。
期待外れの小泉内閣の後、じゃあどうしたら良いんだろねえ。
せっかくの国民の期待を肩透かししちまったからな。
また世の中政治に興味なくしちまうぞ。

だからさ、やっぱりゴルビーでしょ。
きっと休養充分で良い仕事すると思うぞ。
トルシェよりも。

いいじゃねえか政治家だって助っ人ありで。
でもって是非ブレーンには櫻井よしこ氏と、
政治っつうもん自体にみんなの目を向けさせて盛り上げる為に
テリー伊藤氏にも参加していただきたい。
サッチャーさんは身体壊して隠居するらしいが、
是非もう一度日本のために立ち上がっていただきたい。

なんて事にならんもんかのう。
もうええやん。
はっきり言ってもうダメだぞ日本。このままじゃ。
荒療治いってみんかい。

それにしても例の中国の領事館の事件。
田中真紀子外相でなくてよかったなあ。
あれだけ思い付きでものを言う、中国びいきの人物が外相だった日にゃあああた。
それだけでもラッキーだったんでないかい。
想像するだに恐ろしい。

いかんいかん。俺としては政治ネタは避けたいのだよ。
様々な考え方の人々がいるんだからほんと。

最近目が疲れやすいので本日ここまで。



[278] 5月21日 2002年05月22日 (水)

ツアーが終わった。
ライブに参加してくれたみんなには本当に感謝している。
俺はシンガーで良かったと心底思ったぜ。
またやるよライブ。
遠くない将来。

しかし仙台はついに4時間か。
あほやな。
ごめんなしつこい男で。

ツアーから帰ってきて、やらにゃならん事てんこ盛りなアタシ。
いろいろ書きたい事はあるんだが、なんせ今てんぱってます。
巧言令色少なしジンライム。
何言ってんですか。

精神が発酵して甘酸っぱい香りがしてきたぞ。
脳内マハラジャ踊るムトゥである。
だめだこりゃ。

そんなわけでまた後日。


[277] 5月14日 2002年05月15日 (水)

サッカー負けてしもたな。
しかも3-0。
大丈夫なのかあ。

ツアーもいよいよあと残すところ3ケ所ですな。
寂しいぞ。
終わるとなると。

例の中国の日本総領事館の事件。なんやら、の、が多いぞ。
それはともかく、あれどうも一概に中国が嘘言っているとも思えんな。
俺はもともと、中国の発言は基本的に信用しない方だが。
なにしろ日本と対照的に、プロパガンダの徹底した国だからな。
それでも今回はどうも結構本当な話な気がする。
日本の役人達の発想として、正義とか人道上とか
そんな事より面倒がなきゃオッケーってなところだろう。
中国側の警官達に感謝しかねない、と思う。

矜持っつうもんがないんだな。
国自体に。
情けないのう。

脳の働きが鈍い。
本日これでおしまい。


[276] 5月7日 2002年05月08日 (水)

やけに冷えるのう。
もうそろそろ冬じゃのう。
って夏だの秋だのどこいったんじゃい。
ついこないだ28度とか言ってたくせに。
もうちょっとまめな男だったら危うく冬モン全部しまってたところだぞ。

ハンニバルをやっとビデオで観た。
なんだかほのぼのとした映画だったな。
心暖まる、ちょっといい話。
ハラワタ出そうが脳味噌食おうが関係なく
全体を貫く強靱なほのぼのさがあった。
ポスターにだまされちゃいけないね。
羊達の沈黙はみごとに心の冷えてゆく、
良く出来たイヤ〜な映画だったが。

なんかこう、ものすごい映画が観たいなあ。
どういう風にでも、とにかく観終わって
「すごいものを観てしまった!」
と思うやつ。
いや、良く出来ていると思うんですけどね。
大抵の映画どれもこれも。
なんてまあ何様なんでしょアタシ。

たとえばアンソニー・ホプキンスが殺されそうになったと思ったら
ムトゥみたいに手ぬぐいシュッシュって気合い入れて
全員で踊り出すとか。

訳分かんないっすね。
特にムトゥ観てない方には。

映画でも音楽でも、
「何だこれ!」
っつう感覚が最近ないのは俺が歳食ったからだけでもないと思うんだが。

例えば映像的には昔では考えられない、すんごい映像だらけだよね最近。
マトリックスだのタイタニックだの、ハンニバルの脳味噌シーンだって。
音楽も映像も、コンピューターでかつては夢だった事が出来るようになった。
だからどれもよく出来てはいるんだわ。

うーむ。まあなんだか爺サマの愚痴っぽくなりそうだからやめた。

でも最後の方でいきなりレクタ−とクラリスが踊り始めたら
マジで凄いと思うんだがなあ。

凄けりゃいいのか。おい。


[275] 5月4日 2002年05月05日 (日)

5月やのう。
もう今年も終わりやな。
まだか。

5月の快晴の気持ち良さっつうのは
人間の心の毒をかなり洗ってくれる気がするぞ。
ずっとそんな天気なら良いのに。
しかし仮にそんな気候だけの中で育ったら
良い奴だけど今いち機微の分からん人間が出来上がりそうだな。
人間形成のためには曇天も嵐も必要、という亊で。

曲は出来るんだがいよいよ詞が書けないな。
どうも最近右脳と左脳の連係のあり方が変化した気がする。
詞というものを書くために最低限必要なロマンチシズム及び
ナルシズムがあまりにも欠落しているのではないか。
その分客観性や論理性が高まった気もする。
これはもう人間のタイプ自体が変わったと言えるのかもしれない。
などと言っているがそんな時期もある、だけかもしれない。
人間自分の事なんぞ分析して判った気になっても
本当のところ時が経って、後から眺めてみないと判りゃしないもんである。

そういえば、自分の事を
「ほら、アタシって〜な人じゃない」
とか言う人、いるよね。
そういう言い方をする事によって、自分の事を客観的に見ているのである、と
暗黙のうちに主張している様だが、そういう言い方をするタイプの人は
実はあまり客観的でないと思われるケースが多いな。
「アタシは〜です。」
と言うとただの自己主張な気がするんだろうか。
「〜な人」
の方が客観性を装って、実のところ微妙に押し付けがましい気がする。

どうでも良い事ですな。

とりあえず、石井には十連勝くらいして欲しいなあ、と思う。



[274] 4月29日 2002年04月30日 (火)

最近めっきり起承転結のはっきりした音楽から遠ざかっている。
家で聞くのはjazz寄りの音楽ばかりだ。
特にギリシャもんがとにかく俺にはしっくりくる。
トラッドなものでもそうでないものでも。
何かあるんだろうなあギリシャと。前世とか。
別に前世占いとか全然信用してないけど。
もしこんなマニアなもん探してみる気がある方がいるなら
一応お薦めを書いておこうか。

Savina Yannatouという人は現在、
俺にとって世界最高の女性シンガーである。
rosa das rosasというアルバムが特にお薦め。
この人が参加しているのはどれもこれも良いんだけどね。
ものすごく強いて言うならば
エンヤがビョークみたいな性格になってフリージャズが好きになったみたいな。
随分強いて言っているな。
もし聴いてみて全然異なる印象を持っても当方一切
苦情は受け付けません。

あと、最近の俺の中でのアルバムチャート一位独走中なのが
Vangelis Katsoulisという人のSilent Voyageっつうアルバム。
これはまあ、ジャズです。
ただし物凄くセンスが良い。
しかもむちゃくちゃ上手い。
しかも美しい。
素晴らしいです。

一応紹介はしてみた。
あんまり普通のところでは売ってないと思うけど。
こんなマニアなもん、もしもっと知りたい人がいれば紹介するけど
多分誰も興味ないっすね。

誰か、私もそこら辺の音楽が好きです、なんて人が居てくれたりすると
ほーんと嬉しいんだけど。
同好の士はぜひ御一報を。


[273] 4月26日 2002年04月27日 (土)

さて、と。
なんだかあまり更新する気にならないんだが、
こんな時はとりあえずなんか書き始めてみるか。
最近知り合いのホームページの日記もなんだか
更新が滞りがちな奴が多いなあ。
そんな季節なのか。
どんな季節だ。

様々な人間との出会いがあって今の俺がある。
唐突だが。
縁の形成というのはおよそ人智の及ぶところではない。
想像もしない出会いがあったり、離れたりあるいは再会したり、
これはたとえば神とでも呼ぶべき存在が、人間の成長の為の
最良のシステムをそれぞれに与えていると俺は信じている。
いやな人間関係もあれば辛い別離もあるが、
とりあえず俺はそこから何かを学べ、と指示されていると
信じる事にしている。
都合いいでしょ。
都合いい奴なんだよ俺。

うーむ。
やっぱりいまいち筆が進まんのう。
キーボードだけど。
なんかこう、ネガティブではないがダークではあるな。

ここはひとつ、そんな季節という事で。





[272] 4月21日 2002年04月22日 (月)

酒蔵でのライブはたまらんもんがあったぞ。
ピアノは生だし響きは良いし。
酒はウマいし。

というわけで俺は最高の気分だったが観客の皆さんは
いかがだったのでせうか。
なんせあたしゃ酔っぱらいだったもんで良う分かりまへん。
俺ったらライブの途中でトイレ行っちまうし。
いきなり一人取り残された古村。
そらあ、たまりまへんで。
初めて喜多方に来た方でしたとも。
っつうギャグだけは古村かましてくれたらしいが。

もしかすると日本酒は睡眠を促進するのかもしれない。
ライブの後とか、アルコール取りまくった後ってのは
俺の場合、どんなに疲れていても眠るのが難しくなる事が多い。
通常ダウナーに作用するはずのアルコールだが、俺には大体アッパーな
覚醒作用が働くケースがほとんどなのだ。
だが20日のライブの後は珍しくよく眠れた。

もともと日本酒がテイスト的には一番好きだったのだが、
最近はほとんど焼酎ばかりだった俺である。
これからはまた日本酒いってみようかな。

つーかそんな飲んでんじゃねーよ。こら。


[271] 4月18日 2002年04月19日 (金)

京都そして神戸。
なんだか演歌のタイトルのようだな。
病欠してしまった2本、あらためて行かしていただいた。
京都の磔磔はトイレが改装されていた。
かつて16年ほど前に行った頃は確かステージのすぐ脇に
トイレがあって、演奏中は客も行きづらかったと思う。
だがそれ以外はほとんど変わらず、あたかもあそこの中だけ
外界とは違う時間が流れているような、
とても味わい深いライブハウスである。
どうもそのせいか俺の感覚も通常よりまったりとしていた。

神戸チキンジョージは逆に、10年位前だかにまるっきり
別の店としてリニューアルした。
ここは音的に非常にやりやすい。
つーか気持ち良かったあ。

なんせ一度すっぽかしてしまった2本なので、
あらためて来て下さった方々にその甲斐があったと
思っていただけた事を祈るのみである。


しかしあれやのう。
やはり織田哲郎っつうのはよほど気難しくて神経質なやつらしいな。
知らん人のイメージ的には。
いや最近ちょっとまたそんな話を小耳にはさんだもんで。
やはり名前がまずカタイのか。
いっそひらがなにしてみるかな。
おだてつろう。
間に星入れてみるとか。
おだ☆てつろう。
いや、いっそオダテツロー。
どうだ。
キダタローみたいでないかい。
あるいはDJ tetsuとか。
別にDJじゃないけど。

アタシにそんな堅苦しいイメージを持ってる人にこそ
ライブに来て欲しいものだわあ。
最近ステージでもすぐオカマ言葉出てくるし。

せめてこのダイアリー見てもらえるだけでもいいんだが。
ここ見てイメージ壊れてがっかりした方もいらっしゃるようだし。

という事でオダテツローよろしく。


[270] 4月12日 2002年04月13日 (土)

九州シリーズ終了。
博多で、今回舞台監督兼楽器担当で一緒に回っている名鏡さんが
連れていってくれた屋台がむちゃ美味しかった。
古村も名鏡さんも、ツアー回りまくっている人々は
各地の旨いもんを熟知しているものである。
東京でレコーディングなんかしていても
スタジオ近辺のラーメン屋の出前メニューに関して熟知するのみである。
えらい違いやのう。
やはりツアーやらんとな。
って旨いもん食うためにツアーやるんかこら。

ライブのビデオを観てみるとなかなか笑えたりもする。
特に岡山の俺の陽気さは一体どうした事だ。
その日によってお客さんのノリも俺のノリも全く違う。
別に盛り上がりさえすれば良いライブという訳ではない。
しみじみした良いライブだってそれはそれで全然アリである。

それにしても自分のライブだきゃあ絶対に生で観る事が出来ないのが
残念である。
一度なんとか観てみたいものだ。
歌いながら幽体離脱とかして。

全く関係ないがセロリは旨いなあ。
いや今買ってきたセロリ食ってるもんで。
実は俺が子供の頃ほとんど唯一食えなかったのがセロリである。
なんでこんな旨いもんが食えなかったんだろ。
今や大好物と言っても良い。
ある程度の歳以上の人は大抵味覚の年齢による変化を経験しているものである。
大概子供の頃はハンバーグやらフライ類などの油っこいものが好きで、
段々焼き魚だの味噌汁だのさっぱりした日本食を欲するようになるのがパターンだ。
俺の場合ずっと変わらず好物なのがカレーと餃子だな。
今日某インド料理屋に一人で行って、カレーを3皿とライス、ナンまで食っちまった。
食い過ぎだっちゅうの。
ああ苦しかった。
明日はタイ料理屋行くぞお。


[269] 4月8日 2002年04月09日 (火)

現在熊本の知人の会社にてこれを書いている。
実は、そんでもってすでに一度書いて全部消してもうたがな。
慣れんやり方はイカンのう。
大体何の為にVAIO買ったんだ俺は。
一度あれがイカれた時に頭に来過ぎてただのワープロにしてもうた。
ああもったいな。

なにはともあれ宮崎あんど大分終了。
大分は俺にとって初めて、JAZZが中心のライブハウスでの
演奏であった。
たまらん雰囲気やったな。
建物は古いレンガの元倉庫でツタが絡まってるし。
後ろは港だし。
おとな、ですな。あたしったら。

それにしても生のピアノは良いわい。
それに関しては前に散々書いたので省略。
あまりに生ピが気持ち良くて、途中でお客さんの存在をすっかり
忘れていた瞬間があったな。
やはり何事もナマが一番である。
いやほら、ビールとか。
なに考えてんですかああた。

明日は熊本ライブである。
良いライブにするぞお。




[268] 4月3日 2002年04月04日 (木)

なにやらバタバタしている日々である。
なんせこの世は無常なわけで。
あらゆる常ならざる物事の対処に追われるのも仕方ない。
つーわけでひとつよろしく。

最近また泳ぐ事を習慣化しようとしている。
実際泳いでると調子がいい。
よく眠れるし。
さすが魚座。

ところで辻元氏の例の政策秘書はやはり土井さんの秘書の紹介という亊のようだ。
そうだろうねやっぱり。
もういよいよ社民党は命運尽きたな。
まああたしゃ社会党が与党になって村山さんが首相になんぞなっちまった時に
あの党の存在価値は消滅したと思っているが。
もともとアンチである事以外にあの党に存在価値があったと俺は思っていないもんで。

どうも権力やら体制やらにはまず意味もなく反感から入りがちな俺ではある。
しかしアンチであるニュアンスだけが好きなタイプの輩が最も嫌いだ。
別に社民党がどうの、つう事でなく。
実際に責任を持つ事なく文句だけ言うのはそりゃ楽である。

政治だろうが会社内だろうが、あるいはクラスの中にだろうがいるっしょ。
熱心な人間や、実際に動いている人間の批判だけして
賢いつもりになってるタイプ。
ま、いわゆる斜にかまえる奴ってんですか。
ナナメになってんじゃねーよ。
まっすぐ立ってみろっての。
あれっだったっすよ俺も。かなり。ナナメな奴。高校の頃とか。
ああ恥ずかしいったら。

アンチといえば。
俺が小学校の頃ファンだった阪神、調子良いっすね。
やはり阪神が強くないと巨人ファンもアンチ巨人も盛り上がりに欠けるでしょ。
などと言いつつ最近ほんとスポーツ全般から興味を失ってきている俺だけど。
それにしてもやはり人間のやる事なんて率いる人物で変わるもんなのね。
一匹の羊に率いられた獅子達より
一匹の獅子の率いる羊達の方が強いとか言いますからな。
まあ獅子達は率いられる前にヒツジ食っちまうと思いますが。
まあなにしろ春の椿事とかで片付けられずに
最後まで強い阪神だといいなあ。
一番から九番まで言えと言われてもまったく名前も出てこない俺ですけど。
カークランドは今年は調子どうなんでしょ。
藤田平は。

うーむ。
せめてバースと掛布くらいにしとかないと
誰もついてきてくれなさそうだ。

がんばれ江夏。




[267] 3月28日 2002年03月29日 (金)

もう桜ったら散り始めているぞ。おいおい。
世の中花見スケジュール狂って困っていらっしゃる方々も
おられる事であろう。
しかし花見っつう文化は日本以外どこかで存在するんだろうか。
俺はないとふんだぞ。
フラワーウオッチング。
なんやら別のもんになるわな。
パーティアンダーチェリーブロッサムズてか。
どだい外でおおっぴらに飲んで騒ぐ事じたい西洋じゃヒンシュクもんである。
ふん。つまらん奴らやのう。
といいつつ、風流と呼べる範囲を遥かに越えた
酔っ払いも確かに困りモノではある。
そら花見に限った事ではないが。

からむ奴。
愚痴る奴。
セクハラしはじめる奴。

こういう輩とは飲みたくないのう。

俺は自慢ではないがからみも愚痴りも絶対しないぞ。いや自慢だな。
だからタチが良いとは言いがたいが。
セクハラは人の感じ方それぞれでございますから。
断言出来ません。
そう受け取られていないと思いたいでございます。

俺の場合、基本は飲めばどんどんハッピーになってゆく。
一線を超えると超馬鹿になるだけである。
迷惑をかけないとは言わない。
つーか言えるもんか。はははははは。

大迷惑である。
いやほんとすんません。

まあ楽しく花見しようよ。
散る前に。
からまず愚痴らず。


[266] 3月26日 2002年03月27日 (水)

広島岡山あんど高知、なんとか終了。

高知では風邪ひいてかなりギリギリであった。
まったく虚弱な男である。

根本的な原因として、まず俺が眠るのが下手な事が一番だろう。
疲れた時に眠りさえすれば人間、疲れもとれるように出来ている。
どうもなかなか眠りにつけない上にすぐ起きてしまう。
逆に言うと、かなり寝ないでも平気なタチではあるのだが。
さすがにあまりにも疲れがたまると身体が悲鳴をあげるのであった。

と言いつつ実は高知ライブのあと、やはり酒を飲んだ。
最初しんどかったのに、調子に乗って飲んだらあら不思議。
風邪は治ってしまったぞ。
人間の身体というのはそんなものなのである。
と言ってはいかんな。
そんな事もあるのである。


それにしても辻元議員。
つうか辻元元議員。
ヘタうったなあ。
ごまかしようのない事はとっとと認めて、
さっと辞任の方向に話が行っていれば風向きも全く違ったのに。
だってだれだれ君もだれだれ君もやってます、ってあーた、
小学生じゃないんだから。
しかも加藤氏や鈴木氏の話ともそれはそれ、これはこれっつうだけでしょ。

みいんな分かっているのである。
そんな昔の話出してこられて、まあちょっと目立ち過ぎて
ねらい撃ちされたな、と。
何も分からない時に人の言葉にのってそんな事をしてしまった、と
とっとと罪を認めて潔さをアピールしておけば
将来的なダメージは少なかっただろうに。
処理の下手さでものすごく男を、いや女を下げたな。

つーかほんと。
もっと大事な事はいくらでもあるわけで。
どーなの国会。

そういえば広島。
かつては空港が近かったのでよく飛行機を利用した。
ばか遠い所に空港が移転してからは新幹線でしか行かなくなった。
誰があんなところに空港作ろうっつったんだ。
きっと利用客は激減した事であろう。
誰かがあそこに作りたかったんだなあ。
怒ったほうが良いよ広島人。
当然便利になった人達もいるだろうけどさ。

神戸空港なんてのもそういえばまだ話は進んでいるのか。
そりゃ空港作ればうるおう人々はいるだろうさ。
だけどみんなの税金は湧き出てんとちゃいまっせ。

その場しのぎばっかで、長期展望にたって
黒字を生み出せるモノ作らんからどんどん税金で赤字補填
するモンが増えるやんか。

たのむでほんま。





[265] 3月19日 2002年03月20日 (水)

いよいよ明日は広島にむけて出発である。
楽しもうぜ。

と言いつついきなり暗い話題だが、山口の母子殺人事件。
当時18歳だった犯人は結局無期懲役だった。
システムはよくわからないがなんだか7年程で出てこられるらしい。
被害者の夫はさぞかし無念であろう。

死刑というもの自体、俺はあってもしかたがないものだと思っている。
だが死刑を廃止しようという動き自体は、そのココロもわかる。
じゃあなんで終身刑っつうものが日本にはないのか、
そこんところがさっぱり解らん。

あんな惨い事件をおこす輩を、更生の余地あり、としてほんの
7年で娑婆に帰ってこさせて、もしその後再び事件を起こしたとしても
国にはなんの責任もないというのか。

そりゃ更生するかもしれないよ。そんな事は分からない。
だけど国がそんなスタンスなら被害者の感情の行き場はどうなるの。
あだ討ちの制度でも復活させてもらわんとどうにもならんでしょ。

どうせ無神経なマスコミなんぞがわあわあ言ってきたりしたであろう、
くわしく報道されまくった被害者の夫。
未成年という事で名前も出ず、
強姦しようとして殺しちまったあげく遺体を陵辱するわ、
うるさい子供を叩き付けて殺すわ、そんな衝動的な残虐行為を
計画性があった訳じゃないから更生の可能性が高いとまで
かばってもらえる犯人。

人権ってのは誰のナンのための言葉なんだ一体。

被害者の夫の心中を察するに余りあるっつうか、
俺が彼の状況に置かれたらと思うと身の毛がよだつわな。

誰か法にくわしい人いるなら、どうして日本において
死刑の次はいきなり普通2、30年やそこいらで出てこられる
無期懲役ってやつしかないのか教えてくれえ。
なんで終身刑とかないの。
懲役200年とかそんなん。



[264] 3月15日 2002年03月16日 (土)

もうすっかり春じゃのう。
やたらと暖かいぞ。

公園ではオス鳩がメス鳩に首膨らませて求愛していた。
いろいろな生き物がそろそろサカり始める事であろう。

大体、一年中サカっている生き物なんぞ人間だけである。
よくケダモノのように、などという比喩がみられるが、
ケダモノ達なんてみんな大した事はない。
ケダモノ達の中でやたらと性欲の強いヤツこそ
人間みたいだ、と表現されていて然るべきである。


ところで最近、立原正秋の小説が好きだ。
こういう小説を読むと微妙なニュアンスを表すのに
日本語ほど良い言語はないだろうと思う。
とか言って比較できるほど他の言語に精通しているわけでも
なんでもないが。
そういえば昔、川端康成がノーベル賞取ったりしているけど
どこまで日本語の味わいなんて外国語で伝わっているんだか。
英語の俳句とかいうやつなんて一体どこが俳句なんだよ。
ただのショートセンテンスじゃねーか。
あんなもん、日本通な気になった欧米の変人が和服なんか着て、
日本もんと中国もんの区別もつかねーで水墨画やら提灯やら
ゴチャゴチャに飾った部屋でその気になって唸ってたって
俺は認めねーぞ。

ま、逆に日本のいろんなもんがあっちから見りゃ
そんな感じってわけだ。

ポップスなんぞで生計を立てている身としては
身につまされる話っす。



[263] 3月10日 2002年03月11日 (月)

はっぴ〜ばーすでえつうみ〜。
もうすでに日が変わって誕生日になってしまった。
44歳ですか。
こいつあびっくりですなあ。
そんな歳に自分がなるなんてえのはどうも実感ないっすねえ。

それにしても今日のパーティ。
昔のビデオには本気で恥ずかしくなっちまったぜ。
あんなえらそうなヤツだったのか俺。
今でも俺様ではあるが。
つーか自信のなさを虚勢はって隠そうとしてるのがミエミエで
とんでもなく格好わるかったな。
肌はキレイだったけど。

今日も言ったけど、俺は今の自分が今までで一番マシだと思っている。
つーか当時は当時でそう思っていたんだが。
基本的にそう思えている人生というのはもしかしてすごいラッキーなんでないか。
学生時代の友人とかでたまにあの頃はよかったなあとか、
あの頃に戻りたいなとか言うヤツがいるが、とても同意できない。
アタシの人生なんてあーた、そりゃもうどこ思い出しても
恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて。
こんなんでも上等マシになってるんですう。

それにしても44歳のばーすでーをこんな風にみんなに
祝ってもらえる俺はまったく幸せ者だと思う。
みんな本当にありがとう。




[262] 3月9日 2002年03月10日 (日)

明日はT's party。
まあ私の誕生日祝いにかこつけて
みんなで盛り上がりましょうってなもんです。
祝いついでに盛り上がってやってつかあさい。

しかし。
よくカラオケで歌う歌なら大丈夫かと思いきや、
自分で楽器弾いて、しかもシラフで歌うのは随分勝手が違う。
キーは2つ上げ、とか言っても自分のギターでやるしかないのね。
めんどくさ。

きっと予想外の選曲だと思うよ。
なにしろ俺様ったらホテルのバーでブランデーなイメージらしいんで。
言ってんじゃん焼酎と日本酒だって。
イカさないっすよお。

ま、楽しみにしててな。



[261] 3月5日 2002年03月06日 (水)

あらやだ。
もう3月5日じゃないの。
なんだか時の流れが最近速いわあ。

というわけで金沢。
本当に素敵な街であった。
空気自体がゆったりしていた。
だがさびれてはいない。
意外にそういう街は少ないものだ。
本気でこの街で暮らしたい、と思った。
食い物マジでうまいし。

今日髪を切ってきた。
生まれて初めてモヒカンにしてみたぞ。
うそです。
なんかまあ、普通な感じっす。
しかし死ぬまでに一度くらいモヒカンにしてみたいものだな

今度のT'sパーティはおもろいでほんま。
なんせ大抵の方々はライブにも来てくれるだろうから
普通な選曲では面白くなかろう。
という訳で、今回は
“織田哲郎カラオケで歌う歌は?”

実は俺はカラオケで歌える歌はきわめて少ない。
20年ほどほとんど同じ様な曲ばかり歌っている。
つーかあまりカラオケ好きではないのだが。

ま、きっと初公開かつ最後になると思うよ。
こんな選曲聴けるのは。
ふっふっふ。



[260] 2月27日 2002年02月28日 (木)

今日は相川の誕生日パーティに顔を出した。
今年の完全復活に向けて相川は気合い充分である。
ぐあんばれ。

知る人ぞ知る占いの大家に観てもらう機会があった。
なかなか面白かったぞ。
基本的に良い事ばかり言われたので総て信じよう。
楽しみだなあこれから。

昔から実際、どんな占いでも言われる事はほとんど同じである。
手相でも名前だの生年月日だの何で占っても不思議なくらい
同じような事ばかり言われる。
どうやらなかなかにラッキーな星の下に生まれているようで、
だいたい良い事を言われるのだが、ただ必ず言われるのが人が良すぎる、
騙されやすい、つまり間抜けであるという事だ。

まあ否定できまへん。
間抜けっすよかなり。
でもなんとかなるもんだし。
これからもなんとかなるっしょ。

いよいよこの前延期してしまった金沢である。
気合い入れていきまっせ。



[259] 2月24日 2002年02月25日 (月)

その土地によって空気が違うのがライブの面白い所だ。
その違いをこちらが楽しませてもらっている。
いろいろハプニングが起きるようにするのも
なかなか大変なのだ。ふぉっふぉっふぉ。


それにしても鈴木宗男氏。
辛いだろうなあ。
「ナンで俺だけがああ!」
と、酒のんでは叫んでいる事だろう。
実際他の人達もやってるような事を少し念入りにやっていた
だけの事だろうに。
だからってまったく彼を弁護する気にはならん。当然だ。
彼のようなタイプが今後、自分の選挙区でちゃんと落選するようになればいいのだが。

確かに田中真紀子さんという人は、誰かが言っていた通り破壊屋としては
優れた効能がある。
鈴木氏にしても、外務省にしても、やはり田中真紀子というスターと
摩擦が生じる事で様々な問題が分かりやすく浮き出てくる。
だがそれは田中真紀子さんが正しいから、ではない。
外務省がいかに腐っていようとも、田中真紀子さんがおよそ人を率いる事の出来る
人間としての資質なぞ持ち合わせていない事実に変わりはない。
責任のある立場にあのような人を立たせる事の恐ろしさに
なぜマスコミは言及しないのか。
いったい彼女は外務大臣として任期中なにを成したのか。
どれ程すべき事をせず、してはならない事をしたか。
彼女寄りの立場でものをいうマスコミや政治家は、本気だと胸を張って言えるのか。
彼女の人気を恐れて、あるいはそれに乗っかろうとしての事でしかないのではないか。

それにしてもさあ、本当に日本は今末期的症状だと思うぞ。
今年乗り切れるのかどうなのか。
不良債権どーすんの。
金融政策は。景気対策は。
田中も鈴木も、もうええっつうの。こんな時に。

小泉さんやる事遅すぎ。しかも中途半端。
だから言ってんじゃん。
自民党で構造改革なんて無理だっつーの。
党を割ってでも、てのは口だけだったんかいな。
あれで小泉さんが自民党から出て、民主も割れたりしちまえば
もっと構図として分かりやすくなったのに。

ああもう。
田村負けちまったし。強いなあシウバ。









[258] 2月19日 2002年02月20日 (水)

どうもいろいろと身の回りでしんどい話が多い。
不況である事からきている部分もあるし、
俺が大殺界であるせいもあるのかもしれん。
日本の景気が悪いのは多分俺のせいではないと思うのだが。

ふう。
と、溜め息なんぞひとつついて、と。

この前の大宮は、来てくれた方々、かなり窮屈な状態で
長時間我慢していただくはめになってごめん。
これに懲りずに是非またどっかで会おうぜえ。
それにしても大宮。
渋谷から30分で着いたぞ。
あれでこそ高速道路というものである。
混んでいる時の渋谷〜新宿より近いっつうの。


なんだかいろいろ書いては消してしまった。
思考がよろよろしておるわい。
がんばれ脳。



[256] 2月15日 2002年02月16日 (土)

今日はカレイドスコープというバンドのライブだった。
良いライブだったよ。
さすがにストリートでゼロからやってきただけの事はある。
東京でのワンマンは初めてながら、落ち着いたステージを
見せてくれた。
頑張っていけー。


どうでもいい事だけど俗にタイ米と呼ばれる、ほらあの、
長い米あるでしょ。
俺はあれが好きなのよ。
あれで味噌汁漬け物焼き魚食おうとは言わんけど。
かつてタイ米の輸入がどうのこうのっっつってた頃
普通の日本の食事用の米として日本米に混ぜるだのなんだの言ってなかったっけ。
そりゃむちゃっすよ。
そんな事するからみんなあれ不味いと思ってんだよなあ。
炒飯だの、日本風でないカレー類などは絶対あっちの方が美味いぜ。
せっかく向こうから調理人連れてきて良いカレー作っても
メシを日本人に合わせたんだか日本の米出されると少々がっかりする。

だからどうしたの。

という訳でここで輸入文化を総括して論じたりするとか
いちいちそんなメンドーな事言い出すヤツも俺は嫌いではないが
別に単に長い米が食いたいと今思っただけなので
こじつけるのはやめといてやるぜ。

食いてえ。長い米で辛い料理。


さあてと。
大宮はどの曲やろうかな。
ふっふっふ。




[255] 2月10日 2002年02月11日 (月)

松阪&岡崎ライブ終了。
来てくれた方々、本当にありがとう。
どちらもいろいろと練りに練った演出を楽しんでいただけた事と思う。
松阪ではうまくみんなを和ませる事が出来たぜ。ははは。
苦労するぜまったく。
いやいやいや。
ほんとすみません。

岡崎はちと違う選曲でいってみました。
これからもその日になってみないとどの曲やりだすか分からないからね。
楽しみにしててや。


[254] 2月6日 2002年02月07日 (木)

なにしろ人生のリセットなんてのは出来ない。
もう一回あそこから、なんてのはナシである。
無限の選択肢の中から選択した瞬間瞬間を連ねて
一本だけの線として人生が出来上がる。

別に何を言いたいわけでもないが
こんな人生も悪くないかなあ、なんていろいろ夢想したりもする。
だけど調子に乗ってやっちまった事の後悔はともかく
逃げたっつう思いをかかえるはめになるのは辛いものだ。
自分の中に目をそらし続けるはめになる部分を作るのはしんどい。
真面目な話としてはそういう事だ。

いやほら、なんせ昔から本気で浮浪者指向なもんで。
逃げ倒す人生は憧れなのさ。まじで。

あああ魔がさしそう。
探さないでくれえ。

なんて事書くとマジで心配されそうだな。
ただの発作です。
気にせんといてな。
とりあえず逃げるけど松阪あたりで発見されそうだな。


[253] 2月3日 2002年02月04日 (月)

少しずつ歌ったり楽器弾いたりの練習量を増やしている。
元の木阿弥にならんようにせんとな。
気管もさることながら胃腸がどうもすっきりせんのう。
もう薬は飲んでいないがダメージは大きかったようだ。
胃腸がすっきりしないと人間気合いが入らないものである。
なんとなくしょぼくれ感が抜けない。
まあ次のライブまでにはばっちりでしょう。
身体さえしゃんとすればええ仕事しまっせ。
楽しみにしててな。

ところで。
田中真紀子さんだが。
更迭した事で小泉さん人気急落ってか。
んな阿呆な。
今回の話にしたってまた真紀子さんしょうもない嘘とかついてるし。
小学校の学級会じゃないんだから。
まあアホの坂田もたいがいのもんだが、
それ以前に真紀子さんが外相として国益損ねまくりだったと思う。
言って良い事と悪い事の判別が外相としてとかのレベルでなく
社会人としてあまり出来てないようであったぞ。
あの人はコメンテーターとしては素晴らしい。
ワイドショーには最高でしょう。
しかし日本の外相としては恐ろしく適性の無い方だったんでないかい。
国内の外務省の問題がどうしたでなく国益を考えればそりゃやばいっしょ。
更迭しない事が問題になりこそすれ更迭した事を咎められてもなあ。
いや小泉さんも大変やの。
まあ今回のタイミングがあまりよろしくなかったか。
もっといくらでもやばい話あったんだからとっくに更迭しておくべきだったんだろな。
とにかく国の方針と関係ない自分の意見を平気でぱかぱか喋っていたからなあ。
外相が言うたら他国ではそれ日本の意見だと思うでしょうが。

小泉さんが問題なのはそんな事でなく改革自体が腰砕けになってる事でしょ。
遅いし中途半端だし。
だからって他の人で誰なら良いってもんでもなさそうだし。
がんばって欲しいわあ。ほんまに。

巨泉さんはもう日本帰ってこんでよろし。
セミでなくちゃんとリタイアして下さい。



[252] 1月30日 2002年01月31日 (木)

今日は宮崎に行ってTVラジオ及び取材を少々。
TVでは一曲ナマ歌を披露。

昨日試しに歌ってみたらなんとかなりそうだったので、
歌ってみた。
歌はなんとかなったが、病み上がりのため一曲歌うだけで
普段よりかなり疲れた。情けない。

でもまあ良かった。
もうかなり体調は上向きである。
皆様にはまったくもって迷惑あんど御心配おかけしました。

気管支炎もさることながら、そのための抗生物質を含む薬で
胃も腸もすっかりやられてしまった。
上りも下りも特急通過である。
まったくあのテの薬はいよいよもって身体に合わん。
一応胃薬も一緒につけてくれていたのだが全然だめだ。
おかげでせっかくの宮崎で何もおいしそうなものにありつけなかった。
くっそお。

宮崎で今日お世話になったみなさん。ありがとうございました。
ライブでお会い出来るのを楽しみにしています。

その時は霧島とウナギでぱあっと行きましょう。




[251] 1月26日 2002年01月27日 (日)

結局京都と神戸も延期させていただく事になってしまった。
重ね重ね申し訳ない。
せっかく足を運んでみようと思っていてくれた人には
本当にすまない事をしてしまった。
予定もいろいろあるだろうが、これに懲りずに
4月に来てもらえるならば最高のライブをお見せしたいと思う。

人生うまくいく時は何やってもうまくいったりする。
好循環が好循環を呼ぶ、てなもんだ。
あたしゃはっきり言って、ここんとこうまくいかない時期である。
あらゆる方面でそんな感じだ。
だが40年も生きているといろんな時期がある事くらい分かっている。
うまくいっても調子に乗らず、うまくいかないからってじたばたせず。
そんなワタシでありたいものだ。

ホントの話、うまくいかない時期は味わい深いものである。
これは決して負け惜しみではない。
好循環中よりも悪循環中の方が学ぶべき事は多いものだ。

なにしろ俺の場合、「知る」事が最も楽しいタチなのである。
調子良い時は見えにくいものがいろいろと、やっと見えてきたりする。

とはいえ、そんな呑気な事言っとる場合ではない。
ダメダメでも皆様に御迷惑のかからない自分でありたい、と切に思う。

本当に申し訳ない。


[250] 1月24日 2002年01月25日 (金)

申し訳ない。
風邪が治らんなあと思っていたら
気管支炎になってしもた。
横浜のライブの1、2週間前からずっと風邪っぽいのを
だましだましやってきたんだが、
いよいよ咳が止まらなくなってしまった。

まったく情けない。
20年以上やってきたが、病欠は初めてだ。

なんとか京都までには治したい。

金沢、3月1日には最高のライブをお見せしたいと思う。


[249] 1月22日 2002年01月23日 (水)

う〜む。
風邪の具合がよろしくない。
これはいかん。
まあ大体風邪ひくなんつうのは心がたるんでおるのじゃ。
そういったタイプの体育会的精神論は基本的に好きではない。
が、風邪に関して言うとまず真実である。
本当に気が張っている間は無理していてもなんとかなって、
そののちの休日に風邪で寝込む事とか、経験あるでしょきっと。

というわけですみません。たるんでました。
おまけに運動も出来ないもんで身体までたるんでくるやおまへんか。
身も心もたるみ三昧。
不健全な心は不健全な身体にやどる、と昔の人も言うてます。
何言うとるのやらよう解りまへん。


この前数十年ぶりに太宰治の人間失格なんぞ引っ張り出して読んだ。
中学の頃太宰治は全部暗記するほど読んだものだ。
あんまりピンとこなかったなあ。

他の少々古めの文学もの読んでいても、
そんな甘っちょろい事言うておれません今どき、てな感じがする事が多い。
中学生の時と現在の自分の感受性の違いというよりは
主に時代性の問題と思われる。

大体恋愛モノに至っては、昔盛り上げ要素として欠かせなかったすれ違いなんぞ、
早うケータイでメールくらい入れんかい、と思ったらそれで終わりである。

昔の文学の登場人物の悩み方の大仰さに、今時としてはどうにも
無神経な垂れ流しナルシズムを感じてしまう事も多い。
そういえば「若きウェルテルの悩み」なんつう本があったな。
あんな大仰な悩み方友人にそばでされたりした日にゃあたまりまへんなあ。
ま、「巨人の星」だってそうか。
今となってはすっかりギャグである。
当時はみんな感動していたんだぞ。

本質は人間、熱血だったり恋愛の悩みだったり、なんも変わってないと思うんだが。
その表現の仕方はどうしても時代性っつうもんがあるでなあ。
そんなもん、音楽だって20年前と現在では違うのは当然である。
しかしそこにより多くの普遍性を持たせたいと願うのがなんか創る人間の常ではある。
でもそれも実は大した問題じゃない気もする。

ま、とにかく問題は風邪である。
気合いやろなあ。最後は。
うむ。


[248] 1月18日 2002年01月19日 (土)

今日横浜に来てくれたみんな、本当にありがとう。
結構ドキドキだったぜ。
俺様ったらああ見えて。
でもなんとか歌えたな。最後まで。
いろいろ斬新なアレンジ楽しんでいただけたかな。

ホントはかなりドキドキだったんだけど
これが今の俺だよ、ってんでそれほど舞い上がらずに
やれたあたりが年の功ってか。
古村とのコンビだからこそなんとかしちまえた部分もあったわな。

今日来てくれた人もぜひまたどこかのライブで会おうな。
今日来てない人もぜひどこかのライブで会おうぜえ。



[247] 1月17日 2002年01月18日 (金)

明日はライブだな。
つーかこれを読んでいる人からするとすでに今日がライブだ。

電子ピアノ君とは今イチ良いお友達にはなれないな。
嫌いだこんなヤツ。
と言ってもね。
君が頼りなのよね。
仲良くしような。

さあて。明日はどうなる事やら


[246] 1月13日 2002年01月14日 (月)

ずっと本物のピアノで練習していたのだが、
ツアー本番は各ライブハウスで状況が異なるので
電子ピアノで演奏するのだ。
でもって電子ピアノ弾いたらあーた。
全然ちゃうやないですか。
タッチも音も。
こんなん違う楽器でっせ。
というかやはり電子ピアノなんぞ楽器ではない。
あれは鍵盤ではないのだ。
スイッチが並んでいるのだ。
したがって楽器を演奏する楽しさっつうもんが全くないがな。

という訳で、もう本番も近いってえのに
がんばって電子ピアノのSG-1君とお友達になるべく
一生懸命お話をしている。
とはいえ、別にこんなヤツと俺が友達になりたいわけではない。
先生に
「お前は学級委員なんだから仲良くしてやれ」
と言われて、毎日好きでもないヤツのところへ迎えに行ってやっている気分だ。
やっとすこし会話はできるようになってきたが、
それも単に俺の努力なのである。
こいつはまったく俺を理解しようとも歩み寄ろうともしない。
やっと会話が出来るようになったところで所詮これがまた
つまらんヤツなのだ。
普通楽器というのは、こちらが近づこうとすると向こうからも
近付いてきて、どんどん音もよくなるものなのだ。
だがこいつは違う。
そういった、本物の楽器との心の交流のような、
お互いが解りあっていく感覚なんぞなーんもありゃせん。
ありゃせんのだが、便利なヤツではある。
というわけでこちらもその便利さをクラスのために活かしてもらうべく、
今日も迎えにいくのだ。
だが俺はそういう、利用したりされたりするだけの人間関係は好きでない。

だから人間関係じゃないっつーの。


[245] 1月9日 2002年01月10日 (木)

ワタシの愛車がエアコンの故障で入院している。
エアコンのスイッチをいれると
キュルルルルエオオオオ
ウイイイイーウエーウオオオオ

と狂気を感じさせる鳴き声を発し続けるようになっていた。
なのに、前に一度修理に出した時は、
「どこも悪くないですよ」
と言われて帰ってきたのだ。
うむ。確かに当時は、エアコンのスイッチを入れても鳴き出さない時もあった。
とはいえ、ほとんどの時に鳴き出していたのだが。
修理に出している間みごとに一度も声を発しなかったようだ。
しかしここ数日は100パーセントの確率で鳴き出しているので、これでまた
「どこも悪くないですよ」
と言われて帰ってきた日にゃあこいつったら。
目にものを見せてやらんといかん。
大体ここんとこエアコン無しで走るには寒すぎだぞ東京。

でもって今、代車の日本車に乗っている。
いいっすね。日本車。
静かだし。速いし。壊れそうにないし。
カーナビっつうもんも便利だし。
馬鹿アメ車とは天国と地獄まではいかないけれど
天国と人間界くらいの差はあるぞ。

だが良いのである。
ワタシは馬鹿アメ車に乗り続けるのである。
カーナビなんぞ一生つけないのである。
なーにがあと100メートルで左折じゃ。
お前なんかに言われたくないわ。
右折してやる。ざまあみろ。

とか言いつつ、あと2年くらい経って、ゆったりした日本車で
カーナビの指示どおり走っていたりして。
えー今時カーナビもないのーかなんか人に言ってたりして。

思うに人間、便利であるかどうか以外の価値観のために
やせがまんをするポイントのひとつやふたつ、
あったりするのも楽しいものではなかろうか。


[244] 1月6日 2002年01月07日 (月)

正月から身内に不幸があってばたばたしていた。
そんな訳で初めて本格的な帰省ラッシュの
タイミングの電車に乗る事となった。
混んでいたり並んだりという事が大嫌いなもんで、
そういう時期は必ず外しているのだ。
急だったので指定席が満員で、自由席で立って行った。
2時間半位の事であったが、なんせ連結部分でずっと
ななめに立っていたもんで気分が悪くなった。
ありゃ大変だわ。

相変わらずピアノの練習に明け暮れているが、
困った事が一つある。
アコースティックギターを弾くために右手の爪は伸ばしているのだが、
本気でピアノを弾くと必ず爪が割れてしまうのである。
これではアコギのアルペジオか、あるいはピアノかのどちらかを
ベストな状態は諦めなければいけない。

そういえばアコギの指弾きとピアノと両方マジでやっている人は
記憶にないなあ。

結構困っている。
誰か良いアイデアがあれば教えて下され。

それにしても小川はあれで良かったのか。
直也の方ね。健介とやった。
だから新日は駄目だっつうの。
とっとと武藤なり蝶野なりを社長にした方が良いんじゃないの。
別に藤波になんの恨みもないんだが。
つーかきっとすごく良い人なんだろうけど。
どういう絵を描きたいんだか、それは人それぞれであっても
とにかくトップが自分なりの未来図を描けないとまずかろう。
なあんてね。
また好き勝手に言わせてもらった。
だって今どきあれはないっしょ。
セコンド乱入で遺恨残して引っ張るわけね。はいはい。
あーあ。てな感じじゃん。

その点猪木とK-1の石井館長はすごいな。
あの二人は明確なビジョンが常にある。
だから結果的に運も味方するもんだ。

という訳で他人の批評は楽なもんである。


[243] 1月1日 2002年01月02日 (水)


あけましておめでとう。
今年もよろしく。
つーか今年はよろしく。
各ライブ会場で会える事を楽しみにしているぜ。

ま、一時はどうなる事かと思ったが
とりあえず、歌えるようにはなってよかったよかった。

というわけで今回のツアータイトルは
〜不死鳥のように〜 である。
ツアーのラストはやはり新宿コマ劇場だろう。
小林幸子あるいは美川憲一ばりの衣装で
下からせりあがって登場したいものだ。
ぜひおひねりなんぞ投げていただきたい。
ちゃんと時代劇の寸劇なんぞあいだにありつつ。
チケットにはお弁当代も含まれております。

正月そうそう何を言っているんだ俺は。

今年はどういう年になるんだろうか。
個人的にも日本的にも世界的にもなかなか予測不能である。

いったい円はどこまで下がるのか。
改革は少しでも進むのか。
つーか大手術をすばやくやらないのなら逆に緊縮財政が
景気にとって致命傷になった、なんて事になりかねないな。
やるなら暗殺覚悟でばかばかやったらんかい。
それでも暗殺なんて日本じゃそうそうされないんだから。
どうなの小泉首相。

ウサマ・ビンラディン氏は捕らえられるのか。
中東問題は。インドあんどパキスタンは。

と考えてから自分の事に目を向けると、まあ
今年織田哲郎のCDが発売されるかどうかなど、小さな問題ではないか。

すいません。
冗談っす。

がんばりたいのですが。自分としては。
当人としても予測不能なもんで。

今年がみんなにとって良い年でありますように。



[242] 12月30日 2001年12月31日 (月)

今年でも振り返ってみるか。
むー。
むー。
なんにも特筆すべき事柄がない。
考えてもなーもありゃせん。
それでよくこのダイアリー書いてたもんだな。
一体何を書いていたんだ俺。

旅に一年出なかった年など久しく記憶にない。
海外どころか国内もどこも行ってない。
う〜ん。本当に画期的だ。
旅先からも送れるようVAIOだって買ったのに。

そして自分のCDも出してない。
他のヤツの仕事もホントしてねーし。

ま、ノドはもちろんの事、あらゆる意味で
リハビリの年だったな。

身体は随分調子良くなったよ。
泳いだり走ったりと、なまっていた身体をだいぶシャンと
させる事は出来た。

気がつけば精神も鬱状態からも脱しつつあるな。
やはり去年から一年以上、酒量を減らした事と身体を鍛えている事が
効を奏していると思われる。

それにしてもなあ。
去年までの鬱状態ってのも今思えばもったいないなあ。
普通に考えれば凄く楽しめる良い時期だったのに。
しかし俺っていつも、人から見て状況が良い時に鬱にはまる事が多いな。
つーか人が見て最低そうな状況ほどハッピーな事が多い。
うーむ。
そう言えばいつでもそうだ。
今気付いたぞ。
24歳の頃、あるいは31歳の頃。
両方とももう音楽的には行き詰まってた時だ。
音楽やめてなにやろうかなあとかどっちの時も思っていた。
両方の時期とも、個人的にはめずらしく鬱と無縁のハッピーな状態であった。
人から見れば、アンタどーすんのこれから、ってな時だったんだが。
今も結構そうっすね。
でもって自分的には悪くない精神状態。
あららら。
そうだったのか。
オモロい精神構造でんな。われながら。

社会的評価だの成功だのっつうもんは精神状態と無縁ではないが
決して直結などするものではない。
ハッピーな人間関係の方が大事だが、それとて決定的な材料ではない。

じゃあなんなのか。うむ。
うまく言えないが、精神の背筋がシャンとしてさえいればそれで良いのである。
俺の中で。

身体も本当に背骨が歪むと様々な形で支障が出てくる。
背骨に大事な事は日常生活における姿勢と、ホネを支える
周りの筋肉がちゃんとある事。
そして贅肉をつけ過ぎない事。
心も同じだな。

個人的にはなかなか面白い年であった。






[241] 12月28日 2001年12月29日 (土)


今日あたり仕事納めだった人も多かろう。
でもって忘年会だったり。
皆様飲み過ぎてませんか。

それにしても自画自賛してしまうが
『いかした奴』の詞は良いのう。
いやさっき車の中で聴いていたんだが。
良いっつうかありゃ俺のテーマソングだな。一生。
残念ながらあのキーであんな風にはもう歌えまへんけどな。

 〜胸の奥の暗闇は今も俺をひんやり見つめたまま〜

ちゅうワケやな。


[240] 12月26日 2001年12月27日 (木)

いよいよ暮れも押し詰まりまくりである。
押し寿司にでもならんばかりの押し詰まり様である。
あと一週間もしないうちに2002年。
2001年はなんだか世界的にばたばたした
かなり先行きの不安ばかり膨らむ一年であった。
どうなの2002年。
特に日本の景気ったら。
小泉さんいよいよ口だけ感が漂ってきているし。
なんせ議員の歳費カットも先送りだそうでないの。
議員なんぞ人数半分でもよかろうもんだが定数削減の気配なんぞ
まるでないし。

国民には痛みを押し付ける。
自分らは何もリスクは負わないったってあーた。
そんなんで誰が納得すんの。
最近銀行の人間と話す機会があったが、
ボーナス出まくりである。
税金投入しといて。

情けない国だねえ。
気骨とか矜持とかってえ言葉はどこ行っちまったんでえ。
みんな自分がうまい事やろうとしか考えちゃいねえやな。
てやんでえ。こちとら江戸っ子でえ。違うけど。
使命感とか持ってないんか。
まあどいつもこいつも親の票田及び政治家である事により
派生する既得権を無駄にしない為の二世三世の議員ばっかりだもんな。
この日本のために、などと本気で発言する事自体が書生臭いってな
もんだろうともさ。

しかしほんとにそんな事言ってらんない状態だぞ日本。
アルゼンチンへの道も近いんでないか。
いやサッカーではだいぶ遠いが。経済的にはね。

前も言ったがゴルバチョフさんひまそうだぞ。
いいじゃんサッカーだってトルシェ監督連れてきてるんだし。
首相にゴルビー雇えよ。
年俸3億くらいでどうだ。
毎年契約更新すんの。
複数年がいいとかゴルビーごねだしたりして。
しまいにゃFA宣言してアメリカの大統領になったりして。

はあ。がんばれニッポン。





[239] 12月24日 2001年12月25日 (火)

メリークリスマスである。

世の中では盛り上がっている人や寂しい人や気合いの入っている人や
がっくりきた人や普通に仕事をしている人などそれぞれであろう。
ま、あたしゃ仏教徒ですから。
と言いつつ受け付けてますぜクリスマスプレゼント。
とりあえず別に世の風潮に対して目くじらなんぞ立てるつもりは
まったくござんせん。
ハロウィーンだろうがバレンタインデーだろうが
資本主義社会における市場活性化に役立つイベントとして
それはそれでよろしいんじゃないでせうか。

しかし今年もいよいよ終わりだな。
今年は夏ってあったっけ。
きっとあったんだろうなあ。
最近は昨日の晩飯のメニューを思い出すのも
ひと苦労である。
わしの家はどこかのう。
ぶらさげている名札に書いてあるのは
わしの名前なんかのう。

だめだだめだだめだ。
風邪っぽい。
脳がウルウルしている。
文を書く事は出来ても読み返す事が出来なくなっている。
しゃばだばしゃばだば。
けっしてノリノリではない。
ではないが微熱で脳のコシが軽くなってしまっておるようだの。

そんなわけで俺はビタミンCを摂取して睡眠を取ろうと思う。
と、地味にクリスマスイブの夜はふけてゆくのであった。






[238] 12月21日 2001年12月22日 (土)

毎日ピアノの練習に明け暮れているぞ。
当然ライブではギターも弾くが、
なんだか今ピアノが俺のはやりなのだ。

実は9th Imageというバンドを組んでいた頃に
わしゃ両手とも手首は腱鞘炎やっとるでな。
当時、ライブの数日前にキーボードが入院しちまったもんで、
俺がピアノ弾きながら歌う事にした。
キーボードが入院っつったって別に鍵盤が入院したわけではない。
キーボードを演奏する男が病気になったのだ。
分かってるつうの。

でもって2、3日急に練習しまくったらあっという間に
腱鞘炎になっちまっただよ。
おら困っただよ。

それ以来、どうしてもキーボードをまったく触らない生活も
出来ないでいたもんで、20代の頃は悪化の一途をたどったのだ。
なんせ腱鞘炎ってえのはもう、弾かない事しか対処のしようがないのである。
ひどい頃は箸持って食事するだけでも苦痛だった。
箸がころがるだけでも笑い転げてしまったものだ。
気にしないように。

最近やっとほとんど痛みを感じる事もなくなっていたので、
まあつまり鍵盤に触る事自体がとっても少なかったからだろうが、
なんだかピアノを弾くのが楽しいのである。
とはいえ、さすがにいきなり思いきり弾くような無謀なマネは
しないように心掛けている。

そういえば足は両足とも、足首を死ぬ程捻挫しまくっている。
普通に動かしてもコキコキ音がする。
これはバスケの後遺症である。
下手ほどコケるものである。

右手のひじは大骨折して、もう一生元に戻らないでしょうと
言われていた。
小学校1年の頃である。

幼稚園に入る前に、迷子になったあげくふらふら道に飛び出して
車にはねられた事もある。
幸い大した事はなかったが、今も頭に傷跡はのこっているぞ。
まだまだある。
小学校5年の頃、みんなで川に遊びに行った時、俺は先頭切って
川に入っていったらビンのかけらで足の裏をざっくりやった。
この時も、多分腱が切れているから指とかはちゃんと動かないかも、とか言われた。

他にも、大人になってから酔っぱらって階段でコケて、頭をぶつけた事がある。
その箇所、たんこぶだと思っていたのだが、腫れがひいてみるとなんだか
頭蓋骨自体が変型しているようなのだ。
どう触ってみてもこのボコっと出っ張っているのはホネだと思われる。
後頭部のホネがイカれても生きている。
いや本当は死んでいるのかもしれない。
あるいは俺が現実と思っているのはすべて、
植物人間になった俺の夢なのかもしれないぞ。
分かったものではない。

その他にも体中傷跡やけど跡、いっぱいである。

おっちょこちょいとか軽薄とかいつも通信簿に書かれていたが、
無理もない。
こんな子供がいては親も教師も大変である。

その上最近首しめられて声帯までイカれたわけだが、
まあやはり、どれも大事に至っていない幸運を感謝すべきなのであろう。
手やら足やら、あるいは脳に至るまで、とりあえず日常生活に支障は
きたさない程度ですべて済んでいるのだから。

いやほんとはすでに死んでるのかもしれないが。






[237] 12月18日 2001年12月19日 (水)

いやはや。
暮れも押し詰まって参りましたな。
師走でごわす。
などとしょうもない事を言っているうちに
今年が終わろうとしているのであった。

去年今年と、俺ったらこの時期に酒を飲まないもんで、
世間では忘年会やらなにやら盛り上がっている中で
一人、すでに茶を飲みながらゆく年来る年を観ているかのような
侘びさびをしみじみと味わっているのであった。

と言いつつ、実はこの前一度酒飲んじまっただよ。
部屋で焼酎を茶で割って。

去年は完全な断酒だったが、今年はビール一杯は許可、まあつまり
食事時の乾杯とかでまで頑なに拒否しないというスタンスである。
しかし実は人間、コントロールするより断ち切る方が簡単なのである。
コントロールする方が遥かに意志の力が必要なのだ。

だから酒でもドラッグでも女でもギャンブルでも、
意志の弱い人間ほど完全に断ち切らないと立ち直れない。
つーか溺れちまうようなヤツは意志が弱いヤツだからして、
立ち直るためには断ち切らないとダメなものなのだ。
まあこれくらいなら〜、という油断からまた転落コースが
始まるものである。

なあんてね。
別に断酒会での講演とかじゃないんだから。
まあでもそんなもんだと思うよ。
だから俺は物事、よく自分のルールを決めちまう。
もともと意志が弱いもんでね。
こうする事にする。
となにかに対してとりあえず決めてしまう。
そうしないと、ケースバイケースなんて言っていると
どんどん自分なんて甘やかしてばかりになっていくもんでな。

でもって難しいのが、それもこれもハッピーになるためなワケだ。
それなのに今度はそれが強迫観念になったりして自分を追い詰めないように
常日頃心掛けていないと、ルールを守れなかった自分を
責めるためのルールになって苦しんだんじゃ
何のためにそんな事やってんだかさっぱりわけが判らなくなってしまう。

ま、そんなわけで。
この前一度飲んじまった。
でもそれはそれ。
またここからはまた一日ビール一杯までよ。
と、あくまで前向きに取り組むのがよいのである。

というわけで、あくまで自分に都合の良いものなのである。


[236] 12月15日 2001年12月16日 (日)

うーむ。
どうなの。俺。
人生その瞬間瞬間に無限にある選択肢から選択して
今現在に至る訳である。
それが正しいとか、ベストだったとか
あるいは最悪だったとか、そんなもんは判らんのである。
なぜなら、他の選択の場合を後で見てみる、なんつー事は出来ないからだ。
ならば、とりあえずまあまあ上出来と思って生きていくのが
宜しかろう。
もっとひどい選択もあっただろうと考えてみれば、
あ〜良かったこんな程度で。と思えるもんではないだろうか。
という思考回路の良くないところは、それを始めると
どこまでいってももっとダメな状態もありうるので、
向上心と無縁になっていく事である。
では向上心とはなんぞな。
もっと何かを手に入れようとする事か。有形無形問わず。
それはつまり、心地よくありたいわけであるな。
今現在よりもっと。
もっともっと。
ふむ。
ではそれがよりテンションの高い瞬間であるとしたならば、
どんどん手に入れる必要のあるモノが増える事になるな。
それはつまりジャンキーでっせ。
ではより強固な安定か。
そんなもん所詮諸行無常ですがな。

などとしょうもない事をうだうだ書き連ねている今現在。

ここんところライブに向けて自分の昔の楽曲をよく聴いている。
色々な歌詞が今なりに感慨深く聴けるものである。
正直、今聴くと音楽自体はつまらなく感じるものもある。
そりゃそうじゃなきゃ成長してないもんな。
しかし凝縮された当時の想いは、今聴いても流れ込んでくるものだ。
瞬間瞬間の選択に対しての真摯な気持ちこそが、
結晶化した後に作品となるものである。
そう自己確認出来る事、そしてリスナーの方々がたまたま
俺のレコードまたはCDを手に取る事を選択してくれた瞬間、
あるいは俺のライブに足を運ぶ事を選択してくれた瞬間に
そうした人々との一瞬の選択肢の交差を実感出来る事。
これはものすごく幸福な事だなあ。

などとお間抜けな感想を述べてないで何とかしろよ。俺。
洗濯でもするか。


[235] 12月10日 2001年12月11日 (火)

あははははは。
一言だけ言っておくが、千聖君に似ているのは
小川直也ではない。
ノアの小川良成選手である。
いくらなんでもあーた。
あははははははは。くくく苦しい。
PENICILLINでギターを弾く小川直也。
面白すぎるぞ。

今日は、今度新しく創刊される某音楽雑誌の
取材であった。
俺のというより、主にうちのスタジオの取材である。
来年出るから、どんなところで作業してるんだか
興味のある人は是非見ておくれ。


[234] 12月9日 2001年12月10日 (月)

本日知人に誘われプロレス観戦。
初ノアであった。
えーと、プロレスに詳しくない方のために少々説明すると
かつて馬場さんの全日本から主な選手がみんな抜けて、
新たに旗揚げした団体です。
つうかここ数年俺もプロレスから遠ざかっていたもんで
すっかり浦島太郎状態であった。

あら。佐野は名前変えたんか。
斉藤彰俊すっかり普通にプロレスラーやのう。
高岩がなんでここにおんねん。
ガタイはデカいが気弱そうだった高山ったら
すっかり良いキャラになって。

といった、知らん人にはなんのこっちゃであるが
そんな感じだったのである。
なかなかノアは、しっかりした良いプロレスを見せてくれる
団体であるな。
などと最近めったにプロレス観ないくせにえらそうに。

しかし、聞けば全日はすっかり武藤がメインというでないの。
今や全日では元リングスの長井が川田と組むわ冬木と天龍まで戻ってくるわ、
まったく10年前にこのプロレス界の変動を予言したら
当時とんでもない笑い者になった事であろう。

それにしても小川は遠目で見てるとPENICILLINの千聖君にそっくりだぞ。
実は千聖君だったとしても気付かないのではないか。
マンガなら実は同一人物だったりするのだが。
そういえばホーガンはギターも弾けるプロレスラーであった。

本日は少々マニアックやのう。

個人的にはあそこで丸藤に負けた高岩が辛かったなあ。
なにやらかつてのヤマちゃんや健介に通じる
善戦男キャラの匂いがぷんぷんしている高岩だが、
是非一発そこから脱却すべくトチ狂って欲しいものだ。
俺は好きだぞ。がんばれ高岩。

去年一度新日は見に行ったが、全然ノアの方がプロレス自体が
ちゃんと印象に残っているなあ。
どうなの藤波社長。
大体藤波のような、現役時代から優柔不断だった人物が社長でええんか。
なあんてすんません。えらそうで。

しかし今の状態を予言していたら笑い者になっていたのは
別にプロレス界に限った事ではないわな。
バブルの頃には大マジで
“これから世界をリードするのは日本である”
などと日本はもとより他の国でも言われていたりもした。
今や、あと三年もしたら国債暴落とかして破産国になってるかもしれんでえ。
当時は土地の価格が暴落する事があるなんて
思いもよらなかったんだよねえ。みんな。
色々あったなあ。
社会党の村山さんなんてえのが首相になったり、
そんでまたよりによってそんな人が首相の時に神戸で大震災があったり。
その時なにも対処できなかった村山爺の台詞が
「なんせ初めての事じゃから・・」
である。
そんな人物が首相になるのも結局は選挙民である我々の問題ではあるが。
溜め息でるわな。

ニューヨークの貿易センタービルにジェット機が突っ込み、
青木建設も倒産する御時世である。
今後それこそ“初めての”事態がバンバン起こると思われる。
気がついたらミルコがなぜかFMWでレスラーとして電流爆破をしている事も
まったくなくはない事もないのかもしれない事もないかもしれない。

というわけでかつてプログレ話では思いのほか反応があったが、
さすがにプロレス話はだめだろう。
ざまあみろ。
ってなんだそれ。感じわりいぞおい。



[233] 12月7日 2001年12月08日 (土)

いやはや。
やはり酒を飲まないと甘いものを食いたくなる。
去年の年末と同じパターンだ。
でもってまたケーキ類とアイスの組み合わせなんぞ
やっていた日にはあーたもう。大変なもんです。
いや何がって。
つまり3日そんな事やっただけでもう腹のラインが変わっとるやおまへんか。
いよお〜おにいさん太っ腹。
大人のゆとり。
泳いでんだけどなあ。毎日。
ケーキ&アイスにはまだまだカロリー消費量が追い付かんようじゃの。
でも美味いのよこれがまた。
ティラミスwithハーゲンダッツのチョコマカデミア。
このコンビネーションが現在大ヒット中。
ま、太りたくてしょうがない人にはぜひお薦めしたい。

今日も東急ハンズでよく分からないものを買い込んでしまった。
高純度シリコン&酸化チタン効果の半導体膜ICアルファー。
どうだ。怪しいだろう。
これの付いた布とかを身につけていると、
血行が良くなるものなんだそうだ。
その場で試してみたらなんだかそんな気もしたので購入した。

他にも色々持っている。
トルマリンだのえーなんだっけ、タキオンパワーのネックレスだの。
でもここらへんのヤツはほんとに効果があるのだ。それなりに。
もっとしょうもないのも色々あるぜ。忘れたけど。
どうも好きなんだよ。怪しい話に乗っかってみるのが。
でもタキオンの水晶ネックレスなんて、
数十秒カップに巻いておくとコーヒーの味が変わるぜ。これホント。
苦味が随分消える。
だからなんなんだと言われても困る。
ただ、身体の悪いところを正常化するなんらかのチカラはあると思われる。

まあものは試しっつうのが好きなんで、人に薦められるととりあえず
その気になってみたりする。
でもさ、
「これつけてると幸せになれるんです」
ってさ、薦められても
“じゃあとりあえず君が幸せになってから俺も使わせてもらうわ”
てな感じな事も多い。
つうかなんだかいかにも不健康なヤツとか、
いかにも不幸せなヤツの方が多いな。そのテの怪しいグッズ好き。

そういえば、街でいきなり
「あなたの幸福を祈らせて下さい」
とか言ってくるヤツも
「俺がお前の幸せ祈ってやるっつうの」
ってな感じの、いかにも薄幸な雰囲気漂わせたヤツばかりだったな。

まあ何かに依存したいような状態のヤツに言われても
説得力ないわな。
こっちは別に依存するモノ探してるんじゃなくて
よりハッピーな日々を貪欲に目指しているだけなんで。

ところであの。ほら。雑誌の最後のページでよく宣伝してるヤツ。
いかにもさえない男が女はべらせてお札ばらまいてる写真の。
あれは宣伝を読んでいると笑えるくらい物凄いパワーがありそうだが、
あのネックレス買って宝くじが当ったとか、なんかよく分かんないけど
あれのおかげで女はべらせまくってお札ばらまいてるようなヤツ。
もしいたら是非名乗り出てくれ。体験談募集。




[232] 12月6日 2001年12月07日 (金)

それにしてももう今年も終わっちまうやんけ。
早いなあおい。

一週間書かずにいたらなんだか書く気が失せている。
なんでもそんなもんだぎゃあ。
物事癖にしちまうと楽になるっちゃ。
てのはどこの言葉だ一体。
最近ではとにかく毎日泳がないとどうも気持ちが悪い。
楽器いじるのもかつては毎日ト−ゼンの事だったのだが、
実はここんとこあんまり触る気がしなかった。
久しぶりに触るとピアノは鍵盤重いぞ。
ギターはなんだか弦痛いし。

ちゃんとコンディションは整えていく筈だから大丈夫だよ。
ライブ始まる頃にはばっちりさ。多分。きっと。おそらく。

正直色々歌ってみるとキー合わせるのがなんだか
面倒になっちまったりもしたんさ。
俺キーは元来CとかGとか好きだったもんで、
下げてB♭だのF♯だのになっちまったりするともう面倒臭かったりするし。

おっとまた泣き言を言っちまったぜ。
もうキーがどうのなんて事言わねえですむように
俺はドラマーになる事にした。
おいらはドラマー。や・く・ざなドラマー。
文句あっか。
弾き語りではない。
叩き語りである。

それよりラッパ−になればいいのか。
よもや一瞬たりとも勘違いをする人はいないと思うが、
金管楽器の事ではないぞ。
そんなもんになってどうする。
そういえばボンバーガールのカップリングでラップやったな。
あれは10年前。
♪止める、あなた、え〜きに残し〜♪
分かんねーだろうな。
いつものように幕があくんだよ。

脳が疲労気味である。
甘いもん食って寝よう。



[231] 12月3日 2001年12月04日 (火)

実はここ4日程インターネットに接続出来ない事態が発生していた。
やっと復旧したぞ。
つーかあんまり真剣に復旧作業にも取り組んでいなかったのだが。
俺なんかそれほど最近はインターネットっつうもんに
興味がなくなっていたから別にいいけど、
もっと入り込んでると非常に世間から遮断された気になってしまうだろうな。
携帯電話も俺はなかなか持たなかったのだが、
やはり一度持ち始めると、忘れて外出した時など
なんだか不安になったりもする。
なんせ最近じゃあすっかり絵文字入りのメールまで
送ったりする俺である。
ケータイで絵文字メール打っている43歳の男の姿が
いけてるのかどうなのか。そんな事はわしゃ知らん。

車も実は俺は免許を取得したのは27歳の時だ。
まあ金もなかったんだが、別に歩くのが好きだったし
特に必要とも感じていなかった。
それがまあ。
一度乗り出したら車のない生活なんて考えられない。

TVにしても、持っていない時代が何年もあった。
なければ別に何も困らない。
しかし見始めると、起きてすぐにまず
TVのスイッチを入れる事が習慣になってしまったりもする。

ことほどさように、人間は手に入れたモノに依存し始めるものである。

便利になると思って、モノを身の回りに増やせば増やす程に
実は“無いと不便だと感じる”モノが増えてゆく。
それって単にどんどん不自由になっているだけでないのか。
身一つでどこへでもゆける、そんな自由さから
わざわざ遠ざかってゆくだけじゃないのか。

とはいえ俺は意固地に新しいモノを拒否するつもりもない。
絵文字入りメール打っちゃうし。

しかしいつでも、もともと無かったモノがまた無くなっても
平気な俺でいたいと思うのである。


[230] 11月25日 2001年11月26日 (月)

なんだか街はすでにX'masな気分を
醸してきつつあるぞ。
クリスマス。X'mas。
うーむ。
どうも思い出されるのは寂しい気分ばかりなり。
なぜだ。
楽しいX'masだってあっただろうに。
なんかほら、勝手にこんな風なクリスマスが素敵だ
なんてえのがイメージ膨らみ過ぎてたりするんじゃないですかな。
そうそううまくいかねえっつうの。

とりあえずまだ間があるので、
クリスマスが寂しくなっちまいそうな人はがんばってみるがよかろう。
最後の追い込みっつうか。
ま、あたしゃ仏教徒ですから。


また酒をほぼ止めてみる事にした。
ここんとこ、少し酒量が増えつつあったもんで。
と言ったところで去年一昨年から言えば屁みたいなもんだが。
とりあえず一日ビール一杯は許す。という事で。
それもなしにすると気分がストイックな方向に行き過ぎるのよ。


そういえば最近知り合った男で、酒飲まないヤツなんだが
ストレスは人を殴る事で発散するなんて大馬鹿者がいた。
その男曰く、自分から喧嘩をふっかけたりはしないのだが、
人に迷惑をかけるような輩を懲らしめてやっているとの事。
おいおい。
あんたもう40歳やで。
高校生ちゃうで。

世の中には本当にいろいろな人間がいるのである。



[229] 11月22日 2001年11月23日 (金)

久しぶりに“Endless Dream”聴いたら
なんだか感慨深かったな。
もうほとんど10年前か。あららら。
“T”はたまに聴いたんだが“Endless Dream”はすんげえ
久しぶりだった。
良い曲だな。“君に会うために”。
“過ぎゆくすべてに”ってのもなんかこう、たまらんのう。
しかしあんな声だったんだな俺。
なんだか真面目だぞ。声が。
別に今が不真面目なわけではないが。

ライブの選曲も考えないとな。
なにしろまたまた「最新アルバム“T”から」、などと言わねばならん。
そろそろ笑ってもいただけまい。怒りを買いこそすれ。
こないだのマーチンのライブで味をしめたから
好きな洋楽曲も歌うであろう。きっと。

あれだけは歌ってくれとか、あれだけは歌うなとか
まあなんでもいいんだがライブに向けての
御意見御要望あるなら言ってみやがれこの野郎。
などとまた喧嘩売ってるぜこの男。すみませんねホント。
俺様ったらなんでも言う事聞いちまいますぜ。
なんせアルバムも出ねーし立場弱いっす。
でも出来ない事もあるからね。
曲によっちゃあ音域的に辛いのもあるし。

ううむ。腹の具合が悪い。
強力に辛いラーメンなんぞ食っちまったせいだ。味曾一め。
店の人も「辛いですよ」と言っていたがあそこまで辛いとは。
うまかったけど。
俺は辛いものは好きだ。
タイ料理とか大好きだ。
がしかしついこの前もタイ料理食って腹こわした。
好きだがとっても弱いのである。
汗かきまくってヒ−ヒ−言うし。
でも好きなもんは好きなのだ。
ヒ−ヒ−言ってまた腹こわすのに、
やはり辛いもん食うのであった。
阿呆である。





[228] 11月19日 2001年11月20日 (火)

今日やっと『千と千尋の神隠し』を観てきた。
なかなか良かったっす。
俺は宮崎駿監督の作品を全部観ているわけでもないが、
今回はイマジネーションの自由度が最も高い気がした。
最も、とか言ってんの。全部は観てないっつーのに。
いやしかし凄いと思いますがな。
あの細部にわたる諸々のイマジネーションの具現化。
でも俺はやはりナウシカが好きだあ。

思えば十数年前、やはり一人でナウシカを観に行って,
感動のあまり友人達みな引き連れて何度かまた観た。

しかしついに日本での映画史上最高の動員を記録したそうで。
へえそうなんだ、って感じ。
別に何が文句あるっつうわけじゃないけど。

そういえば最近になってやっと『バーディ』っつう映画を観た。
もう15年ばかり前の映画だが。
いつも宣伝に使われていた写真と、書かれていたあらすじ、
そんでもって音楽がピータ・ガブリエルだったりするんで
なんか物凄くシリアスで暗い映画をイメージしていた。
全然思っていたよりポップな映画であったわい。
よもやあんな形で、しかも音楽も“ラ・バンバ”で終わるとは
思わんかった。

つーか最近ニコラス・ケイジが妙に好きなんだが。
情けない顔が世界一サマになる男。
ニコラス君って意外に女性受け良いんじゃないのか。
なんだか俺様の母性本能がくすぐられるぜ。
そんなもんあるのか俺に。

あと最近ハーヴェイ・カイテルも非常に好きだ。
かつてのアラン・ドロンから随分俺も男の趣味が
変わってきたな。
少々危険な言い方だが。

その点、中学の頃大好きだった『キャバレー』を
最近また観たが、やはりあのライザ・ミネリは最高だ。
わしゃああいう女性が好きやねん。
女性の趣味はあまり変わっとらんようじゃの。



[227] 11月15日 2001年11月16日 (金)

13日にElton Johnのコンサートに行ってきた。
彼は俺の人生で、最も多くの時間聴いてきたアーティスト
の一人である。
あとはSimon&GarfunkelとRod Stewart、Neil Youngあたりがいい勝負か。

だがちゃんとした彼のコンサートは実は俺は初めてだったのだ。

何が嬉しかったってああた。
ドラムがあのナイジェル・オルソンだぞ。
タイトかつ柔らかい,素晴らしいビート感であった。
名前が懐かしいとかでなく。

それにしても、やはり中学の頃から聴いてきた曲っつうのは
脳への食い込み方が全然違う。
涙なくしては聴けない曲ばかりであった。

歌もピアノも、そして初めて聴いた新曲も、
とにかくアーティストとしてのパワーが衰えていない事が嬉しかった。

うーむ。脳がいまいち働かないので今日はここまで。
とりあえずElton Johnのコンサートは良かったぞ、と。


[226] 11月11日 2001年11月12日 (月)

昨日今日と、2日続けて結婚パーティで歌を唄ったぞ。
違うな。
唄を歌ったのか。
歌を歌ったのか。
お好きなヤツでどうぞ。

というわけで、とにかく披露宴の出し物として
ウタをウタうのはいつまでたっても緊張する。
なんでやろ。
もうええかげん何十回も歌っているんだが。
ま、そうは言ってもわても芸人のはしくれやさかいな、
きっちりええ仕事させてもらいまっせ。

自分が満足する事と人が喜んでくれる事を
はかりにかけた時に、あくまで自分が満足してナンボという人間を
芸術家肌なタイプとして、俺は結構完全な芸人気質である。実のところ。
人が喜んでくんないといやだ。
それをまたどこまでもより多くの人に喜んで頂こうという
貪欲さには欠けるが。

所詮作品を作るという作業も、当然まず自分の作りたい衝動ありきだが、
人に喜んでもらう事でやっと価値が生じる、と思っている。

そういう自分の価値基準は、やはり直接お客さんに
触れる事で確認できる。
せこせこスタジオで作ってるだけだと
やはりよく分からんようになってくるものだ。

というわけで、来年一月からのライブは
俺にとっての正しいアルバム作りのために
必要なのである。

もうすでに来年のライブまでにアルバムが出来ている
などという事は当然絶対にない、のは前提な口調であるな。
すみません。

いつになるのかなあ。
正直さっぱり分かりません。
ほんとすいません。

でもさ、今回気がすむようにさせて。
ほんっとすいません。

大滝詠一さんよりは早いペースで作品を世に出したいものだ、とは思う。
BOSTONなんつうバンドは20年でアルバム3枚だっけ。
俺なんかまだまだ小物っすよ。

などとせっかく待っていてくれている人々の心を
逆撫でするような事を言っている場合ではない。

ここはひとつ、どこまでも気長に待ってやってつかあさい。
もー本当にすみませんが。





[225] 11月9日 2001年11月10日 (土)

昨日はチューブの前田の誘いで久しぶりに
六本木方面での賑やかな飲み会に出席した。

一緒に仕事はした事があるのに、ほとんど
初めてちゃんと喋った秋元康さんをはじめ、
なつかしい顔やめずらしい顔がいっぱいあった。

まったく俺ったら最近ほっとくと
街にも出掛けない隠居じじいだもんでのう。
たまには人里にも降りていかんとな。
鉄砲で撃たれん程度にな。

もともと人と会う事が楽しくてしょうがないタチではない。
それにしても最近の引きこもり具合は
我ながらどうなのよ。
引きこもっているのみならず、TVすら最近ほとんど
見なくなってきた。
ヒットチャートとか知らんし。

まあよか。
隠居じじいは盆栽のようにアルバム作ってやるばい。
文句あっか。うっほっほ。

とはいえやはりたまに人々の活気に触れるのは
刺激になってよろしい。
またいつか俺もテンションの高い日々が
恋しくなる時が来るのかもしれない。

先の事は解らんのである。








[224] 11月7日 2001年11月08日 (木)

寒くなってきたのう。
そろそろこの部屋も暖房機具及び加湿器を
再びすべて稼動させねば。
思えば去年、このダイアリーを書き始めた頃は
この部屋寒うて寒うてのう。
分厚いカーテンやらもろもろの暖房機具やら購入してきて
やっとなんとか普通に生活出来るようになったものじゃ。

なにしろ寒いのはいかん。
身体がだんだん冬眠態勢に入って活動が鈍る。
なんせあだながクマだったし。
最近俺をそう呼ぶ人間も少なくなったが。
あの当時の記憶が残っていて
この季節になるとついどんぐりなんぞ集めたりしてしまう。
たまに人里まで降りていっては追い払われたりもする。
やはりあの鉄砲の音には胆が冷えるでな。
いったいなんの話ばしょっとね。わし。
どげんねほんなこつ。

あだながクマだったのは本当である。
20代の頃はクマかクマさんと呼ばれる事が最も多かった。
他にもクマというあだなのついた人間を数人知っているが
共通するのはルックスがシャープでない事であろう。
悪かったな。
まあでもヘビとかウニとか呼ばれるよりよかろう。
つーか、いるのかウニとか呼ばれてるヤツ。
顔がウニに似てるヤツ。
どこよウニの顔。そういえば。
あれって目はあるのか。
耳は。口は。
なんなんだあの生き物は。
まったくとげとげしいヤツだ。
旨いけど。

ああああたらふくウニ食いてえ。
イクラ丼も食いてえ。

そういえばイクラちゃんてのはいたなあ。
怖いな。顔がイクラに似ていたら。
イクラはもともとロシア語なんだぜ。
だから何。いや別に。

脳はすっかり冬眠態勢なのであった。
春に会おう。おやすみ。



[223] 11月3日 2001年11月04日 (日)

俺はこのダイアリーを始めてからよく分かったのだが、
文章を書く事はかなり好きである。

というと小説とか書いてみれば?と光栄にも薦めて下さる
御仁もいたりする。
しかし。
俺は音楽でプロになろうと決めた時には、
世の中のほとんどの歌い手より俺の方が良いと思っていた。
えらそうだろう。ははははは。
たまにジョン・レノンとか聴いては、
「俺より才能がある人がいる」
とか思って少し落ち込んだりしたっつうくらいのもんだ。
・・・・いやまあそれは躁状態の時だけだけどさ。
鬱になった日にゃあもう自分の作品なんぞクソよクソ。
つーか自分の存在自体クソになっちまうんすけど。
ま、それはともかく。

つまり、どうやったらこんなものが書けるんだか
さっぱり俺には見当もつかないような、素晴らしい小説が
世の中にはいっぱいあるのだ。
一体どんな脳を経由してこんなもん出てくるんだろう、と
ひたすら感謝して読むのみである。
正直、こんなんでええんかっつう小説もいろいろあるけど。


中でも、上手いなあ、といつも唸らされる作家に
曽野綾子と吉行淳之介がいる。

よほどの奥行きを、あらゆる事に対して感じながら、
なおかつさっと平面を切り取れる見切り力とでもいうのか。

なんのこっちゃ、と言われるかもしれないが、
それこそあらゆる創作物に俺が最も望む事のようだな。
今書いてから思ったけど。

でもって、その 曽野綾子さん。
彼女の随筆で『中年以後』という本がある。
これはぜひ、全ての方々にお薦めしたい。
中年、あるいはそれ以降の方はきっと我が意を得たり、と感じる部分も
多いと思われる。
しかし、若い人々にこそ読んでみてもらいたい気もする。
感覚的に分からない部分も多いかもしれないが。
俺は分からなかったと思うよ。十代で読んでも。
でも、なにか人生っつうもんがもっと奥行きがあるんかいな、てな
予感は持てたかもしれない。


しかし『他力』ときて『中年以後』かあ。
ま、ポップスの詞で煮詰まるわけだな。





[222] 11月1日 2001年11月02日 (金)

11月である。
そろそろ鍋がうまい季節である。
などとのんきに言うてる場合か。
でも好きだな。鍋。
みんなで鍋つつくのは身も心も暖まって良いですな。

どうも脳が停滞気味である。
人生に対する前向きさを少々失っていないか。
いや別にむきになって前向こうとも思っていないが。
だいたい前ってどこよ。
一番確実に前方に存在しているのは死だけである。
であるからして死から逆算して
一体何を為せば俺は後悔しないのかという事である。
こればっかりは当人しか物事の価値はわからない。
だが当人なら分かると思ったら大間違いだ。

どんな財を成そうが国を支配しようが
悔いの多い死を迎える事は考えられる。
案外平凡な家庭人がハッピーな死を迎える事も当然ある。
結局はその人間の持って生まれた業次第という事であろう。
無理して強欲になるのはあきまへん。
だけどせっかくの持って生まれた能力やら才能やらを
人はなかなか使い切って死ぬのは難しい。
そこらへん自分で見極めないとな。

足る事を知る。これ大事でんな。
しかしなおかつ、それってさぼってんじゃないのっつう
チェックを常時自分に入れ続ける事も大事でっしゃろ。

などとうだうだ書き連ねているワタシ。
なにげに思考のもつれは書く事でほぐれたりする部分はある。
でもって書きながら「分かってんだけどさ」
とか今俺は思ったぞなどと気がついたりもする。
分かってんなら何とかしろよおい。

つう訳でそんな時は寝ろ。俺。




[221] 10月29日 2001年10月30日 (火)

とうとうこのダイアリーも一周年である。
思えば一年前は、正直な話ここまで歌えるようになるかどうか
さっぱり分からなかった。
いったいどうなることやらってな感じで始めた
このダイアリーであった。

音域は完全復活とはいかないが、まあそれなりにっつうか
案外昔より声は好きだぞ。
自分としては。
音域も徐々にだがまだ広がりつつある。
まあでも昔どおりにはいかねえだろうな。
それはもういいや。
つうか俺って声があんまりそう聞こえないけど
キー的には結構メタルな音域だったのよ。
かつて。

ま、一応毎日なんか声を出すのも習慣になった。
出してないとすぐ出なくなるのだよこれが。
ほーんと昔はいつ何時でも歌なんて歌えて当たり前だと思っていたのだが。

もともとリハビリ日記として、声の復活を主なテーマに
書いていこうと思っていたのだが、考えてみれば
リハビリも復活具合も、なんら劇的要素もなく
毎日地道なリハビリで、地道に少しずつ
声も戻ってきた。
そんなもん日記のネタにならんつーの。

いつまで続くか分からないけれどとりあえず
当面だらだらと綴っていこうでないの。

というわけでこれからもよろしく。


[220] 10月27日 2001年10月28日 (日)

愛と呼ばれる感情にも様々な要素が含まれる。
単純に相手の幸福、向上といった、愛の対象に対する
プラスの要素を喜ぶ気持ち。
そしてそこにあくまで自分が関わりたいと思う気持ち。

でも良く考えるとその両方成立するのって凄い事だよな。
だって「自分と関わる」と「君にとって幸せだ」なんて
なかなかに傲慢な話だろ。

そこんとこ疑問を抱かない傲慢さが個人でも集団でも
実は一番やっかいなところじゃないのか。

しまいには「自分が関わる」事を軽んじられると
相手に対して幸福を喜ぶどころか
不幸を願ったりとか。

それって「愛」なんておおざっぱに言っていいのか。

「自己満足」とか「執着」とか、いろいろもっと
ふさわしい言葉があるだろう。

とか言っても、相手に感謝されたいでも、相手からギブのお返しに
テイクが期待出来るでも、とりあえずかかわろうとする気持ちが
物事を活性化していくものだったりもするのだが。

あるいは「自分が関わる」と「君が幸せになる」べく
自己向上に努める原動力ともなりうるわけだ。

その際に相手のためにガンバる自己向上の方向が
実際の自己実現と同一方向ならそれはラッキーなコンビネーションなのだろう。


ま、俺が女性だったら「俺が君を幸せにする」
なんて真顔で言うようなナイーヴな男とは結婚しないだろうな。


だからなんだっつうんだよ。

そんな今日この頃。よう分からん。




[219] 10月25日 2001年10月26日 (金)

高校時代からの友人でもあり、一時期ずっと一緒にライブをやっていた
日詰昭一郎というべ−シストが亡くなった。

今日、彼の実家に行ってお焼香をしてきた。

日詰君といえば、今日一緒に行ってきた同じくべーシストの
関雅夫氏がいみじくも言っていた通り、いつも
笑っていた顔しか思い出せない。
というか、彼がいるといつもこっちが笑っていたのかもしれない。

彼と一緒にツアーを回っていた頃は、いつも一台のワゴンにバンド
6人とマネージャーが乗って、全国どこへでも行っていた。
長旅の暇つぶしにしょうもないゲームやしりとりなんぞしながら。


色々な人間と様々な時間を共有してきた。
今もよく会う奴もいるし、すっかり疎遠になってしまった奴もいる。

でも俺は知り合わなければ良かったと思う人間なんて一人もいない。

これからも様々な出会いがあるんだろう。
そして、いつかは必ず、みんな死ぬ。

だんだん短くなる、これからの残された時間。
もっともっとすべての瞬間を大切に生きてゆきたい。
そう思う。

合掌。




[218] 10月22日 2001年10月23日 (火)

この前のライブはおおむね好評だったようである。
ああ良かった。

どうでもいいけど『ジャガー』という映画を観た事があるだろうか。
これ程までにひどい映画は観た事がない。あはははは。
『レオン』等で有名なジャン・レノが主演なんだが、
ギャグなんだかマジなんだかさっぱり分からない映画である。
つーかマジらしいんだけど。
あんまりはずし過ぎててギャグで作ったとしか思えない。
しかもある程度予算はかかった映画だ。
きっと作っている最中から、やっている人間達も
“これってダメなんじゃないかなあ”と感じていたに違いない。

この映画を観てしまってからジャン・レノがどうも変に
見えてしかたがないのである。
「あれ、こいつこんな変な顔だったっけ」
みたいな。


まあでも案外みんな
「あれはなかったという事で」
という過去を持っていたりもする。
あるよ俺も。なかった事にしたいダメ仕事。
ああ恥ずかしいともさ思い出すだけでも。わお。
きっとジャン・レノも『ジャガー』の件に触れられると
さり気なく話題変えたりするんだろうなあ。


観た事を必ず後悔できる映画を観てみたかったら
ぜひ『ジャガー』をお薦めしちゃうのであった。


[217] 10月19日 2001年10月20日 (土)

今日は聴きに来てくれた人々は
楽しんでいただけたであろうか。
俺は楽しかったよ。
小倉君とのコンビネーションも少ないリハの割に
かなりいけていたと思われる。特にシャベリか。

正直俺の歌に関しては、自分でもまだ
歌ってみないと分からないところが多い。
一人で歌っているのと人前で歌うのでも
全然違うのだよこれがまた。
でもとりあえず今の俺の歌はあんな感じなのだ。
文句あるかこの野郎。
って喧嘩売ってどうすんだっつーの。
いやほんと来てくれた人には感謝。

来年のライブにむけて、なんかいろいろためになったぜ。
小倉君ともぜひまた一緒にやる機会を作ろうと思う。
幼稚園の後輩だし。


[216] 10月17日 2001年10月18日 (木)

今日は19日にむけてリハーサルをしていた。

一人で弾き語ろうかと思っていたのだが、
数日前に近所の飲み屋で会ったギタリストの
小倉博和君と話が盛り上がって、一緒にやる事にした。
小倉君は俺の大好きなギタリストで、レコーディングでは何度か
やってもらっていたが実際に一緒にやるのは初めてだ。
案外ギター二人っつうのは俺の場合少なくて、
なかなか新鮮でよろしい。


今回はちょっと選曲渋いよ。
ふっふっふ。
楽しみにしていてくれたまえ。

ところでその小倉君だが。
彼は佐橋君というこれまた素晴らしいギタリストと二人で
『山弦』というユニットを組んでいる。
アコーステックギターの好きな人は是非一度聴くよろし。

でもって、である。
小倉君は俺と同じ四国の高松幼稚園の出身なのだ。
そして佐橋君は俺と同じ、東京の菅刈小学校の出身である。

いったい日本中に幼稚園及び小学校が何百何千あるやら知らんが、
よりによってこんな事もあるのである。

そういえば俺がパリ・コレでモデルやらしてもらったMASATOMO
というブランドのデザイナーである山地正倫さんも高松幼稚園出身なのだ。

だから何、といえばそれまでだが。
縁、つうもんは確率とかは関係なくあるもんはある、
ないもんはない。
そんなものなんだろう。






[215] 10月14日 2001年10月15日 (月)

さっき観た「全員浜省野球」はかなりツボにはまってしまった。
ダウンタウンの番組の話だが。

あまり俺はTVは観ない。
最近はニュースはよく見るしケーブルで映画も観るが。
いわゆる普通のドラマやバラエティは観る事は少ない。
別にそんな、日本のTVはつまらんとかってな話でもない。
つーか観れば面白いとも思うし、それぞれにがんばって
制作してるなあと思う。
なんだろう。

誰だっけな。堺正章さんだったか。
「TVとはパーティーなのだ」と言った人がいた。
それってなんかよく分かる。
特に日本の場合そう感じる。
俺もたまにTVに出る人だったりもするが、
結局出るのも観るのも俺はパーティーが好きでないんだろうな。
特に最近。

俺の一番好きな番組は、
NHKの「ゆく年くる年」である。
紅白歌合戦という、それこそ最大規模のパーティー終了後の
ぱっと切り替わるあの瞬間が好きだ。

とか言っているともう今年も結構残り少ないでないの。
マジですか。

いやあ今年は大変な年だったなあ。
などともうすでに振り返ってたりして。

阿呆言うてないではよアルバム作らんかい。
はい。そう思います。


[214] 10月10日 2001年10月11日 (木)

ヤフーオ−クションでアコギを買った。
正直不安だったが、ま、そりゃそうだよな、
触りもせずに楽器買った事なんてないんだから。
でも大正解であった。
ええギターや。こりゃええ買いもんさせてもろたわ。
よかったよかった。

しかしアコギっつうのは一本一本、それぞれの音がある。
良い音、と一言でいっても派手な良い音、暖かい良い音、
素朴な良い音など、それぞれに捨てがたい。
ダメなギターはどうしたってダメだが。
だから曲によって合うギターを使い分けたりする。

女性もそれぞれに良さがあるでないですか。
曲によって使い分けたりしたいなあ。
というのが世の男の本音ではないでせうか。
おっと今反感買ったな。女性達に。
すいません不謹慎です。
最近まず謝る俺であった。

でも俺はギターを弾く人間にしては、どちらかと言うとお気に入りの
一本ばかり使って、本数買いまくらない方である。
良いヤツだなあ俺。
ってなんの話だ。
フォローしようとしているのか俺。

さてギター弾こうっと。








[213] 10月6日 2001年10月08日 (月)

今日、北島のお見舞いに行ってきた。
北島とはギター弾きの北島健二の事である。
彼は現在、結核で入院している。
かなり症状は軽いようだが。

最近結核が日本で増えているらしい。
昔とは違い確実に、しかも短期間で治癒する病気に
なったのではあるが、やはりそれなりに入院生活を
送らなければいけない。
これが本人、ほとんど自覚症状としてはただの健康体なので
ひたすらひまでしょうがないようだ。
しかも治療といっても薬を飲むだけなのである。

ものすごく健康そうだったぞ。
まだ風邪がちゃんと治りきらないで
咳き込んでいる俺の方がよほど病人じゃん。
北島は毎日よく歩いて、ヒマさえあれば、つうかヒマだらけなのだが
しょっちゅう腕立てやら腹筋やらの運動をしていたりもするらしい。
あんまりハードなのはまずいが、軽い運動はした方が病気にも良いそうだ。

けっこう抜け出して飲みに行ったり馬券買ったりしてる
患者さん達もいるそうな。
まあみんな自覚症状ない上に病院生活ですっかりますます健康になって
元気も余ってしまおうってもんだ。

でもって一応法定伝染病なので、国が入院費用等全額負担してくれるらしい。
寒い季節になると刑務所に入りたくて犯罪を犯す人が出てくるが、
これからは結核だな。
かなり良い暮らし出来るぜ。
上野あたりで結核菌を売ると買いたい人々は沢山いそうだ。
でもそれじゃ高くは売れねえなあ。商売にならんつうの。

不謹慎なギャグですとも。失礼失礼。
責められる前に言っときますが。

そういえば今月、北島のソロアルバムが発売されるそうだ。
病院の電話で取材に応じているらしい。


ところで今度19日にアコースティックギターの大御所、
吉川忠英さんのお招きにより私、イベントで久しぶりに歌わせていただく事になった。
infomation参照の事。

何を歌うかも一切まだ何も決めていないが、
なにしろ諸先輩方の中で、若輩者なワタシなのが嬉しくて。
非常に楽しみである。
よかったら遊びに来ておくれ。





[212] 10月4日 2001年10月05日 (金)

昨日は知人に彼の所有する船に乗せてもらった。
そう言うと非常にブルジョアじゃんかよ、っつう感じが
するかもしれないがそんなわけでもない。
実際でかい船は値段も恐ろしい事になるが
かわいい船だと普通の車と大差ない金額で手に入れられる。

いやほんと気持ちいいのなんの。
たまりませんぜ。
とりあえず千葉近辺からお台場あたりまで
ナイトクルーズを楽しんだ。
男3人なところがいまいちだったが。

でもってこの船。
途中でエンジントラブルで止まってしまったのである。
知人曰くこんな事は初めてだそうだ。

実は昨日、仕事部屋のガスが止まってしまっていたのを
始め、ここんとこマックはトラブるエアコンは水ざーざー降らす、
俺の機械運は最低なのだ。
つうか俺電波出してるかもしれない。
やっと俺自身は健康体に近付いてきたんだが。

ま、こんな時もあるさ。ふう。


先日に引き続き本の話をするか。
今まで読んだ本の中で一冊だけを無人島に持っていけと
言われたら、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と答える。今日は。
そんなもん日によって答え違うけど。
なんでか知らんけど、子供の頃から大好きなのだ。銀河鉄道の夜。
読んだ年令で印象は色々変わっているが。
まあ宮沢賢治は全部好きだ。

そういえばもしかして。
誰か「最後の番長」という本知らないだろうか。
これってもとは少年マガジンの連載小説だったような気がするんだが。
この本が実は俺の一番最初に感動した本な気がする。
小学校1〜2年の頃かなあ。
何十回となく読んだぞ。
しかし“番長”って俺ほんもの見た事ないんだけど。
どこかの学校にはいたのか。番長。
「俺は実は番長だった」とかいうヤツいないのか。
ぜひ友達になりたい。
やっぱり夕焼けは好きだったのか。
帽子のつばは割れていたのか。
草の葉くわえてたそがれたりするのか。

会いたいぜ番長。




[211] 10月2日 2001年10月03日 (水)

ついでにもう少し本の話でもするか。
読書の秋だし。

中学の頃はとにかく太宰治が大好きだった。
ま、ありがちなところかと思うが。
全部の作品数えきれないくらい読み返している。
高校くらいからほとんど読まなくなったので
今はもうあまり覚えていないけれど、
やはり「斜陽」「人間失格」の二冊を中一の時に読んで、
ものすごい衝撃を受けた。
でもそののち、「富岳百景」とかそこらへんの、
絶望の中の薄ら笑いとでもいった感のある、
少々明るめの作品群が好きになった。
久しぶりに読んでみるかな。
今読むとどう感じるんだろう。

でもって中三から高一にかけて、この当時は一日一冊以上は
本読んでた。
この頃のお気に入りは福永武彦である。
あまりメジャーな人ではない。今時。
なんであんなに好きだったんだろう。
あとは当時五木寛之、吉行淳之介、渡辺淳一、
筒井康隆、眉村卓あたりは全作品買い揃えていた。
一時期、とりあえず毎日図書館に行っていた頃もある。
ってなわけで0・01の視力が出来上がる次第である。
筒井康隆はいまだに当時のもう紙が変色した文庫本を
取り出して読んだりもする。
おもろいなあ。やっぱり。

だめだ。
0・01の眼球がつらい。
今日はここまで。
また後日。多分。


[210] 9月30日 2001年10月01日 (月)

いつでも言っているがまた言うぞ。
もう9月も終わりかよおい。
こいつあびっくりだぜ。
9月はまじで十日くらいしかなかっただろ。
へへ。ごまかしたってだめだっての。

少し前のベストセラーなのだが、
俺は今、五木寛之の「他力」を読んでいる。
これほんと、俺がここで書きたくて筆力がないばかりに
はがゆい思いをしていた事柄が、まさにそうなんです
そう言いたかったんですってな感じで書かれている。
読んでない人にはお薦めするぜ。

しかしなあ。
「他力」だもんなあ。薦めてんのが。
嘘でもケルアックとか言っとけよ俺。
まったくポップじゃねえよなあ。

そういえば飯島愛の「プラトニックセックス」って俺
最近読んだけど素直に感動したぜ。
良い本だったよ。
ものすごく字がでかくてびっくりしたけど。

天童荒太の「永遠の仔」も、非常に感動した。
話としては少し雑な気もしたがすんごいパワーだった。

というわけでベストセラーになっている本はそれなりに
良いもんも多いのである。

ああ、「チーズはどこへ消えた?」も俺は結構楽しめたよ。
あれほどまでに世界中で売れる程のもんかどうかはともかく。
ま、人に買って読めとは言わねえかな。


ところでこのダイアリー、当面やめるつもりはない。
アルバムも完成せずにやめちまう訳にはいかないです。はい。
たまにしんどいなと思うけど。ははは。
励ましのお便り、メッセージ等お待ちしてやがるぜ。俺様ったら。



[209] 9月29日 2001年09月30日 (日)

長嶋監督が辞任した。
ヤメ時だったと思う。
なんかもう疲れてたもんなあ。

しかし原辰徳新監督か。
彼になんの恨みもないがやっぱつまらん。
はっきり言って。
きっとそう思っている人間は日本中に
三千万人ほどいると思われる。当社のリサーチによると。

すでに下降線を辿りつつある日本のプロ野球人気は
これでますます下向きカーブがきつくなりそうだ。

視線をプロ野球ファン以外にまで向けられる人材をぜひ
日本のプロ野球の中心に位置するジャイアンツの監督には
迎えて欲しかった。

けっこう江川はいいと思うんだがな。
でもって阪神も野村さん引退で掛布監督でどうだ。
少しは盛り上がらないか。

まじで今のうちに手を打っていかないと相撲みたいになっちゃうぞ。

前も書いたけど、チーム数を半分にして大リーグの中のジャパンリーグに
するのは悪くないと思うんだが。
そんな事が大リーグの方でオッケーかどうかはともかく。
へたにそれで日本チームが優勝するようになったりすると
きっとアメリカへそまげるだろうしなあ。



俺の記憶の中にはかろうじて石原裕次郎、美空ひばり、そして
長嶋茂雄の輝きは残像が残っている。
その他、クレイジーキャッツやら加山雄三やら、思い出すだけでも
わくわくするような、高度成長期の輝きはいまだ焼き付いている。

それは俺が子供だったという事とは関係なく
日本自体が昂揚した時代だったのだと思う。

そしてロックなるものをはじめとした新しい文化がこれまた
輝いて見えた。音楽で世界を変えられそうなほどに。

闇の部分も当然あったけれど、やはり希望成分の
空気中濃度が濃い時代だったと思う。



悲惨なテロ事件で幕を開けた21世紀。
これから人類はどこを向いて進んで行くのだろう。
何に希望を見つけられるんだろう。
そして今の子供達は、将来どんな思いで今の事を
振り返るのだろう。


正直な話、自分の内側に向いても外側に向いても
この絶望をクリアできる作品なんてもんの有り様がさっぱり解らない。
そんなに使命感なんて持つ程のものじゃない。
俺の創るモノごとき。
そんなことは解っているんだが。






[208] 9月27日 2001年09月28日 (金)

しかし虚弱体質やのう。
今度は風邪ひいてもうた。
まあ大した事もなくもう鼻水も少なくなったが。
まったく情けない。

めっきり涼しくなってきたなあ。
秋だぞ。

せっかくこうして去年からダイアリーを書き出したのに
今年ほど地味な夏もめずらしかったなあ。
まったくネタがなかったぞ。

それというのも毎日発声したい事を考えると
今いち旅に出るのもおっくうになったりとか、
そろそろどっか行くかと思ったら肋骨折ったりするし。
業務的にも考え中ばっかで
こんな事今やってるぜの報告もあんまり出来んかったし。

もっと俺の公私に渡りリアルタイムに
楽しめるダイアリーになるはずやったんすけど。
なんやらいつもいつも俺のうだうだ話つきおうてもろてなあ。
いやほんまえらいすんまへん。
てなんで関西弁やねん。
自分的には文章を書く愉しみも知ったし
文章にする事でまとまってゆく思考っつうもんもあるし
なかなかよかたあるよ。ダイアリつけるそれオーケーオーケーね。
だから一体どこの人間じゃワレ。


まあしかしいろいろと人生について考えさせられる夏であったぞ。
個人的には。
こんな諸々の思いも、いつかはなんらかの作品に変換されたりするのであろう。

様々な周期で吸ったり吐いたり、溜めたり出したりしゃがんだり跳ねたりしながら
人は生きていくものなのでしょう。

と、俺たちの旅エンディング風に。


[207] 9月23日 2001年09月24日 (月)


例のテロ事件に関して、今日はとりあえず感じているところを
ぶっちゃけて正直に書いてみたいと思う。


とはいえたかだか俺の正義感ごときで何を決めつけて言う事もできない。

大体正義とか真理なんてものが我にありなどという
確信を持てたりする奴こそが危ないんじゃないのか。

米国が今まで中東、イスラエル等に対してとってきた政策。
民主主義。キリスト教。
イスラム原理主義なるもの。
それらに対して当然何を断罪できる立場にもいるわけがない。
俺なんぞ。

そしてテロ行為そのものに対してすら、
悲しく、腹立ちは覚えるが、本当にそれが
絶対悪だと断定さえできないのが正直なところなのだ。
そこに至ったイスラム原理主義者と米国の関係性について、
俺は断定してものを言う気にはならない。

誤解しないでほしいのは俺はああやって無関係な
人々が亡くなった事は本当に痛ましく、悲しいと思う。

だが、広島や長崎の原爆すら、大半のアメリカ人にとっては
正義の行動として納得しているわけだ。
俺は個人的には、一般市民の大虐殺という、戦争の中でも完全なルール違反だと
思うのだが。

ならば逆に言えば今後もし世界をイスラム原理主義が
支配した時にはビンラディンが英雄になる事だって
ありうるのではないか。
そんな事がありうるとも思わないし、
くれぐれも俺はそんな事望んではいないが。
正義や真理なんて結局角度を変えればそんなものではないのか。

正義も真理も、立場が違えばまったく違うのが
人間というものなのはしかたがない。
しかも、正義や真理を追い求める事にこそ人間の幸せは
あったりもするところがやっかいなのだ。

自分の正義、自分の真理が絶対だなどと思い上がって、
それを押し付ける事が他者の幸福だなどと信じてしまう事。
これこそが今まで、常に世界の多くの争いの元だったのではないのか。

これに関して言えば、自分の信じる正義や真理を、
薦めるのはともかく押し付けるのはやめようよ、としか言い様がない。
俺がこんなところで何言っていてもしょうがないんだが。


今後もしもビンラディン氏がすぐ捕まるような事があったら
逆にアメリカはどうするんだろう。
しかもちゃんとした裁判が行なわれた末に証拠不十分てな
事になったりした日には。
まあそんなわけないだろうけど。

とにかくアメリカとしては振り上げたコブシの落とし所を
なんとかしない事にはどうしようもない。
今度はその結果、アフガンの一般市民が巻き込まれたりするのか。

米国が最初に付けた今回の作戦名が「無限の正義」である。
米国にとってはまずテロありきであるから、どこまでいっても何をやっても
正義は無限に自国にあり、とでもいうところか。
ブッシュさんも明言していたとおり、テロの犯人を匿う人間は
同罪として殺すもやむなしという事であろう。
そして戦争になれば、たとえばアフガンの一般市民も
必ずや巻き込まれるだろう。
そして本来テロとは無関係だった、ただの一般市民である
各国の戦士達が死んでゆく。

結局またそこには新たな憎しみが生まれていくしかない。

じゃあどうしたらいいのか。
他人事として、きれいごとは簡単に言える。
だがもし俺の家族がテロで殺されても本当に
かたきを討ってくれと言わずにおれるのか。
あんな卑劣な連中、匿ってる奴らごとふっとばしてくれと
結局言いたくなってしまうのではないのか。

俺は、家族や恋人を今回のテロで亡くした人々に対して
「彼らも君らもかわいそうだけどここは愛をもって堪えて」
などと言えるのか。

じゃあどうしたらいいのか。
俺なんか分かるわけがない。

イスラム原理主義の人々は例え原爆を落とされても、
日本人のように降伏する事は絶対にないだろう。
テロで原発でも爆破したりする事になるんだろうな。
日本も含む自由主義国家にたいして。

どこまでも終わる事はないだろう。
この憎しみの連鎖は。

全然俺には分からないのだ。
人間としての「正しさ」なんて。



ただし一つだけ言いたい事がある。

先ほど争いの元になるのは正義と真理の押し付けと書いたが、
当然もう一つある。
利益、である。
様々な集団の利益のために、結構人はなんでもする。
自社のために。自国のために。
正義や真理すら撒き餌にして。

そして戦争をもっとも歓迎するのが軍需産業、兵器産業である。
これらは必要悪でもなんでもない。
ただの悪だ。


俺は本当にそう思っているのだが、じゃあそう思う人々がもし
集まったとする。
皆、力は無い。
何ができるのか。
テロか。

結局それじゃ堂々巡りだ。



信じるしかないのか、と思う。
人類が最終的にましにはなっていく事を。
急に変わらないとしても。
少しずつましになる一環として、現在の自分になにができるのかを
気が遠くなるような地道さで考えていくしかないのだろう。















[206] 9月20日 2001年09月21日 (金)

肋骨の痛みもほとんどなくなったので久しぶりに泳いでみた。
痛まないぞ。大丈夫。
さあ泳ぐぞまた毎日。
なにしろこの一ヶ月、うかつに動けなかったもんで
たるみきっている。
もう体重は90kgを越した。嘘だともさ。
体重はたいして変わらんかったが体脂肪率は赤丸急上昇中である。

というわけで久しぶりに泳いだら疲れた。
久しぶりのわりにはスイスイ泳げるじゃん、とか
泳ぎながら思っていたのだが、泳ぎ終わってから
ぐったりしてるぞ。
こらあかん。はよ寝よ。


[205] 9月19日 2001年09月20日 (木)

今日は久しぶりに打ち込み作業をやったら
なんだかすかさずアタマ悪くなっていた。
打ち込みってどうやるんだったっけ、てな感じ。
もう10年以上やってるっつうの。

どうも俺の記憶回路は常人とは作りが
異なっていると思われる。
つうか単純に言うとかなり出来が悪い。

昔から歌詞を覚える事が死ぬ程苦手である。
科目でも地理のような、記憶ばっかり必要なものは
まったくダメである。
覚えるという事自体が出来ない脳のようだ。
忘却力が優れているという事にしておこう。
人間、忘却力は幸せになるために実はけっこう必要である。

一応そのかわりに、つくったりあみ出したりする事は
好きである。
しかし最近では曲を作っている最中に
たった今考えたフレーズを3秒後に忘れたりもする。

このままボケてきた日にゃあもう
どんな事になってしまうのやら。

ま、忘却の達人という事にしておこう。


[204] 9月16日 2001年09月17日 (月)

ライブにむけて、なんだか昔のライブビデオなんぞ
見てみたぞ。
8年くらい前なのかな。サンプラである。

いろいろ面白かったっす。久しぶりに見ると。
あんなだったんだねえ。
総勢13人。まあにぎやかなバンドだこと。

もともと俺は一番最初にライブっつうもんをやってみたいと
思ったのは“Joe Cocker with Mad Dogs & Englishmen”が
きっかけである。
それまで音楽は好きでも、ライブをやりたいとあまり思わなかった。
そのJoe Cocker with 〜のJoe Cockerになりたかったわけではない。
その30数人のバンドの座長をやっていたLeon Russellが
とっても楽しそうだったのだ。
好きにギター弾いて好きにピアノ弾いて、1、2曲歌ったりもして。
なあんかそりゃ楽しかろうっつう感じであった。

それ以来、基本的ににぎやかなバンドは好きである。
それとは別に、弾き語りも大好きである。

しかし見ているといろいろと俺は本当に変わった、と思う。
そりゃ歳もとったし。
それはただ悪いばかりでもない。
俺自身としては若い時の俺の、いろんな意味での
分かってなさがお恥ずかしい。
ああ恥ずかしいともさ。いろいろと。
それが若さってもんだろうし。
歳とればとったで得るものも失うものもある。

まあ、どっちが良いってもんでもないし
どっちが悪いもんでもないな。
若いって事も歳くう事も。
人生まあまあで上出来である。




[203] 9月15日 2001年09月16日 (日)

どうもあやしいぞ米国君。
実家の儲けのために情報握りつぶさなかったか。
ま、ホントのところはやっぱり判らないけれど。

日本のインターネット上の掲示板で、すでに
情報を掴んで予告していた人間がいたらしい。
そんなもん米国で掴んでないわけないだろ。

俺は真珠湾もとっくに米国側では知っていたという
話を真実だと思っている。
またやったか今回も。あれだけの犠牲者出して。

いや判らないよホントのところは。あくまで。
ただ、国益というものに対して本当に客観的に判断できる
国だとは思う。

誰か教えてくれえ。
どうなのほんとのところ。



[202] 9月13日 2001年09月14日 (金)

なんとも痛ましくも凄い光景であった。

この事件に関してはまだよくわからん事ばかりだ。
タリバンがかくまっているといわれるラディン氏が
本当に首謀者かどうかもまだ分からない。
一つだけ言えるのは、米国は絶対にこのままでは済まさない
という事だろう。
なんせ世界の警察を勝手に自認している国である。

テロ自体は良いも悪いも論じようがなくダメである。
これは一応世界的に表向きは共通の見解である。
しかしアメリカの正義が常に360度、どの角度から見ても
正しいわけではない。

世の中には様々な正義がある。
民族、人種、その他の諸事情によってありとあらゆる正義がある。
それらに関して、迂闊にこれが正しいなどととても
言い切れたものではない。

そういう意味で、もともと正義という名のもとに、単に
国益を追求する姿勢が実は裏にありながら、
一元的な正義を他に押し付けがちな米国というのはいわば、
力も強くて成績も良い学級委員やっているようなヤツなわけである。
でもってこの米国君、実は裏ではテストや給食のたびに
自分がおいしいとこ当然の顔して取っていく。
どこかで喧嘩があれば、自分の都合で仲裁して人の事殴っておいて、
すっかり自分では正義漢のつもりである。
そんな事やっていると、教室の後ろの方で固まってる連中からは
“あいつマジ調子コイテるよなあ”
“やっちまおうぜえ”
なんて声も聞こえてくる。
あげくに昼休みに後ろからカッターで米国君に切り付けたヤツが出てきた。
テロ君である。テツロー君ではない。

ま、当然事はそれ程単純ではないが。
 
で、不良グループと喧嘩という事になると、米国君達のグループはみんな、
米国君の実家のお店で鉄バットやらナイフやら購入する事になるので
結局米国君のお家の事情的には逆にオッケーなのである。
下手すると不良グループの持ってるナイフだって
その店で昔買ったやつだったりする。

学校も町もいい迷惑である。
だが他のクラスにはもっと乱暴なヤツがいたりする。
いちおう米国君が睨みをきかせているおかげで
ウチのクラスは助かっていたりもするのである。





[201] 9月11日 2001年09月12日 (水)

相川が無事男の子を出産した。
これで俺もいよいよおじいちゃんである。
とりあえずめでたいめでたい。

俺が初めてバンドを組んだのが高校1年の時である。
今日久しぶりに、本当に久しぶりにその3人で会った。
20数年ぶりである。

ドラムの男は現在某大学医学部の助教授である。
ボーカル&ベースの男は米国でMBAを取得し、某会社の支社長として
ずっと海外赴任していた。

人生、色々なカタチがある。
とりあえずお互い結構がんばってんじゃんと思える事は
ものすごくハッピーである。

それにしても俺にとってバンドというものがあれほど
純粋に楽しかった事はない。

無知はやはり最強である。
つまらん常識にとらわれやすいものだ。いつのまにか。
うまいだのへただの関係なく、世界最強のバンドだと
思っていたからなあ。ま、どうやら俺だけだったらしいけど。
バンドの中でも。そこまで思っていたのは、ね。

いやホント、客観的に見てあれ程までに下手なバンドは見た事がない。
いろいろ、その後オーディションやらコンテストやら
見る機会はあったけれど、もう圧倒的に下手であった。俺らは。
だって楽器の演奏の仕方知らないっつう世界だもん。

だから、審査員とかやった際に、俺は常に可能性は否定しない。
人間本当に先の事なんぞ解りゃあせんのであるぞ。
可能性は常に無限にあるのだ。
自分で限定しなければ。
と、久しぶりに認識さしてもらった本日であった。


おいおい。
TVをつけたらえらい事になっている。

米国の貿易センタービルに航空機激突だとお。
まだまだしかもこれから続いて起きそうだ。

不謹慎な言い方を承知でさせていただければ
映画のワンシーンとしか思えない光景だ。

今後の世界情勢はもう、これ以後すべてが変わってしまう
と言える程の大事件である。


とりあえず今夜は、ニュースを見続けるしかない。


[200] 9月8日 2001年09月09日 (日)

やっと肋骨の痛みも軽くなってきた。
ほんと肋骨は意外に何をやっても響くところだったので
とほほな日々であったぞ。
発声練習もあまり力を入れて声を出すわけにもいかず、
少々さぼり気味であったが、またがんばらねば。
ライブにむけてと思うと力も入ろうってもんだぜ。

それにしても人間、成長するとそれ以前の自分の
ものの解っていなさ加減がお恥ずかしくなる。
そして、こんなに今は前と違ってものが解っている
などと思っていると、また成長した時にはこれまた
お恥ずかしい次第なのである。

であるからして、結局人生お恥ずかしいものであるという事だ。
そして、ずっと解ってなんぞいないという事なのだ。なんも。

解ったような事言わない方がいいよホント。
後で顔から火が出て周囲30メートル四方
火の海になるような事態も想定される。
ああああああ恥ずかしいでございますう。
あの日の思い上がったワタシったらもう。
あの時も。あああアノ時も!アノ時もおおおう!

しかしそうは言っても、人間言い切ってしまえる
いさぎよさというものも必要である。
というか言い切るヤツの方が面白い。
あまりにも物事に謙虚な大人では盛り上がらんっす。

という事で。
お恥ずかしくも言い切っていくのである。これからも。
やっぱりなんも解ってないんすけど。




[199] 9月5日 2001年09月06日 (木)

涼しくなってきたなあ。
秋じゃん。はえ〜。

手に入れたいとか、手に入れたものを失いたくないとか
思うから面倒な事になるのである。
とか急に言われても困るでしょうとも。
でもそういう事だぜ。
全部。

おまけなのである。もともとが。

人間はっぴーに生きるには、いかに心の奥底からの声に
忠実に生きてゆけるか。それだけでないかい。
奥底やで奥底。
表面あたりなんぞぐったぐたのごってごてのうぷぷぷぷなものである。


ライブやるぞ。旅のついでといってはなんだが。




[198] 9月4日 2001年09月05日 (水)

中島らも氏がTVで体験談を語っているのを見た。
彼は35才の頃にアル中になり、40代になって
躁鬱がひどくなって、何回か死にかけたという。
彼も言っていたが、なにしろ彼は内臓が丈夫だったらしく、
それがまずかったそうだ。

ほんと俺、内臓弱くて助かったと思う。
飲むと顔がすぐ赤くなるし、すぐ身体が辛くなるので
毎日朝から飲みっぱなしって訳にもいかなかったからな。
身体さえもっと強けりゃ、俺もきっと起きている間ずっと
飲むようになってしまっていただろう。
ラッキーであったぞ。


しかし人生はなかなかに味わい深いものだ。
訳わかんないすね。急に言われても。
しかしそんな気分なのだよ。
アップなりダウンなり、まだまだ予断を許さない展開アリですなあ。
周りの人間を見ていてもそう思う。

最近聞いたフレーズで気に入ったのが、
“消化試合の人生。”
親の仕事のあとを継いで、すっかり安泰な人間がその後の人生を
自嘲気味に語った言葉である。

まあ職業なり結婚なり、そこら辺のカタチが定まっていたとしても、
案外優勝の行方は最終試合までもつれ込むものと思われる。
何が優勝か知らんけど。

仕事や結婚にしたって、どこにどんな落とし穴や
宝くじが待っているか、さっぱり分からないものだと思うぞ。
大企業も大概リストラの嵐だし。
主婦の不倫とか流行ってるらしいし。
まして事故や病気なんてさっぱり見当もつかんし。

まあ意外性を楽しめる気持ちがだんだん弱ってくると
老け込んでくるよなあ。
まだまだ行ってみましょう。どこへか知らんが。


[197] 9月2日 2001年09月03日 (月)


今日は斉藤ノブさんのライブに顏を出してきた。
まあなんというか、なつかしい顏顔顔。
ドラムの山木さんは多分10年ぶり位、難波弘之さんも
7〜8年ぶりだろう。
後藤次利さんに至っては20年ぶりか。
他にも皆さん、なんだか同窓会のごとしであった。
山木さんが最近、昔俺らが一緒にやったヘルタースケルターを
引っぱり出して、聞いてみたそうな。
これは確か、笹路正徳さんのソロアルバムだと思うんだが。
彼のアルバムで俺、何曲か歌ったんだよ。
かっこよかったそうだ。今聞いても。
ううぬ。聞きたいぞ。俺持ってたっけなあ。
CD再発されていないのか。
って俺が聞いてどうする。
しかし、あのアルバムももう20年前である。びっくり。
20年たってもみんな元気にやってるなあ。

ライブをやりたいと思ったよ。俺。
レコーディングもさることながら、なんかやっぱ
ライブやろうかな。

リハビリもなんだか行き詰まってくるんだよ。
明確に目標でもないと。
つうわけでリハビリライブ、始めるか。




[196] 8月30日 2001年08月31日 (金)

あんまり詞が書けないもんだから、絵でも描いてみているぞ。
純粋な絵ではなく、俺が撮ってきた写真に彩色している。
近々これも発表するか。
ちなみに英国はブライトンの風景である。

基本的にモノを創る作業は自己確認である。
なんでそんな事すんの?と言われても困る。
せずにはおれないからする。
本来それだけの事である。
そんなもんそれが職業として成り立つかどうかなんぞ
二の次なのである。本来。
しかしそれが職業として成り立ったのちには、
そこに社会の中での役割が生じてしまうわけだ。
そこから、役割をきちんとこなし続ける事で
心地よいポジションをキープしようなどという、
本質的な衝動とはかけ離れた執着が生じるのである。
だから何。ほえほえダス。by デカパン。
知らねえよなあ。

まあそんなこんないろいろと、青臭いといわれがちなあたりの思考を
いまだうろうろしたりもしつつ、なんとか前向きにやっていきたいものだ、
と一人つぶやく今日この頃である。
ふうん。なるほどねえ。

ふう。
ここは一発、自家撞着OH YEAH BABYなおかつ
厚顔無恥ROCK'N'ROLLつうことでよろしく。な感じ。



[195] 8月29日 2001年08月30日 (木)

夏休みも終わりだなあ。
宿題終わったか?

いや別にあたしゃ夏休みも何もないっすけど。
でも宿題すんでいないっつう感じありまくり。
むうう。

それにしても小学校の頃って夏休みが3ヶ月くらい
あった気がするぞ。
今の感覚で言えば。

ところで俺は、きっと非常に意外に思われるだろうが、
夏休みの宿題は最初の数日で済ませてしまうタイプだったのだ。
その方が気分良く遊べるっしょ。
そう、人と待ち合わせたら確実に待ち合わせ時間よりだいぶ前に
着いて待っているような子供だったんだぞ。

ではいつからこんな、夏休みが終わってから夏休みの宿題にやっと
手をつけ始めるような男になってしまったのか。
これはいろいろな人生の出会いの結果なのだよ。

“え、それで良いんすか!?”
という、驚愕を与えてくれた様々な人々がいたんだよなあ。
びっくりして見てると、案外人生なんてそんなに
几帳面じゃなくてもオッケーなんすよ。どうやら。
でもってだんだんルーズになってきたら、今度はどうやっても
元に戻れなくなってしまったのだ。

しかしイカンですよ。ルーズなのは。ホントそう思っているっす。
でもルーズになってからの方が、人にも自分にも甘くなったんで
断然精神的に楽なのだよ。
子供の頃みたいに胃が痛む事もなくなったし。

自分には厳しく。人には甘く。
さういふものにわたしはなりたいんだがなあ。


[194] 8月26日 2001年08月27日 (月)

世田谷区で、警官が刺されて死亡するという、
痛ましい事件があった。
現場は、それこそ俺がしょっちゅううろうろしているあたりである。

犯人は、その警官によって射殺された。
しかし、刺されるまでは威嚇発砲しかしなかったのだ。

そんなでかい刃物ふりかざして襲いかかって来た段階で
相手に発砲しちゃだめなんだろうか。


アメリカみたいな国にはなって欲しくない、と思う。
普通にみんなが銃を持っているもんだから、警官は当然
防衛のためにすぐ発砲する。
そんな状態にはまだ日本はならないとは思う。

でもさあ。
銃なり刃物なり、今後ますます兇悪な、訳わかんない犯罪は
増えそうだ。
そして、結局今回の事件のように、自分が致命傷をおってからでないと
発砲出来ないようじゃ怖くて警官やってらんないんでないかい。

きっと本人が斬り付けられる前に発砲したとなると
世の中騒ぐ連中いるんだろうなあ。
過剰防衛だとかいって。



自衛隊だって変だぞ。
自衛隊に至っては、下手すると存在自体ありがたく思って
もらえなかったりもする。
そして、とにかくな〜んにも攻撃できない。
両手縛られたままガードマンやらされてるようなもんでないのか。

とりあえず日米安保もあるし、そうそう“いざ”なんつう事も
幸い何もなかったけれど、もしもの時を考えると
怖くてやってられないと思うんだが。自衛隊員。
そこに武器もあるのに使わせてもらえずに命を落とすような事が
もしあったら、それはやるせなさ過ぎる。
しかも国民に感謝されるどころか文句言われてた日にゃあ、ああた。

とりあえず、国内では警察、他の国に対しては自衛隊が
いざというときの覚悟を持って存在してくれている事に
対しては、やはり感謝したいと思う。


ま、若い頃からいまだに警官見ると
なぜか逃げたくなる俺ではあるが。





[193] 8月24日 2001年08月25日 (土)

しかし肋骨痛めていると意外と生活に制約が出来てしまうものだ。
思いの外、いろいろな動作で胸が痛むぞ。
胸がふくらむと痛いのでサポーターで締めているわけだが、
やはりつい姿勢も悪くなりがちだ。
そして笑うと痛いとくれば、なかなかに地味で陰気な人間が
形成されてゆく。
なにしろ毎日泳いでいたので、泳げないのが辛い。

いやホント、失って分かる健康のありがたさである。
ま、たかだか1、2週間の事だからいいけど。

俺は根が極めてポジティブに出来ていると思う。
何かが起こると、それ以上の大事に至らないための警告と
思って、ありがたく受け止めるという、
なかなかに都合の良い精神構造になっている。
警告は活かさないとね。


どうでもいいけど胸が痛む、とか胸がふくらむとか、
比喩以外で使う事は極めて稀だな。


[192] 8月22日 2001年08月23日 (木)

肋骨は、病院に行って来たところなんか軟骨が折れてるだか
なんだかで、2週間は痛いでしょうとの事。
胸にさらしのようにサポーターを巻いている
俺なのであった。
それにしてもこの前の救急車といい、なにやら
病院づいている今日この頃である。
情けないでごわす。おいどんは。


どうも詞書きの作業が難航している。
いつもの事ではあるが。
はげましのお便り、メッセージお待ちしております。
どんな詞が良いんだか言ってみろこの野郎。
って喧嘩売ってどうすんだよ。


ところで“オオバンブルマイ”は“大盤振舞い”としかことえり君は
変換してくれないが、正確には“椀飯振舞い”が正しいのである。
だから何。いえ別に。


[191] 8月19日 2001年08月20日 (月)

一応、研ナオコさんが完走できたのかどうか、
ゴールする頃見てしまったぞ。24時間TV。
『負けないで』を使い続けていてくれて嬉しい。

しかし少々不思議な世界だと思う。
「さあ感動するぞ」
と身構えられると俺はひるんでしまうんだが。

近所の飲み屋では24時間マラソン飲み会が行われていた。
アホウの塊である。
頼むから俺をそんなものに誘わないでくれ。
俺は生まれ変わったんだから。多分。


実は昨日、道で転んでしまって、胸をしたたか打ちつけてしまった。
肋骨が折れたりはしていないと思うが、笑ったり咳をしたりすると痛い。
別に酔っていたわけでもなんでもない。

そして、車のキー差しっぱなしでドアロックして、
しかも車内灯つけっぱなしという、
信じがたい二重ボケもかましてしまった。そのまま一晩気付かず。
こんなんかつてないっす。

だいぶ脳の病状が悪化しているようだのう。
わしのメシはまだかのう。
今食った?
またそんな事言うてわしにメシ食わさん気じゃな。




[190] 8月17日 2001年08月18日 (土)

それにしても巨人のこんな体たらくを誰が予想出来ただろう。
だから野球は面白い。
いや別にそんな大の野球ファンでは全然ないっすけど。

思うに、例の清原のバント事件。あえて事件と呼んでしまうが。
あれで決定的に流れが変わってしまった気がする。
俺はあれはやはりイカンかったと思う。長嶋監督。
そんな風に勝つ事に執着した野球に対してのアンチテーゼでは
なかったのか。長嶋野球は。
せこせこした野球がつまらないと思えばこその、あの打線
だったのではないのか。
長嶋さんは勝ち負けとは別のところで面白い野球を
やってくれると信じているからこそ、
勝ちを追求するという意味ではいろいろと疑問を感じながらも
やはり長嶋監督をファンは応援していたのではないのか。

俺は目に見える現象はすべて、その背後の運やら念やらの
結果だと思っている。

信念を貫くところに必ず運は集まってくる。
信念の焦点がぼやけていると運はこぼれてゆくものだ。

そして、多くの人間の信じる力は必ず現象に影響を及ぼす。
多くの人々の念は絶対になんらかのカタチに影響するはずなのだ。

人間、常に日々を生きている中で運や念のやりとりをしながら、
様々なその結果に一喜一憂しているのだ。
ま、まず“業”や“徳”を持ち点として各人に配られているのだが、
その後の運や念が作り出す“縁”によって総ては決定されてゆく。

長嶋さんはもともと、特異な無邪気さによって、常人より遥かに強い
信じる力を持っていた人だと思う。
そして観客が楽しめる野球がしたい、という信念があったと思う。
その信念と信じる力の並外れた強さが、ファンの信じる力をも呼び起こし、
巨人ファン、長嶋ファンという非常に多くの人々の念の後押しを
手に入れて、さまざまな幸運、ミラクルな結果につながったりしたのだと俺は思う。

あの清原のバント一発で、ファンは長嶋監督の信念に
「あれれ?」と疑問が生じたんでないか。
結果、チームもファンも、念の総量がプシュ−っとしぼんだ気がしたぞ。

あれさえなければ、まあ常に“if”なんて意味ないけど、
もしかするとあれさえなければまだミラクルはあったんじゃないか、
という気がする。

いや解んないけどね。まだミラクルあるやもしれんが。








[189] 8月16日 2001年08月17日 (金)

8月に入ってから、
『八月の鯨』
『ドライビングMiss デイジー』
『晩秋』
と、3本の老人映画を観た。
全部ロードショーで観ようと思っていて観損ねた作品である。
良い映画だったよどれも。

俺はもう40を越えている。
だが不惑には程遠い。
惑有りまくりっつう感じである。
子供の頃は、人は大人になるとどんどんしっかりしてきて、
40なんつった日にゃあ、そりゃ不惑(レ点あり)ってなもんだと
思っていたぞ。

最近切なかったのが、68才の男性が60才の女性に
ストーカー行為を働いたとして逮捕された事件だ。
なんでも18年間思い続けていたという。
「姿を見るだけで胸がしめつけられる思いがした」
と、警察でその思いを吐露していたとの事。
うーん。
“姿を見るだけで胸がしめつけられる”恋かあ。
そんな思い、みんなしているかい最近。
ある意味ではその男性、68才にしてその思いが出来るのは
幸せと言えなくもない事もなくはないかもしれない。

それにしても『八月の鯨』にはあのベティ・デイビス、
『晩秋』にはジャック・レモン(実は他にもいっぱい
昔の有名な人出てるらしいけどあとは分からん。)
といった俳優達が元気に、元気でない老人を演じている。
そりゃよっぽど元気でしっかりしていないと映画の主役は出来んだろ。


とにかく。
前にも書いたが、子供達の諸問題は子供達が問題ではない。
子供達にとって希望の持ち方を提示できない大人が悪いのである。
大人の社会自体に希望が見えないから、刹那的になるのがそりゃ
当たり前だろう。
そして、老後に希望が持てないから、大人もしんどいのである。
という訳で、社会の諸問題の根源はハッピーな老人社会を
作る事からであろう。

人間に最も必要なものは希望なのである。
希望こそ、衣食住より何より、人間が必要としているものなのだ。

だから子供に金かける分を全部、大人が使って楽しめばよいでないかい。
子供によかれと思って、大人が子供の為に我慢なんてしてたら、
ますます子供はそんな大人になりたくないじゃん。
しかもそれを“子供のために”なんて恩着せがましく言われたりした日にゃあもう。
そりゃウンザリっしょ。

そして大人達が、早く引退してあんな風になりたいなあ、と思えるような
老人社会がそこにあれば大人達の気分も変わるだろう。

というわけで。
老人と病人になら税金を使う事を許す。
他はすべて民間にまかせなさい。とっとと。




[188] 8月14日 2001年08月15日 (水)

高知のよさこいはなかなかにすごい。

でもって、それに感動した人々がかつて全国各地に持って帰り、
結構それぞれの場所で根付いている。
特に札幌のそれに至っては元祖より有名になってしまった。

高知のよさこいがどう普通の祭りと違うのか説明しよう。

まず基本は、各チーム100名〜200名位ずつに別れていて、
それぞれのチームごとに音楽を鳴らすトラックが先導する。
そしてここからが普通ではないのだが、
まずそのトラックの鳴らす音楽を各チームで好きに作る。
よさこい節の基本メロがあるのだが、それがどこかに入っていれば
あとはなんでもよいのである。

だからチームごとにサンバよさこいヒップホップよさこい、
モ−娘よさこいパンクよさこいフュ−ジョンよさこいメタルよさこい
なんでもありなのだ。
すごいだろう。

俺が高校の頃はそんなじゃなかった。
だが俺が二十歳位の頃に久しぶりによさこいを見たらすでに
テクノよさこいその他いろいろ面白い事になっていて、
正直感動したものだ。

いやほんと、単なるアレンジの問題ではない。
よさこいの部分はまあ一応あるにはあるが、残りの部分が結構それぞれ
本気でかっこいいのだよ。
今回見た中で一番良かったのは、生バンドプラス7人位のブラスセクションで
演奏していたジャズロックよさこいだな。
去年も見に行ったのだが、去年はヒップホップがとにかく多かった。
ラップの掛け合いところどころよさこい、というわけである。
今年は生演奏が増えた気がする。

そしてそうやって各チームで作った音楽に合わせて、
各チームが衣装も踊りも毎年新たに作るのだ。

オーソドックスな踊りのチームもいれば、ほとんど創作ジャズダンスな
チームもいる。
去年はフラメンコっぽい衣装に薔薇付けてるチームの
なんちゃってフラメンコよさこいもあった。

いわば大規模なコスプレ創作ダンスあんどパラパラ大会である。
そんなチームが150以上もいて、町中練り歩いているのだぞ。

なんだかこうやって聞くと見てみたいだろ?


音楽、衣装、踊りをイチから作り、100人からの人間達で合わせる。
結構メインで動いている人間にとっては一年はあっという間だろう。

しかしこういう企画だからこそ受ける若者には受けると思う。
だから若者に地元に根付いて欲しい思いもあって、
各地に飛び火していったのだろう。

そういえば広末涼子も踊っていた。
そんでもって俺と同じ便で東京に戻って来た。

なんだかそんな事も全部、もっとプロモーションにつなげて
よさこいの宣伝すればいいのに、とか思う。
なんだかさ、札幌のよさこいばかりメジャーになるとどっか
シャクだったりしちまうんだよなあ。


ま、そこらへん高知のいごっそう気質っつうもんがまた
じゃまをするのであろう。
自分のプロモーションなんぞという格好悪い事は元来嫌なのだよ。
いごっそう的には。


[187] 8月7日 2001年08月08日 (水)

明日から高知に花火とよさこいを見に行ってくるつもりだ。

高知は俺にとって微妙な場所なのだ。
俺の両親は高知の出身だ。
だから親戚はほとんど高知人である。
だが俺自身が高知に住んでいたのは中3と高1の2年間だけだ。

少年時代、引っ越しの多かった俺にとって
生まれや育ちの話は単純ではない。

プロフィールとかでは大概めんどくさいので東京出身と
なっている事が多い。
実際年数的には、東京で過ごした時間が最も長いのは確かだ。
そして東京ではいつもだいたい渋谷を中心とした地域に住んでいたので、
俺にとって最もなじみの深い地域といえばそこら辺という事になる。
結局今も同じあたりをうろうろしている。

だがそうやって子供の頃引っ越しばかりしながら、
夏休みなどに“帰って”いたのは高知だったのだ。
俺にとっていわゆる“自分の田舎”は高知だったわけだ。

そして小中と通った東京の学校では、純粋な地元というより、
いろいろな会社のアパートや公務員の官舎の子供が多かった。
そういうところの子供達にとっては、今住んでいる場所は
“次の引っ越しまでの住まい”なのである。
そういった意味では東京も名古屋もロンドンも同じだったのだ。
俺にとって。

だが高知での2年間の生活は、微妙に違う。
やはり親戚が周りにたくさんいるという事も、
自分が高知の出身だ、という意識につながっただろう。

当初こそ土佐弁も理解出来ず、なんせロンドン帰りなんつうもんが当時
高知じゃ天然記念物よりめずらしかったもんで、みんな見に来るし、
慣れるまでは大変であった。
だが自分もいい加減ながら土佐弁を喋るようになり、他の連中と
混じれるようになってからは、かなり濃い時間を友人達と過ごす事ができた。

同級生達は、俺がその後東京にまた転校してからも
俺に対して
「今度いつ高知に“帰って”くるんだ?」
という聞き方をしてきたものだった。
結局2年間居ただけの俺としては、
『そうか、俺は高知に“帰る”んだ』
と思える事は、どこか背中にむずがゆさを
感じながらも、微妙に嬉しい感情を伴っていた事は確かだ。

だんだん高知に“帰る”事も少なくなり、父方母方共に、祖父祖母は亡くなった。
友人も親戚も、俺に対して
「今度いつ高知に“来る”の?」
と聞くようになった。

別に当たり前の事である。
もともと俺は高知で生まれ育った人間ではない。
“帰る”筋合いでははなからないのである。

だが。
音楽家としての俺にとって、現在までつながっているあらゆる時間の中で、
“帰る”場所はあの時初めてエレキギターを触った、そして
初めてバンドというものを組んだ、高知でのあの瞬間しかない。

他の空間も時間も、そこに“いた事がある”のであって、
“帰る”べき初心だの原点だのといえば、あの場所のあの瞬間しかないのである。
あの感激が、そのまま現在の音楽家としての俺の存在につながっているのだ。



鏡川で花火見てくるきねえ。








[186] 8月5日 2001年08月06日 (月)

子供向けなのは選挙ばかりではない。

日本において文化というものがなぜこうも
“権威”と“子供向け”の二つに別れがちなのか。
そこんところちょいと不思議だのう。

まあ順列や権威というものが硬直しがちなのは農耕民族としての
歴史ゆえの部分もありそうだな。
なんせ農村では長老の言う事を聞く事が大事だったんだろう。
その点狩猟民族は、年とって身体が言う事聞かなくなった人間は
現役をしりぞいて、次世代がリーダーになっていかないと
どうしようもなかっただろうからな。
だけど今のこの展開の早い御時世に、大抵のジャンルで
なまじやる気まんまんの長老方は、存在が迷惑な場合の方が
多いんでないか。
政治の世界でも、あんなに“元首相”なんかが現役でいたら
やりにくいだろうに。
学問の世界でも迷惑な大学教授の話はよく聞く。
実績に対するリスペクトと、硬直した権威っつうもんはちゃうやろ。

ま、それはともかく。

文化っつうもんは生活を楽しむ心、日々のゆとりの部分なわけだ。
そしてその部分の充実、満足こそが本当の“豊かさ”っつうもんだろう。
なまじ金なんぞあったってそこんところが貧しい人は
あんまりハッピーとも思えないし、結局周りからも尊敬されない。
と、いうのが世界から見た日本の印象であろう。

やはりヨーロッパの人達とか、とりあえず大人が
日々を楽しむ事においては全然長けていると思う。日本人より。

新しい電化製品の購入よりも、さりげなく小さな絵を壁に掛けてみるとかさ。
ちょっとした時に集まって歌ったり踊ったりできる土着な音楽があったり。

どうして日本の大人達はあんなに日々を“楽しむ”姿勢がないんだろう。
というか、なくなったんだろう。
子供を塾にやる金があるんだったら大人が遊んだ方が良いって。
だってどうせ「こんなに大人になると楽しいんだぞ」って言える事が
何もないんだったら子供に頑張らせたってしょうがないじゃん。
大人が何も子供達に対して、大人になる事への期待につながる
ビジョンも提示出来ないで、希望を持たせる事が出来ないで、そのくせ
頑張れってだけは言われてもなあ。
ちょっと先の読める頭の良いやつならグレるっつうの。

例えば良い大学出たら一生遊んで暮らせるっつうんだったら、俺も高校時代に
“今だけがんばれば”と思って勉強したかもしれない。
そうじゃないんだから。
結局ちょっと収入や地位が違おうが、そんなもん心が貧しけりゃ
本当になんの意味もないだろ。

でもって、である。
最近徐々にそこらへん、そう感じている人々が増えてきた、と思う。
やはりそれは例のバブルが弾けたおかげであろう。
衣食住、それぞれに自分なりに楽しもうとする大人はすごく増えた。

だが、いかんせん音楽において採算が取れる分野といえば
やはり子供向けのポップスなのである。

子供向けのポップスが悪いなんて全然言っていない。
それはそれ、なのだ。
ただ、大人ももっと音楽を楽しんでくれたらなあ、と思う。リアルタイムで。


逆にいえば、日本ほど文化の主導権を子供が握っている国はないので、
子供向けの文化は今も今後も世界最強であろう。
ゲームしかり。マンガ、アニメしかり。
それらのジャンルは、今後ますます日本の重要な産業として
発展していくものと思われる。



それにしても、普通文章を書く時はある程度内容と構成を考えてから
書き始めるものだが、このダイアリーの場合取りあえず書き始めるので、
脳が冴えてない時はうだうだ、長々と書き連ねるはめになるなあ。

しかもなんか他に言いたい事あったような気がするし。
まあいいや。






[185] 8月3日 2001年08月04日 (土)

この前の選挙は大体予想通りだったなあ。
タレントも当選しそうな人は当選して、落ちそうな人は落ちた。

それにしても、ほんの少し自分の周りの事を考えてみたって
既得権というものは人間、理屈での正邪善悪関係なく
頑として手放そうとはしないものである。
それを無理矢理手放させられたとなればそこには“恨み”が残る。
それは身内であればある程そういうものだ。
いっそ“敵”に負けた、という事ならば日本人の場合諦めは早い。

大きい会社とかでも、別の会社に負けても〜課のあいつにだけは
良い思いなんぞさせてたまるか、といったタイプの
メンタリティー、よくあるでしょ。

だから。
俺は本当に自民党で改革を行えるとは正直思えないんだがなあ。
いっそ自民党をいよいよ壊して再編成に向かう方が
すっきりするのではないだろうか。
でもって自由党と民主党がくっついて自由民主党になるのだ。
あれれ。
だめじゃん。

だからもっと真剣に名前考えろよおい。

ま、それはともかく。
いままでのしがらみのない人々がやらないと、例の
『聖域なき構造改革』なんて本当は出来ないと思う。

かつて細川さんが首相になった時、細川さんの首相としての
適性はともかく、もっと長い間自民党が野党であったならば
随分とその後の政治が健全になるチャンスはあったのでないか。
考えれば考える程、あの好々爺然とした村山さんは
いろいろな意味で日本にダメージを与えたなあ。
あの人もキャラとしては大人気だったが。

まあ選挙なんて、日本においてはこれほどまでにキャラとしての
人気投票である部分が大きいという事で、とりあえず首相公選だけは
是非とも実現しないままであってほしいものだ。

小沢さんもロボットに突っ込んだりしたくないんだろうに。
でも悲しい事に自由党が現在それなりにやっているのは
小沢さんのキャラ人気(!)に負うところも大きい。
という現状を認識しているから彼もロボットに突っ込んで行くのだろう。
しかし“ほしゅぴたる”ねえ。
“いかんざき”はちょっと受けたけど。

ここまで子供向けの選挙を行っている国が果たして
世界中で他にあるのだろうか。

選挙権は子供にはなかったはずだが。
俺の勘違いか。


[184] 8月1日 2001年08月02日 (木)

今日は大黒摩季復活ライブに行ってきた。
感動した。
やはりあれ程までに歌そのものだけで人を感動させられる彼女は
シンガーとして希有な存在である。
いつかまたなんか一緒にやろうぜ。

晩飯を食った店で、茶碗蒸しに虫が入っていた。
茶碗ムシっつうしゃれか。
なかなかきついしゃれかましてくれるのう。


[183] 7月31日 2001年08月01日 (水)

“喋るように歌え”というグループで活動している
佐藤竹善君から深夜というより明け方のお誘いがあった。
俺は最近健康的なんだからね竹善君。
今までの人生を悔い改めモードに入っている
かつて大酒のみであった二人はみごとに二人とも茶だけ飲みながら
3時間も語り合ったのであった。
しかしお茶だけで勘定は一万円を越えてしまった。
阿呆ちゃうか。はははは。
なかなか竹悪な話や鬼畜善な話も聞けて面白かった。

みんな彼の良い人然とした風貌に騙されないように。

というのは冗談なんだからねあくまで。
ホント真に受けるヤツ多いもんでいちいち念押しとかないと。
俺は彼の歌、音楽に対する真摯さ、ナチュラルさが大好きなのである。



今カレイドスコープの次のシングルをバンドの連中と
一緒に作っている。
ええ曲や。ほんま。期待しててや。




[182] 7月29日 2001年07月30日 (月)

今日はマック野郎が凍る日である。
人間の集中力というものはそうそう
「はいもう一度」
と言われて復活するものではない。
セーブしない俺が悪いんだろうよ。
いちいちすりゃあいいんだろうセーブ。
解ってんだよそんな事。
でもさ、ノリとしてここでセーブ、つうタイミングがあるじゃん。
そんなに5分ですぐ凍られたんじゃあ
てめえなんかとはもう二度と仕事したくねえっつうの。

はあ。
気が立ってんだよ俺は。
また胃が痛くなってきたぜ。

俺が無知だから機械とうまくやれねえっつうんならいいんだが。
ありとあらゆるコンピューター関係のプロが揃ってんだよ。
俺のまわりには。
でもって結局機械なんつうのはこんなもんだというわけだ。

思うに。
どんどんバージョン新しくするからいけねえんじゃねえの。
OSももろもろのソフトも。
もうさあ、バージョンは固定して、安定度だけ高める事にしようよ。
頼むから。
せっかく安定しだしたと思ったらすぐバージョンアップで
また不安定になるんだから。

ああああああまったくもう!

さて、と。
気を取り直して。
やり直すとするか。

今夜は長くなりそうである。


[181] 7月28日 2001年07月29日 (日)


体調悪し。
風邪と思われる。
実は数日前生まれて初めて救急車に乗ってしまった。
夜中にどうにも腹痛が治まらなくなったので、
その数時間前に寿司を食っていたもんだからてっきり
ムシにやられたか、と思ったのだが。
少しだけ吐いたが楽にならず、なにしろ胃の痛みは激しくなる一方なのだ。

結論から言うとムシではなかった。
食中毒でもなかった。

はたと思い当たったのが、昔も一度、腹痛しか症状がなくて
病院に行った際に、風邪と診断された時の事だ。

しかし面白かったぞ。そういってはなんだが。
いろいろ初体験が出来た。

救急車は揺れて寝心地悪し。
しかもピーポーピーポーが車内でもうるさいし。
人が押してくれる車椅子というものにも初めて乗ったぞ。


でもって痛いっつってんのに点滴しながらずっと
寝かされていたのであった。
一応痛み止めも点滴に入っていたらしいが一向に効かない。
当直のお医者さんや看護婦さんは寿司の話を聞いて、ムシを疑っている。
アニサキスっつうヤツだとすると胃カメラで胃に噛み付いてるヤツを
見つけてひっぺがすしかないそうだ。
朝9時には先生が来て診療が始まるもんで、それまでは胃カメラとか
出来ないとの事。
おいおい。エエんかそんなんで。
ま、俺はたまたま大した事なかったし、つうか大した事ないなと思って
そうしたんだろうけどさ。
でも痛かったんだぞ。

結局、胃カメラで調べてもムシはいなかった。よかった。
さば、イカは気をつけた方が良いらしいよ。

ま、とにかく11時位に別の痛み止めを注射されて、
それがやっと効いた。

病院に担ぎこまれたのが4時。
帰ったのが12時頃である。

血液検査やらなんやら、いろいろやってくれたが
「健康優良児」と言われてしまった。児ではないが。

結局、風邪と寿司とストレスが変に相乗効果で胃に来てしまったらしい。
いまだ体調少々悪し。
自分で判断するに、もともと俺はエアコンには弱い。
だからいつも睡眠時には切って寝ていた。
それが今年、あんまり暑うて暑うてついついエアコンつけっぱで寝てもうた。
あれがアカンかったんじゃろ。

健康優良児のわりに虚弱体質な俺である。







[180] 7月24日 2001年07月25日 (水)

今日はテリー伊藤氏と対談をした。
彼のように、とにかく物事をエンターテイメントとして
成立させるべく、様々な角度から面白さというものを
引っ張り出してこられる人というのは尊敬してしまう。

どんな物事でも、人々の興味を引く事から始めないと
広がらない。
プライオリティーとして最優先ではないとしても、
やはり人は自分が興味を持った事、あるいは
興味を持って行った行為の結果等に対してより多くの賛同、同意を
得たいという思いはあるものだ。

ああもう。なんてまどろっこしい言い回しをするんだ俺。
もっと分かりやすく言えんのか。

つまり。
『売るために』でなく『あたしゃこんな音楽が好き!』という思いで
作った音楽であっても、より多くの人々が「この曲良いねえ」と
言ってくれる事は当然喜びなのである。

あるいは『勝ちたい』という気持ちでやるスポーツも、
より多くの人々に応援されると嬉しいものだろう。普通は。

そしてなにより、音楽、スポーツ、文学美術その他すべてが資本主義社会で
職業として成り立つためには、他者にとってのエンターテイメントとして
成立しているかどうか、その一点だけが重要なのである。

もっと言えば、政治、あるいは慈善活動であろうが、そこにより多くの人間が
興味を持ち、かかわってくるためには結局ある意味エンターテイメント性が
もっとも必要になってくる。

一応念のために言っておくと、エンターテイメントも
とことんシリアスなものから、とことんおバカなものまである。
エンターテイメントというとそれだけで、しかめっ面している
視野の狭いシリアスさよりランクが低いと思う人間も中にはいる。
そんなもんただのひとりよがりっつうんだよ。
だから俺はほとんどの現代音楽に共感できない。
ま、それはともかく。

何言おうとしてたんだっけ。
あれれ。
最近脳がふっと電源切れちまうんだよなあ。
データがセーブ出来ないのである。
シノプス断線中。

とにかくテリ−さんは“面白がり力”が強い、という事なのだよ。
この“面白がり力”こそ、もしかすると人生一番大事なモノかも
しれないぞ。



[179] 7月23日 2001年07月24日 (火)

仙台の北陵クリニックでの、点滴に筋弛緩剤が混入されたのではないか
という事件、覚えているだろうか。
その容疑者として逮捕された、守大助被告の本が出ている。
『僕はやっていない!』
というのがその本のタイトルだ。

やばいのである。
この本を読むと、とっても冤罪臭いのだ。

どこに真実があるのかは本当に解らない。
俺はとにかく、業深き、この“人間”なるものについてはどんな事があっても
不思議ではないと思っている。

一度俺はこの事件について書いた事があるのだが、
その時書いた通り、自分が人の命をコントロール出来る立場に立った時、
自分の手で人の命をコントロールしてみたいという欲求に抗えない
人間がいたとしても不思議ではない。
あるいは、ものすごく意志の強い、かつ病的に歪んだ性格の持ち主が、
本当はやっているのにやっていないと言い通して、しかも
自分の立場をよくするためにこうして手記を出版する、という事だって
まったく可能性のない事ではない。

しかし。
この本を読む限り、“常識的に考えて”無実としか思えないのである。
俺には。


もしも自分が、まったく考えもつかない冤罪で突然逮捕されたとしたら。
しかも連続快楽殺人者として。

これは本当に恐ろしい。
背筋も凍る話とはこの事であろう。

警察及び検察の方々には、メンツやらなんやらで目を曇らせずに、
是非真実だけを見つけていただきたいと思う。




[178] 7月20日 2001年07月21日 (土)

暑い夏を乗り切るにはウナギですぜ。
俺は好きなんだよウナギ。
しかし。
関東では蒸してやわやわにするでないですか。
俺は関西方式の、少しパリっと焼いてあるのが好きだ。
東京でうまいといわれる店にいろいろ行ってはみたがやはり
関西方式のうまいヤツにはかなわない。と、俺は思う。
どこかないんだろうか。東京で関西方式のうまいウナギが食える店。
情報求む。


ところでトランスフォーマ−は、めでたく独立して
自分らでやっていく事となった。
良いバンドなので今後も応援してやっておくれ。


そういえば北島の誕生日だったな。
おーーい。おめでとう。聞こえるかあ。
そういえばそういえば先月の23日は古村の誕生日だったっけ。
おめでとうございます。先輩。





[177] 7月18日 2001年07月19日 (木)

毎日毎日暑いぞ。
俺はいいんだが。
暑くてカッと良い天気なのは大好きだ。
世の中は困ってないのか。こんなに暑くて。
別に困ってないならいいです。

しかし蝉の声がすごく少ない気がするんだけど。
どうしたんだ蝉達。
本気出すのは8月だっけか。
それにしても地味な気がする。
どうなんでしょう九州あるいは四国方面とかでは。

照りつける日射しに大音量の蝉の声、浴衣で祭り、スイカにそうめん。
最高に素敵だと思うよ。日本の夏。
というか四季のめりはりがこんな風にある地域は世界中でそれほど多くない。
四季が人間の情緒を細やかに作り上げる、と思う。

えええい、くそくそくそ。
日本の夏で好きくないのはである。
いるのだよさっきから。この部屋に。
俺はちょこっと、一ケ所でもさされると全身なんだか
痒くなり始めるのだ。まったく虚弱な男である。


ケーブルテレビでレオン完全版を観た。
映画館で観た時はそれほど良いと思わなかったが。
良いですね。マチルダ。
随所随所に昔の相川を彷佛とさせる瞬間がある。

どうやら完全版の編集の方が俺にはあっていたようだ。レオンは。
監督が編集しなおしたヤツで明らかに冗漫になってしまった
作品とかも世の中にはあるけど。


痒いっつうの。
蚊を退治するぞ。
あああもう。


[176] 7月16日 2001年07月17日 (火)

最近読んだ本に出てきた面白い話をひとつ。

アメリカの白人と、ある南の島の男との会話。
「もっと真面目に働いた方が良いよ」
「働いたらどうなるの?」
「お金持ちになれるよ」
「お金持ちになってどうするの?」
「お金をかせいだら引退すればいい」
「引退してどうするの?」
「ヤシの木の下でのんびりすればいいさ」
「今そうしてるんだけど」

まさしく俺は小学校の頃に、一所懸命勉強して頑張って辛抱して人生を
生きてゆくんだ、という父親の、まあいわばきわめて真っ当な説教に対して、
「南の島で、魚も捕れて、果物も勝手になってるような所で生きている
人々の人生における価値観とはこれ如何に」
などという質問をして
「馬鹿な事言ってないで勉強しろ」
で済まされてしまった。

そこんとこは実際、難しいポイントなのである。
しいて答えるならば、
「『努力によって何かを得た』という“満足感”こそが
人生において最も大事だ」
という定義も人によっては納得するであろう。

人はそれぞれの価値観で、それぞれのテーマをもって
それぞれの人生を歩めばよいのである。
ただし、すべての人生に共通する前提が一つある。
それはいつか必ず『死ぬ』という事だけだ。

必ず“老いて”“死ぬ”のが人生だ。
『じゃあなんで頑張って辛抱してまで生きてなきゃいけないの』
という、子供の頃の俺の疑問はまったく正しいと思うぞ。

さて、それならば“今”手にしていない何かを手に入れられれば
俄然幸せになれるのでないか。
頑張って辛抱する甲斐があったと思える時が来るのではないか。

そう感じている限りは頑張るべきなのだ。
そう感じているのに頭だけで諦める事は逆に執着を残すだろう。

だが結局は何を手に入れたところですべては一時の幻である。
永遠に自分が所有できるものなんぞ何一つない。
それを認識できればそれでよいのである。

そこであくまで貪欲なコースにハマると、どこまでも
飢餓感は増してゆくという悪循環まっしぐらである。

でもって、足る事を知る。
これが大事になってくる。

などといううだうだを書き連ねる作業は自分のために役立つ。
人に提供するエンターテイメントとしては分からないが。

しかしさあ、くれぐれも“死”とか“すべては幻である”などという
字面だけをとらえて
「織田さんがクラい」
とか心配したりしないように。

こちとら小学生の時から死ぬ事ばかり考えて生きてきているのだから。
だからこそ“死”から逆算して、後悔する事のないように
人生を生きようと思っているのである。

“死”から目を背けていても無駄なのだよ。
必ず君も死ぬのだから。
それはクラいも恐いもない。
“必ず”なんだから。

だからこそ、“今”なのである。
なんともはや信じられないくらい貴重なこの“今”である。

なのについその貴重な“今”を無為に過ごす事のなんたる多さよ。


[175] 7月13日 2001年07月14日 (土)


そういえば梅雨は明けたそうだな。
雨なんか降ってねえじゃん。水は足りているのだろうか。

今、某新人用にポップスを作っている。
まだどうなるか分からないが、決定になると
ちょっと面白い。
ひさびさの、どポップである。


最近、とにかくよく泳ぐ。
一日一回プールに行かないとすっきりしない。
毎日酒を飲んでいるのと毎日泳いでいるのはえらい違いである。

俺は根っからの快楽主義者である。
気持ちいい事が一番大事だ。
それにはまず身体が健康でないと気持ちがよくない。
だから不健康な生活をエンジョイするためにこそ、健康には
気をつけていたのである。
うるさいよ俺は。栄養のバランスとか。
食い物からマッサージ、栄養剤等、ま、健康オタクといっても
過言ではない。
『壮快』とか『ゆほびか』とか買っちまうし。
〈驚異のニンジン療法の効果!〉とかああいうやつ。
ほんとかよ、とか思いながら試してみるんだわ結構。
それもこれも不健康な生活を全うせんがための健康だった
はずなのだが。

年齢を重ねると気持ち良いと感じる事柄がどうやら
変化してくるのだ。
最近、かつて楽しかった不健康なあれやこれや、別にたいして
楽しくもないのである。

そうするとこのままではただの“健康な人”に
なってしまうではないか。
いかん。そりゃつまらん。



足るを知る。
意外にこれって人生の大事なポイントだな。
最近そう思う。


[174] 7月11日 2001年07月12日 (木)

いやあほんと、どこでもさんざん言われてる事だけど
一位で選ばれてオールスターに出たイチローはすごいのう。
もうひとつぱっとしたヒットが出なかったけれど。
ところでパンチョ伊東さんの頭はウケ狙いなのか。
高木ブ−とは血はつながっていないのか。

野茂だって今期成績も復活してるし、ノーヒットノーランやってんのに
監督推薦してくれたっていいじゃないか。

そういえば日本もオールスターやるのか。
などと言っていてはかわいそうなのだが。
しょうがねーよなあ。
巨人ばっかだし。
パ・リーグにイチローいないし。

ま、もともと野球にそれほど熱狂的なわけでもない
世の中の普通の人々は俺と似たような気分はどっかにあるだろう。
しかしヤクルトの入来ががんばっているのはなんだかうれしくなるのう。
それにしてもあのメンツで首位陥落かあ。巨人。


まあ、長い目で見ればすべて必然の流れではある。
日本の野球がパッとしなくなってきた事は。
とにかく昔と違って、ありとあらゆる情報が世界中から
流れ込んできてしまう御時世なのだ。

どのスポーツでも、世界の中での位置付けを明確にした上での
国内スポーツなのである。

例えば個人スポーツでは、日本でチャンピオンになる事で
“世界的にはこれくらいのランク”として認められて、そこから
世界一を目指しての挑戦がはじまるという、いわば国内でのゲームは
世界での予選であるというカタチが、ほぼはっきりしている。

あるいは団体スポーツの場合でも、国内での優勝もさることながら、
やはり国内でのゲームで(あるいは海外でのドメスティックなゲームで)
腕を磨き、成績を認められた、そんな選抜代表チームが
世界一を目指す大会こそ、国をあげての熱狂につながる。


で、野球、である。
いっそ日本のチームを半分にして日本リーグとし、ワールドシリーズに
参加できるようにするとか。
いろいろ他の国も参加できるといいんだが、力の差があり過ぎるだろうなあ。
日本は半分にすれば通用すると思うんだが。甘いか?

なんかそんな事でも考えないと、確実に日本限定のプロ野球は
ジリ貧になるであろう。

だってさあ。巨人に入れなかったらいっそ大リーグっつう気になるよ
みんな。
新庄だってあれくらいやれるんだぞ。
性格的な向き不向きはあるだろうが、まああと
技術的にも体力的にも向き不向きはあるんだろうけど、
日本で一流なヤツはほとんど向こうでも通用しそうじゃん。
松坂くん。太っている場合ではない。
君の才能はあの程度の人数の観客だけに見られて投げるのはもったいない。
行っちまえ行っちまえ。

などと無責任な事を言っていてもいいのである。
野球選手こそ、昔から世のオヤジ達に最も好き放題言われながら
愛されてきた存在なのである。
ビールと枝豆とともに。


それにしても、もしイチローが登場していなかったら今頃
野球をやろうと思う少年は随分少なくなっていた気がする。
またPLでリンチが発覚したりしているが、まず高校野球っつうもんが
どうもイカシてない。モテそう感が少ない。
どう考えてもサッカーの方がかっこいい。
平気で茶パツにしてるし。

だれも実力に文句のつけようがない中田とイチローがあれほどに
ファッショナブルである事が、日本のアマチュアスポーツ界を変えた事は
確実である。
ただ、野球の監督、先輩達の言う事がそう簡単には変わらないであろう
事は想像がつく。

頭カチカチの彼等に言っても無駄だろうが、少年達にとって単純に
“かっこいい”事が、そのスポーツの将来にとっては非常に大事なのだ。


なんだか長々と書いているなあ。
こんなテーマだと随分速いペースで、いくらでも書けるものだ。

きりがないので、もうおしまい。





[173] 7月8日 2001年07月09日 (月)

昨日は西城秀樹氏の結婚披露宴に列席させていただいた。
彼とは『走れ正直者』からの御縁である。
俺はあまり芸能人の知りあい、友人はいない上に、どだい
そういった晴れやかな場も得意でないもんで、
あのように派手な芸能人がいっぱいの結婚披露宴は
まったく初めてであった。

面白かったぞ。いろいろと。
生コロッケの芸は素晴らしかった。
本気で感動した。

誰も知り合いいなかったら寂しいなと思っていたが、
案外知り合いはいっぱいいた。
俺のテーブルの左隣が10年ぶりくらいのデーモン閣下、
右隣がこれまた10年ぶりくらいのバブルガムブラザーズのお二人。
デーモンの向こう側に河村隆一君と真也君といった案配である。
つのだ☆ひろさんや、かまやつさん、桑名さんら、
久しぶりの諸先輩方にもお会いできて嬉しかった。

とても素敵な新郎新婦のお二人であったぞ。
お幸せに。



最近、松浦亜弥についてダイアリーで書いて、しかもその時に近田春夫氏にもふれたが、
今週の文春で近田春夫氏が松浦亜弥について書いていた。
彼は松浦亜弥byつんくに関して、否定的な見解を述べていた。
曰く、音楽ではなく子供向けのおもちゃではないか。
レコード会社の人々は『トロピカ〜ル恋して〜る』を家で聴くのか、と。

う〜ん。俺も確かに子供向けのおもちゃだと思う。はっきり言って。
だがそれでもやはり、つんく氏は彼が小学校6年だったとしたら
彼自身は確実に買ったであろうといえるものを作っている気がする。
語弊があるかもしれないが、実際に音楽というよりアイドルというものが
彼は本気で好きだったのではないだろうか。
ちゃんと愛のこもった“子供のおもちゃ”だと思うぞ。
“音楽”でも“子供のおもちゃ”でも愛がこもっていて
欲する人がいるならば、まあ人それぞれでいいんでないか、
と思ってしまう俺は竹善君に「大人ぶっていてはいかんです!」と
叱られてしまう男なのであった。


ところでなんだかいろんな人達が立候補しているなあ。参院選。
当選しちまったりするのかなあ。あそこらへんの知名度はある人々。

俺は首相公選には反対である。
日本国民をそんなに信用できない。俺も含めて。
横山ノックや青島幸男のような首相なんてまっぴらである。
首相公選なんつったら田中真紀子さんなんかすぐ首相になっちまいそうだけど、
彼女の現在の人気はけして政策によるものではない。
あくまでキャラとしての人気である。
政治家としては正直まだよくわからない。
そんな、キャラとしての部分だけであそこまでの圧倒的な人気を博する
という事自体がおっかなくてしょうがない。

しかし自民党の利権がっちりの人々まで、ぜんぶ追い風状態なのも
どうなのさ。
小泉さんの意気込みは良いとして、改革のさまたげになるのは
当然自民党の旧勢力だろう。
小泉さん、真紀子さんのキャラ人気でみんななんだか
わけわかんなくなってるけど、あくまで改革の敵は自民党なのである。
不安だあ。







[172] 7月4日 2001年07月05日 (木)

俺の同級生で、レストランをやっているヤツがいる。
こいつがまあ最近めずらしい討論好き、議論好きなのだ。
テーマは音楽から政治その他あらゆるジャンルOKである。

このダイアリーを読んでいるとお分かりかと思うが俺も
元来うっとおしい議論好きである。
であるからしてそのレストランにメシ食いにいくと
気がつくと議論が始まって数時間経っていたりする。

ただし俺はかつては常に議論好きな男であったが、
そんなスタンスがお好みでない方々が世の中には非常に多い、
という事に大人になってから気がついた。
だから最近はあまり自分の意見なんぞ言わないのだ。
大人ぶっているのだ。ははは。

日本人は基本的に議論をする事自体を嫌うのである。
その人間の、ある主張に対して反対意見を言う事が
その人間自体の否定でない事など当然だ。
そこが実は実感として当然でない人々が多いのだ。

だから常に物事の決定には根回しが最重要になる。

議論は本来、双方が真理追求のために行う作業であって、
結論は勝ち負けではない。
アメリカなんかではディベイトの授業やクラブが盛んだと
聞いた事がある。さもありなん。あの国なら。
そんな場合、自分の意見と反対の立場にたってみたりとか
するとも聞いた事がある。
聞いた話ばかりであるぞ。多分本当。

とにかくつまり、議論なんてえのはそうやって自分の主張と
他の人間の主張を戦わせてみる事で真実を知ろうとする、
つまりそれは共同作業なのである。べんべん。

なのに。

自分の主張が通らないと「恥をかかされた」などと
感じる人間達が、日本においては政治という、みんなで一所懸命
少しでもどうなら社会がより良い方向に向かうのか、などという
微妙なテーマについての議論を徹底的にすべきポジションに
い〜っぱいいるようなのである。

そして、多くの政治家にとって“議論”をしなければいけないテーマが
あるとすればそれはどうやら『よりよい社会のため』でなく、
それぞれの関わりの深い人々の代表としての『利権の調整』でしか
なかったりもする。

そんな人々の精神構造としては社会がより良い方向へ向かうための
答えを真剣に探るなんぞちゃんちゃら書生臭いのである。


そして、そんな時代だからこそ特に若い連中に対して
ちゃんと話をすべきなのだ!
と、その同級生のレストランの店主は言う。
というかそう決めて、ここ数年どんどん若いやつらにも
いろんな、柔らかくない話をするようになったそうだ。
そのおかげで、選挙に生まれて初めて行ったやつも何人かいるとの事。

俺なんかつい説教臭いと思われるの嫌で、カタい話避けたりもしてしまうが。
いかんいかん。

がんばれ頑固親父。


[171] 7月2日 2001年07月03日 (火)

もう7月かよ。って毎月言ってるな。
たまには「まだ7月かよ」と言ってみるか。
もうとっくに年末かと思ってたぜ。
そろそろ門松の準備始めてたところだぜ。

などと阿呆な事言うてないで。

それにしてもどうなんだシューマッハ兄弟。
兄シュ−マッハが強すぎてつまんねえと思っていたら
対抗馬として台頭してきたのは弟か。なんだかなあ。

セナとマンセル、プロストで争っていた頃は良い感じに キャラが
そろっていた。
基本的には見る側にとってはすべてはエンターテイメントであるからして、
最も大事な事はキャラが立っているかどうか。その一点である。
あんな地味キャラな兄弟で争われてもなあ。


関係ないけど今TVで流れていたんだが、松浦亜弥っつうのは
純粋アイドルとしての完成度が異常に高いなあ。今どき突然。
モ−娘。もかなりいろいろ感動させられたのだが、やはりつんくという人物、
心からアイドルというモノを愛している。
いや素晴らしい。

俺は物事、ジャンルやら理屈やらを抜きにしたところで
そそぎこまれた愛情には素直に感動してしまうのだ。
それは好きか嫌いかといった観点を超越している。
週刊文春に連載している近田春夫氏のエッセイには
近いスタンスを感じる部分がある。
俺の方が少し、形を問わず愛だけでOKな度合いが強い気がするが。

ま、そこがアーティストとしての俺の弱味である。
やはり“他のカタチはダメでしう、これが最高でしょう”
と人に対して本気で言い切れる事はアーティストとしての
強みなのである。
俺のように“それもいいですよねえ、あれも分かります、でも僕は
これがお薦めなんですけど”などと言っているヤツは全然ダメなのである。
それって結局ある程度以上伝える事に対してあきらめているからだ。

だけどしょうがないじゃん。
今まで生きてきて散々自分だって価値観なんて変化してきているんだし。
それは自分の内部の問題もあれば時代というものの流れもある。
今俺が最高だと感じるモノを中学生の俺は最高だとは感じなかったはずだ。
その逆もいえる。
まあ俺の中で変化のない感覚だって当然あるが。

物事の考え方や感じ方が変化する事自体良いも悪いもない。
とりあえず俺にとっては俺自身が成長していると思えれば良いのである。

というわけで人それぞれが人それぞれなりに宿題を背負いながら
成長していこうとする、そんな営み自体が俺は結構好きなのだ。

であるからして、それぞれの人々が、どんな状態にあって
どんなモノを欲したとしても
それはそれでやっぱり否定は出来ないな。
時に悲しくはなるけど。

そういえば先日、シングライクトーキングの竹善君とそんな
話題になって「何を物わかりの良さげな事言ってんですか!」と
叱られてしまった。

難しいのう。




[170] 6月30日 2001年07月01日 (日)

暑いっつうの。
まだこれからだろうが夏は。
今年は暑くなりそうだな。


それにしても不思議なのはスタジオやギター用の機材類で、
通して音が太く聞こえる機材は、古いものばかりである。
おかげで御老体の機材達はいつもメンテナンスが大変なのだ。

新しい材料で同じように出来そうな気がするんだがなあ。
どうもそういうものではないようだ。

今日も御老体の御機嫌がうるわしくないようで困っている。


アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモントのコンビはたまらんなあ。
いや映画『ボルサリーノ』の話なんだが。
今ビデオを流している。

俺は実はかなりのアラン・ドロンフリークである。
彼は引き立て役にまわると光るところが面白い。
チャールズ・ブロンソンとのコンビもいいぞ。
ジャン・ギャバンとのコンビもそりゃもうこたえられまへん。

彼一人が主役な映画は本当に箸にも棒にも楊子にもかからないような
愚作がいっぱいある。

ま、それでもアラン・ドロン様さえ画面に映っていてくれれば
そんな愚作を最後まで退屈せずに観れてしまう、俺のような人間が世の中には
沢山存在したのであろう。

それにしてもそんな風に、その俳優さえ映っていればいいと思う存在は
俺にとってはアラン・ドロン様だけだ。
女優でも一人もいない。
なんなんだろう一体。別にホモではないぞ。ははは。

最も好きな作品は『冒険者たち』である。
これは映画として良い映画なので安心して人にも薦められる。
アラン・ドロン的にも最もアブラののった、“美しい”頃である。

最近そんな“美しい”オトコがいないなあ。
俺の感性としては。
ディカプリオなんぞ全然良いと思わんぞ。

音楽の方でもデビッド・ボウイとミック・ロンソンのからみなんて
涎もんに美しかったな。
うーむ。

数年前に『ベルベット・ゴールドマイン』という映画があったが、
これはなにしろホモな監督の趣味と思われるが、映画の中でのシンガー達が
妙に大柄で美しくなかった。
そりゃ本物達のほうがはるかに美しかったぞ。
まあオトコの趣味も人それぞれだが。
この言い方はアブないな。
俺はホモではないのだ。くれぐれも。


さて『ボルサリーノ2』を観るか。




[169] 6月26日 2001年06月27日 (水)

今日は本当に久しぶりに大黒摩季に会った。
約束していたのではなく、ばったり会ったのである。
まったくなんせ300人しか全世界にいないだけの事はある。
縁のある人間とは縁があるものなのだ。
なにしろ数年前に北海道で俺が知り合った
ある友人とも、今日そこでばったり会ったのである。

それにしても大黒は昔からアネゴなやつだが
素晴らしいアネゴになっていた。ついていきます。

タフさと根のピュアさのバランスが素敵なやつである。

ある時代共通の記憶を持つ人間が、元気でがんばっているのを
見るのは本当に嬉しい。

週刊誌はあれ全部嘘っぱちだそうだぞ。
なかなかネタとしては面白いんだが。


[168] 6月24日 2001年06月25日 (月)

TVでよく聞く納得のいかない台詞が
“世間をお騒がせいたしまして申し訳ありませんでした”
というやつである。
おこなった行動は正しかったのか間違っていたのか。
問題はそこだけだと思うんだけど。
本来、倫理的にだか法的にだか間違いだと思うところの行動についてのみ
謝ればいいんでないの。
そうでなきゃ騒がそうが騒がすまいが行動が正しいと思っているなら胸はって
生きてりゃいいでしょう。

俺はあれを聞くたびに
(自分では悪い事をしたとは思っていないけれどいろいろ言われるもんだから)
世間をお騒がせいたしまして申し訳ありませんでした(と、とりあえず言っておこう)
と聞こえるんだがなあ。


そういえば英語だって『I'm sorry』が『ごめんなさい』だと
中学で習うけどそれも違う気がする。

自分が関わっていない事柄にも『I'm sorry』と言う彼等のニュアンスからすると
まあ「可哀想に」とか「残念でした」の方が本来近いんでないか。

つまり彼等は基本的に“自分が”人になんらかのダメージを与えた時も
「可哀想に」とか「残念でした」とか言ってる人達なんじゃないだろうか。
人の足を踏んで『oh,I'm sorry』と言うのは
「あら痛そうっすね可哀想に」という他人事なんじゃないのか。
どうなの。ホントのところ。
彼等のメンタリティー的には。


ま、だから何、と言われても困る。
そんな気がした今日この頃でしたっつうだけで。


[167] 6月21日 2001年06月22日 (金)

昨日夢の中で、なぜか矢沢永吉さんのコンサートで
俺がファンキーモンキーベイビーのギターを弾く事になった。
例のイントロフレーズがちゃんと弾けなくて参ったぞ。
目がさめてから「もっと巧く弾けるのに!」と悔いが残った。


知らない人がほとんどだと思うが、俺は昔、実は舘ひろしさんのツアーで
ギターを弾いた事がある。20年前の話だ。
彼はバリバリのロックンローラーであった。
まだ刑事ではない。
いろいろと面白かったなあ。いやホント。

多分俺が9th imageをやっていた頃だったと思う。
北島が舘ひろしバンドの本来のメンバーで、
俺がトラ、いわゆる穴埋めで何本か参加したのであった。
思えば舘ひろしバンド、俺の参加したツアーは違ったが
その前のツアーではドラム&ベースは青山純&伊藤広規という
二人だったのである。
それに北島。
ミュージシャンに興味のある人なら涎の出るようなバンドである。
いいバンドだったよホントに。
俺その当時のライブ見に行ったけど。

俺の参加したツアーもそれなりの良いミュージシャン達で組まれた
バンドではあった。
ただどうもその時のリズムセクションとは今一つ音楽的に気が合わんかった。
ドラムはすぐ16にしたがるしベースはすぐチョッパーしよるし。

R&Rでしょ?という事でついつい違うじゃん、などとアレンジに口を出す
当時最年少しかもトラなワタシは業界の先輩方である彼等に
大ヒンシュクだったのである。

ま、生意気だったと思うよ俺。
だけど音楽を協力して作ろうという状態で先輩後輩だの年功序列だの
言っていてもしょうがないと思うが。今でも。

で、これがまた自分が年齢的にも立場的にも上になると
みんなあんまり意見言わねえもんだよなあ。俺に。
言えっつうの。
少なくともあとで陰で言ったりはしないように。

先輩に対してリスペクトすべき部分があるという事と、口出ししちゃいけない
という事はまったく別の話である。

最低なのは、リスペクトの気持ちを持ちもせず、保身のために
先輩の意見にすりよっておこうという姿勢であろう。

英語ってのはそういう意味では本当に良いよなあ。
敬語とか、「さん」だの「君」だの考えなくていいから。

なにしろかのビリー・プレストンに俺のアルバムに参加してもらった時だって
「hey Billy」で話が出来るもんですごく楽だった。
「すみませんプレストンさんお忙しいところをわざわざ来ていただいて
ところでここの部分なんですがもう少しこんな感じでやってみていただけると
ありがたいんですがいえいえ先程のプレストンさんの演奏も最高だったんです
そうなんですけれどもこんな感じもとりあえず一度やってみていただけたらなあ
なあんて思ったりもするんですがどうでしょうか?」

などという言い方ができないと日本ではディレクターにはなれないのである。
あはははは。

とはいえ俺は日本語の機微が最高に素敵だと思っている。
年令や立場の異なる人々との共同作業の際には不便なだけで。

ま、ここらへんの話はいろいろともっと掘り下げてしたいもんだ。
また後日。忘れなければ。
ところでビリー・プレストンの話って前にしたかなあ。
もう最近このダイアリーで今までなに書いたか分かんねえや。
年取ると同じ話ばかりしだすので要注意である。







[166] 6月19日 2001年06月20日 (水)

雨ですぜ。
なにやらお酢のような酸性雨だそうでないかい。
雨に濡れて歩くなんてえのは今時風流を越えてまっせ。
酸性なだけでなくもろもろの毒物を一気に浴びている状態なんだろうなあ。
あな恐ろしや。

本日は旧友と酒を飲んだ。
とにかく最近あまり飲まないので弱い弱い。
たぶん良い事なのであろう。

ある店に初めて行ったのだが、その店のマスター曰く
俺が十数年前に飛び入りしたマッチのコンサートで
彼がドラムを叩いていたそうだ。
世の中狭いぞ。本当に。

昔行った飲み屋でも、その店のマスターがバンドをやっていた
時に、俺にそのバンドのデビュー曲用に曲をもらったといって、
当時の俺が歌っているデモテープを聞かしてもらった事がある。

俺はそんなに世の中の飲み屋というものにひたすら
行きまくっているわけでもないし、曲だって誰彼かまわず
書きまくっているわけでもない。

人間、縁のある人間としか縁はない。
つくづくそう思う今日この頃である。

そういえば俺は最初に入ったのが高松の高松幼稚園なのだが、
なんと高松幼稚園出身の人間が身近に二人もいる。

あるいは世の中には実は300人位しか存在していないのではないか。
あとはダミーだな。



[165] 6月17日 2001年06月18日 (月)

梅雨時は俺はありがたい。
乾燥がとにかく体質的には弱いからである。
しかし。
気分的には晴れの方がはるかによろしい。
つうか天気が悪いと気がめいりやすいタチである。
暑さ寒さにも弱い。
特に寒いとあきまへん。
じゃあ寒くなくて天気がよくて湿気があればよいのかというと
これがまた昆虫のたぐいが大の苦手なもので、なにしろ虫との出会いの
多そうな地域へは行きたくない。
暖かくて湿気が多いタイプの国、地域はどうしてもたいがい虫多いわなあ。

じゃあどおせえっつうねん。

と突っ込まれて当たり前どす。
まあ気分よりも何よりもこのノドが一番大事なので、やはり湿気は
大歓迎なのだが。

しかし。
ここでもうひとつ問題がある。
基本的に楽器類はほとんど乾燥気味のほうが音的には望ましい。
アコギなんぞ、シケているとてきめん鳴りが悪いものである。
機械類も湿気は故障の原因である。
なので俺にとってありがたい湿気を今度はわざわざ
除湿してやらないといけないのである。

望まれて〜
捨てられて〜
もうどうにでもして〜

確かそんなエアコンのCMがあったな。
まったくそんな感じである。


[164] 6月16日 2001年06月17日 (日)

帰ってきたぞ。

それにしても、である。
滞在していた場所は携帯がほとんど通じなかった。
そしてなぜだかそこの電話でもVAIO君が繋がらないのである。

わざわざ
「パソコンを接続するためには」
というパンフがあったのだが、それによると何かの理由で普通には
繋がらないようになっているらしい。
そのパンフがまたウインドウズ98で説明していて、俺のこの最新型だと
もろもろ話が違うのである。

いろいろいじっているうちに、腹が立ってきたのでVAIO君を床に叩きつけて
コナゴナにしてしまった。嘘だぞ。
そんな事はしないが、とりあえずだめだこりゃ、ということでその後
テクノストレスとは無縁な日々を送っていた。


心身ともに復活は近い、という感じである。
だいぶ軽くなった。
近いうちに本格的な旅に出たいと思う。


ところで今日帰り道で、「ぞう園」という看板を見つけたのだが。山道で。
ゾウがいるんだろうなあやっぱり。それにしても辺鄙な場所だ。
何匹くらいいるんだ?
なぜいきなりゾウなんだ?
だれがなぜ?好きだったのかゾウが?

ゾウが子供の頃から好きで好きでしょうがなかった男が大人になって、
バブル当時に株で大当たりした。
たぶんゾウを好きになるきっかけは「ぞうさんババール」であったと思われる。
とりあえずその男が全財産をつぎこんで完成させた「ぞう園」には
約千頭ほどのゾウが広大な敷地の中を自由に歩き回っている。
そしてその男はゾウの王としてその王国を支配している。

なんて話じゃないよなあ。

入ってみたい衝動に一瞬かられたがやめた。
俺の心の中にすっかり出来上がった「ぞう園」を大事にしておこう。




[163] 6月9日 2001年06月10日 (日)

また悲惨な事件が起きた。

精神障害にしろ未成年にしろ、とにかく加害者あるいは
加害者になりうる人物に対しての人権ばかり擁護しすぎだと思うぞ。

昔俺が小学生の頃、校庭解放っつうもんがあって、放課後や
日曜日に校庭で自由に遊ばせてくれたものだ。
最近は多分そんなのないだろうなあ。
何かあったら責任問題だから。

こんな事件があってますます学校が閉鎖的な場所になるのも
悲しいが、今時はしかたないのだろうか。

なにしろ刑事責任が問えないなどといって不起訴にならない事を祈る。



ところで今日やっている曲はなんと「sunrise sunset」より古い。
多分21年前の作品だと思われる。
sunrise〜は、よく考えたら多分19年前だ。
あまり大差ない話だが。
「sentimental dream of summer night」というさびの言葉だけ決まっている。
9th Imageというバンドの頃に作ったはずだ。

良い感じですぜこれがまた。


ううぬ。目が痛い。
疲れがたまっているようだ。
という訳で、来週は某海のそば地区へ心身のメンテナンスに
行く事にした。

あとはよろしく。


[162] 6月7日 2001年06月08日 (金)

さて今日はメール等でいただいた疑問にお答えしようと思う。

『織田哲郎はエラを削ったのか?』

実は3年程前に削ったのである。
というのもエラの奥の部分が首にひっかかるという
世にも珍奇な病気というか、まあ一種の奇形だな。
そんな状態にその前5年ほど悩まされていたのである。
それがだんだんひどくなって、仰向けには寝れないわ長時間
座っているだけでも首が痛いわで、ついに手術を決心したのであった。

楽になったぞ。
というか何年ぶりかで仰向けに寝られたのは感動的であった。
姿勢もよくなったし。

ただしもうトレードマークではあるのであまり輪郭は変わらないように
したつもりだったのだが、やはり少々変わってはいるわなあ。
ま、隠すつもりもなかったが言いふらす事でもないので
わざわざは言わなかったところ、妙に気を使われたりもすると
なんだか居心地悪かったりするし。

と、そんな事であった。


次に。

『炎のさだめ』というアニメの主題歌を歌っている《TETSU》なる
人物は織田哲郎と同一人物なのか?

そうであるぞ。
ではなぜ俺の経歴には書かれていないのか?
これはつまりアーティストとしての俺は
あくまで歌っていない事になっているからである

その昔俺は、CMやら、他にも様々なレコードで名前を伏せて
覆面ボーカリストをやったりしていたのだ。
それらはすべて「買取り」といって、一曲歌ったらその場でギャラを貰うのである。
聞いた事あるでしょう。『およげ!たいやきくん』を歌った子門真人が
印税はゼロだったなんつう話。それが買取りっつうもんである。

実は俺、そうやってバイトで歌ったレコードいっぱいあるぜ。
当時存在したすべてのレコード会社から出しているぞ。
ディスコものばかりである。
ま、どれも大概英語で歌って外国人名になっているのだが。

ただしほとんどはWHYでデビューする前の19、20才の頃だ。
というか、本来レコード会社と契約をしたら他社で歌うのは契約違反である。
おおっぴらに他社でメインヴォ−カルなんぞ歌っていては思いきりイカンのである。

『炎のさだめ』だけは20才の頃一緒に仕事をしていた人から
是非どうしてもと言われて、
じゃあこっそり歌うけど名前は替えといて、と言っておいたのに
出来上がったら《TETSU》になっていたのだ。
おいおい。そのままやんけ。はははは。

ま、時効ということでひとつ。


[161] 6月6日 2001年06月07日 (木)

いろいろと考える今日この頃である。
情緒は日々流動的である。
何じゃそりゃと言われてもそうなものはそうなのである。
ま、基本的に詞の事を考え出すと情緒は揺れるのである。
揺れる、重い、という歌があったなあ。
体中に揺れると重いを感じるのは辛いぞ。
ダイエットしようぜ。

ダイエットといえば。
一応最近かけ声はダイエッターなのである。
去年たばこをやめてから30kg太ったからなあ。嘘だぞ。
しかし好きなものは好きなのだよ。
前に書いたが大好きなのである。甘いものが。
しかも和洋すべてOKなのだ。あんこクリームジャムハチミツ
エブリシングOKである。何系の甘さであろうが大丈夫。
最近は「おかダイエッター」と呼ばれている。
蛇足ながら説明すると「おかサーファー」のようなものである。

それにしても少しレコーディングにかまけて発声練習をさぼると
まあこれがてきめん声が出なくなっている。
かつてのどんな生活していようが歌は歌えるものだと思っていた日々が
嘘のようだ。
ずいぶんと並外れてタフなノドであった。今思えば。
なにしろ音域は狭くなったし音程も昔よりとにかく不安定になった。
自分がかつて簡単に出来た事が出来なくなっている事が
歯痒くてしかたがないが、ただ歌自体は自分でも今の方が
良いと思う。不思議なものだ。
まわりの人間にも結構そう言われる。
それは慰めでもなんでもなく本心だと思う。
自分でもそう感じているのだから。
新生織田哲郎、楽しみにしててくれ。

ま、こうして気を持たせる事ばかり書いていると
「だからとっとと聴かせろっつうの」
と言われてしまいそうだがまったくその通りである。すみません。




[160] 6月4日 2001年06月05日 (火)

もう6月ですかい。そいつはびっくりですぜ。

などと月が変わるごとに言っているような気もする。
もうほとんど半年終わったんかい。今年も。
いやはや。
あっという間に来年でっせ。
気合い入れていかんと。


「青空」はとりあえず老いといて。うわ。すげえ嫌な変換。
え〜と置いといて、今日やってみた曲はなんと20年以上も前に
作った曲である。
ずっと大好きな曲なのだがこの20年、常にアルバムの曲の流れにフィット
できずにはみ出し続けてきたのである。
ちなみにタイトルは「sunrise sunset」という。タイトルはこのまま変わらないと思
われる。
歌詞は一応当時作ったものはあるがほとんど変える事になるだろう。
さて完成したアルバムには「sunrise sunset」は入っているだろうか?
果たして今回こそ最後まで選考にもれずに残る事ができるのか?
乞う御期待。

『ENDLESS DREAM』に入っている「TIME」という曲は確か
『night wave』の頃の作品であった。
結局、詞曲アレンジ一切デモテープと同じまま『ENDLESS DREAM』に
入る事になった。6年後の事である。
きわめて出来た当時から完成度は高かったわけだが、でもやっぱりあの曲は
『night wave』や『life』には入れようがないな。今考えても。


その時にしか歌えない歌がある。
その時にはそうしか歌えない歌がある。

考えてみれば今までいつもそうやって俺の「現在」を切り取って
アルバムを作っていた。
特に20代の頃はそれをやる事が俺が生きてゆくために必要不可欠だったから。

今回のアルバムのテーマは初めて、純粋に音楽としての『エバーグリーン』なのだ。
自分の人生において、常に結局帰ってくる場所がある。
その場所だけにスポットライトを当ててアルバムにしようと思う。

面白いか面白くないかで音楽を聴く人にはつまんないだろうな。
あるいはそれこそ時代の中での立ち位置とかいった部分なんぞ問われても
わしゃ知らんとしか言えんのう。

ま、そんなのもともとそうか。俺の場合。


[159] 5月31日 2001年06月01日 (金)

「青空」なかなかイカした感じになってきたぞ。
クールである。今のところ。
仕上がった時にはパンクになっているやもしれぬが。


今日は修学旅行の中学生達に会ったぞ。

その学校の修学旅行では企画として、班ごとにジャンルを問わず
会いたい人に会って話を聞くのだ。
まあ普通結構断られる事は多いだろうと思うが。
でもって俺のところにその依頼が来て、面白そうなので
会って話をした。

やはりというか、その班で2人ほどバンドをやっていてプロになりたい
と思っている子達がいた。
ま、あまり夢を潰し過ぎないように、かつ膨らまし過ぎないように
話をしたつもりだ。

考えてみれば俺自身、初めてギターを手にして音楽を始めたのは
中学3年生の時である。
当時プロなんてのはすんごい遠い世界の事だったなあ。
高知で丸坊主だった俺にしてみれば。
なのにすっかりプロになるつもりでいたぞ。何だったんだろうあの感じ。

アマチュアの時にはなにしろデビューした奴なんてもうそりゃすんごい存在だった。
「うおおうあいつプロだぜ!」てなもんである。
しかしプロになってみるとだんだん分かってくるのだが
デビューしたからってメシが食えるわけではない。
しかも一生音楽の世界でメシが食える人間なんて本当に一握りである。
あぶないあぶない。
冷や汗もんである。
ただ俺の場合堅気の生活なんて絶対に出来なかったので
大して選択の余地はなかったのだが。

最後に彼等にメッセージを、と言われて言葉に詰まってしまった。
結局のところ大した事は言えなかった。

巷では『夢』というものがやたらともてはやされる。
メッセージとしては「みんながんばって夢を叶えるんだぞ」
とでも言うと盛り上がるのかもしれない。

ただそんなに強迫観念にかられるように夢なんぞ追わんでよかろう。

人は生まれてきたからには、幸せになる義務がある、と俺は思う。
そして幸せというものを得るために必要なモノも通るべき道も
人それぞれ全く違う。

金、地位、名声。世の中ではそれらを得たから幸せなはずだ、などど
他人のみならず自分さえ思い込んでいたりする。

それらが『幸せ』そのものではない。当たり前だ。
それらによって幸せに至るための選択肢は増える。それだけの事である。
しかし逆に執着を増やしかねなかったりもする。
どうなんだ一体。あの年で。そごうの水島前会長。大変だなあ。

てなわけで、「幸せになろうとする事」それだけに対して真摯な姿勢があれば
よい、と思う。

夢を追う、などという姿勢が
余計な執着を増やす事に繋がってしまったら全くしょうもなかろう。


自分の幸せのために必要な要素、道筋を見極めながら
「幸せになろうとする事」それだけをどこまでも
諦める事なく歩んでいってくれ。是非。

・・と思った今日であった。


[158] 5月30日 2001年05月31日 (木)

今日は某誌の取材があった。
正確に俺の経歴等をきちんと把握した上での取材をしてくれたので嬉しかった。

たくさん喋ったのできっと30ページくらいの特集になると思う。
って冗談だからな。本気にするなよ。


「青空」のニューバージョンを考えてみているんだが、なかなかうまくいかない。。
キーを変えて、ついでにいろいろ雰囲気を変えたアレンジを試してみているのだが。
煮詰まったので終了。
また明日。

とりあえず風邪はもう大丈夫だが、脳はまだいまいちのようだ。
がんばれ脳。


[157] 5月27日 2001年05月28日 (月)


昨日は古村のライブを見に、初めて天王州アイルなるところへ
行ってきた。

なんというかこう、観客もバンドも暖かく古村を包んでいる不思議な
空間であった。人徳とでも言うべきか。
良い意味で大学祭のような、懐かしい感触のライブだったな。



あまり今日も文章向きの回路になっていないようだ。我が脳は。

不思議なものである。
文章が書けて書けてしょうがなくて無理して途中で止める時もあれば、
気分がさっぱり文章に変換されない時もある。

これは曲を書いていても実は同じだ。
もう曲なんて作ろうと思えば思っただけ作れてしまう時もある。
釣り糸をたれた先から魚がかかるといった感じだ。
それどころか魚の方から釣り舟に飛び込んでくる。

なのにこれが一旦書けなくなると、自分がそれまで
どうやって曲を作っていたのかさえさっぱり解らなくなったりする。


少々風邪気味である。
鼻も少し詰まっている。
これで知能指数が現在30ほど落ちていると思われる。当社比。



[156] 5月25日 2001年05月26日 (土)

ギターを触った事のある人なら解ると思うが、
ゴゴガゴゴゴガゴと小指で2フレット上を押さえる例のフレーズ。
あれこそいまだに俺のノリノリ回路のスイッチをいれる鍵である。
最近聞かないなあ。
R&Bもロカビリーもいいが、R&Rつうのはどこで何やっているんだ。
元気でいるのかあいつ。
久しぶりに会いたいぞ。

ふと思ったりした今日この頃であった。


[155] 5月23日 2001年05月24日 (木)

今日衛星放送で、『ステラ』をやっていた。
なにを隠そうこれこそが俺にとって一番阿呆のように
涙腺が決壊してしまう映画なのである。

もう10回近くは観ているんだがなあ。
何度みてもこの映画だけはアカン。
慣れるという事がない。

まだこの映画を観た事がないなら是非観ていただきたい。
誰にとっても果たしてそれ程感動する映画なのかどうなのか。
皆の感想を聞いてみたいものだ。
とりあえず俺のツボである。
この映画が何年の作品だか、なんか賞を取ったのかどうかも知らないが
俺がその年のアカデミー賞の審査員ならば「主演女優賞」「主演男優賞」
「助演女優賞」「助演男優賞」「脚本賞」全部『ステラ』にあげてるぞ。

ベット・ミドラーはほんとに役者としても素晴らしい。
何度も観ている内に分かったのだが、この映画の中で
徐々に老けていく様が絶妙なのである。
日本の映画やドラマはそういうところがいい加減なのが多い。
顔のしわを増やせば良いっつうもんじゃないだろう。
ベット・ミドラーは20代から50代くらいまでを
この映画では演じているのだが、
腹が出てきて足腰が悪くなり、みすぼらしくなってくる様は見事である。



ところで田中真紀子外相の中国よりのスタンスはどうなんだ。
本質論としてはいろいろ素晴らしい事を言っているんだが。
外交のスタンス自体は少々不安だ。
なにしろ小泉さんも田中さんもスターだからなんでもOK状態だが
ちょっと危なっかしいなあ。
それにしてもこれほど国会中継が面白い事はいままでなかった。
視聴率が上がるのも当然だ。
塩爺も確かに良いキャラだが、だからって「忘れました」でいいのかよ。
おいおい。

がんばってくれよお。


おお。ハンセン病控訴断念か。今知ったが。
やるな小泉さん。
国側としてはいろいろ法的に言い分があろうとも、
患者の方々の今までの苦労、年令を考えるとここで控訴してほしくなかった。
それはほとんどの国民の気持ちであったと思う。
よかった。



[154] 5月22日 2001年05月23日 (水)

どうもいかん。
頭の中がもつれている。
文章がまとまらない。

感情のある方向での振幅は躁鬱と呼ばれる。
他にも論理的・情緒的あるいは受動的・能動的、善・悪、
外界に対しての被害者意識と感謝、そうしたいろいろな振幅がなかなか
一筋縄でいかない落ち着きのなさである。

他の人がどうであるか俺は知らんが、少なくとも俺にとって
自分があたかも人格者であるかのようにさえ思えるような精神状態は
一概に創作には向いているとは言えない時期だったりもする。

であるからこうしたchaosこそ創作の源として歓迎するべきなのであろう。
なあんてな。
そうはいかねえっつうの。

ま、こうした過程をさらしものにするのも客観的に見てなかなか楽しい。
所詮エンターテイメントである。



[153] 5月18日 2001年05月19日 (土)

なんて美しい曲なんだろう。
今日録音している曲の事だが。
ううむ。美しい。はよ聴かせたいなあホンマ。


昨日あるお店で「芸能人に似てますね」
と言われて誰に似ているのかと思ったら織田哲郎に似ているそうだ。
なんだ。つまらん。
田村正和くらい言ってくれよ。冗談だぞ。

そう言えば俺は高校生の頃細川俊之に似ていると言われた事がある。
あと古谷一行と林隆三も。ぺヤングのCMの人ってのもあったが。
基本はみんな当時夜10時台のドラマに出ていた人達である。
くれぐれも言われたんだからな。俺が言ったのでなく。
自分ではアランドロンに似ていると思っていたが。
冗談だからな。本気にするなよいちいち。
念押しとかないと危なくてしょうがねえぜ。
ま、いかに若さのない高校生であったかという事だ。

二十歳頃日本のどこかをプラプラしていた時、いきなり
女子高生達にきゃあきゃあ言われて追いかけられた事があった。
俺に追い付いて、顔を見て「ちがうちがう」っつってみんな
引き揚げて行きやがった。まったく失敬な。
せめて誰と勘違いしたんだか言っていけ。ぺヤングか。


ところでハンドルの遊びってあるじゃん。
あれさあ、多めにある方が人間楽だぞ。


[152] 5月15日 2001年05月16日 (水)

血液型の話をもう少しいってみようか。

相性というのも血液型に関していろいろ言われているが、
はっきりいってしまえば血液型の相性に良いとか悪いとかなんてない。
A型とB型ならA型とB型なりに、O型とO型ならO型とO型なりに、
それぞれの相性のカタチがあるだけである。
だいたい四つしかないモンに相性が悪いとか言ってられるかいってんだ。
こちとら江戸っ子でえ。誰がだよ。

まあ人それぞれ得意なカタチ、苦手なカタチってもんがあるのは
致し方ないとは思うが。

正直な話俺は全部けっこう好きだよ。別に。男でも女でも。
OはOなりに、BはBなりに、ABはABなりに。AもAなりに。
まあどの血液型だろうがいけてる奴はいけてるし
いけてない奴はいけてないという事だと思うぞ。

ううむ。いろいろ音楽のコードに人間関係を例えて良い事を
書いていたんだが脳がお疲れになって収拾がつかんなってしもた。

本日これにて終了。ぽこぺん。



[151] 5月14日 2001年05月15日 (火)

さて血液型の話でもするか。

例えばクライとか神経質とかetcの形容する言葉自体が曖昧なものだ。
全面的に神経質な人間も全面的にズボラな人間もまずいない。
それぞれ、ポイントが違うだけなのだ。

まずA型。
一番神経質だと言われやすい。
確かに『〜であるべきだ』という発想が多い。
したがって結果的に神経質っぽい言い方を人に対してよくする事になる。

だがそれにだまされてはいけない。
基本的に人間は口に出すと気が済む部分がある。
A型は無神経なところがあるから人に平気で言う。
(本人は人の言い方の細かいニュアンスで傷付いたりするので
自分がよもや無神経とは思ってもいなかったりする。)
人に対してどうでもいい事で神経質な言い方をするのも、
人が聞きたくもない愚痴を言い続けるのも
A型の得意技である。
だからA型は暗くて神経質なのか?
と〜んでもない。言ってしまって案外もう気が済んでいるのである。


そしてB型。
ぐちぐち言うA型の隣でおちゃらけて、気がつくと帰ってしまっている
そんなB型はノー天気でマイペースなのか?
これも違う。
ある意味で他人に対して最も気を使っているのがB型である。
場の空気が自分のせいでいびつになる事を非常に嫌い、かつ照れ性なので
人に気を使っていると思われないように気を使っているのだ。
B型のそういう部分は俺は大変好きだ。
A型やO型の年長者の『私に感謝しなさい』と押し付ける方々には
まったく辟易させられる。
そうならないように常日頃心掛けるようにしている。

でもって人前でそんな風なので、一人になると暗く落ち込んだり
じっくり悩んでいたりするのがB型である。
しまいには「ま、いいか」になるのだが。


でもってO型。
これがなかなか。
ある意味B型と共通しているのは場のノリが自分のせいで悪くなる事を嫌う。
ノリのためなら自分を貶める事もいとわないタイプは多い。
しかし。
さっき書いた通り、人間は口に出してしまえば気が済む部分は多い。
実は我慢して(とは自覚していない場合が多いが)ノリのために犠牲にした
自分の言い分やプライドは根深くため込んでいるのだ。
結果的に執念深いのはO型である事は多い。
そしてイメージとは逆にきわめて細かいところで変なこだわりが多い。
この変な、という部分はたまに本人も変だと思っている事もある。

解りやすく例えるならば、自分の部屋を誰かが勝手に掃除したとしよう。
どう片付けられていようがキレイならOKという人間はまずA型である。
キレイになっているかどうかのチェックは当然もっとも細かいが。

「机の上の本と書類の並び方が変わると仕事しにくいのに」
とぶつぶつ言うのがB型。

O型の場合。
ペン立ての中にあったはずのチビた鉛筆はどうした?」とか
「どうして引き出しの中のペンと定規の置いてある角度を変えたんだ!」とか、
他人にはさっぱり解らないポイントに関して、誰がなんと言おうが
という本人でもよく解らなかったりするこだわりがあったりする。
他のところはグジャグジャのままで全然OKだったりする。
俺にはさっぱり解らなかったりする。


さてAB型。
これも巷で言われているのとはダイブ違う。
よくAB型は理性的だと言われる。
ま、最初に言った通り総てはバランスの違いである。
確かにAB型は一見理性的な行動が多い。
だが結果的に本当に心を許した相手に対して、
理不尽さをもっとも押さえきれないのがAB型である。
『我慢』というものがどうにもきかなくなってしまうのだ。
これは必ずではない。
はっきり出るのはそこまで気を許せる相手がいる時のみ、である。
非常に相手といい関係になり、どんどん気を許していったのちに、
それこそ『理性的に』考えれば絶対言わない方がいいような言葉を
恋人に投げつけてしまって墓穴を掘ってゆくのもAB型だ。
ただそこまでじゃなくても、よく観察しているとAB型は日常でこまごまと、
我慢のきかない瞬間を迎えているのがわかる。
結果的にその人なりのペースでせっかちである事は多い。


とまあ書き出すとキリがないで、今日のところは大雑把にこんな感じで。

なにしろ4パターンしかないので当然それぞれの血液型でも
いろいろな性格の人間がいる。
ただ同じ血液型なら共通するポイントはあるものだ。

人間、自分が納得できない言動や行動を取る相手には腹が立ったり嫌いに
なったりしがちなものだが、違うパターンの人間なんだと思えば
気が楽になるものである。

また後日、かもしれない。


[150] 5月12日 2001年05月13日 (日)

『あの頃ぺニーレインと』という映画を御存じだろうか。
東京では新宿でかろうじて上映中である。
前から観たいと思っていたのだが、やっと観てきた。

なんというか、たまらん映画だったなあ。
時代は1970年代前半、主人公は俺と同世代の男の子である。

ロックというものがとにかく好きで好きでしょうがない少年時代、
そしてバンドでのツアーというもの、あの時代独特のロックが持っていた夢。
脚本及び監督がそれらを単にノスタルジーに走り過ぎず、
正確に、かつ多大なる愛を込めて描いていた。

ロックが好きで好きでしょうがない少年だった俺、
そしてバンドでのツアー。
俺にとってその両方を追体験しながらの2時間だった。

観た人にしか解らない事を言わせてもらえば、
いたよああいうペニーみたいな女の子。
俺が高校生の屈折したロック少年だった頃、俺なんかから見てイカシてて
綺麗で、夢の中に住んでるみたいで、かっこよくてエロティックなロック少女。
そういう、少年にとって男としての未熟さを思い知らされるような、
少年から見れば大人っぽい、大人から見れば背伸びしている少女達の
輝きってものが今となってはなんとも切なく感じられる。
こう言うとおっさんくさいか。ま、おっさんだし。


[149] 5月11日 2001年05月12日 (土)

さて後日である。

俺の場合、普通の占いが好きというレベルではない。
生まれてきて死ぬという事、この宇宙、時間空間、
運がいいとか悪いとかという事、忍ぶ忍ばず無縁坂、そういった
この世のあらゆる事柄のいわば『仕組み』を知りたかったのである。
占いを追求する事で、そういった目に見えない『カタチ』が
すべて見渡せるようになるのではないかと期待していた。

結論から言えばそれは無理である。
別の言い方をすれば占いに気をとられる事は人生の無駄である。
そう言い切ってしまってよろしい。

当たるんだよ実際。
当たる占いの当たる部分ってのは。
特に凄いのは、やはりさすが中国4000年の歴史というか、四柱推命であろう。
最近ヒットの動物占いも実は四柱推命である。
六星占術も同じく。
昔天中殺ではやった算命占星術もそうだ。

それらはすべて、四柱推命の別々の部分をクローズアップしているだけなのだ。

西洋の占星術だってすごいぞ。
こちらの、ホロスコープの方が得意な分野もある。

てなわけで一時は本気で占いの研究に一生を捧げようかとさえ思ったものだ。

しかし、である。
例えばこの日にこう動くと事故に遭う、と占いに出たとする。
その事故を避ける事が本当に良い事なのか。
恋した相手が相性が最悪だとする。
別れた方が良い人生なのか。

順風満帆である事を単純に良しとするならば話は早い。
しかし人生そんなに単純なものではないだろう。
実際の自分の今までを振り返ってみただけでも、自分にとって最も
成長に役立った時期は常に逆境ばかりである。

どんな境遇になるかが仮に予測可能だったとしても、
その境遇がその人間にとってどういう意味があるのかまでは解らないとしたら
予測する事になんの意味もないではないか。

占いによって確かに外側のかたち、運勢のシルエットはかなり覗く事が
可能になると思う。
だがその中身、成長や幸福といった本質までは結局触れる事はできない。

とすれば、とらわれるだけ無駄ではないか。

もともと人生において、次々に目の前に現れる事柄や人物は、その時その時
なんらかの意味、必然が自分に対してあるから現れていると思っておけば、
その方がよっぽどスッキリする。
あとは常にそこから何かを学ぼうとする姿勢があればよかろう。

ウダウダ言うとるヒマあったらもっと一生懸命生きんかい、という事ではなかろうか。

この世の『仕組み』を作ったモノを神様と呼ぶならば、
神様のする事は占い、あるいは科学もそうだが、人間の浅知恵ごときの及ぶところ
なんぞはるかに超えているのである。


ううむ。なかなか良い事を言っているぞ。説教臭いが。
こんなにカタくなるつもりではなかったのだが。
呑気に血液型の話でもしようと思っていたのに。
ま、また後日。


[148] 5月9日 2001年05月10日 (木)

俺は小学校の頃から占いが好きで、自分の手相の変遷も見つめてきた。
というか占いのみならずオカルトだ宗教だ超常現象だ宇宙人だといった、
まさに生きる『ムー』といった少年であった。
ただし体育会系思考停止型人間が好きでないようにオカルト系思考停止型人間も
やはり好きでない。

たま出版という出版社は数多くのオカルトや宇宙ものなど、まあほとんどが
いわゆる『トンデモ本』と呼ばれる類いの、そのテの本を出している。
そこの社長さんがたまにテレビに出ているのを見ると、本当に夢多きいい人
なんだろうと思う。思うがしかしあれじゃ一般の人々は引いてしまう。

というのは、例えば宇宙人に遭ったという人がいた場合、どんなにその人物の語る
ストーリーが良く出来ていても、あくまで良く出来たストーリーをフィクション
として作り上げている可能性はどこまでも捨ててはいけない、と思う。
大嘘かもしれない。あるいはなんらかの理由で信じ込んでいるだけかもしれない。

どうもたま出版の社長をはじめとする『ムー的なもの』に対して肯定的な人々は、
あまりにも『トンデモ』な話に対して無条件に受け入れ過ぎるのである。

だがしかしなおかつ、宇宙人なるものが存在し、遭遇するという可能性だって
絶対にはなから否定すべきではないと思うぞ。

ほとんどの科学者達が、現在の科学で把握できない概念に対して、あまりにも
謙虚でないと思うんだが。どうでしょうか大槻教授。

この広い宇宙に、地球まで訪ねてくる知的生命体がいるわけがないなどと
どうして思えるのか不思議である。
何万光年などという、想像も出来るはずのない世界に対して
現在の地球の科学ごときがすべてを網羅できるはずだなどという
幼稚な発想の根拠がさっぱり解らん。

宇宙人は確実に存在すると思うぞ。
超能力と呼ばれるものも確実にある。

脳の働きなんてまだ全然解明されてるわけではない。
今現在解明されていない部分が「超」なだけだろう。

オレ自身UFOも何度も見ているし、超能力としかいいようのない能力の発露も
実感として確実にある。

大体科学なんてものは、常にそれまでの常識を打ち破る、つまり非常識な説が
出てきてはそれが常識になり、そしてまた新たな説が出てくる。
そうして今に至っている歴史を知っていて、どうして今の科学での常識で把握
出来ない事柄はないはずだなどと信じ込めるのだろう。


でもって俺は何が言いたかったんだ。なんだっけ。
ああそうか。占いの話をしようとしていたのか。

それはまた後日。

そういえば「また後日」と言っておいてそれっきりな事がいくつかあった気もする。
血液型について未熟者達の諸説もろもろあるが、はっきり言って
もっとも性根の部分がわがまま且ついい加減なのは確実にA型である。

という事で勘忍どす。


[147] 5月7日 2001年05月08日 (火)

唇が腫れる話に関して意外と多くのメールを皆様からいただいたのであった。
ボードでも結構書き込まれていたし。

そうか。俺だけではないのか。安心したぞ。
少なくとも俺の場合は花粉症ではないようだ。
オールシーズン、季節とは関係がないからなあ。
しかし俺はまだ俺以外の人間の唇が腫れているところを見た事がない。
ぜひみんなで一度腫れた顔で集まってみたいものだ。
一同爆笑間違いなしである。
ただし全員腫れるタイミングを合わせるのは至難の業だが。
 

ところで今月の末に東京で古村のソロライブがある。
そのバンドのリズムセクションが関雅夫&山田亘なのだ。
と言っても知らない人には何のことやらであるが。
俺の20代の頃のバンドメンバー達なのである。
そしてこの3人は3人ともB型。
当時あと2人のメンバー、北島と大谷コゾーはO型であった。
一人だけA型な俺の苦労は筆舌に尽くしがたいものがあった。
人間鍛錬の場であったとも言える。
出家するよりはるかに修行になった。
だが最高の仲間達でもあった。


久々のB型の集いはなかなか面白い事になりそうだ。
楽しみである。


[146] 5月6日 2001年05月07日 (月)

連休も終わりである。
終わりだと思う。
終わりじゃないの?よく知らないんだが。どうなの。

昨日渋谷に用事で行ったんだが凄いことになっていた。
一度歩き出したらもう人の波に飲み込まれて二度と方向転換は出来ない状態である。
屍を乗り越えながら歩き続けて、気がついた時には東京湾まで行進していた。
後から後から来るので、みんなそのまま東京湾にどんどん落ちてゆくのだ。

つうのは嘘だが。
すごい人出だったぞ。ほんと。


それにしても支持率87%か。すごいな。小泉さん。
このせっかくの人気をとにかく武器にしてやって欲しいぞ。ぶりぶりと。
なんだかすでにいろいろ言い方が曖昧になってきてる部分とかもあるし、
どうも麻生さんを入れてるあたりからちょっと不安なんだが。
「コンセンサスとは無責任の代名詞だ」
と、かのサッチャーさんは言うておられる。

せっかくの前代未聞の大人気なのである。
この際イケイケですよ小泉さん。



[145] 5月3日 2001年05月04日 (金)

体調はまあまあである。
とりあえず唇は今回あまり腫れ上がらずにすんだ。
いまいちどこという訳でもなくすっきりしない。
多分風邪のひきかけなのだが、なまじ休んだもんだからまた
少し良くなってしまったではないか。
きちんと風邪をひいて一旦熱が上がってしまえば、熱が下がったらすっきりするのに。
もっと無理して熱上げんかいこらあ。この軟弱モンが。
・・とか言われればそんな気もしてしまいそうである。

そんな事を書いていて思い出したが、俺は理不尽な事を押し付ける
タイプの人間はとっても好かんのである。
前に、だから思考停止型体育会系は嫌いだっつう話もしたと思うが。

実は俺にはトラウマがあるのだ。
あれは忘れもしない小学校6年の時である。
俺はサッカー部と音楽部に入っていた。
そして音楽部の顧問がまったく音楽の解らないトウヘンボク親父だったのだ。
もともとアッタマ悪い男なもんで俺は嫌いだった。
しかし明るくて押しの強い奴なので結構生徒達には人気があったりした。
こ〜の男まったく今でも思い出すと腹が立つ。

ある日の事である。
ワルツの曲を俺が指揮していた。
当時から音楽のセンスの良さがにじみ出てしまっていた俺は引っ込み思案で
あったにもかかわらず、どうしても皆に推薦されて指揮する事になってしまった。
というのは大嘘である。
とりあえず俺はものすごい目立ちたがり屋の子供だったのである。
当然指揮をするのは俺だ、と勝手に決めてしまうような子供だった。
そんな俺の事をあのトウヘンボク親父はもともと苦々しく思っていたであろう。

でもってご存じの事と思うが、ワルツは指揮する時に三角形を描く。
そうやって指揮をとっていた俺にあのトウヘンボクが、
「やめやめ、なんでお前そんなややこしい事やってるんだ。
もっと単純にこうやったらエエだろが。」
と言って手を上下に振るのである。

・・・それでは2拍子にしかなりまへんがな。

「この曲はそれじゃあ歌えませんよ」
と言う俺に彼は歌って見せるのだ。
2拍子に成り果てたメロディーを。
「どこが歌えないんだあ。全然大丈夫だぞ。」
手を勇ましく上下に振りながら彼は歌い続けた。
優雅なワルツはすっかり軍歌と化してしまっていた。

「でででも3拍子ってものは・・」
と、なおも食い下がる俺にこのトウヘンボクは
「やっかましい。大体お前はいつもいつも屁理屈ばかりうるさいんだよ。
何拍子もへったくれもあるかい。こうやりゃいいんだよこうやりゃあ。」
と、手を上下に勇ましく振り続けた。

そこら辺で眩暈がしてきた俺がその後どうしたかは定かではない。

ああそりゃ俺はこまっしゃくれたイヤなガキだったさ。
なにしろ担任の教師まで父兄会で
「教師としていけないとは思うんですがどうしても人間として
好きになれない子供がいるんです」
なんて発言してしかも父兄みんな内心それが俺の事だと解っていたっつう位
くそ生意気な子供だったさ。

だけどなあ。2拍子と3拍子は違うんじゃい!

これだけは解ってくれえええ!


[144] 4月30日 2001年05月01日 (火)

あらま。気がつけば4月も終わりかい。
まったく淫行矢のごとしだぜ。って違うだろ。

俺は変な持病があって、いつだかのツアー先でも出たことがあるのだが、
身体が弱るとアレルギーだかなんだかで唇が腫れ上がるのだ。
病院に行っても原因不明と言われ、もらった薬も頭がぼけただけだった。
とりあえず体調が悪い時に出るのだが、体調が悪いからといって
必ず出るわけではない。
出る出ないの根拠はまったく不明である。

とにかくすんごい顔になるのだ。
腫れた唇は痒いし痛いし、俺としてはつらいのである。
しかし見た人間を笑わさずには済ませないパワーのある顔である。

実は今現在その兆候が現れている。5月1日午前3時。
身体中いろいろな場所が痒い。
久々の蕁麻疹な感じである。
確かにここんところずっとうすら風邪気味を押し殺し続けてはや2週間。
どうも身体的には休みたいらしい。
というわけでせっかく世の中がゴールデンウイークなどと言うておる間に
ぶりぶり仕事をはかどらせたかったのだが。
わしゃどうせ人が休みの時は外出る気がせんでのう。

明日はのんびり休むとするか。


[143] 4月28日 2001年04月29日 (日)

日本中でもっとも盛り上がっている話題なので、
またまた政治ネタだがお許しあれ。

かなりがんばってると思うぞ小泉さん。
あの内閣人事。
いろいろ世の中じゃ異論もあるが。がんばったと思うよ。
なにしろ亀井・江藤派はカンカンなのである。
『何のために俺達が支持してやったと思っているんだ!』
というわけである。

だからさあ。
派閥を中心としたそういう取り引きっつう概念自体が違うっつってんの。
あげくに「政治家としてもっとも恥ずべき事は一本釣りを受け入れる事だ」
などと悔し紛れに発言している事が世間でどれほど失笑をかっているのか
お判りでない様子である。

あまり詳しくない方々のために説明すると、ここ二十年くらいは総理が自由に組閣を
した事はないのだそうだ。
それぞれの派閥でまず人数の割り当てがあって、
派閥の長が推薦してきた議員の中から大臣にしていくのだそうだ。
したがって何大臣にはこの人が最適である、という論理は二の次三の次で
何回当選して、派閥のなかでこれだけ頑張ったからそろそろ大臣にでも、
というわけである。
でもって、そうした派閥の長の推薦以外に総理から直で話がくる事を
“一本釣り”というそうだ。

ま、知ったような事を書いているが俺も最近知った事ばかりなので
〜だそうだ、ばかりの話である。

というわけで今回、小泉さんが一人で人事を決定したのはかなり画期的なのである。
それこそ一本釣りばっかりだったのだから。
そして亀井・江藤派の『解ってるよね。』といったプレッシャーも
完全に無視したわけである。

この調子でずっと腰砕けにならずにやってくれ。

ただし国民なんて勝手なものなので、小泉さんも
『痛みが伴う事も仕方がない』と言っているところの経済政策が実行された場合、
結果が出るまで待てるかどうか。
多分1、2年は景気も増々悪くなるくらいの覚悟は
必要なんじゃないのか。

手術しなけりゃ治らないっつうのに無理矢理痛み止め飲んで
ごまかしてきたみたいなもんだろう。今まで。
でも手術したらやはり辛いわなあ当分。
今までより痛いぞ、と騒ぎ出すだろう。

大衆迎合の得意なマスコミはきっとその時には“小泉叩き”を
始めるだろうし。

そうやってすぐ結果を欲しがる国民があんな政治の状況を
作ってきたわけである。

などとえらそうに傍からは何とでも言えるのである。


[142] 4月26日 2001年04月27日 (金)

久しぶりに、本当に久しぶりにひたすら自分の感動できる
音楽だけを求めて作業している。

俺という人間の本質的な存在価値なんてそこにしかないのに。
気が散っていたんだなあ。
今つくづく思う。

20代の頃、俺は純粋に自分の救済と言い訳のためだけに
音楽を作ってきた。
そしてそのおかげで自分の治療は終えることができた。

30代の俺はリスナーやシンガー、あるいはスタッフといった、自分以外の人々が
喜んでくれることが最も嬉しくて音楽を続けていた。
当然それだけじゃ音楽なんて作れないけれど。
いわば音楽に救われた俺のするべき恩返しだと思っていた。

・・といいつつ実は楽をしていたんだなあ。
自分をひたすら創作のために掘り下げる作業はとてもしんどい。
そしてどこまでも孤独な作業だ。

創作は素潜りに似ている。
息が続く限りは潜っていられる。
そうすると深い所にはいろいろな貝や魚がいるのだ。
息が続かない人間はすぐ海上に上がってしまうのでそれが見えない。

そして年齢を重ねるとどうしてもだんだん息は続かなくなる。
そのかわり漁としてのおいしいポイントを探る事はうまくなるのだ。

俺という人間はその海の中でこそ本当に生きていられる生き物なのだ。
オカに上がった俺は打ちあげられたイルカのごとしである。
だから俺はエラ呼吸ができるのだ。
知らなかっただろう。

今俺は本当に去年のスペインでの事件には感謝している。
あれがなければきちんと自分に向かい合う事もなく
過ごしていただろうと思う。
本当に神様のやることはそつがない。

今まで俺が生きてきたのはすべてこのアルバムを作るためだったと
感じるような作品に仕上げたいと思う。






[141] 4月24日 2001年04月25日 (水)

小泉さんに決定したなあ。
こうなったらがんばって欲しいが、なんだか事態として中途半端だな。

小泉さんは俺のイメージとしては、変人といわれている割に
筋の通し方だの何だのってな部分ではオーソドックスな人だという気がしている。
加藤さんが反乱起こした時も森派の長としての行動をきちんととっていたし。
さっそく今回もすでに経済政策は亀井さんの案を飲んだみたいだ。

当然多くの人々の協力を得なければもろもろの政策の実現は難しい。
だから妥協したり我慢したりしなければいけない部分もあるだろう。
今までは本当にそうだったんだろう。政治っつうもんは。
だけど今のご時世、大衆はけっこう見ているぞ。
石原さんや田中さんの知事としての最大の武器は大衆の支持である。
つうかそれしかない。
特に石原さんはそれをよく判っていて大衆に対して自分をちゃんと
プロデュースしている。

とりあえず小泉さんはそこまで大衆に対しての自分の立ち位置を
判って行動したとは思えない。
たまたまというか、結果オーライな部分が大きいと思う。
実は大衆に対してのコントロールを巧く出来て、絶大なる支持さえキープしていれば
かなり大胆な事をやってもOKなのである。今のご時世。
総論として正しい事をやりさえすれば各論としての反対の声は
悪役にしてしまえるのだ。

だからこういう不況続きで大衆がリーダーシップによる変革を望む、
そんな地域のそんな時代に常に独裁者というものは登場するものだろう。

今は独裁向きの時代だぞお。
小泉さんと田中真紀子の基本人気に、どしどし「正しい」と大勢が思う政策を
打ち出していけば大衆は支持するぞ。
ここで党内の状況を見ながら日和ったりすると逆に「お前もかあ!」
と罵声が飛ぶことになる。
彼が今までの自民党の人間としての常識を捨てて行動できるなら
面白くなるのだが。

それにしてもついつい政治ネタになってしまうが
興味のない人にはさっぱりおもろないなあ。すまんのう。
でも選挙権持ってる人間は選挙行こうなあ。ホント。


本番のレコーディングに入る前段階で、アレンジなどを考えながら音を
とってみる事をプリプロという。プリプロダクションの略である。プリプリではない。
そんなことを現在している。

着々と、という感じである。




[140] 4月21日 2001年04月22日 (日)

小泉さんになっちまいそうだなあ。
地方予備選圧勝し過ぎだ。
さすがに自民党員もみんな判っているのだ。
橋本さんにでもなった日にゃあ自民党は
次の選挙で完全にアウトだって事に。
ただ野中さん達が何言おうが、小泉さんがあくまで組閣や政策の部分で
妥協しそうにないとなると橋本さん達もとことん戦うしかなかろう。
ここはひとつぜひその展開を期待したい。
それにしてもまだ候補者だっつうのに亀井さんも政調会長留任とか言われてもなあ。
ちょっと野中さんなりふりかまわな過ぎでないかい。


どうでもいいんだがアメリカの製薬会社がヒトゲノム、遺伝子情報の解読を
完了したというニュースに、当時のクリントン大統領が
「我々は誰しも150歳まで生きたいと願っているが、これからは
それが可能になるはずだ。」
とコメントしたそうな。
もう一年前の話だが、たまたまそんな話を見かけたもんで。

生きたいと願っているのか。誰しもが。
だいたいなんで150歳なんだ。
どーんと一万年とかいってみんかい。もし長生きしたいっつうのなら。
俺は絶対いやだが。一万年も生きてんの。

大体生きている間がたかだか数十年長いか短いかがそれほど
たいした事なのか。
大事な事はあくまでどう生きたか、そしてどう死を迎えられるのか
という事だけだろうに。

「誰しも」なんて当然の事として言う人間がいる事に少々
びっくりしたもんで。


それにしてもなんなんだこの寒さはああああ!
もう暖房器具も厚手の服も片づけたっつうの。
あの暑さはフェイントだったんだな。ふっ。
すっかりやられたぜ。






[139] 4月19日 2001年04月20日 (金)

昨日は9TH IMAGE時代一緒に仕事をしていた人物と食事をした。

彼とは一週間ほど前に街でバッタリ会ったのだが、
お互いあまり変わっていなくてすぐ解った。
20年振りくらいだったけれど。
まあ昔から態度もでかくて老けて見られた二人ではあった。
当時22歳の俺は30歳以上に見られる事もままあったぞ。
ここ十年はやっと若く見られるようになったが。

彼は現在IT関連の会社をおこして大成功している。
非常に興味深い話を聞けて面白かった。
とにかくネットの世界は日々どんどん進化していっている状態で、
話を聞いているとある意味新大陸に上陸したようなものでないかと
思われる。
つまり、行って、旗立てて、宣言したモン勝ちっていうか。
なんせそこにはまだただの荒野が広がっているのだから。

その頃ヨーロッパでは狭いトコロで国境争いをしていたワケである。
彼にとって音楽業界はそんな風に見えている事だろう。


ところで 9TH IMAGEというバンドは知っているのだろうか。
かっこいいぞ。CDも再発されているので聴いて欲しいと思う。
俺と北島、古村、キーボードのJUN1君が21〜22歳。
ベースの松井が二十歳。ドラムの小沼に至ってはまだ18歳だった。
先輩格でゲスト参加してもらった難波さんでさえまだ25歳位だ。

まったくみんな可愛げのない若者たちであった。


[138] 4月17日 2001年04月18日 (水)

そういえばもう一週間程前にホテルからは帰ってきた。
曲まとめもしっかり進んだぞ。
まったくいろいろ作ったもんだな。

自分のアルバム、自分の音楽を考えるとどうしてもディープな方向へ
ぐるぐるはまりこんでいくのは如何ともしがたい部分もある。
なんだかうっとおしい言い回しだな。
まあ要するにアルバムの方向性について思案中である。
おおげさに言えばアルバムは生きている事の証明である。
アルバムについて思案中であるという事は自分自身について
思案中であるとも言える。
自分自身の現在過去未来。
カモメが飛んだのである。迷い道くねくねなのである。
しかしあの歌詞はインパクトあったな。迷い道「くねくね」だぞ。
くねくねだよなあ。違ったっけ。うねうね?ソワソワじゃないよな。
ねむねむでもないよな。迷い道ねむねむ。

というわけで脳がヘタレなのである。
世迷い言くどくど。


今日は去年のパリコレ出演が縁で知り合ったフランスはコルシカ島在住の画家、
松井守男さんのフランスでの文化勲章受賞記念パーティーに顔を出した。
はるか昔、彼がパリで貧乏画家だった頃からのお知り合いというデヴィ夫人の
スピーチもあったぞ。

英国での中学時代、俺が画家になろうと思っていた頃、
佐伯祐三という画家がパリ在住時に描いた絵が最も好きだった。
だもんで俺は画家になってパリに住もうと決めていた。
すっかり挫折して音楽を始める事になるのだが。

こんな話をスピーチでしたら、なんと松井氏は本当は
オペラ歌手になりたかったという事だ。
音楽に対して挫折感があるそうな。
おもしろいものだ。

そんな俺にしてみると、今回の彼のフランスでの受賞は他人事ながら
なんだか勝手に自分事のように嬉しい。

コルシカ島は美しそうだ。
いつか行こう。


[137] 4月15日 2001年04月16日 (月)

なかなか総裁選は一見盛り上がっているな。
どう考えても変な事ばかりなのだが。永田町の人間以外には。
とりあえずどうせなら是非橋本さんに勝って欲しいと思う。
小泉さんがなまじ勝ったりすると中途半端にまだ自民党に期待する人が
多くなってしまうんじゃないだろうか。
橋本さんが勝ってこそみんなきちんと絶望して選挙に臨めるってものだろう。
自民党員もさすがに若手を中心にあたふたしだすだろうし。
どうせ自民党も民主党も政策的には全然すっきりしてない結びつきなのだから
なにしろ一回全部ぶち壊れて再編成するしかなかろう。
橋本さんで選挙になる事が一番いろいろはっきりしていいぞ。
つうわけで俺は断固橋本さんを支持する事にしよう。
いや別に俺が支持しても関係ないんだが。

それにしても台湾の李登輝前総統のビザを出さない日本政府ってのはどうなんだ。
中国の顔色ばかりうかがっていて情けなくないのか。
そういえば悪役顔といえば河野さんは見事な悪代官顔だな。
若い頃はあんなじゃなかったのに。
何が彼をあんなにしてしまったんだろうね。

人間はっきりいって顔だと思う。年取ってきたら。
必ずどう生きてきたか、良かれ悪しかれ顔に出てしまうものだろう。
海外の政治家はいい顔した人多いよなあ。
李登輝さんもきりっとしたいい顔してるぞ。
フジモリさんも目の強さが全然違う。結局失敗してしまったけれど。
この際フジモリさんを首相に迎えたらどうだ。日本国籍持ってるらしいし。
顧問役に李登輝さん。
ゴルバチョフあたりもきっと暇だぞ。
是非外相を担当していただきたい。
一回日本の全権俺に任せてくれるならまず政治家の助っ人連れてくる事からだな。


すごいなあ阪神。三試合連続完封負け。29イニング無得点。
それに比べて今日は負けたけど、どこからでもホームランが飛び出す巨人。
がんばってシコシコ横浜が点をとってもとってもか〜るくホームランで
取り返す巨人。

とりあえず俺にプロ野球の全権まかせてくれるなら清原を阪神にあげよう。
江藤は横浜。阪神には元木もつけるか。
これくらいでだいぶ良い勝負になるかな。

正直、5番で満足している清原より4番の清原が見たい。
そりゃ松井は良いバッターだがこのままあとは5番で野球人生終えるのか清原。
FAで阪神行った方が盛り上がるぞ。
もともとおもいっきり関西人なんだし。

とまあ他人事なんて何とでも無責任に言えるものである。