昨日はすっかり飲み過ぎてしまった。
役者やミュージシャンなどいろいろ入り乱れて、気がついたら
総勢20人位で大騒ぎになっていた。
ま、たまにはいいか。
その中にR君というテレビ局のディレクターもいた。
彼はかつて米国に住んでいた時に、むこうでバンドを組んで
小さなライブハウスで演奏していた。
そこで酒を飲んでいたある男がRに、
「ヘイ、結構いいギター弾くじゃん」
と言ったそうな。
Rは彼に、「サンキュー、あんたもギター弾くのかい?」と訊いた。
その男は、「ほんの少しね」と笑って答えた。
Rが「バンドとかやってるのかい?」と訊ねるとやってると答えたので
「何ていうバンドだい?」とRは訊いた。
「ローリングストーンズ。」
その男、キース・リチャードだったのだ。
ギター弾いていて、キースを見て判らない奴もめずらしいが、
Rはそれ以来キースとお友達なのである。
今度キースの別荘に一緒に行こうと言っていた。
俺の永遠のアイドルだぞ。キース・リチャード。
こんなところで縁があるとは。
ところでなぜ橋本さんがまた総裁選に出馬しているんだ。
どだい宮沢さんと橋本さんの二人こそ日本の現状に対して責任を
とっていてしかるべき人物だろうに。
派閥の力学だのヘチマだの言ってる場合か。今の日本。
亀井さんも変だぞ。
もう日本は破産してるようなもんだ。
公共事業で景気対策なんてまだ思ってんのか。
使う金は減らす。取る金は増やす。
子供が考えたって結局それしかないだろうに。
頼むから地方で訳分かんないモノ税金で作ってんのやめてくれ〜。
それにしてもみんな本当に悪役顔だなあ。
麻生さんと亀井さんが越後屋だか大黒屋だかで、悪代官の橋龍に例の
小判の詰まった菓子折を渡してる図があまりにもぴったりだ。
「越後屋。おぬしも悪よのう。ふおっほっほ。」
今日NHK教育放送で面白い番組をやっていた。
どうやら1970年頃から日本ではものすごいスピードで
人体の寄生虫が撲滅されていったらしい。
そして、きれいにそれに反比例して花粉症やアトピーといったアレルギーが
増えてきたとの事だ。
確かIgEという抗体が人間の体内にはあって、外からの異物に対してIgEが反応する
事で異物を体外に出そうとする。
たとえば杉花粉を異物として体外に出そうとする結果、
いわゆる花粉症としてアレルギーの症状が出るらしい。
だが、寄生虫は体内に異物として存在するためにはこのIgEに反応されては困るので、
何だったかうまいことやってIgEをごまかす事が出来るそうだ。
その結果、寄生虫を体内に飼っている人は,花粉その他のたいして害のないものには
抗体が過激に反応し過ぎる事がない、という話らしい。
うろ覚えの話なもんで「・・らしい」ばかりだがお判りいただけたであろうか。
俺が小学生の頃は確かにギョウ虫回虫当たり前ではあった。
そして花粉症なんて言ってる奴はいなかった。アトピーも。
で、その番組で先生曰く、寄生虫からアレルギーが直る薬を作る事が出来たそうだ。
一発で直るらしいのだが、いかんせん発ガン性があるらしい。
ようするに免疫機能の調節ってのはそううまくいってくれないっつう事のようだ。
寄生虫を飼ってる事自体には発ガン性はないのだから飼うのが一番だろう。
いろんな寄生虫の名前が出ていたが、メジャーなところではサナダ虫よりは
回虫の方が効くらしいぞ。
花粉症またはアトピーでお悩みの方、ぜひ回虫を。
ダイエットにもなるやもしれん。
いいことずくめである。
・・なのか本当に。わからん。
正直なところ、寄生虫の話をこうして書いているだけでも少々気持ちは悪い。
俺は昆虫のたぐいも一切苦手である。
とにかく背中に一本背骨の入っていないタイプの生き物は結構駄目である。
ウネウネ系もいやだが、外骨格系がもっとも駄目だ。
蛾のでかいのなんか飛んできた日にゃあもう恥も外聞もあったものではない。
かなり情けない男だ。
だが生態系っつうものは人間の気持ちイイ悪い、好き嫌いとはまた別の所で
成り立っている。
そして人間もあくまで生物として、その一部なのだ。
最近では顔ダニとかいうのも話題になっていたな。
確かにアップで見せられるとかなり気分は悪い。
あんなもん顔に飼っているかと思うと、ムキになって撲滅してやりたくもなる。
だけどあいつらももしかするとなんか良いことしているかもしれないぞ。
顔ダニを全滅させるようになったら今度はまた新種のアレルギーとか
はやったりするんじゃないだろうか。
どうも最近の日本人は清潔好きが病的になってきているな。
大事な事は菌を寄せ付けない事ではない。
そんじょそこらの菌に負けない免疫力を持つ事だ。
という考え方こそが大事なのだ。特に教育において。
という話をしたかったのだが前ふりが長すぎた。
続きは後日。
はっぴばーすでーむうとお〜。
VAIO君がいかれた。
携帯電話でもホテルの電話でも繋がらなくなってしまっていた。
何一ついじってないのに何を急にワガママ言い出してんだか。
でもって VAIOのサービスセンターみたいなところに電話した。
これがまずかからない。
何人で応対してるか知らないけど、散々保留の音楽を聴かされるはめになった。
やっと人が出て、こっちはとにかく言われる通りにするのだが、
なかなかうまくいかない。
むこうも対策を練るのに時間が欲しいとの事だったので、一旦電話を切って
一時間後にまた電話が向こうからかかってきた。
でまた散々いろいろやってみて、
「これでいけると思うのでだめならまた電話下さい」
と言われ、だめなので電話をした。
するとまた待つ事になるのだ。
保留の音楽聴きながら、脳がチリチリいいだした。
だんだん焦げ臭くなってきて、頭頂部からは白い煙があがった。
結局、携帯で繋ぐための設定は再インストールして下さいとの事。
ホテルの回線は繋がるようになった。
なんだ。マックだけじゃないじゃん。
つうわけでVAIO君も身体は結構弱い事が判明した。
それにしても便利が増えるとストレスが増えるわい。
わしゃあもうついていけんのう。
あの、なんじゃ、あいもーどなんちゅうモンもなけりゃないで
何も困りゃあせんかったんだが。
持っとるとなると、めーるが来んと寂しゅうなったりするでのう。
時代が変わって、生活の変化はあるんじゃが。進歩なんじゃろか。
良うなっとるんかのう。わしゃ解らんのう。
野茂は本当にすごいなあ。
またもノーヒットノーラン。
大リーグで2度目だぞ。
新庄でさえと言ってはなんだが、
なんとか彼もちゃんとまざってやっているようでないの。
こうなると来年一体何人が大リーグへ行こうとするのやら。
そりゃパ・リーグなんて、本当にお客さん少ない中でやっているんだから。
いっそ大リーグでひと花咲かせようってな気にもなるだろう。
星飛雄馬の頃は、大リーグボールなんつって、打者の構えたバットに当てたり
ボールが消えたりしないことには大リーグでは通用しない事になっていた。
大リーグボール養成ギブス。
すごいよなあ。
まず大体あんなのしてたらどこもかしこも肌をバネがはさんで痛くてしょうがないぞ。
なぜ花形は小学生か中学生の時にスポーツカーを運転していたんだろう。
よく言われる事だが。
どだい野球なんてバッターですごくて4割、
ピッチャーは20勝しても10敗するのだ。
星みたいな完全主義ではやっていけない。
まあ飛雄馬はいわば神経症の親父に作り上げられたエリート神経症男だからな。
不憫でならんわい。
「巨人軍」なんてものを崇め奉る人生だけを親父に強要されたもんだから、
結局、他の価値観なんて見つけられずに引退後もフラフラしていたあげく、
再び巨人に帰ってきた。
新巨人の星はちゃんと読んでないからあまり覚えていないが。
なんか悲惨だなあ、という印象だった。
まあとにかく、それほど野茂はすごいのである。
彼の後で大リーグへ行った人間と彼は全く違う。
彼はまさにパイオニアだったのだ。
今、イチローや新庄が日本の野球機構からもファンからも
とりあえず暖かく送り出されている状況とは雲泥の差であった。
俺、まだ結構覚えてるんだよ。あの時の事。
ほとんどの評論家が野茂に対して否定的だった。
日本のチームからエースが抜けるという事に対して、わがままだの責任感がないだの。
そして自分を過大評価しているんじゃないか(!)、
大リーグじゃ通用するわけがない、といった論調ばかりだった。
過大評価もなにも、俺の記憶ではたしか3年くらい連続で
最多勝じゃなかっただろうか。
とにかく日本一のピッチャーとしての地位は確立していた。
つまり日本一だろうがなんだろうが、大リーグなんて
ボールが消えでもしないことには通用しないと当時日本人は思っていたようだ。
それこそ日本にはもう戻らない決心で彼はアメリカに渡ったと思う。
彼のような人物の成功は他人事でも心から嬉しい。
この調子でぜひ今年はワールドシリーズで投げるところを見せて欲しい。
実は曲を作っても、ほとんどがその時に軽くテレコで録音しただけで
そのままになってしまう。
作品として世に出るのはほんの一部である。
そうしたカセットがグジャグジャにたまってゆく。
それらを一年に一度、大整理する事にしている。
これがなかなか大変なのだ。
現在某ホテルにカンヅメになってその作業をしている。
おいおいなんだよ。いい曲じゃん。
なんでこんないい曲使ってないんだ。
・・・というものもけっこうある。
たまに何を考えていたんだかサッパリ解らないという曲もあったりする。
世に出た曲の原型パターン1,2,3とかいうのもいろいろあるぞ。
完成に至るプロセスが見えて、マニアには喜んでいただけるかもしれない。
スパッと最初からすべて完成している曲もあれば、試行錯誤しながら
出来上がってゆく曲もある。
基本的にはスパッと出来たものの方がパワーがある事が多い。
そのためには脳のフォーカス機能がよほど冴えていなければいけない。
ぼよお〜んなどと言っていてはお話にならないのである。
いろいろ楽しみにしていておくれ。
恐怖のミイラ、最終回であった。
それにしてもよもやこのドラマがまた観られるとは思わなかったな。
忍者部隊月光とともに、昭和30年代というものの空気に
触れられた気がして感慨深かった。
しかし怪奇ものといえば普通夜のシーンがメインなはずだが
ほとんど昼間だったな。だからなんだかオマヌケ感が一段と漂ってしまう。
予算的に辛かったんだろうと思われる。夜にすると照明だのなんだので。
オープニングのタイトルバックは夜のシーンだから雰囲気が出ているのに。
まあほんとスキだらけの、いわば古き良き時代であった。
幸福というものはあくまで個人個人の感じ方だけなのであって、
絶対的な定義やら条件の設定などという事は不可能とも言える。
財産や地位といったものもあくまで手段であって、
それがあれば幸福に至る道筋の選択肢が増えるというだけの事だ。
そんなもの自体が目的化したり幸福の基準になるのはまったく無意味である。
若い時はとにかく自分の感性を絶対の基準として、世の中や他人のことを
裁いたり押し付けたり出来るものだ。
だんだん多くの人間と触れていくうちに世の中というのは
いろ〜んな人がいろ〜んな事感じているものだと知る。
そして自分の思考、感性はあくまで自分のものでしかなく、
どんなに身近な人間でさえ共有できる部分なんてごく一部だと知る事になる。
「幸せ」「気持ちいい」「嬉しい」といった感情もなかなかに
ひとそれぞれなものである。
そこが一言で「思いやり」といっても難しいところだったりもする。
思いやってるつもりの感性自体が全然ズレていたりするからなあ。
なのであるが、俺としては二つだけ、人間にとって共通の
「幸福」のための必要条件を設定している。
一つは他者との「キズナ」である。
さっき書いた通り、思考及び感性を他人と共有出来る部分なんて
本当にごく一部なのだ。だからこそ一瞬の共有が出来る相手がいることが
「幸福」を感じるためには必要なのだ。
それはどんなに対人関係が苦手だったり、一人の時間が心地良かったとしても
やはり絶対の必要条件だと思う。
そしてもう一つが「希望」だ。
生きるということがより良い「なにか」につながると思えないならば
それは単に死を待っているだけだ。
さて。
昭和でいえば30年代、40年代なんてのは日本の空気自体に「希望」成分が
随分混じっていた気がする。
それは今、当時のドラマや映画を観てもやはり感じられる。
特に科学の進歩を中心に、社会自体がどんどん良くなる事を無邪気に信じていた。
単に社会の一員として「乗っかって」いるだけでもそこに「希望」はあっただろう。
でもって今である。
空気中の希望成分は極めて希薄になっているぞ。この日本。
街でアンケート取ったところで、もっともっと社会が良くなるなんて
答える奴は少数だろう。
ちょっと考えるだけで憂鬱になれる。
政治、経済、教育etc.
なにもかもが行き止まり、閉塞感でいっぱいである。
まあ日本に限らずほとんど世界中どこもそんなもんだ。
「乗っかって」いて見つかる「希望」はちょっとない。
だからこそ個人個人が自分の「希望」をきちんと見つける事が重要なのだ。
生きているだけで勝手により良い明日になんてつながっていってはくれない。
だからこそ自分で、より良い「明日の自分」にしていく事しかないだろう。
そういえば「昭和ブルース」なんてのがあったな。
生まれた時が悪いのか
それとも俺が悪いのか
お前が悪いんだよ。
時代のせいになんかするなっつうの。
3月も終わりである。
なのに雪。
満開の桜に雪。
風流と言えなくもない。花札なセンスというか。
どうせなら雪が積もって欲しかった。
花見&雪見酒。
あるいはあと数日後にもっと吹き荒れてくれるもよし。
桜吹雪&リアル吹雪。
ちょっとすごいぞ。
プロ野球が開幕した。
がんばれ阪神。
それにしても阪神。なんでこんなチームになってしまったのか。
今は特に贔屓のチームというものはない。
だが小学校の頃の俺にとっては野球に限らず、すべてのジャンルを越えて
最大のヒーローは江夏であった。
だから彼のいる阪神を、彼が追い出されるまでは応援していた。
なにしろ当時小学生とはいつも野球帽をかぶっているものであった。
そして東京の小学生にとって野球帽とは
ジャイアンツのマークのついた帽子の事だったのだ。
そこら辺で俺だけがどこからかわざわざ手に入れた阪神の帽子をかぶっていた。
何が俺をそうさせるのか、当時でいえば王、長嶋といったタイプの存在には
俺はどうも感情移入しづらいところがある。
体制だの権威だのっつうものに対して意味なく反発しやすい気質のようだ。
ま、動物占いでは狼なもんで。
王、長嶋を三振に切って取る江夏こそ、まさしくヒーローであった。
そして独特のナルシズムを漂わせた彼の佇まいは、長嶋の明るさ、王の
正しいストイシズムに対していわば、カウンターカルチャーとしてのロック
にも通じるダークな美しさがあった。
20世紀のベストナインとかいった企画で、確か江夏がピッチャーで
選ばれたのは嬉しかったけど、結構意外だったなあ。
だってそれじゃあ金田正一は納得いくまい。
よく言われる言葉だが、「記録」に残る選手と「記憶」に残る選手という
言い方でいえば、江夏はやはり鮮烈に記憶に残る投手だったという事だろう。
記録だって上等すごいんだけど。
それにしても今の阪神。
松井清原高橋江藤は言うに及ばず、仁岡、あるいは清水、後藤でさえ阪神行けば
4番になるんじゃないのか。一人あげろよ。巨人。
もうヤケになってるぞ。野村監督。
ヤケにもなるだろうよそりゃ。
そういえば江夏が南海に行ってからは南海を応援していたので、
当時捕手兼監督だった野村さんも好きだった。
あの人にしてみればあれだけの「記録」を残しても「記憶」の部分では
あんな扱いではそりゃいじけたくもなる。
明らかに野球選手としては長嶋より上だという自負もあるだろう。
しかしなあ。
みんなはっきりは言わないが野球だってビジネスとして考えれば
あくまで人気商売なのだ。
ただし「勝つ」・「強い」という事があくまで人気とも繋がっているから
強いほうがいいのであって、観客のいないところでどれだけ強くても
ビジネスとしては意味がない。
だから常にショウビジネスとしての認識をもって選手としても監督としても
野球をしている長嶋さんは正しいのである。
たぶん彼にしてみると、なぜ他の選手、監督達がショウビジネスとしての認識が
持てないのか、理解出来ないんだと思う。
ショウだからこそ勝つ事に意味がある。
ショウビジネスとして成り立たなければ逆に勝ち負け自体意味を持たなくなる。
きっと彼はそう感じているだろうし、それが彼のずっと変わらぬ正しさだろう。
だからよく彼の野球に対しての近視眼的な批判として、戦術面で監督としての資質を云々
されたりしているが実はまったくもって彼だけが違う次元から、高い視線で
野球を見ているのだ。つまり彼だけが野球をプロデュースしているのだ。
なんだよ。いつのまにか長嶋さんの擁護論になっているぞ。
でもそうなんだからしかたないよなあ。
がんばってくれよ阪神。
どうも脳のフォーカス機能が弱っている。
普通に言えば集中力がない。
頭悪く言えばぼよお〜んである。
困ったものだ。ぼよお〜ん。
ま、春なのか。やはり。
とはいえ今日は寒かったなあ。
i-modeにしてみた。
というか別に必要だとも思わなかったが、使っていた携帯がいよいよ古くなったので
新しい機種にしようとしたら自然にi-modeになってもおた。
目に悪い事この上ない。
この小さな画面でシコシコやる作業ったら。
今もパソコンに向かってこれを打ちながら合間に
i-modeでメールを返信したりしていた。
今時まったく普通の光景かもしれないがかなり常人より目が弱く、しかも
すでに目を酷使している俺にとってこれは決定的なダメージになりかねない。
あまりはまっている場合ではない。
今も目がショボショボである。眼球の奥の方がズーンと痛むし。
肩は凝っていて痛むし。
せめて活字中毒を少し直したいものだ。
しかし読みたい本がすでに溜まりまくっている。うぬぬ。
これ程ひたすらにモノを見る観る視るという事が好きな人間には
是非もっと強靱な眼球を授けていただきたかった。
今日はどうもいかん。文章がまとまらない。
ぼよお〜ん。
すっかり桜も満開である。
つい暖かくて桜も早めに花を咲かせてみたらいきなり寒くなるという、
一筋縄ではいかない気候であるな。
今日は雨の所も多いようだが桜が散ってしまわないといいなあ。
ある本に、いかにも美味そうに載っていた寿司屋にいってみた。
これがまあはっきり言ってしまえばかなり不味いのだ。
某有名料理人が紹介していたので真に受けたのだが、
どういう事なんだこれは。
しかも高い。う〜む。謎だ。誰が行くんだ。なぜ行くんだ。
ついこないだも書いたが、味覚も人それぞれではある。
しかしあれはないぞ。
某チェーン店の寿司の方がかなりいけてる。
でもって少々腹が立ったもんで、口直しにラーメンを食ってしまった。
何をやっているんだ俺は。苦しいっつうの。
それにしても結局世界に通用するサッカーが出来るのは中田だけなのか。
まだまだフランスとはかなり差があるんだな。
あと5年位すると結構いい勝負が出来たりしそうな気もするが。
まあ歴史が違うのだから仕方なかろう。
世界の多くの国でとにかく身体能力の高い人間はみな一攫千金を狙って
サッカー選手になりたがっていたのに、日本ではついこないだまで
地味〜な実業団しかなかったのだから。
Jリーグなんて急にもてはやされ出してから、随分早いスピードで
進化しているとは思う。
なんせ開催国として、あまりにも恥ずかしくない程度には
戦えるようになってくれるといいぞ。ワールドカップ。
桜が咲き始めた。
しかし今週は雨が多いらしい。
いい塩梅に週末あたりが花見日和になればいいんだが。
中国地方及び四国地方を中心にかなりの地震があったようだ。
まったく日本なんてどこでどんな地震があるか分かったもんじゃない。
関東はずっと来る来る言ってるのに妙にフェイントっぽく他で起こっている。
最近富士山までなにやら不穏な動きがあるらしいし。
どうなんだホントのところ。
と、問いかけてみても実は誰も分からないんだな結局。
科学者達も。
風が吹いたら桶屋が儲かる話ではないが、
地球というもの自体に散々人間が刺激を与えたりもしている。
例えばどこぞで行われた核実験がいつどこにどういう形で
影響として出てくるのかなんて誰も分からない。
地球を生命体として捉えれば、きっといろんなツボもありそうな気がする。
たまたまアラブのどこかで石油掘ったおかげで東京の地震が抑えられたとか、
まったく逆にたまたま核実験した場所がヤバいツボで、何年か後に
ロスで大地震を呼んだりとか。
はっきりいって人間がやっている事なんて
地球の大きさから考えればささいな事ではある。
世界中で戦争がおきて、人類が死滅したって地球はそのまま回っているだろう。
逆に言えば、地球がもしくしゃみをしたならそれで人類はみんなアウトなのだ。
地球の鼻の穴にコヨリをつっこむような真似はしない方がいいと思うぞ。
確かにダンサー・イン・ザ・ダークはハンドカメラが多かった。
あれは3列目で観てはいかん。
画面のぶれで酔う事があるなんて初めて知った。
映画といえば、
「今まで観た中で一番すきな映画は何ですか」
という質問には俺は大抵
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
と答える事が多い。たまに気分で変わる事もあるが。
本当にあの映画はすごいと思う。
ドダイ長い。4時間くらいあったんじゃないか。
そしてその間のあらゆる瞬間がほれぼれするほど美しい映像ばかりだ。
なおかつその美しい瞬間を積み重ねて作られた物語自体もよく出来ている。
よく長い映画の場合、いろんな意味で破綻があったりだれてしまったりするものだ。
やはり4時間くらいあった「愛と哀しみのボレロ」なんて
ホント最初の2時間だけならいい映画だったのにっつう感じだった。
「ワンス〜」は音楽がまた素晴らしい。
ほとんど作品としてつっこみようのない完璧さだと思う。
しいていうならば、フルコースの西洋料理的なこってりしかたが
お好みでない人には腹にもたれるかもしれない。
つい最近「フェイス・オフ」という映画をビデオで見た。
西部警察を思い出したぞ。
金さえあればここまでやりたかったんだろうな石原プロ。
途中でトラボルタが舘ひろしに見えたし。
そういえばニコラス刑事、いやケイジは俺のなかではモト冬木とダブるんだが。
ともかくこの映画はある意味ギャグとしては最高だったなあ。
笑った笑った。
チカラワザ映画としてはかなりいけてると思うぞ。
顔の皮だけ張り替えたからって体形やら体毛のはえ具合やら骨格やら
ばれないワケねーだろー奥さんベッドまで共にして!
などとつっこんではいけないのである。
面白いんだからいいのである。
ハリウッド映画はこういったチカラワザ映画は多い。
とにかく豪快に面白いんだが、よくよく考えてしまうと最初の設定自体に
ものすごく無理があったりする。
シュワちゃん系とか。
あと「スモーク」という映画をやはり最近ビデオで観た。
こちらは対照的によーく練られた、小粋な一品料理といった作品だ。
こういうの観ると逆にアメリカ映画というものの底力を感じる。
さりげなくも練りこまれた、構築力を感じさせる作品であった。
映画の話もきりがないのでここらへんで。
また今度。
やっとダンサー・イン・ザ・ダークを観たぞ。
う〜む。非常に良くできたいい映画だと思う。
ビョークは素晴らしい音楽家で、かつ素晴らしい役者であった。
人が言うほど救いがない終わり方だとも思わなんだし。
俺は目が悪いもんでよく近めの席で映画を観る。
今回も前から3列目で観ていた。
これはいまだにお客さんがかなり入っていて空席がなかったからでもあるのだが。
そうしたら生まれて初めて映画で酔ってしまった。
始まって30分位で、本気で吐き気がしだしたので一番後ろの席にうつった。
身体がそんな状態だったから映画の印象が悪くなったのか、
あるいは逆に映画自体のせいもあってそんな症状になったのか
解らないけれど、正直後味の悪い映画ではある。
笑いのツボも人それぞれだが、泣くポイントもやはり人それぞれである。
俺にとってはあれはあまり感動して涙を流すという映画ではない。
本当に良くできた、いい映画だと思うけれど。
まわりの客はズビズビだったようだ。
俺がズビズビで、終わっても席を立つに立てない状態になってしまった映画といえば、
一番は「ローズ」だろうな。
あと、同じくベット・ミドラー主演で、映画のタイトルは忘れたけれど彼女が母親として
娘を育てる話。
どうもベット・ミドラーにはやられてしまうようだ。
あと、そんなに普通泣くような映画ではないと思われるが、
「タイムズ・スクエア」という映画もデロデロに泣いてもおた。
女の子二人がロックバンドを組む話である。
まあ映画も音楽も、どんなものであれそれを必要とする人だけが必要とするのだ。
ましてや味覚なんて美味いも不味いもまったく人それぞれであろう。
よく物語として、絶対的なおいしい料理やら誰もが感動する音楽なんてものが
でてくるけれど、そんなもん夢物語である。
ビートルズでさえ、この前なにかの本で誰か書いていたけれど、
リアルタイムでは当時ビートルズが本当に好きだという人間なんてクラスで2,3人だったのだ。
そういえばましてやストーンズなんて、俺の中学高校時代に好きだなんて奴は学年で一人二人
はぐれものがいるかいないかってなくらいだった。
なのに!ストーンズが10年位前に初来日したとき俺はびっくりしたぞ。
あんなに何日もドームでやれるほどの客はどこから来たんだ。
美味しんぼっつう漫画でも美味い料理が出ると全員で感動しているけれど、
そんなわけないじゃん。
俺自身だって子供の頃と今で味覚全然違うし。
子供の頃は死ぬほど不味いと思ったセロリは今大好物だぞ。
美味いってんで雑誌に載ってる店に行ってもほとんどハズレだし。
だから何かというと、つまり自分が美味くて、自分が楽しくて、自分が
感動できればそれでよいのである。
そうすれば自分と似た感性の人はそれを必要としてくれるのだ。
タイプの大幅に異なる感性の持ち主から無視されようが、
罵詈雑言を浴びせられようが仕方がないのである。
と、解っていても傷つくのだよ。
自分の提示する価値観を理解してもらえないと。
ものを造るタイプの職種の人々は常にそこんところ葛藤と諦めを
うろうろ行き来しているものなのである。
すっかり暖かくなってきたなあ。
とりあえず東京では。
そろそろ桜も咲こうってもんだ。
俺は夜桜が大好きなんだが、まあほんと桜ってのは根元に
死体が埋まっているなんて言い出す奴がいるのも解る気はする。
夜桜ってのはなんとも一種異様なエロスがあるからな。
桜吹雪ってのも異次元にひっぱりこまれるパワーあるし。
花見が楽しみだ。
桜が楽しみなんだぞ。宴会ではないぞ。
何日か前の話になるが、修学旅行で中国いって、一人置いてきたっつう学校の
話があったけど、すごいな。
気づくだろフツー。
そんなにも目立たない奴だったのか。
教師の話では、「大勢いたもので」とか言っていたようだがこれがまた30人位しか
いなかったらしいでないの。
真面目にやれよ先生。
仮にも異国に生徒達を連れて行く責任感なんてものはどうなっているんだ。
不安だったと思うぞ。一人中国人の中取り残されて。
ちょっと笑えるが。他人事としては。
それにしてもそろそろ旅にも出たいんだが。
いい季節だし。
発声練習少しサボるだけですぐ声が出なくなるのには困ったもんだ。
ホテルなんて大声出せる訳ないし。
あはははは。
今テレビでやっていたんだが、明日あたりに例のミール、人工衛星だかなんだかが
落ちてくるらしいでないの。
たぶん全然関係ない海あたりに落ちるようだけれど、
まだ日本に落ちる可能性もなくはないようだ。
だから屋内にいた方がいいという話もあるんだが、
それをうけてどこぞの宇宙研究所の科学者が
「落ちてくるのを見ながらよけられるので外にいた方がいいのでは」
なんて言っていたぞ。
ギャグではなさそうな口ぶりだった。
よけられるのか。おい。本当か。
野球しばらくやってないとフライ捕るのもなかなか難しいもんだぞ。
なかなか浮世離れしていてよろしい。
科学者はこうでなくちゃ。
本当に下らないのだが、「北斗の拳」のゲームがある。
北斗の拳はご存知であろう。
例の、お前はすでに死んでいる。ひでぶ。である。
基本はいわゆる「格ゲー」だと思う。実は普通に遊んだ事はないのでよくわからないが。
これにストーリーに沿ったポリゴンのアニメが大量に入っている。
その登場人物の台詞を自由に入れ替えるというおバカな遊びが出来るようになっていて、
これがなかなか笑えるのだ。
本当に下らないんだが、こんなに笑ったのは久しぶりだった。
ああしょうもない。
まあ、もし機会があればやってみておくれ。
笑いというものに関しては、どうも世の平均的な感性とは少々ズレがある気がする。
普通のお笑いの人達を、面白いと思わないわけではないんだけれど。
雑誌「宝島」のVOWというコーナーをご存知だろうか。
これはVOWだけで何冊も本が出ている。
あれが大好きなのである。
まあ今回の「北斗の拳」のゲームもそうだが、笑かそうとしていないところでたまたま
起きるねじれとでもいった部分が一番笑えるものだ。
笑わせるために最初から作られたものでいえば、やはりモンティ・パイソンが最高だ。
いまだに俺にとって、あれを超えるものはない。
今観てもやはりすごい。というかすごすぎる。
やけくそである。人生捨てている。本気なのである。
まあ身障者ネタから王室ネタまで、あんなブラックなのものを
日本で放送できるわけがないんだが。
小学校の頃日本で「ゲバゲバ90分」という番組があって、これも非常に好きだった。
もし再放送でもあればぜひ観てみたいものだ。
そのあと中学に入ってからイギリスに住む事になって、モンティ・パイソンを知る
事となるのだが、あきらかに「ゲバゲバ90分」はモンティ・パイソンが下地だったんだと
思った。
そういえば、赤塚不二夫の一時期、「もーれつア太郎」の後期から「レッツラゴン」
あたりはすごかったなあ。知っている人はきっと頷いてくれると思うんだが。
あとは山上たつひこの、最もテンションが上がっていた時の「がきデカ」。
この人はついには漫画自体描くのをやめてしまった。
実はギャグ漫画家には一時期だけ輝いて、消えてしまった人たちが多い。
それこそ燃え尽きてしまったんだろうと思われる。
笑いを本気で追及するなんて作業は本当につらい事なんだろう。
あっと驚くタメゴロー。
だからさ、内緒だっつっただろう。
くそお。恥ずかしいじゃねえか。
ボードで書かれちまったからしょうがねえな。
ああああ嬉しかったさ。歌えることがさ。
つい涙も出ちまったさ。
リハビリなんてさ、それこそ手とか足とかが動かないとかっていう、
本当に生活自体出来なくなった人からしてみれば俺なんて全然楽勝だと思うよ。
所詮歌なんて歌えなくたって生活は出来るし。
それでも歌えるようになっただけで嬉しかったんだよ。
素直でごめんよ。
俺としてはもっと軽〜い感じが望ましかったんだが。
感激しちまったともさ。なんとか歌えてさ。あああくそ。恥ずかしいぜ。
まあ忘れてくれよ。次からは楽勝だぜ。
本日は都内某所皿回し大失敗だったぞ。
Rock'n'rollはあかんかったのう。
むむむ。
冷やしてごめん。
今日来てくれた人達に、まずお礼を言いたい。
日本中からはるばる来てくれて本当にありがとう。
いやあドキドキしたよまったく。
なんとかお聴かせできる代物にはなったと思う。
引き続きやるから。リハビリ。
でもってアルバム作るからさ。
楽しみにしててくれよ。気長〜に。
明日は雨なのか。う〜む。
俺は20代の頃はずっと雨男といわれていた。
確かにものすごい確率で雨を降らしていたぞ。
当時東京で毎月、ライブインというライブハウスでやっていたのだが、
100パーセント雨だった気がする。
10回中10回雨という感じだ。
いや違う。大雪もあったな。台風もあったし。
まったくいったいなんだっつうんだ。
あんな中来てくれた人、本当にありがとう。今更だが。
しかし30代になって勝手に俺は晴れ男宣言をしてから、
ほとんどのライブは晴れるようになったのだよ。30代前半。
そして30代後半になって古村とまた一緒にやりだしてから俄然
また雨率が上がった。
どうも俺と古村の組み合わせは湿気が多いようだ。
やはり水の星座同士の組み合わせゆえか。
明日は、是非みんなの気合いで良い天気にしたいものだ。
いよいよ近づいてきたぞ。パーティーの日が。
こんなに歌う事がドキドキする事なんてそうそうない。
聞く方もちょっとドキドキでないかい。
今日は軽くリハーサルをしてみた。
まだ力の入れ具合がよく解らんところがあったりする。
ま、来る人は楽しみにしていてくれ。
やるときゃやる俺だから。たぶん。
よし。そういう訳で今日はもう寝るのであった。
ノドには睡眠が一番。
新庄っつうのはホント面白い男だな。
結構アメリカでも日本で上げていた程度の成績はクリアしそうな気がする。
下手すると日本にいた時よりいい結果になりかねない気もする。
さっぱり判らん。楽しみだ。
しかしはっきり言ってあの程度の男がアメリカで成功してしまうと
みんな行きたくなるわなあ。
日本のプロ野球はどうなってしまうんだ。
というほど別に興味ないからいいんだけど。
大体いまだに最大のスターが長嶋さんでいいのか。
俺が小学校の時のスターだぞ。
長嶋さんだってもう数年のうちにはいくらなんでもやめるだろう。
その上日本のプロ野球自体が大リーグの二軍みたいになった日にゃあ衰退の一途だのう。
俺はいいんだが。別に。
そういえば最近相撲の面白くなさはどうしようもないな。
新弟子も激減しているらしいし。
だいたい八百長がどうのなんて騒いだからよくない。
もともと純粋な強さを競う競技としては無理がある。
なんでちょんまげなんだよ。なんでふんどしなんだよ。
柔道や空手ならともかく、あれじゃ他の国の人間は参加しないぞ普通。Tバック状態。
もういいんでないか。伝統芸能で。
八百長どころかバリバリに台本作って面白い展開を考えてやっていけばいいじゃん。
ちょっと小さめの、顔のいい力士を主役に、悪役にデカくて顔の怖い、
すごく強い奴を配置して。このすごく強い悪役に挑む小さめの主役。
これが一番人気の取組み。
あと、へんな技ばっかり使う奴とか、押し相撲オンリーの奴とか。
ラリアット使う奴とか。ジャーマンスープレックスで同体取り直しとか。
まわしから凶器取り出す奴とか。覆面力士とか。ロープ最上段から飛んだり。
ないのかロープ。あとちょんまげをモヒカン風にしてる奴とか。
ほらほらなんだか見てみたくないか。そんな相撲。
頑なに伝統を守って地道に衰退していくか、スーパー歌舞伎ならぬ
スーパー相撲としてここでもう一花さかせるか。
頭堅い事言ってるとどんどん衰退するぞ。
いや別にいいんだが。俺は。
はっぴいばーすでーとぅみー。
平穏無事に誕生日は過ぎていった。
43歳かあ。びっくりだなあ。
誰の事だよって感じだ。
いろいろお祝いのメッセージありがとう。
なかなか42歳は一筋縄ではいかない年だったな。
43歳はどうなる事やら。
かぞえでカウントすれば厄年が終わったぜ。後厄ってのか。
あんまり気にしていたわけじゃないけど、結構厄っぽかったな。確かに。
まあいろいろ変化があってこそ人生楽しめるってもんだ。
ちょっと強がりもあるけど。
でもホントにそう思っているんだよ。昔から。
なにしろ澱む事が一番良くないと思う。どんな事でも。
その時はツラく感じる変化でも、
それによって空気が動く事は大事だ。
風があるから船は進む。
波があるから波に乗る事もできる。
凪(ナギだぞ。タコちゃうで)の状態は楽だけど、進もうと思ったら逆に大変だ。
大事な事は、風や波に対して意固地に逆らわない事でしょう。
親や先生達がさ、少しでもとにかく問題があるといけない、平穏無事が一番なんて
勘違いしているから風の読めない、波に乗れない人間が育つんでないかい。
大きなエネルギーのうねりを乗りこなせると楽しいぞ。
楽(ラク)しないで楽(タノ)しまなきゃな。めいっぱい。
まったくお笑いである。
3月3日のダイアリーで書いた通りではないか。
今日ニュースでやっていたんだがなんでも最近、
中国ではセントバーナードを食用に使用する事が一部ではやっているらしい。
なにしろ生後半年だか一年だかで体重60キロに育つという事だし。
でもって、これにスイスの団体が噛みついているようだ。
こんなかわいい、我らがセントバーナードを食用にするなんて、というわけである。
馬鹿野郎。
ったく欧米の連中はこれだからな。
牛なんてかわいいどころか神の使いだぞ。ヒンズー教徒にしてみれば。
イスラムの人々は豚は食っちゃいけないんだぞ。
だからって文句言わないだろうが。欧米に。
欧米の動物保護団体の連中くらい胡散臭い奴らもいないと思うぞ。
お前らとりあえず少なくとも牛も豚も、動物の肉は食わないんだろうな。
旨そうに聖なる神の使いのステーキ食っといて、犬はだめとか言うな。
狐は楽しんで狩っても毛皮にしてもいいけど犬はだめとか言うな。
俺はセントバーナードを食いたくはない。
つうか実は牛豚鳥、肉はほとんど駄目である。
子供の頃はステーキ大好きだった。いや違う。当時はビフテキである。
23〜24歳の頃にいきなり「死んだ動物の肉片」を食べている事がなんだか
気持ち悪くなってしまって、それからは基本的に駄目だ。
肉のカタマリはちょっと食えない。
別に少々肉が入っていたって、それこそ餃子とかも大丈夫なんだが、
あんまり肉を多く摂ってしまうと数日身体の具合が悪い。
そんなのあくまで俺の勝手なんだから別に人が何食おうが知ったことではない。
セントバーナード食おうが猿の脳味噌食おうが、好きにしてくれ。
いいと思うぞ。食うんだから。遊びの殺戮とは違う。
「え〜ゼッタイいやだ〜、イヌなんか食べたくな〜い」
とか言うやつは多いだろうけど。牛の舌やら腸壁やら平気で食いながら。
食ってみたら旨いんじゃないの。セントバーナード。
口のところの、ビロっとしたところが珍味だったり。
肉球がやっぱりサイコーだね、とか。
眼球の周りの筋肉が一番旨い、なんて。
うむ。書いててちとツラくなってきた。
でも同じだろう。牛の舌だって。
「食用として」この世に生をうけた生き物なんていないんだよ。もともと。
感謝しようぜ。
「町内の皆様に申し上げます。ミイラがここら辺に逃げ込み、潜伏しております。
ご注意ください。」
今「恐怖のミイラ」を見ているんだが、こんな事暢気な声で拡声器で言いながら
警官達が町を練り歩いているぞ。
かなり面白いなあ。
おっと次は忍者部隊月光か。
ここのケーブルテレビでは残念ながら少年ジェットは見られないようだ。
残念。
すまないねえ。世代的に何の事だか分からない人には。
ここら辺のネタがしつこくて。
だってほんとすごいんだよ。
もうつっこみきれない。
今日の忍者部隊月光なんて、アイヌっぽい村の人々と忍者部隊が結託して
悪の組織と戦うんだが、この悪の組織の親玉は中国人みたいだけどカウボーイハット
かぶった早撃ちガンマンも出てくる。
「人は俺をワルサーと呼ぶ。」
かっこいいぞお。
少年ジェットごっこだの忍者部隊月光ごっこだの、当時は都会でもそこら中にあった原っぱや、
今と違って管理がいい加減だから自由に遊べた工事現場なんかでよくやったものだ。
最近の子供には考えてみると原っぱも工事現場もないなあ。
しっかり出来上がった公園じゃだめなんだよな。イメージが膨らまない。
どうなんだろう。子供達は秘密基地とか今は作らないんだろうか。
基地を作るのは浮浪者の方々だけになってしまったのか。
つうかそれ以前に、子供が外で遊ばないからな。
家でゲームばっかやってんじゃないっつうの。一人ずつ FFだのドラクエだのやってるより
絶対おもろいぞ。自分らで基地作って勝手にストーリーどんどん展開させて。
ロールプレイングゲームっつうのはつまり、ここではないどこかの世界で、
自分ではない誰かとしての役割をきちんと果たすべく作られたゲームなわけだ。
そんなもん、頭の中でイメージを膨らませていった方がどうとでもできて楽しいと思うが。
そしてそうやって子供達で遊んでいる中で、自然とそれぞれの役割が決まったり
喧嘩があってそれを仲裁したりと、いわば社会っつうもんを学習していった。
それぞれでゲームやってるんじゃあ、遊びが社会性の学習にならんわなあ。
そういえば最近高校生とかがデートしていても、
それぞれが勝手にケータイいじってる時間とか多いらしい。
まあ社会人になっても、それぞれが自分のパソコンに向かって
仕事してるだけな事もどんどん増えているしな。
好かんな。そんな社会。わしゃ好かん。
将来もっともっとそんな社会になっていって、
俺はブツクサぼやく爺さんになっているんだろうか。
悪意も狂気も、実はどこの誰がどれくらいの大きさのヤツを心に
飼っているのかは解らない。
それが宿主を食い破って出てくる瞬間までは。
昔から人間というものに関して性善説と性悪説とに見方は別れる。
だけどそんなもんどっちでもないだろう。
俺の思う所人間なんていつも綱渡りみたいなものだ。
『性綱渡り説』である。俺は。
たまたまどこでどっちにコケるか、そんなもん分ったもんじゃない。
私は大丈夫、なんてあまり深く考えた事もなく思っている奴が
案外危ないもんだ。
大体犯罪なんて、後になってみれば
「あの人がそんな事するなんて」
と驚かれるような、日常生活においては『普通の人』を
ちゃんとやっていた人間がたまたまロープからある日
落ちてしまったというケースが多い。
例の高知のどこぞの村のおっさんも、よもや15億もの金を最終的に
使い込む事になろうとは自分でも思わなかっただろう。
最初ちょっとこわごわ使い込んでみたら案外平気だったもんで、
もうちょっと、もうちょっとっていってる間に気がついたら15億。
多分そんなとこだろうな。
それにしても15億。
誰か気付けよ。いくらなんでも。
点滴に筋弛緩剤を混入させて患者を殺したといわれた事件は
確か容疑者は全面否定しているんだよな今。
彼が犯人なのかどうなのか、それは解らない。
世の中なんて、いい事も悪い事も、考えられない偶然が重なる事は確かにある。
全く彼にとって身に覚えのない話であったとすれば
本当に運の悪い男だ。
だけど彼が実際にそういう行為を行っていたとしても
正直気持ちは解らなくはない。
ちょっとこんな事したら目の前の人間が死ぬ。
それをやってみたい誘惑に負けたとしても「仕方ない」とは言わないが、
「負ける奴もいるんだろうな」と思う。
この前俺も家で出刃包丁見たら、
人の頭をそれでパコーンと叩きたい衝動にかられてしまった。
しないけど。
ツールの進化によって人間の精神は拡大されて投影されてゆく。
人間の攻撃性はげんこつで人を殴る事から棒を使う事を覚え、そして刃物、
拳銃、機関銃、爆弾、しまいには核爆弾にまで至った。
情報を得たい、人とコミュニケイトしたいという人間の想いは言葉というものから
はじまり、ついにネットという新たなツールを手に入れたわけだ。
ネットの社会というのは微妙なちょっとした悪意や狂気が育ちやすい
環境なんだと思う。
昔からイタ電が趣味の奴とか、車に十円玉でキズつける奴とかはいた。
あるいはキャッチセールスだの怪しいスカウトだの。
そういうテの、小規模な悪意や狂気の温床といっても過言ではないな。
結局人類、根本的にその『綱渡り』の部分では進化なんてしていない。
うまくコケないでやっていくためのシステムとして機能すべき社会や宗教すら
それがあればもうオッケーなのではなく、それをどう使えるのかという、
あくまでツールでしかないという事なのだ。
結局のところ諸々のツールの進化でなにが変わったかというと
『綱渡り』にコケた奴が道連れにできる人数が飛躍的に増えただけ
なんでないの。
がんばれ人間。
少年ジェットはどこでやっているんだろうか。解んないぞ。
教えてくれ。
縁あって今日、六本木の馬鹿みたいに高い金を取る店に
飲みにいったりしてみた。
混んでるんだよなあこれが。
お店の人曰く、かつては不動産や車屋関係のお客さんが多かったが
最近はやはりIT関連とかが羽振りがいいとの事。
世の中不況と言いながら関係ない人には関係ないようだ。
銀座とかも好きな奴はホント大好きだし。
俺は行かないけど。
そういえば俺はかつて、ホテルのバーでブランデーを飲んでいそうなタイプ
などと言われた事がある。
自分がどういう人間として人の目には映っているのかなんて確かに
解らないモノではあるが。
そんなタイプなのか織田哲郎。
それって家帰ってもガウンでブランデーグラス傾けながら
葉巻きでもくわえてる感じっつう事だろうか。
ジャイアント馬場っつうか裕次郎っつうか。
ブランデーは飲まない。
実はウイスキー、バーボンといった茶色い洋酒はほとんど受け付けない。
歌詞には出てくるくせに。うそつきだな。
好きなのは日本酒である。
純米がよろしかろう。
焼酎も好きだ。
あとはワインやウオッカは特に好きではないがあれば飲む。
やはり旨い日本酒は最高だ。
しかしなあ。日本酒も焼酎も歌詞的にはツラいのだよ。そりゃそうでしょ。
ひとり部屋で『バーボン抱えて』いるのと『焼酎かかえて』いるのじゃ
イメージする風景のポップさにおいて雲泥の差がある。
それにホテルのバーもまず行かない。
銀座、六本木の『クラブ↓』には生まれてこのかた数える程しか行った事がない。
まあ人に連れられていった事はあるが、あまりまた行きたいとは思わない。
渋谷の『クラブ↑』の方がいい。
どっちかというと作曲家の先生などと呼ばれてしまう事もある俺だが、
『クラブ↓』にも行かずゴルフもしない。ベンツも乗らない。
いやイイ車だと思うけど。ベンツ。
案外実はガンガンのロック系の奴には多いのだよ。
『クラブ↓』好きのゴルフ好き。
まあ俺は変人らしいからな。世の中的には。
車はアメ車でしょやっぱ。
バカだぞ。俺の車。
ま、イメージなんてモノはあてにならないという事である。
最近ケーブルテレビの話をよくするので意外に
思われるかもしれないが、基本的にテレビはあまり見ない。
そんな俺なので、『僕の背中には羽根がある』が主題歌に
なっているドラマ『愛犬ロシナンテの災難』をまだ見た事が
なかった。
やっと今日、初めて見る事が出来たのだが、思いのほか
ツラいドラマであった。
もっと暢気なコメディーかと思っていたぞ。
獣医になるためには実験用の犬を犠牲にして学んでゆく。
それは辛いと思う。
だけどそれだけじゃない。
牛だって豚だって、きっと可愛いんだと思うぞ。
もし一緒に暮らしていたら。
人間が勝手に食用とか決めているけれど。
どうも欧米の連中はイルカや鯨は可愛いだの頭が良いだの言うが、
牛なら殺していい程馬鹿だというのか。
植物ならその生命をいくら奪っても構わないというものでもないだろう。
動物であれ植物であれ、その命をいただいて生きてゆくしかないのが
この世に生まれて来た人間というものの業なのである。
そして数々の実験で死んでいった動物達のおかげで
確かに医学は進歩し、そしてそれによって救われた人々も
何千万人といるだろう。
そういう業を持って生まれてきた身としては
せめて自分達の肉となった、あるいは医学の役に立ってくれた命に対して
感謝の気持ちを忘れずに生きていくくらいの事しか出来ない。
どうも俺は自分のペットの犬は特別で、犬を食べるなんて
中国人は野蛮だとか言う奴、さっきも言ったがイルカや鯨は特別で
牛や豚だからいっくら殺してもオッケーなんて言う奴らは
信用出来ない。
そういう輩は人間に対してもやっぱり生きるべき人種と
死んでいい人種に分けて考えそうな気がする。
せめて趣味としての狩猟なんてやめようよ。
犬をペットとして可愛がりながらキツネを楽しみで殺せる神経が
まったく解らん。
かわいいぞキツネ。北海道ですぐそこまで寄って来たけど。
てなわけで俺は釣りも好きでない。
また生きたまま放すからイイっつうもんでもなかろう。
おかげで日本中の河川で生態系グチャグチャやんけ。
どうすんだあのブラックバスだのなんだの。
まあダムやめるのもすごく良いと思うぞ。
生態系のためには。
つうわけで再び、がんばれ田中康夫。
この前の俺が喋ったラジオを、実は放送された日には聞いていなかった。
録音されたものをやっと聞いたんだが、なんと!
いきなり『恋のほのお』と言うべきところを『恋のかけひき』と
言っているではないか。
なんともはや。
実は『恋のかけひき』by Hamilton,Joe Frank&Reynolds も流すつもりで
後で却下したのだよ。
そんなこんなでごっちゃになってしまったようだ。
まあほとんどそんな事どちらでもいい人ばかりだったかもしれないが。
失礼しました。まったく情けないわホンマ。
あのラジオの時は随分と声の状態が悪かったなあ。
今はもっと良いぞ。
睡眠時間やら発声練習やらの都合でいろいろ変化するけれど、
基本的にもっとしっかりはしてきた。
それにしてもちょっと発声練習サボるとてきめんダメになるので
困っている。
旅にも出たくてせっかくかわいいVAIOも買ったのに、考えてみると
意外と大きい声なんてそうそう旅先で安心して出せるものでもない。
それを考えるとなあ。
まあこれもなにやら神の思し召しなのであろう。
また今日も『恐怖のミイラ』と『忍者部隊月光』を見てしまった。
この調子だと『少年ジェット』とか『ジャガーの眼』とかも
ケーブルテレビで見れそうだな。
などとまた若い人の解らない事を書いてしまった。
うーやーたー。
ご存知の事とは思うが相川が結婚した。
もう彼女も26歳だし、普通におめでたい話である。
初めて彼女に会ったのは確か彼女が14〜15歳の時なのだ。
いまや気分としては、ずっと預かっていた姪っ子といったところか。
彼女の母親も、その頃からの知り合いなので、相川が姪ならそのお母さんは
義理の姉にあたるな。
だからといって相川のお父さんが俺の血の繋がった兄弟なわけではないのだが。
最近じゃあなんだか結婚したからってそのままうまくいく事は少ないんだが。
俺のまわりでは。
ただ離婚は結婚の30倍はパワーが必要になる。
しかも後ろ向きな話なのでまったく無駄になるパワーなのだ。
あれはほんま疲れるでえ。
これって経験者は皆ほぼ同じような感じ方をしているもんだ。
なので、ぜひともうまいことやってくれる事を祈っているぞ。叔父さんは。
今日読んだ 「高岡英夫は語る すべてはゆるむこと」という本が
なかなか面白かった。
俺の日々うすうす感じていた事がそこには全部はっきりと書かれていた。
それにしても世の中にはすごい人がいるものだ。
俺は桜井章一という人を勝手に心の師と仰いでいるのだが、
桜井さんと高岡さんの言っている事はどうやらまったく同じである。
高岡さんはすべての武道を超えた達人であり、桜井さんは麻雀界で20年無敗
といわれたやはり一種の超人である。
麻雀というと馬鹿にする向きもあるかもしれないが、それはなぜかというと
碁や将棋と違い偶然性に左右されるので、競技としてでなくギャンブルとして
世に認知されているからだろう。
実際麻雀の場合、普通初心者が経験者に勝つこともしょっちゅうある。
碁や将棋では絶対にそれは考えられない事だ。
ただし、桜井さんクラスになると多分俺が1万回挑んでも一万回負けるだろう。
むこうが本気でやれば。
つまり一見偶然性に見える部分までコントロールしうる域というのは
確実にあるのである。
その感覚を少しでも感じた事のない人間にとってはただのオカルトにしか
聞こえない世界だろうけれど。
いかんせん麻雀をそこまで突き詰めるつもりも毛頭ないし、あるいは
武道に取り組む気もないんだが、どのようなジャンルであろうと
仕組みとして、人間としての根本の部分での必要とされるものは同じという事だ。
機会があればぜひ高岡英夫氏及び桜井章一氏の言葉に触れてみておくれ。
またやられたぜ。
セーブしなかった俺が悪うござんした。
へえへえ。すいませんねえお手数おかけしまして。
まだ君の事が解っていないようだねえ俺って。
ねえまっくさん。
聞いてる?まっくさん。聞いてんのか?まっくさん。まっくさんたら。
まっく?おいまっく!てめえこの野郎!!
いかんいかん。頭に血がのぼってしまったようだの。
さてと。
2月も終りだのう。
ぼやぼやしていると今年も終わってしまうわい。
昨日は偶然一回目のT's partyに参加したという人物に会った。
当時は所属していたレコード会社の一室でこじんまりおこなっていたのだよ。
今度のパーティーはさすがに緊張するなあ。俺としては。
なんせ一進一退、日々流動的なこのノドの状態である。
まあ一応徐々に良くなりつつあるとは言えるんだが。
曲のキー決めるのにもなかなか困る。
ドキドキだけど楽しみでもある。どうなる事やら。
とりあえず今日はまた部屋の写真でも見ていただこう。
<1>
ついに設置された工場用加湿器。
これはそれ程うるさいわけでもなく、そこら辺だけビショビショになったり
する事もない、なかなかの優れものである。
さすがにパワーはすごい。
いざとなればこの部屋でキノコの栽培もできるし。<2>
時計仕掛けのオレンジのポスターの中でも、このサイズでこのデザインのものは
かなりめずらしいと思われる。お気に入りの逸品。<3>
柔らかい材質で作られているので、回転中に触れても危険ではない。
案外ちゃんと風をおこして、部屋の空気を撹拌してくれる。
隣は光るオブジェ。
今、夜中の3時過ぎである。
カレイドスコープというバンドが、ラジオで生ライブをやっているのだ。
こんな時間に。
彼等、12時間程前にも横浜でストリートライブをやっていたんだが。
がんばれよ。
最近ラジオっつうもんを聞く事が俺はほとんどない。特にAM。
子供の頃は深夜放送をそれなりによく聞いていた。
落合恵子さんにもハガキ出したぞ。なんつったって『レモンちゃん』だぞ。
今思うとすんげえ恥ずかしい事書いていた。
うわああ思い出した。恥ずかしすぎるぞ。内容は絶対教えない。うげげげ。
若さとはほんまに恐ろしい。
かなり思い込み強いタイプだったし。
あれは中3の頃だな。
あのねのねのオールナイトニッポンは笑ったなあ。
一人でヘッドフォンで聞いていて、どうにも止められず
大爆笑してしまったりした事もあった。寮で。
高校生になるともうあまり聞かなくなったけど、
たまに聞くと谷村新司は面白かったと思う。確か。
どうなんだ世の中では。
今もそれなりにAMの深夜放送は聞いているんだろうか。世の若モノ達は。
あんまり聞かないよなあ。多分。
当時俺らは他にあんまり楽しみがなかったからね。
俺だって今ならゲームだチャットだ、あるいはテレビも夜中ずっと
やってるってな状況でわざわざAMラジオ聞いたとは思えない。
ところで石油ショックの頃、テレビが夜随分早く終わるように
なっていたのに、いつのまにかどの局もほとんど毎日24時間やってるぞ。
しかもBSだケーブルだなどとすごい事になってきている。
誰がそんなに始終数多くの番組を欲しがっているんだ?
なんかいい事あるのかBS。
わからん。
暖かくなってきたなあ。
いよいよ春だ。
春は来るのである。冬の次には。
そして夏が来る。そして秋が来る。そしたらまた冬が来るのだ。
俺は例の『アリとキリギリス』っつう話が
子供の頃から大嫌いだった。
夏、秋と何も準備しないで遊んでいたキリギリスは
冬、寒くなった時に死んじまったんだろ確か。
分けてやれよ。アリ達。
見殺しにするなって。嫌なやつらだ。
確かキリギリスに向かって「ざまあみろ」位の勢いじゃなかったか。
あの話を別の角度から見れば、
『キリギリスは短くも楽しい一生を全うしました。
アリ達は生活に追われて、生きる喜びも見つけられず
楽しそうなヤツを妬んだりひがんだりしながら
自分より不幸なヤツを見ると満足するといった
意味のないムダに長い一生を送りました。』
そういう話だ。
問題は、冬にその自分の一生に誇りを持ってキリギリスが胸を張って
死んでいけるかどうか。それだけだ。
俺が『アリとキリギリス』改訂版を出すとしたらエンディングを
こう変える。
「あ〜楽しかった」と言って死んでゆくキリギリスを見て、
「俺の人生はなんなんだ」と半端に目覚めたアリ達が出てくる。
そいつらは次の春夏秋と遊びたおして、
でも冬になった時に覚悟がなかったもんだからすんごく後悔する。
そいつらに他のアリ達が言うのだ。
「キリギリスさんは俺達を楽しませてくれた。
お前ら遊んでただけじゃん。」
含蓄あるだろ。こっちの方が。
鬱の話で随分心配をおかけしてしまったようだ。
大丈夫だよ。
これはもう慣れたもんだから。
躁もくるし。
躁も楽じゃないんだよこれが。寝られないから。楽しいけどねとりあえず。
まあうまくやっていくしかないからさ。
それにしても森首相。
かなり面白い人だ。
あの人はすごくいい人なのかもしれないと思うよ。
子供みたいだもんなあ。
福田官房長官が地元の群馬にあの日戻らなくちゃいけなくて
総理に二人とも東京を離れちゃまずいっつってたのに
勝手にゴルフ行っちまっていたらしいね。
福田さんの会見とか聞いてるともう完全になげやりになってるぞ。
そりゃそうだろうけどさ。
イベントとしてならけっこういいキャラで楽しませてくれるけれど
一国の首相だからねえ。恐ろしい事に。
しかも自分らの国の。
いよいよ日本の政治も来る所まで来た感じ。
さすがに大きく変わり始めると思うぞ。これから。
もう春である。
暖かくなってきたなあ。
どうも鬱だ。
それにしても鬱という字は鬱陶しいなあ。まさしく。
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
うわあ。
怖いよお。
鬱っぽいのも、病気としての鬱病も実はそれ程明確な境界線があるわけではない。
これは分裂症も神経症も同じ事だ。
ここまでいってしまうともう世間的に病気と認定されるという領域はあるが、
生活さえとりあえず普通っぽく出来ていればあとは自己申告しだいという事になる。
もし君が、頭の中でずっと誰かが命令する声が聞こえていると
言い張れば、りっぱな分裂症の初期症状として扱ってもらえるだろう。
そんなレベルの話は脳波だなんだで仮病がばれる事はない。
自己申告のみ、なのだ。
また当然、典型的な症状ばかりではないので、同じ症状でも医者によって診断は
先天的な分裂症になったり後天的な神経症になったり、はたまた鬱病になったり
してしまう。
だから犯罪を犯すような奴なんてそりゃどこかマトモではないので、
あとからなんだかんだ微妙にどうとでもとれる病名をくっつけられるものだ。
そう考えると精神神経科の医者なんてものは虚しい稼業である。
ま、ホントに俺は信用してないからね。西洋医学。
俺の場合、ちゃんとした鬱状態になると、どんなに楽しいような状態にあっても
ずっと裏側に闇が張り付いている感じになる。
ずっと冷や汗が出てるっつうか。
これは楽しいふりしてて実はつまらないといったレベルとはまた違う。
悪化してくると、歩いていても地面がふわふわして、へたするとズブズブと
足が埋もれていく感覚におそわれる。
そしてだんだん視界がキューッと凹レンズ的に歪んでしまう。
もう慣れているので、『ああ来た来た』ってなもんである。
だが楽しくはないぞ。全然。
明らかに音楽を作る作業も治療になっていたのである。今まで。
つうかそのおかげでやってこれたと言ってもいい。
だけど俺ははっきりいってゴッホの絵は嫌いなのだ。
あんなもの見たくもない。
エンターテイメントとしての完成度が高くないものはやはりいやだ。
もろもろの業をきちんと自分の中でエンターテイメントとして昇華して、
アッパーなものとして皆様にお届けできる、
さういふものにわたしはなりたい。
ラジオを聞いてくれた人はいかがだったかな。
楽しんで頂けただろうか。
ラジオの方が随分と楽だ。TVよりは。
しかしこうして文章を書いているのが圧倒的に楽なのだ。
ただ、やらしてもらえる限りやるよ。ラジオ。
日々精進である。
聞けなかった人のために少々説明すると、
『歴史に残らない名曲・名盤』
というテーマで選曲してみた。
去年いろんなところで特集していた『21世紀に残したい名曲・名盤』に、
まず名前のあがらなかったであろう曲ばかりである。
1:Spirit in the sky / Norman Greenbaum
2:恋のほのお(Love grows) / Edison Lighthouse
3:Ring the livin' bell / Melanie
4:In the broken dream / python Lee Jackson
5:Rock'n'roll part 2 / Gary Glitter
6:He's gonna step on you again / John Congos
7:曲名忘れた/ Frankie Miller
8:Fool (if you think it's over) / Chris Rea
こんな感じ。
さすがに『歴史に残らない』なのでアーティスト的には有名でない人が多い。
1、2は1970年の一発屋達。
3のメラニーは俺の永遠のアイドルだ。
今でもやはり声が好きでしょうがないんだがなあ。変なダミ声なんだが。
4は名前を隠してロッド・スチュワートが歌っている名曲。
5はグラムの馬鹿親父。
グラムの歴史を語る時、T.Rex,David Bowie ときて、あとSlade,その他と
いわれる人。
6は俺の知る限り初めてループというものを使ったヒット曲だと思う。
7のこの男。素晴らしいボーカリストなんだよ。
ジョー・コッカーとポール・ロジャーズを足して2で割ったような。
ただほんの少しタイミングが悪かったんだよなあ。
もういたのだよ。ジョー・コッカーとポール・ロジャーズの二人が。
あと数年早ければ。
そしてクリス・レア。
この人もほんとどこにも名前の出てこない人だよねえ。
それなりに支持者はいるんだが。
時代の流れとか地域性とかと無縁なところにいるからなあ。
他にもいろいろかけたいのはあったんだが。
『恋のかけひき』とか『悲しき鉄道員』とか。『トレイン』もいいよなあ。
そういえば、初めて買ったシングルは『デイドリーム・ビリーバー』である。
モンキーズの。
『ノックは3回』も好きだよ。ドーンの。
ま、またの機会に。
ボードでもメールでも意外に、自分が殺人者であるという
シチュエイションの夢に関して反応が多かった。
そんなに多くの人がそういう夢を見た事があるとは思わなんだ。
みんななんか人に言えない悩みをずっと抱えていなかったか?
昨日はトランスフォーマーというバンドのライブがあった。
非常にテンションの高い素晴らしいライブであったぞ。
まだ見た事のない人は是非一度見られたし。
ケーブルテレビでは夜中いよいよすごい事になっているぞ。
昨日は『恐怖のミイラ』の後に『忍者部隊月光』、そして
『宇宙少年ソラン』をやっていた。
若い人には何の事やらさっぱり解らないと思うが。
まるでテレビ探偵団状態である。
それにしても『忍者部隊月光』。
すごい。すごすぎる。
あまりにも一秒たりとも突っ込ませずにはいられないものすごさである。
なんなんだその服。
背中にしょった日本刀。
ピストル使えよ持ってんなら。手裏剣より。
いきなり死ぬなよ自分で。忍者の掟とか言って。
別に拷問されたわけでもなんでもないのに。
だいたい悪の組織の名前がブラック団ってそれベタすぎないのか。
日本のどこであんなおおっぴらに機関銃持って警備してる
悪の組織の会社みたいな場所がありうるんだ。
細菌兵器を作るのに人をさらってきて研究させるなら医者じゃなくて
化学者だろう。医者と看護婦ばかりさらってきても細菌兵器は作れないっつうの。
あー面白かった。
また見なきゃ。
そういえば昨日はバレンタインデーだったな。
実は内心ドキドキしたものだ。学生の頃のバレンタインデー。
『あいつは俺に気があるはずだ』
とか思い込んでいてあてがはずれたり。
ハッキリ言ってしまえば、付き合っている相手からなんて
別にチョコを貰おうが貰うまいがどちらでも構わないのである。
気持ちの確認が済んでいるならば、大したイベントではない。
やはりバレンタインデーの醍醐味はいきなりの本気チョコであろう。
これは結構な事件である。
大概共学の学校には、限定スター的な役割を果す人間がいるものだ。
人気がある事を自他共に認めているような奴。
なおかつそれで当たり前として、別に鼻にかけるでもない、そんな奴。
男でも女でも。
そういうポジションの奴というのは一種の疑似芸能界的役割を果したり
する事になる。
つまり誰かを『好き』だったり『憧れて』いたりする事もない生活では
潤いがないし、そういう対象を求めるのだが、
『この人と付き合いたい』という部分は突き詰めるとそれ程切実でもない。
複数の人間のそういう想いを受け止めるシステムとして機能する事になるのだ。
そんな男の元へは儀式としてチョコも集まる。
ある意味それはあげる方も気楽な部分がある。
もう少し、いわばレベルの落ちたところでの本気チョコとなると
付き合うだったり振られるだったり、つう事に直結するので
貰うもあげるもドキドキなのだ。
それにしてもチョコレート。
ここ20年以上あってもまず食べたくなかったのに。
食っちまうぞいくらでも。あればあるだけ。
そういえば週刊スパという雑誌で鴻上尚史氏も書いていたのだが、
彼も禁煙してから昔は嫌でしょうがなかった筈のチョコを見ると
生ツバがでるようになってしまったそうだ。
あと、今週彼の書いていた『水準』及び『完成度』に関する話が
面白い。というか全くそうだよなあという感じである。
と言われてもなんの事だか解るまい。
立ち読みでもしてくれ。今週号の135ページである。ごめんなさい扶桑社。
演劇もライブも一緒だなあ、というお話であった。
明日ラジオの録りがあるもんで、その為の選曲をいろいろ考えていたら
すっかり朝になっちまったぞ。
放送される日だとか地域だとかはきっとインフォメーションのところに
書いてあるだろう。と思う。多分。
つい選曲しながらよけいなもん散々聴いてしまった。
だいたい部屋の片付けとかしても、すぐ昔の本読み始めたり、
アルバム開いてみたりしてなかなか片付かないタイプである。
あげくにあれもこれもやっぱり捨てられないなんて事になったり。
てきぱきしなさい。まったく。
しかしやはり久しぶりに聴いてみると面白いなあいろいろ。
ラジオを是非楽しみにしていておくれ。
そう言えば今日、例の工場用の加湿器を見にいった。
すごい代物だったぞ。
水煙が出る所はプシュ〜!っつってすんごいうるさいし、
おまけに加湿のためにコンプレッサーなるものが必要で、これがまた
エンジンかけたまま車のボンネットあけたみたいな音である。
まいった。
どうして通常の家庭用からいきなりアレになるんだ。
中間はないのか中間は。
でも面白かったなあ。
世の中にはいろんな会社があっていろんなモノが売られているのだ。
びっくりしたぞ。
まだドキドキしている。
今うたた寝から飛び起きたところだ。
夢の中で、石油ストーブから石油をこぼして、部屋中ものすごい早さで
火の海になったところだった。
まだ少し現実に帰りきっていないが、ともかくこの部屋には石油ストーブはない。
火がどんどん燃え移ってゆく様はまことに恐怖であるな。
夢の中でそのスピードに驚きながら、
『乾燥しているからなあ』
などと考えていたところが妙にリアルで可笑しい。
火災には気をつけよう。いやホント。
夢といえば、今だに覚えている恐い夢が人生でいくつかある。
ひとつが小学生の時。3、4年の頃だろうか。
これはやはりミイラものであった。
どっかの博物館のシーンはまだ覚えているぞ。
ミイラの顔自体は思い出せないが、そいつの笑い声が
「ごわごわごわ」といった感じでチョ〜コワかった。
目が覚めて、布団の中で震えが止まらなかったぞ。
関係ないけどすごい歌詞だな。チョーチョーチョーチョーいい感じ。
ジャンケンピョンもすごい。
それはともかく。
中学頃からなぜか、自分が殺人者であるという
シチュエイションの夢をたまに見ている。
だんだん警察に追い詰められてゆく事が多い。
バレる気配がない時でも、かなりいやなものである。
起きてしばらくは、自分が本当に殺人を犯していないかどうか何度も何度も
確認をする事になる。
ま、夢判断なんてものは信用しないし、フロイトもほとんど信用していない。
ユングは信用しているが。
ただこういった夢をみるに至るなんらかの必然が俺の潜在意識にあった事は確実だ。
あと、これは高校の頃の夢だと思うが、
夢の中で冤罪やらなにやら散々な目にあい続けて、ずっと逃亡生活を強いられていた。
その間、俺の事を支え続けてくれた友人がいた。精神的にも物質的にも。
そいつのおかげでなんとか逃げ延びていられたのだが、
ある日ふと疑惑が沸き上がりいろいろ考えてみると、どうも変なのである。
『もしこの友人が全部仕組んだ事だったとしたら?』
そう考えた途端に総ての謎が氷解した。
その俺に、
『どうしたの?』
と、微笑む友人のアップ。
ここで飛び起きた。
いい映画になるよあれ。
直接脳に刺激を与えて、本人が体感するロープレとか映画とか出来たら
あんな感じになるんだろう。
もしそんなモノ作った日にゃあ現実とゲームその他現実でないものとの
境目が分からなくなる人間が続出して、確実に禁止されるだろうな。
でも闇でどんどん出回って、結局規制しながら販売され、もっと過激なヤツは
非合法でっつう事になるであろう。
そりゃあ凄い事になるぞ。
どんな相手とのどんなセックスも思うがまま。
街でマシンガン乱射しようが、日本刀で斬り付けようがOK。
あるいはいきなり大社長にでも大統領にでもなってみる事が出来る。
失敗したら単にそのゲーム終了。
現実の世界には誰もわざわざ帰ってこないだろう。
最終的には絶対可能になるだろう。
そして人類はそれを欲するだろう。
俺はそれを体験出来るかどうか分からないが。
死ぬまでにやはり一度は体験してみたいなそれ。
そんなもんが出来たら確実にそこから人類は衰退するけれど。
そういえば『マトリックス』はそんな映画だったな。
これは実現してしまうだろうなあ。
意外にそれ程遠い話ではないかもしれない。
なんせ人類の進化なんて必ずある方向にしか進まない事になっている。
それは『楽』に、『本能が満たされる』方向だ。
やばいぞ人類。さあどうする。
ここんところギターのインスト曲ばかり作っている。
どうする気だこんなのばっかり。
いい感じなんだけどさ。どれも。うーん。
そういえばもともとインスト曲も好きだ。映画音楽とか。
フュージョン系はあかん。
今でいえば環境音楽なものも昔から自分だけの楽しみとして作っていた。
やはり特にオーケストラっつうもんは良いなあ。
俺は正式な音楽教育なんてなにも受けていないので残念ながら
オーケストラアレンジは『ちゃんと』は出来ない。
ていうか俺は譜面のまったく書けない読めない男であった。プロになってからも。
だがいろいろとやはり不便なので譜面を書けるようになろうと思った。
で、どうしたかというと、誰かのアルバムを譜面におこすバイトを取ってきた。
曲を聴いて、それを譜面にする事を『おこす』という。字は解らん。
よくあるでしょ。俺のもSHIPSっつうアルバムの頃に出したな。バンドスコア。
その頃一応作曲とか、すでにプロとして音楽の仕事をしていたから、
「大丈夫です。譜面バリバリです。」
とかいえば信用してくれた。そりゃそうだ。
で、さあ書かなきゃ、というところへ自分を持って行ってから、人に一から
習ったのだ。音符の書き方から。あははは。我ながらすごい奴。
確か二十歳の頃だ。
音の聞き取りは全く大丈夫だったが、譜面の書き方が初歩的なところで
ミョーな箇所が散々あったらしい。すんませんでした。今更。
まあそんな事もありつつ、譜面も一応無事書けるようになり、
VOICES,NEW MORNINGあたりから弦のアレンジは自分でするようになった。
今聴いても『The Days』なんかは結構良いアレンジだと思う。
譜面さえ書けるようになればアレンジ自体は出来たのだ。
天才だから。ははは。
まあ実はかなり無茶苦茶なアレンジばかりしていたのだよ。最初は。
アレンジは経験をつむ事が大事だからね。
屍を乗り越えて、良いアレンジが生まれるのだ。かなり乗り越えているぞ。シカバネ。
しかし打ち込みをするようになって、また譜面を書かなくなってしまった。
弦の音がサンプル音源でも随分それらしく、場合によっては
本物使うよりいいんじゃないかってな御時世になったもんで。
まあ打ち込みが出来れば別に譜面なんて書けなくてもアレンジが出来る
ようになったのはいい事だと思うよ。
センスがあればOKなんだから。
自宅で屍積み上げられるしなあ。
円形脱毛症にだけは気をつけたほうがいいぞ。
見たぞ『恐怖のミイラ』。
案外丁寧に作られているドラマだった。
もっとしょーもないかと思ったが。
これは幼児は恐かろう。
なかなか感慨深いものがあった。
教えてくれてありがとう。
今年になってから酒は解禁した。
とはいってもいつもほとんど一杯飲むか飲まないかであるが。
ただ2回だけちゃんと飲んだ。
昨日が2度目であった。
やはりストレス発散にはいいものだ。酒というヤツは。
昨日、鏡を見るとどうもツラい顔になっていた。
ここでも書いたように、こもりっきりでいた間にストレスを
溜め込んでいたようだ。
10年程前に打ち込みを覚えて、多重録音用の器材を一通り部屋に揃えた。
その時に、全部一人で音楽が作れる事が楽しくて楽しくて、夢中になって
何週間かこもりっぱなしになっていたのだ。
ある日ハタと気付くと、後頭部に直径5センチばかりのツルっと毛の生えていない
部分が出来ていた。
いわゆる円形脱毛症である。
恐かったぞ。あれは。
自分では楽しいという気持ちしか認識していなくても、知らず知らず
ストレスをためているという事はあるのだ。
どうも俺の場合特に『内郎くん』のダメージには鈍感なきらいがある。
もう少し気をつけてやれよ外郎。
という訳で、今日は体調は悪いのだが、頭はスッキリしている。
思えばスッキリしていなかったな昨日は。
ストレスのたまった頭では思考がどんどんネガティブな方向へ行ってしまう。
物事なんでも詰めるだけきっちり詰める事も大事だが、
なんとかなるさと思える事はもっと大事な時もある。
そう思えなくなるような思考回路の硬直をほぐすには
やはりアルコールは極めて有効だ。
ただし二日酔いはツラい。
ま、やっぱり大事なのはバランスっつう事である。
なんと!
やっているのか『恐怖のミイラ』。
これは見なくては。
世の中でそれなりに話題になったりしていたとは知らなかった。
確かに沢山の人間のトラウマになっている筈だからなあ。
ここんところほとんど一日中家にこもっている事が多い。
外界との接点がチャットだったりするし。あとここか。
オタクのひきこもりである。見事に。
こんな十代の男の子がいたらかなり問題だ。
曲作ってるから別に大丈夫だよ。俺の場合。
それにしても独りでさえいればゴキゲンな男である。
ただし人間は社会的な生き物であって、本当に社会と関わらないで正常な感覚を
キープする事は無理だ。断言するが。
なるべくいろいろな角度から直接他人のデータを仕入れる事で、初めて
自分の優れている所、劣っている所、あるいは人の見習うべきポイントであるとか
自分のウリにできるポイントとかが見えるものだ。
音楽に限らず、モノを創る事は独りの作業が多い。
だからオタクになれる事は大事だ。
デモテープなどでもよく思うのは掘り下げの甘さである。
いわばどれだけ深く呼吸を止めて潜り続けられるか。
それが海底にへばりついている貝みたいな、曲のおいしいポイントを
採ってこられるかどうかだったりする。
だがもう一つデモテープを聞いてよく思うのは『ひとりよがり』も多いという事だ。
オタクになり過ぎると普通の、より多くの人の感じ方から遊離しがちだ。
あくまで『直接』人と触れる機会が大事なのである。
俺は十代の頃、やはり精神が病んだ時に半年程人と口をきかなかった事がある。
ほぼ1年は、外界とは最低限の会話だけになっていた。
どんどん病んで行くのだよそりゃ。人と喋らなくなると。
俺は音楽や、その頃は絵描いたりってのがあって帰ってこれたけど。かろうじて。
普通もうあそこからは帰ってこれない。
いろいろと幸運な男だったといえよう。
そんな時代があるからこそ、人と直接ふれあう事の重要さは絶対に忘れない。
ただし、楽で楽しいのは今でも一人の時間だ。
飯も一人で食うのが一番好きだし。
バランスだけは大事にしないとイカンなあ。
今日はマックである。
慣れてるなあやはり。頭は悪いが。
いろいろ書いたんだが、なんだか嫌になって消してしまった。
どうも頭がほどけている。
それにしてもKSD。
最近なるべく固めのテーマは避けたい気もしてはいるんだが。
あんまりでないかい。あいつら。
あと裁判官の妻のストーカーってやつ。
検事が裁判官に『あんたんとこのカミさんヤバい事なっとるでえ』
なんて漏らしたもんだから、証拠も隠滅してるし、なるべく不起訴に持って行こう
とかしてたみたいだな。
しかもこっそり個人でではなく、地裁ぐるみって事だったらしいでないの。
しかもしかも漏らした奴!のうのうとそのままいるみたいだな。
自分で自分を起訴してみろ。こうなったら。
警察と司法の良心やら正義やら無くなった日にゃあ。
救いの求めようがないぞ。はあ。
あんまり固い事言いたかないんだよ。
社会派シンガーなんてものからはほど遠い俺としては。
たださあ、あまりにも『おいおい』つって
ツッコミ入れたくなる話が多すぎるっつうの。
はあ。またいろいろ書いては消してしまった。
今日はやめ。
日々流動的な俺の気分の揺れを感じられるのもまたこのダイアリーの良さでないかい。
自分で言うけど。
初めてVAIOで書いている。
別に旅には出ていないが。
いろいろ慣れなくてイライラするぞ。
しかし少し使っただけでもどうやらwindowsの勝ちくさい。
まずマックのことえりはアカンなあ。ぜーんぜんこっちの方が日本語解っとる。
マックでも実はいろいろソフトはあるのかもしれないけれど。
とりあえず俺のマックは今までことえりオンリー。
かなり頭の悪い変換をしてくれる。
もしかすると俺は今単に無知でこんな事言っているのかもしれない。
マックもwindowsも詳しい人間、どうなんだホントのところ。教えてくれ。
今日人と話をしていてふと思ったんだが、呪いのビデオテープは怖くても
呪いのDVDになると今いち怖くない気がする。
画像も鮮明なままでいいと思うんだが。貞子。
フランソワーズ・モレシャンはどうして日本語の発音が変なままなんだ。
ずーっと日本にいるのに。
しょうもない事言ってないで寝ろ。俺。鬼は外。腹話打ち。
それにしても。
こんなに広い空を飛んでいてわざわざ
10メートルのニアミスとは。
管制ミスが原因らしいが、記事を見ていると
「似たような数字ばかり扱っているので間違いはままある」
と関係者が語っている。
そりゃそうだ。
そう思うよ。
ただ、だからって事故りそうになる事なんて普通ないんだろうな。空で。
離着陸はともかく。
この前、俺も原発の話で書いた。
『人間はトチる生き物である』
いやほんと。そう思うぞ。
結構みんないい加減なのだ。
俺の周りには医者の友人が多い。
皆一様に言っているのが、
『実はしょっちゅう間違えてるし、解らない事ばかりだ』
という事。
だが解りませんとは言えないのだ。彼らの立場は。
せめて誠意をもって仕事をしているようだが、それでも間違いがあるのは仕方がない。
だから物事にはハンドルの遊びの部分が必要なのである。
これがまたもうひとつ難しいのが、
『人間は調子に乗る生き物でもある』
という事だ。
なあんだ大丈夫じゃん、と思うとどんどん油断の幅が広くなってゆく。
気がつくと放射性物質をバケツで扱ったり、
機密費とかいう名目で何億も使い込みまくっていたりする。
そこまでいくと「そんな馬鹿な」と誰でも思うわな。
だから問題も表面化するんだが。
逆に言うとそこまでいってないから表面化してない事ばかりなのである。どうせ。
だから。だからさあ。
トチったら致命的な事はやめとこうよ。ホントに。
買いかぶっちゃいけないって。人間を。
しかしなあ。ダイアリー書かないとメッセージ誰も何も書込みしないのか。寂しいぞ。
オイオイ。(苦笑)っつう感じである。
ホントに終わっちまう気だな。1月。寂しいぜ。
そろそろ毎日は書いていられなくなりそうだ。このダイアリー。
詞を書かんとイカン。
最近はっきり言って、詞よりこうやって文章書いてるほうがゼンゼン楽しいぞ。
きっと本出したりもするであろう。近々。
だが。俺の今最もなすべき事はやはり音楽を創る事だ。
アルバムを創る事だ。
多分そう思うよな。みんなも。そうでもないか。どうなんだ?
歌の方もメドは立ってきた。
なんとかお聞かせできるウタが歌えそうだぜ。もうすぐ。
リハビリは飽きたぞ。はっきり言って。
やめるわけにいかねえけど。ふう。やるよやるよやりますよ。
しっかり歌えるようになりたいからな。
そんな訳で、一応言っておくから。
そろそろこんなに毎日は書かないぞ。多分。
MAYBE.PERHAPS.PROBABLY.おそらく。きっと。
地域と時代によって恐怖というものの象徴は様々なんだろう。
俺の場合、幼少期の恐怖の象徴は二つある。
一つがミイラ。
俺が幼稚園位の頃に、『恐怖のミイラ』という番組があったのだ。
コレが怖くて怖くて。
それこそ指の隙間から見ていた。
それ以来、包帯というもの自体がかなりダメである。
特に顔にまかれた包帯。
これはつらい。
だから透明人間などもやはりダメだった。
しかし『恐怖のミイラ』、その後一度たりとも再放送やビデオで見た事はない。
すっげえ下らないんだろうなあ。今見ると。
もう一つがへび女である。楳図かずおの。
これはたまりません。
実はつい最近、単行本を買ったのだ。『へび少女』というやつ。
これよこれ。
それまでの楳図かずおの復刻シリーズでは、これに入っている『ママがこわい』
がなかったのだよ。
へび女はどうやら楳図さんかあるいは当時の読者の
お気に入りキャラだったようで、いくつかのパターンがあるのだ。
俺なぜか全部読んでいるんだが、やはり今見ても『ママがこわい』は秀逸である。
つうか、こわいよ〜。やっぱ。一人でトイレ行けなくなるぞ。42だが。
このへび女の、口が耳まで裂けた顔がなんといっても俺にとって長い事
『恐怖』というものの象徴であり続けた。
例えば田舎の家で、一人で夜中にトイレに行く時。
一人で道に迷って、周りが暗くなった時。
そこの闇からへび女が、例の顔で出てくるんじゃないかというのが
常に具体化された恐怖の形だった。
当時、週刊少女フレンドの一番最後に必ず楳図かずおが連載していた。
週刊マーガレットの方の一番最後は古賀新一である。メインキャラは蜘蛛。
どっちの雑誌が先に恐怖漫画の連載を始めたのかは知らないが、
恐怖度は常に楳図かずおの勝ちだったなあ。
つうか古賀新一は本質的にはホノボノ漫画な人だと思う。
当時の楳図かずおと恐怖度で勝負出来る作品なんて、
世界的にみてもあんまりない気がするんだが。
ホントに怖かったぞ『半魚人』も『肉面』も。どれもこれも。
俺にとっては映画館で観た『羊達の沈黙』は、久々にかなりイヤだったかな。
あれは生理的にツラ〜くなるべく、素晴らしくイヤな音楽が使われていた。
観に行かなきゃ『ハンニバル』。
まあ基本的にエロも恐怖も日本は本来一番メが細かいからなあ。
メが細かい事勝負は日本は世界一強い。
その分スケールの大きさ勝負になると勝てないが。
多くの日本人にとっては『スケールの大きい』エロも
『スケールの大きい』恐怖も、あまりピンとこないんじゃないだろうか。
俺はあまり『貞子』も怖いとは思わなかった。
ぜひもっとメの細かい恐怖で、どなたか世界に勝負を挑んでいただきたい。
俺はコワイの嫌いなんだけど。
正直な話、ここ数年でついてしまったビミョーな投げやり癖。
コレは俺の人生の中でも最大の癌だ。
いろいろと、人間生きていると虚しくなったりする事があるのは仕方が無い。
鬱だの自律神経失調だのは今後もどうせ俺とは縁の切れない連中である。
どれだけ早く立ち直れるのか。問題はそこである。
今回の数年。長かったなあ。
長くかかった理由も分っている。
ごまかしたからだ。自分を。
偽ろうとしたからだ。酒飲んだりしながら。
『ガンバったり』しちゃったからだ。無駄に。
投げやりは非常に大きい罪である。
大事にしていない瞬間があると、必ず自分にも周りにも傷をつける事になる。
その時は気がつかなくても。
傷んだ部分は時間をかけてきちんと直していくしかない。
このダイアリーは、俺の精神リハビリの記録でもある。
ついこないだ正月だったんだがなあ。
もうすぐ一月が終わっちまいそうだ。
がんばれ一月。ここでもうひと踏ん張りしてもらえないか。
しかし、ついこないだな気がする話が大人になると
どんどん増えてくるのはどうしたわけか。
実際自分が子供の頃、なぜ親戚やら親の知人やら会う度に必ず
『あら〜、てっちゃん大きくなったねえ』
ばかり言うのか不思議であった。
今はよく解るぞ。
つうかそう思う。知人の子供に会う度。
『大きくなったねえ××ちゃん』
などと確かに言っている。気がつくと。
2〜3年に一度会うなんてのは子供にしてみればたまに会うオジサンだ。
こっちにしてみれば今や2〜3年なんてついこの前である。
音楽の話をしていても、同世代の人間同士で話していると大体
デュランデュラン以降は最近である。20年前だっつうの。おいおい。
それに比べてビートルズ解散からパンク登場まで、
ほんの6〜7年の間の話なのだ。
俺にしてみるとかたや小学校、かたや高校での出来事なので
それぞれ完全に別の時代といった感がある。
まあロックの場合は客観的に見ても、流行の変化のスピードが当時と最近では
全く異なっているのも確かだが。
時間の流れは確実に、個人個人の内側でスピードは異なっている。
スピード自体は同じだというならば濃度の差か。
せめて少しでも濃度の濃い時間を過ごし続けたいと思うのだが
こればっかりは幼少期よりも濃く、というのは絶対に無理である。
感動やら驚きやらといった、深く刻まれる瞬間の量が余りにも違い過ぎる。
『初めての事』これは減っていくのは当然だから。
『初めて車を買った事』これに比べたら『初めてフェラーリを』買おうが
『初めてロールスロイスを』買おうが、あるいは『初めて戦車を』買おうが、
やはり『初めて度数』が違う。楽しそうだけど。戦車。
ゼロから1になる時だけが『無から有へ』変わる瞬間なのである。
そこから先は1から2だろうが3から五千億だろうが、『ある』事に変わりはない。
次の『初めて度数』の上がる瞬間といえば『有から無へ』、
総てが変わる瞬間だけだろう。
かくしてエントロピーは増大し続け、カタストロフィーが訪れる。
建設と破壊、生と死がミクロからマクロまで諸々の周期で
繰り返されていく事になるのである。べんべん。諸行無常の響き有り。
かなり雪ですっころんだ怪我人が出ているようだ。全国的に。
俺も札幌で一度盛大に転んだ事がある。
明日も気をつけるべし。
ところで。
いろんな家族がいるものである。
昨日、とある店に行く機会があった。
いわゆるスナックである。カラオケがあって、軽くつまみ類、食事類あって。
このお店は三代で、つまりお婆ちゃん、父母、そして娘でやっている。
このお婆ちゃん、80歳なんだが、家族の中で一番しっかりしているのだ。
耳も遠くない。足腰しっかりしまくり。いや素晴らしい。
お母ちゃんと娘はかなり酔っぱらいになっていたが、お婆ちゃんは
飲んでいてもまったくシャッキリしたもんである。
でもってよく喋る女性三代と、寡黙な父。
なんかいい感じである。
まことに楽し気な家庭であった。
それにしても。
80歳にしてあれ程矍鑠としていられるものならば随分と人生長いものである。
ところで誰かこれを↑↑、読めただろうか。ひとりでも。
俺は尊敬するぞ読めたやつ。ちなみに正解は<カクシャク>である。
初めて見たぞ。こんな漢字。
そういえばその店の客でデュエットしているカップルがいて、
新入社員と古株のOLかなんかと思ったら、これがなんと
ふけて見える中学生の息子と、若く見えるお母さんだった。
親子でデュエット。普通しねえぞ中学生にもなると。照れ臭くて。
二人ルンルンに歌いまくっていたなあ。
仲よき事は美しき事哉。by実篤。横には茄子。
つうわけでいろんな家族がいるものなのである。
カーテンのおかげでこの部屋も寒くはなくなった。
しかしこの乾燥具合はなんとかならんもんか。
加湿器2台常時稼働中。
一日に何度か、シャワーをしばらく出しっぱなしにしたりもする。
それでもすぐ乾燥してしまうのだ。
エアコンのせいなのは解っている。
つけっぱなしだからな。
だって寒いんだもん。消すと。
これ以上普通の加湿器を何台も増やすのもどうかと思う。
ベッドのまわりはすでに加湿器2台、オイルヒーター2台、
イオン式空気清浄器2台、ラジカセ2台、etc。
ぐッじゃぐじゃである
なもんで、でかい加湿器はないもんかと思い、探してみた。
あったよ。いろいろ。業務用のやつ。
キノコ栽培用とか。
そこらへんになるとルックス的にかなりすごい。
取り繕いようのないおしゃれ感のなさである。
やはり普通の家にあってしかるべき雰囲気ではない。
工場、だな。やはり。
そんなもんがバーンとある家。
うーん。確かにすでにいろいろこんな筈ではなかった部分はある。この部屋は。
だがそこまでいくとあまりにもなあ。
現在思案中である。
それにしても最近のコンビニで売っているデザート類うま過ぎるぞ。
チョコマカロックっつうのを今初めて食ってみているんだが、
いけてるなこれも。
最近一番のお気に入りは鉄人石鍋シェフシリーズ、特にラムレーズンのやつ。
そしてそれとアイスの『彩』、あれのバニラブリュレを一緒に食べる。
これだけでも素晴らしいんだが、俺はあとアーモンドをこれに加える。
マジでうまいっすよ。
このセットが、高級なフレンチレストランでデザートとして出てきたとしても、
「やっぱりこういうお店のデザートはおいしいね」なんて言うであろう。
お試しあれ。
こんな事言っている俺はやはり太ってきているぞ最近。
いかんいかん。
だいたいここんところスタジオで一緒に仕事をしていたあと二人の男がまた
甘いもん好きで、ほとんどスタジオ内での三人の会話はまるで
女子高の部室状態であった。
「今度発売になったどこどこのメーカーのあのチョコがうまい」とか。
それにしても世の中にはさんざん『これで楽にヤセれる!』といった広告を
見かけるが、俺の知る限り結局のところ食う量を減して、運動する以外の方法で
痩せる事に成功した人間はいない。
なのにあのテの商品はあとを絶たない。
身近にもいるぞ。さんざんその類いを買い込むやつ。
買っただけでまず第一段階クリアした気になるようだ。
買っただけでは何一つまだ本人変わってないんだが。本当は。
であるから、俺も食う量を減して、運動をしなければイカンのだよ。
でもなあ。好きなんだよなあ。アイス。チョコも。和菓子系も好きだ。あああ。
だめだこりゃ。
むずかしいものである。とかくこの世は。
なんの話だと言われても困るんだが。
問題が起きるのはシンドい事だ。
問題が起きないようにする一番の手段は一切動かない事だ。
物事常に義務と権利はうらはらである。
あるいは責任と名声報酬自己実現の満足感その他も。
常に何かを得ようとして動けばそこには責任が生じる。
俺は『矜持』を最も大事にしたいと思っている。
そして最も注意しているのは『愚痴を言わない』事だ。
愚痴を言うというのは自分の状況に満足していない部分を
誰かあるいは何かのせいだから自分のせいではないという事にして楽になる手口だ。
基本的に自分の置かれた状況は自分で選択している。選択しうる部分に関しては。
どうしようもない事もある。これは逆にどうしようもないんだから
言うだけムダである。
とすると、出来る事に関しては出来るだけの事をする。
何も出来ない事に関しては何も出来ないのだから言ってもしょうがないので言わない。
これしかないではないか。愚痴なんて本来言う余地はない。
さて選択という事。これは間違えたりするものだ。どうしたって。
自分の間違えた部分の選択に対しては自分がまた責任をとるしかない。
だから別れた女の悪口言う男はキライだ。
お前がそいつを選んだんだろう、と思う。
少なくともその時何かが良くて。
そしてかつての社会党のような体質が最もキライだ。はっきり言うけど。
批判する事、評論する事は楽である。
代案の呈示が出来ない人間は当事者になるべきではない。
政治の世界でいえばそれは政治家でなく政治評論家、あるいはただの人気商売だろう。
音楽評論家にもそれでかつて腹を立てた事がある。
つうか本気で泣いた事がある。なんでそこまで言われにゃならんのんだって。
お前作ってみろよってね。
その点は今はもうオトナっすよ。
人が解ってくれる事なんて前提にしてはいないから。
よかったらどうぞ、ってだけで。
こんな事を書くのも愚痴を言いそうになる自分がいるから、
おっといけねえいけねえっつう感じで自分に言い聞かせているだけだなあ。
そんなものを読ませていいのか皆様方に。
う〜ん。どうなんでしょう。
今日は内郎君及び外郎君の折り合いをつけるために書かれた純粋な日記だな。
エンターテイメントにはなっとらんのお。
こんな日があるのもまたよしとしてくれ。すまんすまん。
ふう。まいった。
昨日の続きを書いていたんだがまとまらなくなってしまった。
いったん中止。
だいたい深夜2時に友人が訪ねてきやがって。
朝7時までよもやま話に花咲きまくりやがって。
ノロケまじりに。
ま、しかしおめでたい話ではある。40歳初婚。テンションも上がろうってもんだ。
がんばれ。
今日、とあるアフリカンなレストランで食事をした。
そこで打ち込みのオケと歌だけの簡単なライブをやっていたんだが、
これがまあとんでもなく良かった。
二人組の多分兄弟の黒人の男達なのだが、歌上手いなんてもんじゃない。
彼らが日本人ならば確実に日本一のR&Bボーカルグループと
言われるであろう。
エンターテイナーとしても、ほんの十人程の客を相手にちょっとした
call&responseやら臨機応変の替え歌やら、なんともはや素晴らしい。
そして、ちょこっと出てきた彼らの母親のステップ。
これがやはり一番違いを感じさせられるところだ。
日本人の六十歳位(だと思う)の女性で、あんな腰つきで踊る人は一人もいない。断言するけど。
9日のダイアリーで日本の文化という事について触れたが、今日は
それについてもう少し考察してみよう。
日本人の例えばポップスのシンガーなどに対して誉め言葉としての
ニュアンスで使われる言葉として
「日本人離れしている」
というものがある。
ポップスだけでないな。
およそよほど日本古来の、他の国にはないもの以外にならこれって
誉め言葉として使っているだろう。
顔に対してすら。
そんなにダメか日本人。
とりあえず話をまずポップスに限定しようか。
例えば米国の黒人音楽は素晴らしいところがたくさんある。
あれを手本であると考えたらそりゃ
「まるで黒人みたいだ」
というのは誉め言葉なんだろう。
だけどさあ。
いくら黒人みたいでも、世界中に黒人は何億人もいる。
その中で黒人らしさで勝てるなんてどうして思えるんだろう。思ってないのか別に。
日本で最近の歌ウタう若い子達がみんな器用にやる
黒人独特のフェイクの歌い回しなんて、やっぱり今日の彼は
日本一上手いぞ。もし日本人だったとしたら。
彼が世界黒人シンガー中第何位だか知らんが。
くれぐれも俺は上手い事がそんなに大事な事だとは思っていないぞ。歌として。
ただ「誰かみたいに上手い」事をウリにしている人に対してツッコミ入れたくなるだけで。
例えばクラシックの世界でもきっとヨーロッパに留学して、
「oh,日本人とはオーモエーマセーン」
とかあっちで言われると単純に喜ぶ奴とかいるんだろう。
さて、今こうして書いている事は決して自分を安全なところに置いて
人を非難しようとしているわけではない。
というか俺が最も書きたい事はこういう事だ。
俺自身日本の教育の中で、特に音楽なんて西洋の価値観だけを叩き込まれてきたのだ。
音階からリズムからすべて。
そしてそうやって育った俺にとっての「質の高い音楽」といえば
クラシックからロックに至るまで、やはり欧米の音楽ばかりになるのは必然だっただろう。
そりゃそうだ。あっちの価値観なんだから。音楽教育の基本が。
幸か不幸か俺は十代の時に海外でいろいろな人種の中で生活をする機会があった。
ホンの数年であってもいろいろ肌で感じた事はある。
例えば何人であろうとも通常自国の文化にはもっと素直に誇りを持っている事。
宗教心のない人間は最も警戒される事。
これについては話題がずれるのでいつかまた改めて触れたいと思うが。
世界中どこへ行こうが、俺という人間のよってたつアイデンティティーといえば
「日本人である事」
まずはここなのである。
その俺が今現在、音楽家として飯を食っている。
その俺の音楽が生まれるのは当然まず俺という人間の持っている感覚からである。
その「俺」は「日本人である俺」なので、その俺の感覚は「日本人である俺の感覚」である。
当然だな。
だがそれは「日本の古来の音楽がやはりしっくりくる」とか、ましてや
「日本の伝統音楽こそがやはり最高だ」などというものではない。
日本の伝統的な音楽は下手をするとエスニックなものにすら聞こえる。
本当はいろいろ引き継いでいるんだよ当然。目に見えない要素はいっぱい。
だが欧米のように祖父から、そのまた祖父から引き継いだ、誇りを素直に持てる
文化というものは、俺も含めた大半の日本人にとってなかなかすぐは思いつかない。
例えば米国で、十代も六十代も一緒に楽しく歌える歌は白人は白人で、黒人は黒人で
確実に沢山ある。というか実はあまり基本は変わっていないのだ。彼ら。
それは英国でも仏蘭西でも同じ事だ。
日本ではどうか。あの紅白歌合戦の惨状を見ればわかる。
まいったな。止まらないぞ。
もうすでに長すぎてみんなウンザリしているであろう。
この話題だけでも本が一冊書けると思われる。
とりあえず本日ここまで。
雪が降っているぞ。結構盛大に。
タクシーで買い物にでたんだが、帰りはすっかり雪になって
空車なんて通りゃしない。
だもんでバスに乗った。
俺はいつでも自分の車かタクシーである。
考えてみたらバスに乗った事はここ十数年記憶にない。
雪の日のバスってのもなんだかいい感じだぞ。
曇った窓ガラスに指でス・キなんて書いたり。書かねえよ。誰も。
どうもご存じ観察家の俺としてはバスとか電車とかに乗ると
すかさず周りのお客さん達が気になって仕方がなくなる。
今日も後ろに乗っていた,多分高校生の女の子二人組が
「ソックリだったよねルナシーの真矢に。」
「ほんとほんと。すっっごく似てた!」
「ゼンブそのままってカンジよね〜」
なんて会話をしていたもんだから
見てみたくなったじゃないか。真矢にソックリな男。
ちなみに別に耳をそばだてて盗み聞きしていた訳ではない。
勝手に大声で喋っていたんだからな。
ところで。またまたウチのマック君動かなくなっちまった。
これはまたスタジオのマックで書いている。
どうなんだマック。いけてんのかお前は。
みんな言うぞ
「マックだからねえ。」
「ああマックじゃしようがないですね。」
この十年パソコンといえばマック、ネットといえばネスケな俺は変人なのかすでに。
ふっふっふ。しかしついに買ってしまったぞ。
マック以外を。
その名はVAIO。
可愛い奴め。
扱いはなにしろマック一筋の俺としてはいろいろ慣れるまでメンドいが。
いよいよこれで旅に出る準備OKである。
いつぞやのダイアリーで書いたラーメン屋について、
情報を送ってくれた人がいた。どうもありがとう。
で、さっそく行ってみた。
うーむ。なぜか少々味が変わってしまっていたのは残念だ。
でも餃子はウマかったよ。
それにしても餃子。
日本人は本当に好きだよな焼き餃子。
俺も好きだぞ。いや愛しているといってもいい。
小学生の時56個食って次の日腹をこわした。
まあその後も十代の間はいつでも30個は食ったな。
それとラーメンとかチャーハンとか。
俺すんごい大食いだったんだよ。
今でも普通の人よりは食うが。
どうしてあんなに腹減ったんだろう。食っても食っても。
朝からどんぶり三バイ食ってたぞ。しかも3時間め終わると我慢できなくて
弁当食ってたぞ。昼休みにはまた昼飯食ったぞ。
でもって6時間め終わるとまたソバ食ってたぞ。
それでも夜7時には腹ペコで晩飯食いまくったぞ。
9時になるとカップラーメン。
そんでやっぱり寝る前に腹減るもんだから夜中の1時2時にまた夜食。
これは全然話を大袈裟にはしていない。
高知の学校で寮に入っていた頃、俺も確かに大食いではあったが、
兄弟二人でタライいっぱいのソーメンをたいらげた猛者とかもいたので
けして異常だとは思っていなかった。
しかし。しかしだ。どうしても納得いかないのは
その頃俺は便秘だったのである。
三日四日は当たり前。
だが一日分だけでも、とった食事を単純にすべてビニール袋にでも詰めたら
とんでもない量だった筈だぞ。
一体どこへ消えてしまったというのだ。
わからん。
筒井康隆の小説でもなんかそんなのがあったんだが、
体内のどこかでネジレが生じて異次元空間につながっていたとしか思えん。
今より痩せてたし。
謎である。本当に。尾籠な話だが。これはビロウと読む。
こんな話ではなく、餃子の話をしようと思っていたのに。
また今度にしよう。
お薦めの餃子の店とか知っていたら是非教えていただきたいぞ。
昨日The Kaleidoscope,カレイドスコープというバンドの
『愛すべきひとよ』というシングルが発売された。
ストナっつう風邪薬だったっけか。藤原紀香出演のCM。
あれで流れている曲である。
逃げも隠れもしない真正面から勝負のバラードだ。
ぜひ聴いて欲しい。
そして今日は次のシングルになるであろう曲のレコーディングをしていた。
これもまた良い曲なのである。
最近味の薄い、ツーツーしたボーカルが多くて、とお嘆きのアナタ。
これは良いぜカレイドスコープ。
デビューはもう2年以上前になるが、
どうもこのバンドの歌&ギター&作詞作曲担当の石田という男が
自分の良さを出し切れずにいた。
特にライブでは肩に力入りまくりで、俺の知っている人間でいうと
20代の頃の織田哲郎を彷佛とさせるダメ加減であった。
だが彼等が去年の春頃から路上でライブを始めて、
みるみるうちに客を引き付けるライブをやるようになっていったのである。
もともと実力のある連中なのだ。
特に石田の歌は、最近の若いシンガーの中でもズバ抜けて説得力がある。
肩の力さえ抜ければ。
路上で、誰もいないところから歌い出して、
初めて本当に知ったであろう『伝える』という喜び。
そしてそんな彼等を見つけてくれたファンの人々。
すごい財産だぞこれって。
俺もやってみようかな。路上。
でもなんだか若者だからいいような気もする。
下手をすると浮浪者あつかいされてしまいそうだ。俺の場合。
普段の格好そのままじゃ危ない。
<行きましょうどこへでもツアーPART2>やりてえな。
フラフラと。
実はここ一週間位、ノドの状態の変化が色々とあった。
一週間ほど前、例の事件以来初めて『いつまでも変わらぬ愛を』が歌えた。
あの曲はなにしろレンジが広いので練習曲というか
状態チェック曲としてなかなか良い。
いろいろと問題はまだあれども、一応歌えたのが嬉しくて嬉しくて。
なんというか、自分で可笑しいくらい嬉しくなっている俺だった。
そしてそこから二日ほど、全く発声練習が出来なかった。
そうするとなんとまあこれがまた全然声が出ない。
その時の落胆ぶりときたら、いやあホント俺素直じゃん。
こんなにきちんと一喜一憂している俺というのもめずらしい。
歌いたいんだねえ。
と他人事のようであるが、何度も書くように俺は何しろひたすら
『観察する』生物なのである。
自分の感情も常に観察の対象だ。
通常の感情にゆれる『内郎くん』と、それを常に冷静に観察する『外郎くん』。
二人合わせて『哲郎くん』なのだが、だいたいいつも哲郎くんは外郎くんと
一緒になって内郎くんをいじめたりする。棒でつついてみたり。
そうしている間に、気がつくと内郎くんが壊れていたりする事があるのだ。
外郎くんは「なあにどうせフリしてんだよ」なんて言っているのだが、
いかんせん内郎くんが壊れてしまえば哲郎くんも壊れてしまっているのである。
ま、そんな男なので哲郎くんがすぐ素直に内郎くんと
同意見である事を認めるのはめずらしいのだ。
わっかるかな。まったく話をこねくり回すヤツ。
でもってそれからまた数日。戻ってきたぞまた。いい感じに。声が。
前と同じではない。それは多分もう同じにはならない。
だがある程度の音域できちんとコントロールさえできれば
シンガーとしての質は少し変わるだけで、落ちる事はない。
実感としてそう思える所まできた。
とりあえずみんな一緒に喜んでくれ。
もう少し待っていてくれよ。
寒い。やっぱり寒いぞこの部屋。
明後日にはカーテンがつく。
いままでブラインドだけだったんだが、
窓閉めていても冷気が漂ってくるんだわこれが。
でもって多分同じ頃にオイルヒーターも到着する。
果してそれで暖かくなるのか。
それでもダメなら無理矢理エアコン型のやつをまた取り付けるしかない。
オオゴトになるなあ。ふう。
ここんところ日本中寒いみたいだね。
日本海側では久々の大雪みたいだし。
住んでいる人々にはただの迷惑なんだろうけれど、
俺としては雪景色を見に行ってみたくなった。
どうでもいいけどサッポロビールの山崎&豊川コンビのCMはいかしてるなあ。
今度の雪合戦ヴァージョンがまた素晴らしい。
この調子でテンションを上げ続けていただきたい。
音楽でもCMでもドラマでも、とにかくチームとして一丸となって
図に乗っていく様というのは良いものである。
それにしてもカール・パーマーには騙されたなあ。
とまたプログレネタが続いているが。
中学生の俺にはなんだかすごく上手い、バカテクの人っつう印象だったんだが。
今聴くとはっきり言って、かなり『ヘタ』である。
俺だけではない。
当時みんな、なんだか彼の事上手いドラマー扱いしていたぞ。
いや、くれぐれも上手いから良い、下手だからダメと言っているわけではない。
俺はだいたいヘタウマ系のミュージシャンが好きだし。
面白いものである。
ビル・ブラッドフォードにしろ、フィル・コリンズにしろ、はっきり言って
カール・パーマーと一緒にされたらかなわんなあっつう位、桁違いに上手い。
なのに何故?
これは俺だけの印象でなく、当時の音楽雑誌等でカール・パーマー
が一番のテクニシャン扱いされていたんだって絶対。
まあそれが勢いというものなんだろう。
もし「俺、彼のドラム下手だと思う」なんて当時発言しても
ただのあまのじゃくとして無視されたんだろうなあ。
でもそういう事ってないかい?
たいしていい男だと思わない男がとりあえずいい男の代表になってる事とか、
面白いとも思わないんだがTVでその人がなんか言うととりあえず
みんなお約束として笑うとか。
今もいるんだよ俺「本当にあの子はいけてんの?」って聞きたくなる子が。
天地真理だってどうしてあれほど日本中のアイドルだったんだか
今は誰も説明できないぞ。集団催眠か。
いや実物可愛かったけどね。当時六本木で見かけた事あるんだが。
顔色は悪かった。忙しかったんだろうなあ。
確かに勢いがあると輝きで実像がよく分からなくなる。
その間に実力をつけながら色を変えて輝き続ける人、
勢いがなくなるとともに魔力の消え失せる人、いろいろだ。
まあ一時代でも、〜なのは誰某、といった風に代名詞になる存在
というのは大したものである。
どうやらこのホームページには二千人の内の十数人が来ているようだ。
ほんまかいな。
ちなみに俺は音楽を生業にしている人間達の中では、
特定のジャンルに対するマニア度は低い方だ。
ただ、良いと感じる音楽の幅がこれ程広い人間にはあまり会った事がない。
いわゆる広く浅くの典型だな。
そのバンドのレコードはすべて持っている、といった事はまずないし。
かなり贔屓のアーティストでも、買ってないアルバムが平気であったりする。
そこらへんA型らしくないともいえるな。
そういえばなんにもコレクションつう事をしない。
小学生の時の切手以来。
音楽に附随したファッションのたぐいにはさほど興味がなかったので、
ピストルズも好きだがボズのシルクディグリーズだって好きといった、
音楽のサークル等でも派閥に属しにくい状態であった。
待てよ。今もそうか。なんだ変わってないじゃん。
中学の頃のカセットなんてベートーベンのピアノコンツェルトと襟裳岬と
ニールヤングとウエス・モンゴメリーが一緒に入っていた。
なに考えてんだ。
楽器類もそうである。ギターのマニアは全く呆れる程にギター自体が好きである。
俺はあれは道具だと思っているぞ。道具としてベストなものをベストな状態で
演奏したいとは思うが。
音だけで選んだ俺のゴールドのレスポール、何年ものだか何度聞いても忘れてるし。
今度フレットも打ち直しちまうし。交換した方がいい部分はどんどん交換するし。
ギターは人に弾かれてナンボやぞ。美術品ではない。ましてや土地でも株でもない。
オールドのレスポールをもし飾っているだけなんて人がいたら
ぜひ売りに出していただきたい。
もっと出回れば相場が下がるんだから。
結局は人間以外の対象にそれ程興味が続かない。
人間というものはやはり面白いと思う。一番。
特に俺は男なので、当然女性というものこそ最も興味を引き続ける。
そういえばそうだな。このダイアリーを読んでいてくれれば解ると思うが、
俺は研究の為に観察したいという欲求が意味もなく旺盛である。
人間、特に女性に対しても情念とか性欲とかいうよりも研究心こそが
接する事につながる原動力である。
だから好みの女性といえば、俺の研究心を刺激してくれる『おもしろさ』
を持つ人という事になる訳だ。
あと俺の中で一番マニア度の高い部分といえば、
目に見えない世界に対する考察だろう。
これはマニア度が高過ぎてなかなか披露するような代物ではない。
強いていうならばその考察の中で、もっともポップな結晶として音楽があるのだが。
このダイアリーがその方向へディープに行ってしまうと、
しまいにはこのホームページ自体が電波系だのトンデモ系だのといった
括りになってしまいそうなので避けたいと思う。
ま、もしかしたら何かの機会に。
FOCUSというバンドを知っているだろうか。
70年代前半に活躍した、まあ一般的にはプログレと呼ばれるジャンルの、
オランダ出身のグループである。
俺はこのバンドが非常に好きだった。
特にMOVING WAVESというアルバムは最高傑作だと思う。
もしプログレ的な音楽に抵抗がなければぜひ聞いてみていただきたい。
まあメロディの美しい曲が多いのでプログレファンでなくともいけると思うんだが。
世の中にはプログレマニアという人種がいて、日本国内でも2000人位いるらしい。
『プログレ』と銘打ってあるだけで2000枚売れるらしい。
それ以上売れる事はないらしい。らしいだけである。確認はしていない。
でもって、プログレ好きの人々の中で、FOCUS好きは稀ではないが、
決して多い訳でもない。
このバンドのキーボード及びフルートを担当していたのが
THIJS VAN LEER,正確な発音は知らんけど
タイス・ヴァン・レアと俺は読んでいた男だ。
最近ある知人と話をしていたら、結構長い付き合いなのに
初めて彼がFOCUSの大ファンである事を知った。
しかも彼がオランダ本国でしかリリースされていないそのTHIJS VAN LEERの
ソロアルバムを5枚、貸してくれた。かなりマニアックなお宝である。
まあこれがまた素晴らしくいい。
それにしてもプログレというジャンルほどある程度リアルタイムで好きだった
人間以外から拒否される音楽もめずらしい。
最近の音楽ファンは時代をさかのぼっていい音楽を探す事が好きだが、
プログレだけはあかんなあ。
グラムだパンクだブルースだファンクだって70年代の音楽は大概
若い音楽ファンにも受け入れられるんだが。
やっぱりあの仰々しさがおマヌケに映るんだろうか。
変拍子乗りづらいし。
若いモンにうけるプログレといえばピンクフロイド位である。
あれは俺に言わせるとプログレではない。大仰なブルースバンドである。
デイブ・ギルモアってなんだかアメリカンなギター弾きな気がする。
やはり変態なねじれ感のある、つまりプログレならではのギター弾きといえば
ロバート・フリップだろう。
だがFOCUSのヤン・アッカーマンのギターも、クラシカル&ジャジーな香り漂う
上品な音色が大好きだった。
たまに夜中に都内某所で俺が皿を回したりする事がある。
普段より多く回しております状態ではないぞくれぐれも。念のため。
やはり客受けを考えるとなかなか出来ないんだが、俺としては夜もふけてきた頃
クリムゾンあたりでディープにねじれながら悪酔いしていく感じ、大好きである。
だが残念ながら、よほど特殊な客層の時以外は
少しでもプログレッ気が入ってくるとまことに反応が悪い。
どうだ。今日のダイアリーつまんないだろう。
一人でもこれを面白く読んでくれたんだろうか。
不安だ。
一人でも「私もFOCUS大好きです」なんてメッセージ来たりするとウケるんだが。
「イアン・アンダーソンの片足立ちポーズが好きでした」とか
「キース・エマーソンのナイフにシビれました」とか。
ねえだろうな。
昨日のダイアリーは、人に迷惑のかかる事態が起こりうるという
忠告があったのでここは素直に削除させていただいた。失礼。
この前の成人式の各地での騒動がかなりオオゴトになっているなあ。
ついに逮捕。まあ仕方なかろう。
なにしろ成人の日である。本来、オトナの行動が要求される最初の儀式ともいえる。
そこでオトナとしての行動ができなければオトナとして罰せられても仕方が無い。
つうかさあ。
行かなきゃいいのに。
俺も行かなかったし。
わざわざ晴れ着まで着ていってたりしてんじゃん。
参加しといて帰れコールだとかクラッカーだとか、それって迷惑だと感じる人間が
いる事がわかっていてワザと迷惑かけてるってやつだろ。
しかも一人じゃ出来ないから大勢で。
そんな行動をとっている自分がイケてるなんてのは中学生までの感性だと思うぞ。
逮捕がかわいそうも何もなかろう。残念ながらオトナなんだよ君ら。
まあ図に乗ったんだよな。
何日か前にも書いたが、若さとは図に乗る事である。そりゃしょーがない。
でもそののち生じる責任、そこから生じるペナルティーは甘んじて受けるしか無い。
なんでもやってみれば良い。責任から逃げなければ。
責任とらせる段になってまわりが『まあまあここは本人も反省してる事ですし』
なんて言い方でウヤムヤにしてしまう事が良くない場合もあると思うぞ。
責任。この概念があまりにも上から下まで希薄すぎるんじゃないのか。
役所でも企業でも本来責任取るべき人物がのうのうと天下っていたり。
大臣、とくに総理大臣なんてのは最終責任者じゃないのか。
ここ10年、バブル以降の諸問題、なぜ誰も責任を取っていないんだあ!
解らん解らん。
少年犯罪にしても加害者の人権ばかりやけに守っていないか。
やった事はやった事だろう。
きちっととれよ責任。十代だってさ。
なんだかみーんな、だったらうまくやったもん勝ちじゃん、って感じがするぞ。
社会自体がお母さん社会っていうか。
母親ってさあ、当然いろんなお母さんが世の中にはいるだろうけれど、
一般的なところとしては普段からコマゴマ口うるさくて、
でもなんかあった時には客観性さえも壊れたところで、
ひたすらに守ろうとしてくれるイメージがある。
父親というものは本来、普段はあまり細かく口を出さないで、
でも子供が冒険しようと思った時には心配している母親をしり目に
「やってみろ。でも自分の事は自分で責任とれ。」
なんて言って送りだすイメージっつうか。
でもってなんかあった時には子供にもきちんと責任をとらせる。
自分も逃げずにとるべき責任をきちんと一緒にとって。
まあ家庭というものはそれぞれ千差万別であるから、
実際のところ『一般の』家庭なんて言い方は全く意味をなさない。
ただ想像するに、かつては上に書いたような傾向の家庭が比較的
多かったのではないだろうか。
うちもまあ大雑把に言えばその傾向だったし。
父親はあくまで子供にとっての『代理社会』として、
『かくあるべき』といったタテマエを
子供に対して教えるべきだと思うんだが。
母親は、タテマエ抜きのところで許してやればいいんじゃないか。
「まあまあこの子だって頑張ったんだから」とか
「そんなつもりじゃなかったのよね××ちゃん」とか言って。
なんだか父親も学校の先生も、みんな母親役やってないか最近。
『矜持』というものは本来父親あるいは父親的存在が教えるべきものだろう。
それがないから『うまいことやったもん勝ち』な価値観が
教育の芯になってしまっていると思うぞ。今時は。
うわ。固いな。読み返してみると。長いし。うっとおしい男だ。
ま、でもこんな事だと思うんだが。
現在この仕事部屋では扇風機が2台フル稼動中である。
空気撹拌のために。
これで随分暖かくなったぞ。あー良かった。
近所のスポーツクラブに入ろうかと思い、とりあえず夕方頃見に行ってみた。
すると小学生とその親達で大変な混み具合である。
なんでもその時間は毎日小学生のスイミング教室らしい。
きれいなスポーツクラブなのに。
世が世ならかなりの入会金が必要だっただろう。
今時は経営が大変なのは解るが、なんだかなあ。
小学生達と一緒に、しかもその親達に見守られながら泳ぐのはいまいち気が進まない。
自宅では運動する気にならないのでジムへ行くと言う人もいる。
俺の場合ジムは面倒臭くなって結局行かなくなってしまう。
毎月会費だけ引き落とされて。
ただプールは好きなので行きたいと思うんだが。
いろいろ観たい映画があるのに時間がなくて観れていない。
Dancer in the darkはまだやっているんだろうか。
今現在ケーブルテレビでDancer in the dark特集をやっている。
カトリーヌ・ドヌーブはいったい何歳なんだ。
俺が子供の頃から大女優なのにやけに若いぞ。
この映画を観た奴は結末はあれでいいのか?と納得いかない様子だった。
雑誌でもそんな事が書いてあってあまりお薦めではない風だったし。
どんな結末なんだ?
よけい観たくなるじゃないか。
今日は相川の2月にリリースされるアルバム用に、
本人の歌及びラップをレコーディングした。
2月リリースでまだレコーディングが残っているのは
かなりまずいんだが。
DELIGHTED MINTというHIP-HOPグループのメンバーであるジョルジオ君が
詞を書き、ラップで参加してくれた。
ものすごくCOOLな仕上がりである。
早く聞かせたい。ああかっこいい。
ジョルジオ君、まことに品のいいnice guyである。
いい形でコラボレイトする事ができてすごく楽しかった。
何回かこのダイアリーでも触れたように、日本で今成長期にあって、熱気のある
カルチャーといえばやはりHIP-HOPであろう。
すでにもう終わりだとか言う人も中にはいるだろうが。
数年前に日本のHIP-HOPシーンはがらっと変わった、気がする。
一番分かりやすいのは現象としてのドラゴンアッシュ周辺だろう。
とにかくそれ以前の日本語のラップというものは単にメロディーがないという
だけで、要するにそれらは『音楽の要素としてメロディーを使ってはいけない』
という制約に縛られているように聞こえた。
最近のものは、逆に『メロディーに縛られる必要がない』分自由になった音楽に
聞こえる。
もともと黒人のR&Bは喋り、語りが多かった。
そしてダンスミュージックがクラブ、昔でいうディスコからヒットするというのが
欧米のヒットソングのかなり多くをしめるパターンである。
ダンスミュージックとして最も欲しいのはパワーアップされたグルーブだろう。
メロディーなんて犠牲にしても。
そして米国人なんてもともと教会での牧師さんの説法から政治家の演説に
いたるまで、韻をふんでリズミカルにたたみこむ事を大事にしている。
そうした中で必然的に徐々に出来上がっていったものなのである。
現在のあちらのHIP-HOPは。
別の話でいえば、例えばヨーロッパではいわゆるクラシック音楽は極めて
身近なものである。ぜーんぜんとりたてて敷居の高いものでも、一ランク上の
音楽だぞなどとそれに触れている人間が気張るようなものでもない。
別に昔からあるものなんだから。昔のポップとして。
そこからプログレだとか一部のメタルのような、クラシカルな要素を持つ
ロックを作ろうとする人間が出てくるのも極めて当然の話だ。
そういった必然の流れと関係なく、それがオーバーグラウンドに浮上した時
初めてそれを『流行』として取り入れていく。日本人は。
だからこないだまでメタルをシャウトしていた人が、いきなり日焼けサロンに
通ってラッパーになっていたりという腰のすわらない事が起きるのだ。
ここら辺の日本の文化の特色についてはまた後日。
他人事としての批判ではなく自分自身の問題として
書きたい事が色々あるのだが、もうすぐ11時である。朝の。
なんでこんな時間になっているんだああ!
寝よ。少しでも。
寒い。この新しい仕事部屋は、暖房器具の容量が足りない事が判明した。
天井が高いので、暖かい空気はきっと上の方に溜まっているんだろう。
なんかもっと暖房器具買ってこよう。
寒いのは嫌いだ。つうかすごく寒がりらしい。人と比べて。
だから夏は寒くないから好きだ。
いやそうでもないか。
最近冷房きき過ぎな場所多いし。
冬はガンガンに暖房きいてないとイヤなんだが、夏は別に扇風機あればいいや。
寒いと活動鈍らないか?
冬眠してもいいぞ俺。
そういえば俺のあだ名はクマである。
最近そう呼ぶ人間も周りに少なくなってきたが。
クマといえば。
一昨年、北海道を一人ぶらぶらと二週間ほどレンタカーでまわった。
羅臼あたりで、出たよクマ。
熊出没注意!とか書いてあったが、まさかと思っていたらなんと。
パーキングエリアの土産物屋からほんの少し離れた所で、こちらは車の中だったから
良かったけれどまさに数メートルでの接近遭遇である。
しかも特にキケンといわれる親子グマ。
車から降りて景色でも眺めていたらアウトである。
北海道恐るべし。くれぐれもあなどってはいけない。
それにしてもあの旅は最高だったな。
稚内からすこしはずれた方へ行くと、1時間運転していても人にも車にも一切会わず、
人家の一軒もないなんて場所がある。
日本中けっこう車でまわっているが、日本なんて大概どこ走ってもすぐ次の町がある。
北海道だけは日本ではない。
さすがに一時間運転してまったく人の気配がないと、少々不安になった。
あそこで車が故障したら、しかも携帯が圏外だったら?
うおおお恐ろしい。
そうやって日本中まわってる俺としては声を大にして言いたい事がある。
そんな北海道の小さな町に、まあすんごい公共施設があったりする。
ぜんぜん人はいないんだが。
かなりしっかりしたホールとか。
自分もまあ業界長いっすから、だいたいの世のアーティスト達の
コンサートツアーでどんなとこまわるか、どれくらい集客力があればどれくらいの
都市でどれくらいのホールでやれるか、見当はつく。
悪いけどその程度の町にそんな規模のホール作っても誰もツアー行かないよ。
採算がとれる訳がない。
そんな事リサーチもせずに作るんだねああいうの。
税金であんなもん無駄に作ったあげく当然出る赤字をまた税金でおぎなう。
ええかげんにせえよお前ら。
とりあえずがんばれ田中康夫。
東京では雪がふった。
残念ながらもう雨に変わってしまったけれど。
もっとつもって欲しかった。
ただ少しでもつもった場合、東京は完全に交通機関はマヒしてしまうので
業務的にはとどこおりまくる。
冬の北海道で感心したのは、地元の人達は大した事ない雪なら
普通の靴で普通に歩いているし、クルマは普通のタイヤで普通に走っている。
慣れというのはすごいものだ。
昔東京でかなり雪がふった夜に、車を置いていくのがイヤで運転したら
案の定すべってガードレールにぶつかった。
ヤケクソになってガンガンぶつけながら家まで帰ったという事があった。
次の日に見たら、四角い車が丸くなっていた。
正気の沙汰ではない。
くれぐれもそんなバカな真似はしないように。
まあ人も車もまったく通ってはいなかったが、本当に危険である。
後で思えば。前に思えよ。
しかし車ってものの外側を全部ブ厚いゴムで被うわけにはいかないんだろうか。
縦列駐車とかもすごく楽になるぞ。
ガンガンぶつけながらやればいいんだから。
事故った時だって確実に助かる確率は上がるだろうし。
いい事だらけだぞ。
どうだろう。うまくいけば世界中の車の画期的な変化につながる。
BSでTV買い替えさせるよりよっぽど大規模な消費が見込めると思うぞ。
一躍救世主でしょう。日本経済の。
さきがけとしてどうですかゴーンさん。
社運を賭けて。
ところで。
正月はやはりみんな体重は増えただろうか。
増えたぞ俺は。
おそるべし餅。
食ったもんなあ雑煮。
やるぞボディブレード。中腰で笑顔を忘れずに。
それにしても80年代ってどうしてあんなに女性の眉が太かったんだろう。
今みるとなんだかすごい。
そしてジャケットの肩パッド。そこまで肩幅広くなくてもいいと思うが。
みんな帽子かぶって前髪垂れてるし。
カッコいいと言われたものほど恥ずかしいぞ。あとになると。
流行というものの恐ろしさだな。
70年代前半なんてチューリップハットかぶってたからなあ。
見た事あるだろうかチューリップハット。
すその広がったジーンズはいて。穴が二段になった太いベルトしめて。
うわあ恥ずかしい。恥ずかし過ぎる。
90年代以降はもう流行自体が多重構造になっているから
流行もいまいち明確でないし、その結果あとで恥ずかしいものも少なくなった。
日本の文化が成熟した面もある。バブルも弾けて。
老いてきたともいえる。
要するにバブルって図に乗ってたわけだろ。
善かれ悪しかれ図に乗るのが若さってもんさ。
強いて言えば現在の日本のヒップホップあたりはもう5年10年経つと少し
恥ずかしい可能性もあるな。リリック的に。
それって逆に言うと成長期としての勢いがある文化だという事だ。
今現在。
若いってのはすでにそれだけで恥ずかしい事だ。
成長ってのは恥を積み重ねる事だな。
どうせなら思いきり図に乗って、大量の恥を積み重ねればいい。
思い出しても死にたくなるような、あんな恥こんな恥積み重ねても
のうのうと生きてるもんだ俺もまったく。
でも結構ましになったとは思えてるしな。
最初に言うが、今日のダイアリーはマニア向けである。
プロレスに興味のない人にはまったくつまらないかもしれない。
今日、キャンディー奥津という女子プロレスラーが引退した。
彼女とは偶然飲み屋で知り合い、入場テーマ曲を作ってあげる事となった。
元々俺はプロレスが好きなので週プロや東スポはいつも買っている。
最近まで男のプロレスしか実際に生で見た事はなかったが。
ただし、しっかりしていた頃の全女はTVでよく見ていた。
女子プロ史上、最も男性に対しても説得力のあったレスラーといえばブル中野だろう。
神取は常に伝説であった。なんせTVで試合見れなかったから。
全盛期のブルは、男でいえば猪木か長州の絶頂期に勝るとも劣らぬオーラを
発していた。
そういえば川崎球場にFMWを見に行った時、くどめ達FMW勢とブル&北斗が戦った
と思う。なにしろ他の選手は印象にない。ブルの独壇場であった。あの日一日の
男達の総ての戦いの中でもブルの存在感は圧倒的だった。
うーむ。ついてきてるか誰か。プロレス好きの中でも女子プロまでいくと
かなりマニア度高いからなあ。しかもFMW話。コア過ぎるか。いくらなんでも。
まあともかく。
プロレスというものは音楽と商売的に類似点が多く、参考になるのだ。
当然プロレスは格闘技とは違う。実は強さを競っている訳ではない。
強さもあくまで要素の一つとして、結局は大衆演芸としてのスター性を
競っているのである。商売としては。
音楽でも楽器のろくに弾けない人気バンドマンなんて昔から腐る程いる。
セメントで弱い人気レスラーだっていくらでもいるだろう。
ではスター性とはなにか。自己プロデュース能力である。
自分をどこのポイントでどう輝かせればベストなのかが瞬時に把握出来て、
しかもそれをきちんと演じられる能力だ。
また自己プロデュース能力がなくても他の人間のプロデュースで輝き始める
人もいる。
そして最終的には実力があるか、もしくは実力があるという幻想を浸透させる
事に成功しないと人気も長続きしない。
ほら。同じでしょ。プロレスも音楽も。
その一曲が良い事、その一試合が良い事も大事ではある。
しかしそれよりももっと長い目で、そのシンガーあるいはそのレスラーの
生きざまとでもいった部分の幻想こそが最も優れた商品なのだ。
そうか。そこがダメなんだな。織田哲郎。
一曲、一試合単位ならいいのに。
幻想をしぼませる男。いるんだよそういうレスラーってのもやっぱり。
そこで止めるなよ藤波!それでいいのか橋本!ったくわかってねえな。
それはともかくキャンディー奥津。
彼女の身体はボロボロである。両手足。腰。首。頭。どこもかしこも
生命の危険というレベルでボロボロである。
ミスパーフェクトと呼ばれた彼女のいかにも運動神経の良いプロレス
がもう見られない事は残念だが、これからの人生がハッピーなものである事を
祈りたい。
GOOD LUCK & DON'T LOOK BACK.
実は2日に初詣に行ってきた。京都まで。
松尾大社付近で面白いものを発見した。
『飲み食いどころ・絶叫』
いかにも普通のつまみ類があり食事もできて、カラオケが置いてあるといった、
まあいたってよくあるスナックである。一見。
これが店内にひとたび足を踏み入れると凄まじい事になっている。
壁という壁にはところ狭しと処刑シーンやら拷問シーンやらの写真が
貼りまくってあり、しかも出てきたお通しは小さなアマガエルの生け作りなのだ。
俺に少し遅れて、その店にやはり初めて入ったと思われるカップルがいたのだが
その女性のお通しをみた時の叫び声たるやこの世のものとは思われぬ程であった。
嘘です。すみません。
『飲み食いどころ・絶叫』はホントっす。
中に入ってないからね。あとは妄想です。
こんなかなあ、って。そんなわけないか。
それにしてもすごい名前つけるよな『絶叫』。
俺も今まで自分のバンドやら会社やら、あるいはひとんちの子供にいたるまで
いろいろ名前つけてきたけれど、やっぱりむずかしいと思うよ。名前つけるのって。
お店やバンドの場合、まず覚えやすい事は大事だよな。
そういう意味では一発で覚えたぞ『絶叫』。
覚えやすくて、インパクトあって、なおかつイカしてる事。これは本当に難しい。
通常インパクト大ってのはイカしてない、かっこ悪い事が多い。
そりゃそうだろ。「センスいいよねえ」って言葉はさり気ない事に対して
感心して普通の大きさの声で発せられる。
スンごい事に対してビックリして大声で「センスいいよねえ」とは言わない。
だからはっきり言ってしまえば本当におしゃれでセンスよくて、なおかつ売れる事は
ものすごく難しい。
例えば粋な人は大声で自己アピールしないかもしれない。
そこで『僕は大声なんか出さない粋なひとです。』と、決して小声ではなく
言える事が大事な場合もある。粋な人として世に認められるためには。
まず人を振り向かせる事。やはり音楽でもファッションでもやはり
そこからなのである。プロとしてはの話だが。
それにしてもどうなんだろう『絶叫』。うーむ。
さて、と。
今年初めての発声練習をした。
まあここんところあまり劇的な変化はない。
安定して上のG、ソの音は出る。
しかしそこから上はなかなか進展がない。
それより問題はどうも音がフラフラする事だ。
せっかく人が上が出ないなら低音で渋く決めようとしているのに、低い音が頼りない。
困るんだよキミ。そんな事じゃ。なんとかしてくれ給へ。ううむ。
それにしても21世紀。あと十数年もしたら「え〜二十世紀生れ〜カセキ〜ィ」
とか言う世代が出てくるわけだ。
ぜひその頃までモー娘。続けて欲しいと思う。
中澤だけ残してあとはメンバーチェンジしながら。
〜ついに今度の新メンバーは21世紀生れ!
そしてその新メンバー達を並ばせて説教する中澤。
そんなん見てみたいぞ。浅ヤン。がんばれ。
昨日お屠蘇を飲んだ。お猪口一杯。
三ヶ月ぶりのアルコールである。
今日はビールをコップ半分飲んだ。
せっかく脳が明らかにシャッキリしてきていたので、
『酔う』事自体に抵抗があるな。
人生色々な楽しみがある。
酒を飲む事も楽しい。
今こうしてダイアリーを書いている事も楽しい。
恋愛。
音楽。
スポーツ。
ギャンブル。
政治活動。
奉仕活動。
宗教。
それこそ麻薬類。
楽しいと感じる瞬間、生きがいを感じる瞬間。
人それぞれである。
しかし暮れにも書いたように、俺にとって最も大事にしたいモノは
『矜持』なのだ。
どんなに楽しくても、あるいは生きがいを感じていたとしても、
その対象に依存し始めたらそこから心の姿勢が悪くなる。
知らぬ間に中毒になっている事は非常に多い。
年をとるごとに大切なモノは増えてゆく。
どうでもいいモノだったんだと気づく事も増えるけれど。
やはり自分で選択していく事が増えていくのだから、当然
大切なモノも増えていく。
気が付くと依存している対象が増えていたのでは、全然人生楽にならない。
それどころかどんどん不安が増して苦しくなってゆくだろう。
大切である事。愛おしい事。
それと依存する事はまったく別の事だろう。
対象が『人』であれ『モノ』であれ、『縁』を大事にしたい。
縁を大事にするというのは、結びついていれば良いという事ではない。
大切なのは縁の『カタチ』だと思う。
カタチが悪くなったら一旦離れる事こそが縁を大事にしている場合もあるだろう。
その時に依存やら情やらといった部分に縛られて離れられずにいると、
すかさず腐臭がし始める。
『愛』が単に相手のハッピネスを願う心だとして、
『情』はあくまでその相手のハッピネスに自分が関わりたいと思う心
だったりもする。
その『情』こそが『縁』を腐らせる元凶になりがちだろう。
こんな事を一生懸命自分に言い聞かせないといけないような、
情で判断を誤りやすく、なにかというと気が付けば依存している俺である。
このダイアリーも、皆には悪いけど俺の強迫観念のタネになりだしたら
すぐやめるので悪しからず。
まだまだ単に楽しく続けられそうだが。
誰もが何かのドラッグを手に入れたがってる
少しでも多くの瞬間をhigh でいるそのために
・・・・・from "T"
謹賀新年。
あけましておめでとうございます。
新春のお慶びを申し上げます。
賀正。
賀春。
迎春。
A HAPPY NEW YEAR。
ふう。一通り書いてみたぞ。
実は昔から年賀状はほとんど書かない。
本当に筆無精な男なのだ。
その割にこのダイアリーは続いている。
なぜか。
大きいのは自筆ではない事だ。
俺の字は汚い。強烈に。下手も下手。
そしてその下手な字を書くのがすごく遅い。
しかも年を重ねるごとにますます汚くなってゆく。
大概見ていると綺麗な字を書く人の方が書くのは速い。
コツをつかんでいるのだろう。
コツをつかみ損ねた俺はというと、時間をかけて汚い字を例えば
400字詰原稿用紙一枚も書こうものなら、右手の中指の第一関節内側は
すっかりペンの跡で凹み、鉛筆で書いていれば小指側の側面一体黒くなり、
ボールペンで書いていれば手も紙も気付いた時にはすっかりインクで
汚れている。
こんな俺に誰がした。俺か。
あと、俺が死ぬ程苦手だったものに製図がある。
絵を描くのは得意なんだが、製図はまったく別のものだ。
全然リサーチした事もないが、製図の得意な奴は綺麗な字を書きそうな気がする。
キーボード操作も決して速くないが、ナマ字とは雲泥のスピードである。
しかも辞書引く手間が省けるし。
ところで俺はかつて元旦の朝に見るのが初夢かと思っていた。
どうやら一日から二日にかけて見るのが初夢らしいね。
最近知ったぞ。
一富士二鷹三ナスビ。めでたいのかナスビ。なぜナスビ。謎だ。
大晦日である。
と言いつつ実はもう1月1日になってしまった。
という訳で、明けましておめでとう。
20世紀中はお世話になりました。
今世紀もよろしく。
もしかしたらあと十年位の内に遺伝子の解明が進んで、
いきなり人間の寿命が200歳まで延びるなんて事もないとは言えない。
そうしたらもう一度新世紀を迎える事になるな。
でもそれはそれで人口が増え過ぎて、結局 なんらかの形で人を減らす作業が必要になるし。
あるいは他の惑星への移住を計画するとか。
まあ自然界というものは常にそれなりのバランスに落ち着くものであろう。
人間の思惑など関係なく。
そして寿命が何百年になろうが、地球がどんな状態になろうが
一人一人の人間はそれぞれの生活の中で、毎日悩んだり恋したり
心配したり喜んだりするんだろう。
う〜。肩が痛い。凝りまくり。と言いつつまたまたさっきまで本を読んでいた。
目が痛い。
そういえば子供の頃なりたいモノがもうひとつあった。
本屋の主人。
なにしろ昔、本屋に入って気が付いたら5時間立ち読みしていた事がある。
なにを隠そう私は立ち読み大王である。
さすがに人前に仕事で出るようになってからは極力しないようにしているが。
ううむ。本屋の主人。
本気でいい気がしてきた。
いよいよ今年も大詰めである。
なんつうかこう、慌ただしくも切ないものだ。
昔から冬には、起きた事柄に関わらず切ない想いを貯蓄してきた気がする。
一面の雪。
ストーブ。
毛糸の手袋。
白い息。
スケートリンク。
マフラー。
冬の思い出はいつもスローモーションだ。
どんなに楽しかった場面も切なさを伴って蘇る。
真夏の陽射しもあれはあれでセツない想いを呼び起こすけれど、
あれは『刹那い』の方がフィットする。漢字のテストならバツだが。
真夏の陽射しの刹那さといえば『太陽がいっぱい』が最も印象的だな。
『リプリー』はまだまだって感じだった。同じ原作だが。
『太陽がいっぱい』はアラン・ドロンも素晴らしかったが
あの有名なテーマ曲がやはり最高である。
俺にとって冬の切なさを象徴する曲は
サイモン&ガーファンクルのスカボロー・フェアだ。
あの曲のチェンバロの音が、身を切るような風をいつも心に呼び起こす。
実は高校生の頃、どういう状況かほとんど思い出せないが、
なぜかたった一人でクリスマスイブを過ごした事がある。
その時に例のスカボロー・フェアをずっとリピートして流していた。
あれで決定したな。身を切りソングNO.1の座。俺にとっては。
自分の作品ではTWO HEARTS。
これはなかなか身を切る風だと思う。
多分人によって色々あるんだろうな。
さてと。今日が仕事納めである。
明日はのんびりするぞ。今世紀最後の日。
肩が凝っている。首が固まっている。
目の疲れが最大の原因だ。
体調が悪いとまず最初に目に症状があらわれるのだ。俺の場合。
でもって目が弱点のくせにやたら目を酷使している。
音楽作るのにも最近はまずパソコンの画面に向かう事からだ。
その上活字中毒の俺は休憩たいむに本を読む。あるいはインターネット。
そして今またこうして画面に向かっている。
充血する。目の奥が痛む。目の表面が痛む。目がかすむ。
疲れが溜まると目がどんどん開かなくなってくるが、開けない訳にいかないので
むりやり開けていると、これが眉間の皺を刻む原因となる。
別に険しい顔をしたい訳ではないのだが。
目ん玉を取り出して洗うとサッパリしそうな気がするぞ。
鬼太郎の親父の入浴。
そういえばここ暫く忘れているが、二日酔いの時はいつも
身体を裏返して水洗いしたくなっていたなあ。
たった今、忘年会お誘い電話が二件ばかりたて続けにあった。
盛り上がっているようだ。
よろしいよろしい。
こちらは今現在、機材トラブルで音が出ない。
機材達が勝手に仕事納めをしてしまったようだ。
別スタジオからの代用機材待ちである。ふう。
1:00AMである。まだまだ今夜は長そうだ。
昨日からバラードを作っているのですっかりアタマの中がバラードである。
役者の人でよく撮影期間中、撮影を離れても役に入ってしまうという話を聞くが、
そりゃそうだろうと思う。
バラード録音中はバラード色の目をした俺である。
R&Rを演奏しだせばいつの間にか髪の毛は勝手にリーゼントになってしまう。
パンクな曲を演奏しているといつの間にか体中に安全ピンを刺している。
スタジオじゅうにツバ吐きまくって後で大変である。嘘です。
どうも切り替えはうまい方ではない。
役者さんでも多分別れると思う。切り替えのうまい人とヘタな人に。
結局どれだけの仕事量をこなせるかというのはその切り替えのうまいへたに
総てかかってくるだろう。
一つのドラマに出ている間は他の仕事はしない人もいるだろうし、
ビートたけしのような全方位同時進行型の人もいる。
俺はやりたい事は多い。しかし自分が必ずしも
自分の望むタイプとは限らない。
やりたい事は多いが、こんな切り替えベタな男はそれなりに制限して
仕事をしていかなければ満足な仕事は出来ない。
もっとそこんとこ自覚しなさい。俺。
結局、根がおっちょこちょいなのである。いまだに。
ところで昨日面白い夢を見た。
テレビの中継がはいっているステージで俺が歌っていた。
なぜか客席からステージは20m位の高さがある。
盛り上がった俺はステージから身を乗り出し過ぎて落っこちた。
俺はうまく20m下の客席の隙間に着地して、
そこから客席をギターを弾きながら走り回った。
もう観客大盛り上がりである。
そりゃ盛り上がる。20m飛んだら。
今日はなんだか巡り合わせの悪い日であった。こんな日もあるさ。
まずマック君がいかれた。
これは音楽用の別マックで書いている。
前からあまり調子は良くなかったが、ついに起動しなくなった。
まあそんな事は良い。
なかなか人生一筋縄ではいかないものだ。
ここで詳しく書くようなことではないが。
俺が人生において最も大事だと思うものを一つだけあげるとすれば
「矜持」
これにつきる。
別の言い方をするなら、
「姿勢のいい心」
とでも言うんだろうか。
これさえあれば、どんな状況も「味わえる」と思う。
それを失った時、急激に腐敗は進む。
勝ちでも負けでも構わない。
かたちなんて整ってなくても構わない。
他人の価値観では大失敗であっても構わない。
そこに矜持さえあれば。
今日は英国の学校で先輩だったKさんと一緒に食事をした。
彼と俺は、当時その学校で2人だけの日本人であった。
俺は2年で日本に帰ってきたが、彼はその後も英国に留まり
ロンドン大学の研究室に残って学者になった。
現在は某日本企業に入り、かなりえらい役職についている、らしい。
そんな彼だが、実は英国時代、彼こそが俺にいろいろと音楽を
教え込んだ男なのである。
そして食事の後、彼のいきつけのお店に行った。これがまあびっくり。
歌う歌う。
しかも選曲が半端ではない。
グーグードールズ、グリーンデイ、日本ものではHIDEのD.O.D!
これを読んでいるみんなは一体そんなもの聞いた事あるだろうか。
40代半ばの選曲ではない。俺の『先輩』だぞ。
ラルクだろうがグレイだろうが全部OKらしい。
他にも『たま』からLOVE PSYCHEDELICO,BIRD,伊勢正三、シンディーローパー、
ニルバーナと、もうこれは無差別絨毯爆撃状態である。
俺はというと、あっけにとられてただただお茶を飲んでいた。
やはり会社の部下達と飲みにいっても皆あっけにとられてしまうとの事だ。
そりゃそうだ。
一見極めて温厚な、いかにも学者肌の人物である。
誰がよもやパンクやらグランジやら絶叫すると思うか。その彼が。
昔の友人と会うとどうしても昔話にばかり花が咲いてしまう事が多い。
しまいには「懐かしいなあ」とか「あの頃は楽しかったなあ」まで
言い出す始末だ。
俺が彼を好きなのは常にリアルタイムの話しかしない所だ。
ただしあれ程音楽をリアルタイムで楽しみ続けているとは
今日まで知らなかった。
いたく感銘を受けた。
俺もまだまだである。
いよいよクリスマスまで終わっちまったぞ。
マジで今年も終わる気だな。
次のイベントは大晦日&正月って訳か。むう。
かつて俺が高校生だった頃、門限がうるさい家の女の子が一晩中外を出歩いても
何も親に言われなかったのが大晦日である。
夜中から一緒に初詣行くのもちょっと楽しかったぞ。
実はここ十日ばかり発声をさぼっていた。ついスタジオで疲れちまって。
まあこれがてきめん声が出なくなっている。勘弁してくれえ。俺が悪かった。
まあ発声練習もそれほどつまらない訳でもないが、決して面白い訳でもない。
リハビリとはこんなものだろう。
やるよ。やるともさ。やりますよ。やらいでか。
そういえば酒と煙草をやめてすでに3ヶ月以上になる。
あまりやめたからって変わんねえと思っていたが、
ここんとこなんか調子いい気がする。特に脳が。
毒が抜けるのに3ヶ月かかったって事だろうか。
酒は来年解禁にするけど、もうあまり飲まないぞ。
聞いているかみんな。
ほんとだぜ。
基本的には。
メリークリスマスである。
まったくほとんどキリスト教徒でもないくせになどと目くじらたてて
いちゃもん親父になる事もなかろう。
キリスト教徒でもないからこそ純粋にイベントとして日本中の、
特に盛り上がり初めの恋人達にとって重要な夜とされている。
今夜一体何万人が日本中で勝負かけてるんだろう。
がんばれよみんな。
さすがに今これを読んでいる人達の中で、サンタクロースを信じている
人はいないと思うが、この前ある人から中学1年まで信じていたという話を
聞いた。
それって遅すぎないか。
まあ別に統計とってみた訳でもないので分からないが。
その人物曰く、真実を知った時はひどく傷付いたようだ。
傷付かれてもなあ。
親も困るってものだろう。
大人になるのも大人になるまで育てるのも大変である。
merry christmas 今夜は君のそばにいて
merry christmas 変わらぬ愛をつたえよう
幸せ 降りそそぐように 祈りをこめて
明日は競馬があるそうな。
俺はほとんど興味がないもんでよく知らないのだが。
ある人によると2と4という数字が頭に浮かんだそうだ。
その人物も競馬の事はほとんど知らない。
だが霊感は非常に強い。
色々と未来の事を言い当てた事がある。
だからもしかするともしかして2ー4はあるかもしれない。
と言いつつ、ふと思ったのだが明日は24日である。
『数字が浮かんだ』だけなのだ。
もしかしてそれ単に開催日が浮かんだのか?
明日が楽しみである。
もしこれを読んで2ー4で損害を被っても当局は一切責任を持たない。
明日、クリスマスイブは一応スタジオ関係は休みにした。
考えてみると20代の頃はクリスマスもスタジオ、年越しもスタジオなんて事
しょっちゅうやっていた。
スタジオでなけりゃどこかのライブ会場である。
当時は、365日のうち365日働いてもOKであった。
要するに俺にとってスタジオ作業とライブほど楽しい遊びはなかっただけなんだが。
いい迷惑だったかもしれないな。周りの人間には。
でもスタジオでシャンパン開けたり、正月におせちだのなんだの
持ち寄ってみんなでいただいたりするのも、それなりに楽しいものではある。
いいもんだよ。正月なんてスタジオに行くのも車ガラガラで。
それに比べてヘタに正月ハワイとかってんで暮れに成田なんか行ってみなさい、
とんでもない混雑っすよ。
そういえば、とにかく混んでるとか並ぶとかするくらいならなんでも
諦めてしまうタチだ。そりゃもう旧ソ連なら必ずや餓死している。
だから結果的に『一番人気の時期に』『一番人気の行動』をするなんて事は
まずない。
道を走っていても、ちょっと混んでいるとすぐ脇道へ入る。
それでいい抜け道を発見するとすごく嬉しくなったりする。
そんな俺は動物占いによると狼。あたってるわ。
いよいよ今年もあとわずかである。もう分かったっつーの。
私めのファンクラブの方々の為のコーナーで、マネージャーに
ボディブレード(注1)とブルワーカー(注2)を買いに行かせた事を暴露されてし
まった。
ちょっと恥ずかしいじゃないか岡野。
俺は実は健康にはかなりうるさい。
健康オタクと言われても仕方がない。
栄養の方面から、自己流の体操、針灸マッサージ関係と、健康に関する事なら
何でもすでに大家である。タイカだぞ。オオヤではない。
ただし大抵の健康オタクはすでに健康自体が目的になっている。
俺は違うぞ。目的はハッキリしている。
『不健康な生活をエンジョイするため』である。
だって真夜中にドライブ行きたくなったら行きたいじゃん。
何日でも寝ないで遊び倒したいじゃん。
いつまでもそんな事し続ける為には、かなり健康に気を付けていないとね。
去年なんてほんと、普通壊れるってあんな飲み方してたら。いや健康だわ俺。
まあなにしろ適度な運動はかかせません。
ストレス解消にもよろしい。
つうわけでそれらの健康器具をスタジオの備品として揃えたのであった。
それらを俺が使用している姿をイメージしないように。くれぐれも。
特にボディブレード。
大事なのは中腰。そして笑顔。
夜中の健康器具の宣伝に出てくる白人たちの笑顔笑顔また笑顔。おもろいなあ。
それにつけてもアメリカ人よ。
なぜあんたらはあんなにも食うのだ。
アメリカ行った事ある人は解ると思うが、
彼らはマジで普通の日本人の3倍は食う。
食う食う食う食う食う食う飲む飲む飲む飲む飲む。
そして必死になってぜい肉を落とす。健康器具を買い込んで。
いっぺん国中で食う量半分に減してみい。ブッシュ君。
世界中の食料事情も随分楽になるぞ。
上に(注)は付けたものの説明すんのめんどくさくなった。
知らん人は誰かに聞いてくれ。
さて。1、2、1、2、1、2、1、2、笑顔笑顔、と。
いよいよ今年も終わりである。
だからそれ昨日も書いたっつうの。
だって毎日ひしひしそれ感じるんだもんさ。
しかも21世紀だぜ。それもしつこいって。
それにしても五島勉。(注1)
あなたのせいでどれ程多くの人々が刹那的な発想で人生を過ったか。
いや別に俺過ってないけど。
ただ俺のヴィジョンの中に2000年以降なんて全くなかったからなあ。
まあ大予言に関係なく、ロックやる奴なんて先の事考えないタイプばっかりだ。
それにしても困ったもんである。人生意外に続くぞ。まだまだ。解らんけど。
明日あたり家の前で車に轢かれるかもしれないが。
なにがハルマゲドンじゃこらあ。
ただし世の中全体を被う危機感や、もうダメ感は増加してるなあ。
ところで俺ほんと一個だけ、もうこれだけはわからん事があるんだが、
原発だけはやめようよ。頼むから。マジで。
だってどこかの原発でなにかあった時、どれ程多くの人間が命を失う
事になるのか解っているわけじゃん。
人間なんて必ずトチる生き物なんだぞ。トチった時に取りかえしのつかない事
はやめた方がいい。あんなもん、ないならないで人類全然大丈夫。
おまけに日本なんて地震がどこでどんな規模でくるか分かったもんじゃない。
まあ人間必ず死ぬ訳で、別にあれが危険これが危険ばっか言っていても仕方がない。
だけど子供達にヤバいツケ全部回しといて、『俺の生きてる間OKだったぞ。ラッキー』
なんてそれどうなんだ。
まあ国債(注2)もたいがいにしろって感じだが。
けっこうみんな今が良けりゃ良いのね。政治家とかも。
注1:ノストラダムスの大予言をケレン味たっぷりに翻訳して
当時中学生だった我々に人生は1999年7月までだと
意識下に刷り込んだ男。
注2:俺のまわりにもいるいる。給料より多い金額をその時その時の
景気対策、つまり気分高揚のために使い、結果サラ金のお世話になり、
毎月借金でその借金を返しているやつ。
政治家とか官僚とか、そういう個人見たら『ダメなやつ』って言うだろ絶対。
いよいよ今年も終わりだなあ。何度も言っているが。
2001年か。これも何度も言ってるな。
ついつい感慨にふけってしまうぞ。
JK21 can you hear me?なのである。
2世紀またがって生きれる人間は限られている訳で、しかも今後は
さっぱり見当がつかないけど少なくとも今までのところ、人類史上でも
最高にエキサイティングな時代だったし。
俺らなんだかすごい世代だと思うよ。
だいたいロックなんてちょうど俺と同い年位だ。
俺の生まれた頃rock'n'rollってもんが生まれ、
小学校でビートルズ、中学でグラムだプログレだその他諸々花開き、
高校でパンク及びアメリカの方じゃあ逆にAORなんてのも出てきた。
そっから先ははっきり言えば順列組み合わせでの新しさしかない。
ここ最近エキサイティングな動きと言えばhip-hopしかないだろう。
俺はやらんけど。
物事何だって何かのせいにもできるし何かのおかげとも言える。
例えば何でも世代のせいにして幸不幸を語る事も出来るだろうが
それは好きじゃない。
ただそれでも俺はロックの成長をまさにリアルタイムで体験出来た事は
本当に神様に感謝したいと思う。
今の子供達にとって、当時のロックがゲームだったりネットだったり
する部分もあるだろうな。
やっぱり『今』現在進行形で最も速いスピードで進化しているモノって
子供にとってはエキサイティングだと思うよ。
俺の中の子供な感性はいまだにそうだから。
ネットでつながった中で自由に参加できるバーチャルなゲームなんてのが
果てしなく進化していくとすんごい事になるだろうなあ。
最近ちょっとゲーム界も停滞してる感じだけど。
画期的なヤツが出てくると思うぞ。ここ数年で。
それこそ子供がそれにトチ狂ってPTAが禁止運動するようなヤツ。
ある意味i-modeも社会の成り立ちを随分変えつつあるし。
俺が今中学生だったら確実に一番好きなバンドはマリリン・マンソンだな。
マリリン・マンソン聴きながらハッキングしていたんだろうか。
今日は10何年か振りにビリヤードなんかしてみたぞ。
オリンピック出れるかもしれないし。出れないって。
まず煙草の煙が充満していて目がツラくなった。
昔二十歳の頃にプロの歌うたいとしてやっていこうと決めて、
ノドを大事にするぞ!と思いタバコをやめた事がある。
そうすると、その頃渋谷にあった屋根裏とかそういったライブハウス
で演奏していた訳だが、歌以前にそういう場所にはいっただけで
ノドが痛くなるようになってしまった。あとパチンコ屋とか。
そんな事もあってまた吸うようになった。
いやホントあんなにケムいとは。
しかも玉を凝視するからかなり目が痛いぞ。
それなりに面白いと言えば面白いんだが、
どうもボーリングもダーツもビリヤードも、そういう
中途半端に体を動かすタイプの遊びは今一つのれない。
いっそ頭だけ使うか、そうじゃなきゃ走り回るかの方が好きだ。
そこら辺は多分音楽にも反映されている。
バラードとして沁み入る音か、体が動いてしまう音かはっきり
している方が好きなようだ。
しかし遊びでも音楽でもその中間な感じがおしゃれっぽいぞ。
どういう方向であれドップリいくのが好きなんだが。
そうか。ドップリ自体がおしゃれではない訳だな。
ところでその二十歳の頃は煙草のみならずコーヒー、ワサビ、からし、
その他とにかく刺激物という刺激物をやめてみた。
全部完全にやめていたのは半年位だと思うが。
もう当時お肌ツルツルである。
元来肌はキレイな方だが、あの頃は睡眠時間は一日3、4時間でも
まことに肌は美しかったぞ。
女性の方々。
ホントに煙草は髪と肌の質感の大敵だよ。
ま、全ての面に於いて最大の敵はやはりストレスだが。
忘年会の時期である。
俺には関係ないが。
寂しくなんかないやい。
鍋のうまい季節である。
俺は一人でも鍋を食いに行ったりする。
全然馴染みでもなんでもない店で。
カップルや忘年会の人々の中でポツンと、ウーロン茶飲みながら
一人鍋をつつく男。どうなんだそれ。
むうう。今初めて少しヤバイ気がした。
そうか。まわりの人々からはなんかツラい構図に見えていたのか。もしかして。
無精髭ぼーぼーの汚いオヤジだし。
リストラされてまだ職見つからず、カミさんには逃げられ、
今日はパチンコで大当たりしたからちょっと奮発して一人で忘年会ってとこか?
ところで俺はこんな風に、街で見かけた知らない人達の背景のストーリーを
考えるのが趣味である。
たまにどうしても納得のいかないタイプを見かけると、追跡して
生活を全部覗いてみたくなる。しないけど。
この前とあるギョウザ屋で、一人でキムチ食いながらビール飲んでスポーツ新聞を
読んでる、たぶん20代前半の女性がいた。とっても普通の、知的な感じの人だ。
そしてなんと!その女性の携帯が鳴った。この音楽がキングクリムゾンなんだわ。
いやもう一体どんな学生時代で、どんな仕事して、どんな恋愛してきたんだか
なんとも興味シンシンである。
でも聞けないよなあ。
ちなみに俺はギョウザ屋でも牛丼屋でも一人で毅然と食事できる女性は
かっこ良いと思うぞ。馴染み過ぎるのもどうかとは思うが。
オヤジギャルはいやだ。あくまで毅然と、かつ自然に、である。
よし。寝るぞ。今日は暗いうちに。
相川の今度のシングル曲がやっと終わりつつある。
厳密にはあとトラックダウンで終わりだ。
友達かあ。
まあ人間コップ半分の水を見て、「もう半分もなくなった」と思う奴も
「まだ半分もあるぜ」と思う奴もいる訳で。
人と付き合って、接点の部分に重きを置く奴にとっては『友達』
は沢山いるだろう。
反対に、人と居てもお互いの見せない裏の部分を強く感じてしまう奴には
『友達』なんて呼ぶにはどの付き合いも嘘っぽく感じたりするんだろうな。
俺に友達いたっけなあ。
俺が自分の中で友達と呼びたいシンパシーを感じる人間って
滅多に会わない奴ばっかりだな。それって仲が良いのか。
どうも俺には友達という概念がよく解らん所があるな。
その時その時バンドだったりレコーディングだったり、一番よく一緒に
仕事をしている人間が一番親しい事になる。
でもそれは『仲間』『同志』そんな事なんかなあ。
逆に共通の目的意識もなくしょっちゅう一緒に居るってのは
なんだかしんどいモンじゃないんだろうか。恋人でもなくて。
だから奥様方の近所付き合いとかってのは問題生じやすいよな。
12月6日のdiaryでも書いた通り、いかに人は解りあえないものだ
という事を前提として認識できるかが重要だと思うが。
虚栄心とか嫉妬心とか、人と人が接するとそこには必ず生じるものだし。
いかにストレスを溜めずに、表面だけうまくみんなと楽し気にやり過ごせるか、
というのが大事とも言える。こんな言い方もナンだけど。
だって世の中『解りあえる』人なんてそうはいないって。
だからそうでない多数の人々と一々摩擦を生じさせてたらそれだけで
人生いっぱいいっぱいになるよ。
恋人だろうが親子だろうがましてや友人となど解りあえるなんて事はない!
という結論までキチンと絶望して到達すると、そこから先誰とであれ、
『解りあえた気がした瞬間』の度に本当に感謝の気持ちでいっぱいになれるでしょ。
まだまだ俺も甘くてさ。
ついつい『どうして解ってくれないんだあ!』なんて思ってばかりである。
日々精進どすなあ。
またもや朝である。ふう。
昼夜逆転しっぱなし。なんともなりまへんなあ。こればっかりは。
ところでウチのトキコさんとか気に入って頂けましたかな。
なんかもっと反応ないと張り合いがないぞ。
機械の連中とそれ程理解しあえていない俺としては
ドキドキしながら初めて写真をUPしたりしてみたのに。
一度、何日か前に添付作業中に凍られたんで。
何度か話題にしたアメリカ大統領選、やっと終結したね。
悔しいだろうなゴアさん。
終いには、潔くないってんでおちょくられまくってたし。
もう次はないだろうな。
ついこの前まで次期大統領の座は安泰って感じだったはずなのに。
一転ただの人。人生解らんもんじゃ。
そういえば加藤さんもだな。次か次の次は確定的な雰囲気だったが。かつては。
それにしても何なんだ今度の内閣は。
一体誰が首相なんだか解らんぞ。
大体なんでまだ宮沢さん蔵相やってんだ。
彼こそ責任追求されるべきではないのか本来。
良く解らん事ばっかりだ。
すっかり橋本さんの内閣のようでもある。
みんなもうあきあきしてないのか。解らん解らん解らん。
原田真二君、俺と同い年なんだよ。
久々に見たけど余りにも何一つ変わってないね。若過ぎ。
妖怪?
元々凄く才能のある人なのでもうひと盛り上げここでやってほしいな。
それにしても旅に出たい。本気で。
一面の雪景色に自分の足跡だけが残っている風景、見た事あるかい?
あああああ雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪雪。
インベーダーゲームみたいだな。
俺にとっては現在14日の丁度50時過ぎである。
やっと最大のヤマは越したかな。
まったくいけませんこんな生活。
明日からはまた少しづつマトモな生活パターンにしていくぞ。
ところで昨日は良い天気だった。
浮浪者の方々が布団一式干しておられた。
そういえば夜中に散歩してたら簡易コンロをストーブ代わりにしてる浮浪者
もいた。布団に燃え移らんようにな。くれぐれも。
この季節は皆さん色々つらくなってきますなあ。
まあ人間なんて暖かい地域ならどうやってたってなんとか生きていける。
俺が小学生の頃、勉強して良い大学へ行く事の大事さを
こんこんと説いていたうちの親父に、
「じゃあ南の島とかで果物は放っといても生るわ、
海で魚はとれるわってな場所で生きる人々にとって
幸せの定義とは如何なるモノになるんじゃ?」
なんて質問をした事がある。
だってさ、説得力ないよな。子供の間必死で勉強すればその後
大人になってからずっと遊んでられるってんなら解るけど。
子供の間もガンバれガンバれで勉強して、今度は就職しても
エラくなるためにまたガンバれって言われてもなあ。
そりゃ勉強も仕事もしないで生きていけりゃよっぽど良いじゃん。
もしかしたら普通の人々は浮浪者さん達はおよそ
別の世界の人だと感じてるのかもしれないね。
俺は違うよ。
俺にとって浮浪者になる事ってのはミュージシャンや画家と同じように
選択肢の一つだったから。子供の頃から。
人間努力と辛抱だってCMがあったけど、まさにうちの親父もよく言っていた。
努力と辛抱だってね。
だから俺は「そうか、一生努力と辛抱なのか。じゃあ早く死のう。」
と思って、自殺の方法を考える事が趣味になった。なんだかな小学生である。
危ないところだ。
誤解しないでおくれよ。
ある意味何かの目的に到達する為には努力と辛抱が最重要な時が必ずある。
ただそれはそれだけ目的達成願望が強くてワクワクしてたりすると
結果他人から見ればストイックな状態もハッピネスの一部と言えるのである。
単に強迫観念にかられての努力と辛抱がクソ食らえなのだ。
eat shit!
すげえ言葉。糞切りは間違いだが。
いかん。早く寝ろってのホントに。
実は一睡もしていない。
しかもまだ寝る訳にいかない。
という訳で今日は仕事部屋の写真を少しばかり公開しよう。
これが屋上からの朝焼けである。
美しいぞ。
できれば早起きしてこれを見たいものである。そしてこれが階段の途中にある祭壇。
いや別に祭壇ではないんだが、なんだか奉られたディラン大明神になっている。でもってこれが、首から上のなかった針金のマネキンに時計顔をくっつけてあげたトキコさん。
喉仏の所の振り子がちゃんと揺れているのがなんとなくミソである。
現在12月14日の33時である。
12月14日は50時位まで続きそうだ。
前に質問で理想の女性のタイプは?ってのがあったね。
今日はこれについて話をしよう。
明るくてよく喋る女性が好きだ。
でもウルサイのは嫌だ。
おおらかな女性が好きだ。
でもガサツなのは嫌だ。
よく気がつく女性が好きだ。
でも神経質なのは嫌だ。
気取ってない女性が好きだ。
でも下品なのは嫌だ。
サッサカなんでもやってくれる女性が好きだ。
でも鬱陶しいのは嫌だ。
俺の事が好きでしょうがない女性が好きだ。
でも重〜いのは嫌だ。
ふう。
いやはや話にならん。解ってます。
わがままばかり言いおってからにこの男は。まったくです。
ホントすいません。
ただし、どうなら明るくてどうならウルサイのか。
どうならおおらかでどうならガサツなのか。
これは人それぞれの感じ方でしかない。
だもんだから最近思う所の俺の好きなタイプはといえば、
『相性の良い人』
これしかない。
昔はいろいろとあったんだよ。
好みの顔は目がこうで鼻がこうで、性格はこんなで声はスタイルはetc etc。
でもさあ、結局相性さえ良ければ許せちゃうものなんだよな。
全然好みと違う筈の所も。
逆に、凄く好みな筈なのに、どうしても些細な事が許せなくなる場合もある。
まあそこが縁とか相性とかしか言いようのない所だろう。
てな訳でまた明日。おやすみ。
あわただしく過ぎる毎日なのであった。まさに師走。
それにしても打ち込みは自律神経にダメージを与える。
そうか。そう言えば、それに比べて生楽器演奏ってのは
自律神経を整えるのに役立つぞ。
めっきり寒くなってきたなあ。
毎年この季節になると旅がしたくなる。いつでもしたいんだが。
特にこの季節、意外にゆっくりまわる日本海側なんてのが良いんだわ。
まあ、日本酒飲んでこその旅、っつう感じではあるが。
ああ雪景色が恋しいぞ。
意外にも佐渡及び新潟ってのが俺が日本で最も多く旅した地方である。
新発田という町で一週間ボーっとしてた事もあるし。
しかし確実に昔の方が雪積もってたぞ。
新潟の人もそう言っていた。
若い頃よくやったのが、とりあえず上野駅か東京駅かに行って、
まったく行き当たりばったりに汽車に乗るというやり方である。
今度まずは成田に行ってみるか。パスポート持って。
ところで。上の行で汽車と書いたが。
本来あの煙吐く蒸気機関車だけを汽車と呼ぶのだと思う。
でも俺が高知にいた時、電車と言えば道路を走るいわゆるチンチン電車の事で、
普通の駅から駅へ走るあれは汽車と呼ばれていた。
それで通う連中は『汽車通』、キシャツウと呼ばれた。
他の地方出身でも結構アレを『汽車』と呼んでいた奴は多かったぞ。実は。
なんかでその話題になった時に知ったのだが。
ああああああああ旅に出てええ。
探さないで下さい。
今日はダメっす。
まじ時間ないっすよ。
はあ。
まったく何うだうだやってんだか。
どうも何かがイメージとずれちまってる。
いやレコーディングの話なんだが。
という訳で励ましてやってくれ俺を。
むむむむー。ピンチ。
ところで、女の子と付き合うと、その子の実家に居候してしまうという
ワザを持ったミュージシャンがいる。
今度の彼女の親父とは晩酌も交わしたりするそうだ。
スゴ腕である。なんだか良く解らんが。
またやってしまった。
総て書き終えてから凍るヤツ。君の名はまっく。
つれづれうぇぶサイトで岡野が俺の事を機械オンチよばわり
していたが、それは間違いである。
機械が俺オンチなのだ。
こいつらは俺の事が解っていない。
Kー1観戦の様が見られていたようだ。
さぞ間の抜けた顔をしていた事であろう。
俺の隣の隣の隣にはヒクソン・グレーシーがすわっていた。
という訳で格闘技ファンにはかなりポイントの高い一日であった。
ホーストが嫌いな訳では決してないが、決勝はあまり盛り上がらなかった。
やはりどんなスポーツでも最後に勝ち残るのは『負けない』奴だったりする。
だが無責任な観客としてはひたすら『勝ちに行く』奴に肩入れしやすい。
アビディの若い無防備な攻撃性は、明らかに観客の心を
最も捕らえていた、と思う。
それにしてもありゃヤンキーの星だな。どう見てもマルセイユ出身っつうより
広島の族あがりだぞ。アビディ特攻隊長。
ところでアメリカの大統領選は一段と凄い事になってきたな。
ある米放送局の試算によれば、再集計すれば9票差でゴア氏が逆転勝利
するなんて話もある。
9票差!山奥の村長選じゃないんだから。
仕切り直しでもう一回始めからやった方がいいと思うぞ俺は。
立候補者選びから。
煙草をやめると太ると世の中ではよくいわれる。
やはり口が寂しいのでなんのかんのつい食ってしまうのだ。
特に食後の一服がないとなんだか食事終わりっつう踏ん切りがつかない。
で、だらだら食う。しかも踏ん切りをつけるためにデザートを食う。
関係ないが、今変換して初めてフンギリが踏ん切りである事を知った。
俺はずうっと『糞切り』だと思っていたぞ。あはははは。
みんな平気で使うけどすごい言葉だなと思っていたのだ。
『踏み切る』訳ね。単に。
でもたまにどうにも『糞切り』悪い日ってないかい?
トイレ立ったものやらどうしたものやら、て感じでさ。
あれこそ『フンギリが悪い』って実感があるが。
尾籠な話ですんまへん。
いやいや、『びろう』が『尾籠』なのも初めて知った。勉強になるなあ。
で、何かと言うとつまりだ、最近甘いものばっか食っているぞ、と。
実は昔から甘いものは大好きなのだ。
まだイタリアントマトが六本木に一軒しかなかった頃、よくチーズケーキ食いに
北島と二人で行ったもんだ。
北島とは甘味処でぜんざいを二人で食ったりもしていた。
当時北島健二はブラックサバスに加入したロバートプラントといった風情である。
俺は今よりだいぶゴツい体型である。そして今より陰気な顔。
そんな二人はいったい、女性しかいない店内でどのようなオーラを
発していたのだろうか。
てな訳でしかもここんとこスタジオでストレス溜まるしもう甘いもん食う食う。
なにしろ最近の俺ときたら、ケーキ屋で買ったもろもろのケーキとバニラのアイスを
一緒に食べるのが一番の流行りなのだ。
おかげでこの前の笑っていいともからすでに15キロ増えた。
もう別人である。
嘘です。全然体重変わってないっすよ。まだ。
しかしこんな調子では必ずや太りはじめるであろう。
気をつけるぞ。
でも青色のトッポうまいぜ。
少し真面目な話。
何日か前に書いた自分自身の『治療』の話だが、これは人それぞれ
自分なりの治療あるいは救済の方法を見つけるしかない。
そのために一番大切なのはやはり『目をそむけない』事だろう。
自分の中の何かから逃げている限り本当にハッピーにはなれない。
ここら辺の話はまた今度ゆっくりしよう。
俺も自分の曲の中で『YOU ARE NOT ALONE』と『いつの日か、きっと』
この2曲はすごく大事な曲だ。
俺はずっと、誰かにこう言って欲しかったんだなと思ったよ。
だからさ、俺が言ってやりたい。
『君は幸せになるために存在しているんだ。』ってことを。
今はそう思えなくても。
レコーディングいまいち集中出来ず。はあ。
明日こそブリブリっといくぞ。
週刊文春、俺も読んだ。
読んでいない人のために説明しよう。
薬指が人さし指に比べて長い男性ほどうつ傾向にあり、かつ音楽の才能に
恵まれている事が多い、のだそうだ。
それだけ聞くとホンマかいな、てな感じだがなんだか読むと信憑性ありそうだぞ。
俺はといえば、露骨に薬指が長い。
人さし指の先が薬指の爪の真ん中より下だ。
そうだったのか。俺のうつはテストステロンのせいだったのか。
でも将来遺伝子が総て解読されて操作できるようになったり、
脳内分泌物がすべてコントロールできるようになったりすると
性格とか才能というモノの意味がすっかり変わってしまうんだろうな。
はたしてその時みんながよりハッピーになっているのか。
いたずらに進歩を怖がっていても仕方がないが、なんだかな。
結局、どんなに科学が人間の根本に近づこうとしたところで、
エネルギー不変の法則にもとづいた輪廻の中における因果律は変わるまい。
*
今週の文春にたまたまこの前書いたアトムや鉄人28号とかが載っていた。
鉄人28号はなんと太平洋戦争末期に日本軍によって開発されたそうだ。
初めて聞いた。
すごすぎるぞ日本軍。
そりゃまじで燃料は石炭か?
相川の新曲がこれまた良いぞ。
2001年初頭発売だからねなにしろ。明るくいくよ。世の中どんよりだし。
21世紀か。
今世紀中に自分のアルバム完成どころではなくなってしまったなあ。
実は密かに自分用の曲もたまってきた。
良い曲ばかりだ。いやマジで。聴きたい?
途中経過を少しだけ発表したりするのも楽しそうだな。
ただしノドはかなり現在ダメダメ状態である。
乾燥と歌い過ぎで咳が止まらない。
それというのもなんだか一時より高い音程が出なくなっているからだ。
ついムキになって声を出したりしたんだが、あんまり良くないんだろうなそういうの。
俺はいろいろとこの日記上でも分かったような事ばかり言うが、
実際の所すんごく未練たらしい性格をしている。
俺ほどあきらめの悪い男を見た事がない。
ただ愚痴を言ってそれでなんでも終わりに出来る程あきらめが良くないのだ。
だから結果的に行動は前向きなんだが。
やっぱり歌えた歌が歌えないと悔しい。
実は悪くないんだよそれ程。曲によっては。
今の声で、それに合わせた曲歌うと。渋いとこあるし。まあほんと曲によるけど。
未練たらしい男なのでね。
続けるぜ。リハビリ。
つうか生まれて初めての歌の練習、けっこう楽しいし。
まったく関係ないが「どちらにしようかな」から先は
「天の神様の言う通り」その先は「鉄砲撃ってどんどんどん」
だと思うんだが。
俺は違うって奴がいたんだよ。いろいろあるのか?パターンが。
そういえばジャンケンはジャンケンポイだけかと思っていたが
イージャーホイってのもあったな。
まったくどの時代をとってみても俺の子供時代なんて
親にしてみればたまらんかったと思う。
しかもホントに危ないタイプだったので、後になっても
あの頃は若かったなあ、などと皆で思い出話として楽しめる
代物ではない。
一言でハイティーン時代を表現するならば『陰惨』って感じだな。
無邪気な『昔は悪かった自慢』などおよそ出来ない。
つうかそれこそ10年かかったよ。
『あんなにイヤな思い出したくもない時代』をきちんと認められるようになるまで。
だからさ、学校っつうもんから離れて約7〜8年め位に『シーズン・イン・ザ・サン』
とか清水宏次朗とか作っていたんだが、あの頃にもなにかで喋った事がある。
「自分が影ばかりを感じていた『青春』というモノの、光への憧れと怨念が
TUBEと宏次朗の作品に集約されている。」てな話。
男女何人かで海いって、水着でバレーボールしちゃう感じとかさ。それがTUBE。
そんでほら、仲間達でつっぱってムチャな事とかしててさ、それこそ後で
『若かったよな俺ら』なんて言ってそうな感じ、これが宏次朗。
ポニーテールにリーゼント。皮ジャンにバイク。
どちらもまったくステロタイプ、である。
そんな感じの人々に、ケッなんて言いながら屈折した羨望の眼差しを
送っていたわけだ。いたたた。痛いぞ俺。
でも、宏次朗の$1000、000nightっつうアルバムは名盤だよ。
百万ドルの夜。もし再発CD見つけたら是非買われたし。
あとさ、ハッスルミュージックっつう、自分らでやってた事務所や
あの頃のWILDLIFEと呼んでいたバンド、これが俺にとっての
『青春』だったんだよ。だ〜いぶ遅いけど。
で、そうだねちょうど10年かけて『治療終了』して、
きちんと『大人』になった。
『大人』とはなにか。
俺の定義は『孤独なんて人の基本さ』こんな歌詞ありましたな。
これが認識できているかどうか、である。
『人と人は解りあえるものだ』などと勘違いしてるから
人に腹をたてる。どうして解ってくれないんだあ!ってな話だ。
そして人に感謝しない。解ってくれて当たり前、だからである。
これが子供だ。
子供にとって、親を始めおよそ『外界』なるものは自分を解ってくれて
当たり前、解ってくれなければ泣く、叫ぶ、喚く、怒る。
それがロックの基本、である。こう言うと身もふたもないが。
『人と人は解りあえない』『人間は孤独が基本』
これが認識できてこそ『人と解りあえる事』あるいは『人と解りあえた気がする瞬間』
これがどれ程素晴らしい、貴重な事か認識できるのだ。
だから初めて人に感謝が出来る。
今日は俺本当に良い事書いてるぞ。
なんかグチャグチャ鬱陶しい説教こいてるぞ、などと思わず、ぜひジックリ
読んでいただきたい。マジで。
日本という国の抱えたほとんどの問題は、あまりに『子供』な子供と、
『子供』なおじさんおばさんしかいない、という事に起因している
といっても過言ではない。
なんだかとっても大上段な物言いだな。えらそうに俺。
でもほんとだぜ。
いやなんだか今日は書く事思いつかねえな。
まったくよく毎日書いてるよ俺。
根がお喋りなのである。
小学生の頃とにかくうるさくて、授業の邪魔になるのでいつも
外で立たされていた。
なんせ一瞬もじっとしていられないもんで、低学年の時に特殊学級に
入れられそうになった程だ。
通信簿には、必ず落ち着きがないだの軽薄だのと書かれていた。
多分人に解ってほしい、人を解りたいという欲求がすごく強かったんだろう。
それがだんだん直接のコミュニケーションに対する失望の積み重ねにより
その欲求が作品づくりの方向へと変形していったんだな。
それがどんどんエスカレートして、しまいには対人恐怖症になって人と
本当に普通のコミュニケーションが出来なくなっていた時期があった。
人といると喋れない、一人になるとずっと喋ってるなんて完全にアブナイ
状態もあったし。
いやほんと、りっぱな大人になりました。よかったよかった。
確実に言える事は、音楽がなかったらアウトだったよ。
一番ヤバい頃は絵描きになるつもりで絵ばっか描いていた。
そりゃ絵だって描くと描かないじゃあ大違いだ。
でもあのまま絵描いてたらそりゃどんどん一人の世界入ってくもんな。
音楽も今でこそ打ち込みに宅録で自己完結できるけど、当時ロックやりたきゃ
バンド作るしかなかったんだよ。
ライブやりたきゃ会場借りたり、チケット売ったりしなきゃいけないし。
だいたいライブってもん自体がお客さんがいて初めて成り立つ訳で。
だめだ。今日は脳がしんどい。明日に続く。
しかしこんな振り返って自己分析してんのなんて読んでてつまんないかな。
今日は深夜、とあるバーの5周年に顔を出した。
今は茶しか飲まんのだが。
5年の間に店員も客も色々な事があった。
ずうっと来てる奴来なくなった奴めでたい事があった奴辛い事があった奴
別れた奴くっついた奴人生上り調子の奴かなり下ってきてる奴まったく
悲喜こもごもである。
いろんな人生の交差点としての酒場っちゅうもんがわしゃあ大好きじゃ。
だから酒はやめないよ。
完全禁酒は今年いっぱい。
来年からはぼちぼち、ね。
俺は酒飲みの男に昔、説教した事がある。
毎日何時間も単に飲んでる奴と、なんか建設的な事にその時間を使っている奴の
差は、そりゃあ何年も経つとものすごい差になる。
いいんだよ別に。日々ハッピーなら良いって事なら。特に何やりたいとかないなら。
ただし例えばミュージシャンでさ、毎日クダ巻いてる奴と、その間に曲作って
練習してる奴と比べたらそりゃ結果に差は出て当然だ。
そんなんで愚痴とか言ってんなよって。
それにさ、必ず毎日どっぷり飲んでから寝る奴ってさ、いろんな日々の問題を
解決する努力しなくなるよな。とりあえず飲めば『ま、いっか』て事で。
俺はほんと、人生は頑張らないと意味がないとか、勝利者にならなきゃダメだとか、
ゼンゼン思ってない。
それどころか、俺の人生のテーマは明確である。
『味わう事』『味わい尽くす事』
これのみである。
いろ〜んな所にいろ〜んな味わいがある。けっこうそれぞれ、シチュエイション
に応じて味わいが楽しめるものである。人生っつうもんは。
本当に辛い事、悲しい事すら、10年も経てば思い出なんだから。人間ってのは
そのために忘却機能がある。もし10年前の事にまだ引きずられている奴がいたとし
たら、そりゃあそいつは好きで傷を自分で掘り起こし続けてるだけだよ。
とにかく死ぬまでのたかだか数十年、良い事も悪い事も、自分の事も人の事も、
とにかく味わい尽くしたいんだよ。
成功や勝利と失敗や敗北ってのは単に違う味わいとして、本質が『観察者』である
俺にとってはどちらも興味深い。『傍観者』ではない。愛がないのが『傍観者』だ。
あたしゃ愛過多ゆえの好奇心男として常に『観察者』なのである。
ま、そんなプロの味わイストであり観察者である俺に、酒と酒を飲む
シチュエイションは欠かせない。
では何故禁酒に至ったか。
味わイストであり観察者である俺としては、一番嫌いなのが目をそらす事、
目をそむける事なのだ。
どんなにシンドイ事でも、重箱のスミまで味わわないと。
ここ2年ばかりまさしく『ま、いっか』つって寝るために、目をそむけるために
酒飲むようになってたからな。
それじゃ人生つまんねえんだよ。
来年からは飲むったってもう逃げるためになんて飲まないよ。
味わいを深めるために、その一瞬、共有出来る時間に乾杯!なのだ。
それでいいのだ。レレレのレ。なのだ。
ちらっと今日小耳にはさんだんだが、次のオリンピックから
ビリヤードが正式種目になるかもしれないってえのは本当なのか。
まったくタイムリーでない話題だが。
たまたま小耳にはさんだもんで。小耳。どこだ小耳。小耳小耳小耳。キノコっぽいし。
あれはスポーツだったのか。ふうむ。
ゴルフって種目にあったっけ?ゴルフの方がもっとスポーツっぽいぞ。
終いにはゲートボールも種目になるな。
ダーツとかも在りか。
そういえば冬期でなんかでっかいチーズみたいなもん滑らして周りをお掃除してる
不思議な種目があったなあ。
なにをどう争っているんだかさっぱり見当がつかんかった。
競技人口でいえばボーリングだってありだろう。
あのチーズ滑らしとかテコンドーとかよりは随分メジャーだと思うぞ。
とはいえどんな競技であれ世界で争うレベルなんてのはそれなりに
すんごい努力の結果としてまったくもって賞賛すべき話なんだが。
大体いつからプロが混じったりしだしたんだ。
プロ全面参加オッケーの種目とか中途半端にオッケーの種目とかよく解らん。
どうせならひたすら総ての種目で、シンプルに世界一を決めるようにすればいいのに。
そうするとサッカーでいえばワールドカップとの差別化が難しいのか。
競技もどんどん増やしてテトリスとかダンレボとかもありにして。碁とか。
選ぶ基準がどうせあやふやなんだから増やすだけ増やした方が
不公平じゃないと思うぞ。
それにしても本当に、まったくもって今更だが高橋尚子選手は凄かったなあ。
あんな『圧勝』てものを見せてくれた日本人選手は、あらゆる種目で初めてだった
気がする。
さんざん色々な所で言われた事ではあるが、本当に日本のスポーツ選手も変わったな。
「こんなにガンバってる」「こんなに一生懸命」なんて暑苦しく押し出す奴
いないもんな。
中田とかイチローとかも本気でオシャレだし。
でもやっぱり高校野球とかで髪型かっこつけたりしてると「そんな事ばっか
気にしてるからうまくならないんだ」とか言い出すコーチやOBの方が多いんだろう。
ほんっっっとーに、『頑張る』『根性』だけで思考停止するタイプの体育会系
だきゃあいやだいやだいやだいやだほんとおおにいやだ。
でも俺がだいっ嫌いなのはその『思考停止状態』であって、実は確信しているんだよ。
どんな事でも最後に必要なのは『根性』で『頑張る』事だけだってね。
風邪が流行っているぞ。
みんな気を付けよう。
俺はついこの前治ったばかりだが、またかすか〜に熱っぽい。
なんて気合いの入っていない身体だ。
まあこの前書いたとおり、楽しくてしょうがない時は風邪もひかない。
ちょっと位の風邪なら治っちまうってえもんだ。
逆に言えば楽しくないと風邪のみならずもろもろの症状が出てきたりするもんだ。
いわゆる登校拒否状態だな。
学校行こうとすると頭が痛くなったり胃が痛くなったりして、
それが遊んでいる内にすっかりなんともなくなってしまったとしても
それは仮病とは限らない。
頭痛も胃痛も本当かもしれないのである。
それを仮病と決めつけて、学校へ行かない人間はダメな奴だなんて強迫観念を
植え付けると、すっかり心身共にれっきとした病人を作り上げられるだろう。
中学の頃毎日決まって夕方、全身にジンマシンが2〜3時間出た時期が1年程あった。
これに対して医者は副腎皮質ホルモンをくれただけだ。
そんなもんどんどん身体に耐性がついて効かなくなるし、副作用バッコバコである。
今思えば、1ヶ月程学校休んで、しかも親や教師が別に学校なんて
行こうが行くまいが大した事じゃないっつうスタンスでいてくれたなら必ず
すぐ治るもんだったんだろうとは思う。
実は小学校6年の頃は毎日30分位胃ケイレンが起きるのが持病になっていた。
痛いんだよあれ。その30分はうずくまってジっとしてるしかないんだ。
痛みが消えると嘘みたいに何ともなくなるんだけどね。
他にも色々、学校っつうもんに行っていた頃はしょっちゅう身体の調子が
おかしくなっていたなあ。
学校というものから離れさえしたら、何の事はない本来タフな身体の
持ち主だったようだ俺は。
つう訳でもしあなたの子供が元気に楽しく学校に行っていないようなら、
別に学校なんて行こうが行くまいが大した事じゃないってなスタンスで
親が接してあげると解決する問題もきっとあると思うよ。
なんだなんだケーブルテレビつけっぱなしにしていたんだが、
さっきまで映画やっていた筈がストリップやってるぞ。
それにしても欧米人。なんの淫靡さもないなあ。
ま、そんな訳でさ、くれぐれも子供が学校とうまくやれないからって
ダメな奴扱いしないように。
そこさえ上手く乗り越えられれば、そんな奴の方が大概スケールの大きい人生
歩んでいったりするものなんだから。
いよいよ12月である。
街はどんどんクリスマスな気分を醸していくだろう。
デパートなどでデカデカとX 'masとかSALEとか
ショーウインドーが賑やかに飾られるでしょう。
あれだって前の日に飾ってる人達がいるんだよ。当然だけど。
実は遥か彼方昔にそんなバイトをした事がある。
それ以来ああいう文字の飾りとか見ると,ああ誰かが貼ったんだなあと
思う様になった。
消防機器のバイトもした事がある。
あるでしょどこのビルにでも。あの天井についてる感知器。
あれが作動するかチェックするバイトだった。
そうするとそれ以来あの感知器も見るたび、誰かがチェックしてるんだな
と思ったりする。
そう思って見ると、街は歩道のブロック一つからビルの窓枠に至るまで、
全ては色々な人々が日々関わって作り上げている。
知り合いのデザイナーの雑誌づくりの仕事を横で見ていたら、
『原稿書く奴がいて、写真とってきた奴がいて、
それをまとめて編集する奴がいて、それをまた配置を決めたり
デザインする奴がいてやっと 1ページが出来るのか。』
なんて事思ったなあ。
その1ページ1ページが何百もあってやっと1冊の本になるのである。
そうやって出来上がった本がこれまた1週間に何百と発行され、
捨てられていく。
現在俺の目の前にある雑誌、CDからパソコン、食器に至るまで
全てのものに数え切れない人間がかかわってきて、今ここに、
俺の前にあるってのは実は凄い事だぞ。
常に数えきれない人々の思い入れとか念とか、そういったモノに
包まれて生きてるんだなと感じると、なんだか色々粗末に出来なく
なってくるよな。
という訳で、今日は少々神妙に感謝しつつ。オヤスミナサイ。
そうか。31日はないのか。まいったぞ。
てっきりあと一日11月があるものだと思っていた。
色々困っている。スケジュール的に。
いつもの事と言えばそうなんだが、俺的にはまだいろんな意味で
リハビリ中なもんでテンションが上がらない。
現在BGMはフェイ・ウォンのチャン・ヨウというアルバムである。
彼女の声は大好きだ。おまけにこのジャケットの彼女は素晴らしく素敵だ。
この写真の彼女にここ数年恋している。
このアルバムは本当に良いよ。歌も曲もアレンジも。詞はわからんが。
我想不可思議浮遊空間的無国籍歌謡という感じ。
Eyes on meという曲がファイナルファンタジーのテーマソングになっていて、
日本盤にはこの曲も入っているんだが、これは日本人の曲を英語で歌っている。
これだってかなり良いのだが、いかんせん中国語の歌の方が17倍程良い。
しかも本人を含む香港や北京のチームでの音作りが素晴らしい。
ベタぼめだな。まあ実際ここ20年位で女性ボーカルものでは
ベスト3に入るアルバムだな。俺の中では。
じゃあ後の2枚は何なんだ?
ふむ。お教えしましょう。
一枚はエンヤ。トトではない。アルバムとしてはやはり『The best of〜』になるか。
もう一枚はというと、これはあまり人に言った事がない。
でももういいか。言ってしまうぞ。
中島みゆきである。一枚と言われれば、『大吟醸』ですなこれはもう。
普通ミュージシャン達が雑誌の企画などで「好きなシンガー」「好きなアルバム」
とかって挙げている名前なんてえのはみんな必ず意識しているのだ。
『何が好きだって事にするとイメージ的にかっこいいかな?』なあんてね。
真に受けたらあかんでえ。
あんまりミュージシャンで言っているの聞いた事ないな。
中島みゆきが好きだって。
ていうかあまり世間でも聞かねえな。
ホントは好きなくせにホラホラ。正直に言ってごらん。
俺さ、中学の頃とかそれこそ歌謡曲とかカーペンターズとか聴いてる奴らに、
「なんだよそんなの聴いてんのか。ダメだダメだ。こういうの聴きなさい。」
なんつってジャズやプログレ無理矢理聴かせたりしていたのさ。
ああ恥ずかしい。
嫌いじゃないっすよ。ジャズもプログレも。つうかプログレは大好きだ。
しかしカーペンターズは今聴いても素晴らしい。
『良いモノは良い』
それだけである。
中島みゆきの『誕生』という曲は是非一度聴いてほしいぞ。
聴いて良いと思わない人には俺、ぜーんぜん無理強いはしない。
人の好みなんてホントそれぞれなんだから。
ただ中島みゆきとか織田哲郎とか、ちょっと聴いた事ある曲だけで決めつけて
食わず嫌いの人多いんだよ。
聴いてみろって『T』なんて最高のアルバムなんだから。
・・て、俺の話でなく。
書きながら『誕生』久しぶりに聴いてしまった。
やっぱり感動しちまった。くそ。ううむ。これはたまりません。
俺はもともと洋楽からスタートしてるし、プロの音楽家としてグルーブが
どうしたベードラの音がどうした和音構成がどうしたそりゃいろいろうるさい。
だからそういう意味で良く出来た音楽も好きだし聴くさ。
でもぶっちゃけて言ってしまえばこの『誕生』ほど感動した音楽なんて
まあ滅多にない。
ださいよそりゃ。一言でいって。アレンジだのなんだの。
しかし創る側の人間として、誤解を恐れずに言ってしまえば、
『洋楽みたいな』良く出来た音楽なんて、作るのはそれほど難しい事じゃない。
だが本当の『感動』に詞とメロディと歌以外の要素なんて役割は小さなもんだ。
まあたどうしても中学の時の俺みたいなのがこういう曲
馬鹿にするんだよなあ。
ミュージシャン達も音楽に対して近眼になってる事が多くて演奏がどうの
とかばっか言うし。
あああああもうこんな時間だあ!ついつい熱く語ってしまった。
でもやっぱり中島みゆきについて熱く語る奴ってそりゃモテねえよなあ。
もう11月も終わろうとしている。
ついこの間夏だった気がするぞ。
なにしろ20世紀も終わりなのである。
ちなみに俺のソロデビューシングルは『2001年』だ。
知らない人もいると思うが。
あの頃2001年は俺にとって遠い未来だった。
しかも俺らの世代は、中学生の頃例のノストラダムスが大ベストセラーになって、
1999年に何も起こらずにすむ訳がないと、頭のどこかに植え付けられていた。
思いのほか何事もなく過ぎてゆくなあ。世紀末。世界的にパッとしないが。
確かにコンピューター関係とか遺伝子関係とか、明らかに未来的な状態も
色々あるにはあるけれど、別に宇宙人が登場する訳でもないし、
車なんてまだガソリンつんで自分でハンドル操作している。
そろそろ透明なチューブみたいなハイウェイを、すんごい高速で
自動運転してる筈なんだが。手塚治虫先生によると。
それにしても科学が発展したからって世の中が良くなっていくなんて
もう誰も無邪気に思わないよな。
俺が小学生の頃位までは科学の進歩で人類はどんどんハッピーになれると
けっこう世界中が信じていた。
原子力なんてもう万能って感じだったし。
アトムだってありゃ原子力で動いていた筈だぞ。その名の通り。
あんな顏して廃棄物だしまくり。ウランも同じく。
きっとお茶の水博士は白血病で亡くなったのであろう。恐ろしい。
そういえば鉄人28号は何のエネルギーによって動いていたのだろう。
ルックス的には石炭燃やしていたっぽいが。
ビッグXってのは一体何だったんだ?確か何か注射して巨大化したぞ。
それってただのシャブ中の幻想じゃないのか。
やばすぎるぞ手塚先生。
マグマ大使は生き物なのかそれともメカだったのか?
確か江木俊夫が笛吹いて呼んでいたぞ。
ゴア様は美容院でパーマあててきた買い物帰りのオバチャンではないのか?
うーむ。解らん。
解らん事だらけだが、俺が小学生の頃のテレビ番組の話されても
若い世代にはそれこそ何の事やらさっぱり訳が解るまい。
科学の話だった筈なんだが、ついつい小学生の頃のテレビの話題つうのは
盛り上がってきちまうぜ。
ただしウルトラマンは俺が小学校3〜4年の頃だったんだがもうあれは
つまらんかった。
その前のウルトラQが最高だったな。
あれは高い志を感じた。
ウルトラマンはすでに小学3年生の俺にして子供だましな気がした。
やばい。この話題は止まらない。
多分さすがに話題が古すぎて皆つまらないと思うんだが。
もしそこら辺の話も理解できる世代の方々が意外にいらっしゃるようならば
古い漫画やテレビのネタは是非またやりましょう。
というか本当に止まらない。
忍者部隊月光は何故わざわざあんなに目立つ格好をしていたんだ?
久しぶりに会った学生時代の友人に、
「日本のクラプトンになったらいいじゃん」と言われた。
俺のノドの話になって、高い声なんて別に出なくてもいいんでないの、
という訳である。
言われてみりゃそうだよな。
クラプトンはおこがましいが、確かに若い時代と同じキーで
同じテンションで歌う必要なんてまったくない。
アンプラグドのレイラを初めて聴いた時は一瞬コケたけど。
考えてみれば俺自身、ガンバってる感じのする歌ってのは普段
まず聴く事がない。
ここ10年位なんせ好きなシンガーといえばずっとChris Reaと
Tom Waitsである。
二人とも頑張らない事はなはだしい。
そういえばお薦めの音楽は?って質問もあったぞ。
ここでお薦めしておこう。
まずChris Rea。最初はリーかとおもったらレアなのである。
On the beachという曲はかつてCMで流れていたので御存じかと思う。
その曲が当然入っているアルバム
『On the beach』
これは名盤である。
あと彼のアルバムの中では
『Wired to the moon』
これが俺は一番好きだ。
まあなにしろ彼の声が好きなんでどれも良いんだが、ここ最近のものは
もうちっと真面目に曲作ってくれよ、なんて気もしないでもない。
でも楽しそうにR&Rなんかやられちまうと・・まあいいか、で許してしまう。
要するにファンなのである。
そしてTom Waits。
この男もねえ。
許してしまうなあ。なにしろ。
『Heartattack and Vine』
というアルバムが俺の一番。
これにはSpringsteenがカバーしたJersey Girl も入っている。
そして
『Rain Dogs』
このアルバムもたまりませんぜ。
こいつにはRod Stewartも歌ってるDowntown trainが入ってる。
考えてみればSpringsteenもRodも好きなのだ。
この二人は、特に中学の頃にRod、高校でSpringsteenが大好きだった。
でもってここまで名前の上がった4人、全部シャガレ声だな。
もっと言えば冗談でなく小学校の頃から森進一と青江美奈は大好きであった。
俺、小学生にして盛り場ウロつくの好きだったんだわ。
あの頃そういう所行くとその二人とあとクールファイブ、前川清さんね、
そんなんがよく流れてた。
そんでまたそういう曲のイントロに、よくむせび泣くサックスってのが出てきてさ。
なにを隠そう俺のサックス好きはそこからなのだよ。
まあ丁度同じ頃にStonesのBrown Sugerが好きになって、あれのサックスソロ
が最高だったんだわさ。Bobby Keys。
彼にはついに『T』のレコーディングで一曲参加してもらって、俺は感激した。
てな訳で渋くいきますよこれから。もう大人なんだから。
リハビリは続けるけど。
頭が少々痛い。
単に寝不足である。うむう。
昔は1日2時間寝ればしっかり活動できたんだが。
俺はとにかく寝ない男だった。
最近はそんな訳にはいきません。
ある程度寝ないと身体は悲鳴を上げるんだけれど、どうも寝るのが
いまいちヘタなのだ。寝付きは悪いしすぐ起きる。
母親の言うには夜泣きばかりする赤ん坊だったらしい。
筋金入りなのである。
今日はThe Transformerの新曲にブラスと女性コーラスを入れた。
久しぶりに古村に会った。
俺は今酒を飲まないので、今度ウチの近所のケーキ屋でお茶しようと
いう事にして別れた。
たぶん無気味だろう。四十男二人でチーズケーキを食う図。
むむむ。目が辛い。カラいではない。ツラい、である。
目にタバスコさすと一体どんだけツラいんだろう。それはカラいのか。
もうあきまへん。今日はここまで。
もう8時前である。朝の。
なんだか辛い生活になっているぞ。これはいかんでしょう。
すでに脳はヘッポコピーなノイズを奏でている。
アメリカインディアンが使う、燃やしたその煙りで気を清めるという
何かの葉っぱを相川が土産に買ってきてくれていた。
こいつをスタジオで燃やしてみたんだが、なんともたまらん匂いなのである。
強いて言うならば、体育会系の部室の匂いが近い。
本当に清まってんのかこれで。
こりゃいかんってんで別のお香を焚いてみた。
これがまた初めて使ってみたお香なんだが、やたらと甘い香りなのだ。
強いて言うならば、安い消しゴムに近い。
香水が最も発達したのはフランスの、下水は整備されていない、
風呂も皆めったに入らないなんつう時代においてであろう。
ほんっっとそんなシチュエイションにだきゃあ生まれなくてよかったぜ。
臭い匂いは別の香りじゃ消せないだろ。
それどころか臭さに甘い香りなんぞが加わるともう胃液が
さりげなく逆流したがってるぞ。
ヘッポコピー。
本日はお日柄もよろしくT's clubを仕切っている松田の
結婚式であった。
新郎新婦双方の親戚の方々、 共に皆様中々ふぁんきいなノリを呈しており、
良い塩梅にリラックスした中で式は進行した。
それにしてももう散々人の結婚式にも呼ばれ、しかもいわゆる披露宴の
形式に対して「なんかクサいよなあ」とか感じているのだが、
やはり最後に両親に花束渡したりするところで涙腺がゆるみそうに
なったりもする。な〜にこんなとこで泣きそうになってんだよ俺!などと
自分でつっこみながら、そこで男親に良いスピーチされたりすると
完全に涙腺が決壊してしまったりする事もある。
ただし結婚式の感動度と結婚自体の成功率には何の因果関係もない。
いや待てよ。もしかすると反比例気味だぞかなり。
今までで俺が一番感動した結婚式の二人は4年で別れた。
今までで一番盛大な結婚式をあげた二人は2年で別れた。
屁理屈をこねてみるに、恋愛は非日常の中にあるからこそ燃え上がる訳で、
通常そのヴォルテージが最大値を示すのは、非日常のフィナーレを飾る
結婚式だといえよう。
そしてそこからは日常なのである。
日常のパートナーとしての適性と、非日常の中でのヴォルテージを上げる相性は
必ずとは言えないが、反比例の傾向にある事を経験上感じている人も多かろう。
ふむふむ。なるほど。
するってえとあれかい、すでに二人の存在がお互いすっかり日常化してて、いまさら
結婚式も盛り上がんねえ位の方がうまくいき易いってな訳かい熊さん。
誰なんだ熊さん。
まあその傾向はありそうだけど、非日常を二人舞い上がりまくった後に、
日常のパートナーへとネガティブな諦めでなく、ポジティブな愛情を持って
ゆるやかに移行していく事が出来りゃ一番良いんじゃねえのかい八っつぁん。
だから誰なんだよ八っつぁんて。
*
夜はサルティンバンコを観てきた。
前にアレグリアも観たがう〜ん、あっちの方が少し好きだったかな。
まあなんにしても凄い総合エンターテイメントである。
生バンドに生歌、そして曲も素晴らしく良い。
そして舞台、衣装、照明等の美しさ。
そんでもってメインはサーカスなんだぞ。
これはもう圧巻だ。
オリンピックの体操はアマチュア、そして彼らは本物のプロである。
人間という生き物はあんな事まで出来るようになれたりするのか、
といった感慨を抱いた。
さて、もう一回発声練習して寝るぞ。
今日は疲れたぞ。
The Transformerというバンドのレコーディングであった。
今回初めて俺も曲作りからアレンジまで全面的に参加しながら、
彼らの次のシングルを作っている。
かっこいいぞ。すごく。
昨日『スペース・カウボーイ』を観た。
たまりませんなトミー・リー・ジョーンズ。
実は色々とアメリカっちゅう国はわしゃ好かんところがある。
自分らは正しいから君らを導いてあげよう、なんつう態度で常に
世界に押し付けがましく出ばってきては正義漢を演じといて、
実のところ徹底的な商売人国家である。
一番金になる武器で儲けるためなら戦争の火種も作るし。
『日本は友達だからアメリカさんはどんな時でも守ってくれるんだ』
なんて思っていたら大間違いだ。
常に『国益』のための『戦略』で動いているだけである。
ただしそれは日本以外では外交の常識ではあるが。
しかしあくまでアメリカの行動原理は常に正義に基づいているってな気分を、
アメリカ国民のみならず世界中に浸透させるのに
ハリウッド映画なるモノが役立っている訳だ。
政治からハード産業ソフト産業まで一致団結して国益の為に動いているんだから
強い強い。
それに比べて日本。あの政治家達。とほほ。
アメリカや中国の言う通りにカネ出すだけのパシリ気質ってのかね。
別に日本がえらいとか、えらくなきゃやだとかってな話しでなく、
もっとシャンとしろよって感じ。普通に。
え〜、話が少々それましたが、要するにそんな奴らのそんな映画なんだけど、
やっぱり観ると『いかしてるぜアメリカの男達!』なんて言いたくなるのだよ。
しかも『まったくロシアの奴らは!』なんて思ったりして。
すっかりやられてるつーの。
今度世界中で『パールハーバー』が公開される。あな恐ろしや。
また政治がらみの話を少々。
保守党の松浪議員がヤジに腹を立てて水をかけたっつうんで
随分責められている。あんな映像が世界中で流れると日本が野蛮な
国だと思われるとか散々な言われようで、彼もやけに神妙な顔で
謝罪していた。
でもさ、ちょっと待てよ。いつも国会中継とか見ると思うんだが
あのヤジってのは恥ずかしく無いのか。
ワーワーとにかく答弁をさえぎろうとして、しかも今回は
「ちょんまげ野郎」だったらしいが、答弁の内容ともなんの関係もない
ヤジが飛びまくったりする状態ってのは国の最高機関、日本中で選ばれた
人々のやる事としていけてんのかそれ。
とりあえずもう一回小学校からやり直してこいっつう感じするぞ。
学級会で先生に怒られなかったのかそんなんで。
まあいかにも居そうだよな「でもやっぱり水をかけた松浪君は
いけないと思います。」とか言い出す女の子。
ヤジる行為の方を責める意見がまったく聞かれないってのが
俺には不思議だ。
キムタクと工藤静香が結婚。妊娠4ヶ月。
よろしいんじゃないでしょうか。
みんな好きだよなあ自分とはなんの関係もない人々の恋愛話。
日本中しばらくこれで盛り上がるんだろうきっと。
本当に芸能人って大変だと思う。
だって想像してみろって。自分の恋愛がいちいち「こんなふうに口説いた」
「こうやってふられた」「こんなヒドい男だった」しまいにゃあ
「ホモでこれが相手の男」なんて日本中に発表されたりするんだぞ。ああ恐ろしい。
いやほんと、どこ行っても「あ、〜だ!」とか言われる状態なんて、真剣に
考えたらとてもじゃないが恐ろしくて芸能人になりたいなんて言えないと
思うんだが。
俺程度でさえコンビニでしょーもないエロ漫画立ち読みした後、レジで
「サイン下さい」とか言われちまったりしてさ。
恥ずかしくてもうそのコンビニ行けなくなっちまうじゃねーか。
なんとか顔を知られず音楽と名前だけ
世の中に浸透させたいぞ。俺としては。姑息に。
風邪でしばらく発声練習きちんと出来なかったら、すかさず声が出なくなった。
まったく人生はワンツーパンチだな。3歩進んで2歩下がる。by チータ再び。
1からとは言わないが、3から出直しってな感じ。
ところで一日たっていよいよ『いいとも』について
反省しきりである。
まったく何しに出たんだか。
俺としてはとりあえず皆に心配かけてるし、沢山の励ましをいただいたので
あの場を借りてお礼を言いたかったのである。
なので今更こんな所で地味にではございますが、
「励ましのメールやお手紙本当にありがとう。
すごく勇気づけられたよ。
絶対ノドはきちんと直すから是非待っていて下さい。」
12年振りの笑っていいともであった。
それにしても本当にテレビにむかない男だな。織田哲郎。
こうやって文章にするといかした事書くんだが。自分で言うが。
ビデオで見ると顔が疲れていたな。
ここ1週間風邪ひいていたし。1週間前ならもっと全然元気だったのに。
まったく間の悪い男だ。
しかし笑っていいともがいつ始まったのか知らないが、
少なくとも10数年もの間、ほとんど毎日生番組をやり続けている
タモリさんっつうのは物凄い人だな。
俺がテレビにむかない一つの理由は、精神状態が極めて不安定である事だ。
昔テレビやらラジオやらがんばってやろうとしていた頃、
(知らないとは思うが、かつて俺はテレビで毎週レギュラーの番組を
持っていた事がある。いやはや。その頃ラジオも2本持っていた。)
いかに頑張っても喋りたくない時はど〜おにもならないのである。
なんとか無理矢理喋ろうとしてもいよいよ変なノリになるし。
まあ躁状態の時はそれはそれで一人で違う世界行っちまうし。
タモリさんて、たまには「おま#$!」とかいきなり叫んで
もう逃げちまおうとか思った事ないんだろうか。
ホントに俺は自分のペースでしか何も出来ない。
そういう意味では、音楽の仕事は案外ライブやプロモーションで
きちんと決まったスケジュール通りに動かなければいけないので辛い。
盛り上がった時の瞬発力だけは人よりあるのだが、
そうでない時に『普通にこなす』という能力が全くない。
だから日常におけるほとんどの事に関してダメ男である。
*
今日は夜、渋谷公会堂で高橋克典君のライブを見に行ってきた。
自分の書いた曲を大切に歌ってもらえるのは、本当に嬉しい事だ。
意外に本人のピアノの演奏がしっかりしていて感心した。
男らしさがうりで意外性として繊細なピアノ演奏。おいしいぞ克典。
俺の前マネージャーは小学生にして、女にもてるためだけに
ピアノを習った男である。
颯爽とした男らしさ。繊細さ。大雑把さ。飄々とした育ちのよさ。
色々と相反する要素が、one and onlyな魅力をかもしている克典君であった。
明日いいともに出演する事にした。
なんとまあ確か12年ぶりである。
とりあえずは元気に生きている事を確認してくれ。
それにしても加藤さんヘタうったなあ。
日本中が大コケである。
確かに小沢さんや昔の新自由クラブの末路を見ているから、
とにかく自民党を出ちゃいけないというのが彼の場合前提として
あるのだろう。
でももしかしたら時代は本当に変わってきてたかもしれないぞ。
やめちまえば少なくとも当面世論及び大半の野党は彼についた訳で、
そこでうまくやってくれれば面白かったのに。
まあ民主党が与党になればすぐ何かが良くなるなんて事もまずない。
なんせ政策的には自民党よりバラバラな集まりだし。
ただ、とにかくもう一度自民党を野党にして、そこから政界再編成へと
向かう事を期待したいものだ。
加藤さん辛いねえ当分。人望も度胸も実は無い男だって
日本中にアピールしちまったようなもんだからなあ。
ところで関東に大地震がそろそろ来そうな予感。
ただしまったくあてにならず。もう30年位毎年言ってるぞ。
でも今回はほんとになんか変な気がする。
でもあてにはならない。
どうなんだ本当のところ。
情報求む。
今日も現在7時半。朝の。
ヘトヘトである。しかし誰が最初に言い出したんだヘトヘト。
別にネヘネヘでもヘホヘホでも良かっただろうに。
まったく愚にもつかん事ゆうてないで、はよ寝ろっての。
同じヘトヘトでも、打ち込み疲れとナマ楽器演奏疲れでは
脳内で分泌される物質の成分が全く違う。
最近は本当に打ち込み主体の音楽を細胞が受け付けない。
リズムは揺れるから心地よいのだ。
音程が揺れるから情感が伝わるのだ。
例えば人間が叩いたドラムってえのは、のってきた時に
微妙にスネアのタイミングが前にいったり、
気合いが入った時に少しだけアタックの強い音になったりする訳で、
それを機械でシミュレートするったって気が遠くなる作業だ。
そして生演奏セッションの場合各人の一発一発の音がそうやって
揺れている中で、それこそ総ての瞬間に物凄い情報量が含まれる事になる。
だからこそLIVEってのはやめられない。
たまあに神がかりな瞬間ってもんがあるのだよ。
あああやりてえぞLIVE。
まあ気長に気長に。ふう。
乾燥は俺の天敵である。
もともと肌や髪もパサつき気味な上、粘膜系が弱い。
のども目も乾燥やホコリにすぐやられる。
なのに。ナマ楽器類というのはほとんど木とか皮革とか、
とにかく乾燥させた方がいい音が出るものばかりなのだ。
そして、機材類というのは湿気が一番故障につながる。
と言う訳でスタジオは常に乾燥している。
これは非常にまずい。考えてもみてくれ。歌う所なんだぜ。ノド一番大事っしょ。
であるからしていつも加湿器つけまくりたい俺と、機材と楽器優先のスタッフとの
せめぎ合いなのである。
だが俺は雨は好きでない。基本的には雨のまったく降らないような
場所が大好きである。
まったく湿度に関して許容範囲の狭い男だ。
最近凝っている事。うむ。このダイアリーをはじめ、文章を書く事。
あと東急ハンズでの買い物。いろいろ変なモノを買って来ては使い方を
考えたりする。機会があれば一度、この仕事部屋の写真をお見せしよう。
なかなかかわいく変なモノが並んでいる。
ところで猫の10キロというのは大分まずいと思う。
ちなみに、現在我が家には5匹猫達がいる。
その内の一匹が8キロを超えて、成人病になっちまった。まだ1歳なのに。
糖尿その他色々併発して死にかけて以来、無理矢理減量させている。
しかしそんだけ太るだけあって意地汚いので、中々難しい。
油断するとすぐ他の奴の食事を奪っている。
しかしなんだかこりゃ公開交換日記状態だな。面白い事になってきた。
一度だけやった事あるぜ交換日記。中1の時。ぬわっはは。恥ずかし。
まったく早寝早起きはどこへ行ってしまったんだ。
すっかり朝寝るペースに戻っているぞ。
どうしてもなんか創っていてのりのり状態を迎えるのは夜中になる。
特に明け方頃一番冴えるのはどういう事だ。
俺の天使は耳もとで「いい加減な事ばかり言っちゃいけません」
と言っている。
随分風邪は良くなった。しかしこの三日間で確実に脳が鼻水とともに
流れ出た。
よく聞く音楽は?ってのがあったね。
最近何十回目か何百回目だかのサイモン&ガーファンクルのブームが
巻き起こっている。俺の中で。
あとはエンヤ。
ぜひエンヤにはTOTOに参加して欲しい。バンド名はエンヤトト。
確実に脳が流れ出たようだ。やはり。
この2つ以外は、俺も読み方が判らないギリシャのシンガーを
よく聞いている。
実際ギリシャの音楽は伝統的なものもポップなものも好きだ。
微妙に中近東なリズム&音階が心地よい。
しばらくそれに慣れてしまうと、いわゆる西洋音楽、しかも特に打ち込みの
ポップスとか聞いても約束事の範囲が狭すぎて何が良いんだかももう解らなくなる。
ああサントリーニに帰りたい。
なんだか忙しいぞ。おかしい。
こんな筈ではなかったが。
この週末はてんてこ舞いである。てんてこ舞い。
辞書によると天手古舞だそうだ。変換できず。がんばれことえり。
それにしても天手古舞。変な言葉。
色々リクエストいただいた。有難う。
つうか別に締切りとかないんで、どしどしこれからも聞きたい事あったら言ってくれ。
随時お答え致します。
まず、う〜ん初恋っすか。
これは小学校4年か5年ですね。
4年の時さっちゃんに、初めて女性に対しての、なんか他の奴らと違う
複雑な愛情を抱いたのですよ。 ・・・うわ。照れ臭!まじで照れてるぜ俺。
42だが。
しかし5年の時のまりちゃんの方が恋っつう感じはあるか。
周りにひやかされて真っ赤になったりした。くわっかかかかか。
こんなん本人や同級生連中見たらバレバレやんけ。
小学校2〜3年頃は物凄くディープなお医者さんごっこの権威であった。
なんせ好奇心強くて。
ちょっと詳しい説明は憚られる位ディープである。通常の子供の遊びを
遥かに超えていた。
その当時は名古屋に住んでいて、4年から東京に引っ越して来たのだ。
もしあのまま名古屋にいたらと思うと恐ろしい。
必ずやエスカレートし続けたであろうから。う〜ん残念。そうじゃないって。
だから天手古舞なんだってば。今日はここまで。
風邪まだ治らず。
発声練習もあまり出来ずにいる。
まったく病気とか怪我ってのは、なってみて初めて健康の有難さが
解るものである。
治ってすぐ位は「あああ健康って素晴らしい!」とか思うのに
すぐそれが当たり前になってしまう。
まったく人間ってえのはずうずうしくていけねえ。
なんでもかんでも、当たり前だと思ったら大間違いだぜ。
基準さえ不健康な時のままならば健康な日常は、有難くて素晴らしい日々なのに。
あの子と付き合えたらもう人生他に何もいらない、なんて思っていた筈なのに
付き合い始めると、そこからはもう欠点ばかり数え出してるし。
収入にしても、かつて1の時に3あればと切望していたのが、一度10になってから
3になると、「7も減った!」って嘆くよなあ。
と言う訳で、ここはまず感謝の気持ちが大切。うむうむ。
分かっちゃあいるんだが。
だから一歩間違うと、元はと言えば幸せになろうとして上げていった
物事のレベルがどんどん自分を追い詰める、強迫観念のタネになったりする。
そういえば大体欧米の白人文化なんてのが、総ての面においてレベルが
上がる事が幸せになる事だ!低い事は不幸だ!なんて強迫観念を世界中に
植え付けやがって。
白人連中がくる前のアメリカンインディアンやオーストラリアのアボリジニ
の人々の方がよっぽど『幸せ』ってもんを解っていたじゃないかって
気がするぞ。
つうか今の日本が、世界で一番強迫観念植えつけられまくりだな。
鼻がズビズビである。
鼻がつまると知能指数が30は落ちる。
なんと昨日、車の中にキーつけたままロックしてしまった。
し〜か〜も〜っ!電気つけっぱなしだ。
ドアはスペアで開いたが、完璧にバッテリーがあがっている。
・・・・・。
こんな事は生まれて初めてだ。
恐るべし鼻づまり。
しかし今日はもう鼻水だばだば出まくりなので大分楽だ。
昨日は頭やらのどやら体中のフシブシやらどこが痛いのかも
よく解らん不快さだった。
俺のノドの件で、西洋医学は信用していないという話をしたが、
だいたい風邪なんてえのは、たとえばハナが出るのも身体が毒を
出したがってるんだろうし、熱だって身体にしてみりゃ上がるべくして
上がっているのである。
まったく連中すぐ症状だけ抑えようとしやがる。
これ以上高熱が続くと脳が危ないとか、そんな時でもなけりゃ
薬なんて飲まない方が良いに決まっとるばい。
俺なりの風邪の対処法としては2通りある。
まずネギやニンニク、ビタミンCをたっぷりとって
1、ものすごく楽しい事、気持ち良い事をする。その際はこんな事やって
風邪悪くならないかなあとか、後ろ向きな事は一切考えない。
そんな気にもまったくなれない程つらい時には
2、ひたすら暑くして寝る。汗をかきまくって、寝巻きを変えまくる。
まず1の方法だが、人間何かに楽しく熱中している時の免疫力は
予想以上のものがある。
楽しい事や気持ち良い事は人それぞれいろいろである。
あんな事もこんな事もOKだ。
昨日の俺の場合楽器を演奏している事が
とっても楽しかったようだ。気がついたら随分楽になっていた。
そして2だが、いままでいつも風邪グスリを飲んで抑えていた人には、
是非クスリを止めてこれをトライしていただきたい。
治った時には、明らかに「ああ毒が抜けたぜ!」と感じる筈である。
スリムになるし。
そういえばショウガも良いですな。
なんだかおもいっきりテレビになってきたのでもう止める。
朝の7時前である。
今日は初めておニューのスタジオで音をとってみた。
みんなで色々、機材のセッティングにすったもんだしながらなので
とにかく時間はかかる。
Bob DylanのDon't think twice,it's alrightという曲にした。
ドラム、ベース、ギターにピアノと総て演奏は俺である。
キーはぐぐっと下げて、歌も歌ってみたぞ。
なかなかに渋い出来映えである。
ただし録音してみると声は上が出ないのみならず、
低い方が細くなっている。
これでは渋さを売りにするのにも今一つ困るではないか。
まあ気長に気長に。
今日もたぶんデモテープを作る事になるだろう。
風邪ぎみである。
寝ろよ早く。はい。
おやすび。
昨日のショックまだ覚めやらぬ私。
毎日書き殴っている風であるがこれが意外に時間のかかる日もある。
昨日は随分丹念に良い事を書いていたのだ。
昔レコーディングで打ち込みをやっていた時、なまじ没頭していたものだから
セーブする事も忘れていて、完成間近に爆弾2回出られた日にゃあもう、あーた。
今思い出してもよくあのマック2階の窓から放り投げなかったものだ。
結構機械ってのはあざとい所があって、やはり奴らになめられたらイカンのである。
本気で「次やったらどういう事になるか解ってんだろうなあ」と
壊す覚悟をきめて脅すとしっかり働いたりする。
だいたいいっつも調子悪いクセに、修理の人間が来た時だけ
何もなかった顔でシラーッと正常に動くなんてのは奴らの常套手段なのだ。
あるいはその機械の持ち主の言う事だけは聞くなんて事も多々ある。
まったく同じ事をやってもだぞ。
結局言う事を聞かせる為には『愛』か『恐怖』なのだ。
やはり機械も人間である。なんのことやら。
と言う訳で、昨日書いていたのは確か、
体育会系は好かんちゅう話やったの。
つまり先生だろうが先輩だろうがアホはアホやし
後輩だって尊敬すべき人間は尊敬すべき人間なのである。
なんせ日本語というのは敬語なんつうもんがあるので
とにかく『上』『下』を会話の際にはっきりせねばならない。
年なり立場なりで。
それは良いのさ。礼儀知らずはいけませんとも。
でも言葉使いや態度と、言ってる内容はあくまで別問題でしょう。
先生や先輩の言う事に違う意見を述べると、それだけで
なまいきだとか顔が立たんだの言われても困る。
おまけに自分のささやかな範囲での権力を行使する事が
楽しくてしょうがない奴もいる。
でまたこれが飼い主がフリスビー投げてくれるのを
ハアハアいいながら待ってる犬みたいな後輩なんてのもいたりする。
そんなウエやらシタやらの中でハッピーに生きてゆく事は
俺には至難の技だ。
わざわざ反抗的な奴というのもそんな連中の裏返しパターンだろう。
同じ目線の高さで話しようよみんな。
言葉としてはきっと賛同してくれる人は少なくないだろう。
でもこんな俺はいつも上にはなまいきだと言われ、かつ下には
なめられていたものである。
だから結局学校なんてもんに関わっていた間の事はいまだに
思い出すといや〜な気分になる。
今となっては良い思い出、などというものではない。
ふうむ。少々全体に語気が荒めだのう。
当時を思い出すとつい当時のままの気分になるでのう。
と言う訳で組織の一員として生きる位なら絶対浮浪者になろうと
真剣に考えていた十代の俺であった。
はああ〜〜。もうたまらん。
なが〜い文章を3時間以上も直し直し書いて、今さっき
「予期せぬ〜により」す・べ・て・消えた。
がっくり。体中の力が抜けてしまった。
ふう。
さて気を取り直して、と。
昨日の書き方だと体育会系寄りな人間と思われたかもしれないが、
まったくもってそうではない。
と言うか体育会系は天敵であった。
詳しい話は明日にするわやっぱ。
いまいち気を取り直しきれません。
ところで俺は新渡戸稲造に似ているのか?
今日はうちのバスケットチーム初練習であった。
といっても他の知り合いの事務所やレコード会社の人間とかとの
合同練習である。
10分交代での試合形式を5回づつやったのだが、
そりゃもうあんた試合に出てる10分間のまあ長い事。
それに比べて休んでる10分間はあっと言う間だぜ。
6〜7年位前に少しだけ近所の学校でやっていたバスケットに
参加した事があった。
その時がすでに約20年ぶり。
一応高校の1〜2年はバスケット部だった。
ただし補欠だが。
だいたいバスケット部員のくせに卓球の方がうまかった。
小学校の時から暇な時に近所で卓球をやっていた事もあるが
元来、性格的にもセコければセコいもの程得意なのである。
で、中学校に入学して最初、卓球部にはいった。
確かに新入部員の中では一番うまかった。
でも同じ体育館で練習している剣道部の方がどう見ても
格好よかったので、剣道部に入り直してしまった。
しかしその後英国に行く事になり剣道はやめる事になる。
英国の学校が、これまた暇な時間は卓球しかやる事がなかったのだ。
体育の授業は一年の内半分がサッカー、あと半分がクリケットである。
サッカーは好きだったのに、それだけやってもまったくヘタクソだ。
なのに初めてやったクリケットはクソ面白くもないのに学校の代表選手であった。
それから日本に帰って、当然一段と卓球は上手くなっていたから
卓球部に誘われるのだが、隅の方で壁に向かって
素振りを繰り返す卓球部を尻目に、体育館狭しと走り回る
バスケット部の方がどう見ても、ハッキリ言えばモテそうだったので
やはりバスケット部に入ってしまった。
こんな書き方すると少々気分を害する卓球経験者もいるかもしれないが、
だってさ、あの頃の卓球のユニフォームの色ったらもう。
アオミドロ色とか褪せたアズキ色とか。
最近は規則が変わってもっと派手な色もOKらしいけど。
と言う訳で、自己の適性に明らかに逆らいながらの運動部選びを
してきてしまった。だいたい俺が団体スポーツに向くワケがない。
で結局バスケットもそれ程上達しなかったが、それでも
今だにこればっかりは大好きなのである。
またすぐやるぞ武藤!
来週はどうだ?
大統領選が凄い事になっているな。
あれだけギリギリの勝負でも負けたらただの人である。
両陣営さぞや心臓に悪い一週間であろう。
あそこまでもつれるのは、どちらもカリスマ性に欠けるからだ。
確かに上院選のヒラリーさんと比べて、どうしても役者の違いを
感じてしまう。と言うか彼女の場合、大統領の亭主と並んでいても
圧倒的に格上である。人として。
ただし例えば彼女が最終的に大統領に成ったりしたとして、
それが世界にとって好ましい事であるかどうかは
また別問題であるが。
なんにせよ一つだけ言える事は現在の日本の首相ほど
どこへ出しても恥ずかしい元首はめずらしい。
きっと民主党も是非あの人が首相なままの自民党と
選挙で戦いたいから、あまり本気で攻撃しないのだろう。ふう。
難しいのは、政治家としての資質、つまり権力を行使する
ための資質以前に、権力を手に入れるための資質が必要とされる点であろう。
その段階でどうしても使命感よりもまず権力欲の強い人間が
生き残りがちだと思われる。
こんな話してると『オダテツついに参議院立候補か?』とか安易に
思われると困る。
アタシなんぞはこの音楽業界の中ですら権力の構造に
辟易したり右往左往したりのダメ男なのだ。
ただし意外かもしれないけれど選挙はまず行くようにしている。
どんな事でも参加せずに愚痴を言う事はあまり好きでない。
と言う訳でみんな選挙は行こう。
まったくリハビリっつうもんは3歩歩いて2歩下がる
といった感じである。
人生はワンツーパンチなのだ。
なんせ幸せは歩いてこないから歩いてゆくのだ。
解るのかこれ。年齢層的にはまず解ってもらえそうだが。
何の事やらさっぱりな人はお母さんに聞いてくれ。
ちょっと声の出が良いとなんだかご機嫌になるし、
声の出が悪いとdown〜なものである。
今日はG#がいまいちである。Gも昨日より出が悪い。
うむむ。
とはいえ一ヶ月前には夢のようだったBフラットまで
最近は出たりもするのだからあせらずいきまっせ。
ところで。
三軒茶屋に『蝦夷子』だったかな、いわゆる恵比須でも恵比寿でも
ない字で『エビス』あるいは『エゾッコ』というラーメン屋がある。
店の名前は同じままだが、作る人間達は2〜3年前に全員変わって?
まったく違うラーメン屋になってしまった。
前の店の人達はどこかでまた別のラーメン屋をオープンしている
らしいのだが、どこでやっているんだか
今の店の人間に聞いたりしてもどうも判らない。
前の店のタンタンメンとギョウザが
なかなかに忘れ難く、いまだ無性に
食べたくてしょうがなくなる時がある。
実は探偵会社にこんなの探してもらったら幾ら位になるもんだか
問い合わせてみたら、50万〜という話であった。
確かに探す方にしてみれば殺人事件に関係ある人物であろうが
ギョウザが食いたいだけであろうが探す手間は
同じなのである。
残念ながら私はそこまでの道楽者ではないので
あきらめた。
という訳であの店に関する情報を待っている。是非。
今日相川の5周年記念パーティーがあったので顔を出した。
早いものだ。もう5年か。
相川の〜周年パーティーはいつも仮装が恒例になっていて、
相川本人は中学か高校の制服だった。
あまりにもなんの違和感もない。酒飲んでたら
補導されるぞ。
5年前の今日『夢見る少女じゃいられない』発売。
ポンポコリンが10年前。
15年前の12月に作っていたのが Season in the sun。
今profileの所で確認してしまった。
いろんな事やってたな俺。
久しぶりにprofileとhistoryの所見ると面白い。
見た事ない人はちゃんと見るように。
誰か一人でもボブキャットというグループの歌を
聞いた事はあるのだろうか。
『横浜ナイト』も誰も知るまい。
なにしろ嵯川哲朗である。大江戸捜査網なのである。
なかなか良いムード歌謡だったのだが。詞がなあ。
長戸大幸氏は日本音楽史上最高のプロデューサーだったのは
実績からも、業界内でのちの人間に与えた影響からも
これは疑いようのない事実だ。身びいきでなく。
彼が変えた土壌に、小室君やらつんくやらその後の人々が花を咲かせたのである。
なのであるが彼の詞はあきまへん。
あれれ、もう一回確認したら『横浜ナイト』作詞亜蘭知子になってるぞ。
でもこれは確か大幸さんが書いてた気がする。
探してみたらなんと持ってたよ1枚。
それによると作詞長戸大幸、亜蘭知子だそうだ。亜蘭が補作してたんだな。
自画像はいかがであったかな。
実物の方が随分と良い男であるが。のあっはっは。
http://www.t-oda.gr.jp/lounge/selfportrait.html
(『自画像』は上記urlでご覧いただけます:Webスタッフ)
昨日『仕事はつまんねえ』と書いたが少々
言葉が足りなかったようなので、説明しようと思う。
『仕事』あるいは『職業』と言った場合、大前提は
それが飯の種、すなわちお金を得るという事だ。
昨日の文章においては、金銭に変換されることだけを『目的』とした行為を
大雑把に『仕事』と呼んだのである。
(まぎらわしいのでこれを『オシゴト』と呼ぼう。)
しかし『結果』として金銭に変換され得る『遊び』の場合も
世間的に見れば『仕事』ではある。
それでもやはりこれはあくまで当人にとっては『遊び』であろう。
別の言い方をすれば、『仕事』が一番楽しい『遊び』にならないと
つらいと思うよ。なんせ長い時間携るんだから。
だけど実際のところ多いよな。一日中少しでも楽しようなんて
思いながら『オシゴト』してる奴。
たいていの会社の業務だろうが、恋愛だろうがなんだって
複雑化されたロープレと思えば遊びになるぜ。
ところで俺はロープレは全部嫌いだ。
選択肢は限定されるわ目的も勝手に決められてるわ
全くつまらん。
はじめてドラクエやった時、別の町いって結婚したり
レーサーになったりできねえのかって思った。
ポンジャンとマージャンの差の千倍くらいの差で(わかるかな)
ゲームよか人生の方がすごくておもろいぞ。
ところで自画像が完成した。
http://www.t-oda.gr.jp/lounge/selfportrait.html
(このurlで、『自画像』がご覧になれます)
こんなに毎日ほんとに書くとは誰も思わなかっただろう。
自分でも思わなかった。
実はこれ以外にも普通のいわゆる日記も最近つけはじめた。
こちらは詩やら散文やらグジャグジャである。
それにしても日記をつけるなんて高校以来だ。
気がつけば『書かなければいけない』時だけ詞を書く位しか
モノを書かなくなってしまった。
音楽もそうだけど、仕事ってつまんねえ。
でもいいかげんな遊びはもっとつまらん。
やっぱどこまでも真剣に、でも遊びってのがいいやね。
これがむずかしい。
たらたら書いてる詩も、今描いている絵も、発表する機会が
あるかどうかも分からないけれど俺は楽しいぞ。
生み出す事、造り出す事はやはり俺の天職であろう。
今はノドのみならず、ありとあらゆる部分を
リハビリしている状態といえる。
いやほんと、楽しみなんだよ俺。
今後どうなってゆくんだか。
俺はなんでも予想がつくと、もうつまらない。
普通ノウハウが解ってくると、どんどん能率が上がっていい仕事
が出来るようになる。
それなのに俺はノウハウが解ってきた時点でもう興味が無くなってしまう。
俺は『知る』事だけが大好きだ。それによりなにかをそれ以上『得る』
事にはほとんど興味がない。
これはもう俺という人間の根本的構造がそうなっているんで
逆らいようがないのである。
常に俺(仮にAとする)という素材での実験をまた別に
外から見ている俺(B)がいる。
(A)は(A) なりに喜んだり悲しがったりするんだけれど
そんな事はお構い無しに、(B)としては(A)の変化やら事件
やらに対して『さあおもしろくなってきたぞ』なんて興味シンシンなのだ。
だから例えば、タバコや酒をすっぱりやめても大して苦しくない
のも、しんどいのは(A)であって、(B)は「この時期の
禁酒&禁煙は実験として極めて有意義である。おもろいおもろい」
などと盛り上がっているからである。
恋愛においても、状況に応じて(A)は泣きわめいたり
死ぬ程ハッピーだったりするのであるが、
(B)はひたすらそんな(A)と、相手の女性を観察して楽しんでいる。
そして俺にとってリアルなのは(B)の方だ。
どうやら他の人々は(A)をリアルに感じている事が多いらしい。
そんな俺は子供の頃『なんて俺は純粋じゃない、
腹黒い男なんだ!』なんて思ったりしていた。
でもこれって単にタイプの問題のようだ。
こんな俺なので女性の好みは『なんなんだろうこいつ?』
という研究心を呼び起こすタイプ、である。
ただし変人ならよい訳ではない。くれぐれも。
うむむ、などとうだうだ書いている間に朝の7時である。
夜中に遊びにきてドラム叩いて帰った奴が
いたりしたもんで。
今日はB フラットの音まで出た。無理矢理ではあるが。
やはりG がとにかくもっときちんと出たいぞ。
今、自画像を描いている。
もしかしたら今度公開しよう。
ついつい熱中していたらもう朝の7時でないかい。
こうやって規則正しい生活は送れなくなるのだ。
特に詞を書き出すと朝方からのりのりパターンが多い。
書ければ、だが。
しまった。絵を見直していたらつい描き足し始めていた。
もう8時半じゃねーか。
もうねる。
おやすみ。
まだ痛い。親知らずの痕が。
もう2週間も前に抜いたのに。
つnnnnnnn
こんな感じに、奥歯を押す形で横向きに
生えていたのであった。
だから当然まともに顔を出してないその歯を
砕きながら抜いてゆくという、世にもおぞましい
手術だったのである。ひでぶ。すばら。あたたたたた。
抜いたのが左下のやつ。実は右下も全く状況は同じ。
話としてはあとひと月後にそちらを抜こうという
事にはなっている。のではあるが。だがしかし。むー。
ところで最近仕事部屋を引っ越した。
緑に囲まれた素晴らしい環境である。だが都会。
こんな場所そうそうない。どこだかは教えない。
でもってここにもスタジオを作ってしまった。
とりあえず昔から夢だったのが、好きな時に好きなだけ
ドラムが叩けて好きなだけグランドピアノが弾ける事。
やっとその夢がかなった。
もう真夜中に独りのりのりである。
あと1週間位でスタジオ機材が全部揃うので、そしたら
人も呼べる。
ドラムを叩いてるのは楽しくてしょうがないのだが
スネアの音が歯に響く。厳密には歯に、ではない。
歯の抜けた場所の骨に、である。
今ニュースでやっていたが、アテネ付近で日本人の乗っている
観光バスがバスジャックされたらしい。
なんてこった。
無事に解放されるといいんだが。
よもやこんなに毎日書くなんて誰も予想しなかったであろう。
ふおっほっほ。
どうも天気悪いと気持ちが下を向くなあ。
昔から非常に心が天気に左右されるタチである。
なんとなく気が重くなったと思ったら少し経ってから
雨が降り出す事がよくある。
よくネコの顔のこすり方で明日の天気が分かる、とか言うけれど
俺の機嫌でも分かるぜ。
でも腹へっても不機嫌になるしなあ。
ここしばらく親知らずの痕が痛くて、あまり熱心に
発声練習をしてなかったらいまいち声の出が悪い。
最近はG(ソ)の音が大分出やすくなってきていたんだが
また少ししんどい。
そういえば、あと症状として困るのが、音量と音程の
コントロールが不安定になっている。
つまり昔よりも同じ音を出すのに強い力がいるので
その塩梅がつかめてない。
でも俺は元々あんまり声のコントロールの完璧なタイプの
歌い手とかより味で勝負なタイプが好きなんで、声も
渋み増してい〜い感じになるかもしんないぜ。
つうかその予定。
4日めである。すでに3日坊主ではない。
さて一体何故そんなにもここ数年つまらなく感じていたのか?
長い事俺の活動を見ていた人なら納得いくと思うんだが、
俺ほど落ち着きのない活動の仕方をする奴はまず誰もいない。
別にずっと貧乏ゆすりしてるとかでなく。
ハードなイメージで頭立ててわいるどら〜いふ!っつって
叫んだすぐ後に真っ白なスーツで渚のオールスターズとか
やりだすし、ゴリゴリにタフバナナやったと思えば
ポンポコリンだし。しかもちょっと頑張って活動したと思えば
すぐ休業しちまうし。
う〜むこうやって自分で書いていてもこらあかんっつう感じだ。
でもさ、それはそれで自分のバランスだったんだから仕方ない。
それなのにここ数年ついつい自分の内なる声よりも「〜するべきである」
なんて左脳の納得を選択してしまっていたのだよ。
(あれでか!というつっこみは聞こえまくるが)
もう立派な大人なんだから、なんて自分で言い聞かせながらさ。
ワタシはリッパな大人なんぞではな〜い!
この際開き直る。
永遠のはた迷惑野郎でございます。
あくまで俺の直感のままに、俺のペースで俺の興味の
おもむくがままに生きていくしかないんだとつくづく分かった。
いいんだって天才なんだから。勝手にそういう事にさせていただきます。
なんて事を書いてる事自体ホント大人げねえなまったく。
結構温厚そうだったりオトナな雰囲気もあったりするじゃないですか私。
自分で言いますが。そう思わない人がいても鼻で笑わないように。
しかもこんな私でも頼られちゃったり期待されたりなんかするとそれにまた
一生懸命答えようなんてしてる善い奴な俺だったりもして。
だから昨日も書いたろう俺が悪いんだって。
自分の精神状態なんて自分しか解らないんだから、自分で
良い精神状態をキープするための環境を作るしかないんだよ。
今はとても良い状態だよ。
まだ親知らず抜いた所がシクシク痛いけど。
*
ところで今日はカレイドスコープというバンドを見に
某大学の学祭、正確には前夜祭に行って来た。
もしこのバンドを知らない人は早く知っとかないと後で
後悔するよ。
それにしても教室のシラッとしたあかりとミラーボールが
たまらなくいい味出していたな。
俺ほんと学祭って大好きだよ。
来年歌えるようになったらやりてえな久しぶりに。
誰か俺を呼べって。
またまた続きである。
昨日書いた通り医者には宣告されてしまったのだが
その後も発声練習を続けている。
そろそろ一ヶ月程たったが、明らかに良くなってきてはいるぞ。
ただ、画期的には良くならないのはまあリハビリっつうのはこんなものだと思って気長に考えるしかない。
人間の運命というものに関して俺は、起きるべき時に
起きるべき事が起きるべくして起きるものだと
思っている。
正直な話、声がでなくなるまで自分がこんなに歌を歌いたい
とは気が付きもしなかった。
ただそれももしかするとちょっと飽きてた筈の恋人に
別の男が出来たとたん物凄く惜しくなった、みたいな
所もあるのかも知れない。
音楽というもの、歌を歌うという事。
ここでじっくり考えろって言われているんだろうね。
実際このままじゃどうにもならない所まできていたよ。
ほとんどアル中だったし。
精神安定剤にもかなり世話になった。
ここ数年ほど人生でつまらない時期はなかった。
辛い時や悲しい時は色々あったけど、こんなにつまらなかったのは
初めてだよ。
全部俺が悪いんだけどね。
そこらへんの話はまた今度。
実は一ヶ月以上前に酒も煙草もやめた。
一応夜のうちに寝て一応朝のうちには起きている。
早寝早起きまではいかないけど。
鬱病からの脱出は規則正しい生活からです。これはほんと。
と言う訳でもう寝なきゃ。おやすみ。
さて、病院に行ってみた。声帯関係ではそれなりに
知られている医者らしい。
胃カメラならぬのどカメラで写した写真をくれた。
かなりエッチな写真である。
しかしなんだか声帯の状態はあまりよく解らなかった。
そうやって写してもただのとってもキレイな声帯らしい。
という訳で大学病院を紹介してくれた。
そこでレントゲンやらスキャンやらの結果、声帯のまわりの
軟骨が変形しているという例の話をされた。
その時は医者も発声練習をリハビリとしてやってみたらどうか、
という話を結構希望があるっぽくしてくれた。
で、その後発声練習を続ける事2週間。
その間に別の医者の所にもいってみた。
これまた声帯関係ではかなりの有名どころ。
いろんな歌手と一緒に写った写真が壁にばんばん貼ってある。
今度はのどカメラでビデオにとって説明してくれたのだが
要するに俺にしてみると<よう解らんでテキトーゆうとるな
このオッサン>という感じであった。
しかし薬はガヴァッとでた。ビタミン剤とか。
でもって、発声練習の成果はというとこれは一応あった。
E、つまりミの音が苦しかったのが、やっているうちに
G、つまりソの音まで出る事もあるようになってきた。
声としては使いもんにならんけど。
しかし二週間後大学病院にまたいったら少々気の毒そうな
顔で「治るという事はもうないのでこの声で慣れて下さい。」
と言われたのであった。
以下次号。
注:A=ラ B=シ C=ド D=レ E=ミ F=ファ G=ソ
と言う訳で今日から日記をつけることにした。
なるべく毎日書きたいと思ってる。
好きな事だらだら書くつもりだから案外おもしろい
ものになりそうだぞ。
とりあえずメインはリハビリ日記という事で
まずは現状の説明から始めよう。
元々俺の歌う曲は音域の広い曲が多い。
なぜか。それは俺の音域が広かったからだ。
当たり前である。
曲を作る時にはその歌い手に音域をあわせざるを得ない。
某アイドルには1オクターブ以内という注文で書いた。
特に注文がなければ曲を作るうちにだんだん音域は
広くなる事が多い。なぜならその方が曲がダイナミック
になりやすいから。そりゃそうです。
という事で自分が歌うなら自分の音域を最大限有効に
利用するやね。
<いつまでも変わらぬ愛を>で頭の歌い出しの音が
下のCの音で、サビのいつま〜でも変わら『ぬ』
この音が上のA 。『あ』〜いを、でのばしている
音がG。
まあ大体ここらへんが通常使う所。
ちなみに<キズナ>ではもうひとこえ下のBから
もういっちょ上のBまで、きっかり2オクターブ使っている。
これはファルセットを使わない歌としては結構広い。
しまった。もっと狭くしとくんだった。
しかもファルセットではそのまた上のAの音までいけた。
これはWILD HORSEの最後の雄叫びがそうである。
とまあ俺の音域というものについて大体のところを
解ってもらえたところで今回の症状の説明をしよう。
スペインから帰ってきて一ヶ月程たってからやっと
これは本当にやばいかもしれないと思って病院に行った。
声が枯れた事なんて今までもさんざん風邪とか歌い過ぎ
とかであったので舐めていた。
だが一ヶ月たってもまだ声は変だわ高い声はでないわでこりゃ
やばいとやっと悟ったおおマヌケののんき者であった。
その時点で上の音はEがやっと、Dでも苦しいという
状態だったのである。
しかも声自体なんとも聞き取りづらい声になってしまって
いるのであった。
うむ。一日めはここまで。