CEDEC最終日の基調講演「国民的ゲームとは何か? 〜ドラゴンクエストの場合〜」には、ゲームデザイナーの堀井雄二氏が登壇した。大勢の前で講演するのは、ほぼ初めてということもあり、きわめて貴重な80分。1000名収容可能なメインホールは満席となり、入りきれなかった来場者のため、他の2会場で実況中継されるほどの盛況となった。
壇上に上がったのは、堀井雄二氏と、スクウェア・エニックスプロデューサーの市村龍太郎氏、ディレクターの藤澤仁氏。この3人の会話形式で進行した。ここでは『ドラゴンクエストIX』にかかわる堀井さんの発言を軸にレポートする。
「ドラゴンクエスト」はいかに誕生したか?
最初に堀井氏が語ったのは、同氏がゲームを作り始めた頃の話。ここで何よりも重視したのは“わかりやすさ”だと、堀井氏は語った。
「いきなりRPGを遊ぶのは難しい。だから、まずアドベンチャーゲームを作った。これはプレイヤーにとって、やったことの反応が、すぐに返ってくるゲームだから。そして、文字で遊ぶことに慣れてもらった」
これがコマンド選択式ゲームになった経緯も、きわめて興味深いものだった。もともと『ポートピア連続殺人事件』はPC用のゲーム。堀井氏自身が、絵も音楽もプログラムも、すべて自分で作っている。これは当時主流だった文字入力式のゲーム(たとえばアイテムを取りたいときは「とる」という言葉を入力するというゲーム)だった。
しかし、実際に堀井氏がパソコンショップの店頭でプレイしている人を見たとき、こちらが予期しない言葉を入力している人が多いことに気付き、驚いたのだという。
「すると“その言葉はみつかりません”といった無味乾燥な言葉が返ってくる。これはだめだと。英語なら、わたしは“I”で統一されているけど、日本語は、わたし、ぼく、オレと、たくさんの言い方がある」
だから日本語では文字入力でゲームを遊ぶのは無理だと気付き、ファミコン版ではコマンド選択式にした。こうした日本語へのこだわりは、いまでも続いていると堀井氏は語った。