消された言葉「八紘一宇」
日本のこころ、八紘一宇。
「八紘一宇」というのは平たく言うと「世界は一家、人類は皆兄弟」という意味です。昭和15年(1940年)第二次近衛内閣の基本国策要綱、大東亜共栄圏の建設の精神として掲げられています。
「皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル嚢国ノ大精神ニ基キ、世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ、先ツ皇国ヲ核心トシ、日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スル」
この「八紘一宇」は神武天皇(初代天皇)が橿原宮(かしはらのみや)に即位されたときに、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」と言われたのに由来します。「八紘」(はっこう/あめのした)は八角、四方八方のことで、当時の日本において、一つの家のようにやっていこうではないか、ということです。神武天皇は九州から東上してきて、奈良の近くで即位されましたが、周囲は全部土着の豪族たちです。ですからそれらを統一し、全部を一つの家として仲良くやっていきましょう、といった道徳的な意味です。
この「八紘一宇」が東京裁判のときに侵略思想だと検事側がしきりに指摘してきました。そこで弁護人は日本の古典、明治当初の文献などを翻訳して提出し、学者を証人として出廷させて十分な説明を行いました。これによって「八紘一宇」ほか皇道は日本道徳上の目標であることが認められています。
この日本の八紘一宇の精神は明治維新のときに神武天皇の教えられた精神でいかなければならない、というところからきていますので、日本人の精神に浸透していたものでしょう。この精神があったからこそ、エルテュールル号遭難の救助、シベリアのポーランド孤児救出、オトポール事件(ユダヤ難民救済)、杉原ビザ(ユダヤ難民救済)、駆逐艦「雷(いかずち)」の英兵救出などが行えたのです。
しかしながら「八紘一宇」はGHQにより公文書記載が禁止されました。昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明しています。なんという悪意を持った解釈でしょう。
まだ「八紘一宇」と言う言葉は消されたままです。政治家が使えばマスコミが大バッシングするでしょう。「日本は神国」と言えば大バッシングするのと同じです。まだGHQの呪縛が解けていないのです。こうして日本の伝統的なよいものはどんどん失われてきており、日本人の心は劣化していっているのです。
参考文献
祥伝社黄金文庫「東條英機 歴史の証言」渡部昇一著
中公文庫「秘録 東京裁判」清瀬一郎著
参考サイト
WikiPedia「八紘一宇」
添付画像
日本紀元2600年記念切手のうち、日本の建国神話を題材とした10銭切手(PD)
愛国行進曲
http://www.youtube.com/watch?v=2CpcztEOSrs
愛国行進曲の二番に「往け、八紘を一宇となし」という歌詞がある。
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